NOVEL Darkness 1-7(First)

ソクトア黒の章1巻の7(前半)


 7、正体
 思い出すのは赤い絨毯。
 夕日に映える赤い絨毯。
 おっきい街の門の前に広がる絨毯。
 そして熱い雫。
 雨でもない、シャワーでもない。
 少しずつ、頭に掛かる熱い雫。
 凄くおっきい指。
 遊び相手だった優しい指。
 でも動かない指。
 そして遠くに見える、暖かい人。
 剣を持った逞しい人。
 ・・・そんな光景が広がっていた。
 不思議だ・・・見た事が無いようで、忘れられない。
 気が付くと、赤い絨毯に落ちてしまう。
 赤い絨毯は、自分の体に纏わり付いてくる。
 少々鬱陶しい・・・いや酷く鬱陶しい。
 まるで、何かの叫びみたいだ。
『まだ行きたくない!!!!!』
 どこに、行きたくないのだろう?
『まだ逝きたくない!!!!!』
 何か響きが違う・・・何を言っているのか、聞き取り辛い。
『死にたくない!!!!何で死ななきゃならないんだ!!?』
 その叫びは、魂の叫びだ・・・絨毯の下から聞こえてくる。
 絨毯は、真っ赤に映える血で出来ていた。
 その下には、夥しい程の悲しい顔。
 そして、死体。・・・死んでる。こんなに死んでる。まるで、絨毯のように血で
埋め尽くされる程の死体!!
 その先に居るのは、怨嗟の声を真っ向から受け止めている、優しい人だ。
『あいつのせいだ!!!!!』
 絨毯が叫び始める。他に、行き場が無いから叫んでいる。
『あいつは勝てると言った!!!!自由をくれるって言った!!!!』
 絨毯から聞こえてくるのは、怨嗟の声ばかりだ。好い加減にして欲しい。
『でも、傷一つ付けられないじゃないか!!!!嘘つきだ!!!!』
 優しい人は、その声を否定しない。寧ろ、その声こそが正しいと言わんばかりだ。
『逝きたくないいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!』
 絨毯の声は悲痛に満ちていた。そして、その声を悲しい顔で受け止めている優し
い人は、こっちを向いて・・・笑顔を見せた。
 そして・・・投降した・・・。
 絨毯は、人の血、雫は涙。こんな光景、忘れられない。
 雫は涙?・・・もう一人優しい人が、居たんだった。
 僕の遊び相手の指の持ち主。その人も、絨毯からの声を受けている。そのせいで、
苦しんでる。酷い・・・。優しい人達は、勝てると思って皆を導いた。でも負けた。
それは、相手が強大過ぎたからだ。
 得体の知れない物が、大きな街を守っていた。それが全てだった。
 やがて声が聞こえてくる。
「お前は、生きろ。」
 その言葉は、後ろの優しい人に言ったのだろう。でも僕にも言ってるようだった。
「そして・・・皆よ。済まぬ。後で、私が謝りに行く。待ってろ。」
 優しい人は、最後まで優しい目をしていた。
 待ってよ・・・。こんな所居たら、怖いよ。行っちゃ駄目だよ・・・。
 絨毯が・・・僕を仲間だと思っちゃうじゃないか・・・。怖いよ・・・。
 行っちゃ駄目だ!!行かないでよ!!行くなああああああ!!!!
「・・・ク!!レイク!!気を確かにしてよ!!」
 誰かが呼んでる・・・。助けを呼んでくれたのかな?
「レイク!どうしたのよ!」
 この声は・・・。そうだ。間違いない。
「・・・ファ・・・リア・・・か。」
 俺は、目を覚ました。今の夢はなんだ?やけにリアルだ。あんな夢を見るのは、
初めてだ。だが、不思議と、何度も見た光景のように思えてならない。そうだ。小
さい頃、良く見た夢にそっくりだ。この歳になって・・・あの夢を見るなんてな。
「ちょっと。大丈夫?」
 ファリアは、心配してくれた。今の俺には有難い。あの夢を見た後は、精神が疲
労してしまう。ファリアが側に居るなら、どことなく安心出来る。
「済まん。ちょっと子供の頃に見た、変な夢を見ちまった。」
 隠しても、しょうがない。俺は夢の内容を話してやる。するとファリアは、最初
こそ戸惑っていた物の、途中からは、頷きながら聞いていた。何処まで理解してい
るのか?こんな変な夢を、どこまで分かっているのか?正直疑問だった。
「その夢の後ろの優しい人ってのさ。顔は見てないの?」
 驚いた。夢の内容について、聞いてくるなんてな。馬鹿にされるかと思っていた。
「その夢では、涙している事くらいしか、分からんな。」
 俺は、その人が何で涙を流しているか分からない。でも投降する優しい人が、行
ってしまうのが、悲しかったからだったと信じたかった。
「しかし、心配してくれたのか?悪いな。」
「何言ってるのよ。当たり前でしょ?貴方、私を何だと思ってるのよ。」
 ファリアは口を尖らす。やばい。これは、怒ってる時の口調だ。ファリアは、気
分屋だからなぁ。怒らせないように気を付けないと、後が怖い。
「ははっ。そうだな。ファリアが魘されたら、俺だって心配するしな。」
 俺は、頭を掻きながら答える。すると、ファリアは、顔を真っ赤にしてしまった。
「わ、分かれば良いのよ。お互い、心配し過ぎなのも、考え物だけどね。」
 ファリアは顔を赤らめたまま、溜め息を吐く。何だか可愛い仕草だ。ファリアは、
自分では気が付いて無いだろうが、一つ一つの動作が、非常に分かり易い。今、何
を思っているのか、口を尖らせてても、本心では恥ずかしがってるだけだったりす
る事が、多々ある。本人は、口を尖らしている事に、随分コンプレックスを持って
いるようだが。
「と・・・朝だったのか。起きなきゃ、駄目だな。」
 外の光を見ると、すっかり朝日が昇っている。気分は余り良くないが、朝なら、
そのまま起きれば良いかと思った。
「レイク。良い?無理してるなら、言いなさいよ。」
 ファリアは、気を回す言葉を言って、下に降りて行く。なんだかんだで、心配し
てくれているから嬉しい。ファリアは優しいからな。アイツから告白を受けた時は、
正直驚いた。俺の方こそ、いつか言おうと思っていたからだ。だが、まだ俺は、自
分を見つけてさえいない。そんな俺が、告白するのは失礼かと思ったので、控えて
いたのだ。でもあの時、ファリアの告白を受けて、断る程、俺は野暮じゃない。た
だし、ファリアには言ってあるが、俺が、自分を見つけるまでは、恋人らしい事は
控える事にしている。それは、俺がまだ、半人前だからだ。人間として、一人前に
なるまで、恋人として一緒に過ごすなんて、出過ぎた事だ。ファリアは、気にする
必要は無いと言っていたが、これは、俺の意地でもある。ファリアは、溜め息を吐
きながら、承諾してくれていた。それに、ファリアの方も、露骨にこれまでと変わ
ったような仕草を見せるのは、好きじゃないらしく、俺の方こそ、気を付けるよう
に言われてしまった。
 しっかりした奴である。俺は、そんなファリアに知り合えて、良かったと思って
いる。ファリアが居なければ、俺は、まだ『絶望の島』に居たかも知れない。ジェ
イルも居た事だろう。ジェイルの事は、未だに吹っ切れちゃいないが、ファリアの
事を、優先したいと思っていた。
「さて、起きるか。」
 いつまでも、ベッドに居る訳には行かない。俺が部屋を出ると、ナイアさんに出
会った。どうやら、ベッドメイク中らしい。
「レイク様。おはよう御座います。」
 ナイアさんは、気持ちの良い挨拶をしてくる。
「おはようナイアさん。ベッドメイク中ですか?」
 俺は尋ねてみる。するとナイアさんは頷く。そして、手早くベッドメイクをこな
していた。その速さたるや凄い物で、あっという間にベッドメイクを終わらせる。
 ファリアから聞いてはいた物の、凄い早さだ。これなら、例のご奉仕大会とやら
で、優勝を飾るのも頷ける。
「はい。今日は、食事が早めに出来上がりましたので、ベッドメイクを早く終わら
せようと考えました。レイク様のベッドは、既にお取替えしてますよ。」
 ナイアさんは優しく話し掛けてきた。ファリアが気に入る理由が分かる気がする。
ナイアさんは、限りなく優しい。魔族だとは、とても思えない程だ。ハーフだと言
うのだから、半分人間なのだ。ナイアさんは、魔族にしては闘いをするのが好きじ
ゃないし、人間にしては、欲が無い。素晴らしいと思う反面、確かに危なげな感じ
がする。守ってやりたいと、素直に思わせる雰囲気を持っていた。
「レイク様のは、汗びっしょりでしたね。お困りな事があれば言って下さいませ。」
 ナイアさんは、今朝のレイクの夢を見透かしたかのように尋ねてきた。これは、
下手な事がしゃべれない。ナイアさんは、勘が鋭い。他人を世話すると言う点に於
いて、ナイアさんに叶う人が、居るのだろうか?
「大丈夫ですよ。励ましてもらいましたから。」
「ファリア様ですね。心配なされてましたからね。」
 ・・・ナイアさんは、一発でファリアだと当ててくる。俺って、顔に出易いんだ
ろうか?ファリアが顔に出るのは分かる。だが、俺まで見透かしてくるなんて凄い。
「ナイアさんは、ファリアの事、好きかい?」
 俺は素朴な疑問をぶつける。この二人は仲が良い。何処が気に入ったのか、聞き
たかった。
「勿論です。私の心の恩人です。それに、あの方は、私を友として接してくれてま
す。私には、もったいないくらいです。」
 こりゃまた、凄い信頼のされようだな。まぁファリアは、良い奴だしな。少し素
直じゃないけど、嘘が吐けないしな。
「そっか。安心したよ。ファリアとは、俺からも宜しく頼む。アイツは心を素直に
出す事しか出来ない。素晴らしい事だと俺は思う。だが、時に、それは自分を傷つ
ける結果にもなる。それだけは、させたくないんだ。色々サポートしてくれ。」
 俺はファリアの良い所である、素直な心について言う。ファリアは凄く素直な奴
だ。正直、羨ましいくらい心が澄んでいる。でもそれだけに、裏切られた時、自分
を責めるだろう。それが、哀れでならない。それだけはさせたくない。
「レイク様も、お優しいのですね。心からファリア様を心配なさってる。レイク様
が、自分を大事になさろうとすれば、ファリア様も自然と、そうなると私は考えま
す。ファリア様のためにも、無理は禁物ですよ?」
 ああ・・・。この人は、本当に見抜いている。そして最大限の心配をしてくれて
いる。ファリアだけじゃなくて、俺の心配までしてくれてるのだから本当に優しい。
「ありがとう。その忠告は心に留めておく。じゃ、下に行きますよ。ナイアさん。
シャドゥさんとの式、楽しみにしてますよ。」
 俺は、ナイアさんに言われたままなのは癪なので、返してやった。すると、ナイ
アさんは、顔を真っ赤にしながらベッドメイクの続きをやっていた。少しは言い返
せたかな?まぁちょっと大人気なかったかもな。でも式は、本当に楽しみだしな。
 下に降りると、ファリアが待っていた。その顔は、ムスーッとしていた。少し機
嫌が悪いらしい。
「・・・ナイアさんと話だなんて、珍しいじゃない。」
 ファリアは、どうやらナイアさんと、俺が話してたのを、見てたらしい。
「別に、やましい事を話してる訳じゃないぞ?ナイアさんも俺の夢を見透かしてて
な。そのついでに、ファリアの心配してたぜ?」
 俺は、夢の内容までは知られて無いが、悪夢を見たと言う事は、感づかれてる事
を教える。ファリアは、溜め息を吐く。
「まぁ、ナイアさんじゃ、仕方ないわね。彼女、鋭いもんね。」
 ファリアは身に染みているらしい。色々、言い当てられてるんだろうなぁ。俺で
さえ感づかれるんじゃ、顔に出るファリアは、尚更だ。
「まぁな。でも、ナイアさんは、色んな事に気が付くし、すげぇな、ほんと。ファ
リアの言った通りだ。あの頑張りには、頭が下がるぜ。」
 俺は素直に、自分の気持ちを言った。正直、頑張りすぎだと思うくらいだ。今ま
で、普通にここで過ごしてきたが、ここまで色々やってるとは夢にも思わなかった。
「いつまでも甘えられないわよ。自分の事は、自分でやらないとね。」
 ファリアは、こっちを見てくる。・・・俺の寝坊の事だな・・・。確かに、気を
付けなきゃならねぇとは思ってるけどさ。でも、この頃は、エイディやグリードよ
り早いってのに・・・。
「あれ?そう言えば、ゼハーンさんは?」
「とっくに起きてるわよ。外で素振りしながらシャドゥさんと型の練習してるわ。」
 マジかよ・・・。本当だ。こりゃ、何だかジッとしてられねぇな。
「俺も参加してくる!」
「そう言うと思ったわよ。ナイアさんの話じゃ、後30分程で、朝御飯にするらし
いから、頑張りなさいな。」
 ファリアは俺が、こう言うだろうと予想してたらしく、古代魔法の基礎の本を眺
めていた。用意良いよな。アイツも。
 俺が外に出ると、ゼハーンさんとシャドゥさんは、素振りを繰り返していた。こ
の人達は、凄く強いのに練習を怠らない。本当に、頭が下がる想いだ。
「レイク殿!来ましたな!」
 シャドゥさんは、木刀を寄越してくる。どうやら、俺がここに来るのを、待って
いたらしい。ジッと、してられねぇなぁ。
「レイク!残り時間も少ないので、昨日教えた型の、復習をやるぞ。」
 ゼハーンさんは、昨日最初に教えてくれた『無』の型の実戦練習をさせるつもり
だ。これがまた、難しくてな。何やら、心を静かにして相手の動きを無意識の内に
読む事が、この型の狙いらしく、後の先と言われる相手に攻撃させながら、自分が
先に攻撃を仕掛けると言う離れ業をやらなきゃいけないのが、この型の特徴だ。
「いくぞ。・・・トゥアアア!」
 ゼハーンさんは、気合をこめて木刀を打ち込んでくる。それを俺は、体を捻る事
で避ける。そして、ゼハーンさんの脇から攻撃を仕掛けた。
「違う!!」
 ゼハーンさんは、俺の攻撃をあっさり避けると、同時に俺の頭上に木刀を持って
くる。そして寸止めする。・・・すげぇ速さだ・・・。
「レイク。今のは、私が凄い速さで反撃したと思っているだろう?だが違うぞ?」
 ゼハーンさんは、説明してくれる。違うのか?俺には神速で攻撃したようにしか
見えな・・・ま、まさか、今のが『無』の型の原型!?
「気が付いたようだな。なら、もう一回構えよ!」
 ゼハーンさんは厳しい。でも、この厳しさこそ、俺が求めていた物だ。俺は木刀
をわざとダランと下げる。これこそ『無』の型の基本の構えだ。そして静かに、空
気を読む。さっきは、ただ避けようとしただけだった。それでは駄目なのだ。
「ほほう。よし・・・。」
 ゼハーンさんは、今度はニヤッと笑う。さて・・・何処から仕掛けてくるか。
「・・・フン!!」
 ゼハーンさんは、上から木刀を振るう・・・いや違う!これは、闘気を操作した
だけだ!下から突き上げてくる気配・・・。これが本物だ!
 俺は下からの突き上げを、横に躱しながら、しゃがむ。そして同時に足を払う。
それをゼハーンさんはジャンプ一番で躱す。さすがだ。相手が空なら逃げられない。
と思うのが普通だが、これは誘いだ。反撃する用意をゼハーンさんは備えている。
「これだ!旋風剣『爆牙』!!」
 俺は、間合いを取りつつ、ゼハーンさんに覚えたての『爆牙』を見舞わす。ゼハ
ーンさんは、それを木刀を回しながら防御する。そして、俺はここで、ゼハーンさ
んに向かって、歩き出した。無謀と思われるかも知れない。
 勿論ゼハーンさんは、反撃してきた。ここだ!ここで『無』の型を発揮するんだ。
最初は・・・上段斬り!そして、そこから袈裟斬り!流れるようにして胴打ち!俺
は、全て読みきって、胴打ちを木刀で弾くと同時に攻撃する。しかし、ゼハーンさ
んは、その攻撃を木刀で受け止めた。
「さっすがだなぁ・・・。」
 俺は感心してしまう。確実に入る筈の攻撃が防がれるなんて、さすがゼハーンさ
んだ。しかし反対に、ゼハーンさんが驚いていた。
「レイク・・・。お前は凄い!今、私は全力で防いだ。しかし、流れの上では、お
前が圧倒していたぞ。特に最後の3段打ちを、全て避けきるなんて『無』の型を理
解してなきゃ無理な事だ。まさか、たった1日で出来るようになるとは、思わなか
ったぞ。」
 そんな物かねぇ?俺としては、最後受け止められた事は、ちょっと力量不足かと
思ったんだけどな。
「今のは、技量でお前が私を捉えたんだ。1週間ちょいで、ここまでになるとは!」
 何だか、凄く喜ばれてるなぁ。でも良いのかな?この剣術って、一子相伝なんだ
ろ?俺がここまで使いこなせるってのは、拙くないか?
「ゼハーンさん。息子さん以外に、こんなに教えて良いのか?」
 俺は素朴な疑問を、ぶつけてみる。
「レイク。その質問に答えるには、覚悟が必要になるぞ。」
 ゼハーンさんは、いつになく厳しい表情になる。一体なんだって言うんだ?
「何の事か分からねぇけど、覚悟だったら、いつだって出来てる。」
 俺は、言い返した。言われっぱなしと言うのは、性に合わない。
「そうか。よく言った。ならば、私から一本取れ。それが質問に答える条件だ。」
 ふーん・・・ゼハーンさんから一本ねぇ・・・。ってゼハーンさんから!?マジ
かよ・・・。今まで、取れるような気配すら無かったってのに。
「そ、そこまで、隠すような事なのか?」
「私は、今ある人物から、嘘を吐かないように、厳命されていてな。だが、この質
問の答えは、私を超える人物に話そうと思っている事だ。だから試させてもらう。」
 ゼハーンさんは真面目な顔で言っていた。どうやら本当に話すためには、覚悟が
要るようだ。だが、そこまで言われると、反対に気になる。
「分かった。じゃぁ、俺がゼハーンさんから、一本取った時に、その答えを聞くよ。」
 俺は少々納得行かなかったが、話してくれないんじゃ、仕方が無いと思った。
「レイク。私は、手加減せぬぞ。」
 ゼハーンさんは燃えるような闘気を放出している。本当に、勝てる日が来るのだ
ろうか?まだまだ、ゼハーンさんは、力を隠し持ってる感じがする。
「お前が心配するのも分かる。だがお前は、まだ成長段階だ。諦めるのは早いぞ。」
 ゼハーンさんは肩を叩く。凄く優しい感じの叩き方だった。ゼハーンさんと話し
ていると、どことなく安心する。何でだろうか?
「一つ、忠告するとだ。今日やった事を忘れずに、修練する事だ。あれに不動真剣
術の極意が隠されている。」
 ゼハーンさんは『無』の型の事を言ったのだろうか?ただ、今日出来た事は、重
要な事だとは思っていた。あんなに自然に動けたのは、初めてだったからだ。
「皆様。朝食の用意が出来まして御座います。」
 家の方から、ナイアさんの声がした。確かにお腹も減ってきた。
「レイク殿。行きましょう。腹が減っては、力が出ませぬぞ。」
 シャドゥさんが促してくれた。まぁ言われてみれば、その通りだ。それにしても
シャドゥさんは嬉しそうだ。幸せなんだろうな・・・って思う。愛する者が側に居
て、尽くしてくれる。自分も愛してる者を、養って皆から祝福される。これ程、幸
せな事は、中々無いだろう。
「・・・今日は、朝食時に伝えねば、ならぬ事があるしな。」
 シャドゥさんは、恥ずかしそうに言っていた。おそらく式の事だろう。あれだけ
ジェシーさんに焚き付けられれば、気にもするだろう。
 家に入ると、豪勢なオードブルが並んでいた。パンにスープ。バイキング用の切
り分けられた野菜にヨーグルト、更には、どこにそんなヒマがあったのか、生ハム
とプチトマト、それにレタスを使って小さな果樹園のような盛り付けがしてあった。
さらに自家製の緑色野菜ソースが盛り付けられているのだから、文句など出よう筈
が無い。これを作る暇を考えると、ナイアさんの凄さが分かると言う物だ。
 その匂いに釣られてか、エイディやグリードも、とっくに起きて座っていた。そ
して、腕を振るった料理に目を白黒させていた。
「俺さぁ。時々すげぇ不安なんだよ。・・・ここ以外の料理で、満足出来るのかな?
って事がさ。他の所で食う料理が、美味しく感じられるのか不安でねぇ。」
 グリードは本気で言っているのだろう。分かる気はする。ナイアさんの料理は、
本気で美味い。勿論、ファリアの料理も不味くは無い。寧ろ美味い部類だ。だが、
ナイアさんには叶う筈が無い。それ程、この料理は超越している。見た目だけでは
無い。バランスも味付けも、完璧なのだ。ここの料理に慣れてしまうと、他の所の
料理が食べられなくなるかも知れないと思っている。しかし、勿体無いのは、シャ
ドゥさんは、根っからの辛党らしく、俺達の料理とは別に、マスタードを添えたソ
ーセージの煮物と、スパイシーチキンを和えたピザなどが並んでいる。ナイアさん
も、分かっているらしく、シャドゥさんには、必ず別の料理が用意されていた。
「皆、揃ったな。・・・では、食べる前に聞いて欲しい事がある。」
 シャドゥさんは、皆を見渡して言う。どうやら本題に入るようだ。
「皆も知っての通り、私とナイアは、晴れて恋人同士となった。寧ろ遅すぎたくら
いだと、自分でも思っている。だが、ここから攻めに転じたい。」
 シャドゥさんは、自信を持って言っていた。
「ナイアとは、昨日よーく話し合った。その結果、了承してくれたので言う。」
 シャドゥさんは、ナイアさんの方を見る。するとナイアさんは、嬉しそうな笑顔
で、シャドゥさんを見つめていた。
「・・・私とナイアは、1ヵ月後、結婚をする。式を挙げようと思う。」
 シャドゥさんは言い切った。すると、皆から拍手が上がった。
「1ヵ月後か!!すっげぇ楽しみだなぁ!!」
 グリードは、我が事のように喜ぶ。結構あれで、面倒見の良い奴だ。心から祝福
してるのだろう。いや俺だって嬉しい。
「ナイアさん。幸せにならなきゃ、ここに居る皆が、許しませんよ?」
 エイディは軽口を叩く。アイツらしい言い方だ。あれで祝福してるつもりなのだ
ろう。実際、凄く嬉しそうだった。
「皆様・・・。本当に・・・ありがとう御座います・・・。私、嬉しくて。」
 ナイアさんは、感極まって、涙ぐんでいた。それをシャドゥさんは、ハンカチを
渡して頭を撫でる。本当に、愛しそうにしていた。横を見るとファリアも、少し涙
顔になってた。本当は嬉しくて、堪らないのだろう。でもシャドゥさんを立てて、
我慢しているのだ。ファリアらしい事だ。
「私も貴方達のような人間に出会えて、本当に良かったと思っている。心より御礼
申し上げますぞ。最も第一印象は、最悪でしたな。お互いに。」
 シャドゥさんは、恥ずかしそうに頭を掻く。そりゃそうだ。最初に言われた言葉
は、ここから引き返せ!!だった気がする。
「シャドゥさんは、仕事熱心だからな。」
「エイディ様が居なかったら、そのまま引き返させていたかも知れませんな。」
 シャドゥさんは、エイディの方を見る。そう言えば、エイディのおかげだったん
だよな。エイディは、その事を言われるのが未だに慣れないらしく、バツの悪い顔
をしていた。もっと誇っても良いと、思うんだけどな。
「祖先の事は、俺は呪った事もある。厄介な血を渡してくれたってな。でも今は、
こんな絆を作ってくれた祖先に、少し感謝するぜ。」
 エイディは笑いながら答える。エイディは、祖先の事は忍術を受け継がすために、
あらゆる事をしてきたと話していた。その執着心が、好きになれないと言っていた。
そのせいだろう。余り血筋の事は言わなくなったのは・・・。しかし、ここの魔族
達と知り合えたのは、本当に良かったと思っているようだ。
「さ、朝食を戴きましょう。ナイアの新作まで、あるようですしね。」
 シャドゥさんが促すと、皆お腹が減っていたらしく、すぐに賛同した。
 ここにシャドゥさんと、ナイアさんの婚約が決まったのである。


 シャドゥさんの婚約の噂はすぐに広まり、島中を驚かす事になった。最初こそナ
イアさんは、筋違いな恨みの対象になっていたようだが、一芸に秀でている事に対
して、魔族は理解を示すらしく、ナイアさんの家事スキルが、島中に広がるのは、
時間の問題だった。とは言え、ナイアさんは魔族の中でも、戦闘能力は特に低い方
なので、明らかな侮蔑の目で見られた事もあったようだが、ジェシーさんのお墨付
きを貰って以来、そんな嫌がらせも、無くなったようだ。
 ナイアさんは他の女性魔族達から、恨まれているのを知っていたようだが、シャ
ドゥさんと一緒に居られるだけでも幸せなのだと、吹っ切れたらしく、意に介さな
くなっていた。いや、意に介そうとしない努力をしたのだろう。
 その間にシャドゥの家に住む人間達。つまり俺達の事も知られていった。人間を
すぐに認める程、魔族達は柔では無い。最初は知られてから、何度と無く、攻撃の
対象として見られたが、シャドゥさんの一瞥と実際に魔族達と揉めた時、ファリア
がブチ切れて強力な魔法を連発したのが効いたのか、その一件以来、反対に仲良く
なってしまった魔族達も居た。と言うのも、魔族は、強さを持っている者に対して
は、常に平等に接してくれる。その性格は、さっぱりして好感が持てた。俺達も、
仲良くしてくる奴等を邪険にする程、性格が悪い訳では無い。だから、すぐに仲間
が増えた。
 この島に来てから1ヶ月ほど経つが、街などで出店をやってる魔族達と挨拶する
程、仲が良くなっていた。
 そして特訓は、まだ続いていた。一日一日と強くなっていくのは実感できる。皆、
ここに来た時より、確実に成長している。俺も成長したと思う。それもゼハーンさ
んのおかげだ。ゼハーンさんとの特訓は、本当にためになる。実戦形式がほとんど
で、すぐに復習させる物だから、身に付くまでやらされる。そのおかげで、不動真
剣術の技は、ある程度マスターしてきた。・・・だが、俺はまだ、ゼハーンさんか
ら、一本を取っていない。あっちも意識しているのか、ここぞと言う時は、必ずゼ
ハーンさんの動きが上回る。本当に凄い人だと思う。まるで、巨大な壁のようだっ
た。俺が少しずつ上って行ってるのに、見渡すと、高く頂点が見えない壁のようだ
った。
 勿論、他の3人も成長している。グリードなんかは、この頃500メートル離れ
て的に命中させているのだという。動いた的なども数センチ程のずれで、真ん中に
命中すると言うのだ。こりゃ本物だと俺も思った。アイツは、昔から球技とかやら
せると、卒なくこなしていたが、まさか、こんな特技があったとは思わなかった。
そしてエイディは、全ての忍術を覚えたと言っていた。この頃は、どこでどう使え
ば、良いかの特訓に切り替えたらしく、ジェシーさんと、手合わせをしている。ジ
ェシーさんは、その時、掛かってくるエイディが、レイリーにそっくりだと、笑っ
て言っていた。やはり忘れられないのだろう。それは、1000年経っても消える事の
無い想いだったのだろう。それを笑って話すジェシーさんを、俺はどことなく悲し
く見えた。そして、ファリアも、大概の魔法は覚えたらしい。ファリアは、次の段
階に進むために、体術を覚えると言っていた。と言うのも、魔術師たる者、機敏に
どこで、何の魔法を使えば良いか判断しなくてはならないと言う事で、動き回るの
は、非常に大切な事だと言っていた。伝記に出てくるトーリスと言う大魔術師も、
体術に長けていたと言う話だ。
 ファリアは、この頃『召喚』と呼ばれる魔法に凝っているらしい。大自然に眠る
霊を呼び出して具現化するとか言っていたが、俺には、チンプンカンプンだ。何で
も、霊は自然の力を使う『魔力』と相性が良いらしく、媒体さえ具合良ければ、実
体化も可能なんだとか。良く分からないが、昔の人を呼び出したり出来るらしいか
ら、すげぇもんだと思った。だが、これはジェシーさんからも待ったが掛かるくら
いの、禁忌らしく、ジェシーさんが居ない所では、絶対にやっては駄目だと、念を
押されていた。昔、似たような例で、伝記の神魔ワイスが復活したと言う話で、軽
々しく使うと、術者を、遥かに上回る化け物が召喚されてしまうかも知れないと言
う話だ。特に、ソクトアは歴戦の強者達が眠る場所が数多くあって、この島にも浮
遊して媒体を探すだけの霊なども必ず居ると言う話なので、このソクトアを混乱さ
せたくなかったら、辞めておく事だと、重々念を押されていた。しかしそれはジェ
シーさんも、そうやって呼び出されたのだろう。魔族は『闇の骨』と呼ばれる物質
を媒体にして、魔力を大量に使って呼び出されるとファリアから聞いた事がある。
つまり、ジェシーさんが、それを止めると言うのは矛盾している事だった。だが、
ジェシーさんは、ソクトアを乱れさせたくないと言っていた。『魔王』と呼ばれる
自分には、相応しく無い言葉かも知れないけど、生活を壊したくないと言っていた。
優しいんだなって、つくづく思う。暴走をさせれば、もしかしたら、仲間なども出
て来たかも知れないのに、ファリアの身を優先させてくれるのだから、本当に優し
いんだって思う。
 それでも、ファリアは『召喚』に凝っていた。と言うのも、化け物だけでは無く、
英傑達も、このソクトアには数多く眠っている。それを『召喚』して、どうしても
問い正したい事があるのだとか。ファリアが、ああ言い出すと、俺でも止められな
い。ファリアなら、いつか成功させるだろうと俺は楽観視していた。一途だからな。
 俺が・・・俺だけが、停滞してる感がある。俺は、ここ3週間程で、成長してる
のだろうか?一本を取れと言われて、3週間も時間を無駄にしている。皆、ステッ
プアップしてるだけに、苛立つ。ゼハーンさんは苛立ちは、良くないと言った。確
かに、その通りだろう。剣に曇りがある内は、ゼハーンさんに勝てる訳が無い。そ
れに、俺がゼハーンさんに勝てない決定的な理由は、他にある。それは自分でも、
分かっている事だ。ゼハーンさんは指摘していない。気付いていないのだろうか?
いや・・・ゼハーンさんの事だ。とっくに気付いている。俺が気付いてるくらいな
のだから、間違いないだろう。
 俺は、ここ3週間でイライラが募って、物に当たる事もあった。だが、その度に
ファリアが注意して、俺を正気に戻してくれた。ファリアは、目の前にある光景は、
自分の心の憧憬だと指摘した。軋んだ机が、それを物語っていた。俺は、その言葉
を胸に仕舞って、ナイアさんに頼んで内密に机を処理してもらった。ナイアさんは、
心配そうな顔をしていた。俺が、何に怒っているのか分からないと・・・。そう。
俺は、ゼハーンさんに勝てないのが、悔しい訳じゃない。自分自身の不甲斐無さに、
腹を立てているのだ。ゼハーンさんが、俺の質問に対して、これだけきつい命題を
与えるには、理由があるのだろう。その理由を、早く知りたい。なのに、何も出来
ない自分が居る。それが、堪らなく悔しいのだ。だが、俺は諦めたくなかった。こ
れを越えなければ、俺は一生このままだろう。それじゃ駄目なのだ。・・・俺は、
決意を新たにしていた。


 目の前には、赤い絨毯。
 大地を埋め尽くす、赤い絨毯。
 零れるのは、熱い雫。
 そして、遥か遠くに見える剣を持った人。
 この光景を、何度見た事か・・・。
 怨嗟の声。
 行きたくない・・・逝きたくない・・・死にたくない!!
 声は、俺にも向かっていた。
 これは、俺の深層心理に棲む魔物であり、断罪。
 これから、逃げる事は許されないと言う、心の咎。
 例え別の人生を送っていようとも、必ずここに行き着くのだろう。
 後ろには、おっきい指を持った人。
 俺は、この指が好きだった。
 何せ、この怨嗟の声の中、絶対の味方であると確信出来るから・・・。
 何故、そう思うか?
 こんな暖かく包んでくれる人が、敵な訳が無い。
 でも、その人は、謝っていた。
 俺が気付かぬ内に、その指とは離れていった。
 味方が消えちゃう・・・。
 俺は、必死にその人に追いつこうとするが、距離は縮まらない。
 何で行っちゃうの?
 俺を置いて、何で離れていくの?
 ・・・俺が・・・嫌になったの?
 無力な俺が!何も出来ない俺が!!大切な人を犠牲にしてしまった俺が!!
 俺は、人に勝てる資格は無い。
 例え技量で勝っていても、最後には、手が鈍ってしまう。
 数々の犠牲を見てきた・・・。
 その犠牲になった人々が、俺を縛る。
 そして・・・ジェイルが、俺を見ている。
 自分を犠牲にして、俺を救ったジェイル。
 本当に、これで良かったのか?
 本当は、ジェイルは怒っているのかも知れない。
 ああ・・・。そうか・・・。
 俺が勝てないのは・・・咎のせいだ。
 自分に課してしまった、鎖のせいだ。
 この鎖は・・・まだ解けそうにも無い・・・。
 レイク・・・。レイク!!
 俺を呼んでいる声がする。そうか・・・。また、俺を救ってくれるんだな。
「・・・ちょっと、大丈夫なの?」
 もう、毎度お馴染みの声だ。俺には、もったいないくらいの声。
「ファリアか・・・。おはよう・・・。」
 俺は、起きる事にした。またあの夢か。ここ3週間では、1日置きくらいに見て
しまう。ちょっと、見過ぎかも知れない。
「また魘されてたわね。あの夢なの?」
 ファリアは、夢の内容を知っている。俺は嘘を吐いてもバレるので縦に首を振る。
「俺は、あの光景を潜在意識の内に覚えている。あれは、現実だったんだろうな。」
 俺は言い切る。じゃないと、説明が付かない。何回も見る悪夢。それで居ながら、
覚えているハッキリとした意識。そして、俺の中に眠る咎。恐らく、子供の頃の記
憶だろう。『絶望の島』に居る以前の記憶。大切な事だが、思い出したくない。こ
の矛盾が、俺を苦しめていた。
「レイク。上手く言えないけど・・・その夢には、勝たなきゃ駄目よ。」
 ファリアは手を握ってくる。柔らかいが、しっかり熱の篭った手だった。
「・・・ああ。分かってる。俺は、越えなきゃならない。」
 俺は、ファリアの期待を裏切らないためにも、こんな夢には負けてられなかった。
側に居る時は、いつも励ましてくれる。注意してくれる。ヤキモチで、怒りっぽい
けど、俺を真っ直ぐ見つめてくるファリアの気持ちに、応えたいと思った。
「ならよし!今日こそ、ゼハーンさんから一本取りなさいな!グズグズしてると、
私の方が、一本取っちゃうわよ。」
 ファリアは、笑いながら恐ろしい事を言う。ま、冗談だろうけどな。だが、ファ
リアの体術も、かなりの物になってきている。グズグズしてると、本当に越され兼
ねない。
 それにしても・・・この頃、この夢を見過ぎだと思う。最近は、酷く見る夢だ。
どうしてだろう?それには俺にも心当たりがある。しかし、この心当たりは余り当
たって欲しくない。その想像が事実だった時、俺はどう応えれば良いんだろうか?
「今日こそ、一本取らなきゃいけないな・・・。」
 俺は、ファリアに答えると同時に、自分に対しても答えた。全ては、あの人が握
っている気がした。日に日に、その想いが、確信に変わっていっている。
 だからこそ、超えなければいけない。超えなければ、答えてくれないのなら、超
えて、答えを聞かなければならない。
「その意気よ。下で待ってるわね。」
 ファリアは励ましてくれると、階段を下りていった。アイツには励まされて、怒
られてばっかだ。もっと、しっかりしなくちゃあ、ならないな。
 俺は、気を取り直して着替えを手早く済ませると、食事をするリビングへと、辿
り着く。そこでは、シャドゥさんが、新聞に目を通していた。シャドゥさんは毎朝、
新聞に目を通しているらしいが、俺が起きるのが遅いせいか、実際に目を通してい
るのを見るのは、初めてだ。
「お。レイク殿。おはようさんですな。」
 シャドゥさんは、ちょっと意外な顔をしたが、丁寧に挨拶してきた。
「おはよう御座います。シャドゥさん。今日は、朝の稽古は、しないんですか?」
 俺は、ほぼ日課になってきている稽古を促す。
「焦ってはいけない。いつもは、ゼハーン殿が起きてから始めてるのだ。レイク殿
の方が早いとは、思わなんだ。」
 シャドゥさんは答える。なる程。相手を待っていた訳か。その間に、新聞に目を
通していたらしい。隙が無いなぁ。この人も。
「おはよう御座います。レイク様。お食事は、1時間後に合わせて、お作り致しま
すので、どうぞ、稽古に行ってらっしゃいませ。」
 ナイアさんは、こっちの会話を聞いていたのか、完璧な答えを言う。ここまで、
読まれてしまうと、少し気恥ずかしい。
「よし。ならば、稽古に行くとしようか。ゼハーン殿も、すぐ来るに違いない。」
 シャドゥさんは、稽古の用意を始める。
「頑張ってらっしゃいな。」
 ファリアが、魔道書を眺めながら挨拶をする。いつもの光景だ。
「ああ。じゃぁ、行って来る。」
 俺は、木刀を掴んで外に出る。外に出ると、非常に気持ちの良い日差しが、舞い
込んできた。中々に清々しい朝だ。しかし、周りを見ると、とてつもない嵐の壁が、
この島を包んでいる。どうやら恩恵を受けているのは、島の中だけらしい。
 こういう光景を見ると、この島が『硫黄島』であり『鬼ヶ島』であり、『魔炎島』
などと呼ばれてる由縁が、分かるという物だ。
 シャドゥさんが、木刀を斜めに構えている。これは稽古をするという合図だ。俺
も、木刀を斜めに構えてシャドゥさんの木刀に刃を合わせる。こうする事によって、
稽古の開始を意味していた。途端にシャドゥさんの、恐ろしい程の気合を感じた。
さすがだ。切り替えの速さでは、ゼハーンさんでさえ、シャドゥさんには勝てない。
シャドゥさんは、幅広い知識とマスターしている剣術の数で対抗してくる。その覚
えた剣術の、どれをとっても一流で、頭の切り替えを早くしないと、対抗出来ない。
 俺やゼハーンさんは、不動真剣術しかない。前は、俺も他の剣術のマスターをし
ていたが、不動真剣術一本に絞った方が、成長が早かったので、ゼハーンさんの忠
告もあって、この頃は不動真剣術だけで闘っている。
「そりゃああああ!!」
 シャドゥさんの雄叫びが木魂する。そして、シャドゥさんは、とてつもないスピ
ードで、剣を振ってきた。しかし手だけで振ろうとしていない。これは、重要であ
る。手だけで振っていたのでは、どうしても威力が物足りないのだ。まず相手にダ
メージを与えようと言うのならば、肩を入れなければならない。その上で、相手に
木刀を振り下ろす。そうする事によって、相手にプレッシャーを与え続けるのだ。
そして、もう一つ大事なのは、足の運びだ。良く踏み込んで打たない振りなど、た
だの腑抜けた振りにしかならない。それは、防御の時も同じで、受け止めようと思
ったら、相手の木刀を良く見て、足で踏ん張らなければならない。それは、別に剣
に限った事では無いらしく、盾を持つ時も、踏ん張るべき時は、踏ん張らなければ、
すぐに飛ばされてしまうそうだ。このソクトアでは、剣術が横行してるため、盾を
持つ者は少ないように見えるが、実戦では、盾を使った戦士は非常に多かったと言
う。達人と呼ばれる者達だけが、見切りを身に付けて剣だけで、躱していたらしい
が、言われて見れば、盾を持った方が、有利なのは明らかである。小手を幅広にし
たバックラーのような軽い盾は、特に避けに使えたらしく、遺品は、多く残されて
いる。有利に進めるには、良い手段だ。
 だが、俺が目指すのは、飽くまで達人になるための剣術である。いつも盾を装備
出来る訳じゃない。その時、隠し持った剣一本で闘うためには、どうしても剣術を
極めなければならない。もっとも、不動真剣術は、見切りの極意を得意としている
剣術なので、自然と盾を使わない戦術になるのだ。
「ハッ!ハァッ!ハィィィィ!!」
 俺は、シャドゥさんの攻撃を木刀で躱しつつも、最後は弾き返して、裂帛の気合
を込めて、袈裟斬りを放った。『閃光』程では無いが、相手を吹き飛ばさんばかり
に気合を込めたので、シャドゥさんも受けながら後ずさりした。
「今のは、中々気合の入った良い斬りでしたぞ!」
 シャドゥさんは、嬉しそうに言う。そして戦法を変えたのか、やや後ろに木刀を
持っていく。これは・・・突きか!
 シャドゥさんの、この構えはガリウロルに伝わる『破砕一刀流』の構えだ。しか
し、この剣術は既に廃れている。と言うより、使いこなせる者が少な過ぎるのだ。
噂によると、剣神の赤毘車が得意としている剣術らしいが、真実かどうかは、分か
っていない。
「見様見真似ですがね。使わせてもらいますよ!」
 シャドゥさんは、ジリジリと近づいていく。凄い気合だ。突きは、中々剣で弾く
事は出来ない。となると、完全に、避け切るしかない。しかしシャドゥさんの突き
の速さは、尋常ではない。切っ先が2つ同時に見える程、早い。
 俺は、何とか避けきるが、掠めただけで頬が裂けた。恐ろしい冴えだ。
「シャドゥさん、木刀で、殺人出来そうだな・・・。」
 参った物である。ここまで早いと、神業だ。しかも、威力も申し分ない。
「人聞きが悪いですな。気合の入った突きは、それ程の威力だと言う事ですぞ。油
断してる方が悪い。」
 シャドゥさんは、警告して置いてくれた。まぁ、気合入れなきゃな。
 そしてシャドゥさんは、構えを変えた。木刀の柄を上にして、斜め下に下ろすよ
うに刃の部分を下に向ける。この独特の構えは、シャドゥさんが本気で行く時の構
えだ。腕を撓らせるように使って、木刀でリーチを補う。ボクシングで言う所の、
フリッカーを進化させた理想的な構えだ。
「シャドゥさん。とうとう、俺にその構えを出したね。」
 シャドゥさんは、この構えを、まだゼハーンさんにしか出してなかった。それを
俺に向けたと言う事は、何か意味がある筈だ。
「そろそろ、レイク殿の中に眠る可能性を、見てみたくなったのでね。」
 シャドゥさんは、意味深な事を呟く。
「どういう事ですか?」
 俺は尋ねてみる。しかし、心当たりが無い訳じゃない。
「レイク殿は本気を出していない。ただの一度も。いや、正確には、出せないので
あろうな。その本気が、そろそろ見たい。」
 シャドゥさんは、とっくに気が付いていたらしい。俺は、本気で立ち向かう事を
拒否していた。それは、人を傷つける資格が無いと思っている深層意識のせいだ。
「生半可な事で、揺り起こそうとは思っていない。だが、こうでもしないと、レイ
ク殿は、ゼハーン殿に勝てはせぬ!」
 シャドゥさんは、俺がゼハーンさんから一本取らなければならない事を知ってい
る。その手伝いのために、荒療治をしようと言うのだろう。
「シャドゥさんが、そこまで言ってくれるのなら・・・俺も応えなきゃダメだな。」
 シャドゥさんは、とうとう荒療治までしてくれるのだ。他ならぬ、俺のためだけ
にだ。その期待には、応えなければならない。
「行くぞ!レイク殿!」
 シャドゥさんは、木刀の間合いが届くか届かないかの所で、腕を鞭のように撓ら
せて攻撃してきた。正にフリッカーだ。並みの速さでは無い。これでは、懐に入る
事さえ、ままならない。
「うわっと!!」
 俺は何とか、体を捻りながら避ける。完全に間合いを把握している。さすが、シ
ャドゥさんだ。この間合いを維持している限り、負けは無いと踏んでいるのだろう。
 俺は、ある技を試す事にした。木刀で円を描くと、素早く中に五芒星を描いた。
木刀の切っ先に闘気を込めているので、その魔方陣が怪しく光りだした。
「いくぞ!シャドゥさん!不動真剣術、奥義『光砕陣(こうさいじん)』!!」
 この『光砕陣』は、手早く闘気を操って、五芒星を描いて、闘気の渦を作り出し
て相手にぶつける技だ。闘気の放出度に関しては、かなりの出力を誇っている。
 この技は、打ち出す方向が決められるので、非常に使い勝手の良い技だ。何より
も、闘気を少ししか使わずに、最高の威力で打ち出す事が出来る。五芒星を描く事
で、威力が最大限まで高まる便利な技なのだ。広範囲なのに、威力は非常に高い。
正しく奥義と呼ぶに相応しい技なのだ。伝記で出て来るジークも、使っていたとさ
れている。
「生半可な技では駄目だな。ならば・・・飛び立たせるか!」
 シャドゥさんは、そう言うと『光砕陣』を真っ向から見据える。そして、木刀を
振り上げると、弧を描くように渾身の一撃を振り下ろす。そのまま2撃目を跳ね上
げるように木刀を振る。さらに休まずに、横に撫で斬りを繰り出す。す、凄い。3
撃目を繰り出す事で『光砕陣』の威力は、打ち消されてしまった。
「これぞ、ルース流剣術、『ツバメ三段』だ!」
 シャドゥさんは、ルース流剣術まで身に付けていたのか。ルクトリアの、初代国
事総代表にして、『疾風』とも、揶揄された戦乱時代の英雄ルースが編み出した、
独自の剣術だ。何もかもが、最高レベルの技が多く、ルースの天才振りが、後世に
伝わる切っ掛けになった剣術。さすがは並では無い。シャドゥさんは懐が深い。何
でも出来る。その器用さと自分の剣術を確立する事で、伸し上がってきたのだろう。
「君の『光砕陣』。さすがだ。完全には、威力を殺し切れなかった。」
 シャドゥさんは、腕の辺りに少しだけ闘気の残光が残っていた。
「しかし、今ので活路を見出せなければ、こちらの有利は揺るがぬ!」
 シャドゥさんは、また得意の構えに変えた。このスピード、そして、反動を付け
た威力は本物だった。ボクシングなどでも、フリッカー使いを攻略するのは、至難
の業だ。シャドゥさんのリーチは、木刀のおかげで長いし、威力も申し分無い。
「私の『空洞剣(くうどうけん)』は、攻防一体の理想の形。生半可な技では崩せ
ぬぞ?この間合いに入ってきたら、何十もの斬りの形が私には見えるのだからな。」
 シャドゥさんは、構えの名前を言う。『空洞剣』か。なる程ね。間合いを作ると
言う意味では、ピッタリかも知れないな。
「ならば・・・こちらも小細工は抜きだ!!」
 俺は生半可な覚悟では『空洞剣』は切り崩せないと悟る。なので、こちらも対抗
するかのように『無』の型で、じりじりと近寄る。
「良い覚悟だ。その覚悟、見届けよう!」
 シャドゥさんは構えを崩さぬまま、間合いを詰める。確かにシャドゥさんの、あ
の構えからは、無数の斬りの形が思い描く。まさに鉄壁だ。しかし振る時は、一回
の筈だ。ならば、その早さで全ての迫り来る斬りを叩き落せば良い。そして、それ
が出来るのは、集中する『無』の型こそが、相応しいと思ったのだ。
 そして少しずつだが、シャドゥさんの間合いに入る。その瞬間だった。
 刹那に、上段から迫り来る斬り。それを右の払いで対抗するように防ぐ。続いて、
左からの伸びるような斬り。それを木刀を縦にして体で防ぐ。その瞬間、上から振
り下ろされる斬り。それを体を捻るようにして躱す。そして間髪入れずに、中段の
突き。避けきれない。ならば、渾身の力で、振り払うまで!
 俺は突きを思い切り払って跳ね返す。しかし、それを読んでたかのように2段目
の突き。今度は顔を狙ってきた。超スピードだ!ならば、こうする!
「なにぃ!?」
 シャドゥさんは困惑する。俺は、首を曲げる事で避けるのでは無く、敢えてしゃ
がんで避けた。踏み込む事で、相手のミスを誘う!しかしシャドゥさんは、すぐに
下から突き上げるような斬りを放つ。それは、俺も読んでいた!俺は、それを袈裟
斬りで跳ね返すと、木刀を後ろに引く。
「『閃光』!」
 シャドゥさんは、その動作を読んだかのように袈裟斬りの防御を行う。しかし、
俺は違う技を放っていた。この動作で繰り出すもう一つの技がある。
「ま、まさか!うおおおおお!?」
 シャドゥさんは面食らう。俺は『閃光』では無く、突き技『雷光』を放った。こ
の技も同じ構えで神速で突きを放つ。だが、俺はシャドゥさんの体に届く前で木刀
を止める。いや、無意識の内に、止まってしまう。
「・・・またか・・・。またなのか?レイク殿?」
 シャドゥさんは、呆れる。俺の詰めの甘さを嘆いているのだ。
「レイク殿は、誰よりも強くなる可能性があるのに、誰にも勝てぬぞ?」
 シャドゥさんは指摘した。俺だって分かっている。でも木刀が届く瞬間に、怨嗟
の声が聞こえるのだ。『お前は勝ってはいけない。』『俺達を見捨てた奴が栄光を
掴む事は無い。』と・・・。その声が聞こえる度に、最後は、鈍ってしまう。
「シャドゥ殿の言う通りだ。レイク。お前は、優し過ぎる。それは、時にお前を、
破滅に導く事になる。それでは駄目だ。」
 後ろから声が聞こえた。どうやら、ゼハーンさんも起きて、こちらを見ていたよ
うだ。ゼハーンさんは、俺の弱点など、当に見抜いている。
「レイク。ジェシー殿の館に着いたら、私の所に来るのだ。」
 ゼハーンさんは、いつに無く厳しい目付きをしていた。
「・・・構いませんな?シャドゥ殿。」
「ゼハーン殿が、望むのなら仕方あるまい。・・・見届けさせてもらうぞ。」
 ゼハーンさんの意図を、シャドゥさんは汲み取ったようだ。しかし、俺には何の
事か、さっぱり分からない。しかし深刻そうだと言う事は、伝わる。
「レイク。お前の呪縛を、必ず解いてやる。」
 ゼハーンさんは、覚悟を決めたようだ。俺の呪縛の事を、何故ゼハーンさんは、
知っているのだろうか?俺にしか聞こえない筈の声を、ゼハーンさんは知っている
と言うのだろうか?分からない・・・。
「俺は・・・勝てるように、なれるのか?」
 自分の手を見つめる。強くなったという実感はある。だが、このままでは、誰に
も勝てなくなると言うのも、事実だった。
「お前の悩みの答えを・・・示してやろう。」
 ゼハーンさんは、全ての答えを示すつもりなのだと言う。
 果たして・・・俺は何処に向かうのだろうか?まだ答えは示されていなかった。



ソクトア黒の章1巻の7後半へ

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