NOVEL Darkness 2-6(Second)

ソクトア黒の章2巻の6(後半)


 お膳立ては、出来た・・・。
 後は、獲物を誘い込むだけ・・・なんて簡単な物。
 林間学校ねぇ・・・。
 勝手に、楽しんで置くと良い。
 必ず、後悔させてやる。
 平穏なんて、訪れさせはしない。
 あの屈辱を、思い出す度に腹が立つ。
 産まれて来た事を、後悔した。
 あの屈辱は、倍にして返さないと、気が済まない。
 全ては明日だ・・・明日になれば、分かる。
 後悔させてやるんだ。
 この仕掛けさえあれば・・・絶対に出来る。
 問題は、時間だ。
 バレる訳には、いかない。
 あんな奴のために、人生を台無しにする気は無い。
 大丈夫・・・上手く行く筈だ。
 何気なく、押すだけだ。
 それに奴が、食いつきそうな所だ。
 絶対来る。
 そのための準備も、してある・・・。
 絶対・・・許さない。
 そして・・・絶対殺す。
 これを実行しなければ、一生このままだ。
 それだけは、避けなければならない。
 迷いは禁物だ・・・確固たる決意が必要だ。
 迷いなど無い。
 なのに、何故、手が震えるんだ・・・。
 あんな奴を殺すと決めただけで、何でこんなに・・・。
 迷う訳が無い・・・。
 何故だ・・・何故なんだ!!!


 夜になった。深々と静けさを増す森だが、自然の雄大さを、まざまざと見せ付け
てくれる。大自然の空気を吸うと、落ち着いてくる。俺は許可を得て、胴着に着替
えて、いつもの日課を終わらせる事にした。外に、ちょうど良い広場があったので、
そこでの訓練だ。自然の中で打つ拳は、非常に清々しい。爺さんとの修行を、思い
出すようだ。俺が修練をしていると、いつものメンバーが、ゾロゾロとやってくる。
魔法や源、闘気など表立ってやるのは厳禁だが、いつもの手合わせ程度なら、出来
るだろう。
 旅館の明かりも、許可を得て、明るくしてもらってるので、充分に目も見える。
俺は、俊男と手合わせ中だ。相変わらず恐ろしい鋭さを誇る。その中に、重さまで
加わっているのだから、手に負えない。そしてレイクさんは、木刀を持ってファリ
アさんと簡単な組打ちをしている。近頃、ファリアさんの剣の腕が、メキメキと上
達して来ていると言う。と言うのも、ファリアさんは、召喚魔法を使う際に、持ち
主の記憶までコピーしているらしく、動作が身に付いたのだとか。恐ろしい話だ。
ちなみに、レイクさんは、本人曰く『地獄だった』と言う補習を終えたようだ。
 恵は、亜理栖先輩と江里香先輩を相手に、合気道の練習をしていた。捌き方は、
更に堂に入っている。恵の奴も、一段と腕を磨いたな。と言っても、亜理栖先輩も
江里香先輩も、実力を出し切っていない。あれは捌きの練習だと割り切っている。
「・・・おい・・・。あれ、人間の動きかよ・・・。」
「あんな練習してたのか。アイツら・・・。」
 上の方から声がする。どうやら旅館で休んでいる生徒達が、見学しているらしい。
俺達の動きは常人から見たら、おかしいくらい、強いんだろうなぁ・・・。
「ガッハッハ!ワシも許可を貰ったぞぉ!」
 ドアから伊能先輩が出てきた。どうやら、伊能先輩も補習が終わったようだ。
「俺達の練習に、混ざります?」
 俺は尋ねてみる。勿論、俊男と組手をしながらだ。
「当たり前じゃぁ!お主等の気合の入った声を見て、火が点かない訳が無い。何じ
ゃ何じゃ。お主等は、いつも、こんな面白い特訓してたとは、知らなかったぞ?」
 伊能先輩は、俺達が一緒に帰ってた事は、この練習をするためだと悟った。と言
う物の、本当は、もっと凄い事をしている訳だが・・・。
「オイ。俺も、許可貰ったから、混ぜな。」
 今度は勇樹が出てきた。すっかり、胴着に着替えている。
「貴女も混ざる気?」
 恵が尋ねてくる。勿論、捌きをしたままだ。
「伊能先輩と一緒だよ。こんなの目の当たりにして、黙ってられる程、大人しく無
いんだよ。」
 勇樹も燃えるような目をしていた。どうやら、純粋に混ざりたいらしい。
「いらっしゃいな。捻ってあげるわ。」
 恵は、亜理栖先輩と江里香先輩に合図をして、どかせると勇樹を誘う。
「上等だよ。恩と稽古は、別だろうな?」
 勇樹は、自分が負けるとは思っていない。だが、残念だが、俺は恵が勝つと思っ
ている。恵の実力は、半端じゃない。俺が本気を出しても、勝てるかどうか危うい
くらいなのだ。やってみれば分かる。強いと言うより恐ろしいのだ。
「当たり前ですわ。恩で勝利を拾う程、下衆じゃありませんの。」
 さすが恵。優雅に受け答えする。上からの野次馬が増える。勇樹も番を張ってた
って事で、相当有名だからなぁ。
「ボス!叩きのめしてやんな!」
 上から部下も覗いている。アイツらも、相当暇なんだな。まぁ自由時間だしな。
今は。しかし、こんな大人数に稽古の許可をくれるなんて爽天学園くらいな物だ。
「チェェイ!!」
 勇樹は、独特の指のポーズから、一転して足払いをする。考えてるな。それを恵
は、ミリ単位の見切りで、後ろに下がる。そして勇樹が鋭い指を打つも、恵は、予
め来る所が、分かってたかのように体を捻る。そして、優しく手首と肘を掴むと、
逆に極める。そして、わざと離した。その瞬間、勇樹は指を急いで引っ込める。
「あ、アンタ・・・。」
 勇樹は、瞬間的に額から汗が出てくる。あれは冷や汗だ。恵は、ゆっくりだが、
間違いなく極めて見せたのだ。しかも本気では無く、勇樹に見せるための極めだ。
「どうしました?私は、逃げませんわよ?」
 恵は優雅に笑いながら、勇樹の方に歩を進める。勇樹は、少し後ずさりする。
「冗談じゃない!羅刹拳が、逃げて堪るか!」
 勇樹は、気力を振り絞って恵に、必殺の指のオンパレードを披露する。かなり速
い突きだ。だが、恵は、それを一瞬で見抜いて、躱すと同時に、腕を絡めて、その
まま投げ飛ばした。そして腕を極めたまま、顔面に中指を立てた拳を突き入れる。
「ぐっ!!」
 勇樹は、覚悟するが、拳は、勇樹の目の前で止まっていた。
「一本ですわね?」
 恵は、サラリと言うと、腕の極めを離す。
「はぁ・・・まぁったく・・・アンタと言い、瞬と言い、何でそんなに強いんだか。」
 勇樹は、悔しさを通り越して、呆れていた。完全に敗北を認めた様だ。
「こう見えても、毎日訓練してますのよ?命を削ってね。」
 恵の言葉に、嘘は無い。恵はそれこそ、命を削るかの如く、魔族の衝動を抑えな
がら、稽古を続けていたのだ。強くならない訳が無い。
「恵様・・・凄い・・・。」
「ああ・・・惚れ惚れしちゃう・・・。」
 上から取り巻き達の声がする。恵は、それを見て手を振り返す。こりゃ、人気も
出る訳だ。兄として、かなり心配だ。
「負けられんのぉ?瞬。」
「全くですよ。出来過ぎですよ。アイツは。」
 俺は、偽らざる感想を述べる。
「しかし・・・俺が驚いたのは、あそこだのぉ。」
 伊能先輩はレイクさんと、ファリアさんの方を指差す。さっきから、一心不乱に
打ち込みをしている。とは言え、レイクさんは、やや流し気味だ。
「ありゃ剣道の域を越えとるな。ファリア殿も凄い冴えじゃい。惚れ直しそうじゃ。」
 伊能先輩は、武芸者として尊敬の意を示している。あれは、いつ見ても凄いよな。
「ファリア。息があがってるが、大丈夫か?」
「余計な心配よ。駄目な時は、私が木刀を止める時よ。」
 レイクさんは、気遣うが、ファリアさんは、更に激しい勢いで、木刀を振るう。
「仕方ないな。付き合うよ。」
 レイクさんは、流しながら、要所要所に死角を付いて、ファリアさんに防御の練
習もさせる。並みの芸当じゃない。
「・・・ハァ・・・。もう駄目・・・。」
 ファリアさんは、手に力が入らなくなったらしい。仕方の無い事だ。しかしレイ
クさんは、涼しい顔をしている。さすがだ。
「レイクさん。手合わせしましょう。」
 俺は、レイクさんと、手合わせする事にした。
「皆が見てるぜ?良いのか?優勝者。」
 レイクさんは、俺が部活動対抗戦の優勝者だって事を知っている。
「大丈夫ですよ。そう簡単に負けませんし。」
「言ったな。よし!掛かって来い!」
 レイクさんは、嬉しそうな表情を浮かべると、木刀を構え直した。さすがだ。全
く隙が無い。当たり前だ。レイクさんは、伝記の最強の剣術を継いだ男だ。強いの
は、最初から分かっている。だが、俺だって1000年の歴史を背中に背負っている。
「ハッ!」
 俺は、まず間合いを測って拳を打つ。それにレイクさんは、鋭い斬りで対応する。
「お前とやる時は、本気で出来る。これ以上に嬉しい事は無い。」
 レイクさんは、目を輝かせる。レイクさんは、木刀の先にまで闘気を注入する。
「凄い気合ですね。じゃ、俺も応えなきゃね。」
 俺も、拳の先にまで気合を入れる。闘気が漲る。何度かの手合わせで、レイクさ
んが、どれくらい対応してくるのかは、分かっている。あっちも同じだろう。後は、
どれくらい、相手の予想を上回れるかだな。
(なるほど。これが、不動真剣術の闘気か。さすがだな。)
 ああ。でも、俺だって毎日アンタに、やられながら強くなってるって所を、見せ
なきゃな。伊達に、やられちゃいない。
(頼むぞ。私の修練方針を、変えなくて済むようにしてくれよ?)
 分かってら。皆も見てるしな。勝って見せるさ。いつの間にか、皆、こっちに注
目している。却って好都合だ。
「よし・・・んじゃ見せるぜ。」
 レイクさんは、不動真剣術の『攻め』の型を見せる。俺も、負けずに天神流空手
の『攻め』の型を見せた。互いに、守る気は無い。
「ハァァァ!!」
 レイクさんが、前に踏み込んで袈裟斬り、横薙ぎ、振り下ろしを見せる。それを
俺は、肘打ち、正拳突き、回し蹴りで対応する。鈍い音がゴッ!!ガッ!!と鳴る。
俺の拳と、レイクさんの気合の木刀が、互いにぶつかり合っている音だ。
「恐ろしい音よのぉ。」
「僕も、あの域に入るまで、修練あるのみですよ。」
 伊能先輩も俊男も、音の意味が分かっているようだ。だが、この音は、俺の拳に
闘気が宿る事で、初めて成る硬さだ。俊男の拳は肉を破壊する強さだが、俺の拳は、
肉に響く硬さなのだ。一発で、相手を失神させるための拳だ。
「ヌゥリャアア!!」
 レイクさんは、それでも渾身の力を込めて、俺を防御している腕ごと、吹き飛ば
す。そして、レイクさんの木刀が少し上に向いた。これは、間違いない!
「くらえぇ!!」
 レイクさんは、恐らく、あの技で来る!距離は関係ない!
 バシィ!!!
 俺はレイクさんの木刀を、掌抵で防御する。予想は当たった。
「瞬。お前・・・『閃光』を読んだな?」
 レイクさんは、悔しそうな顔をする。何故なら、この後の俺の行動が、分かった
からだ。俺は、すぐ様、もう片方の拳を固めて、レイクさんに最も基本にして、最
高の突き技を決める!!
 ゴゥ!!
 俺の拳の音が、伝わると共に、レイクさんは吹き飛ばされる。
「天神流空手、突き技『貫』!!」
 俺は言い放つが、レイクさんは、派手に吹き飛んだだけで怪我は無い。何故なら、
これが稽古だからだ。俺は、その辺を加減した。レイクさんも、敗北を認めていた
ので、これで良い。しかしギリギリだったぜ・・・。
「俺の負けだな。最後に、手加減されたのも含めてな。」
 レイクさんは、何事も無かったかのように立ち上がる。痣すら出来ていない。
「すっげぇー。何だあれ?」
「俺、レイクさんとは、普通に話してたけど、天神とタメ張るくらい強いなんて。」
「最後の動きなんか、俺、見えなかったぜ?」
 上から驚きの声が、あがっていた。まぁ無理も無いか。
「さーて、そろそろ、ザワついて来たし、戻るとしようか。」
 レイクさんが促す。体も温まったし、良い修練になったな。
「瞬ってさ。時々凄いよな。」
 勇樹は、褒めてくる。うーーん。時々って、どう言う事なんだろう。
「兄様は、こう見えても、凄いのよ?私の兄です物。」
 恵は、当然と言う風に頷いている。素直に、頷いて良いのかなぁ。
「瞬君。空手部の威厳を、損なう試合しちゃ駄目よ?」
 江里香先輩の目が厳しい。今の打ち合いが、どれくらい危なかったか、見抜かれ
ているようだ。紙一重だったしな。『閃光』が見抜けなかったら、吹き飛んだのは、
俺の方だ。レイクさんと初めての打ち合いだったら、負けたのは俺だな。
 そんなこんなで、お騒がせな俺達だった。


 それから、食事を取った。皆で会食と言う感じだったが、何で、こう学生向けの
食事は、いつも決まりきった物かね。不味い訳じゃあない。だけど、何かこう、一
味足りない。俺達は、いつも、あの天神家の食事を戴いている。並外れた料理の腕
を持つ睦月さんの料理だ。どうにも満足出来ない。まぁ割り切って食べたので、良
いんだけどね。ファリアさんは、勝ったわ。とか呟いてたし・・・。恵なんかは、
顔を顰めて、ファリアさんに耳打ちすると、ファリアさんが、苦笑しながら何かや
っていた。後で聞いたら、味付けを、いつもの様にしてくれと言っていたらしく、
ファリアさんが、置いてあった調味料を絶妙なバランスで、何とか仕上げたのだと
か。あの、お嬢様気質は、何とかしなきゃいけない気がするな。
 レイクさんなんかも、苦笑していた。『絶望の島』の飯よりは旨いけど・・・。
と言う話だ。まぁ、致し方ない事だ。それでも、量を食う辺り、レイクさんらしい。
 ま、そんなこんなで、食事は終わった。そして、この宿特製の、半露天風呂に入
る事にした。男女で分かれているが、外の眺めが見れる風呂として、有名だ。ただ、
さすがに半露天風呂と言うだけあって、外の景色が眺めるだけだ。向こうに行く事
は、出来ないらしい。それでも、空気を取り入れていると言う話だったので、空気
は、凄く美味しかった。それはそうと、何故か、魁が色々調べていたが、あれは、
何の意味があるんだ?魁に聞くと・・・。
「ここの風呂の断面図を、調べていた。」
 だそうだ。何でも、覗くための経路を探していたとか・・・。本当に、こう言う
事には、良く鼻が利く奴だ。
「魁君、先生に捕まるぞ?」
 俊男は、警告する。まぁ、余り良い事じゃあないな。
「バレなきゃ良いんだよ。」
 とは魁の台詞。前にも更衣室に仕掛けをして、先生に、こっぴどく叱られた経緯
があるってのに、懲りない奴である。その時は、魁がやったと言う事は、知られな
かったようだが・・・。俺達は、聞いてるので知っている。呆れた奴だ。
「大体、興味無いのか?お前達?」
 魁がニシシシと笑う。こういう時の、悪ノリした魁は、手に負えない。
「興味が無い訳じゃあないさ。でも、強引にってのは、好きじゃないだけだ。」
 俺は、ヤレヤレとジェスチャーする。俺は2人から、求愛されている。興味が無
い訳じゃあない。だけど、こんな犯罪染みた事を、したく無いだけだ。
「お堅いなぁ。お前達は・・・。」
 魁は渋い顔をする。まぁ、魁じゃ無くても、似たような事を考える奴は、居るん
だろうなぁ。でも、俺は、万が一にでも、恵にバレた時の事を考えると、とてもじ
ゃないが、そんな事を、する気にはなれない。
「大体、そんな事しなくてもだなぁ。」
 レイクさんは、言い掛けて止めた。レイクさんは、ファリアさんと公認の仲だ。
必要が無いと言えば、それまでだ。しかし、それを口にするのは、どうかと思った
のだろう。
「ま、まぁ、僕も興味が無い訳じゃないけどさ。エリ姉さんや、恵さんにバレた時
の事を考えたく無いから、止めとくよ。」
 俊男は俺と同じ考えらしい。俺も俊男も、江里香先輩や恵の恐ろしさを、知って
いるだけに、そう簡単に、不埒な事は出来ない。
「わーっかったよ。ま、構造を調べるだけに、しておくよ。」
 魁も、3対1じゃ分が悪いと思ったのだろう。素直に止める事にした。
「おっし。じゃぁ俺は、あがるよ。上で待ってるからな。」
 俺は、逸早く風呂場から出ると、レイクさんも、早風呂なのか、出て来た。お互
い風呂は、苦手のようだ。
「魁は面白いんだが、やり過ぎる所があるなぁ。」
 レイクさんも、その辺を気にしているみたいだ。
 風呂から上がって、休憩室に行くと、恵達の班も休んでいた。どうやら向こうも
風呂上りらしい。そして、江里香先輩も居た。
「あら?兄様。その様子ですと、風呂上りかしら?」
 恵は、俺の浴衣姿を見て、判断する。
「まぁな。俺とレイクさんは、先に上がったって訳だ。」
 俺は、後ろに居るレイクさんを指差す。
「どうせ、2人共、早かったんでしょ?せっかくの露天風呂は、楽しまなきゃ駄目
だってのに・・・勿体無い事ね。」
 ファリアさんは、カラカラ笑いながら指摘する。ズバリ当たってるから怖い。
「そういえば、江里香先輩って、恵達のクラスの、手伝いなんですか?」
 俺達に亜理栖先輩や伊能先輩が付いているのだから、不思議でも無い。
「そうよ。せっかくだし、風呂も、ご一緒したのよ。」
 江里香先輩は、事も無げに話す。うーーん。喧嘩でもしなきゃ良いんだけど。
「喧嘩でもしなきゃ良いなぁ?とか、考えてません?兄様。」
「な、何言ってるんだよ。そんな事、考えて無いよ。」
 恵は、凄く勘が良い。危うく勘付かれる所だった。恐ろしい奴。
「あれ?恵さんやファリアさん。それにエリ姉さんも、今、風呂から上がったの?」
 お。俊男も上がったらしいな。さっぱりした顔になっている。
「あら。俊男さん。随分と、スッキリした顔になってよ?」
 恵は、俊男の方に意識が向いたらしい。助かったぜ。
「そうかな?温泉のおかげかも、知れないね。」
 俊男は、笑いながら話す。って・・・あれ?
「ここって、温泉なのか?」
「そう聞いてますわ。担任から、説明がありましたけど。」
 恵は担任から、聞いていたらしい。
「うちの担任は・・・あのカゲだろ?そんな説明無かったぜ。」
「そうだね。僕も、ここの旅館の人に、聞いたくらいだしね。」
 まったく・・・あの担任は、しょうがねーな。
「恵様!紅茶を、お点てしました!」
 ポニーテールで眼鏡を掛けている子が紅茶を持ってくる。確か、恵と同じ班の桐
原 莉奈だ。その後ろには、ウェーブの髪が似合ってる斉藤 葵が居る。
「あら。そこまで気を使わなくて良いのに・・・。」
 恵は嬉しそうだったが、申し訳無さそうだった。
「入浴後の、優雅なティータイムをお過ごしと聞いてたので、是非と思いまして。」
 ・・・あの2人、恵が入浴後に紅茶を飲む事を、何で知っているんだ?
「あ、皆さんの分もあるんですよ?お気遣いなく!」
 莉奈さんは、明るい笑顔で、皆の分の紙コップを配る。
「莉奈は、紅茶を点てるの、上手いんですよ?」
 葵さんは、誇らしげに言う。何で葵さんが誇らしげなんだろうか。
「へぇ。じゃぁ、有難く戴くわ。」
 恵は、優雅に紙コップを口に付ける。そして少し驚いた顔になる。
「莉奈さん、これくらいの腕ならば、誇っても良いと思いますわ。」
 珍しい。恵が褒めている。どれどれ・・・俺も飲んでみるか。・・・す、凄い!
これは美味しい!何て言うか、喉に後味を残させるだけの、スッキリした味わいだ。
「うん。これは、美味しいわね。後でやり方を教えてくれる?」
 ファリアさんは早速、興味を持ったようだ。ああ言う貪欲な所は、ファリアさん
らしいなぁ。あの人、料理関係については、魔法と同じくらい真面目なんだよね。
「そ、そんな!皆に、満足してもらえて、嬉しいです。」
 莉奈さんは、満面の笑顔で言う。へぇ。良い笑い方するんだな。
「うん。これは良いわね。私も、緑茶なら、点てられるんだけどね。」
 江里香先輩は難しい顔をする。そういや、江里香先輩は、茶道部からお誘いが来
る程の腕だってのは、聞いた事があるな。
「へぇ。紅茶って、味わいが違ってくる物なんだなぁ。」
 レイクさんは、不思議そうに見ていた。
「莉奈、良かったじゃない。点数稼ぎは、バッチリだよ!」
 葵さんは莉奈さんを励ましていた。しかし・・・点数稼ぎって何だ・・・。
「パーズに居た時は、良くジャスミン茶を飲んでたけど、紅茶も良いね。」
 俊男は、感慨深く紅茶を飲む。そういえば、パーズは、ジャスミン茶が良く飲ま
れてるって話を聞く。ジャスミン茶の香りは、どうにも慣れなくてなぁ。
「魁の奴、遅いなぁ。何やってんだ?」
 レイクさんが、心配していた。そういや、まだ上がらないのか?アイツ。
「魁君なら、部屋に戻るって言ってたよ。何でも、旅館の屋敷図を作るとか、張り
切ってたけど・・・。」
 俊男が呆れながら、言った。相変わらずだな。アイツは。
「屋敷図?珍しい物に、興味あるのね。」
 恵が、不思議そうにしていた。そりゃなぁ・・・。魁が、覗きを遂行するために
屋敷図を作ってるなんて、想像出来ないだろうなぁ。
「桜川君が、屋敷図ー?不順な目的じゃなきゃ、良いんだけどねぇ。」
 葵さんは、魁の意図に気が付いているようだ。
「やめなよ。葵ちゃん。いくら桜川君だからって、そこまでしないよぉ。」
 莉奈さんは気を使っているが、そう言う奴なんだよね。変な情熱だけはあるんだ。
「ま、良いんじゃないの?変な気配がしたら、即効気が付くし。私。」
 江里香先輩が、恐ろしい顔で言う。うん。絶対止めよう。まかり間違っても、覗
きなんて考えちゃ駄目だな。何されるか、分かったもんじゃない。
「ん・・・。ファリアさん。宜しいかしら?」
 恵が、ファリアさんに目配せする。
「あー。はいはい。ちょっと化粧直ししてくるわね。すぐに戻るから。」
 ファリアさんが、気が付いたらしく、恵と共に足早に女子トイレの方へと向かう。
・・・あの様子だと、多分、薬の時間だ。恵の発作を止めるための薬を、飲ませて
いるのだろう。ファリアさんが居てくれて、本当に助かるな。
「なんだ。便所か?早く済ませろよー。」
 レイクさんが、品の無い事を言う。
「レーイークー?後で、覚えてなさいよ。」
 ファリアさんは、鬼のような形相でレイクさんを見つめる。レイクさんは、空笑
いをしていた。うん。何かを覚悟した顔だ。あれは・・・。
「駄目ですよー?レイクさん。恵様とファリアさんは、デリケートなんですから。」
 葵さんが、レイクさんに注意する。
「ははっ。そうだな。デリカシーが無かったな。気を付けるよ。」
 レイクさんは、結構素直な人だからなぁ。年下に注意された所で、怒ったりする
人じゃない。訳隔て無い接し方。それが、レイクさんの魅力の一つだろうな。
「そういえば、明日の合同サバイバルは、瞬君達と一緒だっけ?」
 葵さんが、話し掛けてくる。珍しいな。
「そうなってるな。ま、俺は、材料探ししてくるから、期待しててよ。」
 俺にとっては、この辺の山は、庭も同然だ。
「瞬君なら安心だね。私は、ファリアさんの手伝いする予定ー。」
 莉奈さんは、ニコッと笑う。頼られるのは悪くないな。莉奈さんは、ファリアさ
んの手伝いか。今の紅茶の腕前を見る限り、適任かな。
「ちなみに、俺は、薪割り。まぁ、期待してな。」
 レイクさんは、腕をブルンブルンと回す。
「僕は、石段を積み上げる予定だね。頑張るよ。」
 俊男も、自信がある様だ。まぁ、それぞれ得意そうな事を選んだし、大丈夫だろ。
「魁君は、なにやるの?」
 江里香先輩が、不思議そうにしていた。
「魁は雑用。仕出し。」
「あー。なる程ね。まぁ残ってる仕事は、そうなるわね。」
 江里香先輩は、納得いったようだ。
「私は盛る係りらしいわね。恵様は、盛り付けをやるって張り切ってたわ。」
 なるほど。葵さんが分量を測りながら盛って、飾り付けや盛り付けを恵が、担当
するって訳か。恵は芸術センス抜群だから、問題無いだろうな。
「どんな材料で、どんな料理になるか楽しみ!」
 葵さんは、素直に喜ぶ。うちの班は、人材の点から言っても、揃ってるからな。
「決めた。私も、見させてもらうわよ。ファリアさんの腕が、見たいしね。」
 江里香先輩も、うちの班の担当にしてもらうように頼み込むつもりらしい。
「皆、頑張ろうね!」
 莉奈さんが、呼びかける。皆は深く頷いた。
 恵の班の2人も中々話し易いし、良い感じだと思った。これなら、楽しい林間学
校になる。明日が楽しみだ。


 寒い・・・。
 いくら夏とは言え、このタオル一丁で、ここは寒いよな。
 面白い発見したと思った直後に・・・。
 あれ?何で俺、ここに居るんだっけ?
 大体、ここは何処なんだよ。
 薄暗いし、変な洞窟っぽい感じだな。
 それに後頭部が、少しヒリヒリする。
 血も、出てるじゃねぇか。
 って言うか、ここは動くスペースも無いな。
 動けない?まさか・・・。
 閉じ込められた?
 じょ、冗談じゃない!
 こんな所に、ずっと居たら凍えちまう。
 何で、こんな目に、合わなきゃならねーんだ!
 俺に恨みのある奴なんか・・・。
 ・・・ま、まさか・・・。
 あ、アイツが、俺を裏切るとは思えない。
 いや、でも、俺が普段アイツにしている事は・・・。
 や、やべぇ・・・。
 感覚が麻痺してきた・・・。
 アイツなのか?アイツが俺を・・・殺す気で・・・。
 嘘だろ・・・。
 だったら・・・奴も一緒だよな。
 ・・・良く考えろ・・・。
 もしかして、まず、俺を始末しに?
 充分ありえる話だ。
 ここから出て、教えないと・・・。
 出ないと、出ないと、出れねえじゃねぇか!!
 やばい!本当にこのままじゃ・・・。
 う・・・ぐ・・・。
 やばい。このままじゃやばい!


 昨日の夜は、お騒がせだった。魁の奴が、あれから何処かに出かけたらしく、置
き手紙がしてあった。屋敷の外にまで、出掛けたと言うのだから、アイツらしい。
仕方無いので、俺達は、寝る事にした。ま、幸いにも、先生に気付かれて無いよう
なので、こっそり帰ってくる事だろう。俺は、寝た後に、ゼーダに意識だけ叩き起
こされて、また特訓を、やるハメになったけどな。
 翌朝になって、魁の荷物の服が、洗濯に出されていたのと、また風呂一式が無く
なってるって事は・・・朝風呂かな?魁は、朝風呂したいなどと言ってた気がする。
団体行動の出来ない奴だ。不思議と、憎めないんだけどな。
 その証拠に、莉奈さんが起き掛けに魁が、洗面用具を持って風呂に出掛けたと言
っていたし、旅館の人も、朝風呂を許可していたらしく、結構、入る男子生徒が居
たと言う話だ。姿くらい、見せろってーの。
「まったく。困った物だな。布団も、敷きっぱなしだし。」
 レイクさんが、頭を抱える。レイクさんは『絶望の島』で、団体行動の時にキチ
ッと片付ける癖が付いていたらしく、敷きっぱなしなのは、気分が悪いのだとか。
「ははっ。魁君らしいよね。」
 俊男も、苦笑している。呆れた奴だ。
「朝風呂からも帰ってこないし・・・食事時に、注意しとくよ。」
 俺は、一応、この班の班長だったので、しっかりしてないと、ならない。最初は、
レイクさんが班長になる物だと思っていたので、俺が任された時は、ビックリした
物だ。レイクさん曰く、俺が班長の方が、良い勉強になるのだとか。
(君の友達にも、色々居るのだな。)
 まーな。俺は昨日の特訓で、精神的には、それ所じゃないんだけどな。
(日々修練は、基本だろう?)
 林間学校に来てまで、やらされるとはな。有難い限りだ。
(君のためを、思ってこそだ。)
 あー。はいはい。有難い事です。
 今日は、とうとう山に登る日だ。はっきり言って、俺は慣れた物だが、他の人は、
そうは行かないだろう。山の天気は、移りやすい。それに野生動物と出くわす時も
ある。見くびってると、遭難するかも知れない。
「おい。そろそろ、朝食みたいだぞ。」
 レイクさんが、妙に似合う浴衣姿で答える。本当に似合うな。
「部屋は、片付けておいたけどさ・・・。魁君が、まだ来てないよ?」
 俊男は心配そうにしている。アイツは、何やってるんだかな。さすがに、心配に
なってきたな。湯冷めとか、してなきゃ良いけどな。
(・・・それ所では、無いかも知れんぞ。)
 どういう事だ?何か感じ取ったのか?
(逆だ。魁の気配は、全く感じぬ。いつ頃からかは、分からんがな。)
 ・・・それは拙いな。やばい感じがするか?
(非常に嫌な予感がする事は確かだ。私の予感は、残念ながら当たるぞ。)
 分かった。本格的に探すとするか。
「レイクさん。さすがに、ちょっとおかしい。探してみよう。」
「そうだな。いくら魁だって、こんなに楽しみにしてた林間学校で、遅刻なんて、
おかしいからな。羽目を外し過ぎにも、程がある。」
 レイクさんも、少し感じ取っていたみたいだ。何だか、おかしい。魁は、イベン
ト好きな男だ。ここまで、集団から外れた行動を、する男じゃない筈だ。
「僕は、聞き込みをしてみるよ。」
 俊男も、やばい雰囲気を悟ったのか、協力する事にする。
「俺は、ファリア達に知らせてくる。瞬は、旅館の人達に報せて探索しよう。」
 レイクさんは、手早く分担させる。そうだな。確か、朝風呂の許可が出た時に、
一斉に入った奴が、居ると聞いたし、その辺を調べてみよう。
 俺は、女将を見つけたので、掻い摘んで説明する。魁の特徴なども教えてやる。
「・・・はて?それは大変ですなぁ。番台が居ますので、聞いて見ましょう。」
 女将は、風呂の番台の所へ連れて行く。更衣室の手前の廊下に番台が居た。確か
昨日も、ここに居たはずだ。俺は、事情を説明すると、番台は、顎に手を掛けて、
思い出そうとしていた。
「あの騒がしいアンちゃんだろ?覚えてるぜ。似たような髪型の奴を、今朝入って
くのは、見たけどな。確か・・・出て来た覚えは、ねーな。」
 ・・・何だって?・・・となると・・・。まさか、風呂の中か?
「悪いんですが、露天風呂の中を、調べさせて貰って良いですか?」
 俺は、女将にお願いする。この際、非常事態だ。
「本当は、禁止してはるんですが、特別です。私も同伴します故、行きましょう。」
 女将は、自分の目が届く範囲で、探せと言ってるのだろう。それでも、探さない
よりマシだった。許可が出たと言う事は、只事じゃないと、女将も悟っているのだ
ろう。俺は、女将と一緒に、裸足で上は着たまま、露天風呂の中に入っていく。
「・・・女将さん。この露天風呂で、隠れられる場所とかってあります?」
 俺は、嫌な予感がしたので、聞いて見る。
「隠れられる場所ですか?・・・穴は塞いでありますゆえ・・・。昔、不届き者が
開けた穴がありましてな。そこは、塞いでおいたのですがね。」
 穴か。聞くと、女湯と男湯の間にある壁の所に、穴を開けた馬鹿が、前に居たそ
うだ。今は、穴を塞いでいると言う。その場所に行ってみると、確かに、塞いであ
る。大きな石で、ピッタリと填まるように塞いである。これじゃ、そう簡単には取
れない。魁じゃ、とても無理だろう。
「人を呼んで、開けてみますか?まさか、ここじゃないと思うのですが・・・。閉
じ込められたりしたら、大変ですから。」
 女将は、自分で言ってて、寒気が走ったのだろう。顰めっ面になる。
「・・・って。ここって、塞いだんじゃないんですか?」
 そうだ。今の話じゃ、この石が、あるだけだと言う事になる。
「後1ヶ月程で、林間学校の生徒さんが居なくなるので、その時期に、完全に埋め
ようって話だったんですけどね。まだ、ここは空洞のままなのですよ。」
 そうか・・・。なら、ここもあり得る。
(可能性は、高いな。)
 ああ。まかり間違って、落ちたのかも知れない。開けてみよう。
「人を呼ぶ必要はありません。これくらいの石だったら、何とかなります。」
 俺は、腕を交差させて、力を集中させると、ありったけの力を込めて、石を掴む。
そして、手前に引くと、石が音を立てて、ズレ始めた。行ける!!
「・・・す、凄いのですなぁ・・・。1人で動かしてる人なんて、初めて見ました
わぁ・・・。ビックリです。」
 女将さんは、口を開けてビックリしている。ちょっとやり過ぎたかな。でも、時
間が惜しい。ここに閉じ込められてるとなると、酸素も心配だし、体が冷える事も
あるだろう。俺は、意を決して、中に入ってみる。すると、女将も、恐る恐る付い
てきた。番台も、一緒らしい。
「・・・中は、そんな長く無いな。・・・あれ?誰もいないか・・・。」
 予想は外れたか。この中だと思ったんだが・・・。女湯の手前の大石の前に来て
しまった。試しに大石を押して開けてみたが、女湯の前だった。誰も入ってなかっ
たので助かった。まぁ、女将も居るし、指示が飛んでるんだろう。
「居なかったですなぁ。もしやとは、私も思ったのですがねぇ。」
 女将が安堵するが、ここに居ないと言うだけで、安堵する事は出来ない。寧ろ、
心配になってきた。ここだと思ったんだがな。
「・・・あれ?」
 俺はある事に気が付いた。蜘蛛が居たのだ。女湯側の出口の近くには、蜘蛛の巣
が張ってあった。しかし、男湯側には無い。
「人騒がせな、お方ですなぁ。」
 女将さんが、出ようとする。
「女将さん。やっぱ変です。女湯側に蜘蛛の巣が張ってるのに、こっちには綺麗に
無い。そんな事が、あるんでしょうか?」
 たまたまと言う事もある。だが、良く見ると、綺麗に、こちら側だけ無いのだ。
女将も、それに気が付いてか、真っ青になる。
「ここは使われたって事ですかえ?」
「・・・それしか、考えられねぇでしょう。」
 女将の問いに番台も、おかしいと気が付いてか、話に加わる。
 思い出せ・・・。何か忘れてる。確か・・・。
「!!!女将さん!!ここって昔、炭鉱だったって話ですよね。もしかして、その
経路って、ここと、ぶつかったりします?」
 俺は思い出した。女将さんが言ってた事だ。炭鉱の出口が、いっぱいあって、そ
の上に、旅館を建てたのだとか。
「いや・・・どうだったか・・・。」
「確か、ここじゃないけど、あるぜ。」
 番台が口を挟んできた。何やら知っているらしい。
「俺が、炭鉱労働者をやってた時は、ここじゃねぇけど、近くに、トロッコの道が
あった筈だ。」
 番台は、昔、ここの炭鉱で、働いた事があるのか!
「良く覚えているねぇ。」
「毎日のように、通ってたからな。」
 女将さんと番台は、つまんなそうに、やり取りする。
「・・・ここだ・・・。」
 俺は、咄嗟に発見した。蜘蛛の巣が、付着している地面がある。間違いなく、こ
こだ。俺の読みが間違い無ければ、ここの筈だ!
「どうしたい?・・・この岩・・・。」
 番台は、目付きが変わる。明らかに、地面では無い。何か、人工的な岩だ。上手
くカモフラージュしてあるが、これは、地面じゃない。
「岩削機でも、持ってくるかい?」
 さすがの女将も、気が付いた様だ。この下に居る。いや、居るかも知れないって
事をだ。まだ決まった訳じゃあない。
「離れてて下さい。砕きます。」
 俺は、迷いはなかった。持ってくる手間が惜しい。時間が惜しい。
 そうだ。俺の拳は、人を救うために鍛えた拳だ。こんな時に、役に立てないで、
どうする!今こそ、この拳が役立つ時だ!
「魁!!今、助けるぞ!!!」
 俺は気合を入れて、拳に集中する。
「天神流空手!!突き技!『貫』!!」
 俺は気合と共に、岩に拳をぶつける。岩は俺の拳の前には、無力だった。音を立
てて、崩れ去る。そして、岩の真下は、空洞になっていた。そして、空気が流れ込
んだせいか、風が流れ込んだ気がした。俺は、覗き込む。
「・・・!魁!!」
 俺は、見つけた。生気の無い表情。そして酸欠になっていて、タオルを肩に巻い
て倒れている魁を見つけた。・・・まさか・・・。間に合わなかったのか!?
「おい!魁!!」
 俺は急いで、抱き上げて空洞の中から出る。やっと見つけたのに!!
「・・・うわあ・・・。」
 女将は、悲痛な表情をしていた。
「女将!救急車だ!救急車を呼べ!!」
 番台が指示すると、女将が、正気に戻って、慌てて連絡しに行った。
「ありがとう御座います。」
 俺は、番台の気遣いに、感謝する。
「感謝するのは、助かってからで良い。もう死人を見るのは、御免だ。」
 番台は憂いを帯びた表情で言う。番台は昔、炭鉱で働いていた。と言う事は、同
じ表情で、死んでいった仲間も居ると言う事なんだろう。
 そして、この迅速な対処のおかげで、魁は、何とか一命を取り留めた。しかし、
まだ予断の許さない状況だと言う。思ったより、体が衰弱しているらしい。安心す
るには、まだ早いらしかった。


 それから、俺は説明に追われた。皆が集まってから、どうやって助けたかを説明
した。俺の判断が、一歩でも遅かったら、酸欠で死んでいたと言う話だ。それくら
い、酸素が残ってなかったのだと言う。しかし、危険な事には、変わりは無い。
 恵辺りは、俺の機転に、珍しく感心していたが、俺も必死だった。もう一回やれ
と言われれば、出来るかどうか、怪しかった。
 だが、それは別として、誰が、何のために魁を嵌めたのか?が、疑問に残った。
そして、どうやって?と言う話に繋がる。
 ・・・ハッキリ言って、あの状況からして、自然に、ああなったとは考え難い。
誰かが、穴を開けて罠を張っていたに違いない。そして岩を使って閉じ込めたのだ。
 俺は、あれから考えていた。だが、どうしても分からない事があった。
(君が考えてる事は、分かっている。一つだけ、辻褄が合わないからな。)
 そう。あそこだけが、分からない。・・・でも何とかするしかないな。
「それにしても、大変な事が起きましたわね・・・。」
 恵が悲痛な顔をする。やっぱり知り合いが重体になるのを見るのは辛いのだろう。
「手遅れにならなくて、良かったぜ。俺は、もうあんな思いは、たくさんだからな。」
 レイクさんは、溜め息を吐く。レイクさんは、『絶望の島』で、ジェイルと言う
人を失っている。そのショックが、あるのだろう。
「この学校で、こんな事件が起きるなんてね。私も、認識が甘かったかしら。」
 江里香先輩は、微妙な顔をする。自分の学校で、こんな殺人事件紛いの事件が起
きるなんて、思ってもみなかったのだろう。
「元気になってくれれば、良いけどね。」
 俊男が江里香先輩の言葉に、反応して答える。
「・・・。魁は悪い奴じゃ無いんだよ。どうして?」
 ・・・?葵さんが呟くように言う。葵さんは、魁の事を知っているんだろうか?
「葵ちゃん・・・。」
 莉奈さんも、事情を知っているようだった。
「・・・私はさ。魁とは、同じ学校だったんだ。アイツはさ。馬鹿だけどさ。皆を
可笑しくさせようとして、必死だった。笑いが絶えなかったよ。」
 葵さんは、悲痛な面持ちになる。前の学校からの、知り合いだったのか。
「魁君は、元気になるって。葵ちゃん。」
 莉奈さんが励ます。やっぱ、嫌な気分なんだろうな。
「魁は、この焔山を下った先にある焔(ほむら)村立総合病院に運ばれている。連
絡が入ったら、見舞いに行こう。アイツなら大丈夫だ。」
 俺は連絡先を教える。今は、集中治療室の筈だ。
「林間学校は、1週間後だし、それまでには、結果が出るはず。魁さんの元気な姿
を待ちましょう。私達だけでも、信じないと駄目ですわ。」
 恵が皆を励ます。自分だって、沈痛な気持ちなのに、良く励ませるな。さすがだ。
「よし!俺は、ちょっと体を動かしてくる。やっぱ、いつも通りにして無いと、ア
イツに、笑われちまうからな。」
 俺は拳を作る。こういう時こそ、平常心が必要なのだ。
「瞬は、そうでなくちゃな。よし。皆も魁の無事を祈りながら、元気を出そうぜ!」
 レイクさんは、一番辛い筈なのに、元気な顔を見せる。それを見て、皆も元気が
出る。レイクさんは、場を盛り上げるのが上手いな。
「じゃ、各自、自由行動としましょう。先生方には、私から連絡しておくわ。」
 江里香先輩が、手伝いとしての立場を見せる。皆、心配しながらも、いつもの調
子を、取り戻してるようだな。
(君とレイクが、切っ掛けだ。その明るさは、長所でも短所でもある。)
 一言多いっての。まぁ良いや。皆、それぞれ体を動かしに行くようだし・・・。
俺も、本格的に始めなくちゃいけない。
 ・・・そう。どうしても、やらなくちゃいけない。
 どうして・・・魁が襲われたのか。
 そして、誰が襲ったのか・・・。
 俺は・・・もう見当が付いていた。
 1つの事項を除いて、1人にしか、当てはまらない。
 その事項だけが謎だが、それは聞き出す事にしよう。
 俺の勘が正しければ、この自由行動の時に、動き出すだろう。
 ・・・間違いであってほしいが、今までの事が、1人を指し示している。
 しかし、あの事項を考慮すると・・・もしかすると・・・。
 それと、共犯者も居る筈だ。
 俺は、静かに息を潜めながら、ソイツを待つ事にした。



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