NOVEL Darkness 1-2(Third)

ソクトア黒の章1巻の2(後半)


 午後の仕事は、どこと無くだるい。しかも今日は、自分を陥れた奴の夢を見ただ
けに、少し疲れていると言う事もある。とは言え、昨日のような死体運びでは無い
だけ、マシだろう。今日の状態で、あの仕事をやれと言われたら、違う衝動で、吐
いてしまう所だ。早起きした分、少し疲れが溜まっているようだ。
 しかし、早く仕事を終わらせなければならない。あの空手大会が、終わってしま
うだろうからだ。自分としても、少し気になる決勝だし、何より、レイク達と一緒
に見る事その物を、大事にしたい。それを口に出せば、簡単なのだろうが、性格か
らか、ファリアは自分から一緒に居るとは、言い出せずに居た。
(私、素直じゃないからなぁ。)
 つくづく自分の性格が、嫌になる。でも、そんなファリアを、皆は自然体で受け
入れてくれている。両親以外で、そう言う扱いを受けたのは、初めてだった。
(・・・アイツは口先だけだったし・・・。)
 ファリアは、忘れられない奴の事を思い浮かべる。ゼリン。奴は、両親を奪い去
って、この島にファリアを縛り付けた。そのおかげで、レイク達に会えたと言うの
は、不幸中の幸いだったが、許す訳には行かない。
 ファリアの午後の仕事は、造花と裁縫だった。造花は、やった事が無かったが、
裁縫は、結構得意だったので、サクサク仕事が進んだ。だるい体とは言え、得意な
事ならテキパキと動くのだから、人間の体は不思議だと思った。
 そしてレイク達は、車体の製作及び組み立てだった。今は、製作等は、機械に任
せる会社が増えていると言うのに、この『絶望の島』では、労働力に物を言わせて、
人にやらせているのだから、呆れる体制である。とは言っても、レイク達は、この
作業は、かなり年季があるようで、必ずテレビの時間に間に合う等と豪語していた。
(私の方が、遅れそうね。)
 ファリアは、そう考えてる内に造花を作り上げていく。単純な作業なので、慣れ
れば、他の事を考えても出来る物だ。ただ、他の女性は、毎晩島主の所か、部屋に
残っている者も、まともな人間扱いされて無い様で、ファリアより疲れ切っていた。
そのせいか、ファリアの作業が、目立って早く見えてしまう。しかし、もう一人、
元気な女性が居た。どうやら、ファリアよりも、年上の女性のようだ。髪の色は、
少し栗色で、どうやらストリウス人のようだ。ガリウロル人が、黒髪なので、大陸
人の金髪と混ざる可能性が高いのは、一番近いストリウス人の可能性が多い。もし
くは、根っから栗色の髪が多いパーズ人くらいだ。
「お。アンタ仕事早いわね。この島に来て、間も無いのに、大したもんだよ。」
 その女性は、ファリアが目立ったからだろうか、話し掛けてきた。
「そう?自分では、まだまだだと思ってるんですが?」
 ファリアは、つい口を尖らせてしまう。不意に話されたのが、少し気に入らなか
ったのだ。こういう所で、性格が出てしまう。
「ハハハ!ご挨拶だね。でも造花の方は、あたしの方が早いね。」
 その女性は、造花を凄い勢いで終わらせていく。手馴れた手つきだ。これは、キ
ャリアを積まなきゃ、出来ない動きだった。
「やるわね。ここに来て長いの?」
 ファリアは、勝気のまま自然に尋ねた。この女性の雰囲気が、自分と波長が合っ
たのかも知れない。暗く沈んだ者を相手にしても、つまらないのだ。
「ま、3年程、居るね。慣れりゃ、ここでもまともに生活出来るからね。」
 気さくに話しかけてくる。ファリアには、中々出来ない芸当だ。
「3年も?貴女も、班に恵まれたの?」
 ファリアは、疑問を口にしてみる。
「馬鹿言いなさんな。ここで生きる術を、見つけただけの話だよ。」
 女性は色っぽく笑う。それを見て、ファリアは済まなそうな顔をする。女性は、
別に班に守られている訳では無かった。互いに生活するために、仕方なく夜の生活
もしながら、逞しく生きているだけの話であった。『絶望の島』で、レイクの班み
たいな所は、そうそう存在しない。彼女は、島主の所に行くのが、もっと嫌だった
から、班の連中と結託しただけの話だった。最も、この生活が慣れてきたので、余
り苦には、ならなくなったのだが、最初の頃は、受け入れ難かったに違いない。
「ふーん。同情した?」
 女性は、笑いとも怒りとも取れる表情で、ファリアを覗き込む。
「ど、同情なんてしないわ。勘違いしないでくれる?」
 ファリアは、また口を尖らす。どうにも素直になれない。同性ですら、そうなの
だから、異性に対しても、そうなってしまうのだろうと思う。
「プッ!!アンタ、サイコー。」
 女性は、ケラケラ笑う。
「な、何が可笑しいのよ!」
「だって、アンタ、口に出してる事と顔に出てる事が、違い過ぎるんだ物。そんな
んじゃ、すぐバレるわよ。」
 女性は、正確な事を言った。ファリアの場合、口では確かに素直じゃないが、顔
に出てしまうので、何を考えているのか、すぐ分かってしまうのだ。
「アンタ、トランプ弱いでしょう?」
 女性は嫌な事を指摘する。ファリアは、賭け事は何をやっても弱かった。
「うー・・・。」
 ファリアは、何も言い返せなかった。全て、ズバリ当たっていたからだ。こんな
初めて会った女性に、全て看破されては、情けないの一言だった。
「でも、あたしは、アンタが羨ましいよ。」
 女性は、打って変わって優しい目をする。
「素直に喜べる。素直に感情が出せるってのは、ある意味幸せなんだって事を、忘
れなさんな。アンタは、あたしみたいな、捻くれもんに、なっちまっちゃ駄目だよ。」
 その女性は、不思議な事を言う。会ったばかりのファリアに、何故ここまで、言
ってくれるのだろう?知り合いだとも思えない。
「うーーん。アンタって言い方、疲れるね。名前は、何て言うんだい?あたしゃ、
ファン=ティーエ。ストリウスで料亭で、働いてた者だけどね。セントのお客と、
ちょっと揉めちゃってね。ここに連れられたのさ。」
 女性は、名前を名乗った。ファンという苗字は、ストリウス人に多い苗字だ。彼
の伝説のジークの妻もストリウス人でファン=ミリィと言う名前だった気がする。
「私はファリア=ルーンよ。まぁセントに居たんだけどね。色々あって、セント反
逆罪になった身よ。」
 ファリアは、掻い摘んで説明する。それと、ファリアの苗字はルーンだ。レイク
達にも、そろそろ教えようかと思う。素直じゃない性格なので、最初は教えなかっ
たのだ。その内、つい流されて、今日まで苗字を名乗っていなかった。
「へぇ。ファリアも苦労してるのねぇ。と、ルーンって、あの伝記に出て来た所の
苗字じゃない。」
 ティーエは、自分の事は棚に上げて、ファリアの事を持ち上げる。
「セントでは、結構多いのよ。有名処の名前だしね。」
 ファリアは、嘘を言っていなかった。ルーン家は、確かに後に中央大陸に移り住
んでいる。それで居て、有名人とくれば、ルーン家が広がっていくのも分かる話だ。
サイジンとレルファが住んだ、セントの中でも田舎部に多い名前だ。ファリアも、
セントの中では、田舎部の方に家があるので、この名前を受け継いだのだろう。
「しかし、お互いこんな島で会うなんて、ツイてないも良い所だね。」
 ティーエは溜め息を吐く。この島の出会いじゃなきゃ、もっと喜んでいた所だ。
「この島じゃなきゃ会えなかったんだったら、私は来て良かったと思うけど?」
 ファリアは、少し考えたが、自分を納得させるように言う。
「前向きだねぇ。そう言う考え方、嫌いじゃないよ。まぁファリアの所は、班にも
恵まれてるしね。そう思えるのかも知れないね。うちはロクデナシばかりでねぇ。」
 ティーエは、思わず愚痴ってしまう。
「ま、まぁレイク達は、この島では、まともな方よね。」
 ファリアは、何だか自分が褒められたような気分になってしまう。
「ははぁ・・・。アンタ、あの班長にホの字なのかい?」
 ティーエは、一発で見抜く。
「な、ななななな何でそうなるの?ま、まだ3日しか経ってないし!」
 ファリアは、ドモりまくっていた。それに、すぐさま否定する自分が悲しかった。
「ファリアは、嘘が下手ねぇ。気を付けなさいよ。」
 ティーエは、分かり易すぎるファリアの態度に、少し不安になる。これでは、騙
される確率も、高い事だろう。
「うぐぐ・・・。ティーエさんには、敵わないわね。」
「ティーエで良い。それより、もうちょっと上手く嘘吐かないと、この先大変だよ?」
 ティーエは、段々心配になってきた。ファリアは、表情に出過ぎる。それも、長
所なのだろうが、これでは、世の中渡っていくのは、大変だろうと思ったのだ。
「善処します・・・。まぁ、そのせいで、ここに居る訳だしね。」
 ファリアは、一瞬にして冷たい目になる。こういう時は、間違いなく、あの忘れ
難い奴を、思い出してる時だ。
「そっかぁ。まぁ、ファリアなら、その内、出られるよ。」
 ティーエは小声で囁く。さすがに、ここを出るという言葉を、大きな声で言う訳
には行かない。監視員が、いつ聞いているか分からないのだ。
「ありがとうね。ティーエ。」
 ファリアは、女友達が初めて出来た気がした。ファリアは、気を許すと、とこと
ん許してしまう性格なのだ。
(この性格は、よっぽど、今までお嬢様に育てられたか・・・かもね。)
 ティーエは口に出さずに置いた。ファリアは、間違いなく育ちが良い。じゃなけ
れば、ここまで人を疑わない性格には、ならないだろう。どうやら、セントで騙さ
れて、少しは警戒するようになったのだろうが、それでも甘さが抜けきっていない。
「お。こんな事話してる内に、終わっちまったね。ファリアは筋が良いよ。」
 ティーエは、仕事が片付いた事に気が付く。
「本当だ。これなら、間に合うかな。」
 ファリアは時計を見る。さっきの休み時間から、2時間半程、過ぎたくらいだ。
「ティーエも見に行かない?ウチの班ったら、ずーっと空手大会見てるのよ。」
 ファリアは誘ってきた。
「はぁ・・・。せっかくだけど、ウチの班の連中が煩いから、止めとくわ。それと、
その事もあるから、仕事時以外は、気軽に話さないようにしてよ。」
 ティーエは、釘を刺して置いた。こんな話をしてるだけでファリアは、ここまで
警戒を解いているのだ。ここ以外でも、この気軽さで話してくる事だろう。
「そ、そうよね。分かった。今日は楽しかったわ。」
 ファリアは、少し残念がってたが、事情を分かってくれていた。
(こういう忠告する、あたしも甘ちゃん何だろうけどね。)
 ティーエは、ファリアを見てると、つい口を出したくなってしまう。
(手の掛かる子程、カワイイって言うけどねぇ。)
 ティーエは、自分の少女時代と比べても、あそこまで素直じゃなかった気がした。
(色々、教えておかなくちゃね。)
 ティーエは、すっかり母親気分になってしまった。まだティーエは、20代なの
に、妙にオバさん臭い考えだ・・・と思ってしまっていた。


 ファリアは、仕事が終わって、報告が済んだら、すぐにシャワーを浴びた。軽く
シャワーを浴びないと、気持ち悪さで、うんざりしてしまうからだ。元々清潔好き
なので、何よりも、清潔さを優先させてしまうのだった。
 そして食堂に向かうと、案の定レイク達が、テレビの前に座っていた。他の連中
が、まだの様子を見ると、やはり手早く、終わらせられたらしい。
「よっ。手馴れてきたな。」
 エイディが、声を掛けてくる。
「早い人と、一緒に仕事してたからね。」
 ファリアは、早速ティーエの事を話す。
「その人と、少し話して来たけど、しゃべりながらでも、かなり早めに終わらせら
れたのよ。裁縫は得意だったしね。」
 ファリアは、嬉しそうに話す。
「その人とは、打ち解けたようだな。良い事だ。」
 レイクは、まるで自分の事のように祝福してくれた。
「でも、仕事場以外では、あまり親しげに話すなって言うのよねぇ。」
 ファリアは、疑問を口にしていた。
「そりゃあ正解だ。班が結託してると思われたら、目を付けられる事になる。それ
に向こうの班の連中と、親しくならなきゃ反発も来るってもんだ。賢明な判断だよ。」
 レイクは、その人は、かなり人間が出来ているのだろうと読んだ。
「なるほど・・・。私の事も、ズバリ当てられちゃうし・・・凄い人ねぇ。」
 ファリアは、改めて感心する。言われれば、その通りで、うっかり仲良くなろう
物なら、寝首を掻かれかれない。それをティーエは、心配していたのだ。
「ファン=ティーエ班か。女性のリーダーは、あそこと、もう一つだけだな。」
 レイクは、珍しいなとは思ったが、それ以上の感情は抱かなかった。
「女のリーダーねぇ。どうにも、しっくりこねぇなぁ。」
 グリードは、女性に仕切られるのは、余り好ましく思ってないようだ。
「失礼ね。少なくとも、貴方よりは、ティーエさんの方が、しっかりしてるわよ?」
「ケッ。相変わらず容赦無いねぇ。」
 グリードは不貞腐れる。どうにもファリアとは、相性が悪い。別に悪い女じゃな
い事は、分かっているんだが、ケンカ腰になってしまう。多分それは、レイクの事
もあるだろう。グリードは、レイクを尊敬している。ファリアが、自然にレイクと
話せるのを見て、羨ましいと思ってしまう。
「そこの二人。そろそろ始まるぞ。」
 エイディが、知らせてくれた。そろそろ空手大会の決勝が、始まるのだろう。
 決勝に進んだのは、言うまでも無く、神城 扇と天神 瞬の二人である。
「今回の空手大会は、色んな意味で特殊だったらしいですよ。視聴率が、40%超
えたとかで、ニュースで取り上げられてましたね。」
 ジェイルは、ニュースをチェックした時に、この空手大会が出て来たので驚いた。
しかし40%とは、凄い数値だ。あの扇の試合などを、40%近くの人が見たと言
う事になる。逆に刺激的だったのかも知れないが、余り良い事では無い。
「って事は・・・この成り行きを見守る奴らは、もっと居るって事か。」
 レイクは、神妙な顔付きになる。恐らく決勝戦は、凄まじい試合になる。それを
放映して、悪影響が出なければ良いと思っていた。
『皆様、長らくお待たせ致しました!これより、全ソクトア空手大会決勝戦を開始
します!』
 アナウンサーの力の入った声が響き渡ると、会場からは、耳を裂くような声援が
聞こえる。会場は、余程待ち兼ねたのだろう。
『一条さん。この試合、どうなりますでしょうか?』
『神城選手が、どういう事をしでかすか分かりません。が、天神選手相手にそう簡
単に、残虐な行為には出られないでしょう。神城選手の手刀の切れ味は、さすがと
言って良い物です。しかし、天神選手の鋼鉄の拳を斬り裂くのは難しいと思います。』
 一条は、扇の事を、余り良く思ってないようだ。とは言え、的が外れている訳で
は無い。瞬の拳は、正に岩をも砕く拳だ。扇の鋭い手刀も、斬り裂けるかどうか疑
わしい。何より、この二人の力は、そう差があるとは思えない。そうなると、土壇
場で、どこまで鍛え上げているかが、勝負の分かれ目になる。
『なる程。一条さんなら、どう闘いますか?』
 アナウンサーは、珍しい事を聞いてきた。
『面白い質問ですね。ですが、私では、二人と闘える相手では無いとだけ、言って
置きましょう。認めたくはありませんが、彼らは天才です。』
 一条は隠さず言う。過去の優勝者にまで、ここまで言われると言う事は、恐ろし
い実力なのだろう。
『ありがとう御座いました。っと、どうやら、試合が始まるようですね。』
 アナウンサーが競技場の方を見る。すると、扇と瞬が、既に競技場外から、睨み
合っていた。ヒリ付く様な視線である。
『全ソクトア空手大会決勝戦!神城 扇選手!前へ!!』
 審判が扇を呼び出す。すると、扇は腕を鳴らしながら、競技場へと上がる。
『天神 瞬選手前へ!!』
 審判は、瞬を呼ぶと、瞬は瞑想を解くかのように、静かに競技場へと上がる。そ
して、眼を開けると、扇と睨み合いを始める。
『長かったぜ。天神を倒すと誓ってから、ここまでの道のりがな。』
 扇は、親の仇を見るような眼で、瞬を見つめる。
『アンタが何を誓ったか知らないが、アンタが、空手を名乗るのは、許しては置け
ない。アンタがやってる事は、空手なんかじゃ無い。武道ですら無い。』
 瞬は、負けずに燃え上がるような眼で、扇を見つめる。
『武道ねぇ。じゃぁ、この試合で教えてくれるんだろうな?』
 扇は挑発する。瞬の言う事は、無意味であるかのようにだ。
『相手を罵倒し、限りない暴力を振るう姿を、武道とは言わない!武道とは、道を
極める事。そこに尊敬の念は生まれても、畏怖の念を抱かせては行けない筈だ。』
 瞬は言い切った。この若さで、ここまで言い放つとは、信念があるに違いない。
『下らねぇ・・・。貴様も、そんな事を言うのか。強くなる事に、変な考えを挟み
やがって。良いだろう。この試合で、その考えを後悔させてやる。』
 扇は強くなるのに、理由を付ける事は、害悪だと思っていた。欺瞞でしか無い。
強くなるのに、変な理由など要らない。強さを極めれば、欲求を満たせる。それだ
けの事だと思っていた。そこに武道だの、信念などと言う言葉を、挟む者の気持ち
が分からないのだ。寧ろ、その言葉に逃げていると扇は思っていた。
(下らねぇ理由付けで、強さへの欲求を半減させてしまっている事こそ悪だ!)
 扇は、この考えを譲るつもりは無い。強くなりたいのなら、修練を積めば良い。
そして、強くなったら己の欲求を満たせば良い。それが全てだ。
『二人共。始めるぞ。』
 審判が、好い加減止めに入った。
『審判さん。始めたら、なるべく競技場外で、待機して下さい。危険ですから。』
 瞬は審判を気遣う。それくらい、激しい試合になると思っているのだろう。
『そうは行かない。だが、危険で無い位置で裁く事を、約束しよう。』
 審判とて、仕事がある。放棄する訳には行かない。
『分かりました。じゃぁ、始めてください。』
 瞬は、もう迷う事無く、扇を見つめる。
『では・・・全ソクトア空手大会決勝戦!始め!!』
 審判は、言うと同時に、いつもより3メートル程、後ろに飛びのく。
『神城流空手は、空手を超えたんだ。手刀での切れ味で、それを教えてやる。』
 扇は手刀での三段斬りを繰り出す。しかし瞬は、一段目を体を捻って躱した後、
2段目、3段目は、腕で弾き返す。
『空手とは・・・一撃必殺を体現する。そのための基本が、この中段突き。それす
ら表現出来ていない、アンタの技を、空手とは呼ばない!』
 瞬は、中段突きの構えを見せる。
『甘いな。中段突きが来ると分かっていて、受ける馬鹿が、どこに居る。』
 扇は口元を歪めて笑う。しかし、その笑みは、すぐに消えた。瞬は、一瞬にして
間合いを詰めると、迷いの無い中段突きを繰り出す。扇は、それを辛うじて両手を
交差する事で受け止める。この技は、俊男を倒した『貫』だろう。
『空手の基本技の、全てを極める。繰り出せば、それが全て必殺の攻撃になる。そ
れを目指したのが、天神流空手だ!』
 瞬は言い放つ。全身に無駄の無い鍛え方をする。それが、どれ程の苦痛になるの
だろうか?だが、瞬はやってのけたのだろう。
『さすがは天神。だが、理想論で現実は破れん。それを証明してやる!』
 扇は『罰の構え』を見せる。手刀での連続攻撃を、する気なのだろう。
『例え理想であっても、俺は追いかける!いつか実が成ると俺は信じている!』
 瞬は気合を込めながら、『十字の構え』を見せた。攻防一体でありながら、必殺
の一撃を繰り出せる良い構えだ。
『小賢しい!!』
 扇は、抜き手を放った。瞬は首を逸らす事で、それを躱す。そして、正中段突き
を繰り出す。それを扇は手刀で相殺する。すると、拳がぶつかったと言うのに、金
属がぶつかり合うような音がした。二人の拳は、既に只の拳では無いと言う事だ。
 扇は怯まずに、両手を重ねて手刀を振り下ろす。それを瞬は、前蹴りを強く放つ
事で、相殺する。そして、その体制のまま、逆の足で前回し蹴りを放つ。とてつも
ないバネだ。扇は、しゃがんで躱す。それを見た瞬は、唐竹割りを振り下ろした。
『チィ!!』
 扇は、舌打ちする。唐竹割りは、両腕を交差して防御で受け止めたが、完全に受
け流した訳では無い。少し腕が、ジンジンした。
『天神選手!1ポイント!!』
 審判は、ポイントを取る。会場からは歓声が沸いた。
「凄いですね。天神流は・・・。全て正統派の空手技で、あそこまで極められるな
んてね。信じられませんよ。」
 ジェイルが、冷や汗を流す。瞬は特別な事をしている訳では無い。全ては空手の
基本技の延長である。その一つ一つが、全て必殺の一撃になりえる攻撃なのだ。
『天神・・・。それが、貴様らの追い求める姿か・・・。』
 扇は、悔しそうに瞬を睨む。この攻防で悟ったのだ。純粋な空手では、勝てない
と言う事にだ。天神流は、既に正統派の極みに上っている。神城流とて、普通の空
手家ならば、圧倒出来る程の空手が可能だが、相手が悪い。
『ハッ!!!』
 瞬は再び『十字の構え』になる。一度崩れた型が、元に戻ると言うのも、空手の
基本だ。瞬は、特別難しい事をしている訳では無い。だが、基本が凄いのだ。
『フフフッ。正攻法では勝てぬか・・・。ならば、神城流として磨いてきた技を、
ご覧に入れよう。それが、貴様への礼にもなろう。』
 扇は不気味な構えを取る。左手を前に右手を後ろに持って行き、指を常に動かす
ように構えていた。こんな構え見た事がない。
『空手と呼ぶに相応しくない構えだな。』
 瞬はさっきの『十字の構え』とは、また違う構えを見せる。今度は、右手を前に
突き出し、ガードする腕である、左腕を後ろに持っていった。これでは、右手で攻
めますと、言ってるような物だ。
『正当な空手を見せてやる。天神流『逆十字の構え』だ・・・。』
 瞬は、構えの名前を言う。これは攻防一体では無く、攻撃に特化する時の覚悟の
構えだ。飽くまで攻めようとする、瞬の心が出ていた。
『飽くまで攻めか。そうこなくては、面白くない!!』
 扇は、嬉しそうに笑いを浮かべる。総一郎は、そこで守りに入った。だが瞬は、
逆に攻めを選んだ。この覚悟は、粉砕するに値する覚悟だった。
『食らえ!!天神!!』
 扇は、左手を少し上げると、引っ掻くような仕草で、素早く拳を回す。
『・・・シッ!!』
 瞬は、即座に危険を悟る。右の拳で、見えない何かを叩いた。
『さすがは天神。初見でこの真空技『風牙(ふうが)』の本質に気が付くとはな。』
 扇は、瞬の察しの良さに驚く。神城流、真空技『風牙』は、腕を神速で振る事で、
真空状態を作り出して、相手にぶつける技だ。気付かなければ、瞬は胸に大きな傷
跡を残していただろう。
『その技は危険だ。ここで使うのは止めろ!』
 瞬は、即座に、この技の危険性に気が付く。自分がでは無い。この技は、観客を
巻き添えにする確率が多いからだ。
『お優しい事だな。それも武道か?だが、勝てる手段を捨てる俺では無い。』
 扇はそんな事お構い無しだ。不気味に手を動かすと次々と『風牙』を放っていく。
『止めろ!!止めろぉぉぉぉぉ!!』
 瞬は『風牙』を、次々と粉砕していく。正中段、足刀、唐竹割り、果ては、踵落
としまで使って、見えない何かの方向を、見定めて粉砕していた。
『他人のために、そこまで必死になる貴様は滑稽だ。消えろ!!』
 扇は、完全に観客の方に向かって『風牙』を放つ。
『ウォォォォォォ!!』
 瞬は叫び声を上げて、跳躍する。そして観客の所に行く前に、掌で『風牙』を握
り潰す。だがそれは、さすがに自傷行為であった。瞬の左の掌は、血塗れになった。
『ハァッ・・・。アンタ、そこまで成り下がっていたのか!!』
 瞬は、扇を睨みつける。
『ほとほと甘い奴だな。自分の勝利を優先しないような奴は、勝利は得られん。』
 扇は鼻で笑う。そして、足を後ろから前に、素早く持っていく。すると『風牙』
のような塊が、瞬に向かっていく。瞬は傷めた左の拳で叩き付けた。
『グゥッ!!』
 瞬は、粉砕し切れずに、肩口に傷を負う。
『フッ。足で放つ真空技『砕牙(さいが)』が、『風牙』と同じ威力だとでも思っ
たのか?しかも、傷めた拳で叩き付けるなどとはな。』
 扇は冷静に分析していた。瞬の行為は勝つための手段としては無駄だらけである。
『か、神城選手2ポイント!!』
 審判が、呆気に取られていたが、ポイントを扇に入れた。だが会場からは、歓声
は上がらなかった。
『フッ。貴様は勝利のための手段が取れない。それは、強さを自分から無くしてい
ると言う事だ。愚かよな。』
 扇は、瞬の行為は、全くの無駄だと言い切った。
『関係ない・・・。勝利だ強さだと煩いんだよ!アンタは!!』
 瞬は吼えた。まるで、扇の勝利至上主義を、完全否定しなくては、ならないかの
ように。完全否定しなければ、自分の存在が保てないかのようにだ。
『フッ。貴様は、勝利を欲さぬのか?馬鹿を言うな!!』
 扇は、瞬の言う事が、癇に障ったのか言い返す。
『俺は空手を習ってから、活人の拳を教わってきた。爺さんは、拳は奪うためでは
無く、活かす為に振るえと言った!それが空手なんだと!だが、お前は何だ!奪う
事しかしない拳で、空手を名乗るだなんて・・・。そんなの、俺は認めない!!』
 瞬は左の拳を硬く握る。すると血塗れの拳が、いつの間にか血が止まっていた。
『綺麗事ばかり言う。気に食わんな。今の世の中に活人の拳など役には立たん。世
の中のシステムを見ろ。どこに、活人の精神がある?セントの現状を貴様も知って
いるのだろう?強い者が君臨するのは、自然の掟だ!!』
 扇は、セントの様子を例にして、反論する。
『確かにそうだ。だが空手の精神は違う!少なくとも俺が習った空手は、少しでも
多くの人を救うための拳だと、信じている!どんな、ちっぽけな事でも良い。それ
を見せたいんだ!』
『馬鹿が!!理想論だけを振り翳してるガキが!力ある者が、不当な目に合う道理
が、どこにある!救うなら自分が強くなって自分で救えば良いだけの事だ。貴様の
言ってる事は、理想の果ての偽善でしか無い!強くなるのに理由など付けるな!!』
 扇は、瞬の言ってる事が理解出来なかった。馬鹿だとしか思えなかった。強くな
るのに、理由など要らない。人を救うために拳を磨くなど、どうかしてると思った。
自分が得をしなくて、他人に得させる事など、人間のする事では無い。
『偽善だと言われようが、俺は、この生き方を変えるつもりは無い。理想を見れな
い大人に、俺は絶対に、ならない!!』
 瞬は言い返すと、更に強い意志を持った眼で、扇を睨み付ける。
「何だろうな。アイツの、あそこまでの意志ってのは・・・。」
 レイクは、テレビを見ながら、ポツリと漏らす。瞬が、あそこまで言うには、何
かあったに違いない。じゃ無ければ、あそこまで強固な意志は、保てない筈だ。
「意外と、私達に似てる何かを、持ってるのかもね。」
 ファリアは、遠くを見るような目で、テレビを見ていた。
「そうかもな。俺が最初に感じた意志ってのは、この理想の事だったんだろうな。」
 レイクは、最初に瞬を見た時から、何かを感じていた。それは今、瞬が言ってい
た人を救うための拳を振るうと言う、理想だったのだろう。確かに、そんな事は、
今の世の中では、偽善と取られても仕方が無い。だが、その生き方を貫く事は、無
為だとは、思えなかった。
『阿呆が!!貴様が、捨てられぬのなら、俺がその道を断ってくれる。俺に負ける
と言う事は、即ち貴様の理想とやらも、崩れると言う事だろう?感謝しろ。』
 扇は挑発する。扇は瞬にとっては、理想に反する考えの持ち主だ。それに敗北を
すると言う事は、理想を砕かれる事に他ならないのだ。
『そうは、いかない・・・。』
 瞬は、腕を回すようにすると、左腕を前に持って行き、右腕を後ろに持って行く。
そして、右の掌は、卵を抱え込むような形をしていた。
『何の真似だ?『貫』なら、もう俺には効かぬぞ。』
 扇とて、無警戒では無い。一度放った正拳突きの『貫』のタイミングは、熟知し
ている。それを、むざむざ食らう程、馬鹿では無い。
『空手の最高峰の技を、体現してやる。覚悟しろ。』
 瞬は口から、出任せを言うような奴では無い。ハッタリでは無いのだろう。
『フッ。その傷で良く言う。二度と立ち上がれないように、良い技を見せてやる。』
 扇は、左腕を右脇腹に持っていき、右腕を天に掲げた。
『この技こそ、貴様を倒すための奥義。存分に食らうと良い。』
 扇は、その態勢のまま、じりじりと近づく。瞬は、その動きに全く動じずに、腰
を下ろしていた。
『・・・覚悟は、出来ていると言う訳か。良いだろう。』
 扇は突然、左足を回すようにして横に薙ぐ。すると一陣の風が舞った。
『ぬりゃぁあああああ!!!』
 瞬は、気合と共に唐竹割りで、衝撃波を叩き潰した。しかし扇は、その間に一気
に間合いを詰めて、左の手刀を横に薙ぐ。それと同時に右の手刀を振り下ろした。
『せいぃ!!!』
 瞬は、左の手刀を、何と唐竹割りを出した左腕で、跳ね上げる事で躱す。それと
同時に、右の手刀を身を捻ってかわす。
『な、なんだと!!!?』
 扇は躱されるとは、思っていなかった。それくらい、生涯最高の速さで、手刀を
振るったのだ。だが瞬は、その動きを凌駕したのだ。
『克(かつ)!!!』
 瞬は、裂帛の気合と共に、右の掌底を、扇の胸に目掛けて打ち放つ!
 メリメリッ!!
 とてつもない音がした。瞬は、打撃が当たった瞬間に、掌を回転させたのだ。
『!!!!!??ゲッ!!?ガハ!!!』
 扇は、胸を押さえて蹲る。そして、そのまま倒れこんだ。しかし、よく見ると、
瞬の方も、胸を裂かれたような跡があった。
『これぞ、天神流の奥義『響(きょう)』!!』
 瞬は、技名を言い放つ。『響』とは、良く言った物である。空手の代名詞と言え
ば、拳での打撃である。それは打撃が当たる瞬間に、点でダメージを与える事で、
攻撃力を倍増させる。しかし、真に一撃で倒すのならば、点では急所を突かなけれ
ばならない。しかし、この技は違う。究極に鍛え上げた掌に、回転を加える事で、
より打撃を広げさせる技なのだ。なので、どこに当たっても、この技を食らった所
から、まるで体に響くように、ダメージが行き渡る。扇の胸は、陥没しているだけ
で無く、周りの骨も、ズタズタになった事だろう。恐ろしい技である。しかし、こ
の技が可能にするには、度重なる修練と、究極に鍛え上げた掌が必要である。正に
正統派を極める、天神流ならではの技である。
『グゥゥゥゥゥ!!!ウグアアア!!!』
 扇は、のた打ち回りながらも、立てはしなかった。しかし瞬は、胸から血が出て
るのにも関わらず、まだ、正中段突きの構えを取っていた。
『・・・勝負あり!!!天神選手の勝利!!』
 審判が手を上げると同時に、歓声が割れんばかりに沸いた。
『ふ・・・ふざけるな!!貴様・・・何故、攻撃を加えぬ!!』
 扇は、辛うじて声を上げた。
『・・・俺の掌底が入った瞬間、アンタの気合が抜けたからだ。殺し合いを、やり
に来た訳じゃないしな・・・。』
 瞬は、もう戦闘態勢を解いていた。これ以上やっても、ただの殺し合いでしかな
い。と瞬は見抜いたのだろう。
『甘い奴だ・・・。とことん気に食わん。殺す気で出した、俺の抜刀『十字返し』
を返して、尚も情を掛けるとは・・・。』
 扇は悔しがっていた。勝利出来なかったのも、勿論だが、天神に負けて、おめお
めと生き残っている自分に、腹が立ったのだ。
『扇さん・・・だったね。アンタ周りを、もう一度見ろよ・・・。世の中、強さだ
けじゃない・・・。そうだろう?』
 瞬は、悲しい眼をする。強さだけに固執する扇が、哀れに見えたのだ。
『知った風な口を・・・。貴様に、何が分かる!!』
 扇は、そう言い放つと、喀血した。肺に骨が刺さっている可能性が高い。
『すいません。担架を、急いで下さい。』
 瞬は審判に合図する。すると扇は、まだ憎々しげに瞬を見ていた。
『いつか・・・いつか処刑してやる・・・。』
 扇は、そう言うと、担架の上で気を失った。
『・・・元気な人だ・・・。』
 瞬は、呆れてしまう。生命に関わる怪我かも知れないと言うのに、扇は、まだ減
らず口を叩いているのだから、精神力が並じゃないのだろう。
『何と言う結末でしょう!!15歳の少年が!見事な空手を見せてくれました!』
 アナウンサーも、つい興奮して、しゃべっていた。会場も、その雰囲気に飲まれ
たのか、瞬を褒め称えた。すると瞬は、15歳の少年の顔に戻って、照れていた。
『素晴らしい。天神選手こそ、これからの空手に、光を齎す事でしょうな!』
 解説の一条までが、瞬の事を、ベタ褒めしていた。一条が、理想とする空手の全
てを、瞬は、体現していたからだ。歳など関係無く、瞬の事を尊敬していた。
「終わってみれば・・・空手・・・だったな。」
 レイクは、テレビから目を離す。
「ええ。あの少年の凄い所は、空手の基本技を全て必殺技に変えた所です。」
 ジェイルも賛同していた。空手の基本は、どれだけ短い道程で、ダメージを与え
て、敵より早く攻撃して、相手を倒すかにある。シンプルな攻撃に、どれだけ修練
を積んだかが、見え隠れするのだ。
「あれで15歳でしょう?将来、どうなるのかしらねぇ。」
 ファリアが溜め息を吐く。15歳で空手大会優勝ともなれば、注目度は上がるだ
ろう。それに、只でさえ天神家は、ここ最近で、名家として知られて来てるのだ。
「でも格闘技は空手だけじゃないからな!この優勝で、アイツもマークされる事だ
ろうぜ。色んなジャンルから、試合が申し込まれると思うぜ。」
 グリードは予想する。瞬としては、良い迷惑かも知れないが、15歳で空手大会
を制した実力からすれば、当然の事だろう。
「余計なもんを抱えるの、慣れてそうだったしな。」
 エイディは、瞬の気苦労を察する。会話から見ても、瞬は苦労人の気質が見える。
それを他人事ながら、心配したのだろう。
「いつか、会ってみたい物だな。」
 レイクは、ポツリと漏らす。監視員には、聞こえない程度にだが・・・。
(やはりレイクさんは、ここを出たがっている・・・。準備しなくてはね。)
 ジェイルは、レイクの一言を見逃さなかった。そして、レイクのために、どんな
事が出来るかを、考えるのだった。
 全ソクトア空手大会は、こうして幕を閉じた。15歳の少年は、正しく強い在り
方を、確かめる事が出来たのだろうか?それは、瞬のみが感じた事だろう。



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