2、観戦  夢を見た。今となっては、強い恨みの元になってる・・・。そんな夢だった。  最初は、ただ声を掛けられただけだった。ふと冷静に考えれば、何で惹かれたの か、分からない。ただ何となく、誘いに乗った。  付き合ってみると、優しい人だった。いや、そう言う風に見えた。あっちから告 白を受けた時に、有頂天になった自分が居た。そんな事は、18年間生きてきて初 めての経験だった。今まで何不自由無く暮らしてたせいだろうか?初めて尽くした い相手に、出会った気がした。両親から貰った小遣いで、プレゼントをした。  だが、彼は喜ばなかった。何故だろう?と考えて、自分で稼いだお金じゃないか らだと思って、バイトをした。両親は少し不審に思ったが、怪しいバイトでも無い。 ただの店屋の当番だし、社会勉強にもなると思ったのだろう。見逃してくれた。  そうする事で貰った初めての給料。自分でも嬉しかったし、何よりも彼に誇りを 持って、プレゼント出来ると言うのが、堪らなく嬉しかった。思い切ってバイト代 の、ほとんどを使ったようなスーツをプレゼントした。すると彼は、優しく笑って 受け取ってくれた。自分は、これで間違ってないと思った。いや思ってしまった。  こうして付き合って1年ほど経った。自分からのプレゼントは、結構な数になっ た。しかし、彼から貰った事は無い。それに両親も薄々感づいている。隠し通すの も、限界だし、ここまで来たら正式に両親にも言おうと思った。  しかし正式に言うにしても、彼から愛してもらった事が無い事に、気が付いた。 それに優しい笑顔だけ、見せられていたが、何故か、それ以外の顔が思い出せない。 何故だろう?そんな事を思ってしまう自分が憎かった。彼の事を、信頼していない のだろうか?そんな事は無いと、自分に言い聞かす。  しかし考えていても仕方が無い。昔から、ハッキリしないと、気が済まない性格 だったので、彼に問い正してみた。愛して欲しいし、プレゼントだけの仲なんて嫌 だ。それをハッキリと告げた。その時に、彼は笑顔のまま、残酷な事を口にした。 「金ヅルは抱けないよ。君だって、承知の上だろう?」  その言葉を聞いた時のショックは、忘れない。しかし思い返してみれば、金ヅル と呼ばれる行為以外、何をしただろう?一生懸命バイトして貯めたお金で、彼にプ レゼントして尽くす。デートしている時も、自分が、お金を払っていた気がする。 そして気が付いた時には、頭に血が上っていたのだろう。 「ふざけないで!私が聞きたかったのは、そんな言葉じゃ無い!恋人じゃ無いと言 うなら、今までのプレゼントを返してよ!!」  その言葉を口にした。すると恋人は、溜め息を吐いていたが、何かに納得するよ うに頷いていた。 「冗談だよ。君の怒った顔が、見たかっただけだって。」  と、そう言ってくれた。すると、今まで怒っていた自分が、恥ずかしくなって、 ちょっと剥れながらも、許してあげた。そうすれば、明日になれば仲直り出来る。 その時に、もう一回頼めば良い。彼は、両親の目の前で、恋人だと言ってくれる。  そんな淡い恋心だった。自分でも、盲目だったと思う。周りが見えて無かったの も、真実だろう。冷静に判断すれば、今までの自分が、如何に滑稽だったか、分か りそうな物だ。なのに、納得してしまった。  次の日の事は、一生忘れられないだろう。朝、起きてみると、自分のベッドの横 に、書置きがあった。何の書置きかと思ったら、両親からであった。そこには、信 じられない一文が、書いてあった。 『もう、生きていけない。』  その文が、血文字で書いてあって、何の冗談かと思った。冗談にしても、趣味が 悪い。それに外が、自棄に騒がしいのも、気になった。しょうがないので起きて、 居間に顔を出す。居間は、何故かやたらと湿っていた。それに、電球以外に何かが ぶらさがっていた。そして、それを目にした瞬間に、頭が真っ白になった。 「あ・・・ああああああああああああああアアアアアアアアア!!!!!」  そこに、ぶら下がっていたのは、物を言わぬ哀れな姿になった両親だった。そし て、首に縄を掛けてぶら下がっていた。湿っていた物は、目から鼻から溢れる体液 で、その量からして、既に事切れているのは、明白だった。しかし、そんな事を考 えている余裕は無い。 (何故!?何故なの!?何でなんでナンデ!!!!?)  信じられなかった。昨日まで談笑してた両親が、何故、このような事をしなけれ ばならなかったのか。すると、乱暴にドアを開ける音がした。 「ファリア=ルーンだな!!セント警察の者だ!」  自分の名前が、呼ばれたような気がした。しかし、それに反応する事が出来なか った。何不自由なく育ててくれた両親。それを一瞬で失う悲しみ。そして疑問。  だが、ファリアの意志とは関係なく、放心のまま警察に連れて行かれた。次第に 冷静さを取り戻したが、警察は、とんでもない罪状をファリアに突きつけた。 『セント反逆罪』  ファリアも、その意味を知っていた。その罪状は、このセントでは、一番重い罪 である。セントに対する最大の侮辱であり、許されないと教育を受けている。 「何かの間違いよ!!!!」  ファリアは、持ち前の気の強さで、言い返すまでに、心を取り戻した。 「間違いでは無い。アンタの一番気を許している相手が、止む無く通報しての事だ!」  警察は、とんでもない事を口にする。一番気を許してる?それは誰?・・・考え るまでも無い。彼の事だ。しかし彼が、そんな事をする筈が無い。と思いたかった。 「・・・ゼリン?ゼリンなの?」  ファリアは、恋人の名前を口にする。ゼリンは珍しい髪の色をしていて、髪は赤 かった。優しい笑顔をするのが、特徴だが、背は高い方でも無かった。 「簡単に、その御方の事を口にして貰っては困る。ゼリン様は、警察機構きっての 天才で、警視にまで、なられている御方。そのゼリン様が、直々にアンタの罪を暴 いたんだ。観念しろ。」  警察官は、ビックリするような事実を言った。ゼリンは、何と警視だったと言う。 そんな素振りは、全く無かったし、見た事も無かった。部屋に上がらせてもらった 時、勲章らしき物があったが、昔貰った物だと言って、誤魔化された記憶がある。 「全く・・・両親が死んでまで、罪を償おうとしたのに、娘は・・・。」 「・・・けないで・・・。」  ファリアは、警察官の一言で、唇を震わす。 「ふざけないでよ!!!!!私は、セントに逆らう気なんか無い!!父さんや母さ んは、騙されたのよ!!貴方達の、軽率な逮捕状で、こうなったんじゃない!!」  ファリアは、不満の限りをぶち撒ける。 「まだ認めない・・・か。全く。警視の言った通りだな。まぁ、アンタが何を言っ た所で、もうアンタの行き先は、決まっている。」  警察官は、全く興味を示さずに、隣の警察官に合図をする。すると、ファリアは 手錠を掛けられて、引っ張られる。 「な、何するのよ!!それに、どこに連れて行こうっての!?」 「次の15日までは、牢に入ってもらう。15日になったら『絶望の島』行きの船 が出る。それに、乗りたまえ。」  警察官は、感情の無い声で告げる。ファリアは、血の気が引いていくのが分かっ た。噂では聞いた事がある。絶対に、出る事が出来ないと噂される、凶悪犯罪者が 集う島『絶望の島』。監獄島とも呼ばれて、いくつかの映画にも、ここを題材とし たストーリーがあるくらい、有名な島だ。 「何よそれ!信じられない!!父さんと母さんが殺されて、私は『絶望の島』?冗 談でしょ!冗談じゃ無かったら何なのよ!これは!!嘘よ!」  ファリアは、パニックになりながら、叫ぶ。そこで、牢に入れられるのだ。  そこで、この夢は覚める。牢にいる間、何度も見た夢だ。いや、これは勿論、現 実に起こった出来事だ。未だに夢に見るくらい、忘れられない出来事である。  最悪な気分で、ファリアは目覚めた。恐らく昨日、死体搬入などやらされたせい であろう。ここ2、3日、やっとこの夢を見なくなって来たのに、この様だ。 (あー・・・気分悪いわ・・・。今考えても、おかしい所だらけね。)  ファリアは、顔を顰めながら、洗面所で顔を洗う。まだ寝ぼけ気味だが、気分が 最悪なので、眠気も起こらない。  今考えてみると、最初にゼリンに何故、惹かれたのすら分からない。何となく顔 を合わせた瞬間、運命を感じたのだ。しかし変だ。吸い込まれるように恋をした。 脅迫じみていた部分もあった。それに日が経つにつれ、ゼリンがそこまで良い男だ ったかどうかと考えると、端正な顔をしていたが、ひ弱な感じで、自分が好きなタ イプでも無かった。それに何故か、プレゼントをしている時の記憶が飛んでいる。 した事は覚えているのだが、ゼリンが、どうやって受け取ったのかさえ、思い出せ ない。その後、笑顔を浮かべていた事くらいしか、頭に残っていない。 (・・・父さん・・・母さん。)  ファリアは、父と母の顔も思い出す。あの朝に、ファリアが起きる前に、逮捕状 がFAXで届いたと言う話である。FAXとは、電話線を通じて、印刷情報を相手 に送る機械である。セントでは当たり前のように利用されている。ちなみに電話も、 セントだけで無く、今では全ソクトア中で当たり前の機能で、皆が利用している。  両親は、本当に自殺したのだろうか?確かに、セント反逆罪と知られれば、その 家は、異端視される。しかし、命の大切さを説いていた両親が、そんなに簡単に、 自殺する筈無いと、ファリアは思っていた。 (いつか・・・潔白を証明するんだから!!)  ファリアは、それまで死ねないと、心に誓っていた。必ずゼリンを後悔させて見 せる。自分を捨てただけで無く、両親を殺したゼリンを、この手で捕まえて、同じ 目に遭わせなければ、気が済まなかった。  それはそうと、起きてしまったからには、体を綺麗にして置きたい。幸い朝食に は、まだ時間がある。とは言え『絶望の島』の監獄の中だ。無論シャワー室など、 付いている筈が無い。となると、午後にある一斉入浴時間まで待つか、それ以外の 方法で、体を綺麗にする他無い。ここで体を綺麗にする方法など、一つしか無い。  ファリアは、少し抵抗はあったが、嫌な夢を見た事で、汗が吹き出てるのに、こ のままで居るのは、許せないのだろう。観念して、洗面器に水を注ぐ。昨日洗濯し て置いた、自分のタオルを持つと、洗面器の水の中にタオルを浸す。幸いにも、誰 も起きる様子も無いし、洗面所と便所と台所が、一緒になっている所は、仕切り板 くらいはあるので、音が聞かれる事も無いだろう。  チャプ・・・。  ファリアは、体を拭き始める。やはり汗を拭うのは、気持ちが良い。ここでは、 汗の臭いが充満している節がある。いくら、この部屋を綺麗にした所で、全体的な 汗の臭いと言うのは、取れる物じゃない。しかも、時々妙なイカ臭いニオイまです るのだから、ファリアとしては、気が気でない。すでに監視員達に、縋り付いてい る女性が居ると言う話だ。島主に個室を貰ったと言う話まで、聞き及んでいる。 (この班じゃ無かったら、私も・・・考えたくも無いわ。)  ファリアは、下半身の体拭きを終えた。続いて、上半身に取り掛かる。 (まぁこの部屋も、他の部屋の事を言えるような、部屋じゃ無かったけどね。)  ファリアは、苦笑しながら、自分が片付けた跡を確かめるように見る。簡素では あったが、綺麗に整っている。レイク達も、綺麗になると、途端に気になるのか、 綺麗に部屋を使ってくれた。 (変な所で生真面目よねぇ。いつもは不真面目なのにね。)  つい笑みが零れる。この班に入って、笑みを浮かべられるようになった。両親が 死んで以来、中々零せなかった、笑みを浮かべられるようになったのだから、大し た進歩だろう。  ファリアは、暗い事を考えても仕方が無いと思ったのか、体を拭くのに、専念し 始める。腋の下などは、特に入念にチェックする。やはり気になるのだろう。入浴 時間でも、かなり入念にチェックしている。 「あー・・・ねみぃー。」  いきなり、仕切り板の向こうから人が入ってきた。洗面所に、真っ直ぐ向かおう としているのだろう。 「あ・・・。」  急に、誰かの動きが止まる。その誰かは、レイクだった。すると、ビックリした ように、こっちを見て、顔を真っ赤にさせながら、後ろを向く。  急に動きが止まったのは、ファリアも一緒だった。入念にチェックしていた分、 誰かが入って来るのに、気付かなかった。ファリアは体全体が熱くなるのを感じた。 「す、すすすすすす済まん!!!」  レイクは、ドモりながら謝る。 「・・・ぅ・・・むぅ・・・。ふぇ・・・。」  ファリアは、言葉にならない叫びを上げる。騒ぐ訳にもいかない。とは言え、レ イクに、上半身裸な所を見られたと言うのも、かなりショックだった。頭は、とっ くにパニック状態である。 「・・・ふ、服を・・・は、早くききき着てくれ・・・。」  レイクも、体を震わせながら、仁王立ちしている。ファリアは、わざとじゃない と分かっていたが、どうにも気まずい。 「・・・着た。着たわ・・・。」  ファリアは、手早く囚人服を着け直す。もう、ほとんど体は拭き終わっていたの で、構わなかったが、今は別の意味で、汗が止まらなかった。 「・・・うぅ・・・。」  ファリアは、不覚を取ったとばかりに口をへの字に曲げていた。 「・・・あー・・・。何だ。とにかく、悪かった・・・。」  レイクは、気まずそうに目を瞑る。レイクとしても、こう言う事態は、予想して いなかったので、仕方が無かったのだが、謝らなければ駄目だと思っていた。  パン!!!  とても良い音が響き渡った。ファリアが、レイクの頬を叩いた音だ。 「・・・反省してるみたいだし・・・今は、これで許してあげる。」  ファリアは、顔を真っ赤にしながら、手を擦っていた。 「す、済まん・・・。助かる・・・。」  レイクは、頬に出来た紅葉の跡を、手で確かめて苦笑いをする。  ファリアは、それでも恥ずかしさが止まらなかったのか、自分の寝床の近くで、 蹲るようにして、顔を隠す。 (レイクに・・・見られるなんて・・・私ったら油断し過ぎ・・・。ま、まぁ他の 人よりマシ・・・って何考えてるのよ。・・・まぁ、元は私が悪いんだけど・・・。 まぁ、謝ってくれたし・・・。)  ファリアは、他愛の無い事を考えながら、火照った頭を冷ます事だけを考える。 レイクは、洗面所で水を被りながら、頭を冷やしていた。 (こういう事態も・・・予想出来なかった訳じゃないってのに・・・ファリアの奴 ・・・怒ってたしなぁ・・・。班長、自らこれじゃ・・・ああ・・・。)  レイクは、何度も自己嫌悪する。しかし、ファリアの体は美しくて、中々目から 離れない。こんな事を考えてる場合じゃ無いのに、その事ばかり考えてしまう。 (俺って・・・節操無かったのか・・・?)  レイクは、気恥ずかしそうに寝床に戻ると、壁を背にして、溜め息ばかり吐いて た。これでは、班長失格だと、何度も思ってしまう。 「レイクさん。おはよう。今日は、早いですね。」  ジェイルが声を掛けてきた。そして、すぐに紅葉の跡に気が付く。 「おや?ファリアさんまで?お早いですねぇ。」  ジェイルは、まだちょっと眠かったが、二人の様子が、おかしい事には、すぐに 気が付いた。そして洗面所に行くと、床に洗面器とタオル。で、恥ずかしそうにし ている二人、そして、レイクに出来た紅葉の跡を見て、何となく予想が付いた。 (二人とも、若くて、羨ましいですねぇ。)  ジェイルには、とっくに過ぎていた感情を、二人が抱いているのだろう。ジェイ ルは黙って、グリードとエイディが起きない内に、洗面器とタオルを片付けてやる。 そして、ファリアの前に行って、濡れタオルを額に当ててやる。 「な・・・!?」  ファリアは、突然の事に驚く。 「頭を冷やして置きなさい。朝食までにね。」  ジェイルは、そう伝えると、ファリアの肩を優しく叩いてやった。どうやら、ジ ェイルには、バレたらしい。ちょっと恥ずかしかったが、この男なら、黙っていて くれるだろう。それを思うと、少し安心する。 「・・・ありがとう。」  ファリアは、掠れるような声でお礼を言った。何とも可愛らしい仕草である。そ れを満足そうに見ると、レイクにも、濡れタオルを渡してやる。 「・・・お、俺には・・・必要な・・・」  レイクは、必要ないと言おうとすると、ジェイルが人差し指を、目の前で振って、 軽くジト目で、こちらを睨んで来た。 「レイクさんとの付き合い、何年になると思ってるんですか?」  ジェイルは、口元に邪悪な笑みを浮かべると、背中を叩いてやった。 「・・・ジェイルには・・・隠せないなぁ・・・。」  レイクは、首を落として、濡れタオルを頬に当てる。すると、ヒンヤリする感覚 が、気持ち良かった。何だかんだで、ジェイルには、礼を言わないといけない。 「・・・言っとくけど・・・不可抗力・・・だからな。」  レイクは、言い訳じみた事を言う。まぁ実際にそうなのだが、却って、そんな事 を言うと、怪しまれると言う事を、レイクは知らない。 (まったく・・・レイクさんにも、慣れない出来事があったんですねぇ。)  いつも、そつなく仕事をこなすレイクだが、ファリアが来てから、何かと違う顔 を見せている。少し悔しい部分もあったが、これが、本当の18歳の仕草であると、 ジェイルは思った。それにファリアも、悪い娘では無い。こんな娘が、ここに来る なんて、今のセントは、余程おかしい事になっているのだろうとさえ思う。 (ちょっと気が強い娘さんですけどね。分かりやすい。)  ジェイルは、素直な娘だと思った。良い環境で育ったのだろう。ここに来た当初、 凄まじい憎悪を感じたので、警戒はしていたが、恋人に裏切られたとの事なので、 それが原因なのだろうと思う。 (こんな娘を騙すなんて、酷い人ですねぇ。)  ジェイルは、哀れに思った。もし自分達の所で無かったら、どんな目に遭わされ ただろう。この気丈な娘の事だ。自殺していたかも知れない。  そう考えてる内に、残りの二人も寝呆けながらも、起きて来た。この二人は、仲 が良いのか悪いのか、ほとんど同時に起きる。しかも一番遅い。更に洗面所の取り 合いをする。呆れるばかりである。 「遅いですよ。二人共。朝食まで、後20分しかありませんよ。」  ジェイルが注意する。つい、口を出したくなるのだ。 「20分もあるじゃねぇか。上出来上出来。」  エイディは軽口を叩く。何を言われても動じない辺り、性格が出てるのだろう。 「ジェイル、オッサン臭いぞー。」  グリードは、茶化すように言う。 「良いんですよ。実際オッサンなんですから。軽口叩く暇があったら、もう少し早 めに起きる事です。」  ジェイルは、オッサンと呼ばれる事に、少し抵抗は感じたが、今更、否定しても しょうがない事実なので、認めてやった。 「認めるとは・・・。兄貴ー。ジェイルの奴、開き直っちゃったよ。」  グリードは、レイクの方を見る。レイクは、まだボーっとしていた。 「兄貴?顔が少し赤いぞ?熱でもあるのか?」  グリードは、心配する。本当の事など、言える訳が無い。 「ね、熱なんか無い。朝食がまだだから、力が出ないだけだ。」  レイクは、慌てて妙な理由を付ける。 「よし!兄貴が、そう言うなら、早く朝食を摂りに、行きましょう!」  グリードは、只の善意で、言ってくれていた。 「・・・そうだな。」  レイクは、グリードの鈍感さに感謝しながらも、朝食を摂る準備をした。 「・・・ジェイル。何かあったんだろ?」  エイディは、レイクとファリアの様子が、おかしい事に気が付いていた。ジェイ ルは、何か知ってるみたいなので、耳打ちするように聞いてみる。 「まぁ、知らなくても良い事です。貴方も、調子を合わせなさい。」  ジェイルは、平然と答えた。エイディは、何となく察したのか、知らない振りを する事にした。エイディも、この二人を見ると、つい応援したくなってしまうのだ。 (俺も、お人好しになった物だ。)  エイディは、昔の自分を思い出す。ここに来た当初は、エイディも荒れ狂ってい た。両親に裏切られた事で、周りなど信じなくなっていた。レイクやジェイルに声 を掛けられても、無視を通していたし、信頼などと言う言葉は、綺麗事でしか無い とさえ思っていた。レイクの過去を聞いても、嘘だとしか思えなかったし、ジェイ ルに至っては、改心したなどと平気で言う。そんな言葉、信じられなかった。  しかし、この二人は事ある毎に、自分を助けたりしている。そんな無駄な事を、 何故するのだろう?と思った。自分のような存在は、放っておけば楽になる。両親 にさえ、捨てられたのだ。エイディは、自分が要らない存在だと思っていた。だが、 レイクは、そんなエイディを見て、本気で怒った。  要らない存在なら何もしないで良いのか?と問いかけてきた。生きているのなら、 何かをして、誇れる自分を作っていかなければ、悲しいだけだと言った。  エイディは、その言葉が身に染みた。本気で怒るレイクを見て、眩しいと感じた。 レイクは、ここで暮らしながら、自分を曲げた事が無かったから説得力もあった。 (自分を取り戻せたのも、レイクのお節介からだったな・・・。)  エイディは、それから、少しずつ変わる努力をして、今に至っていた。当時11 歳の少年が、自分を諭す。端から見れば、情けないのかも知れない。だが、エイデ ィにとっては、誇れる過去になっていた。  そして、次の目標が出来た。それは、レイク自身を救いたいと言う事だった。レ イクは、自分では気が付いていない。周りを幸せにする癖に、自分の幸せは、全く 考えていない。わざと、考えないようにしている節が有った。  そう考えてる内に、ファリアが来た。そしてこの2日間見ていて、レイクを本当 に幸せにしてやれるのは、この女性しか居ないと考えていた。グリードなら、レイ クの悪友になれるだろう。だが、それ以上にはなれない。それは、自分も同じであ った。だからエイディは、グリードとじゃれあう事で、レイクとファリアの距離を 狭めさせる事にしたのだ。 (でも・・・本当に幸せになるなら・・・。)  エイディは、思い描いていた。幸せになるには、この島に居てはいけないと言う 事をだ。それは、ジェイルとも同意見だった。増してファリアは、何かとマークさ れている節がある。このままでは、不幸な結果を招き入れる羽目になる。 (どうやって・・・出るかだな。)  エイディもジェイルも、脱獄の事を考えるようになっていた。昨日ファリアから、 その言葉を聞いた時は、自分の考えを見抜かれてるのか?と勘違いした程だ。 (決断するのは、そう長くない未来の事になる。だろうな・・・。)  エイディは、その時、自分が何が出来るのか、考えるのだった。  当たり前の事・・・。と言うのは、いつから、当たり前の事になったのだろう? 作業を苦痛だと思わなくなった時から、自分は、壊れてしまったのかも知れないと 思う時がある。監獄の『絶望の島』ですら、作業に明け暮れ、自分の益になるよう な仕事かと思えば、そうでも無い事が多い。大概が、力作業か、気が滅入る作業な ので、余程の精神力が無いと、手早くこなす事など出来ない。  今日の作業も、男性は自動車の部品を作って、正確に運ぶ作業がメインであった。 ソクトアには、自動車の他に、電車も流通していて、大都市では、電車での通勤と 言うのは、当たり前になって来ている。昔は、馬車でしか行く手段が無かったのを 考えると、大変な進歩である。だが、環境を壊し始めていると言う事に、人間は気 が付いていない。『電力』によって、当たり前になった事が、必ずしも良い方向に 向かっている訳では無い。だが人々は、便利さを知ると、歯止めが利かなくなる。 食物を保存するのに冷却装置を備えた、冷蔵庫が開発され、道をアスファルトで固 める事で、自動車の配備に拍車を掛ける羽目になり、自然は、どんどん失われてい った。電車の進歩により、手間を掛けずに、遠くまで移動できる手段を得た。だが 電線を配備しなければならないため、自然を切り崩す結果になるのは明白だった。  こうして、自然豊かなソクトアは、どんどんその姿を変えていた。  『絶望の島』ですら、その歯車の一環に過ぎず、皆が嫌がる、面倒臭い作業を、 進んでやらせる事で、更正が進むと、かなり無理な論法を採用して、今では、当た り前の作業になっていった。  女性の作業も、セントで良く売られている保存食の作成と言う、セントの手先の ような作業をやらされている。自分達に益は無い。ひたすら、セントのためにやら されているのだ。ファリアは今日、この仕事が初めてなので、まだ新鮮な気持ちだ ったのだろうが、慣れてくると、詰まらない作業であった。しかし、ここ『絶望の 島』でも、仕事をしない者に、未来は無い。黙って仕事をしていれば、それなりの 生活は出来るので、悔しいながらも、従う他無かった。  いつから、この体制が当たり前になったのだろう?ひたすらセントのために尽く すのが、このソクトアでは、善とされる。寧ろ、これに疑問を挟む者は悪とされる。 この『絶望の島』に送られた者は、その悪の基準の対象になった者達も少なくない。 だが、これが正しい人間のあり方なのだろうか?支配される事が、人間の正しいあ り方なのだろうか?セントの人々は、幸せな生き方をしているだろう。だが、それ 以外の国の人々に、未来は無い。唯一、その呪縛から逃れているのが、ガリウロル であろう。彼の国は、ソクトア大陸と、かけ離れた土地なので、セントの支配が及 んでいないのだ。だが、それもいつまで持つのだろうか?現在は、地上兵器だけで 無く、海上兵器や航空兵器の開発が進んでいるという噂を聞く。出来た暁には、ガ リウロルを支配しようと考えているのは、誰の目にも明らかだった。その兵器の開 発も、この『絶望の島』で行われている。勿論、雑務の部分だけである。実際の開 発は、セントにある兵器開発所で行われている。ちなみにセントは、ソーラードー ムに覆われているので、兵器開発所は、セントの一番外れに位置する場所に、作ら れていた。将来は、ここが空港になると言われている。  この現状は、嘆き悲しむべき物だろう。人を断絶するかのようなソーラードーム。 セントの人間だけが特別視される、現在のシステム。自然を壊すかのような現状。  かつて『神魔戦争』が終わった頃、共存が栄えた歴史があった。その頃は、夢が あった。いつまで続くか分からないが、全ての人々が共存する事で、ソクトアが一 つになっていた瞬間でもあった。人だけでは無い。伝記によれば、かつては魔族や 妖精なども、その仲間として迎えられていたと言う。だが、それを信じる者など、 誰も居ない。伝記は美しく変えられる物。語り草にはなっているが、本当に、そん な時代があったと、信じる者は、誰一人、居なくなったのだ。  しかも、その伝記を生み出していた一族は、15年前に、セントに粛清されたと 言う話である。勝利者が歴史を作るのなら、現在、歴史を紡ぐのは、セントであろ う。ユード家は、15年も前に、崩壊の一途を辿っている。所詮、剣だけの時代は、 古い価値観でしか無いのだ。今は『化学』と『電力』の時代だ。15年の間に、ど れだけの物が、進化したか分からない。邪魔者が居なくなった今は、セントの黄金 時代とも言えた。  当たり前の事。これらは全て当たり前の事だ。疑問に感じる方が変なのである。 人々が支配している以上、便利さを追求していくのは当たり前の事だ。  セントに住んでいた時は、ファリアですら、この事に疑問を持たなかった。何不 自由無い生活は、既に当たり前になっていたのだ。  だが『絶望の島』で味わった現実は、違った。当たり前の事は、人々の犠牲によ って成り立っていた。当たり前の事は、セントの人々の当たり前でしか無いのだ。 他の人間は、歯車に過ぎないと言う考え方に、ファリアは疑問を持ち始めた。  その疑問に辿りついただけでも、良かったと考えている。セントの人間は、ただ 知らないだけなのだ。それが、どれほどの罪なのか、認識していない。異議を唱え た者は全て、この『絶望の島』に送られるのだから、口封じとしては上出来だ。  そんな事を考えながらも、ファリアは、手際良く作業を覚えていった。終了の1 時間前には、作業が終了していた。ファリアは、優秀な方なのかも知れない。  ふと食堂の方に向かう。食堂には、彼女の仲間が集まっている事だろう。見ると、 案の定、作業を手早く終わらせていた、仲間達が居た。 「ご苦労さん。初めてで、この時間なら、上出来だ。」  エイディが、早くもテレビの方を見ながら、労いの言葉を掛ける。 「コツを掴めば、そう難しい事でも無いしね。」  ファリアは、正直、覚えるまでは楽しかった。セントでは、やった事の無い作業 だからだ。やる必要も無いのだ。 「またテレビ?」  ファリアは、昨日の空手大会の続きを見ている男達を見て、呆れる。 「結構、白熱してて面白いぜ!」  グリードなどは、拳を握りながら見ていた。勝負事が、好きなのだろう。 「この大会は、特にレベルが高いから、違和感無く見れますね。」  ジェイルですら、見入っている。確かに、昨日見た感じでも、詰まらないとは、 感じなかったので、好きな人には堪らないのだろう。レイクも、肘を突きながら見 ていた。 (うー・・・変な意識しないって、決めてたのになぁ・・・。)  ファリアは、今朝の事もあって、レイクの顔が、見づらかった。レイクも、平静 を装っているが、ファリアとは、話しづらそうにしていた。  すると、ジェイルが見兼ねたのか、水をレイクとファリアに運んでやった。 「二人共、お疲れのようですし、少し頭を冷やしなさい。」  ジェイルは、諭すように二人に言った。 「心配掛けさせてるな。済まん。」  レイクは、頭を掻きながら、水を口にした。 (いつまでも、このままじゃ居られないしね。)  ファリアは、そう思って、水を口にすると、不思議と今朝の事が、過ぎた事のよ うに思えてしまう。 「ありがと。ジェイル。」  ファリアも、礼を言った。エイディは、その様子を楽しそうに見ていたが、グリ ードは、テレビに夢中で気が付かなかったようだ。 「ベスト4を決める、最後の組み合わせか。」  エイディは、テレビの方に神経を集中させる。大会は、午前の早くから行われて いて、早くも、ベスト8が決まって、ベスト4を決める試合が始まるようだ。 「さすがに天神 瞬、神城 扇、榊 総一郎は決めたからな。残りの一つの椅子か。 どうなるかな。」  レイクも、分析するかのように見ている。 「ここまでは順当と言って良いでしょう。ただ、この対戦は、面白いですね。」  ジェイルはベスト4の連中は、当然だと思っていた。残るべき者が残っている。 だが、この対戦は意外だと思った。 「15歳の少年の、2人目か・・・。」  レイクも不思議に思った。今までマークされなかっただけなのか、もう一人15 歳の少年が残っていたのだ。しかし、見た所、そんな目立った強さを発揮してる訳 でも無い。だがレイクは、どこかおかしいと思っていた。 「順当に行けば、相手の羅刹拳の師範、外本(ほかもと) 稔(みのる)の勝ちで しょうね。外本には、一撃必殺の指があります。」  ジェイルは、戦力分析を始める。羅刹拳師範の肩書きは、伊達じゃない。今まで の対戦相手も、肩や膝などを指で打ち抜かれて敗れ去っている。 「だが、あの15歳。動じてないぜ。」  グリードも、おかしいと感じ始めていた。自分だって、外本のような男が目の前 に居たら、身震いしていたかも知れない。だが少年は、飄々と競技場に立っていた。 『さぁ!最後のベスト4を決めます!』  テレビのアナウンスで場内が沸く。場内は、かなりエキサイトしているようだ。 『93番!外本 稔選手!』  紹介されて、外本は指を鳴らす仕草をする。それに獲物を狙うかのような眼をし ていた。新たな獲物を見て、楽しむような仕草をしていた。 「ありゃ楽しんでるな・・・。」  エイディは、趣味が悪そうだと思った。人を傷つけても、何とも思わないタイプ なのだろうと直感した。 『116番!島山(しまやま) 俊男(としお)選手!』  場内のアナウンスで、一層の歓声が沸く。天神 瞬と島山 俊男には、物珍しさ か、拍手が多いような気がする。 「島山 俊男か。可も無く、不可も無く、勝ち上がった珍しい奴だな。」  エイディも不思議そうに見ていた。相手の実力の一歩上を、やっと超えた様な闘 いをしていたが、今度は相手が悪い。 「・・・む・・・?」  レイクは、違和感を覚えた。と言うより、違和感の正体が分かった。 「おい。エイディ。そう言えば、この俊男って奴、今まで構え取ったか?」  レイクは、俊男が、何かしら最初から構えていたのを、見た事は無かった。 「・・・無いな。・・・まさか・・・。」  エイディは、そう言われて気が付いた。 「なるほど。レイクさんの言う通りなら、この俊男は、恐ろしいかも知れませんね。」  ジェイルも、背中に冷や汗が出てきた。 「ど、どういう事だよ?」  グリードには、訳が分からなかった。 「つまりだ。あの俊男って奴は、今まで、手の内を見せずに、闘って来たかも知れ ないって事だ。まぁ、まだ想像の内だけどな。」  レイクは解説してやる。しかし本当なら、この男こそ、今回の大会の台風の目に なるかも知れない存在だ。 『始め!!』  審判の合図と共に、外本が羅刹拳の構えを見せる。指を前面に押し出して、獣の ように身を屈めて、威嚇する、独特の構えだ。それを見て俊男は、右手を前面に押 し出して、手の甲を見せるようにして、左手は天を仰ぐような構えを見せる。そし て、右足を伸ばして、左足を屈めるようにして、力の流れを一点に集中させる構え を取る。 「・・・あれは・・・パーズ拳法!!」  エイディが、驚きの声を上げる。パーズ拳法とは、1500年も前から伝わる古武術 で、パーズの修行僧達が、好んで使っていると言う実践的な拳法だ。 「なんだよ・・・。アイツ、ここまで隠して勝ち上がったって訳かよ。」  グリードは、空恐ろしさを感じた。俊男は、パーズ拳法の構えを見せずに、ここ まで可も無く、不可も無くと言う勝ち方で、勝ち上がって来たのだった。  どうやら外本も、驚きを隠せない様子だった。冷や汗を掻いている。  だが羅刹拳は、自分一人しか残っていない。後ろを見せる訳にはいかない。 『セイヤァ!!!!』  外本は、気合の声を上げながら、俊男に向かって突進した。勿論、考え無しでは 無い。外本は、まずは膝蹴りから、肘打ちを浴びせて、後ろ回し蹴りの後に、裂帛 の突きを繰り出す。どれもが、必殺になり得る攻撃だった。それを俊男は、膝蹴り を足の裏で、肘打ちは手を跳ね上げる事で、後ろ回し蹴りは、頭を低くして躱す。 そして、突きは体を捻る事で、完全に躱して見せた。 「すげぇ・・・。」  グリードは、その流れるまでの動きを、目で必死に追っていた。 『ぬぅ!!』  外本が脇腹を押さえる。すると、そこには膝蹴りの跡が残っていた。相当な痣に なっているだろう。俊男は最後の突きを躱すと同時に、膝蹴りで応酬していたのだ。 「躱すと同時に攻撃か。理想的な動きだな。」  エイディは、冷や汗を掻く。それもその筈だ。この俊男は、間違いなく達人クラ スの動きを見せていたからだ。とても15歳には見えない。 『島山選手、1ポイント!』  審判が宣言する。有効打が10ポイント溜まれば、自動的に勝ちになる。最も、 そこまでポイントで決まる事は、ほぼ無い。その前に決着が付く筈だ。 『パーズ1500年の歴史を背負っている。後ろは見せられない!』  俊男は気合を入れながら叫ぶ。どうやら、パーズ拳法の代表として、来ているら しい。どおりで強い筈だ。 『貴様が、パーズ拳法の免許皆伝で、噂になった若造か!』  外本は、唸るように声を出す。俊男の事は、噂にはなっていた。パーズ拳法総本 山で、15歳にして免許皆伝を預かった、天才が居ると言う話をだ。最初は、ただ の冗談だと思っていた。だが目の前の少年は、間違いなく、そのクラスの強さだ。 『僕の戦いは、パーズ拳法が、空手にどこまで通じるかの目安。早々負ける訳には 行かないんですよ。今までの相手では、使わずとも相手で来ました。しかし、貴方 には、拳法を使わなければ勝ち目は薄いと思って、使わせて戴きました。』  俊男は、自信満々に言っていた。それで居ながら、礼儀正しい。どこか風格のあ る素振りだ。外本は、それが気に食わなかった。 『余裕のつもりか?貴様のような坊主が、拳法の真似事してると虫唾が走るわ!』  外本は、怒り心頭したらしく、唇から血を流しながら、俊男を見つめる。 『年齢と強さを関連付けるのは、良くありません。と言っても、聞いてくれそうに 無いでしょう。なら、受けるのみです。』  俊男は正中線を狙う。拳を中段に構える、基本の構えだ。反対に外本は、特殊な 構えを見せる。両手を前に突き出して、指先に全てを集中させる独特の構えだ。あ れでは、攻撃しますと言っているような物だ。 『捨て身・・・ですね。』  俊男は、すぐにこの構えの意味を理解した。外本は、左右一発ずつ指を、突き出 すつもりだろう。それが躱されたら、次は無い事も知っているのだ。だからこその 必殺の一撃。そこまでするからには、必ず勝つつもりで居るのだ。 「すげぇ気迫だ・・・。」  グリードですらも、テレビ越しで外本の覚悟を感じた。しかし、それよりも凄い のは、それを正面から受けて立つ気で居る、俊男の方だ。 「さて、あの俊男が、どう受けるかだな。」  レイクは、そこに興味があった。ただ受ける訳では無いだろう。それが証拠に、 俊男は受身に近いさっきの構えから、正中線を狙う攻撃的な構えの変えたのだ。 「こ、こんなのテレビで放送して良いの?」  ファリアも恐怖を覚える。外本の気合は、テレビ越しですら凄まじい物を感じる。 『キエエエエエエエエ!!!!』  外本は、凡そ、獣のような吼え声を上げて、俊男に向かっていく。勿論、両手は そのままでだ。突きを出すタイミングで、勝敗が分かれる。それを俊男は、凝視し ながら、構えを解かずにいた。凄い度胸である。 『シャアアアアア!!』  外本は左腕の突きを出す。凄まじい早さだったが、俊男は、体を真横にする事で、 その突きを避けて見せた。しかし、それは予測済みだったのか、外本は、抉る様に 右腕の突きを放つ。これこそ、必殺の突きなのだろう。  ゴキィィィッ!!  凄い音と共に、片方が吹き飛ばされる。その瞬間に、絶叫がこだました。 『ギィエエエエエエ!!!』  それは、外本の方だった。何と、外本の右の拳は、変な形に曲がっていた。俊男 は、それを見ると、審判の方をチラリと見る。審判は、外本が、のた打ち回ってい るのを見て、俊男の方を向く。 『勝者!島山選手!!』  審判の一声で歓声が沸いた。そして、外本は担架で運ばれていった。 「・・・終わってみれば、圧勝だったか・・・。」  レイクは、鼻で一呼吸する。 「まさかな・・・。指を、拳で潰しに来るとはな・・・。」  エイディもビックリした。俊男は、右の突きを予想して、迷う事無く、拳で突き を相殺したのだ。岩をも砕く、羅刹拳の突きを壊したのだ。それも、その筈である。 いくら岩をも砕くと言っても、それはインパクトの瞬間だけだ。まだ破壊力が十分 で無い突きに、完全にタイミングを合わせて、カウンターを突きの手に食らわせた のだ。その結果が、外本の拳の破壊に至ったのである。 「覚悟と気合と、良い眼を持ってなきゃ出来ない芸当だ。ありゃ本物だな。」  レイクは、中々の器の持ち主だと思った。パーズ拳法免許皆伝と言うのも、頷け る話だ。 「しかしビックリ箱ですか。この大会は・・・。」  ジェイルは、呆れていた。今まで残った4人は、全て達人レベルである。この4 人が、対決するのだから楽しみではある。しかし、そのうちの2人が、まだ15歳 なのである。残った4人は、いずれも引けを取らぬ達人だ。誰が残っても、おかし くは無い。決勝進出を懸けた、次の闘いは、意地のぶつかり合いになるだろう。  場内も落ち着いてきて、次の闘いを決めるボールが用意される。今までは、トー ナメント通りだったが、ベスト4ともなれば、そのままでは興が冷めるので、ボー ルによって、対戦者を決めるようにしていた。それで、トーナメント通りになれば、 文句無く、その通りに進められる。  1番と2番、3番と4番が、それぞれ闘う事になっている。 「この選択如何で、多少運命が変わるかもな。」  エイディは、ボールに注目する。既に、場内には勝ち上がってきた4人が並んで いた。4人が揃うと、中々壮観である。中でも、榊 総一郎のデカさは相当な物で ある。2メートル以上あるのだろう。それでいて、筋肉もしっかり出来ている。中 々理想的な体付きをしていた。しかし、外の3人も決して見劣りする訳では無い。 さすがに格闘をするだけの事はあって、均整な体付きをしていた。 「まずは神城 扇からですね。」  ジェイルは、テレビを指差す。扇が番号順では、一番若いので扇からなのだろう。 『神城選手!番号は2番!!』  まずは扇が、2番のボールを引いたようだ。  すると、次は天神 瞬が前に立つ。ここで、1番を引けば、トーナメントと同じ 組み合わせになる。瞬は意を決して、ボールを取り出した。 『天神選手!番号は3番!!』  瞬は3番のボールを引いた。つまり、これでトーナメントと同じでは無くなった と言う訳だ。扇は、横で詰まらなそうにしていた。どうやら、瞬と闘いたかったよ うだ。そして、次で対戦カードが決まる。総一郎が前に出た。島山 俊男は、番号 では、一番最後だったので、ボールを引く事は無いのだ。  総一郎は、ボールを手に取って、審査員に渡す。 『榊選手!番号は1番!!!』  総一郎は、扇を引き当てた。これで、対戦カードは決まった。 「ほう。榊流頭領と、神城流空手の対決か・・・。」  エイディは、面白そうに見ていた。この対戦で、どちらも本気を出さざるを得な い。いや、この最後に残った4人なら、誰でもそうせざるを得ないだろう。 「脅威の威力を持った指か、隙の無い立ち回りか・・・って所ですね。」  ジェイルの意見は、的を射ていた。扇はこれまで、全ての相手を一撃で倒してい る。無論、相手との実力差もあった。だが、それ以上に、神城流が指での斬撃に拘 って、鍛え上げているからという理由が一番、相応しいだろう。そして総一郎は、 受けに回るような事は無かったが、隙を見せずに、流れるような攻撃で、勝利をも ぎ取っていた。目立った所は無いが、確実に勝利を奪う姿勢には、感服する。 「試合は・・・20分後からか。」  レイクは、その間に昼食を済ませようと思っていた。全員が、そう思ったらしく、 昼食を皆が注文しだす。と言っても、まだレイク達しか居なかったので、手早く、 食事が出される。こういう時に、早めに終わらせて置くと、得なのである。  その間に、テレビでは、出場者のプロフィールなどが紹介されていた。どうやら、 情報網を駆使して、資料作成をしているらしい。まずは、分かりやすい榊 総一郎 から紹介されていた。  榊 総一郎は、名門榊家の当代で、榊流忍術の流れを汲む、榊流護身術の頭領で もあった。榊流護身術は、ガリウロル島は勿論、ソクトア大陸にも、支店を持つ程 の有名な格闘術の一つである。榊流護身術は、忍術の中でも格闘の部分を強化した 物で、護身術になってから、新たに開発された技などもある。忍術からの流れなの で、拳闘だけで無く、関節技なども、かなりの知識を持っている。最も今大会は、 空手の大会なので、関節技は使えない。とは言え、拳闘の部分に於いても、昇華し たのか、榊家は毎回、必ず優勝に絡んでくる位置にまで、進出している。それは、 何よりも、榊流が腕を磨いてきた証拠とも言うべきだろう。ちなみに前回、前々回 は、榊 総一郎が優勝している。やはり相当な実力者と見るべきだろう。  神城 扇。そして天神 瞬。彼らの空手は、現在の空手の起源とも言われている。 1000年間に空手を、どう実戦に取り入れていくかを追求して来たのが、彼らである。 一子相伝で受け継がれており、敗北は、ほとんど無いと言われている。しかし、只 の噂だとされていた。その訳は、表舞台に、余り顔を出さないからである。飽くま で、自分達の強さを極めるために、彼らは腕を磨いていたので、特に表舞台に興味 が無かったと言うのも、事実だろう。ちなみに彼らが、激突したと言う歴史は、残 っていない。彼らが激突したら、子孫に空手を残せなくなるかも知れない程の戦い を、してしまうと言う危惧があったためだ。死闘になると、祖先は見ていたのだ。  だが、ここでイレギュラーが起きた。扇は、世に知らしめなくて、何のための空 手だろうか?と考える人物であったため、この大会に出場を決めたのである。しか も、この大会に、瞬が出場を決めたのを承知で、決めたのだ。扇は、全ての者を凌 駕してこそ、空手を極める道であると言う考えを、譲らない。この強さへの欲望が、 扇にとっての全てであった。反対に瞬は、特に理由も無く、この大会に出場を決め た。と言うのも、瞬の家である天神家が、ここ何代かの間に成功したらしく、瞬は、 良い所の長男と言う立場になってしまっていた。なので、特に生活に困る事も無い。 だが瞬は、祖父が夢を描いていた正しく強い人と言うのに、憧れていたので、祖父 の下に身を寄せながら、厳しい修行をしていたのだ。しかし、ここ最近になって、 父親の容態が、急変したらしく、天神家に戻らなければならない羽目になってしま った。最も、慕っていた祖父が、ここ最近で他界してしまった。このままでは、一 人で山で生活する羽目になるので、丁度良かったと言えば、それまでである。中学 校を卒業したばかりだったので、転校に障害は無かった。それが戻る切っ掛けにな った。しかし、祖父が言っていた、正しく強い人に近づけたのか、確かめるために この大会を新しい高校に転入する前に決めた。それだけの理由だった。  そして最後の一人である島山 俊男は、ガリウロル人でありながら、パーズに滞 在していた留学生である。6歳の頃から留学していたらしく、小学校、中学校と、 パーズで暮らしていた。そして、パーズ拳法を幼い頃から習っていた真面目な少年 であった。俊男にとって、パーズは第2の故郷である。その第2の故郷は、ガリウ ロルと似ていて、セントの支配を、ほとんど受けていない。そのせいもあってか、 パーズ拳法こそが、基本にして最高の格闘術だと、信じて疑わないようになった。 根が真面目なだけ、思い込むと激しいのだ。しかし、あながち嘘でも無い。パーズ 拳法は、空手よりも歴史が深く、その先祖は、1500年も昔から格闘術を開発してき たと言うので驚きだ。ソクトアの歴史のほとんどを、格闘術で費やしていると言っ ても過言では無い。その俊男も、パーズの滞在期限が、限界になっていたので、ガ リウロルに戻る事になったのだが、パーズ拳法の免許皆伝になった事で、自分の腕 が、どれだけ空手に通じるか試したくなったので、大会の出場を決めたのであった。  4人共、紹介の中では、稀代の天才同士だと言うのが分かる。この4人が勝ち残 って来たのも、言わば必然なのかも知れなかった。 「へぇ・・・。1000年も前から、空手なんてあったんだ。」  ファリアは驚いていた。こんな格闘を、1000年も前から磨いている人々が居たと 言うのは、感服物であろう。 「パーズ拳法なんて1500年かよぉ。気が遠くなるなぁ。」  グリードも驚きを隠せない。話には聞いていたが、1500年も前から、こんな事を 極めようとする人々が存在するのだ。パーズの人々の探究心には、頭が下がる。 「まぁその中でも、神城と天神は別格です。彼らは、ほとんど負けた事の無い一族 なのですからね。」  ジェイルは、言ってて恐ろしい事実だと思う。彼らは、空手をやる者の中でも、 至高の存在なのだ。だが榊流も、そう簡単に負ける事は無いだろう。楽しみな一戦 になる事は、間違い無かった。 「ま、そろそろ始まるみたいだな。じっくり見させてもらおうぜ。」  レイクは、テレビを指差す。食事は既に皆、終わらせていた。これなら、特等席 で観戦可能だろう。 『長らくお待たせしました。只今より、全ソクトア空手大会、準決勝を始めます!』  テレビのアナウンサーがしゃべると、場内は再び興奮に包まれた。どうやら、場 内の人々も、待ち切れない様子だ。 『準決勝、第1回戦!榊 総一郎選手、前へ!』  審判の声と共に、総一郎が競技場に姿を現す。今見ても、凄まじい威圧感だ。さ すがは、2大会連続優勝者である。さらに榊流を背負ってると言う自負が、体中か ら漲っているようだった。 『続いて、神城 扇選手!前へ!』  審判の声で、扇も競技場へと上がる。すると、さっきまで、残念がっていたのが 嘘のように、闘気を迸らせていた。 「・・・20分の休みの間に、何かあったのかも知れないな。」  レイクは、扇の気合の入れようは、瞬に向けるのと、同じくらいだと認識する。 『この試合、どう見ますか?一条(いちじょう)さん。』  アナウンサーが、解説者の一条に意見を求める。一条は、5大会前の優勝経験者 で、今は、引退している事から、解説に呼ばれる事があるのだ。 『これまでの経験と言うのは、大きいでしょう。やはり優勝を経験している榊選手 は、あらゆる意味で有利です。彼は今大会、余り隙を見せた事が無いですからね。』  一条が解説をする。解説の通り、総一郎は、隙を見せずに勝ち上がってきた男だ。 『ただし神城選手は、とても人間離れした身体能力と技で、勝ち上がって来ました。 それは、皆さんも見てきた通りです。天神選手と神城選手は、未だに実力を見せて いない節があります。なので、凄い試合になると思いますよ。』  一条は、扇の動きは人間離れしていると思っていた。まるで、鬼が乗り移ったか のような勝ち方をして来たせいだ。恐怖を見せている相手にも、容赦なく胸を切り 裂いて、病院送りにした試合もあった。 『リーチの上では、榊選手が多少リードしています。その差が、どう出るかですね。』  一条は、それぞれのリーチを考慮する。総一郎は、理想的な大柄な体格をしてい るので、扇よりリーチは長い。総一郎も、その事を利用した試合運びをするだろう。 『榊選手、やや有利と言う事ですね。ありがとう御座いました。』  アナウンサーが、一条の解説を纏める。 『それでは、準決勝第1試合!始め!!』  審判の声で、準決勝の第1試合が始まった。すると総一郎は、榊流の、顎を守る ような構えを見せる。どっしりとして、隙が無い構えだ。それを見て扇は、高らか に笑っていた。扇は、体を横に捻り、攻撃しますと言わんばかりに、拳を後ろに下 げる。明らかに、挑発的な構えだった。 『守ってばかりの榊流とは、言われたくないだろう?』  扇は、指で総一郎を挑発する。 『・・・何を考えてるか知らぬが、私に挑発は効かぬ。』  総一郎は、構えを崩さない。言葉で挑発されて、己を失うような事は無いのだ。 『フッ。こんな面白くねぇ奴らに、祖先がやられたなんて信じられねぇ・・・。』  扇は、驚くべき事を口にする。しかし、それは事実だった。神城流は、ほとんど 負けた事が無い。しかし、過去に榊流忍術の継承者と闘って、敗北した事があるの だった。その敗北から、神城流は、更なる斬撃を極める道を取るのだが、こんな所 で、過去の因縁が、再発するとは思いも寄らなかっただろう。 『1000年前の話か。伝聞の神城とは、お主の祖先だったか。』  総一郎は思い出す。神城流が破れた事実は、『神魔戦争』を綴ったソクトア伝記 には載っていない。飽くまで、伝聞で伝えられているだけだ。偉大な祖先である榊 流の榊 繊一郎(せんいちろう)の伝聞が、伝わっているだけの話だ。その中で、 繊一郎は、当時、盗賊の頭領に身を落としていた神城 源治(げんじ)を打ち倒し ている。源治は『絶望の島』にて死亡したが、残された息子が、既に跡を継いでい たらしく、その悔しさを忘れずにいるために、子孫に伝えられていたのだろう。休 みの20分の間に、扇は叔父から電話を受けて、この事実を思い出したのであった。 『今回の狙いは、天神流だったが、貴様が、あの忍術の子孫と分かれば、話は別だ。』  扇は腕に力を込める。榊流忍術の事は、忍術に負けたとしか聞かされていなかっ た。榊流護身術が、榊流忍術が基で、神城流が負けた数少ないの相手だと言う事実 が、扇にとっては、許しがたい事実だった。 『それで?お主が、先祖の仇を討つと言う訳か?』  総一郎は、飽くまで自分のペースを崩さない。 『仇を討つか・・・。そうだな。一応やるからには、そのつもりだが?』  扇は、打って変わって、冷静な声を放つ。 『それは殊勝な事だ。しかし、私を倒した所で、過去は変わらぬぞ。』  総一郎は、珍しく挑発する。 『フッ。倒す?そんな綺麗に終わらせるつもりは無い。神城流を地に貶めて、今ま で頂点に君臨してきた罪は重い。勘違いするな。これから俺は貴様を処刑するんだ。』  扇は、そう言うと、攻撃的な構えのまま、総一郎に襲い掛かった。それを総一郎 は、眼を逸らさずに見ていた。扇は、鋭角から打ち下ろすように手刀を振り被る。 『ハッ!!』  総一郎は、それを肘でガードする。扇の手刀を受け止めたのは、この大会では、 総一郎が初めてだった。さすがは、優勝経験者である。しかし扇は、それでも怯ま ずに、手刀の嵐をぶつける。それは、宛ら剣を振り回す狂戦士のようであった。し かし、総一郎は、ピンポイントをずらしながら悉く受け切っていた。それが可能な のも、総一郎のリーチゆえだ。扇の攻撃範囲に入る前に、躱す事が出来るのだ。 『・・・さすがは、榊流継承者。今までの相手とは、違うようだな。』  扇は、手刀の乱舞を中断する。さっきまでの表情が、嘘のように冷静になる。 『神城流空手・・・。噂に違わぬ鋭さよ・・・。』  総一郎は顰め面になる。何と、肘の一部分に斬り傷が出来ていた。受け止めたと は言え、無傷で居られる程、甘い攻撃では無かったと言う事だ。 「さすがは準決勝・・・。凄まじい気迫ですね。」  ジェイルが、迫力に圧倒されていた。扇の、人間とは思えない鋭い手刀も、凄い と思ったが、それを受け止める総一郎も、只者では無いと思った。 『さすがに貴様相手に、神城流を使わずに、処刑は出来ぬか。』  扇は腕を交差する。それは、神城流を使うと言う意味なのだろう。 『どうした?この構えの意味が、貴様にも分かるのか?』  扇は、総一郎の動きが止まった事で、総一郎の考えを見抜く。総一郎は、扇の構 えに、微塵の隙も見えなかった。それ所か、あそこから何が飛んで来るのか、予想 も出来ない。こんな事は初めてだった。丁度、正面から見ると『×』の字に構えが 似ている。 『神城流、『罰の構え』だ・・・。』  扇は、構えの名前を口にする。罰の構えは『×』の字と、語呂を合わせているの だろう。あの構えからは、全ての防御を可能とし、同時に、どこへでも攻撃出来る 万能の構えだった。神城流にも、そのような構えがあるとは驚きだった。 『神城流は、手刀にて、本物の剣と打ち合いをした過去もある。その中で、攻防一 体の構えを取る事も、珍しい事では無いぞ?』  扇は説明しながら、ジリジリと近寄る。圧倒的な威圧感を、今度は扇が醸し出し ていた。総一郎は、仕方なく間合いを離す。どこか危険だと本能が言っていた。 (しかし、このままでは、競技場を出てしまうな・・・。)  総一郎は、競技場の端まで持っていかれたら、拙いと思っていた。 (逃げても活路が見出せぬ。それに、傷を多少負っている私の方が不利か。)  総一郎は、瞬時に自分の立場を把握する。冷静沈着に、自分の最善の動きを、シ ミュレートする。経験から来る動きとは、この事だろう。 『打って出る!!』  総一郎は、間合いを詰めて、打ち合いに持ち込む。自分は、ピンポイントをずら しながら、相手の死角から攻撃すれば、何らかの成果は出ると思ったのだろう。扇 は、その打ち合いに、罰の構えのまま対応する。ミリ単位の見切りを、ここで発動 する。総一郎も、扇も、あと何ミリかで、当たるか当たらないかの所で躱していた。 凄まじい集中力である。しかし扇が、正中線を狙いに来た斬りを、総一郎は敢えて 躱さずに、肩口でぶつかって行く。そして、扇に迷いのない突きを入れる!・・・ 筈だった。何と扇は、その突きを、左手でガードしていた。 『何と言う、反応速度か・・・。』  総一郎は冷や汗を掻く。今のは、会心の出来だった。それだけに、ショックは大 きかったのだ。 『神城選手1ポイント!!』  審判が、扇にポイントを入れる。明らかな有効打と、見たのだろう。 『驚いたぞ。貴様の覚悟にな。肉を斬らせて、骨を断つと行きたかったのだろうな。』  扇は、総一郎の狙いを読み切っていた。何と言う勘か。すると扇は、笑みを浮か べたまま『罰の構え』を解かずに、突っ込んできた。それを総一郎が、右の拳で殴 ろうとした所で、扇の動きが急に変わった。  ブシッィィィィ!!  凄まじく嫌な音がした。何の音であろうか?テレビを見てる者ですら、一瞬、凍 り付く程の音であった。いや、音だけでは無い。その瞬間に、会場の温度は下がっ た事だろう。 『ヌゥゥゥゥゥ!!!!』  総一郎は、右腕を左手で押さえる。何と、総一郎の右腕の内側から、夥しい程の 血が、流れていた。真っ赤と言うより、どす黒い感じの血。それは、辛うじて動脈 を逃れた総一郎の、直感のおかげである。しかし総一郎が、冷や汗を掻くほど、血 が流れている。会場からは、悲鳴が聞こえたりしていた。 『神城流空手・・・『拳刀(けんとう)』。神城の考え方は、敵の使う武器にこそ、 弱点があると言う考え方だ。まずは、武器を潰さねばならない。』  扇は右腕に、返り血を浴びながら、笑みを絶やさなかった。 「な、何なのよ・・・これ・・・。」  ファリアは、余りに凄惨な光景に、震えていた。 「あの野郎・・・。まさか、あんな真似が出来るとは・・・。」  レイクは、背中に冷たい物を感じる。 「何で、総一郎が、あんなになったんだよ?」  エイディにも、微かにしか見えなかった。 「アイツは、総一郎の拳を、左手で少し跳ね上げた後、右の手刀で、腕の内側を斬 りやがったんだ・・・。腕の内側ってのは、中々鍛えにくい筋肉だ。ありゃ、下手 すると、健が切れてるかも知れねぇ・・・。」  レイクは自分で言ってても、背筋が寒くなる。あの総一郎の鋭い拳を、跳ね上げ た後に、手刀を浴びせるなど、並の腕では出来ない。いや、それを可能にするのが、 1000年の為せる業なのだろう。 『か、神城選手2ポイント!!』  審判も、余りの光景に、ポイントを忘れていた程だ。2ポイント入る時は、致命 的な打撃を入れた時に入る。 『榊選手!降参するか?』  審判は、総一郎に降参を促す。それが賢明だろう。この状態で、やった所で、総 一郎に、何が出来るのであろうか? 『そうするが良い。惨めに降参するのが、貴様にはお似合いだ。』  扇は、口元を歪める。明らかに挑発をしているのだ。 『まだ降参せぬ!・・・血を止めれば、良いのだろう?』  総一郎は目を閉じると、右腕を押さえていた左腕で、傷をなぞるように動かす。 『・・・ほう。』  扇は、笑みを消した。総一郎の傷が、あっと言う間に瘡蓋に変わったのである。 『これで、文句はあるまい。』  総一郎は、審判に腕を見せる。摩訶不思議だったが、確かに傷口は止まっていた。 「アイツ・・・使いやがったな・・・。」  エイディが舌打ちする。そう言えばエイディは、総一郎の事を知っているような 雰囲気があった。 「エイディ。何で、傷が止まったんだ?」  レイクですら、その正体が分からなかった。 「・・・まぁ、総一郎とは、ちょっと知り合いでね。色々知ってるんだがね。あれ は、護身術の技じゃない。」  エイディは、溜め息を吐く。やはりエイディは、総一郎の事を知っていたのだ。 「信じられないかも知れないけど・・・あれは、榊流忍術の応用だ。」 「榊流忍術?護身術の基になったってアレか?」  レイクは、さっきの解説に、榊流忍術の紹介が、チラッとやっていたので思い出 す。しかし榊流忍術が、どんな物であるかは想像が付かなかった。 「そう。榊流忍術は、今の時代では必要無い。だから、こんな大会なんかで、晒し ちゃいけない秘術の筈・・・だったんだ。あれ技は、手からちょっとした炎を巻き 起こす『火遁(かとん)』って言う忍術の一つだ。」  エイディが説明してやる。何と、炎を出す事が出来ると言う事だ。 「忍術って、そんな事も出来るのか?」  レイクは驚くばかりである。レイクだけでは無い。他の皆も、そんな秘術が世に 存在する事自体が、不思議であった。 「それだけじゃない。熟練すれば、空中を歩く事だって出来るし、ちょっとした雷 を出す事も可能だ。・・・俺も、この目で見るまでは信じられなかったけどな。」  エイディは、前に見せてもらった事があるのだ。子供の頃、総一郎は、魔法使い か何かかと思ったくらいだ。 「しかし、それが本当なら、戴けませんね。」  ジェイルは、テレビを見る。これは空手大会だ。空手大会に、忍術を使うと言う のは、反則も良い所である。 「だから俺も顔を顰めたんだ。アイツは、平静を装っているが、かなりキレてるぜ。」  エイディは総一郎を睨む。忍術を使い出したと言う事は、手段を選ばなくなった のかも知れない。 「上手くやるつもりかも知れないが、忍術を使い出すだろうな・・・。」  エイディは、総一郎の顔を見る。内心は、怒りに染まっているのだろう。 「しかし・・・忍術って本当にあるんだな・・・。俺は、まだ信じられねぇわ。」  グリードが呆れた声を出す。そんな魔法みたいな力は、伝記の世界の話だけだと 思っていた。だが、総一郎の腕を見る。焦げたような傷跡があった。それを見れば、 エイディが嘘を吐いていない事も分かった。 『・・・榊流忍術。・・・フフフハハハハハハ!!!面白い!』  扇は狂ったように笑い出す。扇は神城家の歴史を知っている。当然、忍術にどう やって敗れたのかも知っている。ここで総一郎の不正を指摘した所で、会場も審判 も信じないだろうし、扇の気も晴れない。総一郎が、形振り構わず来る所を、退け てこそ、本当の勝利だと考えているのだろう。 『この私を追い詰めた事を、後悔する事になる。』  総一郎は再び構え直す。会場は、何がなんだか分からないまま、盛り上がってい った。総一郎が気合で、傷を治したとでも思っているのだろう。解説も、少し混乱 気味である。それはそうだ。忍術がどんな力かなど、一般には知られていないのだ。 『その眼だ。処刑するに相応しい、その眼を待っていたのだ!!』  扇は恐れない。忍術が、どんな秘術であろうと、打ち砕く気で居る。 (傷は思ったより深い・・・。それに余り使い過ぎると、周りにも勘付かれるな。)  総一郎は、傷と戦況の分析をする。そして、見極めにくい技を最大にして、扇に ぶつける事にした。 (忍術を使う事は不本意・・・。しかし私は、頭領として退く訳には行かない!)  総一郎は、榊流の頭領と言う立場が、ここまで追い詰めたと言う事に、気が付い ていない。気が付いているのかも知れないが、敢えて無視しているのかも知れない。 『良いぜ。何かやってみろ。俺を楽しませろ!!』  扇は何か来ると言う事だけは、分かっていた。それも榊流忍術の応用技だと言う 事も分かっていた。総一郎は、何かを拳に乗せている。薄っすらぼやけている。伝 聞で聞いた事がある。忍術を使うためには、『源(みなもと)』と言う力が必要な のだと。それは『闘気』と『魔力』を磨く事で、同時に発する事で発現する奇跡の 力だった。今の時代になっても『源』を磨いて、いざと言う時のために使用する。 (フフフ。せこい考え方だ。)  扇は呆れる。隠さなければ、ならないような力に、頼らざるを得ない総一郎を見 て、是非とも、打ち砕いてみたいと思った。格闘家なら、誰しもが『闘気』の存在 に気が付く。それは内なる所で燃焼して、相手に触れる事で相手に致命的なダメー ジを負わせるのが、今の格闘のセオリーである。だが、この相手は違う。『闘気』 を形にして、飛ばす事が出来るし、失われた筈の『魔力』を使う事が出来る。 (俺は、それをセオリーの力だけでも、凌駕出来ると示さねばならん。)  扇は、『罰の構え』のまま、更に腰を低くして、攻撃的な構えに変える。 『神城 扇・・・。1000年前と同じ屈辱を味わうと良い!!』  総一郎は両手を後ろに広げると、そこから何かを打ち出すように、腕を前で交差 させる。すると、物凄い風圧が扇を取り囲む。 (風か・・・やはりな!!)  扇は分かっていた。大っぴらに使うつもりが無いのなら、拳圧で風を巻き起こし た事にするのが、一番手っ取り早く説明出来る。 『・・・俺の手刀を、舐めたようだな。』  扇は、左の手刀を弧を描くように動かす。そして、右手は広げるようにして、3 回空を切る。すると、取り囲んでいた風が、引き裂かれていく。その証拠に、競技 場の所々に、斬り傷みたいな跡が、次々と付いていった。 『神城流斬撃、『手刀燕返し三段』!!』  扇は技名を叫ぶ。手刀で、剣技の燕返しを三段技にする技だ。縦と横に斬る場所 の交差する所に、更に斜めからの一撃を加える事で、爆発的な攻撃力を得る技だ。 『オラァァァァァァァァ!!!!』  扇は叫ぶと、風の中心に両手の親指を突き出して、まるで開くかのように腕を振 った。すると、さっきまで、唸りを上げていたのが嘘のように風が止んでしまった。 (ば、馬鹿な!?『風塵(ふうじん)』を、手刀と爪だけで切り裂いただと!?)  総一郎には信じが難かった。『風塵』は、一種の竜巻のような物である。それを 扇は、素手で切り開いたのだ。信じられない。とても人間業とは、思えなかった。 『その表情だ!!!』  扇は、総一郎に一気に近寄ると、呆気に取られていた総一郎に、容赦なく手刀を 浴びせた。すると、l総一郎の胸と腹に血の花が咲いた。それでも扇は、手を緩め ずに、爪を使って斬り裂いていく。もはや総一郎は、サンドバック状態であった。 『審判!!何をやっている!!』  解説の一条が、止めに入る合図を送る。審判も、余りの事に、仕事を忘れていた ようだ。このままでは、総一郎は死んでしまう。 『神城選手!!そ、そこまで!勝負ありです!!』  審判が止めに入ろうとする。しかし扇は、審判が、どもっていたのを良い事に、 最後の手刀を突き入れようとした。  ガッ!!  その扇の手刀を、拳で振り払う者が居た。 『・・・天神ぃ。』 『やり過ぎだと思わないのか?』  瞬が、止めに入っていた。瞬は穏やかな口調だったが、怒りに満ちていた。 『ハッ。甘い事を言う。一度闘いになったら、死ぬ覚悟くらいするものだろう?』  扇は瞬を見下ろすが、その視線に油断の色は無い。 『空手を、只の暴力の手段にしか使わないアンタを、俺は軽蔑する。』  瞬は扇を睨んでいた。瞬の目標は、強く正しく生きる事だ。この扇の行為は、自 分の信じる空手を、侮辱する行為だった。 『フッ。言っていろ。貴様の処刑は、決勝まで待ってやる。』  扇は口元を歪めると、審判の方をチラリと見た。 『・・・か、神城選手の勝利・・・です。』  審判は、勝ち名乗りを上げて良いのか迷ったが、扇はやり過ぎているだけで、別 段、反則を犯している訳では無い。なので扇を責める理由が、見当たらなかった。 『フッ。綺麗事をほざいてろ。勝ちは勝ちだ。』  扇はそう言うと、形だけ礼をして、血に染まった胴着を肩に掛けながら、控え室 へと去っていった。客からは、ブーイングが出るかと思われたが、扇と視線を合わ せた瞬間に、静まっていった。ここに居るのは、人では無い。鬼だ。神城 扇と言 う強さに執着する鬼に睨まれては、人としては黙るしか無い。 『・・・少年・・・。済まぬ・・・。』  総一郎は、瞬に担がれながら退場となった。競技場を出た所で担架が用意される。 『・・・少年。・・・奴に・・・勝てるか?』  総一郎は、薄れ行く意識の中で、問い掛ける。 『勝ちます。俺の生き方を懸けても、勝ちます。』  瞬は、ハッキリと言い切った。その瞳に総一郎は驚く。 『・・・神童か・・・。お主なら・・・奴を・・・止められるであろう・・・。』  総一郎は、瞬の中に、扇とは違う何かが見えた。それと同時に、意識を失う。す ると、すぐさま担架で病院へと直行するのであった。 「こんなの・・・試合だって言うの?」  ファリアは、首を横に振りながら、眼を逸らす。 「アイツが特別なんだ。いつもは、ここまでの事は起きない。」  レイクも、忌々しげにテレビを見つめる。扇の試合は、生放送で無ければ、飛ば されていたであろう程、凄惨な試合だった。最後は試合と呼べる物では無かった。 「総一郎・・・。忍術を使っても勝てぬとは・・・悔しかっただろうな。」  エイディは同情する。総一郎が、如何に必死だったかは、忍術を使った時点で悟 っていた。その忍術が敗れて、完膚無きまでに、やられたのだ。言い訳も出来ない。 「ま、俺達が、ここで出来る事は・・・あの天神 瞬を、応援する事だけだな。」  レイクは、何となく瞬の肩を持つ。何より、あの瞳が気になるのだ。目的のため に真っ直ぐしか見つめないと言う、瞳がだ。それに総一郎への配慮や、止めに入っ た勇気なども、称賛に値する行為だ。 「不思議な少年ですね。見ていて気持ちが良い。こんな事、レイクさん以来ですよ。」  ジェイルが、レイクの方を見ながら言う。 「からかうなよ。全く。」  レイクは、溜め息を吐く。この頃のジェイルは、何かと褒め契ったりする。どう にも、レイクは、それが、こそばゆかった。 「俺も、兄貴が肩を持つ天神 瞬を、応援するぜ!あの神城ってのは、強いだけで、 何も魅力がねぇと来てる。」  グリードは、心に決めたとばかりに宣言する。まぁ誰でも、あの試合を見ては、 応援する気は、無くなるだろう。 『しかし、言葉が出ない試合でしたね。』 『こんな物、試合でも何でもありません。神城選手は喧嘩と試合を勘違いしてます。』  アナウンサーの言葉に、解説の一条が、かなり怒った口調で言い返す。どうやら、 神城は、一条の怒りすら買ったらしい。 『あの天神選手の行為こそ、武道として褒められた物です。若いのに良く出来てる。』  どうやら一条は、瞬の事が気に入ったらしい。会場の雰囲気も、そんな感じに包 まれつつある。瞬は、どことなく照れていた。 「何だか、あの子、やっぱ、レイクに似てるなぁ。」  ファリアは、直感で物を言う。照れる所なども、そっくりであった。 「そんなもんかねぇ?」  レイクは、微妙な表情をしていた。年下の少年と比べられるのは、気が乗らない。 とは言え、瞬の事は少なからず気に入っている。気持ちとしては、微妙だった。 『さぁ、会場も落ち着いてきたようです。これから、準決勝第2試合を始めます!』  アナウンサーの声で、活気を思い出したかのように、会場が沸く。さっきまで、 冷水を浴びせたように静かだったのが、嘘のようだ。最も、さっきの試合で、気分 が悪くなって、トイレに駆け込む客も少なくないようだったので、影響はあった。 『一条さん。さっきとは打って変わって、中々将来が楽しみな一戦ですね。』  アナウンサーが、今度は実況し易そうに話していた。 『ええ。天神選手も島山選手も、共に15歳。正に天賦の才の持ち主同士です。』  一条も楽しそうにしていた。若いだけで無く、この二人にはキレがある。 『空手の王道、一撃必殺の天神選手に、パーズ拳法の多彩な技を持つ島山選手。天 神選手が、どうやって島山選手の動きを捉えるかに、注目しましょう。』  一条は予想をしていた。その予想は、的を射ていた。パーズ拳法は、あらゆる状 況の中で、最善の動きをするので、多彩な動きを持つ。その免許皆伝の、実力の持 ち主の俊男が、どれ程の動きをするかが、勝負の分かれ目である。瞬は、扇と同じ で、ほとんどの相手を一撃で倒している。その拳は、正に『鉄拳』だった。 『準決勝第2回戦!天神 瞬選手!前へ!』  審判の声で、瞬は競技場の上に立つ。すると、さっきの事もあってか、轟音のよ うな声援が飛ぶ。こりゃまた、人気が出た物だ。 『続いて、島山 俊男選手!前へ!』  審判の声で俊男が競技場に上がる。すると、これまた、かなりの声援が飛ぶ。ど うやら15歳で、ここまで来たと言う事への賛辞も多いようだ。 『どんな闘いを見せてくれるか、楽しみな一戦です!』  アナウンサーも、声が上ずっている。 『それでは、準決勝第2回戦。始め!!』  審判の声で、瞬はどっしり腰を落として、右手を下からアゴに当てて、左手を水 平にする。さっきの扇の構えと似ているが、また違う構えだ。 『なるほど。『十字の構え』ですか。』  俊男が口を開く。どうやら、俊男は瞬の構えの隙の無さから、その意味に気が付 く。俊男は、自然体のように流れるように腕を上げる。緩やかで掴み所が無い。 『その型が・・・君の本流か?』  瞬は一瞬にして、俊男の構えの意味に気が付く。さっき、外本に使っていたのと は、明らかに違う自然体。寧ろ、こちらの方が、より技を出し易いとさえ言える。 『パーズ拳法と言っても、門派はいっぱいあるからね。他の流派の真似事なら、多 少出来るけど、君相手には、本流を出さなきゃ失礼だからね。』  俊男は隠す気は無い。寧ろパーズ拳法の宣伝に来てるのなら、出し惜しみしない 方が良いのだ。すると瞬は、膠着状態では仕方が無いので、正拳を繰り出してみる。 とてつもない程、空気が揺れる正拳だった。しかし俊男は、足を半歩前に出して、 横に捻る事で、正拳を躱しつつ、瞬の顔面に拳を繰り出す。それを瞬は、間一髪左 手で止めた。 『その攻防一体の動き・・・なる程ね。八極拳か。』  瞬は、間違いないと思った。今の鋭さから言って、俊男の本流は、この型だろう。 八極拳は、力の入れ具合が、最も良くなるように動き、敵からの攻撃を避けると同 時に、攻撃する。その動きは2回では無く、1回の動作で行うのが基本だ。攻撃す る時も、常に敵の攻撃から防げるように動く。その流麗な動きが、八極拳である。 故に、自然体なのである。決まった構えを持つと、人はどうしても、攻撃と防御を 別々に考えてしまう。そして俊男が行った、半歩だけ前に踏み込むと言うのが、攻 防一体の基本であった。 『無駄な動きは、しない主義なんだよ。』  俊男は、飽くまで、空気の如く自然体だ。緩やかに構えを変えていく。  そしてゆっくりと近づいて行く。その動きに瞬は、小細工をしても通じないと悟 る。すると、瞬の構えが、空手特有の左手で顔を庇って、右手で拳を握り、少し引 く、正拳突きの構えを見せる。これは、最速で正拳を打つための覚悟の構えだ。 『小細工無しか。そうでなくっちゃね。天神君!』  俊男は、一歩踏み出して、拳を突き出す。踏み出すと同時に突きを入れると言う のは、力を前面に押し出す事が出来る。これを『箭疾歩(せんしっぽ)』と言う。  瞬は、当然左手で払いのける。すると、俊男は払われたと同時に、肘を曲げて奥 に入るように、肘打ちを入れようとする。 『おっと!』  瞬は、その肘を右手でガードする。しかし、俊男は止まらずに、瞬の左手の袖を 掴むと、足払いで倒そうとする。瞬は、その足払いを、半歩退く事でポイントをず らして、倒れないようにする。同時に、瞬が突きを入れようとすると、俊男は、既 に2歩程下がっていた。機の先を取る事で、常にリードを保つ。さすがだった。 『さすがは、免許皆伝だな。俊男。』 『天神君も、天神流空手の継承者だけはある。この動きに、空手の動きで付いてこ れるのは、君くらいの物だ。』  お互いに強さを知る。瞬も天才ならば、俊男も天才と呼ぶに相応しい強さだった。 そして、これで瞬は、ただ一撃必殺だけの男では無いと言う事を、証明する事にも なった。敵の動きを読む力と判断力も、超一級品だ。 「すげぇなアイツら。今のなんて、すげぇ早い組み手にしか見えなかったぜ・・・。」  グリードは感心しきりである。それはそうだ。全く無駄の無い動きで展開されて いるので、見てる方としても、動きに付いて行くのが大変である。 「テレビで見てる俺達ですら、これなんだから会場の奴らは、もっとだろうな。」  エイディが、会場を羨ましそうに見る。いつかは、生で見たい物である。 『八極拳の真髄を、見せてもらう!』  今度は、瞬が距離を詰める。そして右の正拳と思いきや、左で裏拳を見舞ってき た。それを俊男は、一瞬にして屈む事で避けると、同時に回し足払いを出す。瞬は、 少し宙に浮く事で躱す。それを見て俊男は、両手を重ね合わせて、最大限の力を込 めて、突き出した。すると瞬が、競技場の端まで吹き飛ばされる。凄まじい威力だ。 パーズ拳法の内気孔の一種で、手を重ねた瞬間に『闘気』を込めて吹き飛ばす技だ。 『これぞ『発頸(はっけい)』!って、決めたいのに・・・さすがだよ。』  俊男は、決め台詞を言うと同時に肩を押さえる。すると肩は、踵の形に少し窪ん でいた。瞬が躱せないのを知ると同時に、空中で回し踵蹴りを俊男に見舞ったのだ。 『・・・良く言うぜ。噂の『発頸』なだけあって、すげぇ威力だ。』  勿論、瞬も無傷では無い。あれだけ派手に吹き飛ばされたのだ。多少は、自分で 踵蹴りの時、俊男の体を利用して飛んだ物の、両手の形の痣が胸に出来ていた。 『そんな痣くらいで済んでる何てね・・・。普通は、肋骨が折れるって言うのに。』  俊男は、瞬の頑丈な体に呆れる。肋骨を折るくらいの想いで放ったのに、痣が出 来てるだけとは、何とも恐ろしい鍛え方だ。 『双方ともに1ポイント!!』  審判は、有効打を認める。今の攻防も、素人では、どうやって瞬が俊男に攻撃し たのかすら、分からないだろう。恐ろしくハイレベルな闘いである。 『今度は、天神流の真髄を見せてもらうよ!!』  俊男は、腕を振り回すように拳を打つと同時に、膝蹴りを打ち出す。それを瞬は、 足を上げて、脛で受ける事で、回避すると、下から弧を描くように、裏拳を打ち出 す。俊男は、見慣れない動きに戸惑うが、辛うじて顎を引く事で躱し切る。が、そ こに瞬の回し蹴りが来る。しかし俊男は、顔の近くに腕を持って行く事で、防御し ようとする。しかし瞬は、お見通しだったようで、蹴りが途中で変化して、腹に一 直線に当てる。 『ウグゥ!!』  俊男は、1メートルくらい吹き飛ばされる。さっきの瞬は、自ら飛んでダメージ を逃がしたのだが、俊男は、本当に蹴りの威力だけで1メートルも飛ばされた。 (す、凄い威力だ・・・。)  俊男は、蹴られた箇所を押さえる。しかし肩の痛みも半端では無い。俊男の打撃 も、何発かは当たっている筈なのに、瞬には効いていなかった。瞬はタフさでも、 とてつもない実力を秘めていた。 『天神選手、1ポイント!』  瞬に1ポイント加算される。それにしても、凄まじい程の動きだ。俊男だって、 ほとんど無駄な動きをしていないと言うのに、それを凌駕する動きである。 『天神流変化の技『幻酔(げんすい)』。足技の一種だ。』  瞬は技名を言う。あれだけの勢いで、変化させるのだから、相当な修練が必要に 違いない。動きも、見事なまでの早さだった。 『しょうがない・・・。僕も、奥の手を出さなきゃならないようだ。』  俊男は、決勝まで見せたくなかった技を、見せる事にした。そして何か不思議な 構えを見せる。両手を胸の所に持っていって、腰を落とす。これでは柔道かプロレ スをやるような構えだ。 『なにをやるつもりか知らないけど、面白い!』  瞬は受けて立とうと思った。空手の基本の構えで、正中線を狙う構えを見せる。 そして少しずつ近づいていくと、中段回し蹴りを出す。それを俊男は、下がって腕 で受け流すようにして近づいていく。そこを瞬は、高速に回転して裏拳で対処しよ うとする。ここで俊男が突っ込んでいれば、顔面に入るのだが、俊男は、それを予 測したように止まって、その腕を掴んで巴投げのような形になる。 (投げ!?パーズ拳法に、投げだと?)  瞬は面食らう。これでは柔道の巴投げだ。俊男は、柔道も取得していたと言うの だろうか?だが、これは空手の大会なので投げ、掴みなどは、3秒以上してはなら ないと言うルールがある。しかし俊男は、柔道などやる気は無かった。何と、掴ん だまま、両足を瞬の胸に当てる。そして、そのまま天に向かって打ち抜いた。 『ウグァ!!』  瞬は顔を顰める。何と俊男は、『発頸』を足で放ってきたのだ。 『パーズ拳法の裏奥義『巴発頸(ともえはっけい)』・・・。』  俊男は、技を言って立ち上がる。瞬は、胸を押さえたまま、俊男と距離を取った。 『天神君。君は凄すぎる。初めて見た技を、あんな受け方するなんてね。』  俊男は溜め息を吐く。見事に決まった筈なのに、嬉しそうにしていなかった。そ れは、俊男には分かっていた事だった。瞬に完全に決まったのに、瞬の胸には、ま たしても、痣しか付いていない。鍛え方云々では無かった。 『僕が打ち抜く一瞬に、胸に意識を集中させて防御するなんて、人間業じゃ無い。』  俊男は、理由を説明した。そう。瞬は、打ち抜かれるのを覚悟で、胸に意識を集 中させて、鋼鉄のように硬くして、受け切ったのだ。 『天神流の受け技『鋼筋(こうきん)』を、応用しただけだよ。』  瞬は再び構え直す。俊男は、呆れて物が言えなかった。平然と、こんな事をやっ てのけるとは、瞬は化け物だ。 『島山選手、1ポイント!!』  審判が俊男に1ポイント入れる。受けたとは言え、胸で受けて、痣を付けたのだ から、妥当な所だろう。 『よぉし、俊男が、あんな面白い事見せてくれたんだ。俺も見せるよ。』  瞬は、中段突きの構えを見せる。余りにも素直な構えだ。そして、余った左腕を 少しだが、左右に揺らす。 『何を見せてくれるのかな?』  俊男は、只ならぬ気配を感じた。瞬が、ああ言う以上、普通の技じゃ無いのだろ う。しかし、見せているのは、余りにも普通の、中段突きの構えだ。不気味である。 そして瞬は、腕を左右に揺らしながら足に力を入れた。すると急に、俊男の目の前 に瞬が現れた。俊男は面食らって、体を引こうとする。しかし後の祭りだった。  ガッ!!!  物凄い音と共に、俊男は吹き飛ばされる。それは、瞬の突きの凄まじさを物語っ ていた。そして俊男の体は、そのまま競技場の外に追いやられた。 『天神流、突き技『貫(かん)』!』  瞬が、技名を答えると共に、俊男の場外を確認した。ちなみに、この『貫』とは、 相手との距離を一気に縮めて、一気に突く技で、さっきも5メートルくらいを、一 瞬にして間を詰めて、突きを放ったのだ。そこに迷いは無い。 『島山選手場外!!天神選手の勝利です!!』  審判が、勝敗を言い渡す。俊男は観念していた。例え続けた所で、これ以上やる のは、無理だっただろう。それくらい迷いが無く、威力のある突きだった。現に、 俊男の肋骨は折れていた。それだけでは無い。突かれた所が、陥没していた。  場内は、瞬の勝利に歓声をもって応えた。瞬は、恥ずかしそうにそれに応えると、 俊男の方を見る。俊男は陥没した部分を押さえると、控え室へ自分の足で帰った。 『俊男。大丈夫か?』  瞬は、俊男の肋骨を折った感覚があった。 『心配は要らない。それより僕に勝ったんだから、次の試合勝たないと許さないよ。』  俊男は瞬を睨みつける。しかし、それは憎しみや怒りの睨みでは無く、親しみが 込められていた。 『安心しろ。俺は、まだ負けるつもりは無いよ。』  瞬は言い切った。その自信があれば、大丈夫かと思ったのか、俊男は笑みを浮か べつつも、控え室へと帰っていった。 「・・・すげぇ・・・。」  グリードが、一番に感じた感想だった。 「天才同士の闘いと呼ぶに、相応しい試合でしたね。」  ジェイルも素直に感心していた。清々しい闘いでありながら、これだけ強さを感 じるのだ。並ではない。 「しかし、次の試合は神城 扇。只で済むかな?」  エイディは、あの強さに狂った鬼の姿を思い出す。あれは、一筋縄ではいかない。 「さぁな。おっと、次の試合は、休憩を挟んで3時間後か。」  レイクが、テレビの放送予定に目を通した。どうやら、休憩を挟むようである。 3時間後になるのなら、午後の仕事を手早く終わらせれば、十分間に合う時間だ。 「まだ見るの?私は、あの扇って人、余り見たくないな。」  ファリアは、扇と総一郎の試合を思い出す。寒気が出る試合だった。 「まぁそう言わずに、見届けようぜ。あの瞬って奴は本物だ。扇に勝つ所を見てや らなくちゃよ。せっかく、ここまで見たんだからな。」  レイクが、ファリアを宥めるように言う。ファリアは、レイクにそう言われると、 悪い気はしなかった。 「分かったわよ。本当に好きなのね。」  ファリアは口を尖らす。こういう事を言ってくると言う事は、レイクも空手大会 が好きなのだ。テレビを見る時間も、ここでは限られている。レイクが楽しみにし ているのも、仕方が無い事だと思った。 「俺も、只の大会なら、ここまでは言わないさ。ただ、あの瞬って奴とは、一度会 ってみたいくらいでな。あの眼が気になって、仕方が無いんだよな。」  レイクは、瞬の眼が気になっていた。どこか見通すようで、少年のような眼。そ れで居つつも、信念を貫こうとする眼。どこから、あそこまでの覚悟が出てくるの か、聞いてみたかったのだ。 「ま、それなら、早く持ち場に付こうぜ。グズグズしてると、決勝見れないぞ。」  エイディが皆を促す。言うまでも無く、レイク達は午後の仕事を確かめに行く。 ファリアは別行動だが、なるべく足並みを揃えるため、3時間後には、またここに 来ようと思っていた。『絶望の島』とは言え、仕事さえやっていれば、余り厳しく 言われたりはしないのだ。そう言う意味では、レイク達は、かなり有利であった。 「おっし。じゃぁ、午後の仕事が終わったら、ここで待ち合わせだ。」  レイクは皆に確認する。言うまでも無く、皆そのつもりだった。  いつの間にか、ファリアはレイク班の一員として機能していた。それが、どこと 無く嬉しかった。  監獄島の中で出会えた絆を大事にしようと、ファリアは思っていたのだった。  それにファリアも、あそこまで見た以上、実は空手大会の行方が気になっていた のだ。しかし、それを言うつもりは無い。空手好きな女性だと、思われたく無かっ たからだ。その辺が、まだ素直になれないで居た。  午後の仕事は、どこと無くだるい。しかも今日は、自分を陥れた奴の夢を見ただ けに、少し疲れていると言う事もある。とは言え、昨日のような死体運びでは無い だけ、マシだろう。今日の状態で、あの仕事をやれと言われたら、違う衝動で、吐 いてしまう所だ。早起きした分、少し疲れが溜まっているようだ。  しかし、早く仕事を終わらせなければならない。あの空手大会が、終わってしま うだろうからだ。自分としても、少し気になる決勝だし、何より、レイク達と一緒 に見る事その物を、大事にしたい。それを口に出せば、簡単なのだろうが、性格か らか、ファリアは自分から一緒に居るとは、言い出せずに居た。 (私、素直じゃないからなぁ。)  つくづく自分の性格が、嫌になる。でも、そんなファリアを、皆は自然体で受け 入れてくれている。両親以外で、そう言う扱いを受けたのは、初めてだった。 (・・・アイツは口先だけだったし・・・。)  ファリアは、忘れられない奴の事を思い浮かべる。ゼリン。奴は、両親を奪い去 って、この島にファリアを縛り付けた。そのおかげで、レイク達に会えたと言うの は、不幸中の幸いだったが、許す訳には行かない。  ファリアの午後の仕事は、造花と裁縫だった。造花は、やった事が無かったが、 裁縫は、結構得意だったので、サクサク仕事が進んだ。だるい体とは言え、得意な 事ならテキパキと動くのだから、人間の体は不思議だと思った。  そしてレイク達は、車体の製作及び組み立てだった。今は、製作等は、機械に任 せる会社が増えていると言うのに、この『絶望の島』では、労働力に物を言わせて、 人にやらせているのだから、呆れる体制である。とは言っても、レイク達は、この 作業は、かなり年季があるようで、必ずテレビの時間に間に合う等と豪語していた。 (私の方が、遅れそうね。)  ファリアは、そう考えてる内に造花を作り上げていく。単純な作業なので、慣れ れば、他の事を考えても出来る物だ。ただ、他の女性は、毎晩島主の所か、部屋に 残っている者も、まともな人間扱いされて無い様で、ファリアより疲れ切っていた。 そのせいか、ファリアの作業が、目立って早く見えてしまう。しかし、もう一人、 元気な女性が居た。どうやら、ファリアよりも、年上の女性のようだ。髪の色は、 少し栗色で、どうやらストリウス人のようだ。ガリウロル人が、黒髪なので、大陸 人の金髪と混ざる可能性が高いのは、一番近いストリウス人の可能性が多い。もし くは、根っから栗色の髪が多いパーズ人くらいだ。 「お。アンタ仕事早いわね。この島に来て、間も無いのに、大したもんだよ。」  その女性は、ファリアが目立ったからだろうか、話し掛けてきた。 「そう?自分では、まだまだだと思ってるんですが?」  ファリアは、つい口を尖らせてしまう。不意に話されたのが、少し気に入らなか ったのだ。こういう所で、性格が出てしまう。 「ハハハ!ご挨拶だね。でも造花の方は、あたしの方が早いね。」  その女性は、造花を凄い勢いで終わらせていく。手馴れた手つきだ。これは、キ ャリアを積まなきゃ、出来ない動きだった。 「やるわね。ここに来て長いの?」  ファリアは、勝気のまま自然に尋ねた。この女性の雰囲気が、自分と波長が合っ たのかも知れない。暗く沈んだ者を相手にしても、つまらないのだ。 「ま、3年程、居るね。慣れりゃ、ここでもまともに生活出来るからね。」  気さくに話しかけてくる。ファリアには、中々出来ない芸当だ。 「3年も?貴女も、班に恵まれたの?」  ファリアは、疑問を口にしてみる。 「馬鹿言いなさんな。ここで生きる術を、見つけただけの話だよ。」  女性は色っぽく笑う。それを見て、ファリアは済まなそうな顔をする。女性は、 別に班に守られている訳では無かった。互いに生活するために、仕方なく夜の生活 もしながら、逞しく生きているだけの話であった。『絶望の島』で、レイクの班み たいな所は、そうそう存在しない。彼女は、島主の所に行くのが、もっと嫌だった から、班の連中と結託しただけの話だった。最も、この生活が慣れてきたので、余 り苦には、ならなくなったのだが、最初の頃は、受け入れ難かったに違いない。 「ふーん。同情した?」  女性は、笑いとも怒りとも取れる表情で、ファリアを覗き込む。 「ど、同情なんてしないわ。勘違いしないでくれる?」  ファリアは、また口を尖らす。どうにも素直になれない。同性ですら、そうなの だから、異性に対しても、そうなってしまうのだろうと思う。 「プッ!!アンタ、サイコー。」  女性は、ケラケラ笑う。 「な、何が可笑しいのよ!」 「だって、アンタ、口に出してる事と顔に出てる事が、違い過ぎるんだ物。そんな んじゃ、すぐバレるわよ。」  女性は、正確な事を言った。ファリアの場合、口では確かに素直じゃないが、顔 に出てしまうので、何を考えているのか、すぐ分かってしまうのだ。 「アンタ、トランプ弱いでしょう?」  女性は嫌な事を指摘する。ファリアは、賭け事は何をやっても弱かった。 「うー・・・。」  ファリアは、何も言い返せなかった。全て、ズバリ当たっていたからだ。こんな 初めて会った女性に、全て看破されては、情けないの一言だった。 「でも、あたしは、アンタが羨ましいよ。」  女性は、打って変わって優しい目をする。 「素直に喜べる。素直に感情が出せるってのは、ある意味幸せなんだって事を、忘 れなさんな。アンタは、あたしみたいな、捻くれもんに、なっちまっちゃ駄目だよ。」  その女性は、不思議な事を言う。会ったばかりのファリアに、何故ここまで、言 ってくれるのだろう?知り合いだとも思えない。 「うーーん。アンタって言い方、疲れるね。名前は、何て言うんだい?あたしゃ、 ファン=ティーエ。ストリウスで料亭で、働いてた者だけどね。セントのお客と、 ちょっと揉めちゃってね。ここに連れられたのさ。」  女性は、名前を名乗った。ファンという苗字は、ストリウス人に多い苗字だ。彼 の伝説のジークの妻もストリウス人でファン=ミリィと言う名前だった気がする。 「私はファリア=ルーンよ。まぁセントに居たんだけどね。色々あって、セント反 逆罪になった身よ。」  ファリアは、掻い摘んで説明する。それと、ファリアの苗字はルーンだ。レイク 達にも、そろそろ教えようかと思う。素直じゃない性格なので、最初は教えなかっ たのだ。その内、つい流されて、今日まで苗字を名乗っていなかった。 「へぇ。ファリアも苦労してるのねぇ。と、ルーンって、あの伝記に出て来た所の 苗字じゃない。」  ティーエは、自分の事は棚に上げて、ファリアの事を持ち上げる。 「セントでは、結構多いのよ。有名処の名前だしね。」  ファリアは、嘘を言っていなかった。ルーン家は、確かに後に中央大陸に移り住 んでいる。それで居て、有名人とくれば、ルーン家が広がっていくのも分かる話だ。 サイジンとレルファが住んだ、セントの中でも田舎部に多い名前だ。ファリアも、 セントの中では、田舎部の方に家があるので、この名前を受け継いだのだろう。 「しかし、お互いこんな島で会うなんて、ツイてないも良い所だね。」  ティーエは溜め息を吐く。この島の出会いじゃなきゃ、もっと喜んでいた所だ。 「この島じゃなきゃ会えなかったんだったら、私は来て良かったと思うけど?」  ファリアは、少し考えたが、自分を納得させるように言う。 「前向きだねぇ。そう言う考え方、嫌いじゃないよ。まぁファリアの所は、班にも 恵まれてるしね。そう思えるのかも知れないね。うちはロクデナシばかりでねぇ。」  ティーエは、思わず愚痴ってしまう。 「ま、まぁレイク達は、この島では、まともな方よね。」  ファリアは、何だか自分が褒められたような気分になってしまう。 「ははぁ・・・。アンタ、あの班長にホの字なのかい?」  ティーエは、一発で見抜く。 「な、ななななな何でそうなるの?ま、まだ3日しか経ってないし!」  ファリアは、ドモりまくっていた。それに、すぐさま否定する自分が悲しかった。 「ファリアは、嘘が下手ねぇ。気を付けなさいよ。」  ティーエは、分かり易すぎるファリアの態度に、少し不安になる。これでは、騙 される確率も、高い事だろう。 「うぐぐ・・・。ティーエさんには、敵わないわね。」 「ティーエで良い。それより、もうちょっと上手く嘘吐かないと、この先大変だよ?」  ティーエは、段々心配になってきた。ファリアは、表情に出過ぎる。それも、長 所なのだろうが、これでは、世の中渡っていくのは、大変だろうと思ったのだ。 「善処します・・・。まぁ、そのせいで、ここに居る訳だしね。」  ファリアは、一瞬にして冷たい目になる。こういう時は、間違いなく、あの忘れ 難い奴を、思い出してる時だ。 「そっかぁ。まぁ、ファリアなら、その内、出られるよ。」  ティーエは小声で囁く。さすがに、ここを出るという言葉を、大きな声で言う訳 には行かない。監視員が、いつ聞いているか分からないのだ。 「ありがとうね。ティーエ。」  ファリアは、女友達が初めて出来た気がした。ファリアは、気を許すと、とこと ん許してしまう性格なのだ。 (この性格は、よっぽど、今までお嬢様に育てられたか・・・かもね。)  ティーエは口に出さずに置いた。ファリアは、間違いなく育ちが良い。じゃなけ れば、ここまで人を疑わない性格には、ならないだろう。どうやら、セントで騙さ れて、少しは警戒するようになったのだろうが、それでも甘さが抜けきっていない。 「お。こんな事話してる内に、終わっちまったね。ファリアは筋が良いよ。」  ティーエは、仕事が片付いた事に気が付く。 「本当だ。これなら、間に合うかな。」  ファリアは時計を見る。さっきの休み時間から、2時間半程、過ぎたくらいだ。 「ティーエも見に行かない?ウチの班ったら、ずーっと空手大会見てるのよ。」  ファリアは誘ってきた。 「はぁ・・・。せっかくだけど、ウチの班の連中が煩いから、止めとくわ。それと、 その事もあるから、仕事時以外は、気軽に話さないようにしてよ。」  ティーエは、釘を刺して置いた。こんな話をしてるだけでファリアは、ここまで 警戒を解いているのだ。ここ以外でも、この気軽さで話してくる事だろう。 「そ、そうよね。分かった。今日は楽しかったわ。」  ファリアは、少し残念がってたが、事情を分かってくれていた。 (こういう忠告する、あたしも甘ちゃん何だろうけどね。)  ティーエは、ファリアを見てると、つい口を出したくなってしまう。 (手の掛かる子程、カワイイって言うけどねぇ。)  ティーエは、自分の少女時代と比べても、あそこまで素直じゃなかった気がした。 (色々、教えておかなくちゃね。)  ティーエは、すっかり母親気分になってしまった。まだティーエは、20代なの に、妙にオバさん臭い考えだ・・・と思ってしまっていた。  ファリアは、仕事が終わって、報告が済んだら、すぐにシャワーを浴びた。軽く シャワーを浴びないと、気持ち悪さで、うんざりしてしまうからだ。元々清潔好き なので、何よりも、清潔さを優先させてしまうのだった。  そして食堂に向かうと、案の定レイク達が、テレビの前に座っていた。他の連中 が、まだの様子を見ると、やはり手早く、終わらせられたらしい。 「よっ。手馴れてきたな。」  エイディが、声を掛けてくる。 「早い人と、一緒に仕事してたからね。」  ファリアは、早速ティーエの事を話す。 「その人と、少し話して来たけど、しゃべりながらでも、かなり早めに終わらせら れたのよ。裁縫は得意だったしね。」  ファリアは、嬉しそうに話す。 「その人とは、打ち解けたようだな。良い事だ。」  レイクは、まるで自分の事のように祝福してくれた。 「でも、仕事場以外では、あまり親しげに話すなって言うのよねぇ。」  ファリアは、疑問を口にしていた。 「そりゃあ正解だ。班が結託してると思われたら、目を付けられる事になる。それ に向こうの班の連中と、親しくならなきゃ反発も来るってもんだ。賢明な判断だよ。」  レイクは、その人は、かなり人間が出来ているのだろうと読んだ。 「なるほど・・・。私の事も、ズバリ当てられちゃうし・・・凄い人ねぇ。」  ファリアは、改めて感心する。言われれば、その通りで、うっかり仲良くなろう 物なら、寝首を掻かれかれない。それをティーエは、心配していたのだ。 「ファン=ティーエ班か。女性のリーダーは、あそこと、もう一つだけだな。」  レイクは、珍しいなとは思ったが、それ以上の感情は抱かなかった。 「女のリーダーねぇ。どうにも、しっくりこねぇなぁ。」  グリードは、女性に仕切られるのは、余り好ましく思ってないようだ。 「失礼ね。少なくとも、貴方よりは、ティーエさんの方が、しっかりしてるわよ?」 「ケッ。相変わらず容赦無いねぇ。」  グリードは不貞腐れる。どうにもファリアとは、相性が悪い。別に悪い女じゃな い事は、分かっているんだが、ケンカ腰になってしまう。多分それは、レイクの事 もあるだろう。グリードは、レイクを尊敬している。ファリアが、自然にレイクと 話せるのを見て、羨ましいと思ってしまう。 「そこの二人。そろそろ始まるぞ。」  エイディが、知らせてくれた。そろそろ空手大会の決勝が、始まるのだろう。  決勝に進んだのは、言うまでも無く、神城 扇と天神 瞬の二人である。 「今回の空手大会は、色んな意味で特殊だったらしいですよ。視聴率が、40%超 えたとかで、ニュースで取り上げられてましたね。」  ジェイルは、ニュースをチェックした時に、この空手大会が出て来たので驚いた。 しかし40%とは、凄い数値だ。あの扇の試合などを、40%近くの人が見たと言 う事になる。逆に刺激的だったのかも知れないが、余り良い事では無い。 「って事は・・・この成り行きを見守る奴らは、もっと居るって事か。」  レイクは、神妙な顔付きになる。恐らく決勝戦は、凄まじい試合になる。それを 放映して、悪影響が出なければ良いと思っていた。 『皆様、長らくお待たせ致しました!これより、全ソクトア空手大会決勝戦を開始 します!』  アナウンサーの力の入った声が響き渡ると、会場からは、耳を裂くような声援が 聞こえる。会場は、余程待ち兼ねたのだろう。 『一条さん。この試合、どうなりますでしょうか?』 『神城選手が、どういう事をしでかすか分かりません。が、天神選手相手にそう簡 単に、残虐な行為には出られないでしょう。神城選手の手刀の切れ味は、さすがと 言って良い物です。しかし、天神選手の鋼鉄の拳を斬り裂くのは難しいと思います。』  一条は、扇の事を、余り良く思ってないようだ。とは言え、的が外れている訳で は無い。瞬の拳は、正に岩をも砕く拳だ。扇の鋭い手刀も、斬り裂けるかどうか疑 わしい。何より、この二人の力は、そう差があるとは思えない。そうなると、土壇 場で、どこまで鍛え上げているかが、勝負の分かれ目になる。 『なる程。一条さんなら、どう闘いますか?』  アナウンサーは、珍しい事を聞いてきた。 『面白い質問ですね。ですが、私では、二人と闘える相手では無いとだけ、言って 置きましょう。認めたくはありませんが、彼らは天才です。』  一条は隠さず言う。過去の優勝者にまで、ここまで言われると言う事は、恐ろし い実力なのだろう。 『ありがとう御座いました。っと、どうやら、試合が始まるようですね。』  アナウンサーが競技場の方を見る。すると、扇と瞬が、既に競技場外から、睨み 合っていた。ヒリ付く様な視線である。 『全ソクトア空手大会決勝戦!神城 扇選手!前へ!!』  審判が扇を呼び出す。すると、扇は腕を鳴らしながら、競技場へと上がる。 『天神 瞬選手前へ!!』  審判は、瞬を呼ぶと、瞬は瞑想を解くかのように、静かに競技場へと上がる。そ して、眼を開けると、扇と睨み合いを始める。 『長かったぜ。天神を倒すと誓ってから、ここまでの道のりがな。』  扇は、親の仇を見るような眼で、瞬を見つめる。 『アンタが何を誓ったか知らないが、アンタが、空手を名乗るのは、許しては置け ない。アンタがやってる事は、空手なんかじゃ無い。武道ですら無い。』  瞬は、負けずに燃え上がるような眼で、扇を見つめる。 『武道ねぇ。じゃぁ、この試合で教えてくれるんだろうな?』  扇は挑発する。瞬の言う事は、無意味であるかのようにだ。 『相手を罵倒し、限りない暴力を振るう姿を、武道とは言わない!武道とは、道を 極める事。そこに尊敬の念は生まれても、畏怖の念を抱かせては行けない筈だ。』  瞬は言い切った。この若さで、ここまで言い放つとは、信念があるに違いない。 『下らねぇ・・・。貴様も、そんな事を言うのか。強くなる事に、変な考えを挟み やがって。良いだろう。この試合で、その考えを後悔させてやる。』  扇は強くなるのに、理由を付ける事は、害悪だと思っていた。欺瞞でしか無い。 強くなるのに、変な理由など要らない。強さを極めれば、欲求を満たせる。それだ けの事だと思っていた。そこに武道だの、信念などと言う言葉を、挟む者の気持ち が分からないのだ。寧ろ、その言葉に逃げていると扇は思っていた。 (下らねぇ理由付けで、強さへの欲求を半減させてしまっている事こそ悪だ!)  扇は、この考えを譲るつもりは無い。強くなりたいのなら、修練を積めば良い。 そして、強くなったら己の欲求を満たせば良い。それが全てだ。 『二人共。始めるぞ。』  審判が、好い加減止めに入った。 『審判さん。始めたら、なるべく競技場外で、待機して下さい。危険ですから。』  瞬は審判を気遣う。それくらい、激しい試合になると思っているのだろう。 『そうは行かない。だが、危険で無い位置で裁く事を、約束しよう。』  審判とて、仕事がある。放棄する訳には行かない。 『分かりました。じゃぁ、始めてください。』  瞬は、もう迷う事無く、扇を見つめる。 『では・・・全ソクトア空手大会決勝戦!始め!!』  審判は、言うと同時に、いつもより3メートル程、後ろに飛びのく。 『神城流空手は、空手を超えたんだ。手刀での切れ味で、それを教えてやる。』  扇は手刀での三段斬りを繰り出す。しかし瞬は、一段目を体を捻って躱した後、 2段目、3段目は、腕で弾き返す。 『空手とは・・・一撃必殺を体現する。そのための基本が、この中段突き。それす ら表現出来ていない、アンタの技を、空手とは呼ばない!』  瞬は、中段突きの構えを見せる。 『甘いな。中段突きが来ると分かっていて、受ける馬鹿が、どこに居る。』  扇は口元を歪めて笑う。しかし、その笑みは、すぐに消えた。瞬は、一瞬にして 間合いを詰めると、迷いの無い中段突きを繰り出す。扇は、それを辛うじて両手を 交差する事で受け止める。この技は、俊男を倒した『貫』だろう。 『空手の基本技の、全てを極める。繰り出せば、それが全て必殺の攻撃になる。そ れを目指したのが、天神流空手だ!』  瞬は言い放つ。全身に無駄の無い鍛え方をする。それが、どれ程の苦痛になるの だろうか?だが、瞬はやってのけたのだろう。 『さすがは天神。だが、理想論で現実は破れん。それを証明してやる!』  扇は『罰の構え』を見せる。手刀での連続攻撃を、する気なのだろう。 『例え理想であっても、俺は追いかける!いつか実が成ると俺は信じている!』  瞬は気合を込めながら、『十字の構え』を見せた。攻防一体でありながら、必殺 の一撃を繰り出せる良い構えだ。 『小賢しい!!』  扇は、抜き手を放った。瞬は首を逸らす事で、それを躱す。そして、正中段突き を繰り出す。それを扇は手刀で相殺する。すると、拳がぶつかったと言うのに、金 属がぶつかり合うような音がした。二人の拳は、既に只の拳では無いと言う事だ。  扇は怯まずに、両手を重ねて手刀を振り下ろす。それを瞬は、前蹴りを強く放つ 事で、相殺する。そして、その体制のまま、逆の足で前回し蹴りを放つ。とてつも ないバネだ。扇は、しゃがんで躱す。それを見た瞬は、唐竹割りを振り下ろした。 『チィ!!』  扇は、舌打ちする。唐竹割りは、両腕を交差して防御で受け止めたが、完全に受 け流した訳では無い。少し腕が、ジンジンした。 『天神選手!1ポイント!!』  審判は、ポイントを取る。会場からは歓声が沸いた。 「凄いですね。天神流は・・・。全て正統派の空手技で、あそこまで極められるな んてね。信じられませんよ。」  ジェイルが、冷や汗を流す。瞬は特別な事をしている訳では無い。全ては空手の 基本技の延長である。その一つ一つが、全て必殺の一撃になりえる攻撃なのだ。 『天神・・・。それが、貴様らの追い求める姿か・・・。』  扇は、悔しそうに瞬を睨む。この攻防で悟ったのだ。純粋な空手では、勝てない と言う事にだ。天神流は、既に正統派の極みに上っている。神城流とて、普通の空 手家ならば、圧倒出来る程の空手が可能だが、相手が悪い。 『ハッ!!!』  瞬は再び『十字の構え』になる。一度崩れた型が、元に戻ると言うのも、空手の 基本だ。瞬は、特別難しい事をしている訳では無い。だが、基本が凄いのだ。 『フフフッ。正攻法では勝てぬか・・・。ならば、神城流として磨いてきた技を、 ご覧に入れよう。それが、貴様への礼にもなろう。』  扇は不気味な構えを取る。左手を前に右手を後ろに持って行き、指を常に動かす ように構えていた。こんな構え見た事がない。 『空手と呼ぶに相応しくない構えだな。』  瞬はさっきの『十字の構え』とは、また違う構えを見せる。今度は、右手を前に 突き出し、ガードする腕である、左腕を後ろに持っていった。これでは、右手で攻 めますと、言ってるような物だ。 『正当な空手を見せてやる。天神流『逆十字の構え』だ・・・。』  瞬は、構えの名前を言う。これは攻防一体では無く、攻撃に特化する時の覚悟の 構えだ。飽くまで攻めようとする、瞬の心が出ていた。 『飽くまで攻めか。そうこなくては、面白くない!!』  扇は、嬉しそうに笑いを浮かべる。総一郎は、そこで守りに入った。だが瞬は、 逆に攻めを選んだ。この覚悟は、粉砕するに値する覚悟だった。 『食らえ!!天神!!』  扇は、左手を少し上げると、引っ掻くような仕草で、素早く拳を回す。 『・・・シッ!!』  瞬は、即座に危険を悟る。右の拳で、見えない何かを叩いた。 『さすがは天神。初見でこの真空技『風牙(ふうが)』の本質に気が付くとはな。』  扇は、瞬の察しの良さに驚く。神城流、真空技『風牙』は、腕を神速で振る事で、 真空状態を作り出して、相手にぶつける技だ。気付かなければ、瞬は胸に大きな傷 跡を残していただろう。 『その技は危険だ。ここで使うのは止めろ!』  瞬は、即座に、この技の危険性に気が付く。自分がでは無い。この技は、観客を 巻き添えにする確率が多いからだ。 『お優しい事だな。それも武道か?だが、勝てる手段を捨てる俺では無い。』  扇はそんな事お構い無しだ。不気味に手を動かすと次々と『風牙』を放っていく。 『止めろ!!止めろぉぉぉぉぉ!!』  瞬は『風牙』を、次々と粉砕していく。正中段、足刀、唐竹割り、果ては、踵落 としまで使って、見えない何かの方向を、見定めて粉砕していた。 『他人のために、そこまで必死になる貴様は滑稽だ。消えろ!!』  扇は、完全に観客の方に向かって『風牙』を放つ。 『ウォォォォォォ!!』  瞬は叫び声を上げて、跳躍する。そして観客の所に行く前に、掌で『風牙』を握 り潰す。だがそれは、さすがに自傷行為であった。瞬の左の掌は、血塗れになった。 『ハァッ・・・。アンタ、そこまで成り下がっていたのか!!』  瞬は、扇を睨みつける。 『ほとほと甘い奴だな。自分の勝利を優先しないような奴は、勝利は得られん。』  扇は鼻で笑う。そして、足を後ろから前に、素早く持っていく。すると『風牙』 のような塊が、瞬に向かっていく。瞬は傷めた左の拳で叩き付けた。 『グゥッ!!』  瞬は、粉砕し切れずに、肩口に傷を負う。 『フッ。足で放つ真空技『砕牙(さいが)』が、『風牙』と同じ威力だとでも思っ たのか?しかも、傷めた拳で叩き付けるなどとはな。』  扇は冷静に分析していた。瞬の行為は勝つための手段としては無駄だらけである。 『か、神城選手2ポイント!!』  審判が、呆気に取られていたが、ポイントを扇に入れた。だが会場からは、歓声 は上がらなかった。 『フッ。貴様は勝利のための手段が取れない。それは、強さを自分から無くしてい ると言う事だ。愚かよな。』  扇は、瞬の行為は、全くの無駄だと言い切った。 『関係ない・・・。勝利だ強さだと煩いんだよ!アンタは!!』  瞬は吼えた。まるで、扇の勝利至上主義を、完全否定しなくては、ならないかの ように。完全否定しなければ、自分の存在が保てないかのようにだ。 『フッ。貴様は、勝利を欲さぬのか?馬鹿を言うな!!』  扇は、瞬の言う事が、癇に障ったのか言い返す。 『俺は空手を習ってから、活人の拳を教わってきた。爺さんは、拳は奪うためでは 無く、活かす為に振るえと言った!それが空手なんだと!だが、お前は何だ!奪う 事しかしない拳で、空手を名乗るだなんて・・・。そんなの、俺は認めない!!』  瞬は左の拳を硬く握る。すると血塗れの拳が、いつの間にか血が止まっていた。 『綺麗事ばかり言う。気に食わんな。今の世の中に活人の拳など役には立たん。世 の中のシステムを見ろ。どこに、活人の精神がある?セントの現状を貴様も知って いるのだろう?強い者が君臨するのは、自然の掟だ!!』  扇は、セントの様子を例にして、反論する。 『確かにそうだ。だが空手の精神は違う!少なくとも俺が習った空手は、少しでも 多くの人を救うための拳だと、信じている!どんな、ちっぽけな事でも良い。それ を見せたいんだ!』 『馬鹿が!!理想論だけを振り翳してるガキが!力ある者が、不当な目に合う道理 が、どこにある!救うなら自分が強くなって自分で救えば良いだけの事だ。貴様の 言ってる事は、理想の果ての偽善でしか無い!強くなるのに理由など付けるな!!』  扇は、瞬の言ってる事が理解出来なかった。馬鹿だとしか思えなかった。強くな るのに、理由など要らない。人を救うために拳を磨くなど、どうかしてると思った。 自分が得をしなくて、他人に得させる事など、人間のする事では無い。 『偽善だと言われようが、俺は、この生き方を変えるつもりは無い。理想を見れな い大人に、俺は絶対に、ならない!!』  瞬は言い返すと、更に強い意志を持った眼で、扇を睨み付ける。 「何だろうな。アイツの、あそこまでの意志ってのは・・・。」  レイクは、テレビを見ながら、ポツリと漏らす。瞬が、あそこまで言うには、何 かあったに違いない。じゃ無ければ、あそこまで強固な意志は、保てない筈だ。 「意外と、私達に似てる何かを、持ってるのかもね。」  ファリアは、遠くを見るような目で、テレビを見ていた。 「そうかもな。俺が最初に感じた意志ってのは、この理想の事だったんだろうな。」  レイクは、最初に瞬を見た時から、何かを感じていた。それは今、瞬が言ってい た人を救うための拳を振るうと言う、理想だったのだろう。確かに、そんな事は、 今の世の中では、偽善と取られても仕方が無い。だが、その生き方を貫く事は、無 為だとは、思えなかった。 『阿呆が!!貴様が、捨てられぬのなら、俺がその道を断ってくれる。俺に負ける と言う事は、即ち貴様の理想とやらも、崩れると言う事だろう?感謝しろ。』  扇は挑発する。扇は瞬にとっては、理想に反する考えの持ち主だ。それに敗北を すると言う事は、理想を砕かれる事に他ならないのだ。 『そうは、いかない・・・。』  瞬は、腕を回すようにすると、左腕を前に持って行き、右腕を後ろに持って行く。 そして、右の掌は、卵を抱え込むような形をしていた。 『何の真似だ?『貫』なら、もう俺には効かぬぞ。』  扇とて、無警戒では無い。一度放った正拳突きの『貫』のタイミングは、熟知し ている。それを、むざむざ食らう程、馬鹿では無い。 『空手の最高峰の技を、体現してやる。覚悟しろ。』  瞬は口から、出任せを言うような奴では無い。ハッタリでは無いのだろう。 『フッ。その傷で良く言う。二度と立ち上がれないように、良い技を見せてやる。』  扇は、左腕を右脇腹に持っていき、右腕を天に掲げた。 『この技こそ、貴様を倒すための奥義。存分に食らうと良い。』  扇は、その態勢のまま、じりじりと近づく。瞬は、その動きに全く動じずに、腰 を下ろしていた。 『・・・覚悟は、出来ていると言う訳か。良いだろう。』  扇は突然、左足を回すようにして横に薙ぐ。すると一陣の風が舞った。 『ぬりゃぁあああああ!!!』  瞬は、気合と共に唐竹割りで、衝撃波を叩き潰した。しかし扇は、その間に一気 に間合いを詰めて、左の手刀を横に薙ぐ。それと同時に右の手刀を振り下ろした。 『せいぃ!!!』  瞬は、左の手刀を、何と唐竹割りを出した左腕で、跳ね上げる事で躱す。それと 同時に、右の手刀を身を捻ってかわす。 『な、なんだと!!!?』  扇は躱されるとは、思っていなかった。それくらい、生涯最高の速さで、手刀を 振るったのだ。だが瞬は、その動きを凌駕したのだ。 『克(かつ)!!!』  瞬は、裂帛の気合と共に、右の掌底を、扇の胸に目掛けて打ち放つ!  メリメリッ!!  とてつもない音がした。瞬は、打撃が当たった瞬間に、掌を回転させたのだ。 『!!!!!??ゲッ!!?ガハ!!!』  扇は、胸を押さえて蹲る。そして、そのまま倒れこんだ。しかし、よく見ると、 瞬の方も、胸を裂かれたような跡があった。 『これぞ、天神流の奥義『響(きょう)』!!』  瞬は、技名を言い放つ。『響』とは、良く言った物である。空手の代名詞と言え ば、拳での打撃である。それは打撃が当たる瞬間に、点でダメージを与える事で、 攻撃力を倍増させる。しかし、真に一撃で倒すのならば、点では急所を突かなけれ ばならない。しかし、この技は違う。究極に鍛え上げた掌に、回転を加える事で、 より打撃を広げさせる技なのだ。なので、どこに当たっても、この技を食らった所 から、まるで体に響くように、ダメージが行き渡る。扇の胸は、陥没しているだけ で無く、周りの骨も、ズタズタになった事だろう。恐ろしい技である。しかし、こ の技が可能にするには、度重なる修練と、究極に鍛え上げた掌が必要である。正に 正統派を極める、天神流ならではの技である。 『グゥゥゥゥゥ!!!ウグアアア!!!』  扇は、のた打ち回りながらも、立てはしなかった。しかし瞬は、胸から血が出て るのにも関わらず、まだ、正中段突きの構えを取っていた。 『・・・勝負あり!!!天神選手の勝利!!』  審判が手を上げると同時に、歓声が割れんばかりに沸いた。 『ふ・・・ふざけるな!!貴様・・・何故、攻撃を加えぬ!!』  扇は、辛うじて声を上げた。 『・・・俺の掌底が入った瞬間、アンタの気合が抜けたからだ。殺し合いを、やり に来た訳じゃないしな・・・。』  瞬は、もう戦闘態勢を解いていた。これ以上やっても、ただの殺し合いでしかな い。と瞬は見抜いたのだろう。 『甘い奴だ・・・。とことん気に食わん。殺す気で出した、俺の抜刀『十字返し』 を返して、尚も情を掛けるとは・・・。』  扇は悔しがっていた。勝利出来なかったのも、勿論だが、天神に負けて、おめお めと生き残っている自分に、腹が立ったのだ。 『扇さん・・・だったね。アンタ周りを、もう一度見ろよ・・・。世の中、強さだ けじゃない・・・。そうだろう?』  瞬は、悲しい眼をする。強さだけに固執する扇が、哀れに見えたのだ。 『知った風な口を・・・。貴様に、何が分かる!!』  扇は、そう言い放つと、喀血した。肺に骨が刺さっている可能性が高い。 『すいません。担架を、急いで下さい。』  瞬は審判に合図する。すると扇は、まだ憎々しげに瞬を見ていた。 『いつか・・・いつか処刑してやる・・・。』  扇は、そう言うと、担架の上で気を失った。 『・・・元気な人だ・・・。』  瞬は、呆れてしまう。生命に関わる怪我かも知れないと言うのに、扇は、まだ減 らず口を叩いているのだから、精神力が並じゃないのだろう。 『何と言う結末でしょう!!15歳の少年が!見事な空手を見せてくれました!』  アナウンサーも、つい興奮して、しゃべっていた。会場も、その雰囲気に飲まれ たのか、瞬を褒め称えた。すると瞬は、15歳の少年の顔に戻って、照れていた。 『素晴らしい。天神選手こそ、これからの空手に、光を齎す事でしょうな!』  解説の一条までが、瞬の事を、ベタ褒めしていた。一条が、理想とする空手の全 てを、瞬は、体現していたからだ。歳など関係無く、瞬の事を尊敬していた。 「終わってみれば・・・空手・・・だったな。」  レイクは、テレビから目を離す。 「ええ。あの少年の凄い所は、空手の基本技を全て必殺技に変えた所です。」  ジェイルも賛同していた。空手の基本は、どれだけ短い道程で、ダメージを与え て、敵より早く攻撃して、相手を倒すかにある。シンプルな攻撃に、どれだけ修練 を積んだかが、見え隠れするのだ。 「あれで15歳でしょう?将来、どうなるのかしらねぇ。」  ファリアが溜め息を吐く。15歳で空手大会優勝ともなれば、注目度は上がるだ ろう。それに、只でさえ天神家は、ここ最近で、名家として知られて来てるのだ。 「でも格闘技は空手だけじゃないからな!この優勝で、アイツもマークされる事だ ろうぜ。色んなジャンルから、試合が申し込まれると思うぜ。」  グリードは予想する。瞬としては、良い迷惑かも知れないが、15歳で空手大会 を制した実力からすれば、当然の事だろう。 「余計なもんを抱えるの、慣れてそうだったしな。」  エイディは、瞬の気苦労を察する。会話から見ても、瞬は苦労人の気質が見える。 それを他人事ながら、心配したのだろう。 「いつか、会ってみたい物だな。」  レイクは、ポツリと漏らす。監視員には、聞こえない程度にだが・・・。 (やはりレイクさんは、ここを出たがっている・・・。準備しなくてはね。)  ジェイルは、レイクの一言を見逃さなかった。そして、レイクのために、どんな 事が出来るかを、考えるのだった。  全ソクトア空手大会は、こうして幕を閉じた。15歳の少年は、正しく強い在り 方を、確かめる事が出来たのだろうか?それは、瞬のみが感じた事だろう。