3、闘祭  誇りを持って、この仕事に殉ずる。  全ての偉業は、この地の平和のために捧げる。  例えそれが、自らの望まざる結果だとしても・・・。  平和のために、全力を傾けた事自体は消えない。  揺るぎ無い決意を持ってすれば、耐えられるはずだ。  そこに裏切りが、待っていようとも・・・。  しかし私の道は、そこで閉ざされた。  仲間からの、不意打ちによって・・・。  しかし運命を呪う事は無い。  やってきた結果が、これならば・・・。  この結果を、甘んじて受けよう。  ・・・本当に?  本当に納得出来るのか?否!!納得出来よう筈も無い!!  私の道は、邪悪なる意思で閉ざされたのだ。  あらゆる邪悪に、対抗出来ると信じていたのに、お笑い種だ。  気が付けば、全く知らない世界に降り立っていた。  いや、そこは、勝手知る土地。  だが中身は、全くの別物になっていた。  尽力してきた私の誇りが、穢されていく・・・。  支配と欺瞞が立ち込める、この地が理想の果てなのか?  冗談では無い!冗談では無いぞ!!  だが、この身は、既に魂。  やれる事は、たかが知れている。  ならば・・・私に見合う人間を探さなくては、いけない。  このまま滅びを待つ、私では無い。  まずは探さなくてはならない。・・・いや、必ず見つけ出そう。  かつて誇りを持って守っていた平和を、取り戻さなくては・・・。  ・・・そんな意思が、流れ込んできた。  どうやら俺は夢を見たらしい。この頃では珍しい事だ。何故なら、この頃は、寝 てる間すら、修練を積んでいるからだ。夢を見る前に朝になるパターンの方が多い。  天上神とやらの修練は、それはそれは凄い物だった。おかげ様で俺は、闘気を形 にする事に成功した。魂で得た力は、肉体に戻っても使えるようで、試しに闘気の 塊をぶつけてみたら、壁に大穴が開いたのには、びっくりした。その時は、拳で開 けてしまったと話して恵に謝った。恵は呆れながらも、業者を呼んで直してくれる のだから、有難い限りだ。  天上神の修練とやらが始まって1ヶ月ほど経つ。学園生活の方も、充実していて、 部活にも精を出しつつ、勉強の方もそれなりに励んでいる。時々ゼーダが、意識に 介入してくるくらいで、他は極めて順調だった。とは言え、俺と恵は、学園では、 目立つ方なので、何かと話題にされる。まぁ、それでも皆も慣れて来たのか、今じ ゃ、すっかりクラスに溶け込んでいる。人見知りするような、俺でも無いしな。  一番仲が良いのは、何と言っても俊男だ。アイツは本当に良い奴だ。パーズ拳法 の達人だけあって、運動神経も良いので、俺と話が合いやすい。それに、結構マメ な奴なので、俺が忘れ物をした時など、フォローしてくれる事もある。とは言え、 真面目なせいか、説教する癖がある。その辺は、少し勘弁してもらいたい。でも、 こっちが悪い時しか、説教しないんだから自業自得か。  部活では、江里香先輩に手解きを受けている、と言うより、俺が、江里香先輩と 手合わせする事が多い。何せ実力は、俺と江里香先輩が、抜きん出ている。女性だ からと、甘く見ると、すぐに一本取られるくらい、江里香先輩は強い。勿論、俺だ け優遇と言う訳には行かないので他の部員とも、手合わせをする。気絶しないよう にだが。それでも部員のリクエストもあって、最後は、修練の締めくくりに、俺と 江里香先輩の本気の組手を行う。何でも、それを見るだけでも、参考になるんだと か。恵は、江里香先輩目当てに入った部員が多いと言うが、意外に、そうでもない。 真面目に組手を考える者や、部活が終わっても、修練で残りたいと言う者も、結構 居る。俺は、天神の家の門限が超えない程度に付き合っている。おかげで、部員と も、結構仲良くなったりする。  そんなこんなで、結構順調な学園生活を送っている。まぁ最も、慣れたのは、こ こ最近の事で、最初に魂の修練をやりつつ学園生活を始めた時は、精神的に、相当 疲れていたのではあるが・・・。  この頃は、慣れてきたとは言え、寝てる間を、ほとんど修練に費やすため、夢を 見る事は、少ない。だが、夢を見たと言う事は、相当に疲れていたのか?だが、そ んな感じも無い。そう言えば、昨日はゼーダも、キリの良い所で終わりにしていた 気がする。それでか。  ・・・それにしても、今日の夢は随分と身に覚えが無い。守る事に関して、随分 と誇りを持っている感じがする夢だった。裏切られた事への、ショックのでかさと、 信念のために諦めない姿勢は、ある意味、評価出来た。  おっと・・・。分析する暇は無いな。そろそろ学園に行く用意をしなくちゃなら ない。俺は、ベッドから起きて伸びをする。 「ふぁあ〜あ。」  俺は、あくびをする。修練した後の疲れと、寝た後の体の調子が良い気分が、同 時に味わえるのは、俺くらいのものだろう。程良く疲れて、気持ちの良い朝だ。 「おはよう御座います。瞬さん。」 「おはよう。葉月さん。」  隣に、葉月さんが居た。着替えを持ってきてくれていた。有難い限りである。俺 の世話をしてくれているので、朝、起こしに来るのも、葉月さんだ。起こされる事 が多いが、今日は、夢を見て、すぐに起きれたせいか、起こす前に起きれたようだ。 「今日は、寝覚めが良いみたいですね。良かった。」  葉月さんはニッコリ笑う。相変わらず優しい人だ。ちなみに葉月さんは、俺の事 を『瞬さん』と呼んでくれる。と言うのも、俺が『瞬様』と呼ばれるのは、どうに も、しっくり来ないので、こっちから『瞬様』なんて呼ぶのは止める様に頼んだの だ。だが、呼び捨てにするのは、持っての外らしいので、『瞬さん』に、落ち着い たらしい。まぁ、睦月さんは相変わらず『瞬様』と呼んでいる。あっちは、使用人 として当然と言った感じで、直す気は無いそうだ。まぁしょうがないかな。 「では、瞬さん。下で待ってますね。」  葉月さんは、暗黙の了解の如く、一礼して去っていった。着替えは、さすがに自 分でやるからだ。着替えさせてもらうなんて、恥ずかしくて出来ないが、恵は、当 たり前のように手伝ってもらっているらしい。染み付いてるなぁ・・・。  俺は、学生服に着替える。爽天学園の制服は、シンプルで、着易いのが特徴だ。 時間も掛からないので、俺としては、有難い。  手早く着替えると、俺は、昨日やった魂の修練の確認と、天神流空手の型をこな す事で、精神を集中させていく。昨日は蹴る時に、闘気を乗せて蹴り上げる修練を した。それを思い出しつつ、基本の中段蹴り、下段蹴り、上段蹴りに、闘気を乗せ ていく・・・。  うん。良い感じだ。応用も利くし、何より俺向きだ。一昨日やった魔力の鍛錬は、 どうにも、俺向きじゃ無くてな。とは言え、俺の中に魔力の才能があると分かった だけでも良いか。昨日の日中に、『魔法体現書』と言うのを、是非買えと、ゼーダ から言われたので、買ってみた。しかも、かなり怪しい店でだ。ゼーダが言うには、 現代は、魔法は化学のせいで、迫害されているのだと言う。魔法使いと言うだけで、 眉唾物の世の中なので、怪しい店でしか、売っていないのだという。まぁ、その辺 の店に、ゴロゴロ置いてあるのも問題だと思うがね・・・。  詠唱や、印の詳しいやり方が載っていたが、初心者中の初心者の俺には、チンプ ンカンプンだった。ゼーダは、頭をスッキリさせるために昨日は、闘気の操り方を 中心の修練に変えたのだった。だが、今日の夜は、魔法の鍛錬の方をやるだろう。 「先行き不安だなぁ・・・。っと、そろそろ下に降りなきゃな。」  俺は、一通りの型の確認を終えると、ダイニングに向かう。相変わらず、大きな テーブルだ。俺は、未だに食事のマナーと言うのが慣れない。それでも、当時に比 べたら、上達した方だとは思うんだけどね。 「兄様。おはよう御座います。」 「おはよう。恵。」  軽く挨拶する。やっぱ一日の始まりは、挨拶からじゃないとな。決まりきった挨 拶だけど、しないよりは、した方が断然気分も違う。 「今日は、お早いですね。いつもそうだと助かります。」  うぐ。恵の奴、容赦無いなぁ。まぁいつも遅れるのは、俺の方だからな。文句は 言えない。今日くらいなら、恵はお小言も言ってこない。まぁ今みたいに、釘は刺 されるがね・・・。それくらいは、我慢する。 「夢を見てな。妙な夢だったんで、目が覚めたんだ。」  俺は、正直に言う。まぁ隠し事なんてしても、しょうがない。 「夢ですか?珍しいですね。兄様から夢の話なんて、余り聞いた事がありませんね。」  そりゃそうだ。夢自体、余り見ないのだ。話すも話さないも無い。  俺は、妙に貫禄掛かった、今朝の夢の内容を話す。 「へぇ・・・。何だか、随分とロマンチックな夢ですね。」  恵は、興味があるみたいだ。まぁ珍しい夢だからな。守るだの守らないだのと言 う話だし。何だか、物語の一部のような夢だったな。 「俺には、身に覚えが無いんだけどなぁ。」 「夢にも、種類があるんじゃないですか?私は、余り見ないのですけどね。」  恵は面白い事を言う。確かに種類って言うのは、あるのかもしれない。夢には覚 えている夢と、覚えの無い夢があると聞く。覚えのある夢は、主に自己の記憶から 呼び覚まされて、夢と言う形で現れると聞く。しかしこれは、総じて悪夢が多く、 良い思い出を、夢で見ると言うのは、余り無い様だ。反対に覚えて居ない夢と言う のは、良い夢だった時が多いと言う。これは、良い夢だったと言う自己の認識によ り、強烈な記憶に残さなくても、良い内容だと判断されるためだと言う。  しかし、今日俺が見た夢は、どうにも違う。誰かの記憶を、垣間見たような感じ の夢だった。俺以外の誰かの意識が、流れきたような感じもした。無論、願望を含 んだ夢を見る時もある。しかし、そう言う夢は、総じて虚ろな景色である事が多い。 今日見た夢は、恐ろしく現実的であった。  最も俺には、既に誰の記憶が流れ込んだか、予想が付いていた。  今朝の夢は、ゼーダの記憶に間違い無いだろう。 (・・・。ま、嘘を吐いても仕方ない。君の予想通りだ。)  今日、話した夢の内容を聞いていたか。 (神の記憶を、簡単に話してしまう君の感性を疑う。)  そっちばっか俺の記憶を見てるんじゃ、不公平だからな。 (全く・・・。まぁ、私の記憶が見えてしまったのなら、仕方が無い。)  しかし、俺の体を使って、今のソクトアに革命でも起こすつもりなのか?アンタ。 (本当は、そのつもりでいた。今のソクトアは腐りきっている。人々は、自然の恩 恵を忘れ、化学に頼っている。神や魔族の存在すらも、信じぬ愚か者の集団だ。私 としては、不満この上ない事だ。)  まぁ、アンタの言いたい事も分からないでも無いけどさ。全部が全部悪いって決 め付けるのは、どうかと思うぜ。 (・・・君は幸せだな。まぁ良い。君が、私を必要とするまでは、君を鍛える事に 専念するさ。)  ・・・引っ掛かる言い方だけど、気にしても仕方無いか。  そうしている内に食事を取り終えた。今日も、いつものように登校だ。近頃は、 恵の取り巻きも、随分と減ってきている。それでも、かなりの数だが・・・。俺は、 いつも、俊男と擦れ違って一緒に登校する。アイツとは、気が合うんだよな。 「いってらっしゃいませ。」  いつものように、葉月さんが俺と恵を送り出す。睦月さんは、恵の代わりに応対 などの全てをこなしているらしく、とても、送り出しまでは出来ないらしい。忙し いよな。あの人・・・。 「兄様。今日は、部活動対抗戦の日ですね。」  恵が話し掛けてきた。ああ。そうだ。何でも、爽天学園では1学期に1度、部活 動を、競わせると言う事をやっている。何でも、モチベーションを上げるのが目的 で、学生に目的を持たせるのが狙いなのだとか。勉学系はクイズ方式で、スポーツ 系は、団体力を見ると言う事で騎馬戦、芸術系は、作品展示会を開く。内の校長も この日を楽しみにしてるんだとか。で、我が空手部は、格闘技系なので、何と異種 格闘技戦を行う事になっている。それぞれ代表を決めて、トーナメントを行うのだ とか。物好きったらありゃしない企画だ。生徒会は、進行及び審判をやる事になっ ている。忙しい事、この上無い。 「恵は、生徒会だよな。大変だろ?進行。」 「あれ?兄様聞いてなかったのかしら?今年は、生徒会からも代表選手が出ますの よ。勉学系に1人と、格闘技系に1人。」  ・・・まぁ代表以外が、進行すれば良いのだが・・・。生徒会まで参加するなん て、如何にも爽天学園らしいや。しかし・・・気になるな・・・。 「格闘技系って、まさか・・・。」 「兄様の想像通りの人が出ますわ。江里香先輩に、お手柔らかにとでも、伝えて下 さい。今年は、男子の部と女子の部で、分かれてますので。」  ・・・聞くまでも無かったか・・・。やっぱり恵が出るんだな。どっちを応援し て良い物やら。男子と女子に分かれてなかったら、やり辛い事、この上無かったな。 「勉学系には、生徒会長の早乙女(さおとめ) 元就(もとなり)先輩が、出場す る予定です。あの人なら、優勝も取れるんじゃないですか?」  うーーん。爽天の元帥なんて渾名が付いてる生徒会長の、早乙女先輩が出るのか。 こりゃ勉学系は、不満タラタラだろうな。 「で?空手部は、勿論、兄様ですよね?」 「本来なら断わるべきなんだろうけど・・・。先輩達まで、俺が出るべきだと言う 物だからな。先輩達の分まで、頑張るつもりさ。」  一年の俺が選ばれると言うのもなぁ。でも俊男も代表だって言うし、恵も文句無 しで選ばれたらしいし。そう言う物なのかも知れないな。ちなみに、さっきも話に 出た通り、空手部の女子代表は、言われるまでもなく江里香先輩である。 「兄様?天神家なら、勿論、優勝ですよね?」  う・・・。恵の奴、プレッシャー掛けてくるなぁ。まぁ出るからには、優勝した いとは思っているけどなぁ。何せ爽天学園だ。どんな凄い人が出て来るか、分から ない。その中で、俺の空手が何処まで通用するのか・・・。 「やるからには、目指すよ。」 「なら問題ありませんわ。葉月達には、祝賀会の準備をするように言ってあります しね。私と、兄様のですよ?」  うわ・・・。負ける可能性なんて考えて無い所が、恵らしいな。それくらい強気 の方が、良いのかも知れないけどな。 (君の実力なら、優勝するであろう?気にする事は無い。)  ゼーダまで、そんな事を言うのか。まぁアンタとの組手を思い出しながらやるさ。 (なら優勝しないと、私が許さん。)  わーかったよ。なら集中するよ。 「ま、いつもの鍛錬の成果を見せるさ。」  恵は、その言葉に満足げだった。すると、後ろから俊男が来る。 「瞬君!おはよう!恵さんも、おはよう御座います!」  相変わらず、元気が良いなぁ。この元気さは、見習うべきかな。 「おはようさん。俊男。」 「おはよう御座いますね。俊男さん。」  俺と恵は、交互に挨拶する。もう慣れて来ている証拠だ。それに、俊男は何かに つけ爽やかなので、挨拶し易いのだ。 「瞬君!今日は、あの時の借りを、返させてもらうよ!」  ああ。空手大会の時のか。 「そう簡単には返させないぜ。ま、決勝で会えると良いな。」  俺と俊男なら、決勝まで残る可能性は高いだろうな。俊男も、あれから凄い練習 しているみたいだし、要警戒だな。 「兄様と俊男さんなら、不可能では、ありませんね。」  恵も、話を合わせてくる。 「ああ。でも気を付けなきゃいけないよ。噂に聞いたんだけど、プロレス部の伊能 (いのう)先輩は、サウザンド伊能の息子だからね。相当、鍛えこまれているって 話だよ。タフさでは、爽天学園一かも知れない。」  そんな人まで居るのか。この学園は・・・。サウザンド伊能と言うのは、プロレ スファンの中では、生ける伝説などと言われている凄いプロレスラーで、客の心を 捉えて離さないと言う話だ。 「あと、柔術部からは特待生のレオナルド=ヒート先輩が出るって話。ヒート先輩 は、デルルツィアン柔術のエリート生だからね。油断出来ない。」  デルルツィアン柔術か。確かデルルツィアに旅行したガリウロル人が広めたって 言う、完成度の高い柔術だったな。その中でも、ヒート一族と呼ばれる新派は有名 で、一族揃って、柔術の達人だと言う話だ。この学園に、特待生が居るのは知って たけど、ヒート一族まで出てるなんてな。 「忘れちゃいけないのが、柔道ガリウロル代表の紅(くれない) 道雄(みちお) の弟の紅 修羅(しゅら)先輩だね。紅兄弟と言えば、柔道の鬼とまで、言われる 程、有名だからなぁ。」  聞いた事があるな。紅一族は、元『羅刹』と呼ばれる盗賊団の一味だったが、心 を入れ替えて強さを追い求めるようになったのだとか。柔術を生み出したのも紅一 族だって事らしい。その一族が最近柔道を開祖して、今では国際スポーツとして成 り上がったと言うわけだ。柔道部は、その紅先輩が出るのか。 「結構優勝候補が居るんですね。でも、兄様なら優勝しますよね?」  うう・・・。大丈夫か?俺。 「恵さん。僕も出場するんだから、簡単に優勝なんていわないでくださいよ。」  俊男は苦い顔をする。まぁ恵も強気を隠すなんて事しないからなぁ。 「ご安心してください。兄様の次に応援してあげますわ。」  ああ。あくまで次なのね。 「よーし!やる気出てきた!瞬君。決勝で会おう!!」  次扱いでも満足の俊男がここにいると・・・。相変わらず熱血してるなぁ。あれ くらい気持ち良い顔されるとこっちまで嬉しくなってくるな。 「やる気では俊男さんの方が上ですわね。」  恵は俺のほうを向いて、兄様もやる気充分ですわよね?と言うような笑顔を見せ る。そんな期待されると頑張らないわけにも行かないなぁ。 「そう言う恵こそ気をつけろよ。爽天は男子女子関係なく優勝候補が多いんだから さ。江里香先輩と恵が決勝でって言うのが理想だけど・・・。」  俺は偽らざる気持ちを言う。やはり妹と部活の主将である先輩には決勝まで残っ て欲しい。しかし無理な事とは思えない。恵とは天神家で、先輩とは部活で手合わ せしているが、どちらも気を抜くと一本取られるほど強い。 「江里香先輩と本気で手合わせって言うのも面白いですわ。」  恵は本気でそう思っているんだろう。鋭い目付きがそれを物語っている。そうい えば江里香先輩も同じようなことを言っていた。なんとも恐ろしい女性達だ。  江里香先輩はバリバリのストライカーだ。細い体ながら力の入れ所に全く隙が無 い。それに加えて非力をカバーするために狙いどころを絞って攻撃する強さがある。 いくらタフな相手でも急所を何回も打たれては悶絶すると言う物だ。それに攻撃の 速さ、鋭さは俺より上だ。俺は江里香先輩の攻撃を見切って先読みでカバーしてい るが、そんな芸当が出来る奴は俺くらいしか居ないのだとか。  恵は引き込まれるような強さがある。基本的に合気道は受けの格闘技である。相 手の技に対して気を合わせて打つ技が多い。相手の攻撃力を活かさず殺さずそのま ま相手に返すと言った高度テクニックが要求されるが、恵は難なく使いこなしてい る。それに打撃だけではなく関節技なども幅広く使いこなせると言う長所がある。 実際に俺は、関節技の対策を恵や藤堂姉妹に実戦形式でこなしたりしている。天神 流空手にも関節技は存在するが、あくまで関節技を知って相手に対して優位を与え ないための布石でしかない。主として用いるのは打撃である。 「ま、私と江里香先輩がぶつかった時は、私を応援してくださいますよね?」  恵は物凄い笑顔でこちらを見る。あれは笑っているが心の中では笑って居ない。 我が妹ながら恐ろしい笑顔をするものだ。 「正直迷っちまうなぁ・・・。あ、いや・・・。」  俺は正直なことを言うと、恵が細めで睨んできた。うう。おっかない。 「兄様。そう言う時は、この場だけでも良いから私を応援してくれると言ってくれ れば良いんです。融通利かないのですねぇ。」  恵は呆れてため息をつく。うーーむ。どうやら機嫌を損ねた様だ。 「兄様は正直すぎます。心配になってしまいますわ。」 「恵は俺を応援してくれるって言うんだから応援するよ。互いに優勝目指そうぜ。」  俺は恵が純粋に俺を一番応援してくれるって言う事実は嬉しかったので、恵も応 援すると約束した。 「その言葉を信じますわ。祝賀会を台無しにしないよう頑張りますわ。」  さすが恵だ。負けるなんて微塵も思っていない。その辺、当然のように言い切る のが恵の凄い所だ。  こりゃ今日はどうなることか・・・。心配で仕方なくなってきた。  今日は皆、テンションが高かった。授業中ですら、今日の優勝者のトトカルチョ の話で盛り上がったりしてるのだから、キリが無い。学生の本分は勉強だぞー。な どと思いつつも、俺も興味は、トトカルチョの方にあったりするのだが。  何せ内のクラスからは、俺と俊男が出場するんだ。話題に上がらない訳が無い。 しかも隣のクラスも、恵が格闘技で出ると言う事で、凄まじい話題になっている。 お嬢様が、いきなり格闘技じゃあね。そりゃ驚くよなー。  何でも、このイベントのために、今日の授業は2時間しか無いってんだから、徹 底してる。って言うか大丈夫なのか?この学園・・・。  で、問題のトトカルチョのオッズを見ると、格闘技の部の男子の一位は、俺だっ たりする。マジか・・・。空手大会優勝の肩書きは、この学園にも知れ渡っていて、 その効果たるやオッズに現れていると言っても、過言では無いだろう。何せ男子の 三位に、俊男が居る辺り、効果絶大だ。二位は、柔道の紅 修羅先輩だ。と言うの も、修羅先輩は、去年の部活対抗戦では、負け無しだったらしく、本来なら、一位 なのだとか。修羅先輩を倒すのが、今までの部活対抗戦の意義だったらしい。それ が、引っ繰り返ってるんだから、俺の責任は、重大だよなぁ・・・。  で、格闘技女子の部は一位が一条 江里香・・・。ああ。やっぱり江里香先輩か。 江里香先輩も負け無しだったらしく、今大会でも、優勝候補筆頭だ。実績があるん だし、当然だろうな。で、恵は四位らしい。まだ実力が未知数だからだろう。いく ら完璧にこなすお嬢様とは言え、格闘技の部門で、優勝を飾れる程、強くは無いと 言うのが、大方の予想なのだろうが、俺は甘いと思った。恐らく遊びで出てるのだ ろうと思われがちだが、恵は本気だ。しかも、自分の弱点を克服するための合気道 だ。誇りもあるだろうし、強さも申し分ない。まぁ、初めて出る訳だし、この評価 も当然か。寧ろ、俺の期待が大き過ぎる。いくら何でも、ポッと出の一年が、一位 だなんて、ちょっとおかしいんじゃないだろうか?  ちなみに勉学系の一位は、言われるまでもなく生徒会長なのだとか。まぁねぇ。 伊達に、オールパーフェクトな答案を出してる訳じゃあ無いよな。どのジャンルで も、任せたまえ等と言っているらしく、恵曰く、頭脳に関して、右に出る者は居な いのだとか。今の時点で、ガリウロル国立アズマ大学への進学が可能だとか言われ ている程の人物だ。飛び級しても良かったらしいのだが、本人が、学生時代を満喫 したいと言う理由で、しなかったと言うくらい、非の打ち所が無いのだ。頭脳で早 乙女生徒会長に勝てそうな候補は、恵だけなんだとか。・・・今更ながら恐ろしい 妹だ。格闘技系じゃなくて、勉学系にエントリーしていれば、女子一番の候補だと 言われても支障が無いのだとか。  まぁそんな訳で俺は、選手控え室に居る。何でも、勉学系が一番最初で、次に芸 術系、そしてスポーツ系・・・んで最後に、格闘技系らしい。何でも格闘技系は、 市内にある武道館を貸切で借りて、そこで行うと言うのだから、驚きである。最も 爽天学園からは、歩いて10分程の所にあるので、地元なのだが。  勉学系は、そつなく生徒会長が、ぶっちぎりのトップで優勝を攫ったらしい。こ こまで予想通りだと、気持ちが良いくらいだったのだとか。芸術系は、美術部とブ ラスバンド部の一騎打ちだったらしい。辛くも美術部には、漫画家志望の凄い奴が 居たらしく、美術部が優勝したらしい。スポーツ系は、全ソクトアでも類を見ない 程強いと言われる、バスケットボール部が個性的ながら、凄いチームワークで騎馬 を薙ぎ倒して、騎馬戦の優勝をもぎ取ったという事だった。ちなみに陸上競技や水 泳競技などは、記録会を兼ねての、競争と言う事になっている。個人意識が強いか らだろう。  まぁ、ある程度、華やかながらも、何か盛り上がりに欠けていた。いつも一番盛 り上がるのは、この格闘技系なのだと言う。この頃は、生徒の目も肥えてきて、誰 が動きが良いとか、解説者さながらの奴まで居るらしい。下手な事は出来ないな。  それにしても、俺が優勝候補筆頭って言うのは、間違いじゃないらしいな。さっ きから、痛い程、視線が刺さる。そんなにマークしてくれなくても良いのに・・・。 「瞬君!調子は、どう?」  緊張してる所に、俊男が来た。 「おー。俊男。いやぁ、俺には、凄いマーク付いてるんだなーって実感した所だよ。」  俺は、ゲンナリした顔で答える。 「それだけ君は、強いと認められてるって事じゃあないか!良い事だよ。」  相変わらず、前向きな奴だ。だが、明るい声が、今の俺には嬉しいかな。 「でも、君と当たったら、手加減しないよ。」 「良い事を言うな。俺だって、そのつもりだ。」  俺は、負けじと言い返す。不思議だ。俊男と話していると、緊張が解れてくる。 もしかして、そう言うつもりで声を掛けてきたのか? 「おう!中々元気あるじゃないか!一年坊!」  上から声がした。うわ。でかい!俺だって身長は、180超えているって言うの に。この人、2メートル以上あるぞ。それに白い歯を輝かせながら、真っ白い覆面 をしている。何とも、清々しいながらも謎な人だ。 「あ。伊能先輩!」  ああ。この人が、例のプロレスラーの息子か。俊男は顔も知ってたのか。 「おう。パーズ拳法の坊主だな。おめぇの所の主将は、どうしたんだよ?」  伊能先輩は、俊男の主将とも知り合いらしい。 「主将は、僕の実力が見たいと言う事で、今回辞退するそうです。」 「あ。そうだったのか?俺も知らなかったぞ。」  俊男が出ると言う事は、主将を押しのけてって事かと思ったけど、そう言う訳で も無いらしい。 「なる程なぁ。まぁ線の細いアイツらしい言い訳だな。まぁ良いさ。ワシと当たっ たら、放り投げてやるぞー。ん?」  伊能先輩は、冗談とも本気とも受け取れない事を言う。 「僕だって、簡単に投げられたりはしませんよー。」  俊男は笑いながら、受け答え返す。アイツって、何気に大物だよな。 「ハッハッハ!男はそれくらいの元気があってナンボだ。良い事だ!」  伊能先輩は、心底嬉しいらしく、腹の底から笑っている。何だか、気持ちの良い 先輩だな。親父さんが大人物だってのも、分かる気がする。 「ところで、俊男を負かせたってのが、お前か?」  伊能先輩は、俺の方を見る。 「俊男とは良い試合が出来ました。勝てたのも、ほんの少しの差ですよ。」  俺は、偽らざる気持ちで言った。俊男は、本当に強かった。準決勝と決勝は、俺 も負けを覚悟した。勝てたのは、いつもの修練のおかげに他ならない。 「ほう。中々殊勝な事を言うのぉ。空手大会優勝とやらの実力、タップリ見せてく れよ?楽しみにしてるんだからのぉ。」  伊能先輩は、ニカッと笑って、俺に拳を突き出す。 「先輩のプロレスも楽しみです。俺、プロレスラーの鍛え方には注目してますしね。」  俺も伊能先輩に倣って、拳を突き出すようにして合わせる。 「当たったら、タップリ見せられるぞ。それにしてもお前の拳は固いのぉ。こりゃ 楽しみだ。ワシも遠慮せんぞ。」  伊能先輩は、そう言うと、ガッハッハ!と笑いながら、抽選会場へと赴く。そろ そろ、組み合わせを決める抽選の時間だ。うちの格闘系の部活は、12個ある。そ の内、柔道、プロレス、柔術、ボクシングは、シードと言う事だ。と言うのも、前 大会のベスト4が、その4つだったという事だかららしい。ボクシング部代表で、 ボクシング部主将の森(もり) 拳斗(けんと)は、ボクシングのミドル級の学生 チャンピオンだ。なる程。頷ける話だ。  と、その前に弓道部の流鏑馬が始まった。弓道部だけは、どうしても他の類と一 緒に出来ないと言う事で。色々な技を披露してくれる事になっている。しかし、上 手い物だ。ああ言う風に遠くから射抜くと言うのは、俺には、どうも出来そうに無 い。馬の上からなんて、良くやるぜ。 (昔の合戦では、良く見られた姿だったがな。)  そりゃ戦乱が続いてた頃は、そうだろうさ。今は、中々正確に当てられる奴は居 ないぜ?あれって、平常心と動体視力と求道心が無いと、出来ない物なんだろ? (ふむ。今では、見世物の一つだがな。昔は、ああ言う鍛錬をする事で、己を高め る意味でも使っていた。それにしても的にやっと当ててる程度では、まだまだだな。)  アンタは相変わらず、手厳しいな。俺から見たら、的に当てられるだけマシだぜ。 (ほう。ならば、今度は、闘気を正確に当てる練習をしなくてはならんな。)  ぐっ・・・。やぶ蛇だったか。まぁ良いさ。俺だって、やるときゃやるさ。 (その通りだ。まずは校内の大会を闘気抜きで勝ち抜くと良い。これも修行だ。)  元より、そのつもりだよ。まぁある程度、気合は入れるけど、闘気を外面化する つもりは、ねぇよ。そんな事したら、学園に居られなくなるしな。 (私は、しばらく見学させてもらうぞ。)  そうしてくれ。闘いの最中に、気が鈍るのも困るしな。 (いつも一言多いな。全く。今日の祝賀会とやらを、私にも味わわせるためにも、 勝ち抜くと良い。)  アンタも、意外と人生楽しむタイプなんだな。ま、期待してなって。 (ところで妹君の応援に、行かなくて良いのかね?)  あ。そうだな。抽選会終わったら、すぐに行くさ。女子の部は、男子の部のすぐ 前だから、もう女子の部の抽選会は、終えてる頃だろうしな。ま、初っ端に江里香 先輩とでも当たらない限り、恵は負けないさ。 (心配性かと思ったら、意外と、信頼しているのだな。)  ま、兄貴としては複雑だけどな。毎日手合わせしてれば、早々負けないってのも 分かるさ。・・・しかし広い武道館だ。貸切って言っても、確か1階席だけで、2 階席は、一般席って事で開放してるんだよな。結構集まってるなぁ。 (良い事ではないか。君の力を、見極めてもらうと良い。)  何だか緊張するなぁ。ま、空手大会の時程じゃないか。あの時は、一回戦を勝ち 抜いて、ようやく落ち着いたんだよなぁ。 (ほう。その割には、相手の事を、見切っていたらしいでは無いか。)  あれはな。実を言うと、もっと早く避ける予定が狂って、あんな風になっちまっ たんだよ。まぁ途中から落ち着いてきたんで、本当に紙一重で避ける練習をしてた んだけどな。最初は焦ったぜぇー。 (君は凄いんだか、間抜けなのか分からぬ時があるな。)  うっさいなぁ。何事も、最初ってのは肝心なんだよ。 (ま、その意見には肯定しておこうか。っと、呼ばれたぞ。)  ゼーダの言う通り、館内放送で男子の部の抽選が始まる。控え室の集合場所に全 員が集められた。出場選手が、ずらっと並んだ。こう並ぶと、かなり壮観だな。 「これより、トーナメントの場所を決定する。各々覚悟は、宜しいか!!」  体育教師が声を掛けると、皆が『おう!!』と返事をする。 「よし!では名字順で、クジを引いてもらう!最初は空手部!天神 瞬!!」  って、俺か。まぁ、最初になるのは慣れてるからな。 「押忍!お願いします!」  俺は一礼すると、クジを適当に引く。むー。まぁ最初だし何処でも良いや。 「ふむ。天神 瞬!第2試合5番!」  ええと・・・。それぞれ3番、6番、9番、12番がシードで1番と2番が、第 1試合になってる訳か。って事は、5番は第2試合だな。 「次!プロレス部!伊能 巌慈(がんじ)!」 「おう!」  お。伊能先輩だ。伊能先輩は、シード用のクジをガサガサと、掻き回す。 「ふむ。伊能 巌慈!シード6番!!」 「おおお!!!」  控え室に、どよめきが起こる。いや、俺だって唸ったよ。 「良い所を引いたぁ!!ハッハッハ!一年坊!お前の実力、早速、見せてもらえそ うだのぉ。ワシは嬉しいぞお!」  うーーん。俺としては、少し複雑だけど、闘えないってよりマシかも知れないな。 「頑張って、まず最初の試合を勝てるようにします!」  俺は、いきなり優勝宣言するのも憚られるので、控えめに言った。 「殊勝だのぉ。ま、一年坊は、それで良いかも知れんな!」  伊能先輩は嬉しそうに俺の肩を叩く。何だか、こっちまで嬉しくなってしまう。  抽選が進んでいく。そして、注目の男が来た。 「柔道部!紅 修羅!!」 「ハッ・・・。」  何だか、物静かな人だ。背は俺と同じくらいか?体格は、あっちの方が少し痩せ てる感じだ。でも、どこか、風格のある雰囲気がある。さすがは前年の王者だ。 「ほう・・・。紅 修羅!シード3番!!」 「おおおおおお!!」  また、どよめきが起こる。何だかこっちの組、やたら揃ってないか?他が弱いっ て訳じゃないんだけどさ・・・。まぁその方が良いか。 「おう。紅ぃ!前年の借り、今年こそは返すぞ!」  伊能先輩は紅先輩に拳を突き出す。 「勝ち抜いてから言った方が良いぞ。俺と当たるのは、そこの一年かも知れん。」  紅先輩は、俺の方を向く。何だか緊張するなぁ。 「言うのぉ。紅。ま、俺も、気が早かったか。」  う。俺の方を意識しだした。この二人って、因縁ありそうだけど・・・。 「去年は、準決勝で闘ったらしいよ。」  俊男がフォローしに来てくれる。ああ。なる程。それで、こんな険悪なのか。 「天神と言ったね。君の話題は、三年の俺の所にも届いている。妹さんの事も、空 手部以来の天才と言う事もな。それに空手大会にも、目を通した。」  紅先輩は、俺に話しかけて来てくれた。どうやら、俺も相当に、注目を集めてる みたいだな。 「君には、天才以上の物を感じる。そう。俺のようにな。」  紅先輩は、惜しげもなく俺の事を褒める。いや、自分の事も褒めているのか。 「見せてくれ。君の信念を・・・な。」  何だか、不思議な先輩だなぁ。あの先輩から言われると、嫌味な感じがしないん だよな。でも、気を引き締めなきゃ。紅先輩と当たるとしたら、準決勝だ。そこま で勝ち抜かなきゃ。 「相変わらずスカした野郎だのぉ。いけ好かんわ。」  どうにも伊能先輩とは、仲が悪いみたいだ。 「次!パーズ拳法部!島山 俊男!」 「はい!宜しくお願いします!」  俊男は、元気に返事をして抽選を引く。あれ?何か残念な顔してるぞ。 「ふむ。島山 俊男!第3試合!8番!」  ああ。なる程ね。これで俊男は、俺とは、決勝でしか会えないと言う訳か。 「参ったなぁ。瞬君と闘うには、決勝まで行かなきゃいけないのかぁ。」  俊男は、難しい顔をする。 「ハッハッハ!俊男の相手は、俺かも知れんぞぉー。」  伊能先輩は、俊男の事は気に入ってるみたいだなぁ。 「ま、僕も出るからには優勝したいですしね!お互い頑張りましょう!!」  俊男は、気持ち良いくらいの声で、俺達を励ましてくれる。良い奴だ・・・。  抽選は、どんどん進んでいく。 「レオナルド=ヒート!シード12番!!」  お。これでシードは、全員決まりか。俊男が勝ちあがれば森先輩に当たる訳だ。 「ほう。お前がパーズ拳法部の、島山か。」  早速、森先輩が来た。どうやら、俺達は、目立っているみたいだ。 「森先輩ですね。当たったら、お手柔らかにお願いします。」  俊男は、相変わらず礼儀正しい。 「いやいや、パーズ拳法のような古い拳法で、近代格闘の定番であるボクシングに、 どれだけ近づけるか、楽しみだよ。」  何だか、余り良い先輩じゃないなぁ・・・。 「ハハッ。嫌だなぁ。これでもパーズ拳法は、日々進化してるんですよ?」  俊男は、サラッと受け流す。良い度胸だ。 「自信アリって所かな?楽しみにしてるよ。ハーハッハッハッハ!」  森先輩は、高らかに笑いながら去っていく。 「済まんぉ。アイツは、どうも実力を鼻に掛けてる癖があってのぉ。」 「伊能先輩が、謝る事は無いですよ。それに油断してくれるなら、好都合ですよ。」  あー。俊男の奴、何気にスイッチ入ってやがる。こりゃ悪いが、森先輩は、この ままじゃ、勝てないぞ。 「トシオ!」  お。この濃い眉毛に、映えるような黒光りした肌は、ヒート先輩だな。 「ヒート先輩!準決勝で会えたら、お手柔らかにお願いします!」  俊男は、またしても礼儀正しく接する。コイツは本当に、徹底してるな。 「ハッハッハ!これは、キミらしい必勝宣言だな。ワタシも負けられないな。」  ヒート先輩は、俺より少し背が小さいが、ガッシリしている。これは、只者じゃ あないな。それに柔術は、引き込んで絞める事に関しちゃ、柔道より上だと言う。 「ケントに負けるようじゃ、ワタシには勝てないぞ。」  ヒート先輩は、森先輩が居ないのを見計らって、俊男に言う。 「安心して下さいよ。パーズ拳法は、簡単に負けるような武術じゃないって所、見 せますよ。ヒート先輩こそ、準決勝まで来て下さいよ。」 「キミに心配されるまでも無い。リングに上がるからには、必勝態勢だ。抜かりは 無い。当面は、キミの攻略を練るつもりだ。」  ヒート先輩は、俊男の実力を見抜いているみたいだな。まぁ俊男は、ハッキリ言 って強いと思う。俺との試合も、相当な僅差だった。それなのに、鬼のような練習 量でパーズ拳法部の代表を勝ち取ったのだろう。一年だからって、実力を甘く見た ら、勝てはしないだろう。まぁ、俺も、そう見られてるのかもな。 「マークされてるな。俊男も。」 「ハッハッハ。良い事じゃあないか!男子なら、障害を跳ね除けて進むくらいの気 概を持たんか!」  伊能先輩は俊男と俺の肩を叩いてくる。恰幅の良い先輩だよなぁ。 「よぉし。瞬君。互いに大変だけど、頑張ろう!・・・って、そろそろ女子の部も 進んでる頃じゃない?確か恵さんと、江里香先輩が出てるんだろ?」  やべ・・・。そうだった。見に行かなきゃ!! 「ほう。あの女子も出とるんかぁ?今年の一年は、元気があって良いのぉ。」  伊能先輩まで付いてくる。この人、覆面のまま付いてくるもんだから目立つなぁ。  まぁ気にしてる暇も無かったので、会場に顔を出す。会場は、かなり熱くなって いた。既に4人になっている。女子の部は、8個の部活が参加していて、恵と江里 香先輩は、まだ残っているようだ。しかも準決勝も、互いに違う相手だ。これは、 本当に、あの二人で決勝もありえるな。 「おー。二人共、勝ち残っているみたいだね。」  俊男は、我が事のように喜ぶ。・・・?あれ? 「俊男って江里香先輩の事、面識があったっけか?」  たまーに擦れ違う事はあっても、そんなに顔を合わす機会が有ったっけ? 「瞬君。忘れたのかい?僕と江里香先輩は、こう見えても、家が近いんだよ?」  あー。そう言えば、俊男と江里香先輩は、帰り道が一緒だったな。 「まぁ、そうは言っても、僕が一方的に憧れてるだけだけどね。あっちは、顔見知 り程度だよ。それでも知り合いだし、応援したくなるんだよ。」  なる程ねぇ。・・・って俊男の奴、本当は、江里香先輩の事・・・。  いや、下手な勘ぐりは、今はしない方が良いな。 「そっか。なら、俺達も、一緒に応援しようぜ。」 「ああ。応援で、力になれるなら、いくらでもしないとね!」  俊男は、純粋に応援する気持ちでいっぱいのようだ。なら、俺も、それに合わせ るまでだ。しかし、良く見ると、江里香先輩と恵を応援してるのは、いっぱい居る な。それと、もう1人応援を、たくさん受けてる人が居る。 「ほう。アネゴも、参加しとったのか。」  伊能先輩が、興味深そうにリングを見る。 「アネゴって言うと、例のミス・アネゴですか?」  俺は、噂に聞いた3人のミスの1人かと思った。 「おう。ワシらの学年では、知らぬ者は居らん。アネゴは、確かキックボクシング 部の主将だったはずだぞ。」  ああ。キックボクシング部か。今は結構、注目を集めてるんだっけか。 「あの人が・・・。確かに、風格あるなぁ・・・。」  周りを引き連れるお姉さんって感じの人だ。闘気も充分に漲っている。・・・そ れに魔力まで感じるぞ。あの人、何者だ? (ほう。源をマスターしているようだな。あの女性。)  源?そうか・・・。そう言えば、ミス・アネゴは榊 亜理栖こと榊家の人だ。空 手大会の時に戦った、総一郎さんと同じように忍術が使えるのかも知れない。 (今の君と同じく、源を封印して、この大会を勝ち抜こうって感じだな。)  なる程。修行の一環って訳か。 「瞬君。凄いカードだよ!次は、ミス・アネゴと恵さんだよ!」  あ・・・。そうか。この人が残ってるって事は、必然的に江里香先輩か恵と当た る訳だよな。で、恵と闘うって訳か。そうと分かれば、こんな所に居ても、仕方が 無い。俺は前に行く事にした。 「お。瞬君、本気で応援するつもりだね。付き合うよ!」 「ハッハッハ。妹の応援に、精を出す兄貴か!良きかな良きかな!」  なんだかんだ言いながら、付いてくる二人。付き合い良いよなぁ。俊男も、伊能 先輩も。まぁ、人の事は、言えないか。 「おい!恵!!」 「あーら、兄様。ご機嫌如何かしら?」  恵は胴着に着替えているが、飽くまで平常心のようだ。さすがだ。 「応援に来て下さるとは、嬉しいですわ。頑張ります事よ。」  恵は、自信に満ちた目をしていた。凄い奴だ。全く動じるような気配も無い。 「恵様ー!!ファイトですーー!!」  ・・・2階席から、すっごく聞き覚えのある声がする・・・。 「って、やっぱり葉月さん・・・。来ていたのか。」  まぁ一般者席を開放してる訳だし、可能性が無いとは、言えなかったけどね。 「私の師範も見てる事ですし、負けませんわ。」  恵は、とっくに気が付いていたようだ。それを、やる気にすぐに変える辺り、凄 く切り替えが早い。こりゃ、心配は要らないかな。 「それでは準決勝!第1試合を始めます!!!」  あ。放送部。いつの間にか、特設開設席用意してる。解説は・・・思った通り、 校長だ。好きなんだなぁ。校長先生も。 「赤コーナー!!我らがミス・アネゴーー!!キックボクシング部主将!!榊 亜 理栖ーーーーー!!!」  アナウンスが流れると、轟音のような歓声が聞こえる。すっげぇな。テンション 高いなぁ。今日の皆は。 「半端な気持ちなら、すぐ降りる事だね!」  榊先輩は、恵を睨み付ける。それを恵は、微笑を浮かべて迎え撃つ。 「冗談キツいですわ。ここに立つからには、優勝を狙ってますのよ?私。」  恵は、少しも動じずに言い返す。それに合わせて、どよめきと歓声が入る。 「青コーナー!!生徒会代表!!ミス・フロイラインこと天神 恵ーーー!!」  恵は、呼ばれると同時に、周りに笑顔を振りまく。・・・俺は、あの笑顔を知っ てる。あれは、本気の時に出す笑顔だ。こりゃ恵の奴、密かに燃えてるな。 「恵様ーーー!!勝利ですわーーー!!」 「頑張れー!!さっきの試合、凄かったぞーー!」  ・・・もうこんなに応援されてる。アイツ、さっきの試合どうやって勝ったんだ? 「さぁ、始まります!!注目の一戦!!校長!どう見ますか!?」 「ふむ。名勝負になろうな。三年の榊は、かなりの技巧派。護身術の他に、キック ボクシングとしての技能も、申し分無い。さすがは、修練を積んでただけある。」  校長が言うからには、本物なんだろうな。大丈夫か?恵の奴。 「一方の一年の天神 恵は、あれは天才よ。さっきの試合、ボクシング部相手に、 3分間、わざと打たせておいて、全てを避けつつも、カウンターの拳骨で勝ってお る。あれは、一夕一朝で出来る技術では無い。」  恵の奴、派手な勝ち方をしやがったなぁ。しかも合気道なのに、拳骨で勝つなん て、アイツらしい。 「なる程!これは楽しみな展開に、なりそうだぁ!では、そろそろ試合のゴングが 鳴るぞおお!!」  アナウンスの奴、分かってるのかな?まぁ良いか。確か総合格闘技ルールとやら で、1ラウンド10分、2ラウンド5分で決着が着かなかった場合、判定だったよ な。あとは、下腹部、後頭部への打撃が、禁止だったな。  カーーーーン!!  おっ。ゴングが鳴った。それと同時に、榊先輩が動いた。あれは、小手調べだな。 でも、かなり鋭いローキックだ。 「・・・へぇ・・・。」  榊先輩は驚く。そりゃそうだ。恵の奴、摺り足で、後ろに数歩下がっただけで、 ローキックを、完全に躱し切っている。伸びまで見切っているのだ。 「アタシの蹴りを、完全に見切るつもりかい?お嬢様。」  榊先輩は、そう言うと、構えが変わる。あの仕草だけで、恵が恐ろしい実力を秘 めているのを見抜いたのか。こっちも、さすがだな。 「本気の蹴りを見せて下さいな。退屈させないで下さる?」  恵は、軽口を叩く。恐ろしい余裕だな。 「言うじゃないか!なら、見せてやるよ!!」  榊先輩は、ストロングスタイルからミドルキック、から裏拳、そして踏み込むよ うにワンツーを出す。それを恵は、まるで舞うかのように捌いていく。すっげぇ。 「ええい!!」  榊先輩は、ミドルキックを・・・いや違う!ミドルから、ローへの変化だ! 「なっ!」  恵は、油断した訳ではないが、榊先輩の変化の速さに驚く。完全に入る間合いだ ったが、恵は、間一髪ローキックを踵で受け止める。ふう・・・。 「やるね!・・・っと?」  榊先輩は、後ろに下がる。どうやら態勢を整えるらしい。 「驚きましたわ。先輩。私に防御を使わせるなんて・・・。」  恵は髪を掻き上げる。すると、微笑を見せた。 「これから、防御じゃ済まなくなるよ。」 「言いますねぇ。なら、決勝まで見せるつもりは、無かったのですが、お見せしま すわ。先輩にも、是非味わって欲しいので・・・。」  恵は、いつも道場で見せている構えを見せる。その瞬間、榊先輩は、凍りつくよ うな感じになる。分かるなぁ。あの構えの恵は、凄いプレッシャーなんだよ。 「そうか・・・合気・・・。ただのお嬢様じゃ無かったって事だね。」  榊先輩は、気が付いた様だ。 「まぁ良いさ!攻めて突破口を見つけるまでだよ!」  榊先輩は、次々攻撃を繰り出す。それを軽くあしらった後、最後の左ストレート を恵は、左手で受け止める。そして、右手で手首を掴んで、一瞬にして榊先輩を転 がす。そして、そのまま、腕固めに入ろうとする。 「チィ!!」  榊先輩は、強引に腕を解いた。・・・妙だな。あそこで腕を放す程、恵は甘くな い筈だが?今のは、完璧に入っていた筈だ。 (何処を見ている。彼女の左腕に、目を凝らして見ろ。)  え?って魔力、いや源の残り香が・・・。まさか!! (彼女は咄嗟に炎を出した。一瞬の出来事で、審判さえ気が付いていない様だがな。)  なる程。形振り構わずになったって事か。 「へぇ。変わった手品を、お持ちのようですね。」  恵の奴、かなり怒ってるな。そりゃいきなり忍術使われたらなぁ。 「な、何の事だい?私は、腕を解いただけだよ。」 「なる程。榊先輩です物ね。やって来るとは、思いましたけど・・・。」  恵は、気が付いているな。下調べもしてあったって事か。 「でも、手の内は分かりました。今度は、逃がしません。」  恵は、平常心で榊先輩に近づく。あれだけの事をされて、平常心を失わないとは、 恐ろしいな。我が妹ながら、凄い奴だ。 「う、煩いよ!」  榊先輩は、苦し紛れにミドルキックを放つ。・・・勝負ありだな。  恵は、その足を掴んで、アキレス腱固めのような形になる。それを、蹴り剥がそ うと榊先輩は、もがく。しかし恵は、それを読んでいた。蹴りの力を利用して、榊 先輩を回転させる。先輩は、捻りながら、体を打ち付けられる。そこを、すかさず 恵が、踏み付けを狙う。 「こなくそおお!」  榊先輩は、下から足を蹴り上げる。恵は踏み付けを途中で解除して、榊先輩の足 を振り払うと、うつ伏せにさせて、手早く、腕を掴んで、肩固めに入った。 「ぐあああああああ!!!」  榊先輩は、苦悶の声を上げる。恵は容赦無く、絞め上げている。あれだと、折れ ちまうぞ。すげぇ絞め上げだ。 「おい!恵!!やり過ぎだぞ!!」  俺が声を掛けると、恵は溜め息を吐いて、肩固めを離す。もう勝負は付いている。 「技を止めるなんて、愚弄するな!!」  榊先輩は、怒りの表情で、傷めた腕とは反対の腕で、殴りに掛かる。 「榊先輩!もう勝負は!!」  俺は、榊先輩のアシストをしてしまったのか?でも、もう闘える体じゃない筈だ。 「全く・・・情けを受けられないようじゃ、仕方ありませんわね。」  恵は本当に怒ったようだ。榊先輩のストレートを、軽く避けると、振り向き様に、 回し蹴りを入れる。しかも容赦無くだ。榊先輩は、まともにお腹に受けて、悶絶す るようにお腹を押さえたまま、5メートルくらい吹き飛ばされる。あれは、本当に 容赦の無い蹴りを入れたに違いない。  カンカンカンカン!  終了のゴングが鳴った。当たり前だ。榊先輩は、まともに動けないだろう。 「勝者!天神 恵!!」  勝者を告げると、恵は、当たり前のように皆に笑顔を向ける。まるで、疲れて無 いその表情は、恐ろしくもあった。しかし、皆は歓声を上げた。 「あ、恵・・・。ゴメンな。あんな事を叫んじまって・・・。」  俺は、降りてくる恵に謝る。 「兄様はお甘いですからね。良いのです。あのままでは、榊先輩は腕を折られるま で、ギブアップしなかったでしょうからね。」  恵は冷静だった。ギブアップしないと踏んで、俺の言葉に従ったのだ。 「それに、振り向き様に攻撃は、読んでいました。まぁちょっと頭に来たんで、ま ともに入れてしまいましたけどね。」  うーーん。我が妹ながら、恐ろしい奴。恵は、絶対に怒らせないようにしよう。 「恵。足を引っ張っちまったけど、決勝進出、おめでとう!」  俺は、少し照れながら言う。 「当然ですのよ。ま、ここまでは、予定通りですから。」  恵は『ここまでは』と言った。なるほど。江里香先輩だけは、予定通りとまでは 言えないようだ。余裕を持っているようで、ちゃんと見ているな。 「恵さん。素晴らしい闘いを見させて戴いたわ。」  後ろから、江里香先輩が声を掛ける。 「ありがとう御座います。江里香先輩に祝福されるとは、嬉しいですわ。」  恵は、極上の笑みを江里香先輩に向ける。本当に、余裕があるんだな。 「ま、瞬君と一緒に稽古してたんじゃ、当然かもしれないわね。」  江里香先輩は、自分の事を棚に上げてサラリと言う。怖い・・・。 「へぇ。兄様の事をお褒めになるのは嬉しいですけど・・・。それだと、江里香先 輩も、負けられませんわね。毎日、部活で兄様と手合わせしてるんですから。」  恵は負けずに、江里香先輩に向かって言い返す。 「もちろん。負けるつもりは無いわよ?決勝では、宜しくね。」  江里香先輩は、必勝宣言をする。この人も、本当に自信あるんだな。恐ろしい。 「江里香先輩の次の相手・・・。油断出来ませんわよ。お気を付けて下さい。」  恵は忠告する。勿論、本心で言ったんじゃない。プレッシャーを掛けるつもりで 言ったのだ。江里香先輩は、それを聞いて、ニッコリ笑う。 「ご忠告受け取っておくわ。油断するつもりは無いから、安心してね。」  江里香先輩は、体を解しながら、余裕の表情を返す。さすがだ。 「江里香先輩。頑張って下さい。」  俺も一応、応援しておいた。それを聞くと、恵は凄く嫌そうな顔をする。 「兄様?決勝では、私の応援して下さいよ?」  恵は、ジロリとこっちを見る。ううう。怖いよぉ・・・。 「江里香先輩!ファイトです!」  横で俊男も、応援していた。 「あーら。瞬君に俊男君も応援?こりゃ負けられないわね。」  江里香先輩は、今度は皮肉では無く、喜んでいるようだ。 「じゃ、負けないで下さいね。貴女は、私が倒さないと、いけないのですから。」  恵は、恐ろしいことを言う。 「あーら。私と一緒?さすが恵さんねー。楽しみにしてるわ。」  江里香先輩は、表情も変えずに言い返した。この2人って、仲が良いんだか、悪 いんだか全く分からない。何て言うか、俺としては胃が痛い・・・。 「じゃ、私は、控え室に行きますね。」  恵は、その言葉を平然と受け流す。恵は、怒ってはいないようだ。どちらかと言 うと、楽しんでいる。あれはライバルを身近に感じて、楽しんでいる顔だった。そ して、優雅に観客に笑顔を振りまきつつ、控え室に引き返した。 「うう。決勝では悩むなぁ・・・。」  俺は、どちらを応援したら良いんだろうか?まぁ、応援したからって、結果が変 わるような2人じゃ無いけどね。 「瞬君は大変だねぇ。まぁそう言う僕も、どっちを応援しようか迷うけどね。」  俊男も、恵とは、ほぼ毎日登校してる仲だし、江里香先輩とは、家が近いし、憧 れの念を抱いている。そうなれば、この2人が闘うってのは、どうにも抵抗がある 様だ。そんな雰囲気の中、部活動対抗戦は、盛り上がりを増していった。  自分に敵う者は居なかった。  誰もが、尊敬の念を込めて、私を敬った。  それは、私が強いからだ。  自分でも女でありながら、ここまで強くなれるだなんて、思ってもいなかった。  しかも自分は、この学園の校長の孫。  学内の地位は、自然と高い物になった。  周囲の期待とは裏腹に、私の気分は冷めていった。  この学園は、切磋琢磨する故に面白い物だと思っていた自分に、腹が立つ。  結局は、中学の時と変わらない。  私は先導者で、皆は、ただ付いていく。  空手部の主将?つまらない。  学年1位の成績?つまらない。  次期生徒会会長候補?つまらない。  とっても、つまらない、ツマらない、つまんない!ツマラナイ!!!  外面では、優秀な生徒を演じる私は、内面で非常に退屈していた。  誰もが、私に媚を売る。  何なんだろうか?校長の孫だから、そんな怖い訳?  私に逆らうと、何かあるとでも思っているのだろうか?  部活動対抗戦では、当然のように私が優勝。  私を倒そうと頑張る生徒も居たが、目に見えて私の方が、強かった。  せっかく本気が出せそうな場ですら、私は手加減しながら闘っていた。  自分が、特別な人間だから?  馬鹿馬鹿しい。そんな考えは、驕りの第一歩だ。  このまま一生を迎えるのなんて、馬鹿げている。  そう思った矢先だった。  1年の時、あれだけ退屈していた学園生活が、一変した。  今では、掛け替えの無い時間に、変わりつつある。  近所に、俊男君が戻ってきた。  パーズ拳法を極めたと言う話で、凄く興味があった。  俊男君は、目を輝かせながら、私に面白い話を聞かせてくれた。  俊男君とは、何度か手合わせをしたが、なる程、強くなった。  私と、互角に戦えるまで成長するなんて、凄い事だ。  元々、才能があるのは知っていたが、ここまでとはね。  そんな俊男君が、学園に入学すると聞いて、私は喜んだ。  だが、私は予想も付かない相手と出会った。  その相手が、私以上のお嬢様、恵さんだった。  何でも、飛び級で入学。更には入学試験は、全問正解の文句無しのトップ。  入学式で、スピーチを完璧にこなし、先生のスピーチの間違いを全て正して、読 み上げる事まで、やってのけた。  私は、騒然としていた周りと違って、心が躍っていた。  やっと本気で渡り合える人で、出会えたと思った。  こうで無くては、面白くない。  更に半月後、俊男君を負かせた相手と言うのが、学園に入る事を聞いた。  私の心は、更に躍った。  何せ、父からも聞いていた。  空手大会で、凄い逸材が居たと言う事をだ。  そうなると、居ても立ってもいられないのが、私だ。  お爺様と話しているのを聞いて、瞬君に間違いないと思った。  それで思い切って、話してみると、あの恵さんの兄だと言う。  それは好都合だった。  学内で私の元気をくれる人達が、こんなに集まっているだけで、心が躍った。  私は、この学園で学校生活をしていると、胸を張って言える。  それは他でも無い、恵さん、瞬君、俊男君のおかげだ。  場内は騒然としながらも、どこか、何かの期待を含ませるような雰囲気になって いる。それは、とうとう格闘技の女子の部の決勝が、始まるからだ。  江里香先輩は結局、準決勝は勝利を収めた。でも、相手もかなりの強さだった。 柔術部の副主将を務めている人で、何でも、ヒート主将のガリウロル滞在中に、お 世話になっている家の娘さんだったらしく、その実力は、ヒート主将も一筋縄いか ない程の相手だった。確かに雰囲気はあった。だが、江里香先輩は、楽勝とまで行 かなくとも、自分の勝利は揺るがないと信じていたらしい。相手の三角絞めの時に は、俺ですらヒヤリとしたと言うのに、20秒も耐えた後、踏み付けで相手を蹴り 剥がして、すかさず鳩尾に拳を突き入れた所で、勝負は決した。それでも倒れなか った相手も凄いが、江里香先輩は、トドメの左ハイキックで見事に倒した。  余りに華麗な勝ち方に、会場からは拍手が巻き起こったが、江里香先輩は、それ を当然と言う風に受け止めて、控え室に、休んでいったのである。その後、20分 間の休憩後に、女子の部の決勝戦を行うらしい。  恵は合気道の達人だ。当然、関節技も狙いに行くし、打撃力も、かなりの物を誇 っている。単純な腕力で凄いと言うのでは無い。相手の勢いを利用したり、相手の 隙を縫ってくるように、打ち込んでくる技術が凄いのだ。それに加えて、強烈な投 げも持っている。難点としては、受身になり易い点だ。恵のスタイルは、余り自分 から攻めるタイプでは無いのだ。  一方の江里香先輩は、勿論、空手の達人だ。もはや芸術に近い。江里香先輩の凄 い所は、相手の急所を正確に突いてくる点だ。しかも、その速さたるや、俺よりも 速いと思うくらいだ。江里香先輩の打撃は、細かいように見えるが、弱い所を突い てくるため、一撃必殺に近い。その代わり、急所を外せば、受けられない程の打撃 じゃないのだ。それに関節技への対応が、完璧とは言いにくい。タックルを切った り、基本的な外し方は知ってる物の、完璧に決められたら、逃れるのは至難の業だ。  この試合程、面白い試合は中々無いだろう。俺が見た感じ、実力も離れている訳 では無い。全体的な試合の流れは、江里香先輩が攻めて、恵がそれに対応していく。 そんな展開になるだろう。だが、対応力の差で、恐らく恵が少し優位になる。だが、 少しの優位では、安心出来ないくらいの一撃を、江里香先輩は持っている。 「俊男。お前はどう見る?恵と江里香先輩の勝負の行方を。」  俺は、隣に座る俊男に聞いてみる。 「そうだね。恵さんは、あの動きは合気道をやっているね?僕は、そこまで詳しく 無いけど、合気道って言うのは、受けが基本だって聞いたし、攻めの江里香先輩、 受けの恵さんって形になるだろうね。今までの試合からすると、試合運びは恵さん に一日の長があるけど、江里香先輩は、それを引っくり返すだけの打撃を持ってい る。判断に悩むね。江里香先輩の攻撃は、速いからね。その速さに対応出来るか、 そして、恵さんの無駄の無い動きに、江里香先輩が避けきれるかが鍵になると思う。」  俊男は、ズバリ俺と一緒の見解だった。さすがに、良く見ている。言ってる事は、 正確だ。問題は最初の激突。そして、関節技に移る時のタイミング、そして江里香 先輩の攻撃が、急所に当たるかどうかだ。 「どちらにせよ、凄い試合になるだろうね。」 「ああ。同感だ。」  俺は、俊男に同意する。それだけは間違いないだろう。稀に見る才能を持つ2人 だ。試合が、どう転ぶか予想も付かない。 「女子の部もやるのぉ。あの空手部の主将は、去年も凄かったがのぉ。今年は、更 に強い。去年より、生き生きしてるぞ。」  伊能先輩が、感心しながら見ていた。 「去年は、あれ程じゃ無かったんですか?江里香先輩は。」 「ふむ。何て言うか、覇気が無かった。去年は、それでも、毎回優勝してたがのぉ。 今年は、やる気が違う。お前さんの妹が、影響しとるのかもな。」  なる程な。相手が居なかったのか。そう言えば、部活の時も、俺や俊男が手合わ せする時以外は、江里香先輩のやる気が、感じられないように思ったけど、気のせ いじゃなかったんだな。 「お前さんの妹も凄い奴よのぉ。あのアネゴは、あれでも空手部主将以外に、負け た事は、無かったんだぞ?それをアッサリ勝つ、あの肝っ玉は本物じゃ。」  伊能先輩は、本気で感心していた。恵は確かに強い。聞いた話によると、オッズ は、一気に恵がトップになったと言う。江里香先輩の牙城を崩せるかも知れないと、 皆が思っているのだろう。だが、その差は、僅差だ。 「皆様、お待たせしました!!」  アナウンスが入る。それと同時に会場が暗くなる。 「これより、部活動対抗戦!女子の部の決勝戦を行います!!」  アナウンスが叫ぶと同時に、会場から轟音のような歓声が上がる。いや、俺も、 物凄く、叫びたい気分だ。とうとう始まるんだ。 「赤コーナー!!空手部主将!ミス・リーダー、空手部の至高の拳!」  言いたい放題だな。空手部至高の拳って、なんだよ。 「一条ーーーー江里香ぁーーーーー!!」  アナウンスが読み上げると、赤コーナーサイドからライトが映し出されて、胴着 姿の江里香先輩が姿を現す。江里香先輩は、たくさんの歓声に応えるように手を振 る。そしてリングまで来ると、一気にジャンプして、リングの中に入った。すげぇ パフォーマンスだ。 「江里香先輩。ここで見させて戴きますよ。」  俺は江里香先輩に、声を掛ける。 「良く見てなさいよ。貴方の妹だけど、遠慮は、しないわよ。」  江里香先輩はニコッと笑う。あれは、闘いを楽しんでいる顔だ。 「青コーナー!!生徒会代表!ミス・フロイライン、最強の優雅ここにあり!」  ・・・もう訳分からないな。凄い言われ様だ。 「天神ーーーー恵ぃーーーーー!!」  恵が呼ばれる瞬間、青コーナーから恵が姿を現す。ライトが映し出されると周り からは、物凄い歓声が上がった。・・・恵の奴、何考えてるんだ。胴着の上から、 ドレスを羽織っていた。周りからは、心酔の声まで聞こえてきた。 「恵様ー!!!優勝ですわー!!」 「恵様に向かって!!敬礼!!」  何だか会場は、凄い雰囲気になりつつある。いつの間にか、ファンクラブが出来 ていたらしく、黄色い応援を、飛ばしていた。 「ハハッ・・・。アイツらしいわ・・・。」  俺は、開いた口が塞がらなかった。やる事も盛大だな。アイツは。 「す、凄いねぇ。恵さん。」  俊男も、呆気に取られている様だ。  そんな周りの雰囲気は、サラリと受け流しながら、恵も何とドレスのまま、ジャ ンプしてリングの中に入った。そして簡単に脱げるように、細工していたらしく、 ドレスを一気に脱ぐと、手伝いの生徒に受け渡した。どうやら、打ち合わせを、し ていたらしい。 「お待たせ致しました。先輩。」  恵は、いつもながら、余裕の表情で江里香先輩を見る。 「いやぁ、面白い物を見せてもらったわ。」  江里香先輩は、本気で楽しんでいた。 「おい。恵・・・まぁお前のやる事だから、凄いと思ったけどな。これだけ会場を 沸かせたんだ。それに見合う試合を、するんだぞ。」 「フフッ。兄様。私のモットーは、優雅に常勝です。安心して見てなさい。あ。決 して、応援を忘れないで下さいよ。」  恵の奴、この期に及んで、何て余裕だ。試合より、俺の応援かよ。心配する必要 は無さそうだな。 「さて、校長!この試合、どう見ますか?」  お。解説が始まったな。校長の意見は、どうなんだろうなぁ。 「ふむ。江里香は、己の非力を補って、余りあるスピードで急所を突いてくる。こ れは、いつでも一撃必殺が狙えるのと同じ。一瞬でも怯ませられれば、江里香は容 赦無く畳み掛けてくるからのぉ。一方で、天神 恵は、受けの形ではあるが、その 返したるや、今まで完璧。打撃レベルも高いし、関節技などの完成度もトップレベ ルじゃ。末恐ろしい一年じゃと思う。よって、先に決定的なチャンスを作った方が、 有利になるのは、間違い無いじゃろうな。」  ま、俺達と同意見か。って事は、恐らく本人達も分かっている事だろう。それを、 どう裏を掻いて行くのだろうか?その辺も、見所だな。 「ありがとう御座います。では、そろそろ始めさせて戴きます。」  アナウンスが進行役に目配せする。すると審判が、両者に合図をする。それぞれ 相手を、正面から見合う。こうなると、お互いの事しか見えない。 「それでは、決勝戦、第1ラウンド!!・・・ファイト!!」  カーーーン!!  審判の掛け声と共にゴングが鳴る。すると、両者共に構えを取る。恵は、藤堂流 合気道の構えだ。半身を、見えなくさせる構えで、いつでも足を回転させて、摺り 足で高速移動出来る。威圧感は充分だ。  一方の江里香先輩は、腰を低く構えて左手を縦に前に突き出して、右手を腰に持 っていく。あの型からなら、正拳から回し蹴りまで、瞬時に繰り出せるだろう。無 駄の無い素晴らしい構えだった。 「凄い・・・。何て緊張感だ。」  俊男は唸る。分かる気もする。とても女性とは思えない。何て気迫だ。 「さて・・・こうして緊張感を楽しむのも良いけどね。」  江里香先輩は、型を崩さぬまま、にじり寄る。 「空手は、敵に気負いを見せては駄目だからね!」  江里香先輩は、腰を更に低くしながら、恵に向かって駆けていく。そして、下段 蹴りから入る。恵は、それを最小限の動きで脛で受け止める。しかし、江里香先輩 は止まらない。中指を、少しせり上げるような拳を作ると、肩を狙いに行く。恵は、 それを捌きに掛かる。すげぇ。何て早さだ。江里香先輩は、このままじゃ埒が明か ないと思ったのか、地面に手を付いて、恵の鳩尾に突き上げるような蹴りを入れよ うとする。恵は、それを両肘でガッチリガードする。しかし、その瞬間、反対の足 の踵が、コメカミに向かって飛んでくる。上手い!! 「せい!!」  恵は上体を反らす事で、躱し切ると、容赦無く踏みつけに来る。それを江里香先 輩は、バック転するような形で避ける。ど、どっちも凄い。何て速さだ。それに、 組み立ても早い。攻撃に移る時の判断速度が、半端じゃ無い。 「やるわねぇ。私の鉞(まさかり)蹴りを躱すなんて、常人じゃないわ。」  江里香先輩の踵蹴りは、鉞蹴りと言う名前らしい。 「私もヒヤリとしましたわ。勝負は、こうでなくちゃ嘘です。」  恵は相変わらず構えを変えてない。構えを崩すこと無く攻撃に移行する。それは 理想だ。だが、その理想を恵は実践しているのだ。恵は敵との調和が取れている。 相手は、敵にあって敵にあらず。己を高める事で、敵を作らず、さすれば自然と、 無敗となる。藤堂流合気道の名言に、そう記されていた。 (面白い考え方だな。要するに、自分を高めはすれど、敵を作らないようにすれば それ即ち、無敗とすると言う考え方か。)  敵と言う物を作らず、己を高める。それはどんなに理想的だろうか・・・。君子 危うきに近寄らずとも言う。・・・そうか。だから葉月さんが、後継者なんだな。 葉さんは、敵を作ろうとはしない。常に相手の事を考えている。組手をやっていて も、葉月さんの場合は、敵を倒すと言うより、敵と自分を合わせる。それこそ調和 の世界だ。恵は性格的に、そう言う考え方が出来ない。しかし恵は凡人じゃない。 いつの間にか、敵を自分の流れとして、調和を取るように闘っている。しかも、無 意識にだ。  それ故に、相手は恵とは、どう闘って良いのか分からないのだ。準決勝の榊 亜 理栖も、恵が構えを見せてからは、攻め込めないでいた。それは威圧感だけじゃな い。恵が、余りに自然なので、攻め込めずに居たのだ。恐るべきは、その境地に至 った恵だ。 「なる程・・・ね。」  江里香先輩も、その恐ろしさを体験している。目の前の恵は、何でも無い攻撃で 倒せそうだが、鉄壁なのだ。あの構えで居る間は、江里香先輩の技を、どれも防げ るのだ。 「只の技術だけでは、葉月や睦月から、称賛は受けられませんからね。」  恵は、その辺を己に厳しくしたのだ。元々は、体を鍛えるためだが、どうせやる なら、本格的に真髄まで極める。恵らしい鍛え方だった。 「しょうがないなぁ。奥の手を隠して勝てる程、甘くは無いって事か。」  江里香先輩は左手を前に持っていくと、右手を腰に持っていって拳を作る。江里 香先輩が、とうとう本気になったな。とうとうアレを出すつもりだ。 「随分と極端な構えですのね。それじゃ正拳突きを出しますと、言ってるような物 ですわ。何を考えてるか、分からないですわ。」  恵は恐らく初めてだろう。先輩は滅多に、この技を出さない。俺との最初の手合 わせの時しか出してない筈だ。江里香先輩は、その構えのまま闘気を恵に向ける。 「・・・この闘気・・・。」  恵は何か感じ始めているようだ。江里香先輩の腕が動いた。と思った瞬間だった。  パァァァァン!!  何かが弾ける様な音がする。その瞬間、恵は2メートル程、後ろにずらされた。 「・・・初見で避けたのは、貴方と瞬君くらいよ。」  江里香先輩は、悔しそうな顔をする。当然だ。あれは、初見で避けられるような 技じゃない。俺ですら、江里香先輩の闘気を先読みして、何とかガードしたんだ。 「つぅっ!・・・驚きましたわ。こんな切り札を持っていたなんて。」  恵は手の甲を押さえる。手の甲は、少し腫れていた。なる程。手の甲でガードし たのか。 「私の隼突きは、音速と自負してるんだけどね。」  そうだ。江里香先輩の必殺技とも言うべき隼突きは、音速の域に達している。弾 ける様な音は、空気を突き破った音だ。あれをガードするなんて大した物だ。 「道理で・・・。貴方が、正確に鳩尾を狙ってくると読まなきゃ、倒されて居た所 です。音速を手に入れた拳とは、恐れ入りました。」  なる程。恵は、江里香先輩の考えを見破ったのだ。江里香先輩は得てして、急所 を狙う癖がある。それは長所でもあるが、弱点でもある。 「なる程・・・。さすが恵さんね。来る所を予測してたって訳ね。」  そう言うと、江里香先輩は、再び隼突きの構えに移行する。 「貴女は、何発耐えられるかしら?今度は、単発じゃ済まさないわ。」  そう。江里香先輩の隼突きは、恐らく連続で8発繰り出せる筈だ。俺の時も、8 連続で来た。それに耐えられるのか?それだけじゃない。飽くまで8発と言うのは、 1回の隼突きの連続に対してだ。再び態勢を整えれば、また飛んでくる事だろう。 「江里香先輩。一つ教えて置きますわ。天神家の辞書には、諦めるなんて言葉は、 存在しないのですのよ?」  恵は、この期に及んで江里香先輩を挑発している。大した度胸だ・・・。 「瞬君と手合わせしてるから知ってるわよ。でもこの状況、どう打開するのかしら?」  江里香先輩は隼突きに自信を持っている。そりゃそうだ。俺だって、ガード出来 なかった技だ。何発か貰ったのを耐えて、やり過ごしたのだ。 「見せて頂戴よ!!」  江里香先輩は隼突きの構えから駆け出す。恵は、深呼吸しながら構えを崩さずに 居た。恵は、完全に受け止める気だ。江里香先輩が、隼突きを繰り出した。  パァン!!パパパパパパパァン!!  凄い音が鳴る。連続で、空気を突き破る音だ。手元が、まるで見えない。こんな の、どう対処するって言うんだ!・・・恵は持ち前の読みで、何発か防いだ。だが、 案の定、防ぎ切れなかった。 「クゥッ!!!」  恵は、脇腹を押さえる。脇腹と、肩口に食らった様だ。いくら急所では無いとは 言え、あの速さの打撃だ。相当なダメージの筈だ。 「フゥ・・・。6発も防ぐなんて、凄いわね。」  江里香先輩は、余裕そうに恵を見る。だが実は、江里香先輩も苦しいのだ。音速 を生み出す拳だ。8発打ったら、少し休まないと次が打てないのだ。 「さすがですわ。でも油断なさらない事です。私は、まだ倒れて無いんですからね。」  恵は再び構える。我慢出来るダメージだと踏んだのだろう。 「恵・・・。」  俺は、このままで良いのか?と思った。このままでは、恵は大怪我してしまうか も知れない。かと言って、止めると恵に恨まれそうだ。 「兄様、見てて下さいよ。兄様が修練してた3年間、私も、兄様を追いかけていた んです・・・。その成果を、お見せします。」  恵の目は死んでなかった。あれは、何かをやる気だ。 「恵・・・無理するなとは言わない。俺に、修行の成果を見せてみろ!!」  俺は叫ぶ。恵は本気だ。本気の妹に対して、俺が応えない訳には行かない。 「それでこそ兄様です。」  恵は、本当に嬉しそうな笑みを浮かべる。あんな笑い方が出来たんだな・・・。 「んもう。妬けちゃうわねぇ。瞬君たら、主将の応援もするものよ?」  江里香先輩は、溜め息を吐く。・・・こう言うの、板挟みと言うのだろうか? 「ふふっ。兄様から、応援を戴いたからには、見せてあげますわ。」 「瞬くぅん?後で、覚えてなさいよぉ?」  ううう・・・。怖いよぉ・・・。江里香先輩たら、意外とマジで怒ってるよぉ。 どうすれば良かったんだよぉ・・・。 「江里香先輩も、ファイトですよぉ・・・。」 「気持ちが篭ってない!!全く・・・。」  江里香先輩は、俺の事を、ジト目で睨み付けながら、恵の方を向く。 「次で、終わりにしてあげるわ。」  江里香先輩は隼突きの構えをした。目がマジだ。決める気満々だ。それに対して、 恵は、何を思ったのか構えを解く。何をする気だ?何を見せる気なんだ? 「・・・冗談じゃないようね。何を考えてるか、分からないけど、決めるわ。」  江里香先輩は距離を詰める。恵は、まるで普段の歩く時のような自然な状態にな る。江里香先輩は、射程距離を確認したのか、隼突きを繰り出した。  パン!!  その瞬間だった。江里香先輩は、2発目を打つ事無く終わった。恵は、江里香先 輩の隼突きを、完全に見切って、腕を取ったのである。そして江里香先輩が、腕を 引っ込める前に、全力で投げ飛ばしたのだ。江里香先輩は、目が点になる。無理も 無い。何が起きたのか、掴めてないのかも知れない。 「すげぇ・・・。」  俺は感嘆の声を出した。恵は、己を殺して、全てを今の投げに繋がるように仕向 けたのだ。それだけでは無い。俺も、初めて気が付いたのだが、江里香先輩の隼突 きの特徴に、気が付いて、今の行動に出たのだ。 「恵の奴、隼突きを、完全に見切りやがった。技の特性までもだ。」 「どういう事?」  横で、俊男が聞いてくる。俊男も、ある程度予測を付けているようだが、完全に は、分かっていないようだった。 「江里香先輩の隼突きは、あの構えじゃ無ければ、音速は出せないって事だ。」  そう。江里香先輩が、音速に達する拳を出すには、あの構えがあってこそなのだ。 あの構えは何気に、全ての四肢を使う構えだ。故に全ての四肢を加速させる事で、 音速を体現していたんだ。それが、腕を取って態勢を崩させる事で、2発目を封じ たのだ。音速で無い2発目なら、避けきれると判断したのだろう。 「なるほど。四肢を加速させる構えって事だね。発想も凄いけど・・・それを2回 目で見切るなんて・・・。凄いんだな。恵さんは。」  俊男も感心している。いや、当たり前だ。こんな芸当を思い付いても、実戦に移 せる奴が、どこにいる?恵は頭で理解した事を、実践したのだ。 「まさか・・・見破られるなんて・・・。」  江里香先輩は、苦しげな声を出す。と言うのも、恵は投げ飛ばしただけでは無い。 完全に腕を絡めて、腕固めに入ったのだ。逃すまいと、絞め上げている。 「だって、変でした物。必ず構えていましたし、走り出してまで、構えを崩さない なんて、何かあると思いましたわ。」  恵は、何処にあんな力が残っていたのか、江里香先輩の表情が歪むまで、絞め上 げていた。いや、あれが関節技の怖さだろう。一度決めたら、離さない覚悟で絞め 上げているのだ。 「離しませんわ。降参なさい?」  恵は、江里香先輩に降参するように求める。 「残念ね。私の辞書にも、諦めるなんて言葉無いのよ。」  江里香先輩は、無理に笑顔を作ってみせる。 「何が貴女を、そこまでさせてるのかしら?痛いだけですわよ?」  恵は無情なまでに絞め上げている。江里香先輩が、降参と言うまで、離しはしな いだろう。一気に形勢逆転である。 「恵さんと一緒の理由なら、どうかしら?」  江里香先輩は恵に言う。どう言う事なんだろう?それに、恵の顔付きまで変わっ た。アイツ、腕を折る気か? 「そう言う事なら、容赦出来ませんわね。」  恵は、絞め上げようとする。しかし、その動きは止まった。 「今度は、私が教えてあげるわ。空手の真髄をね!!」  何と江里香先輩は、拳を握ると、歯を食いしばりながら恵を持ち上げる。恵がい くら、そんなに体重が無いからって・・・あの状態で、立ち上がるなんて・・・。 「でええええええええい!!」  江里香先輩は、その腕を恵ごと叩きつけようとする。恵は、ギリギリまで離さな いで、地面に付いた瞬間、江里香先輩の足首を掴む。 「ハッ!!」  恵は、アキレス腱固めに移行しようとする。それを江里香先輩は、物凄い鋭い蹴 りで剥がした。凄い・・・。 「本当に驚きましたわ。まさか、脱臼してまで、外すなんて・・・。」  恵が江里香先輩を驚愕の目で見ていた。って脱臼!?うわ・・・。江里香先輩た ら、腕があらぬ方向に曲がっているぞ。会場からは、悲鳴が起こる。 「騒ぐ必要は無いわ!!ハァァァァ・・・セイ!!!」  江里香先輩は、腕をしならせるように振ると、遠心力で脱臼を一気に治してしま う。あれは相当な速さが無いと出来ない。さすがは先輩だ。治してしまった。 「空手部主将・・・やるのぉ。」  伊能先輩までもが、唸る。この試合は、只の試合じゃない。 「凄い物を見せて戴いたわ。でも、痛くない筈が無い。この試合は、その左腕は、 使えませんわね。」  恵は冷徹な事実を言う。そうなのだ。アレをやった所で、痛みが引くわけじゃな い。ある程度、抑える事は出来るが、闘える様な状態じゃないだろう。 「ご名答よ。だから、こっちも技を使わせてもらうわ。」  江里香先輩は、突然左腕を下げたままでステップし始める。・・・こんな動き、 初めて見たぞ。そのステップたるや、まるで、浮いて歩いているかのような、素早 いステップに、変わりつつあった。 「あんな動き、初めて見たぞ。」  俺にすら、見せてない構えだ。いや、あれを構えと言うのだろうか? 「なる程・・・。空手の技じゃ、無いのですわね。」  恵は一瞬で見切った。凄いな・・・。でも、あんな空手は見た事が無い。 「空手じゃないと言われれば、その通りでしょうね。でも、これは、私が空手を進 化させるために、自分で編み出した技。そう簡単には、敗れないわ!」  江里香先輩は、相当に自信がある様だ。初めて見る形だ。 「良いでしょう。貴方の挑戦、受けて見せます!」  恵は、再び合気の構えに戻る。安定感のある構えだ。 「この闘い方は、誰にも見せてないから、恵さんが最初ね。」  江里香先輩は、凄まじく軽やかなステップを踏みながら、恵に近づいていく。ま るで踊っているかのようだ。そして江里香先輩は遠心力を付けながら蹴りを放つ。  バシィ!!  ・・・え?何が起こったんだ?江里香先輩の蹴りを、恵はガードした筈だ。それ に江里香先輩は、顔に向かって蹴っていたはずだ。・・・なのに恵は、鳩尾を押さ えている。どう言う事なんだ?  江里香先輩は、機を逃すまいと恵が鳩尾を押さえてる間に、追撃する。恵は脇腹 に、もう一発食らってしまったが、他は、何とかガードして後ろに下がる。 「驚きましたわ・・・。まさか、何を食らったのか分からないなんて出来事が、あ るなんて、想像もしてませんでしたわ。それが、進化した空手ですか?」  食らった恵ですら、何が起きたのか分からなかったらしい。 「空手じゃないわ。『拳舞(けんぶ)』よ。」  江里香先輩は名付ける。なるほど。拳舞か。確かに、あの動きからは、舞を想像 させる動きだ。しかし、あの打撃には謎が残る。 「次で仕留めるわ。」  江里香先輩は、ステップを早める。  カーーーン!!  と、不意にゴングが鳴った。そうか。1ラウンドが終了したのか。 「・・・残念ね。」  江里香先輩は、それだけ言い残して、コーナーに戻っていく。恵も凛とした表情 のまま、コーナーに戻っていった。しかしコーナーに座ると、すぐ様、手当てやマ ッサージなどに、時間を費やす。余程、ダメージが残っている証拠だ。 「おい。恵。次のラウンド行けるのか?」  俺は恵に声を掛ける。 「大丈夫です。何となくですが・・・見切りましたから。」  恵は、見切ったと言った。しかし、自信があるのだろうか?いや、無くても、恵 なら言い切る事だろう。何となくと言う事は、確率は、五分五分くらいなのだろう。  それを聞くと、今度は、江里香先輩の方に行く。 「あーら。妹さんの応援は、もう良いのかしら?」  うぐ。先輩、怒ってるなぁ。だが、そんな嫌味には、負けていられない。 「先輩。腕は、大丈夫なんですか?」  俺は、それが気がかりだった。あの治し方でも、痛みは引かないのだ。動かない のを、そのままにしておけば、重症にも繋がる。 「心配してくれてるの?有難く気持ちは戴くわ。」  江里香先輩は、胸にそっと手を当てる。 「でも、大丈夫。今、冷やしてくれたし、応急処置も受けたから、無理しなければ、 使えるわよ。さすがに、隼突きは出来ないけどね。」  江里香先輩は、左腕をコキコキ鳴らしながら動かす。大丈夫そうだ。 「次のラウンドは、最初から飛ばすわよ。」  江里香先輩は、燃えるような瞳をしていた。あんな生き生きした先輩を見るのも、 久し振りだ。余程、恵との対決は、嬉しいらしい。  そして、セコンドアウトになった。これで、後は見守るだけだ。 「瞬君。妹さん、凄い目で睨んでたよ?」  俊男が教えてくれた。予想は付いていたが、改めて教えられると、こっちも尻込 みしてしまう。確かに恵は、拗ねたような顔をして睨んでいた。 「ガッハッハ。モテる男は辛いのぉ。羨ましいぞぉ?」  伊能先輩が、俺の頭を撫でながら豪快に笑う。 「俺としては、複雑ですよ・・・。」  前途多難だよなぁ。俺・・・。こう言うの、贅沢な悩みって言うのだろうか?  カーーーーン!!  とうとう2ラウンドだ。これで決着が着く。 「体も軽いし、一気に行くわ!!」  江里香先輩は、またしてもリングの周りで、軽やかに舞いだした。凄い足捌きだ。 そして舞ったまま、恵に近づいていく。恵はチラッと江里香先輩の方を向く。 「江里香先輩。合気の真髄を、お教え差し上げます。」  恵は、余裕タップリだった。どこから、あんな余裕が生まれるんだ? 「そう言うからには、防げるんでしょうね。見せてもらうわ!」  江里香先輩は恵に襲いかかる。今度は、さっきが左回し蹴りだったのに対し、右 回し蹴りを見せる。左と右で変えただけか?恵は、難なく避ける。そして、恵は、 何故か肩口を防御する。何と江里香先輩の右足が、恵の肩口を狙っていた。それを 分かっていたと言うのか!?  ゴッ!!  しかし、倒れたのは、恵の方だった。何と、江里香先輩の左足が、戻ってきたの だ。あれは、踵で蹴ったな。まともに蹴りが入った。恵は、手を口に当てると、そ こには、血がこびり付いていた。 「返しを忘れるとは、不覚でしたわ・・・。でも、これで完全に見切った。この血 の返礼は、倍にして返してあげます。」  恵は深呼吸をする。かなり冷静だな。いつもなら、激怒している所だ。 「凄い自信ね。もう褒めるしかないわ。でも、ハッタリなら、次で決まるわよ。」  江里香先輩は、再びステップを踏む。横に縦にと舞う姿は、正に『拳舞』。江里 香先輩らしい技だと思った。そして、恵が様子を見ているのを確認すると、一気に 距離を詰める。そして、右の胴回し蹴りを放つ。ミドルキックだな。それを恵は、 自ら進んで前に出て受け止める。・・・と思ったら、受け止める姿勢すら見せない。 しかも、全然違う所をガードする。・・・と思ったら、しっかりガードしていた。 自分の太腿を狙ったローキックをだ。そして、次の瞬間には、顔面を守るように手 を持っていく。しかし、それは当てずっぽう等では無かった。何とそこには、いつ の間にか江里香先輩の右肘が、迫っていたのだ。それを読んでいたのだ。そして、 すぐ様、手首を掴むと、江里香先輩の、次の攻撃で用意してあった、左ミドルキッ クの方向に合わせて、体を動かして捻りあげる。  すると江里香先輩は、堪らず宙を舞う。そして、綺麗に投げられてしまった。恵 は、その隙を逃さず、左手で江里香先輩の右腕を絡め取って、身動き出来なくする と、右手で掌底を作って、江里香先輩の顎にモロに入れた。江里香先輩は今、脳が 揺られているに違いない。恵は、もう一発入れようとするが、動きが止まる。 「恵!!」  俺は、恵がやり過ぎないか心配すると、恵は、何かに納得したような表情を見せ て、左手を使った戒めを解く。そして審判の方を一瞥する。それに審判が気が付く と、江里香先輩のダウンを確認する。そして審判は、手を交差に上げた。  カンカンカンカン!!  終了のゴングだ。それを聞くと、恵は、力が抜けたように尻餅を付く。 「う・・・ん・・・?」  江里香先輩は、朦朧とした表情のまま目を開ける。 「勝者!!天神 恵!!!」  審判が宣言して恵の手を上げさせると、物凄い歓声が沸いた。 「うー・・・。」  江里香先輩は、段々意識が戻ってきたようだ。俺は心配になって近づくと、恵が 制止する。恵は、何とか江里香先輩の所にしゃがみこむと、江里香先輩の手と固い 握手をする。そして、そのまま、江里香先輩の様子を覗き込んだ。 「・・・あー・・・。負けたのね。私。」  江里香先輩は、理解したようだ。周りの様子を確認しながら周りを見渡す。 「江里香先輩。本当に、良い勝負でした。」 「ん。ありがと。正直、悔しいけど・・・楽しかったわ!」  江里香先輩は、屈託の無い笑みを浮かべると、恵の手を握り返す。そして、立ち 上がると、恵の手を上げさせて勝利者を祝う。すると歓声は、より一層高まる。 「恵様!!!おめでとう御座いますーーー!!」  2階席から葉月さんの声がする。本当に嬉しいんだろう。あんなに嬉しそうな葉 月さんも珍しい。そして、葉月さんは、携帯電話を取り出して連絡していた。あれ は、恐らく睦月さんに報告しているんだろう。なんだかんだ言って、皆、心配して たんだな。俺も負けられないなぁ。 「恵さん。」 「何でしょう?」 「・・・私、今日は負けたけど、諦めた訳じゃないから、気を付けてね。」  江里香先輩が、恵に何か言うと、恵は珍しく、優しい笑顔をしていた。 「いつでも挑戦を受けますわ。私も、本気ですからね。」  恵は江里香先輩と見合う。どうやら、互いにライバルと認めた様だ。  それが何のライバルなのか、俺には見当が付かなかった。  こうして、女子の部は閉幕したのであった。  私は・・・生まれつき、周りとは違っていた。  これも運命だとでも言うのだろうか?  親を恨む・・・恨んでも恨み切れない。  私は、何でこんなに苦しまなきゃならないのだろうか?  でも、この苦しみは、特別だという証だろうか?  だと言うのなら、甘んじて受けても良い。  最初から周りと違うなら・・・周りが、羨むような生き方をしてやる。  もう周りと同格なんて、真っ平だ。  私は選ばれて、生を受けたんだ。  元々そう言う生まれなら、その生き方を貫いてやろうじゃないか。  この苦しみは、その代償。  でも本当は、気が付いている。  これは、苦しみじゃないのだと。  これは、強烈な誘惑なのだ。  拒むから苦しくなる・・・拒まなければ快楽をくれる。  だが、それは、私が許さない。  快楽に身を委ねるなど、愚か者がする事だ。  選ばれた私は、そんな生き方をする筈が無い。  でも時々、箍が外れる。  凄く気持ち良い・・・良過ぎるよ。何なんだ。この快感は?  でも溺れられない。  溺れたら・・・私は、人ではなくなる。ヒトじゃ無くなるんだ!!  こんな生を受けた証に、十字架をくれた親。  私は、いつしか心を殺す事にした。  快楽も感じないようにすれば、私はヒトで居られる。  父親は、私の強靭な精神を見て喜んでいた。  ・・・狂っている。  娘が苦しみながらも、克服していくのを見て楽しむ。  自分から、助けようともしない。  誰のせいで、こうなったと思っているのか。  『今度こそ完璧だ!!』  父親は、そればっかりだった。  母親は私を産んだ時に、ショックで失踪したそうだ。  無責任だ。  ショックで逃げるくらいなら、私も連れて行って欲しかった。  無限と思える程の苦しみを背負いながら、生きる私の身にもなって欲しい。  それからと言う物、私は、完璧であり続けた。  世間的には『病弱』として見られているので、病気がちだと思われている。  それ以外の事は、全て完璧にこなした。  私は物心がつく頃には、言葉を覚えながらも、しゃべらないヒトになっていた。  覚えてないと思われれば、役に立つ人形程度に思われる。  無口だと思われれば、反抗しない従順な娘と思われる。  面倒臭いので、私は、そう思われる事にしようと思っていた。  永遠に、それが続いていくと思った頃、突然、それは変わった。  私には、もう1人家族が居たのだと父が言った。  正直うんざりだった。  父は己の野望しか考えない男だったから、どうせ同じような奴だろうと踏んだ。  しかし、予想は裏切られた。  何なのだ?コイツは・・・。  屈託の無い笑顔に、己を隠そうともしない。  何でコイツは、こんなに気持ち良く笑うんだ?  何でコイツは、私の事を常に心配してるんだ?  何で・・・この人は、私の心を、躍らせるんだろうか?  それは衝撃だった。  そして意識した瞬間、心が蘇った。  殺していた筈の心が、解放されたんだ。  でも、それは苦しみの始まりでもあった。  また、我慢しなきゃいけない・・・しないと私は・・・。  でも、それでも良い!この人の側に、居たいんだ。  私が元気な時は、本当に嬉しそうな顔をする。  その顔を見る度に、箍が外れた時よりも、心が喜びで満たされる。  父があんなに最低な男だったのに・・・この人は、別次元だった。  その生き物は、兄だと言った。  兄は、この家は大きいけど退屈だと言った。・・・何て正直な。  夢は、皆を守る事だと言った。・・・何て真っ直ぐな。  使用人にすら、気を使っていた。・・・何て心が広いんだ。  私は、たちまち兄の虜になった。  兄は、自分が年上だから、この家を継ぐ物だと思っている。  しかし私は知っている。・・・父は、私に継がせるつもりなのだ。  それに私は、この家の正体を知っている。  兄に、この醜い部分を、知って欲しくない。  それから、病弱だと偽りながらも、私は我慢し続けた。  兄は私を病弱だから、守ってあげなければいけないとでも思っているのだろう。  甘える事が出来たし、私は、それでも良かった。幸せだった。  ・・・だと言うのに・・・あの男は・・・そんなささやかな・・・幸せも・・・ 壊した。壊したのだ!信じられない!私の生きる支えを!よくもよくもよくも!!  確かに兄は、昔から力を手に入れたいと言っていた。  守るためには、どうしても力が必要なんだと語っていた。  だから、祖父と呼ばれる所に、修行に行くのだという。  しばらく帰って来れないと言うのは、私にも分かっていた。  でも、兄の夢を語る顔が忘れられなくて・・・私は、送り出そうと決めた。  祖父を恨みはしたが、兄の夢なら、仕方が無いと思った。  だが、真相を知ったのは、3年後だった。  私を後継者にしたいらしい。  そのためには、兄が邪魔だったらしい。  最高の状態で継がせるには、思春期に兄が居るのはマイナスだったらしい。  下らない。下らなすぎる。下らないったら、ありゃしない!!  そんな世継ぎのために、離した?  あの男の事だ。私が兄の事を想って、微笑んでるのを観察したのだろう。  私が兄の事を想って、頬を赤面させているのを発見したのだろう。  あの男が、祖父に電話して、兄の夢を話したのだと言う。  そして手配や兄を送り出す準備などを、さっさと用意したのだと言う。  笑わせてくれるわ。・・・何が世継ぎか。  兄の顔を見るだけで、幸せだったのに、幸せを奪わなきゃ気が済まないのか。  許せない。本当に許せない。あの男を、許す訳には行かない!!  ・・・  その夜、私は初めて、箍を我慢せずに、快楽に身を委ねた。  そして、気が付くと、赤い池の真ん中に立っていた。  そして、いつの間にか地面に誰かが倒れていた。周りからは血の匂いがした。  どうやら誰かが、血を流して倒れていたらしい。  父だ。『あの男だ』。父だ。『憎い』。  私は、この手で父を・・・。  だが父は、生きていた。生命力は高い方だったらしい。  その父が、喜んでいた。  『お前は、完成品だ!』  ・・・私は、トドメを刺そうかと思ったが、我慢した。  それは、使用人が見ていたからだ。  使用人は、父をベッドに運ぶ。上手い物だった。  だが、私は知っている。  もう父は、助かりはしない。  父の体は・・・特殊だから、ヒトの治療など受け付けない。  使用人も、それが分かっているらしく、冷めた目で見ていた。  使用人は、父を尊敬して居たが、私の受けた仕打ちも知っていた。  だから全てを知った上で、最期を看取ると言った。  私は、有難いと思った。  それからは、すぐに冷静になれたので、我慢出来た。  その冷静さで、私は、手紙を送る事にした。  父も兄には、最期ぐらい会っておきたいと思ったらしく、兄との面会を求めた。  私は、渋々了解した。兄に、あんな父を見せたくなかった。  だが、それ以上に、また兄に会えるのが楽しみでしょうがなかった。  でも、完璧な妹で、あり続けたかった。  兄が誇れる妹になりたかった。だから、ついお小言が出てしまう。  久し振りに会った兄は、より純真になって、帰ってきた。  私には、もう兄しか見えない。  家族としてで無く、男性として好きだった。  なら、決まりだ。  完璧な女性として、兄に好いてもらうんだ。  そんな事を思い描いていたある日。  私は・・・父が使っていた机に、当主として座った。  そして、父の品を引き継ぐ。  そこで見つけた・・・。  私は、そこで、開けてはならなかった物を開けた。  見ては、ならない物を見た。  そして・・・私は歓喜した。  会場は、異様な雰囲気で包まれていた。女子の部が、あれだけ盛り上がっただけ に、格闘の部の男子は、もっと凄い物になると、期待しているのだろう。  だが、正直困る。あの江里香先輩と恵の試合は、普通じゃない。あのレベルでの 闘いを見せるとなると、こちらも、気合を入れなきゃならない。  それに恵とは、優勝の約束まで、したしな。気合入れないといけないな。まぁま ずは、初戦だ。最初勝たないと弾みがつかない。俺はクジを引いたら、とっとと恵 と江里香先輩の応援に行ってしまったので、誰が相手か見ていない。油断は禁物だ。  俊男の話だと「瞬君も、苦労するよね」だとか・・・。何じゃそりゃ。  俺は、気になったので、対戦相手を見てみた。すると、信じられない文字を見た。 剣道部!?剣道部って事は、当然、竹刀を持ってくるのだろう。本当かよ・・・。 しかも、剣道部の鬼の主将と言われている相模(さがみ) 双龍(そうりゅう)先 輩だ。相模先輩は鬼の扱きで知られている。剣道の腕も確かで、実家は、剣道場を 開いている。剣術が有名な、ソクトアで敢えて競技化した、剣道のスタイルに拘る 珍しい一家だ。だが、そこらの剣術家では敵わない程の腕を持っているのは、確か らしい。 (いきなり強敵だな。こりゃ闘い辛いぜ。)  何しろ、こっちは素手だ。間合いが違う。圧倒的に向こうの方が長い。  どう攻略するか悩んでいると、進行係に呼び止められた。 「俺に用でしょうか?」  俺は進行係の話を聞く。 「天神 瞬君だったよね。次の試合は、剣道部との対決だってのは見たよね。」  進行係は、確認する。俺は黙って頷いた。 「一応、規定上は、武器の使用は禁止になっている。けど、相手が剣道部の場合は、 特別だ。だから、君に選択権がある。次の試合、竹刀の使用を認めるかどうかだ。」  なるほど。そりゃ竹刀の有ると無いじゃ全然違う。しかも不利な俺の方に決定権 があると言うのも、当然の話だ。ちなみに去年は認めなかったせいで剣道部は1回 戦落ちしたらしい。 「そんなの、迷う必要もありません。」  俺は、迷う必要は無かった。 「そうか。じゃぁ、今年も・・・。」 「竹刀の使用を認めます。だって・・・そうじゃなきゃ『剣道部』じゃないんです よね?なら、それを倒してこそです。」  俺はキッパリと言いきった。そりゃ確かに、剣道部を打ち崩すのは難しい。でも、 最初から諦めるなんて、俺らしくない。それに竹刀を持ってる剣道部だからこそ、 対戦する価値があるのだ。 「・・・驚いたな。よし。君の意向は分かった。」  進行係は、心底驚いた顔をしながら、去っていった。俺の決定を、伝えに行った のだろう。天神流空手は、相手が武器だからと言って、臆したりはしない。  ま、初戦から剣道部とは、何とも俺らしい運の悪さだ。 (引っ掛かる言い方だな。君が、運が悪いみたいな言い方じゃないか。)  俺程、運の悪い奴も珍しいと思うけどな。 (何を馬鹿な事を。この天上神に選ばれる幸運を持って、何が不満か?)  ・・・ま、深く突っ込むのは止めよう。 (ええい。君は、私の価値を過小評価している!侮辱にも、程があるぞ。)  過小評価は、して無いつもりだけどね。この体験を、幸運と言えるかどうかは、 微妙だと思っただけだよ。まぁ普通の人間じゃ、体験出来ないな。 (全く・・・今に、私に感謝する時が来る。その時に、今の思い違いを訂正する事 を要求するぞ。)  分かったよ。もうそろそろ試合なんだから、集中させてくれっての。 (ぬぬぅ。上手く逃げる物だ。まぁ良い。最初の試合は、剣道だったか?深く考え る必要はあるまい。君の力は、飛び抜けている。例え竹刀を持った相手だろうが、 君に有効打を与える事が出来るとは、とても思わぬ。)  そこまで言うと、何だか、油断してるみたいじゃない?一応相手だって、主将だ し、全ソクトア剣道学生選手権で、良い所まで行ってるんだぜ? (君は、私だけじゃなく、自分も過小評価しているな。私とて相手を見たが、あれ は、只のド根性の塊だ。あんな輩に遅れを取るようでは君では無い。保証しよう。)  ま、俺の事を、そこまで認めてくれるのは嬉しいね。俺としては、思いっ切り行 くだけさ。そろそろ第1試合が、終わる頃だ。  第1試合は、アマチュアレスリング部とキックボクシング部だった筈だ。どっち も中堅どころを出してきたらしい。言っちゃ悪いが、どちらが勝つにせよ、次の修 羅先輩に勝てるとは思えない。修羅先輩の、あの眼は本物の筈だ。 「第2試合、始まりますよー!!」  進行係の声が聞こえた。どうやら決着が着いたらしい。じゃ、サクッと行きます か。この拳を、貫く姿勢を見せないと、勝てないだろうし、女子の部に負けてしま うからな。せいぜい盛り上げないと、いけない。  俺は、控え通路で準備体操をする。体調は万全だ。その辺は、整えてくれた睦月 さんや葉月さんに、感謝しなければいけない。俺は定位置に付く。 「それでは第2試合を始めます!!」  アナウンスが聞こえた。その瞬間、さっきまでイマイチ盛り上がりに欠けていた 会場が、大いに沸く。こりゃ期待されてんなぁ。 「赤コーナー!!剣道部の鬼の主将!!相模ーーーー双龍ーーーー!!」  アナウンスの声に合わせて、『ヨッシャアアア!!』と気合の入った声が聞こえ る。やり辛いなぁ。凄い勢いで、リングに向かっていく。やる気満々だなぁ。 「青コーナー!!今、話題の天下無双の剛拳!!天神ーーーー瞬ーーー!!」  天下無双の剛拳って・・・意味分かってるのか?まぁ良いや。出場するか。  俺が控え室から出ると、物凄い歓声が聞こえた。うお。すげぇ・・・。 「天神ぃ!!頑張れぇーーー!お前に、賭けてるんだぜーーー!」 「お前のKOシーンを、見に来たんだぜ!俺は!!」 「恵様のお兄様ですねー!頑張れー!」  ・・・何か、大幅に俺の応援じゃないのも混ざってたけど、気にしないようにす るか。セコンドの近い位置に、伊能先輩が座っていた。 「おう。一年坊。俺の相手に相応しいか、見極めてやるぞぉ。気合入れろや!」  伊能先輩は発破を掛けてくれる。俺は拳を作って見せる。 「フフッ。お前と俊男の試合は、楽しみじゃ。」  伊能先輩は、俊男の試合も見るつもりらしい。よく見ると、シードの全員が、こ の試合を見に、セコンド付近に座っていた。注目されてんのなぁ。俺。 「瞬様ぁー!今日の祝勝会のために、ダブル優勝ですよー!!」  2階席から葉月さん声が聞こえた。応援は嬉しいけど、言う事、結構大胆だなぁ。 「瞬君。空手部代表なんだからね。結果残しなさいよ?」 「あ。江里香先輩。大丈夫なんですか?」  俺は、江里香先輩が近くに居たのを見て、声を掛ける。 「まぁ、確かに痛いけど、観戦出来ない程じゃ、ないわよ。」  さすが江里香先輩だ。アレだけ激しい試合をしたのに、もう観戦モードに入って いる。隣には恵も居た。 「兄様。今日は『祝勝会』やるんですからね?お忘れなく。」  さすが厳しい妹様だ。こりゃ頑張らんとね。 「ベストを尽くす。まぁ、見てろって。」  俺は拳を作って見せた。恵は、それなら安心とばかりに頷いた。  そして俺は、リングにジャンプして上がる。すると周りから歓声が沸いた。ちょ っとパフォーマンスし過ぎたかな。そう。俺は、リングロープにも触れずに、ジャ ンプだけで、リングに上がったのだ。 「・・・おい。アイツ今、2メートルくらい、ジャンプしなかったか?」 「噂は、伊達じゃないって事だな。」  早速周りから騒がれている。やり過ぎたかな。 「えー。この試合は、剣道と空手の試合であり、武器の使用の有無があります。そ れを武器の無い天神 瞬君が、竹刀の使用を・・・認めたため!!」  アナウンスが入ると、ここで、大きな歓声が入る。 「この試合は竹刀と素手の、変則マッチとなります!!」  最後まで言い切ると、相模先輩が近寄ってきた。 「良い根性ダァ!!気に入ったぜぇ!!お前ぇぇぇ!!」  相模先輩は、ブンブンと竹刀を振り回している。うーーん。結構鋭いぞ。 「瞬君らしいわ。」 「同意見。苦行の道が、好きです物ねぇ。兄様は。」  うう。下の2人が、明らかな嫌味を言っているのが聞こえる。だって・・・竹刀 の無い剣道なんて、剣道じゃないじゃないかぁ。 「それでは、部活動対抗戦!第2試合変則マッチ!・・・始め!!」  カーーーン!!  ゴングが鳴る。俺は、様子見で受けの構えを見せる。それに対し、相模先輩は打 ち込む気満々だ。やる気タップリだなぁ。 「初めて、この場でコイツが使えるぜぇ・・・。感謝するぞぉ!!」  相模先輩は、竹刀を嬉しそうに振る。今までの相手は、全部竹刀の使用など認め なかった。まぁ普通に考えたら、当たり前だ。 「うぉりゃあああああああ!!!」  相模先輩は突っ込んできた。そして、思うが侭に、竹刀を振ってくる。 「メェン!!メンメン!!ドォォォォウ!!コテェ!!」  相模先輩は叫びながら振ってくる。途中から、叫びもしなくなったが鬱憤を晴ら すかのように打ち続ける。俺はそれを、全て捌いていた。相模先輩には悪いが、馬 鹿正直に打ってくるので、軌道が丸見えだ。それでも常人なら、躱せなかったかも 知れない。でも、俺には、ハッキリ見えていた。  すると、相模先輩は、急に距離を取る。 「てめぇ・・・。全部、手の甲で捌きやがったな・・・。」  相模先輩は気が付いた様だ。俺は、小手さえも許していない。さすがに屈辱だっ たようだ。相模先輩は、確かに強い方かも知れない。でも、そんな真っ直ぐなだけ の剣では、俺に見切ってくれと言っているような物だ。 「まさか初戦で、これを使う時が来るとはなぁ・・・。」  相模先輩は竹刀の先を向けてくる。・・・突く気だ。突きは、確かに斬りより見 切り難い。それは、線ではなく点で有るからだ。しかも破壊力は、斬りより上かも しれない。特に竹刀では、そうだろう。 「相模先輩。悪いけど、俺に、突きは通用しない。」  何せ空手で、いつも突きを見切っている。そして相模先輩の突きの速度では到底、 江里香先輩の拳での突きに、及ばない。 「ふざけんなぁ!!剣道家の最高の突きを、味わいやがれぇ!!」  相模先輩は踏み込んできた。やる気だ!相模先輩は顔面に突きを繰り出す。俺は それを首を動かす事で躱す。しかし、相模先輩は、それを読んでいたらしく、すぐ さま腹に対して突いてきた。頭と腹への2段突きか!  バキャァ!!!!  音がした。いや、俺がさせた。俺は竹刀に対して、拳を合わせたのだ。正確に竹 刀の点に、拳を合わせて砕いたのだった。竹刀は、無残にも砕け散ってしまった。 「うあ・・・うあぁぁぁぁぁ!?」  相模先輩から恐怖の色が見て取れた。仕方ないだろう。竹刀を拳で砕いてしまっ ては、剣道としては、素手の勝負しかない。しかし俺に勝てる筈が無い。竹刀を持 ってさえ勝てないのだ。 「先輩。降参して下さい。」  俺は構えを解く。相模先輩は、怯えながら、竹刀の残骸を投げ始めた。 「来るなぁ!!」 「やれやれ・・・。」  俺は投げられた残骸を全て掴み取りながら、相模先輩に近寄った。 「俺は、先輩なんだ!!降参なんかするか!」  プライドの高い人なんだな。でも、見苦しい!! 「寄るなあああああ!!」  相模先輩は苦し紛れに殴り掛かってきた。俺は、それを見て体を捻って避けると、 相模先輩の首筋に手刀を叩き込む。延髄に綺麗に決まった。 「うあ・・・。」  相模先輩は少し悲鳴を上げると、ドサリと倒れた。結局、こうするしかなかった か。まぁ、吹っ飛ばすよりはマシか。  カンカンカンカン!!  ゴングが鳴った。まぁ当然か。 「勝者!!天神 瞬!!!」  審判に手を取られて、手を上げる。すると、轟音のような歓声が聞こえてきた。 まぁ、出来は、まずまずかなー。 「瞬!!面白い試合だったぞぉ!!」  伊能先輩が嬉しそうに笑っていた。それに呼び名が、一年坊から瞬に変わってい る。俺は、こうして、華々しい勝利を手にするのだった。  一代で、名声を手に入れたプロレスラーが居た。  プロレスが普及して、約50年経ったが、このプロレスラー程の者は居ない。  振り返れば、誰もが知ってるガリウロルのプロレスラー。  その名も、サウザンド伊能。  親父は、ワシの誇りだった。  親父のような、心の広い人間になろうと決めた。  親父のような、強いプロレスラーになろうと決めた。  親父のように、人を惹き付けて止まないプロレスをしようと決めた。  ワシは・・・親父になりたかった。  親父は、本当に凄い人物だ。  裸一貫でプロレス界に入って、名声を手に入れた。  親父は、ただ強いだけじゃない。  盛り上げどころを知っている・・・それに客の期待を裏切らない。  しかも、本当に強い。  異種格闘技戦などでも、負け無し。  外国でも、ベルトを取ってくる程の人物。  正に、ソクトア最高のプロレスラーと言っても差し支えないだろう。  親父の背中は常に広く、追いかければ追いかける程、その広さを味わった。  しかし・・・変化は、突然訪れた。  興行の帰り道で、親父は、交通事故にあった。  普通なら、何でもない事故だ。  親父の体なら、充分耐え切れる程の事故。  だが・・・横には、息子が乗っていた・・・。  親父は咄嗟に息子を庇うために、自分の体を盾にした。  そのせいで、凄い手術を受けなければならなかった。  だが、親父は負けなかった。  手術を乗り越え、カムバックを果たしたのだった。  だが、その後の親父は、苦戦続きだった・・・。  勝つには勝ったが、やっとこすっとこだった。  誰の目から見ても、事故が原因で、どこかおかしくしているに違いなかった。  それでも勝ち続ける事で、親父は、その地位を不動の物にした。  その地位を、親父は今でも守っている。  ・・・だが・・・ワシは知っている。  未だに事故で傷めた内蔵の後遺症で、毎日満足に眠れない事をだ。  精神力は、限界まで達しているのだ。  それでもファンの前に立つ親父は、いつでも無敵だった。  親父は待ってるんだ。  親父の名を継ぐに相応しい男が、現れる事をだ。  その願いが、他ならぬワシだと言う事をだ。  ならば、期待に、応えなきゃいけない。  ワシは、誰よりも鍛えて、親父を楽にさせてあげなきゃいけない。  親父に、見せてあげなきゃ駄目だ。  ワシは、親父の名を継ぐに相応しいと言う事をだ。  見ていてくれ。親父!!  爽天学園の部活動対抗戦も佳境に入ってきた。とうとうシードの選手が、その実 力を、発揮する時が来るのだ。去年のベスト4がシードなので、実力は折り紙つき だ。ちなみに、1回戦の第3試合で、俊男は相撲部とぶつかった。俊男は、体が大 きい方でも無かったので、かなりの体格差であったが、久しぶりに、俊男の凄まじ い技の冴えを見せてもらう事になった。さすがである。ぶちかましを、顎への蹴り で揺らがせると、相手の張り手を、1発はガードしたが、2発目に肘をぶち当てて 相手を怯ませた後に、左の足の指を固めて、相手のコメカミに正確に蹴り入れた。 その後に、相手がグラつきながらも、張り手を打ってきたにも関わらず、避けなが ら、カウンターで膝を顔面に入れて、勝負ありだ。終わってみれば、完勝であった。 驚きなのは、体格差を物ともしない俊男の覚悟と、正確にぶち当てる技術だ。俺と 闘った時より、速いかも知れない。  第4試合は、古流格闘技部と、急遽参加が決まった、帰宅部だった奴の闘いだっ た。てっきり古流格闘技部の、主将が勝つと思っていた。伝統も有るし、ガリウロ ルで忍術以前に流行っていた格闘技と言う、非常に面白いジャンルであったから、 負けは無いと思っていた。しかし、帰宅部とは名ばかりの2年が、一撃で試合を決 めてしまった。後で、校長から話を聞いた所、ある武術の家の、家臣をしていると の話で、相当な腕前の持ち主らしい。ただ、本人は、部活をやるより、その武術の 家で修行した方が良いとの事で、帰宅部だったとか。道理で強い筈だ。何でも、今 回の顔触れを見て、参加を決めたそうだ。物好きだなぁ。  まぁ、こんな感じで1回戦は終了して、間も無く2回戦が始まる。2回戦の第1 試合は、とうとう前回の覇者である紅 修羅先輩の出番である。  俺は、次に試合があるので、場内モニターで観戦する事にした。修羅先輩は、歓 声を一身に浴びている。一方、キックボクシング部の選手は、試合に集中するべく、 ウォーミングアップをしている。緊張し過ぎているな。 『それでは、第2回戦、第1試合を始めます!!』  アナウンスが叫ぶと、物凄い声援が聞こえた。 『赤コーナー、キックボクシング部期待のエース!佐藤(さとう) 剛(ごう)!』  1回戦を勝ち抜いた佐藤先輩だ。2年の中では抜群の足技らしい。一流と言って 良いかも知れない。だが、相手が悪い。この試合で分かるだろうが、修羅先輩は、 超一流だと言う話だ。俺が勝ち上がれば、俺の相手になる人だ。見極めないとな。 『青コーナー!戦慄の柔道王!!紅ぃぃぃ修羅ぁぁぁぁ!!』  相変わらず、変なフレーズが付いてるんだな。  そして、審判が、ルールの説明をしている。2人は互いに睨みあっていた。中々 の迫力だ。すると修羅先輩は、顎に手を掛けて考えている。 『ふむ。袈裟固めだな。』 『出たぁぁぁ!!柔道王の、予告決め技!!』  何だそれ・・・。アナウンスは、知っていると言う事は、去年もあんな感じだっ たんだろうか。それにしても、大胆だな。予告するなんて・・・。  袈裟固めと言う事は、首に気を付けてれば良いんだろ?そんなに決められる物じ ゃないぞ。関節技は、相手に見破られると、きっついからな。 『それでは、部活動対抗戦、第2回戦、第1試合!始め!!』  カーーーーン!!  ゴングの音と共に、佐藤先輩は足を使って、相手を撹乱する。勿論、首は窄めた まんまだ。あれでは、袈裟固めなど滅多に決まらない。 『シィィィィ!!』  佐藤先輩は、ミドルキックを繰り出す。結構鋭い。 「なにぃ!?」  俺は、思わず声を上げた。修羅先輩は、蹴りを何と、無造作に掴んだのだ。あん なバッチリのタイミングで掴むなんて、恐ろしい動体視力だ。佐藤先輩は、嫌がっ て振り落としにかかる。足を暴れさせている。その様子を、修羅先輩は楽しそうに 見ていた。アレは・・・遊んでいる・・・。 『フッ。』  修羅先輩は、飽きたのか、佐藤先輩の足を突然離す。すると、佐藤先輩は、尻餅 をついてしまう。そして、すぐ様、立ち上がると再び構えを取る 『セィヤアアアアア!!』  佐藤先輩は、今度はローキックと見せかけて、肘を顔面にぶち込みにいく。修羅 先輩は、それを待っていたかのように、左手で肘を掴むと、そのまま腕を取って、 一本背負いを決める。そして美しい弧を描いて、佐藤先輩は叩き付けられる。そし て、あっと言う間に、袈裟固めで押さえ込んでいた。 『ヌゥアアアアア!!』  佐藤先輩は、苦悶の表情を見せる。相当絞め上げているのだろう。少し粘ってい たが、やがて降参の合図を送る。すると審判が、手を大きく振る。  カンカンカンカン!!  ゴングが修羅先輩の勝利を告げる。正に、あっと言う間だった。さすがは去年の 覇者だ。その期待を、裏切る事は無かった。  それにしても圧倒的だ。思わず唸ってしまう。  しかし、感心している場合では無い。次は俺の番だ。しかも相手は、あの伊能先 輩だ。これこそ、一筋縄では行かないだろう。  会場の興奮も冷め遣らぬまま、入場の合図が送られてきた。俺の番だな。 「それでは、2回戦、第2試合を行います!!」  アナウンスの声が、今度は生で聞こえてきた。俺は、控え通路に入る。 「赤コーナー!!天下無双の剛拳!!天神ぃぃぃ瞬ーーーー!!」  アナウンスと同時に、物凄い歓声が聞こえた。皆、良く声が枯れないよな。  俺は入場する。すると熱狂的な声で、俺を応援している。期待は大きいなぁ。 「ふふっ。今度こそ、瞬君の真価が問われるわよ?」  江里香先輩が、リングサイドで脅してくる。 「兄様。負けたら、葉月が悲しみますわよ?」  うう。恵まで・・・。負けられないなぁ。 「青コーナー!!千の技を継ぐ男!!サウザンドォォォ伊能ぉジュニアアアア!!」  アナウンスは、伊能先輩をサウザンド伊能ジュニアと言った。なるほど。サウザ ンド伊能の技を継いだ男としての紹介か。サウザンド伊能の名前の由来が、千の技 を持つ男としてあるからだろう。  そして観客は、一斉に立ち上がって、その男の登場を待つ。 「ミスタープロレスを継ぐのはーー!?」 『お前しか居ねぇええ!!』  どうやら、応援団が出来ているようで、団長の声に合わせて、応援団全体が、声 を出しているようだ。すげぇ・・・。 「一番星を掴むのはぁーーー!?」 『お前しか居ねぇええ!!』  すっげぇ。息ピッタリあってる。 「轟く、その名はぁーーーー!?」 『サウザンド!!伊能!!ジュニアアアアアアア!!!』  応援団の声に合わせて、テーマ曲が流れて、マントを付けた覆面レスラー、伊能 先輩が現れる。・・・圧巻だ。ド派手な入場だなぁ。 『サウザンド!!サウザンド!!サウザンド!!』  掛け声を聞きながら、伊能先輩はリングに上がる。そしてマントを脱ぐと、応援 団の方に投げつける。そして轟音のような歓声が、後押しした。  そして審判が説明して、ルールの事を説明する。1回戦で一応聞いているが、確 認のためだろう。それにしても伊能先輩は、でかいなぁ。俺だって小さい方じゃあ ない。同級生の中では、体は大きい方だと思ったが、伊能先輩は、2メートル以上 ある。こりゃ気を引き締めなきゃな。 「それでは!部活動対抗戦!!2回戦!第2試合!!始め!!」  カーーーーン!!  ゴングが鳴った。それと同時に俺は、天神流の『攻め』の構えを見せる。そして、 伊能先輩は、プロレスラー独特のどっしりと、手を交差して、いつでも掴めるよう な態勢に入る。気合は、ヒシヒシと伝わってくる。 「おう!瞬!とうとう、この時が来たなぁ・・・。」 「先輩の気迫、肌に感じますよ!」  俺は伊能先輩の気迫を感じていた。だが、逃げはしない。 「お前なら・・・ワシの限界を超えさせてくれると、信じてるぞぉ!!」  伊能先輩は、タックルをかましてきた。捕まえに来たな。俺は、それを見越して、 伊能先輩の太腿に蹴りを入れる。しかし、伊能先輩は怯むこと無く、俺を掴む。そ して、俺を投げようとする。しかし俺は、腰を落として重心を低くする。そうする 事で、異様な重さを感じさせる事が出来る。この体重移動を、俺は修行時代に徹底 的に覚えさせられた。投げに対する対策の一環としてだ。そのまま胸に拳を入れる。 「ぐぅ!!」  伊能先輩は顔を顰める。しかし、その後、気合を入れると俺は抱えられた。そん な馬鹿な!?俺は、重心を掛けたままだ。それを持ち上げるなんて、何てパワーだ。 「どっせぇい!!」  伊能先輩は、そのままブリッジするようにして、反動を付けて投げ飛ばす。俺は 咄嗟に、受身を取って立ち上がる。背中から着いたため、ダメージは、そこまで深 刻では無い。しかし、投げられた事に対しては、驚きだった。 「ワシのジャーマンを、完璧な受身を取るとは・・・やるのぉ。」 「何言ってるんですか。重心移動を崩して無いのに、投げられるなんて、思いませ んでしたよ。今の力は、何処から出てくるんですか。全く・・・。」  俺は、文句を言いながら、構え直す。この人の力は、底知れないな。だけど、そ れだけじゃ、俺を倒せはしない。 「今度は、こっちから行きますよ!!」  伊能先輩の、脇腹と鎖骨と胸に蹴りを入れる。だが、伊能先輩は、笑みを浮かべ ながら立ち上がる。効いてないと来たか。 「おう。瞬。半端な攻撃を仕掛けるのは、止めろや。」  伊能先輩は近寄ってくる。俺は、さっきより気合を入れて、抉るように腹に拳を 入れる。これなら効くはずだ。 「おい!!テメェの力は、こんなもんじゃないだろうが!!」  伊能先輩は、形相を険しくして近寄ってくる。何て人だ。効いてないのかよ。な ら、これだ!俺は顔面に拳を入れる。 「この!!馬鹿が!!」  伊能先輩は、歯を食いしばりながら受け止めると、強烈なラリアットを、決めて くる。更に、俺の背中に手を回すと、俺を引っこ抜いて、パワーボムを決めた。 「ゲハ!!」  俺は、背中に鈍痛が走るのを堪えつつも、立ち上がる。 「手加減するなと言ったろうが!!ワシが見ぬけんとでも思ったか!」  伊能先輩は見抜いていた。そう。俺は、さっきから本気で殴れていない。いや、 勿論、加減して殴っている訳では無い。俺の拳は、どんな奴よりも固い。それだけ でも普通は倒せる。だから俺は、伊能先輩を、これだけで倒そうと思っていた。 「お前の拳は固い。確かにお前の拳を受けた時は、ハンマーで殴られたような感じ はする。だが、今のお前の拳には、魂が宿っていない!!」  伊能先輩の言う通りだ。つまり腰が入ってないのだ。そんな拳は、幾ら食らおう が、伊能先輩のタフさから言えば、効かないに等しいのだ。 「お前は優しすぎるのぉ。だがな、謂れの無い手加減は、もっと失礼だという事を 覚えなきゃならんぞ!」  伊能先輩は、ギラッと、こちらを睨み付ける。本気で怒っていると言う事だ。 「分かりました。なら、俺の拳・・・体に焼き付けて下さい!」  俺は、これまでと違い、腰を落とす。これで力の入り具合は、段違いの筈だ。 「そうだ。ワシが見たかったのは、そのギラついた目だ!!」  伊能先輩は、嬉しそうに笑うと突進してきた。そのまま反動を付けながら、左の パンチが飛んできた。俺はそれを、右手で払いのけると、拳を轟かせながら右の拳 を伊能先輩の腹に入れる。今度は、腰を思いっきり捻り、足の運び方も完璧な、中 段突きを見舞った。伊能先輩は顔を顰めながら、俺の腹に拳を突き入れようとする。 「セイ!!」  俺は反撃出来る伊能先輩のタフさには驚いたが、難なく防御する。しかし、それ は布石だった。伊能先輩は、俺の防御した方の手首を掴むと、そのまま素早く背後 に回りこんで、ジャーマンスープレックスを見舞う。 「グハッ!!」  こりゃ効く・・・。受身を僅かに取ったとは言え、かなり急角度で、ジャーマン を食らった。さすが伊能先輩だ。 「俺のジャーマンを食らって立ち上がるとは・・・。それにこの拳・・・。そうだ ぁ!このギリギリ感こそ、ワシが求めた物だ!」  伊能先輩は、再び構え直す。よく見ると、腹に俺の拳の痕が残っている。どうや ら、効いてない訳じゃ無さそうだ。伊能先輩は向かってきた。タックルか?タック ルなら、見切る事も出来る。いや、違う。どうやらミドルキックのようだ。俺は、 そのキックを肘でガードする。しかしガードの上からでも、響くキックだった。 「ぐっ!!!」  俺は、少し驚きながらも態勢を整える。すると続け様に、伊能先輩は大振りのパ ンチを見舞ってきた。俺は、それを避けきるが、伊能先輩は、パンチと見せかけて、 頭を掴んできた。そして膝蹴りを見舞う。俺は、手を使って何とかガードするが、 伊能先輩のパワーは並じゃない。ガードしても響く程の打撃を、見舞ってきた。更 に肘と膝を交互に連打してきた。冗談じゃない! 「うりゃああ!!」  俺は、一旦この連打を止めるために、中段蹴りを放つ。それを伊能先輩は、待っ てましたとばかりに、腕でガードすると、足を掴んでサソリ固めに移行する。 「・・・。」  俺は、言葉を発しなかった。 「甘いのぉ。瞬!!俺の勝ちパターンに、はまるとはなぁ!」  伊能先輩は、絞め上げてくる。 「・・・悪いな。伊能先輩。」  俺は、腕を立てて、足の力だけで伊能先輩を吹き飛ばす。 「ぐあ!!」  伊能先輩は派手に吹き飛ぶ。そして、こっちを睨んできた。 「やるのぉ・・・。しかし、さすがに効いただろぉ?」 「伊能先輩は、プロレスラーだもんな。分からないかも知れないな。」  俺は、その場に座り込むと、脚の柔軟を始めてやる。 「・・・それだけ曲がるとは・・・お前、さっきの・・・。」  伊能先輩は、驚きの目を見る。そりゃあそうだ。さっきのサソリ固めより、今の 柔軟の方が、足が曲がっているくらいだからだ。つまり、さっきのサソリ固めは、 ほとんど効いてない。プロレスラーより、体は柔らかく仕込んだつもりだ。 「さすが瞬よ。俺の考えより、一歩上を行くとは・・・。」 「さっきの打撃。確かにダメージはあった。でもね。これくらいのダメージは、俺 にとっては、普通なんだ。」  俺は中段突きを素振りする。そして筋肉を躍動させる毎に、筋肉を引き締める。 「お前は、俺の想像以上に、タフだと言う事か。」  そう。俺は毎日のように急所を鍛え、強い打撃を、あらゆる方向から受けても大 丈夫なように特訓された。生半可な攻撃なら、吸収出来る自信はある。それに俺が 毎日夢の中で特訓してるゼーダの一撃を、俺は何度も味わっている。あれを食らい 続けている俺にとって、この程度は、ダメージにすらなら無い。 (当然だ。お前は、常に神と対峙しているのだ。既に並みの体では無いさ。)  そう言う事か。だから、簡単には負けないと、お前は言ったんだな。 (あの伊能とか言う奴も、人間では、かなりの強さだ。だが、お前は、化け物染み ているのだ。何か、それを越えた物を用意しないとな。)  それが、伊能先輩には、あるか・・・か。 「フハハハハハハ!!やはり面白いぞ。お前は。ワシも、やっと覚悟が出来たぞ。」  伊能先輩は、ニッコリ笑うと、腰に手を当てる。何をする気だ? 「ワシのリミッターを、外させてもらう!!」  伊能先輩は、スクワットをすると筋肉が躍動を始める。これは・・・さっきの俺 と同じ!?伊能先輩も、実力を隠し持っていたと言うのか? 「見せてやる。本当の恐怖を・・・な!!」  伊能先輩は襲い掛かってきた。俺は、腰に手を当てると、伊能先輩の胸に思いっ 切り拳を突き入れる。伊能先輩は、まともに食らった。しかし止まらない!伊能先 輩は、そのまま俺の首に手を回す。これは・・・基本的なフロントチョーク!?だ が、絞め上げる力が、段違いに強い!! 「プロレスラーが、プロレスラーであるための証明のような技だ!外さん!!」  意識が遠のく!!何て力だ!これが、伊能先輩が隠し持っていた力なのか!?  ・・・仕方ない。俺も覚悟を決めるか・・・。 「ヌオオオオオオオオオオ!!!!」  俺は吼える。それと同時に、全身を震わすようにして、力を入れる。 「ググググ!!外さぬぅぅぅぅ!!」  伊能先輩も、全身全霊で絞め上げる。すげぇ力だ!意識が飛ぶ!!だが俺だって 負けない!!ここで、立ち止まってたまるか!! 「グググ・・・。ぬお!?」  伊能先輩は目を疑う。それもその筈だ。伊能先輩は、今、地に足をつけていない。 俺が首の力だけで、伊能先輩を持ち上げたのだ。そして更に力を入れると、首を振 るようにして、伊能先輩を投げ飛ばした。・・・自分でも、信じられない程のパワ ーが、体の中で湧き上がる。無意識にセーブしていたパワーが、溢れた様だ。 「・・・ヌググググゥ・・・お前・・・首の力だけで、俺を投げるとは・・・。」 「ハァ・・・。今のフロントチョーク・・・。伊能先輩の魂を感じましたからね。 俺も、全力を尽くす事に決めました・・・。」  俺は、重心を低くして構える。伊能先輩に対して、半端な技を仕掛けるのは、無 粋に当たる。俺は『普通の』空手の技を使う事を止めた。もう、やるしかない。 「こんなに早く、天神流を使う事になるとはね・・・。」  俺は、今まで天神流を封印してきた。だが、そうも言ってられない。目の前に居 るのは、でっかい壁が如き男。手加減なんか、してられない。 「お前の後ろに、闘気が漲っているのを感じる。そうで無くてはな!!」  伊能先輩は、肩で息をしている。俺の攻撃を、何度と無く食らって、さらにフロ ントチョークで、アレだけの力で絞め上げたのだ。当然かも知れない。だが、半端 な技を仕掛けるのは止めだ。今のフロントチョークで、俺の方だって限界が近い。 「一撃必倒!!次で・・・決める!!」  俺は、左手に力を込めると、前に突き出すような形で、そのままの構えで走って いく。ある技を決めるための、布石だ。 「甘いぞぉ!!」  伊能先輩は、突っ込んでくる俺に唐竹割りを見舞おうとする。それを左手で振り 払う。そこに、がら空きになった鳩尾に踵を突き入れる。そして、そのままコーク スクリューパンチのように捻る。踵でのコークスクリューだ。この技が、効かない なんて事は、無い筈だ。それくらい自信がある。 「グオァ・・・。」  さすがの伊能先輩も動きが止まる。そして片膝をつく。 「天神流空手・・・蹴り技『突穿(とっせん)』!!」  俺は技名を言う。まず腕に込めた力で、手を思い切り振り払って、鳩尾に回転を 加えた踵を突き入れる。それが、この技だ。穿つような痛さが加わる事で、この名 前がついたのだ。急所にコークスクリューだ。効かない筈が無い。 「・・・。」 「んな!?」  俺は我が目を疑った。伊能先輩は、いつの間にか立ってこちらを見ていた。あの 技を、まともに食らって立ち上がるなんて・・・どんなタフさなんだ・・・。仕方 が無い。やるしかないか!!と、その前に審判が俺を制止する。 「・・・勝者!!天神 瞬!!」  審判は、少し様子を見て俺の勝ちを宣言する。どういう事だ?伊能先輩を、俺は 倒して無いぞ。審判に怪訝な目を向けると、審判は、伊能先輩を指差す。 「あ・・・。」  俺も気が付いた。伊能先輩は、笑ってこちらを見ながら、気絶していた。なのに も関わらず、構えまで取っていた。何て・・・誇り高い人なんだ。 「・・・意地っ張りな事だな・・・。」  どこからか、声がしたと思うと、誰かがリングに上がってきた。 「・・・貴方は?」 「天神 瞬君と言ったか。・・・この意地っ張りを倒したんだ。優勝するんだぞ。」  その人は、優しく伊能先輩を張り飛ばす。凄く、良い音が鳴った。 「・・・ウグ・・・。」  伊能先輩は、気絶から立ち直ったようだ。 「あれ?・・・お、親父!?」  伊能先輩は、目の前に居る人物に驚く。親父・・・って事は、サウザンド伊能さ んか!伊能先輩の父親か!道理で、大きいと思ったら・・・。 「この意地っ張りが。様子を見に来たら、この様か。」 「・・・負けたのか。ワシは・・・。修行不足だなぁ・・・。親父に追いつけんわ。」  伊能先輩は、心から残念そうに言う。 「こん馬鹿が。お前は、勝ち負けに。そこまで拘ってるのか?」  親父さんは、伊能先輩を小突く。そして観客の方を指差す。 「見ろや。お前の闘い振りを称えてる姿をだ。これを見て、お前は勝ち負けの事し か頭に無いのか?・・・お前の闘いを、只の勝ち負けに括るのは愚か者のする事だ。」  親父さんは、この闘いでの意味を、伊能先輩に教える。 「勝つのは大事だ。だがな。それ以上に、すげぇ闘いを見せる。それが、本当のプ ロの姿だ。」 「親父・・・。ワシ、少しでも、近づけたじゃろうか?」  伊能先輩は、すっかり親父さんの前で恐縮していた。憧れなんだろうなぁ。 「良い試合を見せてもらったわ。そんな顔、するもんじゃない。」  親父さんは、伊能先輩を褒めてあげた。そして足に力が入らない伊能先輩に、肩 を貸す。伊能先輩は戸惑ったが、親父さんに肩を貸してもらいながら、退場する。 「伊能先輩!・・・俺、負けませんから!!」  俺はつい声を掛ける。すると、伊能先輩は、こちらを振り向かずに手を上げる。 「・・・負けたら承知せんぞ。」  伊能先輩は、それだけ言うと、控え室に戻っていった。そして、それを見届ける と、割れんばかりの拍手が巻き起こる。  そうだ。この試合を見てくれた人は、分かってくれている。全力でぶつかった結 果が、負けであれ、その姿は、美しいと言う事をだ。俺は勝った。伊能先輩は負け た。だが、それ以上に全力で闘ったと言う経過が客にとっては重要だったのだろう。  俺は、控え室に戻りながら、その意味を、噛み締めていた。  少しの休憩を挟んで、第2回戦の第3試合が始まる。今度は、俊男の出番だ。相 手は前回のベスト4でボクシング部主将の森 拳斗先輩だ。森先輩はミドル級の学 生のソクトアチャンピオンで、その技術たるや、目を見張る物があるという。大丈 夫なんだろうか?  俊男の様子を見ると、かなり落ち着いていた。ストレッチをしながら、ゆったり とした動きで、自分の構えを確かめている。パーズ拳法の構えを復習しているよう だ。さすがと言うか、余裕があるなぁ。 「瞬君!おめでとうさん!良い試合だったよ。」  俊男は、祝福してくれた。これから自分の試合だってのに・・・。 「ありがとさん。伊能先輩は、強かったよ。」  俺は、偽らざる気持ちを言う。俺に天神流を使わせる奴が、神城 扇や俊男以外 にも居るなんて、思いも寄らなかった。このレベルだと・・・恐らく紅 修羅先輩 にも、使いそうな気がする。使わないと、勝てない気がするぜ。 「伊能先輩は、天性のプロレスラーだからね。多分、僕でも、あんな勝ち方出来な い。君だからこそ、あんな勝ち方が、出来たんだよ。」  俊男は殊勝な事を言う。まぁ俺のような勝ち方をされても困るけどな。俊男は、 俊男のやり方で、勝ったと思う。コイツは、こう見えて、力の入れ方とかが、半端 じゃない。それが、パーズ拳法の凄い所なんだろうけどな。それに加えて、八極拳 を極めているせいで、動きに全く無駄が無い。敵をも操る足捌きなどは、見事とし か言いようが無い。俺も、良く勝てた物だと思う。空手ルールじゃない今回は、正 直やばいかも知れない。 「俺を褒めるのは良いけど・・・お前も、負けるなよ。」  俺は付け足しておいた。俊男は、こう見えて、中々負けず嫌いだから、大丈夫だ と思うけどな。応援は、しておかないとな。 「勿論、負けるつもりは無いよ。」  俊男の奴、調子が良いんだろうな。構えにも張りがあるぜ。相撲部の奴を倒した 時も、これ以上無い程、的確だったし。 「相手は、ミドル級の学生チャンピオンだぞ?」  森先輩は、何気に凄い肩書きを持っている。ミドル級のチャンピオンと言えば、 ヘビー級のチャンピオンの次に、凄い肩書きだ。ヘビー級は、中央大陸の名門校の 奴が持っていると考えると、かなりの快挙だ。 「森先輩は弱くない。寧ろ、凄いだろうね。」  俊男は落ち着いて言う。俺もそう思う。俊男には悪いが、決して舐められる相手 では無い。俺もビデオでしか見た事が無いが、あれは芸術だ。相手の動きを見切る 目、パンチのスピード、そして華麗なフットワーク。どれをとっても一級品だ。 「だけどね。彼には、覚悟が足りない。悪いが負けないな。」  俊男が、さも当然のように言う。覚悟か。確かに森先輩からは、伊能先輩のよう に何かを背負ってる感じはしないな。 「トシオ!」  後ろから、声を掛けられた。ヒート先輩の声だ。 「どうも。ヒート先輩。」  俊男は、気さくに返事する。 「ケントに勝ったら、ワタシとだ。負けるなよ。」  ヒート先輩は、鋭い目付きで言う。よっぽど楽しみなのだろう。ヒート先輩は柔 術のエリートだ。パーズ拳法の俊男とは全くタイプが違うし、面白いかも知れない。 「ヒート先輩。悪いけど、それは気が早いよ。ヒート先輩の相手、気を付けた方が 良いかも知れない。・・・何か不気味だよ。」  俊男は、ヒート先輩の目を見る。この目を見る限り、マジで心配してるな。そう 言えば、あっと言う間に終わったから、見てなかったな。 「ああ。それは、言われなくても分かってる。油断ならない相手だ。」  ヒート先輩は警戒していたようだ。何せ、古流格闘技部の主将を、ほぼ一撃で仕 留めたんだからな。油断ならない相手だろうな。 「どこかで見た事が、あるんだよな。」  俺は遠めで見ただけだが、決まった瞬間に、違和感を覚えていた。 「僕もだよ。何か、嫌な予感がするんだよね。」  俊男も、違和感を覚えていたらしい。どこかで見た事がある構えだった。 「ハッハッハ。心配されているな。なら、その心配を吹き飛ばす活躍を見せなきゃ ならないな。頑張るぞ。」  ヒート先輩は、屈託の無い表情で笑う。この人は、根が明るいんだろうな。 「・・・っと。そろそろ出番か。じゃ、いっちょ行ってくるよ。」  俊男はコーナーに呼ばれる。俺はリングサイド近くで観戦する事にした。自信満 々だな。俊男の奴。緊張は、してない様だ。俺は、急いで席を探すと、選手用の椅 子があったので、手早く見つけて、セットして座る事にした。 「兄様。まずは、おめでとう御座います。」  恵が祝福を言ってきた。素直に嬉しい。 「もう。恵さんたら、私の台詞取ったわね?んもう。ま、良いわ。これで準決勝ね。」  江里香先輩も、祝福してくれた。何だか照れるなぁ。 「ありがとう。2人共。今度は、俊男の応援もしてくれよ。」  俺は、2人に礼を言う。やっぱり改めて言われると、嬉しい物だ。 「ああ。俊男君?だーいじょうぶよ。あんなスカした相手に負ける俊男君じゃない わよ。俊男君は、ああ見えて負けず嫌いだし、あっさり決めるわ。」  江里香先輩は、全く心配して無い様だ。あんまりな言われようだな。何だか、森 先輩が、可哀想になってくる。 「同感ですわ。俊男さんは、兄様のライバルなんでしょう?じゃぁ負ける筈ありま せんわね。空手大会の準決勝を見た身としては、安心出来ますわ。」  恵まで同じような事を言ってくる。まぁ確かに、俊男は強いけどさ。森先輩だっ てミドル級の学生チャンピオンなんだぞ?弱い筈が無いのに。 「大した信頼っぷりだ。安心したよ。」  俺は、呆れた声を出す。二人共、意外と楽観的なんだな。 「そう言う瞬君が、一番信頼してるんでしょう?じゃあ大丈夫よ。」  江里香先輩が茶化すように言う。まぁ実際に、その通りだ。はっきり言って俊男 が負けるとは到底思えない。そんな事を思っていると、アナウンスが入る。 「皆様お待たせしました!!これより、第2回戦第3試合を始めます!!」  アナウンスが入ると、場内が、またざわめき始めた。 「赤コーナー!!ミドル級学生チャンピオン!!ボクシング部の主将こと森ぃぃ! 拳斗ぉぉぉぉーーー!!」  アナウンスと同時に、フードを被った森先輩が姿を現す。ウォーミングアップを しながらリングに近づく。なる程。ボクシングだな。 「青コーナー!!最年少のパーズ拳法免許皆伝者こと島山ぁぁ!俊男ぉぉぉーー!」  アナウンスが肩書きを言う。よく考えたら、すっごい事だよな。あのパーズ拳法 は、弟子がいっぱい居る事で有名なんだ。その中で、俺と同い年で選ばれて、免許 皆伝を授かってるんだからな。アナウンスが終わると、俊男が姿を現した。俺は、 その姿を見て、言葉を失った。アイツが胴着を脱いできたのだが、その下に隠され ていたのは、筋肉の鎧だった。空手大会の時より、明らかにパワーアップしている。 「す、すげぇ・・・。」 「最年少の免許皆伝っての、伊達じゃないんだな・・・。」 「パーズ拳法って、すげーんだな。」  皆の噂が飛び交う。分かる気がする。俊男の奴、一段と凄みを増してるじゃない か。恐ろしい限りだぜ。 「俊男君たら、隠れて、随分特訓してたみたいねぇ。ありゃ、パーズから帰ってき た時より、強いわよ。瞬君でも、勝てるかどうか怪しいわね。」  江里香先輩は冷やかすように言うが、全くもってその通りだ。俊男の奴、どこで 訓練したら、あんなになるのか。空手大会の時にあったような隙すら無い。 「フン。筋肉があれば、勝てるって物じゃないぜ?ボクシングと言う完成された闘 技の前に、お前は敗れるしか無い。いくらパワーアップしても無駄だよ。」  森先輩は怖気づきもしない。本気で、そう思っているんだろうが、あれは、実力 を分かっていないだけだ。俊男は、明らかに別物である。 「パーズ拳法の技術は、既に極めましたからね。瞬君。君に勝つためには、この体 を一から、鍛え直さなきゃ駄目だと思っただけだよ。」  俊男は、こっちを見て言う。なるほどね。バリバリに意識してやがる。俊男が、 負けず嫌いだってのを、体感してるぜ。 「気に食わないな。お前の相手は、この僕だぞ?無視するとは失礼だな。」  森先輩は、こちらを睨んできた。無視されたと思ったのだろう。すると、俊男は、 森先輩の方を見る。そして拳に力を入れて、地を踏む。 「唖ッ!!!」  俊男は、気合の入った声を上げる。その瞬間、武道館全体が揺れたような感じが した。いや、実際揺らしたのかも知れない。すげぇパワーだ。 「いやはや、恐れ入ったぜ。お前、本気で、俺と決勝やる気満々なんだな。」  俺は俊男に、冷や汗を掻きながらも軽口を言う。 「さてね。僕は、僕の信じる力を使うだけだよ。」  俊男は、そう言うとリングに上がる。大丈夫だ。今のアイツは負けはしない。 「随分見せてくれるじゃないか。ま、お前の見せ場は、ここまでだがな。」  森先輩は余裕の表情を見せる。ある意味、すげぇな。 「パーズ拳法なんて、古臭い拳法に負ける程、ボクシングは甘くないぜ。」  森先輩は、着用の許されているオープンフィンガーグローブを着用する。 「伝統あるパーズ拳法を古臭いとしか見れないなんて、悲しいですね。」  俊男は溜め息を吐く。森先輩の挑発には、乗ってないみたいだ。 「フン。ボクシングは、芸術の域に達している格闘技だ。形だけの拳法などとは、 訳が違う。その意味って奴を、教えてやろうじゃないか。」  森先輩は不敵に笑う。自信があるってのは凄いな。俺は、あの俊男相手に、そこ まで言い切れる程、自信は無いぜ。 「では、第2回戦、第3試合!!始め!!」  カーーーン!!  試合のゴングが鳴る。それと同時に、森先輩はフットワークを使い出す。言うだ けの事はある。変幻自在なフットワークだ。付かず離れずを地でやっている。 「華麗なフットワークと、完成されたコンビネーション。お前に、勝ち目は無い。」  森先輩は、俊男にジャブを繰り出す。言うだけあって、結構速い。しかしジャブ は、不発に終わった。俊男は、全て手の甲で捌いていた。 「ほう・・・。なら、これはどうだ?」  森先輩は、ワンツーからボディーブローを繰り出す。俊男は、またしても手の甲 で、捌くが、それを見越して、踏み込んでのガゼルパンチ、さらには、腰を使って のスマッシュのコンビネーションを見せる。 「・・・何故だ・・・。」  森先輩は、気に入らないのか、舌打ちする。それはそうだ。完璧に見えたコンビ ネーションを、俊男は手の甲だけで、防いで見せたからだ。 「僕の必殺のコースを、手の甲だけで防ぐなんて、偶然にしては出来過ぎだ。」  森先輩は、飽くまで事実を認めようとしていない。 「森先輩。悪いけど、貴方じゃ勝てない。」  俊男は、さも当然のように言う。 「生意気な事を。僕の必殺ブローを食らわないと、分からないようだね。」  森先輩は、急に構えを変える。どうやら本気で、俊男に必殺ブローを打つつもり らしい。と言うか、それ以外に手が無いのだろう。 「森先輩。よく見て下さい。僕は、試合開始から一歩も動いていないんですよ?」  俊男は言う。確かにその通りだ。森先輩の攻撃を一歩も下がることなく、捌き切 っていた。それは相当な実力差が無いと、出来ない事だ。 「自惚れが過ぎるな。完成されたボクシングが、時代に付いていけないパーズ拳法 に負ける筈が無い!!そんな事、あって堪るかと言うんだ!!」  森先輩は、意地になっているな。 「長く続いているだけで偉いとでも言うのか!?ハッ!笑わせないでくれよ。効果 的かどうかも、分からない修行を続けるなんて、愚かの極みだってんだよ!!」  森先輩は、ボクシングの事で頭がいっぱいなんだろう。 「・・・森先輩。今の言葉は、戴けません。訂正して下さい。」  俊男は、この試合で、初めて拳を握る。 「どうした?図星を突かれて、怒ったのか?」  森先輩は挑発を続ける。・・・危険だ。俊男の奴、目が据わってきたぞ。 「貴方が、パーズ拳法を認めないのは良い。でも、パーズ拳法を続けている人を、 揶揄する資格は無い筈だ。それを支えにする人も、居るんですよ?」  俊男は、とても悲しい目をしていた。自分が貶されるのは我慢出来ても、パーズ 拳法の仲間を貶されるのが、嫌だったのかもな。 「パーズ拳法なんて選んだ時点で、駄目なんだよ。支えにする?馬鹿言うなよ。」  森先輩は、ピタリと拳を安定させる。 「その君の、ちっぽけな怒りを、この拳で砕いてやるよ!!」  森先輩は、必殺ブローを繰り出す。あれはコークスクリューブローだ!出し方と 言い完璧に近い。さすがに自信を持つだけの事はある。  シューーーーー・・・。  当たると思った瞬間、森先輩の拳は突然止まった。いや、止められた。 「ギヤアアアアアアアア!!!」  森先輩の悲鳴が聞こえる。森先輩の拳から、ダラダラと血が流れる。何と、俊男 は、森先輩のコークスクリューブローを、親指一本で止めたのだ。その衝撃で、森 先輩の拳骨を砕いたのだ。 「森先輩。降参して下さい。」  俊男は、親指に付いた血を振り払う。 「お前・・・この将来のミドルチャンピオンの拳を・・・パーズ拳法風情が!!!」  森先輩が、激高して、訳も分からないまま、襲いかかる。 「ふう・・・仕方無い。」  俊男は、腰を低く落とす。どうやら、八極拳を使うみたいだな。あの自然な体の 流れこそ、八極拳の真髄だ。無駄な動きが見当たらない。端から見てると、力みを、 全く感じない。流麗かつ剛健。それを体現したのが八極拳だ。形を意識させないあ の構えに、俺の心は震えた。 「把ッ!!」  俊男の掛け声と共に、森先輩は吹き飛ばされる。俊男は、掌を前に突き出しただ けのように見える。しかし、そこにはタイミング、速さ、重さの全てが、込められ ていた。相手の攻撃を見切っての体の捻りからの半歩突き出した攻撃。見事過ぎる。  森先輩は、既に動いてすらいない。  カンカンカンカン!!  ゴングがなる。審判が、すぐに止めたのだ。良い判断だ。その瞬間に、驚きのど よめきと、拍手が鳴り響く。俊男は、その拍手に手を上げて応える。 「呆れたわ。・・・俊男君たら、あんなに強いなんてね。」  さすがの江里香先輩も、ビックリしたようだ。そりゃそうだ。俺だって、ビック リするくらいの強さだ。参ったな。 「決めたな。俊男。・・・正直、驚いたぜ。」  俺は、俊男に話しかける。 「ありがとう。瞬君に言われると、重みが違うよ。」  俊男は、本当に嬉しそうに答える。全く・・・こんなに良い笑顔が出来る癖に、 あの強さだもんな。参っちまう。 「瞬君。僕は、決勝に残るつもりだよ。君も・・・絶対に来るんだよ。」 「言うね。あの時の続きになるな。それも、悪くない。」  俺は、俊男に笑い掛ける。不思議だ。俊男の凄い所を見る度に、体の奥から震え る程、闘いたくなる。  俊男は、観客に応えながらも控え室へと入っていく。体を、休めるつもりなんだ ろう。でも、そんな必要が無い程、圧倒的な内容だったけどな。 「続いて、第2回戦!第4試合を行います!!」  お。早いな。まぁ進行も早めにしないと試合が終わらないからな。 「赤コーナー!!飛び入り参加の実力者!!風見(かざみ)ぃぃぃぃ隆景(たかか げ)ぇぇぇ!!」  アナウンスと共に胴着姿の男が出てきた。結構、落ち着いてるな。どうやら2年 らしいけど、ありゃ、普通の飛び入りじゃあないな。・・・ん?風見先輩・・・こ っち見て無いか?すっごく細目でだけど、見てるな。 「・・・天神・・・。」  風見先輩は、不意に俺の名前を口ずさんだ気がした。俺を知っているのか? 「青コーナー!!伝説の柔術一家!!ヒート一族こと、レオナルドォォ!!ヒート ォォォォォ!!!」  お。ヒート先輩だ。気合が乗ってるみたいだな。調子も良さそうだ。後ろでヒー ト一族の面々が、ヒート先輩のセコンドとして顔を現す。仲が良いなぁ。 「お。ヒート先輩の出番だね。」 「よっ。もう休みは、良いのか?」  俺は隣に座ってきた友人に声を掛ける。俊男が、椅子を用意して観戦しに来たの である。まぁ、あの試合内容じゃ、疲れてなんか無いだろうけどな。 「もう大丈夫。それに・・・この試合、何か嫌な予感がしてね。」  俊男は、真面目な顔で言う。分からなくも無い。あの風見とか言う先輩は、どこ か油断出来ない雰囲気を放っている。 「・・・ほう。」  風見先輩は、ヒート先輩の方を見る。軽く火花が散ったようにも見える。 「・・・タカカゲとか言ったね。キミも只者じゃなさそうだ。だけど、ヒート一族 の代表として、負けられないんでね。悪く思わないで欲しい。」  ヒート先輩は、胴着を脱ぐ。良い体格をしている。さすが鍛えているだけある。 無駄の無い筋肉の付き方してるぜ。 「・・・ここで使うのは得策じゃないが・・・仕方ないか。」  風見先輩は、腰を落とす。あの構え・・・何かの拳法か? 「それでは、第2回戦、第4試合!!始め!!」  始めの声が掛かった瞬間、ヒート先輩は、パンチングスタイルで牽制するような 形になり、風見先輩は、妙な構えを見せていた。・・・なんだアレは?左手で右手 を隠してる?変わった構えだ。 「怖いな。キミの、その構えから殺気を感じる。」  ヒート先輩は冷や汗を掻く。どうやら、風見先輩の妙な雰囲気に気が付いた様だ。 「だけど、逃げるのも癪だな。」  ヒート先輩は意を決して、ローキックを繰り出す。結構本格的だ。柔術では、組 み打ちの他にも固め、タックルだけで無く、パンチやキックなども練習するのだと 言う。と言うのも、タックルだけでは無く、パンチやキックで相手を崩して固めに 入るからなのだとか。  そのローキックを風見先輩は難なく躱す。その後のワンツー、ミドルキックの連 続にも、構えを崩さないまま捌き切っていた。 「・・・なら、これで!!」  ヒート先輩は、ミドルキックを強めに放つと、躱されながらも、タックルに入る。 その流れは、かなり自然だった。これだと決まりそうだな。  ヒュン!!!  ・・・え?何だ今の音。 「・・・!?」  ヒート先輩は、弾かれたように飛びのく。すると、顎の辺りが皮一枚切れていた。 何だ?今のは・・・。 「キミ・・・只の拳法使いじゃないな・・・。」  ヒート先輩は、血を抑えながら睨み付ける。 「ま、決勝まで、見せないで置きたかったんだがな。」  風見先輩は、腰の辺りで右手と左手を交差させる。 「・・・まさか・・・。」  俺は、心当たりがあった。だが、何で・・・? 「瞬君。どうしたんだい?何か思い出したのか?」  俊男が聞いてくる。俺は、確信が持てた訳じゃない。だが、あの構えに覚えがあ る。そして、その流派を勿論、知っている。 「気が付いたか?天神・・・。」  風見先輩は、俺の方を向く。このしゃべり方・・・。 「何でアンタが、ソレを使えるんだ?」  俺は睨み返した。ここで、この流派に出会えるとは、思って居なかった。 「フッ。あの御方は、貴様のせいで怒りに震える毎日だ。そんな毎日を見てきた、 俺の怒りが、貴様に分かるか?」  やはり・・・間違いないのか・・・。 「瞬君。知り合いなのか?」 「多分な・・・。」  俺の予想が間違っていなければ、コイツは、敵以外の何者でも無い。わざわざ、 こんな学内の催し物にまで出てくるなんてな・・・。 「キミの相手は、僕だぞ?」  ヒート先輩は、重心を低く取って風見先輩・・・いや風見を見据える。 「そうだったな。だが、貴様に私の『居合い』を躱せるかな?」  風見は、挑発する。『居合い』・・・か。やはりそうか。 「キミは、剣でも使っているつもりなのか?ふざけるな!!」  ヒート先輩は、風見の挑発に乗って、襲い掛かる。 「フッ。愚かな・・・。貴様には、『斬刑』こそ相応しい。」  風見は、そう言うと、ヒート先輩の動きに合わせて手を振る。いや、振るように 見えただけだ。早過ぎて、いつ振ったのか見当が付かなかった。  ドサッ・・・。  その瞬間、ヒート先輩は、物も言わずに倒れる。そして、その胸からは夥しい程 の血を流していた。完全に、胸が斬り裂かれていた。 「いかん!!救護班!!」  校長が指示を出す。すると、控えていた救護班が、急いで、血止めをする。それ だけの緊急事態だと見込んだのだろう。 「フフッ。安心しろ。致死量には、至らん。」  風見は、冷たい笑みを浮かべると、腕を振って、返り血を吹き飛ばす。観客は、 静まり返っていた。余りの結末に、言葉を失っていた。 「おい。私の勝ちだろう?」  風見は審判の方を向く。すると審判は、納得の行かない顔をしていたが、風見の 腕を上げる。これで風見の、準決勝進出が決まった。 「・・・アイツ・・・なんだよ。」 「やっぱ・・・おかしいと思ったんだよ・・・。」 「・・・ケホッケホッ!!」  観客は、恐怖の声と、気持ち悪くなって吐いている生徒に分かれていた。それを 風見は、恍惚の表情で見ていた。 「・・・フフッ。弱者には刑を与えるのは、家訓でな。」  風見は、わざと俺の方を見る。この野郎・・・。 「お前・・・やっぱり、アイツの家の者だったんだな。」 「扇様は油断しておられた。貴様が勝てたのは僥倖だと言う事を・・・私が証明す る。その、前哨戦だと思え。」  風見は、限りなく冷たい目で俺を睨む。・・・扇か・・・。やはりアイツか。神 城家の者じゃないかとは思っていた。 「神城 扇・・・。なる程。彼の手下だったんだね。」  俊男も知っている。あの残虐非道な扇を。そして、その手口をだ。奴は、空手を 斬ると言う一点に強化させて、手刀で全てを斬り裂く男だ。その家の家臣ともなれ ば、似たような技を使うとは思っていたが・・・。 「扇様を呼び捨てにするな。それに手下とは何事だ。私は扇様の重臣であり、手下 などと言う、下劣な存在では無いぞ。」  風見は、手下と言う言い回しが気に入らなかったのか、俊男に文句を言っている。 「ヒート先輩を、あんなにした奴の訂正など、受けない。」  俊男は、本気で怒っていた。ヒート先輩には、結構可愛がられていただけに、俊 男は、風見の事を、完璧な敵だと認識したのだろう。 「フッ。仲良しこよしの集団だな。反吐が出る。」  風見は、それだけ言うと、控え室へと向かっていった。どうやら、見境が無い訳 では無さそうだ。しかし、危険な事に、変わりは無い。 「参ったわね。あんな奴が、学園に紛れて居たなんて、思わなかったわ。」  江里香先輩が頭を抱える。風見は、問題児以外の何者でも無かった。 「粗暴な主に、粗暴な部下。見るに耐えませんわ。」  恵も、心底嫌っているようだ。まぁアレを見て、好きになる奴も少ないだろう。 「まさか、神城の部下が居たとはな・・・。この大会の出場を決めたのも、俺が原 因なんだろうな・・・。」  俺のせいでヒート先輩は、あんな大怪我をしてしまったと言っても過言じゃない。 「兄様らしくない。あのような者の行動に、一々反応する物じゃありませんわ。あ んなの、只の八つ当たりにしか、見えませんわ。」  恵は、俺のせいじゃないと言っているのだろう。 「恵さんの言う通りよ。それに・・・今更、悔やんでもしょうがないわ。出場が決 まって、勝った以上、アイツには、闘う権利があるんだからね。」  江里香先輩もフォローしてくれた。そうだな。それに、アイツの事で、俺が悔や んだ所で、喜ぶのは、アイツだけだ。 「でも・・・大丈夫?トシ君。」  江里香先輩は、俊男の事を呼び鳴れた呼び方で言う。やっぱ幼馴染だと言うのは 嘘じゃ無いみたいだ。トシ君か・・・。羨ましい・・・。って、こんな事考えてる 場合じゃないな。 「ありがとうエリ姉さん。でも、大丈夫。」  エリ姉さん!?俺も言ってみたい・・・。いや、こんな事を考えてる場合じゃな いんだけどさぁ・・・。気になる・・・。 「兄様?どうして、悶えてるのかしら?」  恵が凄い目で睨んでる・・・。怖いよぉ。俺の考え、絶対に読まれてるよぉ。 「いや、俊男が心配でね。・・・なぁ、本当に大丈夫か?」  俺は誤魔化しながらも俊男に話し掛ける。心配じゃないと言えば嘘になる。次に 闘うのは俊男となれば、やっぱ心配になってくる。 「瞬君。僕は勝つよ。あんな奴に、負けてられない。ヒート先輩の無念を、この手 で晴らして見せるよ。」  俊男の奴、燃えてるなぁ。風見の事は頭に来るが、俊男に任せた方が、良さそう だな。それに心配してる場合でも無いんだな。俺の次の相手は、柔道王の異名を持 つ紅先輩だ。油断出来る相手じゃない。 「よっし。分かった。んじゃ、決勝で会おうぜ。約束だ!」  俺は俊男に右手を差し出す。すると俊男も、右手で向かい合うようにガッチリ手 を組んだ。どうやら意図が伝わったらしい。 「瞬君。君こそ、負けないでよ。僕も負けないからね。」  俊男は熱い視線で見つめると、気合の入った声で控え室に向かう。  どうやら、新たな敵が出来た事で集中しているらしい。風見 隆景。  そして神城 扇との因縁は、学内にまで及んでいくのであった。  天才の弟。  周りからの声は、いつも聞こえていた。  いつも比較対象だった兄。  俺が大会を制しても、さすがは兄弟と言われた。  ハッ!私の力じゃないってのか?  まぁ無理も無い話だ。  兄は、確かに天才だった・・・俺でさえも認める。  でも俺だって、才能では決して劣って無い筈だ。  なのに何だ?この違いは・・・。  俺では認められるだけの才能が無いとでも、言うのだろうか?  俺だけの強さが無ければ、周りは認めてくれないのだろうか?  馬鹿馬鹿しい・・・馬鹿馬鹿しいが・・・。  やらねばならないのか・・・。  俺が、この事実を受け入れた時から、不敗を貫き通している。  周りから何と言われようとも、負けないように努めた。  その甲斐あってか、俺個人の名前も、覚えられるようになった。  だが、そんな矢先の事だった。  兄は、ガリウロルを代表する存在になった。  周りの期待は、否が応でも兄に行くようになった。  俺の存在価値は?  兄は俺にこそ、真価があると言ってくれた。  なら何故、周りは認めようとしないのだ?  兄の存在が憎い。  凄過ぎる兄が憎い。  同じ道を進むが故に、憎い!!  兄が憎い!憎い!!憎いいいいいいいいい!!!  兄は、兄だけの技を持っていた。  その技の冴えを、俺は何度も味わっている。  何せ最初に食らったのは、俺だ。  その技の凄さに最初は尊敬を覚えたが、嫉妬に狂ったものだ。  だから、俺も完成させた。  兄には出来ない、俺だけの技をだ。  兄を見返して、兄を超えるにはコレしかない。  だが、試せる相手が居ない。  この技は、並みの技では無い・・・下手すると、人を殺してしまう。  それだけの強さに、恵まれてる奴じゃないと・・・。  この技をもって、俺は兄を超える・・・。  そうだ・・・。超えてやるのだ・・・。  次の相手だ。  次の相手こそ、この技を試せる・・・。  楽しみだ・・・。  やっと館内は、落ち着いてきた。まだ倒れている生徒なども居るようだが、医務 室が、埋まる程では無かったらしい。まぁ、目の前でアレだけの試合があったんだ から、その程度で済んでいるのは、幸運だと思ったほうが良いかも知れない。  気になるヒート先輩の容態だが、どうやら、大事には至らなかったらしい。皮肉 にも、風見の言う通り、致死量に至るまでの出血では無かったらしく、安静にして れば、3週間程で、完治すると言う事だった。それを聞いて安心した。俺の撒いた 種で、他人が死んじまうなんて冗談じゃない。  アクシデントと言う事で、1時間程、休憩を挟んだおかげで、前の試合の疲れと かは、すっかり取れた。その点については、感謝すべき事なのかも知れないな。よ うやく、館内も、次の試合へと頭が回って来たらしく、喧騒に包まれつつあった。  忙しかったのは、校長だったらしく、色々と疲れが出ていたようだ。警察などの 取調べにも応じていたらしい。不慮のアクシデントと言う事で、カタが付いたのは、 ほんの10分前だ。最初は、対抗戦の中断まで言われていたらしいが、これを楽し みにしている生徒と、出るために頑張ってきた者達の想いなどを、散々説明して、 更には、ヒート先輩の容態が大事に至らなかったのが説得の決め手になったらしい。  アナウンス席に、校長が座ると、アナウンスが、心配したように声を掛けるが、 校長は、大丈夫とばかりに頷く。そして合図をする。 「館内の皆様、アクシデントにつき、長らく中断させてしまった事を、深くお詫び 申し上げます。ただ今から、10分後に準決勝が始まります。」  アナウンスが告げると、館内は、俄かに盛り上がってきた。さっきみたいな事は、 御免だが、やはり続きを見たいと言うのが、本音なんだろう。 「さすがに中断するかと思ったけど・・・さすが校長だね。」  俊男が、声を掛けてきた。少し顔が和らいでる。ヒート先輩が無事だった事が、 要因のようだ。心配してたもんな。 「ヒート先輩も無事だった事だし、盛り下がった館内を盛り上げなきゃな!」  俺は、努めて明るく答える。 「その調子だよ。大丈夫。瞬君なら勝てるよ。」  俊男は、自信を持って言う。そう言われると嬉しいんだけど、紅先輩相手では、 間違いなく勝てるとも、言い難いよな。 「ありがとさん。やるだけやるさ。・・・それより、お前のほうこそ、絶対勝てよ。」  俺は風見と闘う俊男の心配をする。風見に負けるって事は、さっきの試合の繰り 返しになる場合が、ほとんどだ。俊男が、あんな姿になったら、俺の方こそ、抑え が利くかどうか、疑わしい。 「絶対勝つよ。・・・絶対にね。」  俊男は、感極まった声を出す。俊男らしくないな。どうしたんだろう?ただ自信 が無いって訳じゃない。何か違う事に、責め立てられて傷付いてる感じだ。 「何か、あるのか?」  俺は聞いてみる。やっぱり変だ。俊男は、いつもなら、こんな言い方しない。 「いや、何でもないよ。頑張ろうよ!」  何か聞いて欲しくない感じだ。気になるけど、深入りするのは止めておくか。 「そうか。気のせいなら良いけど、余り抱え込むなよ?」  俺は、これ以上の追及は止めておいた。俊男の事だ。悩んで、今の答えを出した に違いない。引っ掛かりはする。でも、俊男を信じる事にした。 「時間ですよ!」  係員が、声を掛ける。さて、そろそろ行かないと駄目だな。 「よし。じゃぁ行って来る。お互い、決勝で会おうぜ。」 「うん。瞬君も、勝ってよね。僕も、絶対に負けないからさ。」  俊男は、拳を確かめている。そうだな。今は、集中しなきゃ駄目だ。何せ相手は、 去年の覇者にして、柔道王だ。気を引き締めなきゃ。 「お待たせしました!!これより、部活動対抗戦、準決勝を行います!!」  アナウンスが掛かる。さーて、いっちょやるか。 「赤コーナー!!戦慄の柔道王!!紅ぃぃぃ修羅ぁぁぁぁ!」  向こう側から、紅先輩が姿を現す。・・・って、何だ?この感じ? (む。この相手・・・。闘気を、こちらに向けているな。)  闘気?やっぱりそうか。すげぇな。ここまで伝わってくる闘気だから凄い量だ。 これだけの闘気を向けられるとは、紅先輩も只者じゃあない。 「青コーナー!!天下無双の剛拳!!天神ーーーー瞬ーーー!!」  お。俺か。何だか、すっかり馴染まれたな。その異名。 「お。出て来たぜ!良い試合期待してるぞーー!!」 「ここまで来たからには、優勝しろよー!!」 「恵様のお兄様ー。頑張ってねー。」  何だか前より、俺を純粋に応援してくれる人が、増えたような気がする。ちょっ と嬉しいな。ま、期待に応えますか。 「フフフ。ついに君と闘える。」  紅先輩は、嬉しそうだった。俺と闘うのが待ち遠しい感じだ。 「俺も楽しみですよ。紅先輩からは、闘気が見え隠れしてますからね。」  俺は、反応するか試してみた。すると、不敵な笑みを漏らしてきた。 「君も体得したのかな?いや、問うまい。この試合で、分かる事だ。」  紅先輩は、そう言うと、ニヤリと笑う。間違いない。紅先輩は、闘気を自在に操 る事が出来るんだろう。そう考えれば、今までの驚異的な見極めも納得出来る。 (瞬。ならば遠慮は要らぬ。今までの修行の成果を、見せてやるのだ。)  そうは言うけどな。相手が、どれくらいの使い手なのか見極めなきゃ、大変な事 になら無いか?俺のは、壁に穴を開けるくらい強力なんだろ? (ハァ。君は、お人好しだな。君がそう言うなら、様子見するのは構わないがな。 相手は本気だと言う事を、忘れるなよ。)  慎重なだけだ。俺だって紅先輩が本気だと分かったら、容赦はしないさ。それに 用心に越した事はない。 「ほう・・・。まぁ、無難な考えだな。」  紅先輩は、当然だろうと言わんばかりだ。俺は胴着を脱いだのだ。これは、当然 の選択だ。柔道は、胴着を最大限に活かす術を知っている。それに対して、胴着を 着たまま闘うのは、ハンデを負ってるに過ぎない。俺だって、胴着を利用する術は 知っている。しかし、柔道家は、全く違う。胴着を利用して闘う術を知っているの だ。例えるなら、刀を振れるのと、剣術を身に付けている程の違いがある。それ相 手に、ハンデを背負う程、俺も馬鹿じゃあない。 「すげぇ・・・。あの筋肉・・・。」  う・・・。話題にされてる。まぁ、俺だって体に自信が無い訳じゃあないけどさ。 改めて見られると、少し恥ずかしいな。ま、そんな事思っている場合じゃないか。 「それでは、部活動対抗戦、準決勝!第1回戦!始め!!」  カーーーーン!!  ゴングが鳴ったな。紅先輩は柔道の構えだ。前屈みで、常に捕まえるような動作 を意識している。俺は、上下に拳を持ってくる平均的な空手の構えを見せる。この 構えは、あらゆる攻撃を平均的に出せる結構優秀な構えだ。だが、天神流は、攻め と受けをハッキリさせるために、敢えて構えが異なっているのだ。空手の構えは、 優秀なだけに、一撃必倒を目指す天神流には不向きなのだ。 「慎重な構えだな。君らしくない。」  紅先輩は、構えを崩さないまま、俺の方に寄ってくる。 「そう言わないで下さいよ。紅先輩のプレッシャーが凄いから、慎重になってるん ですからね。」  正直な感想を言った。紅先輩からは、伊能先輩には無いプレッシャーを感じてい た。伊能先輩は、体をフルに使ったプレッシャーだった。だが、紅先輩からは、懐 の深さと言うか、飛び込んだら何をされるか分からないと言った怖さが有るのだ。 「なら、このまま続けるか?」 「それじゃ、試合が終わってしまいますからね。行きますよ!!」  俺は、敢えて仕掛ける事にした。何事も、仕掛けてみなければ分からない。紅先 輩は、構えを崩さぬまま俺の攻撃に備える。 「デェイヤアアアアア!!!!」  俺は、基本となる中段突きを放った。速さ、腰の回転共に、しっかり加えてある 突きだ。それを紅先輩は見もせずに、体を横にずらすだけで避ける。・・・どう言 う事だよ!?俺の突きを、完全に見切ったとでも言うのか?  俺は少し動揺したが、続けて肩を狙った突きを繰り出す。これも、体を捻って躱 された。しょうがないので膝を狙った蹴りを出す。すると、何と蹴りを、捕まえら れた。俺は、蹴り剥がそうとするが、全く動く様子が無い。 「どうした?君の力は、こんな物では無いだろう?」  紅先輩はニタッと笑う。背筋が凍りつくようだ。恐ろしい事しやがる。俺は、そ のままの態勢で膝蹴りに移行する。捕まれてても膝蹴りは出来る。しかし膝蹴りを 出す前に、足を掴んだまま、足での一本背負いを仕掛けられる。何て力だ。俺は、 地面に叩きつけられる前に、両手で支えると、そのまま勢いで、足を振り回して、 何とか紅先輩を振り解いた。だが、紅先輩は、何事も無かったように、空中で一回 転をして、着地する。 「面白い動きをするね。さすがだよ。」 「何を言ってるんですか。足での一本背負いなんて、面白い真似してくれたのは、 どっちですか。全く、怖い事をしてくれますね。」  俺は口を尖らす。おっかねぇ事する先輩だぜ。それに容赦も無い。そして何より も、俺の動きを完全に読んだ、あの動きは、闘気を利用した物だろう。俺の闘気を 感じて、事前に避けた感じだった。攻撃する時は、封じていた闘気が、自然に出て しまうからな。 (だから言ったであろう?遠慮する事は、無いだろうに。)  はいはい。俺が悪かったよ。確かに強いわ。紅先輩。俺も、本気で闘気を使う事 にするか。まず、闘気を見る気にならなきゃ駄目だ。俺は、修練でやったように目 を凝らす。すると、闘気の渦が見えてきた。む・・・。紅先輩の闘気は、一層大き いな。さすがだ。俺も、今まで禁じていた闘気を、体に浸透させるとするか。 「フゥゥゥゥゥ・・・。」  俺は、心を落ち着けると、体の隅々に闘気を行き渡らせる。良い感じだ。指先の 神経まで、細かく闘気が入り込んでる感じがするぜ。 「ほう・・・。予想以上だ。やはり君になら、俺の最高の技を出せる!!」  紅先輩は、闘気を漲らせる。何か仕掛けるつもりか? 「紅先輩が、どう言うつもりか知りませんが、俺は、俺の全力を出すまでです。」  俺は、両拳に闘気を集中させる。そして、天神流の『十字の構え』を見せる。攻 撃と防御のバランスに特化した構えだ。 「まずは、どれだけ操れるか、見てやろう!」  紅先輩は柔道の構えから、手を出してくる。俺は、紅先輩の闘気の流れを読みな がら、右に左にと、切っていく。かなりの速さで突き出してくるが、見切っている 以上、そう簡単に、掴ませたりしない。俺は、その攻撃の合間を縫うように裏拳を 繰り出す。それを紅先輩は、払いのけるように腕を振ると、胴着の袖を利用して、 俺の裏拳を繰り出した右腕を、絡めとって、そのまま背負い投げに移行する。俺は、 背負いが来る前に、自ら飛んで紅先輩の前に着地する。投げられる前に飛べば、地 面に叩きつけられる前に、着地出来るのだ。俺は、そのやり方を熟知していた。 「セイァアアアアア!!」  俺は、掛け声と共に裏拳を顔面に向けて繰り出す。それを紅先輩は、俺の裏拳を 掴んで止めるが、そこまでは俺も読んでいたので、そこから勢いを殺さずに肘を曲 げて、脇腹に肘打ちを食らわせる。 「ゲホォ!!!」  紅先輩は、叫び声を上げる。さすがに今のは、対応出来なかったようだ。紅先輩 を吹き飛ばしてみせた。 「天神流肘打ち『央砕(おうさい)』!!」  俺は、技名を叫ぶ。この技の裏拳は、見せ技で、肘を決めるための技だ。 「やるな・・・。さすがは天神流。しかも肘に回転を付けるとは・・・。」  紅先輩は、脇腹を抑えながら苦々しい顔をする。無論、ただの肘技で終わらせる 天神流じゃない。入れるからには、回転を加える。 「フッフッフ。予想以上の強さだ。ゲフォッ!!・・・やはり君だ。」  紅先輩は、少し血を吐きつつも、俺を見る眼は衰えていない。あれは、何か隠し 技を持っている。取っておきがあるに違いない。 「『央砕』を食らって、まだその闘気。怖いね。先輩は。」 「君こそ、よく言うな。闘気で強化してさえ、肋骨は折れた。君の拳、そして、君 の体の造りは、おかしいとしか言いようが無い。伊能が負ける筈だ。」  紅先輩は、息を整えている。どうやら、普通の技を出す気は、もう無いみたいだ。 「この技は・・・兄を超えるために生み出した技だ。その成果を試せる人間。それ は、君を置いて他に居ない。最初から、そう思っていた。」  紅先輩は、そう言うと、柔道の構えを解く。 「フフフ。俺は、この技を編み出すためにパーズに出掛けた。その成果を見せよう。」  パーズへ行った?だとすると、パーズ拳法でも、参考にしたのだろうか?しかし、 柔道一直線の紅先輩が、参考にする程の技があったと言うのだろうか? 「パーズ拳法では無い。もっと面白い者に会ってな!!」  紅先輩は、猛獣のような構えを見せる。そして、まるで猛獣が獲物に飛び掛るよ うな仕草で、俺に向かって腕を伸ばす。 「ウワッと!!」  俺は、反射的に右の正拳を繰り出す。その瞬間だった。紅先輩は、左腕で俺の正 拳を絡め取ると、掌抵を顎に入れて、背負う形で足を払ってきた。俺は耐え切れず に、体を浮かせてしまう。そして、そのまま頭から落とされた。そして、何と鳩尾 に、投げた勢いで膝を入れてきた。 「グフォッ!!!!」  俺は、苦しみで言葉が発せなかった。何て投げ、そして、何て恐ろしい技なんだ。 腕を固定させて、顎を打ち抜いて、山嵐のように俺の両足を足で刈り取って、投げ たのだろう。そして投げた瞬間、自分も飛んで、俺の鳩尾めがけて膝を落とす。こ れが、一連の流れなんだろうが、そのタイミングの絶妙さたるや、天才の域だった。 「フフフフフッ。君は強かった。俺のオリジナル技『白虎(びゃっこ)落し』を出 させたのだからね。パーズで出会ったホワイトタイガーを相手に決めた技なんだよ。」  紅先輩の声が聞こえる。だが、俺は、それ所では無い。顎を強打されて、鳩尾に 膝を落とされて、頭から、全体重で落とされたのだ。これ以上の投げは無い。 「審判。俺の勝ちだろう?」  ・・・紅先輩は強い・・・。このまま立ち上がっても・・・。 「瞬君!!」  あ・・・。江里香先輩の声だ・・・。 「兄様ぁ!!」  恵・・・。お前、何て声出すんだよ。俺が負けるってのが、そんなに嫌なのか? (おい。気を失ってないのなら、立ったらどうだ。天神流は敗北しないのでは、無 かったのか?私に語った、正しく強くありたいと言うのは、嘘だったのか?) 「チッ・・・。参ったぜ。」  俺は、どうやら、このまま眠っちまう訳には、行かないらしい。 「・・・恐ろしい男だ。あの投げを食らって・・・立ち上がるとは。」  紅先輩の声が聞こえる。そうだ。俺は、まだ終わっちゃいない。この痛みなら、 まだ耐えられる。立てないのなら仕方が無い。だが、心が折れて、立ち上がれない なんてのは、絶対に嫌だ!!! 「天神、出来るか?」  審判が、心配そうに駆け寄る。 「闘えなきゃ、立ちませんよ。」  俺は、ハッキリと答えてやった。 「・・・よし!再開!!」  審判の声と共に、轟音のような歓声が上がる。そうだ。俺は、まだ負けられない。 そうだ。俺はまだ、力を出し切っていない。そんな内に負けて堪るか・・・。 「ようやく立ち上がったか。だが、仕留めさせて貰う!!」  紅先輩が来る。またやられるのか?フッ。おもしれぇ。やってみろってんだ。今 度の俺は、そう簡単に負けはしない。何故なら、セーブした力を、全部出してやる ってんだからな!!!もう隠さねぇ!!!! 「終わりだ!!」  紅先輩は、もう一度俺の右腕を引っ張りながら、顎に掌抵を入れる。 「・・・なっ!?」  紅先輩は驚く。俺は掌抵を、まともに食らっても紅先輩を、見据えたまま投げさ せなかった。仁王立ちのまま、右腕を逆回転させた。すると紅先輩は、掴んでいた ので体を捻られて、倒れる。俺は、それを見ながら踏み付けを行う。それを、紅先 輩は、飛びのくように逃げる。 「君は・・・。本気では無かったのだな・・・。」  紅先輩は、冷や汗を流す。俺は、とうとう本気になった。今までは、次があると 思って、無意識にセーブしていたのだ。だが、それも紅先輩の強烈な一撃で、目覚 めた。もう溢れる闘気を、隠そうとはしなかった。それは失礼に当たるからだ。 「紅先輩。・・・貴方は、俺の本当の強さを見せる3人目の人だ。」  俺は、そう言うと、紅先輩の方へと歩いていく。そして、最も基本的な中段突き の構えを見せる。正統派にして、己が拳の全てを、この一撃にぶつける。これこそ が、天神の究極の境地だ。迷いは無い。 「フッ。恐ろしい・・・。その姿こそ、君の本当の武の境地なのだな。」  紅先輩は、覚悟を決めた様だ。柔道の構えを見せる。 「一撃必倒・・・。全ての基本にして、全ての原点。それを、何万回も繰り返して、 基本技は、必殺となりえる・・・。」  俺は爺さんから教わった、一番最初の言葉を復唱する。そして、それこそが天神 流の原点。俺は、この拳にありったけの闘気を込める。 「ウォォォォ!!」  紅先輩は、飛び掛ってきた。その両腕を、俺は左手で払いのける。そして、最高 の一撃を、紅先輩の鳩尾に入れた。 「グァァァァァァアアアアアアア!!!!」  紅先輩は、絶叫を上げながら吹っ飛んで倒れる。 「一撃必倒。天神流空手、突き技『貫』!!」  俺は、技名を言い放つ。この技の前に、倒れぬ敵は居ない。  カンカンカンカン!!! 「勝者!!天神 瞬!!」  審判の声で、俺は腕を上げる。紅先輩は、まだ動かない。大丈夫だろうか? (やり過ぎだな。君は、加減を知らぬのか?)  アンタが、加減するなと言ったんじゃ無いか。 (君は切れると、相手の生死すら問わないようだな。怖い物だ。)  くそう。言い返す言葉も無い。ちょっとやり過ぎたかも知れない。 「仕方の無い奴だ。」  誰かが、またリングに上がってきた。あれ?この人は・・・。 「気絶しているか。ま、良い薬になっただろう。」  その人は、紅先輩に肩に担ぐ。 「・・・なぜ・・・貴様・・・が。」  紅先輩は、意識が戻ったようだ。 「その口の聞き方は、相変わらずだな。素直に敗北を認めるんだな。」 「煩い・・・。貴様・・・にだけは・・・情けを・・・掛けられたくない。」  紅先輩は、息もやっとの事でしているというのに、その人の事は毛嫌いしている。 「俺の弟なら、潔く敗北も認めろ。」  弟?って事は、この人が・・・紅 道雄さん? 「俺は・・・貴様を・・・超えるために!!!」 「全く。どこでこんな捻くれたんだか。そんなお前には、コレをやらんぞ。」  道雄さんは、何かを手に持っていた。そこには『柔道ソクトア選手権推薦状』と 書いてあった。その宛先は、紅先輩だった。 「フン・・・。負けた・・・俺には・・・必要の無いものだ。」 「ったく・・・。この天邪鬼が!!」  道雄さんは、紅先輩の頬をひっぱたく。 「お前なぁ。俺が、どんな思いでコレ持ってきたか、分かっているのか?」  道雄さんは、紅先輩を睨む。 「知るか。」 「お前はな・・・。俺を差し置いて、無差別級で選ばれてるんだぞ?」  道雄さんは、とんでもないことを言う。今度、ソクトア選手権の柔道で、無差別 級と言うのが、初めて開催される事は俺も知っていた。その初めての選手に、紅先 輩が選ばれたのだと言う。 「何だ・・・と?」 「俺は、100キロ級。お前は、無差別級で選ばれてるんだよ。強化合宿部長が言 ってたぜ。俺より、お前をソクトア全土に、名前を響かせたいってな。」  道雄さんは、面白く無さそうに言う。そりゃそうだ。弟が、自分より上のクラス で選ばれたのだ。 「何でだ・・・。俺は・・・いつも・・・アンタの弟でしか・・・見られて無いの に・・・。わざと・・・辞退したんだな?」  紅先輩は、信じようとしなかった。 「てめぇなぁ。俺が、そんなせこい事を、するかってんだよ。お前を立てる為に辞 退?馬鹿言ってんじゃねーよ。俺だって、喉から手が出る程、欲しかったに決まっ てんだろうが!だがな。お前なら、しょうがねぇと思っただけだ。」  道雄さんは溜め息を吐く。本当に残念だったのだろう。 「認めたくはねーが、お前の力は、既に俺を超えつつある。だがな。油断してるん じゃねーぞ?てめぇが怠けてたら、俺が、すぐにまた超えてやるからな。」  道雄さんは、面白く無さそうに、紅先輩の頭を何度も叩く。 「プッ・・・。愚かだな・・・。見捨てられたのか。」 「てめぇ、言うに事欠いて、それかよ・・・。全く・・・。強化合宿は、1週間後 だ。それまでに怪我を治せ。じゃねーと、俺がお前を、引きずり落とす。」  道雄さんは、本気の目で紅先輩を見る。どうやら、仲が悪いように見えて、この 兄弟は、良いライバルのようだ。 「もう・・・代表の座は渡さん。・・・せいぜい足掻け。」  紅先輩は、元気が出たのか、軽口を叩く。 「てめぇ、体が治ったら覚えてろよ。俺の『竜巻背負い』を、また食らわせてやる。」  道雄さんの『竜巻背負い』は、相手を捻るようにして背負う、道雄さんの必殺投 げだ。あれで、何度も優勝している。 「良い度胸だ・・・。『白虎落し』・・・貴様にも決める。」  紅先輩は結局、文句を言いながら、道雄さんの肩を借りつつ退場する。 「紅先輩!!道雄さん!!どっちも優勝ですよ!!」  俺は、2人に声を掛けた。 『誰に言ってる。当然だ。』  2人共、そう返してきた。やっぱり兄弟だ。  俺は、この兄弟を羨ましく思った。最も近くに居て、最も超えなきゃならないラ イバル。それが兄弟だなんて、贅沢な悩みなのかも知れない。  こうして、俺は決勝へと進んだ。素晴らしい柔道家、紅兄弟を俺は忘れない。  俺は控え室へと戻った。そこには、俊男が待っていた。入念に構えのチェックを していた。そして、俺の顔を見ると、顔を綻ばせて肩を叩いてきた。  俺は親指を立てて、約束は果たしたと言うジェスチャーを送る。 「モニターで見てたよ。瞬君は、さすがだよ。」  俊男は、惜しみない称賛をくれた。 「そう言ってくれると嬉しいけどな。結構、危なかったぜ。」  俺は、偽らざる気持ちを言った。何せあの『白虎落し』を食らった時は、本当に 駄目かと思った。底から湧きあがるような力を出せたのは、江里香先輩と恵。そし て、ゼーダが俺の力を信じてくれた事が、大きな要因だろうな。 (君も、ようやく私の価値に気が付いたか。大きな成長だぞ。)  一言多いっつーの。まぁ助かったけどな。 (素直では無いな。まぁいい。次は、俊男殿の番だな。)  その通りだ。俺が約束を守った以上、今度は俊男の番だ。それに俊男の相手は、 神城の家臣の、風見なんだからな。 「次は、僕が約束を守る番だ。・・・決勝で会おう。」  俊男は、迷いの無い目をしていた。アイツ、自信あるんだな。 「安心して良い。僕は、絶対に負けない。瞬君や紅先輩まで、本気を出したんだ。 僕も、自分の力を出し惜しみしない。・・・そう決めたんだ。」  俊男は、今まで出し惜しみをしてたってのか?それで準決勝まで来るなんて、恐 ろしい奴だ。それを解禁すると言った。それは、並の決意じゃないのだろう。 「本当は、最後まで使う気は無かった。君と同じ。自分で、この力は封印して闘お うと決めていたからね。」  ・・・俊男の奴、まさか・・・。封印しようと決めた・・・そして俺と同じ。と なると、俊男も使えるんだな。闘気を・・・。 「俊男。闘気を、解禁する気なんだな?」 「そのつもり。パーズ拳法の間では『気功』と呼ばれててね。危険だから、滅多に 使っちゃいけないんだ。師匠からも、ギリギリまで使わないように言われてるんだ。」  俊男は、それを使うと言った。『気功』を解禁すると言う事は、相手に確実なダ メージを与えるために、容赦をしないと決めたのだ。優しい俊男の事だ。迷ったに 違いない。でも、ヒート先輩の状態を見て、使うと決めたのだろう。 「そうか。でも、闘気なら、風見も使えるはずだ。天神流と同じく、神城流でも、 闘気の流れについては、習う対象になっている筈だ。」  最も、俺の場合は、自らの内に持つ闘気を、外に出す事によって、打ち出す技術 まで身に付けているんだけどな。これは、天神流でも何でもない。 (敢えて言うなら、天上神流とでも言いたまえ。ハッハッハ。)  言ってて、恥ずかしく無いか? (一言多い!!!全く可愛くない弟子だ!!)  ま、確かにゼーダから教わった闘い方だからな。間違いじゃない。 「分かってる。空手大会の決勝の時、君と扇の闘気が、ぶつかり合ってたのが見え たからね。それに、僕との闘いも闘気のやり取りがあったしね。」  ま、そうだな。体を硬くして耐えたりしたのも、闘気のおかげだ。天神流では、 普段から当たり前のように、闘気を取り入れている。いや、武術家なら、誰でも持 っている才能のはずだ。ただし、それの流れまで自在に見極めるには、修練が必要 だ。ここまでは、天神流や神城流でもやる事だ。だから俊男も、使わないと不利な だけだ。 「瞬君。僕が解禁する闘気は、普段使う闘気じゃない。戦闘で、相手を動けなくす るための、危険な闘気の方だよ。だから怖いんだよ。」  俊男は、敢えて闘気を使うと言うからには、普段見せないような、凄い闘気を解 禁するつもりなんだろう。恐らく、空手大会ですら使ってない闘気。 (俊男殿は、闘気を打ち出す技術の事を、言っているのではないか?)  ありえるな。俊男なら、使えても不思議じゃあない。 「君には、最初に見せておこう。」  俊男は、壁から離れた所から構えを取る。そして右手に闘気を集める。・・・!? 凄い闘気だ!普段の俊男からは、信じられない量の闘気だ。 「把ッ!!」  俊男は、右手を突き出すような形で闘気を打ち出す。すると、離れた所から、壁 に向かって闘気弾が放たれた。  ボゥン!!!  物凄い音と共に壁は見事に大穴を開けた。・・・俺が、自分の部屋で試したのと 同じだ。それ以上かも知れない。 「はぁ・・・。こりゃ躊躇うわな。」 「・・・うん。でも、勝つためには、使わなきゃならないと思う。だから使う。」  俊男は決意を込めていた。風見の実力は、それくらい高いと見抜いているんだな。 「気功の中でも、この『外気』は危険なんだ。だから、封印してたんだけどね。」 「俊男。その『外気』、俺には遠慮するな。いや、する必要が無い。」  俺は俊男に声を掛ける。すると、俊男は意外そうな顔をする。やはり、決勝でも 使う気が無かったんだな。でも、こんなの見せられた後では、不公平だ。 「セイッ!!!」  俺は、拳に闘気を溜めると、同じように拳から闘気弾を打ち込む。  ガゴォ!!!  俊男とは、反対側の壁に穴が開いた。やっぱ、見せて置かなきゃ駄目だ。 「・・・やはり、決勝の相手が瞬君で良かった。」  俊男は、嬉しそうに笑う。あれは、俺を本当のライバルと認めた笑みだ。嬉しい 限りだ。俊男は、自分だけで悩んでたに違いない。俺だって、この能力を知った時 は、悩んだ。使うまでには、勇気がいった。それを俊男が、同じ悩みを打ち明けて くれたのだ。俺は、それに応えなきゃ嘘だ。 「島山 俊男君!準決勝、第2回戦、行くよ!!・・・って・・・。」  係員が、呼びに来て、壁に開いた大穴を見て驚く。 「済みません。つい力が入りすぎて・・・。校長に、謝って置いて下さい。」  俊男が、申し訳なさそうに言う。勿論『外気』の事は、伏せておく。 「あー。済みません。逆側は俺です。俺の分も、言って置いて下さい。」  俺も、それに続く。俊男1人に謝らせるのはバツが悪い。 「はぁ・・・。決勝は君達だな・・・。確信したよ。」  係員は、感嘆の声を上げると、共に笑う。 「よし。じゃぁ行って来る!瞬君。決勝では、互いにベストを尽くそう!!」  俊男は、係員に付いていく。 「ああ。あの時の続き・・・。やろうぜ!!」  俺は、俊男を見送ってやった。すると、俊男は控え通路の方へと向かっていく。 (驚いたな。君の他にも、アレだけ闘気を使いこなせる者が居たとは。)  俊男だからな。アイツなら、ありえると俺は思っていた。 (決勝では、油断するんじゃないぞ。)  分かってる。そんな事したら、俊男に失礼だ。俊男は、絶対決勝まで上がってく る。なら俺は、全力を尽くすまでだよ。条件は同じだって分かったからな。 『それでは、これより!準決勝!第2試合を行います!!』  モニターで、準決勝の様子が映し出される。さて、ここで観戦するか。 『赤コーナー!!居合いの手刀!!風見ぃぃぃぃ隆景ぇぇぇぇ!!』  風見の入場だ。館内からは、誰も拍手を送らない。嫌われてるなぁ。まぁ、当た り前か。あれだけの事をしたんだ。出られるだけ、マシって物だ。 『青コーナー!!最年少のパーズ拳法免許皆伝者こと島山ぁぁ!俊男ぉぉぉーー!』  俊男の奴が、一歩一歩踏みしめるように入場する。それを風見は、不敵な笑いを もって、見下ろすような形だ。余裕って所か。 『島山ぁぁぁ!!勝てよぉぉぉ!!』 『そうだぁ!!あんな奴に負けんなよぉ!!』 『お前のパーズ拳法と、天神流との対決を、俺は見たいんだ!!』  おーおー。人気あるねぇ。風見が人気無い分、俊男に人気が集まってる感じだな。 風見は、飽くまで冷静に見下ろしている。 『校長!!この試合、どう見ます?』  解説席は、相変わらず、やかましい様だ。 『心情的には島山 俊男が勝ち進んで欲しい。じゃが、あえて解説するなら、どち らもテクニックは充分。切れ味、破壊力も申し分ない。となると、気力充分な方が 勝つであろうよ。体のバランスから言えば、島山の方が、少し有利じゃな。』  さすが校長。ここで俊男応援団にならない所は、さすがだ。俊男は天性の才能が ある。体のバランスと生真面目さから来る、体の鍛え方は見事としか言いようが無 い。だが、相手は、神城と同様の修練を積んできた風見だ。手刀の切れ味は、抜群 だ。相手は、この利点を、フルに使ってくるだろう。 『それでは、部活動対抗戦、準決勝!第2回戦!始め!!』  始まったか。風見が、不気味な構えで近寄ってくる。例の手刀を隠す『居合い』 の構えだ。神城流の中でも、特殊な構えだ。神城流の中でも『居合い』を、あそこ まで進化させた奴は、風見くらいな物だろう。神城の戦い方は、鋭利な刃物をチラ つかせて、相手の覇気を削ぎつつ闘うやり方だが、風見の場合、その刃物を見せず に、間合いを測らせずに闘う不気味な戦法だ。『居合い』とは、良く言った物だ。 『フッ。パーズ拳法か・・・。恐れるに足らず!!』  風見は、俊男が動かないのを見て『居合い』を抜いた。そして俊男に、手刀が襲 い掛かる。それを俊男は、真正面から見据えて打ち払っていた。完璧だ。一番やっ てはいけないのは、目を反らす事だ。しかし俊男は、少しの動きも見逃さずに、打 ち払っていた。 『・・・貴様・・・。』  風見は、俊男の動きを見て油断するのは、拙いと思ったのだろう。 『先に言って置きます。貴方は、降参する気は、ありませんね?』  俊男は睨み付けながら言う。それを聞いた風見が、烈火の如く顔を赤くする。 『降参?貴様、この私が敗走するとでも言うのか?扇様以外に、そんな事は有り得 ぬ!!見くびるのなら、相手を選ぶが良い!!』  風見は、色んな方向から手刀を振り下ろす。一歩間違えば、ヒート先輩と同じ道 を歩む恐ろしい手刀だ。だが、俊男は、怯む事無く、打ち払っていた。 『ぬぅぅぅぅ!!!何故当たらぬ!!当たれば貴様など、すぐに散ると言うのに!!』  風見は、頭に血が上っていて、周りが見えていないのか?俊男は、全て軌道を見 ながら、手で打ち払っていると言うのに・・・。 『なら、打たせましょう。』  俊男は、手を広げて打たせるとばかりにポーズをとる。・・・俊男は、打たせる つもりか。となると、俊男は使うんだろうな・・・。 『・・・貴様!!その侮辱!私刑に値する!!!』  風見は、俊男に容赦なく斬り付ける。それも1回じゃない。2回、3回とだ。し かし俊男は、傷一つ付いていない。俊男は完璧だ。 『貴方の闘気は、そこまでと言う事ですね。』  そう。俊男は、闘気で自分の体を、硬質化したのだ。つまり、風見の闘気を込め た手刀が、俊男の硬質化した筋肉の鎧に、負けたのだ。俊男は覚えていたんだ。空 手大会で、俺が使った天神流の受け技『鋼筋』をだ。そして、闘気の流れを覚える につれ、技をマスターしたに違いない。何て言うセンスだ。 『何故だ!!私は風見 隆景!!神城流の第一の家臣だぞ!!貴様如きに、何故遅 れを取らねばならんのだ!!有り得ぬ!!』  風見は、分かって無い。俊男のセンスは非凡だ。 『貴方は確かに『居合い』を使いこなせる素晴らしい強さをお持ちだ。だが、その タネが分かった今、僕の敵じゃ無い。貴方は、武器が少なすぎるんだ。ヒート先輩 だって貴方の『居合い』の事を知っていたら、あんな結果にはならなかった。結果 も逆になっていたでしょう。貴方は、自惚れ過ぎだ!!』  俊男が掌に力を込める。・・・物凄い力が込められているぞアレは・・・。モニ ター越しにでさえ、俊男の掌の空間が歪んでいるのが分かる。あれは、闘気の塊だ。 俊男の奴、とうとう『外気』を使うつもりだ。 『互いを尊敬の念で称えあって、極みを目指す事こそ武道家の倣い。貴方は、それ を怠った三流に過ぎない。僕が、本当の極みを見せてあげます。』  俊男は、とうとう闘気を形にした。目に見えてるぜ・・・。アイツは、あそこま で闘気を極めてやがったのか。参ったぜ。 『抜かせええええええええええ!!!!』  風見は、逆上して飛び掛る。全力で手刀を振り下ろす気だ。それを俊男は、片手 で弾き飛ばすと、闘気を溜めていた掌を前に突き出す。  ドゥゴォォォォォォォ!!!  物凄い音と共に、風見はリングポールに吹き飛ばされる。そして、そのままビク ンと肩を揺らすと、動かなくなった。完全に気絶している。よく見ると、鳩尾が陥 没している。何だ?あの威力は・・・。 『・・・病院で、ヒート先輩に謝ってください。』  俊男は、そう言うと、風見を抱え込む。風見は完全に気絶していた。目で合図す ると、救護班が、急いで風見を運び出した。俊男は、それを見送ると、手を合わせ てお辞儀をする。その間、皆、呆気に取られていたが、決着がついたのを確認する と、轟音のような歓声が上がる。 『勝者!!島山 俊男!!』  審判も、それにつられて勝利者宣言をする。  やっぱ当たっちまったな。俊男。お前が、相手なら、俺も手加減は抜きだ。  俺とお前の、最高の決勝戦を見せてやろう。  一度の敗北が、僕を修練の鬼へと変えた。  その敗北に、後悔は無い。  努力の集大成の結果が、敗北なら仕方が無い。  だが、彼は、僕に更なる上を目指すように言った。  その言葉が、僕を更なる本気にさせた。  幼い頃から『天才』なんて呼ばれた。  思えば、可愛く無い幼少時代を、過ごして来た物だと思う。  修練を通して、僕は良い子にはなった。  だが自惚れは、強くなったかも知れない。  それを彼は、正してくれた。  僕は、まだ強くなれる。  彼が、僕にそれを教えてくれた。  なら彼を超えるための、努力を惜しまない。  それが彼への、最大の礼儀であるからだ。  それから一日足りとも、修練を欠かした事は無い。  修練の量は、寧ろ増えた。  だが、昔と違って、楽しくて仕方が無かった。  相手を倒すだけの修練じゃない。  相手と競うために、最大限の努力をする。  それが、こんなに気持ちの良い物だと、思わなかった。  そして彼との対決は、やってきた。  もう後戻りは出来ない。でも、後悔しない。  彼を本気で目指した、僕の努力の結果が、もうすぐ出る。  楽しみだった・・・いや、もう楽しんでいる。  何故なら、彼も僕と同じ土俵に立っているからだ。  闘気・・・。  これを完全に使いこなせれば、闘い方は変わってくる。  恐ろしい力だと分かっていたので、中々使えなかった。  でも彼も、僕と同じくらい闘気を操っていた。  条件は対等。  これで、あの時の続きが出来る。  あの時は、僕が先に降参した。  でも今回は・・・今回こそは!!  俺は集中していた。モニターで俊男の勝ちが決まり、俊男が反対側のコーナーへ と引き返した瞬間に、モニターの電源を切った。俺の相手は島山 俊男。この爽天 学園に入って、最初に出来た友人。爽天学園に入る前から、分かり合えた友人。生 真面目で、強くなるための努力を惜しまない、とんでもない奴だ。  そして・・・俺の相手となるのに、一番相応しい人物だ。最高の友人で、最強の ライバル。これ以上の舞台があるか?ってくらいだ。俊男は、今度こそ本気で来る。 最後に見せた『外気』を応用した突きは、俺への挑戦状だ。俺に、全てをぶつけて くると言う挑戦状なんだろう。なら俺は、その挑戦に全力を持って応えるまでだ。  思えば、天神家に来て1ヶ月ちょっと経つ。そしてゼーダと、精神を共にして、 1ヶ月ちょうどくらい経つ。俺も随分と、この環境に慣れてきた。素晴らしい先輩 と、俺にはもったいない妹が笑ってくれる。そして、掛け替えの無い友人が、俺の 目の前に立つってんだから、皮肉な物だ。  江里香先輩と恵が、凄い試合を見せてくれた。あの美しい姿が忘れられない。俺 は俊男と、決勝に立つ。アレを超える試合が出来るか、正直、自信は無い。だが、 色々な思いが錯綜した、この部活動対抗戦も、この試合で終わる。なら、悔いは残 さないようにしなきゃいけない。 「よし・・・。」  俺は精神が、統一し終わった。眼を開けると、周りが良く見える。 (良い精神状態だ。私との特訓の成果も兼ねて、見せてもらおう。)  そうだな。アンタとの指導は忘れられない。あんなきつかった1ヶ月は、久し振 りだ。成果くらいは、見せなきゃならないな。 (見る限り、相手も、君と同程度の使い手だ。油断は禁物だぞ。)  わかってる。俺の最高って奴を、見せてくる。 (ならば言う事は無い。私だけでは無い。君の爺さんのためにも、頑張りたまえ。)  うおっし!!俺が、どれくらい強くなったか、自分自身で確かめる!! 「天神君!時間だ!!」  係員が、呼びに来る。俺は目で合図すると、係員に付いていく。 「決勝の君を、送り出す係員である事を、光栄に思う。」  係員の人は、ニッコリ笑った。 「最高の褒め言葉として受け止めますよ。」  俺は、係員の人に言葉を返す。いよいよ決勝戦だ!  控え通路に出ると、すでに観客席が、盛り上がっているのが伝わる。 「赤コーナー!!天下無双の剛拳!!天神ぃぃぃ瞬ーーーー!!」  アナウンサーの声と共に、物凄い歓声が聞こえた。俺は、その歓声を聞きながら、 一歩一歩リングへと向かっていく。 「天神ぃ!!最強は、お前だああああ!!」 「柔道王を退けた強さ!信じてるぞぉ!!」 「サウザンド伊能ジュニアの名に懸けても、負けるんじゃねぇ!!」  俺への期待は、今まで俺が倒してきた強敵達の名と共に、上がってきている。期 待に応えなきゃいけないな。俺は、それを心に留めながらリングへと上がる。 「青コーナー!!最年少のパーズ拳法免許皆伝者こと島山ぁぁ!俊男ぉぉぉーー!」  俊男だ。俊男も一歩一歩踏みしめながら、こちらに向かってくる。そして、その 顔は、満足げな笑みに包まれていた。闘いたくて、堪らないって顔だ。 「島山ぁぁ!!天神を倒せるのは、お前しかいねぇ!!」 「風見を倒した技、凄かったぜぇ!!」 「お前のパーズ拳法を、楽しみにしてるぜ!!」  俊男も俺に負けないくらい声援を受けている。俊男の勝ち方も派手だったからな。 それ以上に、俺に刺激を与えてくれたしな。 「トシ君。私、あの技、初めて見た。少し悔しいけど、凄かった。決勝でも見せて くれるわよね?」 「ごめんね。エリ姉さん。風見は、どうしても許せなくてね。」  江里香先輩の追求に、俊男が照れながら話していた。良いなぁ。呼び方が違うっ てだけで、ぐっと親しく見える。 「はぁ〜。トシ君らしいわ。で?瞬君は、あの技に対抗する手段ある訳?」 「済みません。先輩。俺も、同じような事が使えるんですよ。」  俺は、包み隠さず教える。すると江里香先輩は、肩を竦めて笑う。 「2人共、私に隠れて色んな特訓しちゃって・・・。何だか悔しいなぁ。」  江里香先輩は拗ねる。こりゃ、後が大変そうだ。 「闘気・・・ですね。しかも、御二人共、かなりのハイレベル。」  恵は、見抜いているようだ。本当に恵は凄いな・・・。 「ま、私としては、兄様を応援しますが・・・俊男さん。貴方には、驚かされまし てよ?兄様のライバルと言うのは、伊達では無かったと言う事を、見事に証明して くれましたね。兄様と同様に、評価しますわ。」  恵が、他人を、あそこまで評価するなんて珍しい。よっぽど俊男の事は認めてい るんだろうな。それでも俺を応援する辺り、有難い限りだけどな。 「瞬様ー!!俊男様ーー!ファイトですわー!!」  2階席から、当然のように葉月さんの声が聞こえてくる。 「ハハッ。僕達、期待されてるね。」 「あったり前だ。こりゃ良い試合しなきゃ、済みそうに無いぜ?」  俺は、俊男の軽口に合わせる。周りも、俺達以上に期待している。プレッシャー なのだが、何故か、今は、それが嬉しい。 「では・・・部活動対抗戦!決勝!!始めぇぇぇ!!」  カーーーーーン!!  ゴングが鳴った。とうとう俺と俊男の対決は始まった。俺は最初から『逆十字の 構え』を見せる。小細工抜きだ。俊男とは、とことん殴りあうつもりだ。『逆十時 の構え』は、攻撃に特化した構えだ。この構えこそが、俺の意思だった。 「瞬君。僕も・・・小細工は抜きだ!!」  俊男は、腰をどっしりと落として、防御を少しも見せない攻撃の構えを見せた。 拳は、腰の所と前に突き出すようにある。守るような仕草は、全く無い。 「ハハッ。しょうがないな。俺達は・・・。」 「ほんとほんと。この決勝戦で、コレだもんね。」  俺と俊男は笑いあう。今まで、散々技量だのスピードだのと、鍛え上げてきたの に、決勝戦で選んだ選択肢は、力比べだ。 「んじゃ、やろうぜ。俊男!」 「行くよ!付いて来てよ!瞬君!!」  俺と俊男は、同時に間合いを詰める。そこに、迷いは無かった。そして、それぞ れが、互いの頬に拳を入れる。 「グアッ!!」 「ウグッ・・・。」  俺達は、互いに、まともに入った事を確認する。申し合わせたかのようだ。 「やっぱり瞬君しか居ない。僕のこの拳を、全力で受け止められる相手は!そして 闘気で防御しているのに、更に上を行く痛みを当ててくる相手はね!!」 「そうだな!俺と、まともに打ち合えるなんて、お前くらいしか居ないぜ!!」  互いに分かっていた。でも避けない。次を入れる。そして、休む事は無い。俺達 は、完全に足を止めつつも、殴り合っていた。闘気の流れを掴む前に殴る。だから、 避けられない。引いて避ける事なんて、頭に無い。何故なら、引いたら更に致命傷 を与えてくるに違いないからだ。だから引かない。だからこそ、子供のように互い を打ち抜く。手の内は分かっている。俺達は、互いが止めるまで、闘気を乗せた拳 を突き入れる。 「・・・凄い・・・。」  江里香先輩は見入っていた。 「引けない闘い・・・。自分では、やりたくないですわ。」  恵も悪態をつきつつも、見入るしかない。目を反らすなんて出来ない。こんなに 互いを感じ取りながら殴り合っている2人は・・・かくも、美しく見えたのだから。 「あれこそ・・・本能での闘い・・・。それを、決勝で見られるとはな。」  校長は、手に汗を握る。これ程、原初で美しい殴り合いが、あっただろうか?互 いに凄まじいスキルを持ちながら、全てを込める事で、原初に戻らざるを得ない。  ガスッ!!バゴッ!!バキッ!!ゴォン!!  凄まじい音が、リング内に鳴り響いている。互いに、隠すつもりなど微塵も無い。 溢れ出す闘気を、自分の拳に乗せて相手を打ち抜く。全力で打っているのに、次打 つ時は、さっきの一撃を越えるであろうかと言う勢いで、出される拳。それを顔面、 鳩尾、胸、腹、肩、腕と、容赦なく打ち抜いていく。 「どうしたぁ!!離れるなら、今の内だぞ!!」 「そう思うなら、離れてみると良いよ!!」  俺達は、笑いながら、まだ打ち合う。互いにボロボロになりつつあるのに、まだ 相手を見据えている。そして、拳に力を入れる。 「ドゥオオオオオ!!!」 「セェェェェェェイ!!」  俺達は、甲高い声を上げて、互いを突き飛ばすように相手を殴る。すると、互い に、距離が出来た。もう俺も俊男も、肩で息をしている。当然だ。傷が付いて無い 所なんて、ほとんど無い。拳も殴り疲れて、腕を上げるのさえ、一苦労だ。 「俊男。本当にお前、鍛え上げたな。」 「僕は死に物狂いだったってのに・・・瞬君に追いつくのが、せいぜいか・・・。」  俺と俊男は、本当に互角だった。拳の硬さも体の鍛え方も、誰にも負けて無いつ もりだった。だが、俺は、この1ヶ月間で闘気を中心に、中に眠る力を鍛え上げた。 そして俊男は、闘気の扱いが、少し分かってたので、体を鍛え上げたのである。天 神流と呼ばれる俺の体の鍛え方に匹敵する何て・・・どう言う修練を積んだんだ。 「しかしさ。俺達、決勝まで来てコレだぜ?凄い馬鹿だよな。」 「ハハッ。馬鹿も、凄くなると認めてもらえるんだよ。」  小細工抜きで殴り合う。これが、どんなに苦しくて、どんなに覚悟が要る物で、 どんなに楽しい事か・・・。俺達は、それを実行したんだ。なら、もう迷わない。 「俊男!!俺は、お前を倒した『貫』に全てを懸けて、突っ込む!!」  俺は、宣言してやった。天神流、突き技『貫』。最高の基本技にて、全てを懸け た時は、スピードでは、隼突きを凌駕するだろうし、威力は想像も付かない。それ を、今から行うと宣言したのだ。 「ハハッ!さすが瞬君!なら僕は、この両手に全てを懸ける。発頸の掌波(しょう は)に、闘気を込めて、迎え撃つよ!!」  俊男も宣言した。ホント馬鹿だ俺達。でも、後悔なんてしない。どう闘うか、あ れだけ楽しみにしてたのに、殴り合いしちゃったもんな。 「何だか、試合としては、短かったけどさ。楽しかったぜ。俊男!」 「僕もだよ。こんなにスッキリとした殴り合いは、初めてだよ!」  もう2人共、吹っ切れていた。やる事は一つだ。俺は、全てを右拳に懸ける。そ して俊男は、両手に全てを懸けて、迎え撃つ。それだけだ。 「いくぞ!・・・一撃必倒!!」 「発頸・・・ハァアアアアアアア!!」  俺は、右拳に力を入れた。俊男は、両手に力を込めた。なら・・・行くだけ!! 「突き技!!『貫』!!!!」 「奥義!!『掌波』!!!」  俺達は、同時に叫ぶ。そして俺は、高速移動で俊男に右拳をぶつける!!俊男は、 迎え撃つように両手で闘気の塊を、打ち出した。  バシィィィィィ!!  そして、それは起こった。俊男の闘気と、俺の拳の間に、闘気の衝突が起きて、 先に進めなくなった。互いに全力を打ち出しているので、態勢も変えようが無い。 「ヌヌヌヌヌヌヌ!!!!」 「ヌアアアアアアアアアア!」  俺達の叫びに、呼応するかの如く闘気が溢れ出す。既に誰の目でも見えるくらい の衝突だった。ここでも、力比べって訳だ。 「・・・ここまで互角とはね!!!」  俊男は、顔を顰めながら、必死に俺の侵攻を阻む。しかし阻まれきった時、俊男 の闘気は、俺に降り掛かってくる。 「俊男!!悪い!決着を、つけさせてもらう!!!」  俺は、今も全力だったが、これ以上を求められるなら、やるしかない。俺は、右 拳に、左手を添えて、右拳を抉るように回転させる。そして、それにより俺の闘気 は、より細く、強くなっていく!相手の闘気を抉るように、進んでいく。 「ウアアアアアア!!」  俊男は、最後の力とばかりに、闘気を包み込もうとする。そして・・・。  バゴォン!!!!!!  凄まじい爆音と共に、俺と俊男は吹き飛ばされた。俺も俊男も、コーナーポスト に叩きつけられる。 「ハァ・・・ハァ・・・。」 「・・・ウグッ!!!」  俺は、膝に手を当てながら起き上がる。しかし俊男は、脇腹に痛みを感じて倒れ た。そして、俺の方へ微笑み掛けると、床に手を付く。俺は最後に、天神流『攻め』 の構えを取った。 「勝者!!天神 瞬!!!」  審判は、その様子を見て、弾けるように俺の勝利を宣言する。その瞬間に、俺は 全ての力が抜けて、倒れこんだ。そして、物凄い歓声が聞こえた・・・。  でも、俺は、既に立ち上がる気力も無かった。それくらい疲れた・・・。