・プロローグ  かつて、美しい大地を誇っていたソクトア大陸。  神々の祝福に恵まれ、人は神を敬っていた。そして地の底から、魔族が襲ってき た時にも、神々の力のおかげで、守られた時もあった。  だが、織り成す人々にとって、忘れられないのは1000年前の伝記である。事実を 物語った伝記は、未だに、人々の心を惹き付けて止まない。  当時の運命神ミシェーダを中心に、神の世界を、ソクトアに降臨させようとした 『法道』。魔族を中心に、力の理をソクトアに反映させようとした『覇道』。新た な世界を作る事を前提に、ソクトアを消し去ろうとした『無道』。そして、共存と 言う名の下に、全ての種族と共にありたいと願った、人の歩むべき道『人道』。  それぞれの思惑がぶつかって、最終的に勝利したのは『人道』だった。それは、 共存と言う夢を、最後まで諦めなかった、人間こそが勝利したと言う、劇的な話。 ・・・それは、事実であった。  だが、1000年の時を経て、人間は、その精神を忘れ去ってしまったようだ。伝記 は、飽くまで作り話だと言う説が有力となり、このソクトアは、人間の所有物であ るかのように、勘違いしてしまったようだ。確かに、もう人間以外は、暮らしてい るとは言えない。しかし、隠れつつも住んでいるのだ。それは、いつか人間と和解 出来るかも知れないと言う期待からだ。・・・だが、大半は、人間の愚かさに失望 して、関わらないように、生きていきたいと言う思いの表れからだった。  『人道』を思い描いて、勝利に導いた伝記の『勇士』ジーク=ユード=ルクトリ アが、この現状を見たら、さぞ嘆き悲しむ事だろう。  その最もたる所以が、セントメトロポリス(通称セント)の建造だろう。ソクト ア大陸の中心にあり、かつて、中央大陸と呼ばれた広大な土地に出来上がった、近 代化学発祥の地。それがセントだった。文明は頂点を極め、セントから、他の国へ と物が流れ込む。正に化学が、このソクトアを支配した表れであった。  他のソクトア大陸の国、ルクトリア、プサグル、デルルツィア、サマハドール、 ストリウス、パーズ、クワドゥラート。その7つの国は、全てセントの言いなりで あった。逆らえないのである。逆らったら、一生懸けても、出られないと言われて いる、恐ろしい『絶望の島』と言う監獄島へと送られる運命にあった。しかも、セ ント反逆罪などと言う、罪名が流布している。何とも悲しい事実だった。  ソクトア大陸は、今や、化学の元である『電力』が無ければ、まともに生活出来 ない。便利な物が、増え過ぎたせいである。電話、自動車、電球、果ては、農作物 を作る農具でさえ、電力が必要なのである。しかし、電力は、自然に出来る訳では 無い。大規模な火力を利用した火力発電、豊かな水源を利用した水力発電、降り注 ぐ太陽を利用した太陽発電、そして、電力工場と呼ばれる所で、ひたすら働いて、 巨大な滑車を回して発電する、人力発電の4つが主流だった。  火力発電と水力発電、そして太陽発電については、管理者が十数人付いていれば やっていける程だった。主に自然の力を、利用していたからである。だが、人力発 電は別である。この工場で働く人々は、数千から数万に渡ると言われる。しかも、 単純作業なので、賃金も高くは無い。要するに、発電のためだけに雇われた人々で ある。しかも思った以上に、成績を上げられなかった場合は、最悪『絶望の島』行 きである。人々は、ただ電力を生み出すために生きていく。そんな地獄のような状 態の所が、ソクトア大陸全土に、広がっていたのだ。  人々は皮肉を込めて、『黒の時代』などと、呼んでいる有様である。  しかも驚くべき事に、電力の供給は、セントに向かって伸びていくのだ。そう言 うシステムを既に構築してしまったのだ。これでは、他の国は、その恩恵を受けら れない。電力が無い国こそ存在しないが、セントに比べると、その差は歴然である。  その屈辱に耐え兼ねて、クーデターを起こした人物が居た。その中心人物は、ジ ークの末裔リーク=ユード=ルクトリアである。だが、彼は失敗した。多くの人々 を連れて、セントまで迫ったが、セントの圧倒的な兵器の前に敗れ去ったのである。 この世で、究極とさえ言われていた、全てを消し去る力『無』の力を使っても、勝 てなかったのだ。正確に言うと、セントを覆うソーラードームと呼ばれるバリアが、 『無』の力までも防いでしまったのだ。そのせいで、大量の死者を出したリークは、 見せしめとして、首を刎ねられて、全ソクトアに、その顔を晒されたと言う。  この事件以後、人々は、セントに逆らう気力を無くしてしまった。いや、例え小 規模な、いざこざであっても『絶望の島』に入れられてしまったので、不満の声す ら、封じられてしまったのである。恐怖政治の始まりでもあった。  セントメトロポリスは、他の国と比べ、それはもう、栄華を誇っていた。島国で あるガリウロルを除く、全ての国から、エネルギーを供給されているのだ。栄えな い筈が無い。国全体を、ソーラードームと言う壁が覆い、内からも外からも、干渉 を受ける事は無い。そして、その検問所は、ソクトア1を誇る、重火器を武装させ た集団が、陣取っているのだ。正に完璧。セントを知るには、まず、内部に侵入す るしか無い。  その、セントの内情は、『人道』的とは言えなかった。つい最近の事である。セ ントを、我が物顔で操っている人物が出始めた。国事代表であるカルナス=フォン =デルルティである。国事代表とは、国家の法律を作り、施行する役職で、総投票 によって国民から、選出される役職である。そして、国事代表を裁く権利がある裁 断場。一般の罪人も、ここで裁かれる。その機関の癒着や、賄賂などが無いかどう か監視する、不正監視委員会。この3つが、互いに見張って国を動かしていくのが、 ここ1000年くらいの基本理念だった。この制度は、『人道』とも呼ばれている。  だが、カルナスの横暴が発覚したため、かつての国事代表などが集まって、結成 されたのが『元老院』である。カルナスは、不正監視委員会と裁断場に賄賂を贈り、 政治を、我が物とした。それを許さじと立ち上がったのが、元老院である。元老院 は、全ての役職の上に立つ物であり、国を憂う者しか、入れないと言う決まりで立 ち上げられた。カルナスは、すぐに捕らえられ、元老院の主導の下で処刑された。  その元老院、そこで解散すれば良かったのだが、セントのためと言う名目で、そ のまま、居座ったのだ。世論の95%は反対した。このままでは、元老院の支配が 始まってしまうからだ。だが、その世論を軍隊と、『人斬り』の力で抑え込み、元 老院制度と言う物が、出来上がったのだった。  セントの人々は、いつしか、何も言わなくなった。言えなくなったのかも知れな い。国事代表や、不正監視委員会、裁断場の文句を言う人々は居る。だが、元老院 の文句を言う者は居ない。少しでも知れたら、『絶望の島』送りになると言う噂が 流れたためだ。実際、送られていたのであろう。  だが、セントの人々は、他の国と比べれば、元老院の事以外は、全くの自由だし、 技術も最先端であり、文句を言う人々は少ない。重労働に課せられる人は少なく、 適度な仕事と、適度な平和を与えられて、幸せに暮らしている家庭が多い。ただ、 『人斬り』の事に関しては、別である。  暗殺を仕事とする、凄まじい剣の冴えを誇る集団『人斬り』。この存在は、政治 にも利用されるため、警察機構の取締りが、厳しい訳では無い。人々の不満を抑え るために、たまに摘発するが、それは、見せしめだけである。本気で、警察が取り 締まっている訳では無い。それ程に、社会に影響を与えている。  時に軍隊より強く、軍の者ですら、『人斬り』に関しては、口にする者が少ない。 『人斬り』には、それぞれ組織があり、それぞれが、伝記から因んだ名前を付けて いる。伝記は、利用され易いのだ。  その一つが、古代語で『闇』の名前を関している『ダークネス』。主にセントの 外れに、多くの支部を持っていて、広大なセントの、どの地域にも支部があると言 われている。それぞれの支部同士の仲は、余り良くないが、ボスのコードネームで ある、『創(はじめ)』には、どの支部も、敬意を表している。  もう一つは、古代語で『光』を意味する『オプティカル』。セントの首都である キャピタルの周辺に、多くの支部を持っている。キャピタルの中央に行く程、強い 組織らしく、地下ではあるが、メトロタワーの下にあると言われている支部が、本 部だと言う噂だ。だが、最近になって、それは、ダミーだと分かったらしい。余り にもバレ易いので、場所を変えたと言う説が有力だ。代々伝わる、コラットの名前 を冠した人物が、ボスを務めている。  最後に、古代語で『気合』意味する『スピリット』。最初は、『ダークネス』や 『オプティカル』を抜けた者の寄せ集めだったのだが、次第に大きくなり、伸し上 がってきた組織だ。『オプティカル』を避けるように、キャピタルから離れた所に 支部がある。『ダークネス』とは小競り合いをしているようだが、『スピリット』 は、3つの大きな支部があるため、迂闊に手を出せないらしい。その3つの支部を 治めている者が、ボスらしい。つまり3人居る。  人斬りの、ほぼ全員が、どこかの組織に入っている。同じ組織同士は、非常に仲 が良いらしいが、違う組織の者とは、命を掛けて抗争をする。恐ろしい組織らしい。  その中で、どこにも属さず、尚且つ仕事達成率99.5%を誇る最強の人斬りが居る。 コードネームは『司馬(しば)』。伝説の人斬りとも呼ばれ、恐れられている。  人々は、『人斬り司馬』と、彼を呼んでいた。  1、首都  美しき街並みを誇る、セントメトロポリス。その中心であり、首都であるキャピ タル。北にシティ、南にスラム、西にタウン、東にビレッジ。その5つの構成から なるソクトアでも、一番を誇る広大な国。  広さも一番なら、文明も一番、強さも一番であり、その存在感も、勿論一番であ った。セントに居れば、揃わない物は無いとまで、言われる程だ。ありとあらゆる 国の特色、財産を手に入れられる国。上流貴族、中流家庭、下流家庭も含め、延べ 2000万人に達すると言われる人々が、暮らす巨大な国。1000年前の人々が見たら、 それは驚く事だろう。1000年前の、ソクトアの全人口の倍の人々が、現在のセント に、住んでいるのだから。  北のシティは、中流家庭が多く、構造的には、現在のガリウロルのそれに近い。 勤務先が安定していて、寺社や教会などがあり、人々は、働く意欲に溢れている。 キャピタルに進出したとしても、シティ出身ならば、馬鹿にされる事も無い。  南のスラムは、下流家庭が、多く移り住んでいる。治安も余り良くなく、セント の中で、生活力がどうしても足りない者達が、住んでいる。なので、犯罪の発生率 も高く、警察を悩ませている。ここの担当になったら、毎時が、事件だと思えとも 言われる程だ。セント以外の国の現状が、これに近い。  西にはタウンがある。スラムから抜け出て、チャンスを狙うなら、ここだと言わ れている。タウンは、活気溢れる場所が多い。決して安定している訳では無いが、 チャンスが多く到来する地域。働く場所も雑多とあり、ビジネスの発祥となる場合 が、多いとも言われている。  東がビレッジである。他の国からエネルギーを分けてもらってるとは言え、セン トにも農業はある。その農業の中心が、ビレッジである。ビレッジに行けば、草木 が生えないとまで言われた中央大陸から、見事に農業に成功した、大自然を眺める 事が出来る。他の地域に比べ、牧歌的な特色が、多い地域である。  そして中央にキャピタル。メトロタワーがそびえ立つ、セントの中枢部であり、 ソクトアの中心部と言っても過言では無い。多くの高層ビルが建ち並び、その屋上 から見た夜景は、素晴らしい物があると言う。常に中心であるため、いつまでも明 かりが付いている『眠らない首都』とも言われている。その中心に立つのが、1500 階と言う、とてつもない階層を誇る、メトロタワーである。  メトロタワーは、50階までは、誰でも観光可能である。だが、60階からは、 一般人の立ち入りが禁止になっている。そして、80階までにソーラードームの発 生装置が配備されており、90階からは、ソクトア全土から情報を集められるテレ ビ局が配備されている。100階から上は、生体研究所、軍隊研究所、武器精錬所、 転移装置などが配備され、135階から140階までに政府が用意されている。  法律を作る国事議会場、罪を裁く裁断場、それが適切かどうか確かめる不正監視 委員会が、この階層にある。  軍隊研究所ではメトロタワーの研究所で開発され、セントの外れにある施設で、 大量生産されている。  そして、歴代国事代表など、特別な者しか入れないエリアが140階以降である。 元老院は、無論、このエリアにあり、日々の政策を、話し合っている。  セント全体は、巨大な円錐となっており、その中心部にあるのが、巨大なメトロ タワーとなっている。帝国と言っても、差し支えない程の強さを持つ国であった。  そのキャピタルの外れにあり、スラムとタウンに近い位置にあるバーがあった。  その名もバー『聖(ひじり)』。伝記の『聖亭(ひじりてい)』から来ているの は、間違いないだろう。店主もファン=レイホウの、末裔だと自称する少女だった。 名前は、ファン=センリン。明るい雰囲気と、気前の良さ、スラムやタウンが近い と言うだけあって、お手頃な値段で経営しているため、それなりに人気は出ていた。  その忙しい店内を、手伝っている青年がいた。  名前は、黒小路(くろのこうじ) 士(つかさ)。ガリウロル出身だと言う話だ が、先祖がガリウロル人だと言うだけで、れっきとした、セント人であった。  朝に、センリンが仕込みを終え、昼に士が搬入などをし、夕方に店を開ける。夜 の間に繁盛し、店を仕舞う頃に、投函のチェックをする。そして、『仕事』があっ た日は、深夜に出掛ける。それが常である。  『仕事』があった日は、不定期に臨時休業する。不定期なのは、正体を悟られな いためだ。休み日が、ピッタリと一致しては、すぐに存在がバレてしまう。  その『仕事』内容とは・・・『人斬り』であった。人斬りの歴史は、そこまで深 くない。賄賂などが横行し、セントによる、粛清が始まった時からの、歴史である から、反逆罪で処刑されたリーク=ユード=ルクトリアが、没した時が、始まりだ ろう。  気軽に暗殺が頼める組織を、立ち上げたのが始まりだった。暗殺をして、金を貰 うのが、横行しだしたのは、そこからだった。よって、せいぜい20年弱であろう。  なのにも関わらず、仕事の達成率が異常なため、界隈で、伝説となってしまった のが、センリンと士のコンビであった。通称『司馬』。コードネームの由来は、士 の本名から来ている。士の本名は、『司(つかさ)』である。そのままでは、余り にも目立つので、ガリウロルで活躍している作家から名前を取って、『司馬』とし たのであった。  フリーの人斬りで、主な仕事は護衛である。要人から仕事内容次第では一般人ま で手広く護衛をこなしている。驚くべきは、達成率で、99.5%と言う驚異的な達成 率を見せている事であった。失敗したのは、最初の1回だという。  専属で雇っている郵便屋に、灰色の封筒で、消印『48』と書いてある封筒だけ 投函してもらう。その内容を吟味し、興味を持てば、依頼人に会う。依頼人に会う 日は、休みになってしまうが、『聖』が良く休むのは、知られているため、そこま で、怪しまれたりは、していなかった。  主に護衛だが、たまに暗殺の依頼も受ける。しかし、余程の事が無い限り、受け ない。『司馬』は、良く仕事を選り好みすると言う事でも、知られていた。しかし、 難しいから受けないと言う事では無いため、気紛れ説が流れている。  今日も、『灰色の投函』が、受け口にあった。  『聖』も、店仕舞いの時間のため、客が会計を済ませていた。あと一人で終わり のようである。 「今日のつまみ、良く出来てたな。ここは酒は勿論、肴に困らなくて良いぜ。」  客は、褒め千切る。常連の一人だ。 「ジャンさんは、口が上手いから、騙されちゃうヨ。」  センリンが相手をする。切り盛りは、センリンの仕事だ。 「フッ。内臓でも美味く調理すりゃ、ああなるって事だ。良いの仕入れたら、知ら せるから、楽しみにする事だ。」  士が、釣りの仕草をしながら、会計を済ませる。搬入の合間に釣りや、狩りをし て、肴を決めさせる。仕入れ具合は、さすがであった。 「楽しみにしてるぜい!ところで、センリンちゃん。俺とのデート、どうよ?」  常連の一人、ジャン=ホエール。彼は、『軟派師』としても、知られている。 「私の返事は、いつも一緒なの、分かってる筈だけド?」  センリンは、指を横に振って、目を細める。 「カァ!!お熱いねぇ!士さんは、果報者だぜぃ!」  ジャンも分かって言っているのだ。センリンは、士以外に、付き合う男性は居 ないと、暗に言っているのだ。 「たまには行ってきても良いぞ?・・・何てな。ジャンじゃ、しょうがないな。」  士は余裕のコメントを吐く。こんなやり取りをしても、ジャンは、また来るのだ から、純粋に『聖』が、好きなのかも知れない。 「センリンちゃんは手強い!士さんは、ツレない!参るぜ。全くよぉ!」  ジャンは、オドけて見せるが、本気では無い事は、分かっている。 「ハハッ。馬鹿言ってねーで、会計だ。今日は18ゴードだな。」  士は値段を言う。セントでの通貨であるゴードだが、現在のソクトアでの標準の 通貨になりつつある。1ゴードでジュースが買える位と、認識すれば良い。 「ヘイヘイ。・・・士さん、好い加減、結婚しちゃえよ?」  ジャンは、余計な事を言う。 「言われるまでもない。その内、するさ。」  士は、いつも、このコメントだ。正直な話、センリンとは、ほとんど夫婦に近い のに、結婚してないのは、不自然とさえ言える。 「士とは、そんじょそこらの夫婦より、強い絆で結ばれてるのヨ?」  センリンは、満面の笑みで、そう答える。隠そうともしない。 「あちゃあ・・・。こりゃ難攻不落だ!・・・ご馳走様!!」  ジャンは、分かってて煽っているのだ。こう言うやり取りも、慣れた物である。 満足したのか、ジャンも『聖』から出て行った。 「・・・全く、口の減らない人ネ。」  センリンは、呆れていた。常連とは言え、あそこまで遠慮の無い人も珍しい。 「奴とも、長いからな。」  士は、売り上げを数えながら、応対する。 「結婚・・・出来る物なら、してるってーのヨ。」  センリンは溜め息を吐く。仕方が無い事なのだ。 「この稼業じゃ、きつい事は、確かだな。・・・後悔してるか?」  士は尋ねてみる。この稼業と言うのは、勿論、人斬りの事である。 「10年前のあの時に、見逃してもらった時から、後悔してないヨ。」  センリンは、士のターゲットだった。両親が、人斬りに暗殺された後、莫大な遺 産を受け継いだおかげで、別の人斬りに、狙われていたのだ。  その仕事を引き受けていたのが、士だった。当時の士は、『ダークネス』に所属 していて、仕事のなんたるやを、考え中だった。しかし、当時14歳だったセンリ ンを見て、そのセンリンを殺せと命じられた時に、嫌気が差したのだろう。両親を 殺されたばかりの、センリンの命を奪えと言う命令は、クズにも劣ると思っていた からだ。士は、案外、激情家である。  士は、命じた上司の首を撥ね、それを手土産に、所属していた支部に乗り込み、 一人で壊滅させたのだ。剣の腕は、確かだった。そして、組織から命じられる仕事 に疑問を抱き、フリーの人斬りになる道を選んだのだ。それが、『司馬』の始まり でもあった。なので、暗殺依頼より、護衛以来の方を優先させる事が多いのだ。  センリンは、その様子を見て、一目惚れしたらしく、士の元を離れないようにな ってしまったのだ。一等地だった当時の家を全て売り払って、スラムとタウンの近 くにある、雑多として目立たない空間のビルを買い上げたのだ。そこを起点にして、 士の行動起点にすると、言い出したのだ。  士は最初反対した。フリーの人斬りである自分が、14歳の少女から、ビルを貰 う謂れが無いからだ。だが、センリンは両親が殺されて、行く当ても無い事を知る と、センリンを守らなくては・・・と思ったのだろう。2回目の申し出を、快く受 け取ったのだった。  そこからは、ノウハウなどを教え込んで、センリンも、ある程度、闘えるように なった。その成長途中で料理なども覚えたので、覚えた切り盛りを、活かせないか と考えて、働ける歳になった時に、バー『聖』を、開店させたのだった。 「付いて行くと決めタ。だから、結婚できなくても良イ!」  センリンは、士に一生付いて行く事を決めている。例え、結婚出来なくても、そ れ以上の絆を、築き上げるのは不可能じゃないと思っていたからだ。実際、センリ ンの情報を集める能力は、凄い物があり、大いに士の役に立っていた。 「苦労を掛けてるな・・・。待ってろ。いつか、幸せにしてやる。」  士は、センリンの言葉を、無駄にするつもりは無い。結婚なんかしなくても、最 高に幸せにしてやる。それが、今までのセンリンに対する、礼だと思っていた。  だから、センリンに対する愛を隠したりは、しない。士にとっても、センリンは、 欠かせない存在なのだ。 「士と一緒にいるだけでも幸せ・・・。それは、変わらないヨ。」  センリンは、極力笑顔を向ける。この笑顔こそ、士の生きる糧だ。 「俺もだ。・・・じゃ、生活を安定させるためにも、今日の確認をしようか。」  士は、灰色の投函の内容が、気になっているようだった。 「はーい。・・・どれどれ・・・。ンー・・・。」  センリンは、内容を確かめていた。 「これと・・・これは・・・パスだネ。」  センリンは、吟味していた。碌な内容じゃなかったら、受ける必要など無い。 「・・・全く、上流階層が多い事だな。」  士は、センリンがパスした投函の内容をみる。一つは、派閥争いだった。キャピ タルの名家が、ライバルを蹴落とすための陰謀の暗殺だった。もう一つは、政治家 が、票集めのために、地域のヤクザを、一掃してくれとの依頼だった。  どちらも利権が絡んていて、碌な内容では無い。  別に正義のためにやってると言う訳では無い。単に、自分がやる仕事なので、納 得の出来る仕事にしたいだけだった。 「3つ目は・・・どうかナ?」  センリンは、士に投函を見せる。 「変わった依頼だな。興味は、ある。」  士は、依頼内容に興味を引く。内容は、潜入の手助けだった。偽名でキャピタル に潜入したいので、検問所手前で、騒ぎを起こしてもらい、その後の匿いを、お願 いしたいとの事だ。検問さえ抜ければ、後は、騒ぎさえ起こさなければ、そうそう 捕まる物でも無かった。 「でも、ここまでして潜入したいって、どういう事かナ?」  センリンは、疑問に思う。士も、そこが気になっていた。 「功名心に囚われた奴かも知れんな。ま、会って判断した方が良いな。」  セントの中でも、キャピタルは最高の機密が詰め込まれている。違法な手段で、 キャピタルに入りたいと言う事は、キャピタルで、一山当てたいと思う奴か、抜き 差しならない事情を持っているか、どっちかの筈だ。 「事情を、聞きに行ク?」  センリンは、依頼人を値踏みする時は、直接、交渉しに行く事にしている。 「そうだな。場所は、タウンの喫茶『希望』が良いだろうな。」  士が提案する。喫茶『希望』は、士達の事情を知ってる男が、オーナーをしてい る。なので、予約すれば、手早く席を取ってくれる。その上、個室を何個か設けて いるので、商談や密談をする事が出来る。打ち合わせなども、度々使われる店でも あった。壁には防音素材を使用しているため、隣に誰か居ても、聞こえる事が無い。 「了解。士は、例の場所で待機ヨ?」  センリンは、例の場所で待機と言う。例の場所とは、出入り口付近の席であった。 その場所に陣取る限り、ドア越しに聞こえる事を防げるし、いざと言う時に呼ぶ事 が出来るからだ。センリンは、用がある時に、非常用のスイッチを用意している。 士を呼ぶための物だ。危険な時や、士に用がある時に押す。 「じゃ、明日は休業だネ。」  センリンは、詳しく事情を聞きに行く事を決めた。  この時が、一番緊張する。どんな依頼人が現れるか、分からないからだ。  この仕事を選んだ事の後悔なんて無い。  ただ、ひたすら、駆け抜けてやる。  そして、士の役に立つ。  それが、私の願い・・・私の目標。  士は本当に強いから、泣き言なんて、漏らさない。  でも、私は知ってる・・・夜になると、今まで斬った人達の怨嗟を受ける士が。  私は知らない振りをしているが、寝苦しくしているのを、私は知ってる。  士は、こんな商売をしているのに、優しい。  だけど、敵と認識したものには、容赦が無い。  暴走しないように、見張るのも私の役。  それは、士の敵になる事じゃない。  士のためになると信じて、やっている事だ。  私は、14の時に死ぬ予定だった。  両親が死んで、遺産を渡された時は、ショックだった。  遺産の話なんてしたくないのに、会う人が、その話ばかりする。  アレ程、醜い人々を、私は見た事が無い。  両親は、人斬りに殺され、私の前にも人斬りが現れた。  私は、諦めの笑いを零した・・・ここで死ぬんだなーと思った。  その顔を見せた時に、士は、とても哀しい目をしていた。  その目は、今でも覚えてる。  そして、その目が今度は、憤怒の目に変わった。  すると、士は突然、部屋の外に出て、誰かを斬った。  そして、瞬く間に屋敷を取り囲んでいる、全ての者達を切り伏せた。  その後、気が付くと、私は助かっていた。  後で知った事だが、一瞬で、支部を壊滅に追い込んだ士を、組織は恐れたのだ。  そして、『司馬』と呼んで恐れた後、手を出すのを、止めたのだった。  だが、たまに、『ダークネス』からの刺客が、来る時がある。  その全てを士は、切り伏せている。  私が、こうして生きていられるのは、士のおかげなのだ。  だから、士には、全てを捧げたい。  私は、自分の存在を完全に消すために、財産を全て売り払った。  そして、ビルを買い取り、そこを、士と私の住処にした。  士は最初こそ断ったが、私の想いを知ると、承諾してくれた。  そこからは、楽しい日々だった。  時に厳しく、でも詳しく、そして優しく、私に指導してくれた。  士が、とても優しいって事を、そこで初めて知った。  士は、私の全てだ。  仲間であり、相棒であり・・・恋人でもある。  士は、私の想いを知って、それを受け入れてくれた。  だから、今度は、私が役に立つ番だ。  情報収集能力などは、私の方が、優れている。  なら、それを活かして、サポートするのが、私の仕事だ。  だから、今回の仕事だって、上手くやってみせる。  ・・・こうして、私は喫茶店の個室で待っている。投函した相手には、今日会う ように約束させた。向こうも、急いでいるようで、二つ返事で承諾してくれた。  ドア側の向かい席には、士が待機してくれる。だから、少しも怖くは無い。だけ ど、緊張するのは、確かだ。でも、そんなのいつもの事だ。すると、ドアがノック された。少し遠慮がちのノック。士じゃない。依頼人かしら? 「空いてますヨ?」  私は、ドアの向こうの相手に対して、答える。 「失礼する。」  随分と渋い声の人だ。壮年の方かしら?・・・なる程。渋い人だ。 「ええと、初めまして。待ち合わせの方で、間違いありませんネ?」  私は、メガネを掛けている。交渉の時は、良く掛ける。 「『返信』の事を、言っておられるのかな?」  その人は落ち着いていた。・・・驚いた。全く怯もうともしない。こっちが、伝 説なんて言われている人斬りだって、分かっているのかしら?それくらい、自信に 満ち溢れている。 「どうやら、依頼人の方で、間違いありませんネ。」  私は、間違いないと確信する。『返信』とは、『投函』で依頼された客に対して、 こちらから送り返す手紙の事だ。 「そう認識してくれると有難い。貴女の佇まいも、伝説に近い物だが、本人は、そ この青年で、あるのかな?」  私は、ビックリした。この人は、士の事を指差していた。一目で、見抜いたのだ。 士は、極自然にコーヒーを飲んでいた筈だ。なのに、士の正体に、気付いていた。 「貴方、何者なノ?」  私は、警戒する。ここまでの実力者は、そうは居ない。 「今は、貴女達の依頼人に、間違いない。」  この人は、全く動じようともしない。こんな依頼人は、初めてだ。  私は、スイッチを押した。お手上げだ。すると、ドアを開けて、士が入ってきた。  そして、すぐに周りを確認すると、黙って私の隣に座る。 「・・・何があった?」  士は、私に聞いてくる。私が無事で、且つスイッチを押す。これは、士に用があ る時だ。つまり、余り良い事態では無い。 「この人、只者じゃ無いネ。貴方の事、一発で、見抜いてきたヨ。」  私は知らせる。士は、驚いていたようだ。 「参ったな。気配は、紛れ込ませていたつもりだが・・・。」  士は、変に気配を消したりは、してなかった。 「警戒させてしまったか。申し訳ない。そのようなつもりは無かった。ただ、直接 話を、したかっただけだったのだが・・・。」  確かに、攻撃的な言葉を、発している訳じゃない。 「・・・天武砕剣術・・・か?」  今度は士が、依頼人を驚かせた。 「やはり、貴方が伝説の・・・。一目で見抜くとは、さすがですな。」  依頼人は、驚きつつも感心していた。どう言う事なのだろう? 「貴方の、その手首の回し方と、手に付いた拳ダコは、不動真剣術か、天武砕剣術 の特徴的な使い手だ。不動真剣術は、一子相伝だからな。消去法さ。」  士は、依頼人の佇まいだけで、その人の剣術スタイルを見抜いたのだ。 「どう言う観察眼なのヨ。二人とも・・・。」  私としては、呆れる他無い。 「察しの通り、俺が、実際の実行役だ。だが、俺と彼女の二人で『司馬』なのは、 間違いない。そこは、履き違えないでくれるか?」  士は、私の事をひっくるめて『司馬』として、見てくれと言ってくれた。 「了解した。確かに貴女からも、只者では無い気配を感じますからな。」  依頼人は、こんなやり取りが有ったにも関わらず、冷静にしていた。 「まず、アンタの名前を教えてくれ。」  士が切り出す。名前を聞かない事には、始まらない。 「非礼で済まないが、偽名でも宜しいか?」  依頼人は、妙な事を言い出す。偽名? 「キャピタルに潜入しようってんだもんな。確かに言い辛いな。それで良い。」  士は、偽名でも良いので、教えるように促す。 「国民章の名で、ハイム=ゼハーンド=カイザードと申す。」  随分、長い名前ねぇ。貴族さんかしら?・・・ハイム? 「貴族さんだったり、しまス?」  私は聞いてみた。長いし、やたら高貴な名前だ。 「シティで、屋敷を持っていた。今は、手入れだけ、させている。」  ゼハーンドさんは、掃除をさせているような、ジェスチャーを見せる。 「ゼハーンドさんか。セントでは、珍しくない名だな。」  士は、偽名なのを承知で言う。確かにシティでは、結構多い名前だった筈だ。 「しかし、ハイムとカイザードとなると違ってくる。アンタ、本当に天武砕剣術の 使い手とアピールしたいようだな。その名前を、使ってくるとはな。」  士は、妙な事を言う。ハイムとカイザード・・・。って、そう言えば、その名前 は、伝記の天武砕剣術で、英雄ライルと闘った人の苗字だ。 「シティに居た頃の、本名だ。丸っきり嘘って訳でも無い。」  なる程。嘘と本当を、使い分けてるって事か。 「ま、本当に天武砕剣術を使えるようだし、下手に隠さないのは、良い事だ。」  セントの人口は、今や2000万人に上ると言われている。国民章を発行した人口を 合わせると、その倍とも言われている。そんな人口の全ての国民章が、偽物かどう か、調べるのは至難の業だ。 「んー・・・。そろそろ依頼内容を、聞いても良イ?」  私は、話を切り出す。変に探り合いをしても、話は進まない。 「これは失礼致した。歳を取ると、つい話し込んで、しまいますな。」  ゼハーンドさんは謝る。礼儀正しい人のようだ。 「私の依頼は2つ。・・・キャピタルの検問の厳しさは、貴方達もご存知の筈。そ こを突破したい。そして、その騒ぎが収まるまでの、逗留所を確保したい。」  ゼハーンドさんは、依頼を言ってくれた。『投函』の内容と同じだ。間違いない ようだ。検問が厳しいキャピタルに、来たいのだろう。 「キャピタルに侵入したいようだが、何故だろうか?」  士は聞いてみる。そう。キャピタルに侵入するのが目的だってのは分かる。だが、 何故なのだろうか?危険を冒してまで侵入しなくても、ゼハーンドさんが、シティ の人間なら、真面目に働けば、キャピタルへの移住権など、与えられる筈だ。 「内の客も、タウンやスラムで、真面目に働いて、キャピタルへの移住を認められ た人が中心ヨ?その分、お金持ちじゃない人が多いから、お安くしてるんだけどネ。」  『聖』の客は、タウンやスラムからの出稼ぎで、来ている人が多い。場所も近い からだ。その出稼ぎのための権利を、真面目に働く事で、3年程すれば、その成果 が認められて、許可を得られる。移住の際に移住料が取られるので、一から出直し になるが・・・。それでも、キャピタルで働くと言うのは、タウンやスラムからは、 比べ物にならない程、儲かるらしい。  その苦しい稼ぎ時を、助けたいと言う想いを、うちは、値段で設定している。 「シティ出身者なら、2年で行ける筈だ。」  士が付け加える。タウンやスラムに比べると、ビレッジやシティの出身者は、階 層が上の人が多いので、1年短縮されるのだ。 「・・・2年では・・・遅過ぎるのですよ。」  ゼハーンドさんは、苦しげな声を出す。 「待ち切れない事情が、あるみたいネ。」  ゼハーンドさんの表情は、苦々しい想いが、込められていた。 「それを・・・お話した方が宜しいか?」  ゼハーンドさんは、落ち着いたのか、こっちを真っ直ぐ見てくる。 「言いたくないのなら、良いですヨ?」  私達は、依頼をこなすだけだ。余り事情に、突っ込むつもりは無い。 「私は構わない。だが、言ったら、貴方達を、巻き込むかも知れない。」  ゼハーンドさんは、私達の事を、気遣ってるようだ。妙な依頼人だ。 「・・・危険な事情が、あるみたいネ。」  私は、ゼハーンドさんの苦しげな表情から読み取る。士に合図する。士の判断に 任せたと言う意味であった。私は、別に聞いて良いと言う合図をする。 「困った事を言う依頼人だ。だが俺達は、仕事に納得出来る理由がなければ、やら ない。だから、聞かせて貰わないと、先に進まないな。」  士は、聞いてあげる事にした。ゼハーンドさんの眼を見続けていた事から、どん な人物か図って、信頼出来ると、判断したのだろう。 「・・・分かり申した。・・・信じてもらえるか、分かりませぬがね。」  ゼハーンドさんは、重い口を開く。  壮大な話だった。まず、ゼハーンドさんは、本名を教えてくれた。それに、まず 驚いた。ゼハーン=ユード=ルクトリア。私達ですら、聞いた事がある。15年程 前に起こった『英雄の反乱』の首謀者、リーク=ユード=ルクトリアの息子だった 筈だ。当時は、指名手配書が配られていたが、まさか、今まで捕まって無かったと は、思わなかった。  一人だけ生き延びたゼハーンさんを襲ったのは、刺客を返り討ちにする日々。そ して、悔しさを糧に強くなる。そう。ひたすら強くなる事を、願った日々だった。 15年間、その屈辱に耐えながら生きてきた。反乱の際に、捕まった息子は、殺さ れている物だと思っていたらしい。まぁ普通は、そう思うかな。  しかし、徹底的に調べた所、『絶望の島』送りになっただけで、息子が生きてい る事を知ったと言う。凄い執念よね。・・・そこで、『絶望の島』に行く方法を探 ったが、完全防備の流刑島なので、侵入する手段が、全く無かったみたい。キャピ タルの警備以上だと言う。思えば、セントは、ソーラードームのシステムが完璧に 近いので、セントの中の警備は、結構手薄になってる場合が多い。  失意の内にあったが、奇跡は起きた。その息子が、『絶望の島』からの脱出に成 功したらしい。その事を、ジュダと名乗る男から聞きつけ、救出しようと思ったが、 どうやら、息子が行き着いた先が、地図に載っていない島、『魔炎島』と呼ばれる 島だったらしく、その島に、追い掛けに行ったらしい。  そこで、15年ぶりに再会を果たす。向こうは、全く気が付いていなかったが、 ゼハーンさんは、一目見て、分かったらしい。想像以上に立派に成長していたらし く、涙を堪えるのが、精一杯だったみたい。何しろ、仲間と一緒にいて、その中心 となる人物へと、成長していたからだ。だけど、その息子も、『絶望の島』を抜け た者として、いつ追っ手が来るか分からない。そこで、ゼハーンさんは、その島で、 息子さんと、その仲間達を、鍛える事にした。  ゼハーンさんは、高い壁となって、立ちはだかった。時に非情な言葉を掛けたら しい。しかし、それは、息子の成長のためだった。そして、気が付いたのだ。息子 の弱点を・・・。息子さんは、目の前で大量虐殺を目撃した。『英雄の反乱』では、 大量の死者が出た事でも有名だ。それが元で息子さんは、知らぬ間にトラウマにな っていたのだ。毎晩のように、魘されている事を知った。『怨嗟の声』だと言って いたみたい。無理もないな。  その怨嗟を断ち切らない限り、成長が無いと感じたのだろう。真剣での斬り合い での決闘を、息子さんとしたのだと言う。そして、剣と言葉で、辛辣な攻めを行っ て、息子さんが気遣いをする以上に、闘う事に集中させて、見事に克服させた。だ が、その代償に、ゼハーンさんは、しばらく寝たきりになったのだと言う。  だが、ゼハーンさんは満足だった。息子さんが生きる目的を見つけたからだ。仲 間と共に、人生を謳歌する覚悟だったのだと言う。それを聞いて、ゼハーンさんは 満足したのだった。  だが・・・話は、これで終わりと言う訳には、行かなかった。15年前の反乱以 降、伝記の中心人物の末裔が、次々と狙われて、『絶望の島』送りにされている事 を知った。その原因を探るために、傷を癒した後に、このセントへと、戻ってきた らしい。そして、情報集めをしていたが・・・キャピタルに行かない事には、情報 が集まらなくなってきたのだと言う。 「・・・そこで、キャピタルへ侵入し、原因を究明したい。・・・『鳳凰教』を使 ってまで、私達の反乱を誘発させ、狙いに行った訳を・・・。」  ゼハーンさんは、話し終えた。・・・なる程・・・。 「悪いが、2年も待てぬ。息子も私も、追われる身なのでな。まぁそれだけでは無 い。どうせ私が奉仕した所で、セントは認めぬよ。」  ゼハーンさんは、手配書にも載るような人物だ。偽名で、侵入までは出来ても、 キャピタルの移住権を手に入れようとする段階で、正体がバレてしまう可能性が高 い。そうなっては、元も子も無いのだ。 「ふむ・・・。なる程な。」  士が、考えているようだ。確かに俄かには、信じ難い話だが、信じるに値する話 だと思う。それにしても・・・スケールが大きいわね。 「士は、どう思うネ?」  私は尋ねてみた。 「依頼自体は、受けても構わん。逗留所も、良い所があるしな。」  ・・・まぁ、私達が住んでるビルよね。あそこ以上に安全な場所なんて、正直無 いよね。部屋も、まだいっぱい空いてるしね。 「決まりだネ。引き受けるヨ!」  私は、快諾を伝える。 「じゃ、ゼハーンには、運試しを受けてもらう。」  士が、トランプを取り出した。そして、器用に混ぜていく。カード捌きは、一流 の動きである。士は、バーの店員と言う仕事をしているので、良くトランプを使っ た賭け事の仕切りを、任されたりするのだ。 「運試しとは?」  ゼハーンさんは、怪訝な顔をする。まぁビックリするわよね。 「取り決めは単純だ。2が一番下でキングが二番目に上、最高がエースと言う並び で、提示したカードより、上か下かで、賭けて貰う。」  士が説明する。所謂ビッグ&スモールと言うゲームだ。 「なる程。分かり易い。で、何を賭ける?」  ゼハーンさんは、乗ってきたようだ。 「依頼金だ。受けないなら、10万ゴードが相場だが、当てたら半額、外した場合 は、1.5倍でどうだ?5万ゴードか、15万ゴードの勝負だ。」  士は、無意味に賭けをしているのでは無い。これで依頼人の性質を探っているの だ。受けない場合は、堅実に仕事をこなすが、受けた場合は、全力を持って仕事を こなす。賭けをした依頼人には、礼節を尽くすのだ。 「面白い。受けましょう。」  ゼハーンさんは乗ってきた。それを見て、士は、ニッコリ笑う。  そして、凄まじい勢いで混ぜていく。しかし、士は、上か下かと言っただけあっ て、同じ数になるように混ぜはしない。その辺は、器用である。 「では、これだ。」  士がカードを提示する。上手いわね。スペードの8とは、微妙な数字だ。 「下ですな。」  ・・・へ?ゼハーンさんは、一瞬で答えた。どう言う事だ。 「迷わない・・・ってより・・・アンタ、見えてたな?」  士は、苦笑する。見えてた?・・・って、あのカードの速さを見切った!? 「ズルかったでしたかな?」  ゼハーンさんは、事も無げに言う。そして士が次のカードを捲ると、ハートの6 だった。当たってる・・・。 「参ったな。賭けなんて、言うんじゃなかったな。」  士は、口ではそう言うが、嬉しそうだった。 「自分の能力で見抜いちまったんじゃ、何とも言えん。しゃあねぇ。5万で受ける。 それが、約束だ。」  士は、私に済まないと言う意思表示をする。私は、呆れ顔で、応えた。だってね ぇ・・・。あの速さのカードを、見切られちゃ何とも言えないわ。 「士のカードを見切られたの、初めて見たヨ・・・。」  私は思わず唸る。凄い反応だ。 「では、お言葉に甘えて、5万ゴードで、お願いする。」  ゼハーンさんは、頭を下げる。まぁ、出費は大きいけど、仕方ないわね。 「まぁ良いさ。引き受けたからには、必ず成功させる。」  士は、腕を鳴らした。この仕草は本気を出す時にやる仕草だ。 「じゃ、打ち合わせネ。」  私は、話を切り出す。連携を確かめなければならない。今回は、騒ぎを起こすと 言う大役もある。ゼハーンさんに目を向けさせないためだ。 「見張りの交代の時間は、調べてある。決行は、明日の午後8時だ。」  士は、情報屋から、見張りの交代時間を入手していた。 「承知。・・・私は、どこに待機すれば、宜しいか?」  ゼハーンさんは、尋ねてくる。私は、見取り図を取り出した。 「見取り図的に、ここネ。正面の柱の影が良いネ。左と右には、取り出しましたる 爆弾を用意するから、爆破のタイミングで、検問所に駆け抜けるのヨ。」  私は説明する。手っ取り早く、爆弾を爆破させる事にした。 「警備が、恐らく、15人程出てくる。俺が10人を受け持つ。センリンは、5人 だ。出来るな?」  士が、私に確認を求めてくる。 「私の実力、見くびってもらっては、困るヨ?」  士程では無いが、私だって、修練を積んでいる。そう簡単には負けはしない。士 から、殺しの仕事は控えるように言われているが、気絶させる事に関しては、私の 方が上だ。武器の特性もあるかな。 「そこで、応援を呼ぶだろうネ。だが、残念。それは、実らないネ。」  爆弾の位置に関係している。単に爆破させるだけでは無い。連絡するための電話 の線を、爆破で破壊する事も、含まれている。 「検問所の見張りは、恐らく3人。・・・普通の依頼人なら、俺が素早く仕留める。 だが、アンタなら、実力で行けるだろう?」  士は、ゼハーンさんに、見張りを倒すように言う。 「5万ですからな。それくらいは、引き受けよう。」  ゼハーンさんは、承知したようだ。話が早くて、助かる。 「オーケーヨ。そしたら、当日、ここの路地裏の、下水道の蓋を開けておくネ。」  私は、検問所から最初の曲がり角の、下水道を指差す。 「下水道に入れたら、北に300メートル程、行った所の下水道の蓋も、開けてお くから、そこから出て、蓋を閉めてくれ。」  士は、地図を指差す。この辺の見取り図は、把握している。 「そこから、少し壁伝いに左に行った所の扉を開けておくので、入れば終わりヨ。」  私は、説明し終わる。そのビルこそ、バー『聖』のあるビル。 「私達は、騒ぎを起こした後、20分程したら、西の検問から、出入りするヨ。」  恐らく、騒ぎを起こした検問は、1週間程は、閉鎖になるだろう。 「てーことは、しばらくは、西の検問暮らしと言う訳だな。」  士は、溜め息を吐く。騒ぎを起こす南の検問は、近くて便利だが、しょうがない。 「キャピタルに入りさえすれば、2週間程で、偽の身分証明が作れる。安心すると 良い。俺達の行きつけだ。」  士が根回しをしている店だ。おっちゃんとも、仲が良い。 「このビルは・・・。貴方達の住まいか?」  ゼハーンさんは潜伏先を指差す。 「正直、そこ以外に安全な場所なんて、知らんからな。」  士は正直に言う。他にも有るは有るが、最も安心出来る所だ。 「心得た。しかし・・・私が住んでも、構わぬのか?」  ゼハーンさんは、気にしているようだ。 「ビルにはまだ、何部屋か余ってるから大丈夫ヨ。それに、家賃代わりに、働いて もらうネ。それなら、大歓迎ヨ?」  元より、そのつもりだった。ゼハーンさんには、一部屋借りてもらって、働いて もらう。大体、部屋が余ってる状態では、勿体無いと言う事だ。賭けに勝ったから 住む為のお金は、あるだろうが、手伝ってもらおうと思っていた。 「お金の問題では無いと言う事ですな。了解した。」  ゼハーンさんも、納得したようだ。 「表だって顔を出せねぇだろうから、やってもらうのは搬入と、配送だ。最初にや り方を教えるから、きっちり覚えるんだ。」  士は、ビシバシ扱く気で、いるようだ。 「私は、15年程、剣を磨きつつも、バイトを続けている。慣れてはいますぞ。」  ゼハーンさんは、生きてくために、バイトを続けていたようだ。 「なら決まりだ。あとは、順調に進むように祈ってくれ。全ては終わってからだ。」  士は、納得したようだ。ゼハーンさんも。これで、契約成立と言った所だ。さー て、後は、任務を成功させなきゃね。  『ダークネス』の理念とは!  1つ!仕事に、心情を挟むべからず!  2つ!依頼に対して、忠実であるべし!  3つ!死を覚悟しても、やり遂げるべし!  4つ!仲間への協力を、惜しむべからず!  5つ!『闇』に生きる覚悟を、尊べ!!  人斬り集団最大とも言える『ダークネス』の教えは以上である。  暗殺と言う仕事を生業としている以上、当たり前の教えでもあった。  だが、『オプティカル』と『スピリット』は別だ。  『オプティカル』。奴らは、人斬り集団でありながら、街の秩序を求めている。  軽い自治体のつもりなのかも知れない。  そんな甘ったれ共は、人斬りと呼ぶのに相応しくない。  『スピリット』。奴らは、個を高める修行の一環として、人斬りをしている。  確かに手強い組織だが、強さに固執している集団に、人斬りは、こなせまい。  軽い鍛錬のつもりなのかも知れない。  そんな場違いな者共が、人斬りを名乗るなど、おこがましい事だ。  『ダークネス』こそが、本当の意味での、人斬りなのだ。  私情を持ち込まず、与えられた任務をこなす。  そうする事で、仕事としての信頼を得ていく。  本当の意味でのプロフェッショナルが、ここにある。  だが、成功率は、100%では無い。  残念ながら、失敗する事もある。  成功率は、他の集団よりは、圧倒的に多い75%をキープしている。  それは、プロとしての仕事を、こなしているからだ。  だが、忌々しい者達がいる。  それが、『伝説の人斬り』などと呼ばれている『司馬』だ。  コードネーム『司馬』・・・元我らが仲間。  奴の初仕事は、資産家の娘の暗殺。  資産家であるファン家は、幹部であるアリアス=ミラーが片付けた。  これで、依頼主に資産が回る筈だったのだが、遺書を遺していた。  そのせいで、娘に資産が、行ってしまったのだ。  依頼主は再び、暗殺を依頼してきたのだ。  それを受けたのが、『司馬』だ。  初仕事に、ぴったりの内容だった。  だが、『司馬』は、あろう事とか、上司と、その周辺の仲間・・・。  そして、依頼主まで、全て斬り伏せてしまったのだ。  その上、その娘と、姿を眩ませた。  許されない事だ!  だが、残念ながら『ダークネス』では、コードネームのみしか登録されていない。  そして、資産家の娘の名は、調べる前に、依頼主を斬られた為、分からずじまい。  簡単な依頼だと思ったため、名前を聞く必要無しと判断したのが、間違いだった。  戸籍を調べたが、いつの間にか、改変されていたらしい。  『司馬』が、先手を打っていたのだ。  忌々しい奴だ!!  何度か、『司馬』に依頼を誘って、正体を突き止めようともした。  しかし、全て『司馬』に見破られて、帰ってきた者は、居なかった。  よって、今は、放置という形を取っている。  しかし、奴は、最初の娘の暗殺以外、仕事は、全て成功させている。  脅威の達成率らしく、業界では、有名になっていた。  耐え難い屈辱である・・・。  いつか・・・いつか晴らしてやる!!  セントメトロポリスの首都、キャピタル。中枢には、この国の国事代表達が集ま っている。国事代表とは、法律を作成する仕事を持つ者である。その国事代表の纏 め役が、国事総代表である。最終的にテレビなどで、発表や演説をするのも国事総 代表が多い。その補佐に副国事総代表。そして、取り纏め役の国事理事と言う役職 がある。現在250人近い国事代表の内、第1派である共民派は、250人の内、 150人程を占める。法律の制定を議論する際に、過半数を占めた方が、有利に事 が展開する。現在は、共民派が多数なので、共民派の意見が通り易い。  こうして意見を出し合った後、元老院に法律が提出される。そこで、元老院が認 可すると、晴れて法律の制定となる。すると、国事総代表や国事理事が、世間に法 律を発表する。それが、『選政』の仕組みであった。  元老院が加わってから、ややこしくなったのだが、元老院自体、共民派の出身の 者が多い。だから、共民派が、作成した法律は、ほぼ通る。  第2派である人民派は、共民派の支配とも言える体制に、異議を唱え続けている のだが、未だに実った事は無い。  だから、人斬りなどが横行する。政敵を狙い撃ちにすると言うのは、常套手段で ある。だが、国民へのアピールもある。だから、汚い手を使ったと言うのは、極力 隠す。人斬りは、滅多に発覚されないので、便利であった。しかしそれは、余りに も、切羽詰った場合だけである。平然と使っていては、いずれアシがつく。  事実、最近は警戒が強いので、人斬りに対して、人斬りを雇う事で、護衛させて いると言う場合も、発生しているくらいだ。  嘆かわしい限りだが、その分、人斬りの知名度が上がってきている。だが、人斬 りにも、組織が存在する。『ダークネス』は、一番、人斬りと言う名が似合ってい る組織でもある。依頼遂行のためなら、手段を問わない。厳しい内部の掟もあり、 口が堅い。闇に生きる覚悟を背負っているので、表立つことも無い。暗殺の依頼が 多いのも、そのおかげである。だが、同じ人斬り集団でも『オプティカル』は、少 し様子が違う。特に、現首長は、暗殺を嫌う。むしろ、『ダークネス』の暗殺の依 頼を、阻止する側に回る事が多い。護衛の依頼である。それだけに、『ダークネス』 との折り合いが、物凄く悪く、出会うと殺し合いをし兼ねない程だ。だが、人斬り 同士の殺し合いは、激しいため、滅多に行動しない。その『オプティカル』が何故、 組織として崩れないかと言うと、政界への太いパイプがあるからである。キャピタ ルに多くの支部がある『オプティカル』は、特に、共民派の護衛を頼まれる事が多 く、軽い自治体のような形になっている。  最後に『スピリット』だが、基本、中立な立場のため、好んで争いを、する訳で は無いが、『スピリット』こそが強さを求め、気高い集団であると、彼らは信じて いる。確かに個々の能力は、一番高いかも知れないが、団結力が、まるで無い。だ からこそ、気ままに喧嘩を吹っかけてくる事がある。危うい組織なのである。  キャピタルは、そう言う事情があるため、セント政府としても、検問所は、特に 警戒している。人斬りの3つの組織には、多くの者が手形を持っているので、手形 が無い者が侵入したと言うのは、組織の者では無いと言う事になる。それは、危う いのだ。新たに組織を作られたとあれば、根幹を揺るがし兼ねない。  とは言え、検問所は、特に強力な軍隊出身の者が、警護に当たっている。そう簡 単に抜けられる物では無い。なので、最近では、気の緩みも生じてきていた。  検問所では、見張り交代の時間までは、仲間と談笑したり、ゲームに講じたりし ている。見張りの者も、注意はしているが、最近では、監視カメラなども、設置し ているので、安全度が、増している結果となっている。 「見張りも、楽じゃあないな。」  見張りの一人が欠伸をする。余り誉められたものじゃないが、最近は、抜けよう とする者が、余りにも居ないので、暇なのであった。 「ま、交代まで、後少しだ。我慢しようぜ。」  もう一人も、余り気合が、入っていない。 「最近のテレビのお気に入りとか、あるか?」  見張り達は、談笑し始める。 「この前の空手大会とか、面白かったなぁ。」  3ヵ月程前に、空手大会があったのだが、尋常な大会では無かった。視聴率も全 ソクトアで、40%を記録したと言う話だ。 「あんなのは稀だろ?そういやさ。今度行われる、全ソクトアご奉仕メイド大会な んか、どうなんだろうな?」  最近では、テレビで、事細かにやっている大会の一つだ。案外、視聴率が良いら しく、テレビ側としても、力を入れているとの話だ。何せ、出ている女性のレベル が高い。更に、その中で行われている技術も、相当な物である。 「あれよぉ。いっつも優勝してる女、凄い美人じゃね?」  見張りも、男としては、気になる所だ。 「だよなぁ。でもさ。アレだけの美人だし、男が居るだろ。」  賛同は得られたが、期待は、薄いようであった。 「準優勝の女も、すげぇ美人だけど、その妹も良いよな。」  準優勝と、その妹は、トウドウと言う苗字だった筈だ。 「お前、何でも良いのか?」 「ちげーよ。あんなレベルたけぇ大会、中々ねーし、しょうが無いだろ。」  二人共、談笑する。もうちょっとで、その大会も、行われる筈だ。 「はぁ。ここにも、テレビがありゃーなぁ。」  検問所には、当然テレビなど無い。監視カメラの映像のみが映し出される。  と、その時、何かの影が、検問所の前の柱に隠れた。  しかし、見張りは気が付かない。無理もない。とても素早い行動だった。 「あー・・・。暇だ・・・?」  見張りが、また大きく欠伸をしようとすると、何かが光ったのが見えた。  ドーーーーーーーン!!!  物凄い音と共に、左右で爆発が起きた。 「お、おおおおおお!?」  見張りは、ビックリすると、一瞬遅れたが、緊急ボタンを押す。すると、けたた ましい音と共に、サイレンが鳴る。 「検問破りか!?」  同僚が、束になって出てくる。見張りは、ここを動けない。誰か通るかも知れな いからだ。それを防ぐのが、役目である。 「おい!そこの柱から誰か出てきたぞ!追え!!右だ!」  機動部隊は、柱の陰から出てきた黒いフードを着けた男を、見逃さなかった。全 部で検問所員は18人居る。見張りが3人、機動部隊が15人だ。その内、10人 が、フードを着けた男を追った。フードを着けた男は、気が付いたのか、逃げ出し た。何故10人かと言うと、緊急に対処するためだ。想像通り、今度は、何者かが、 左に飛び出す。敵は一人とは、限らないのだ。 「よし!残りは、あっちに行くぞ!追え!!」  機動部隊の残り5人は、もう一人を追う。左右で爆発があったので、奴らが仕掛 けたと見て、間違いないだろう。 「派手にやりやがったなぁ・・・。ちくしょう。油断してたぜ!!」  見張りは悪態を吐く。同僚が何とかするだろうが、監視カメラを見てなかったの は、自分の失態だ。これは、お偉方に、何を言われるか分からない。 「残念だったな・・・。」  その声と共に、その見張りは、気絶してしまった。  実は3人居たのである。その3人目こそ、本来の、検問破りだった。  見張りが体勢を整わせる前に、2人を倒し、3人目も・・・今、気絶させたのだ。 「・・・上手く行ったか。後は、頼みますぞ。」  検問破りは、そう言い残すと、さっさと、キャピタルの方へと入っていった。  これで、後は、機動部隊を鎮圧するだけだ。  機動部隊の内の5人は、足の速い、黒いローブを着けた奴を追っていた。 「・・・この足音・・・。軽いな。男では無い。」  機動部隊のリーダーっぽい奴が、見抜く。足が速く、軽快。そして躍動するよう な速さ。ガサツな男では無い。 「・・・見抜くなんて、やるネ。さすが、キャピタル警護よネ。」  ローブを着けた女は、センリンだった。それに、いつの間にか、袋小路に追い詰 められていた。さすがは、キャピタルご用達の、機動部隊だ。 「追い詰めたぞ!逃がすな!」  次々に銃を向ける。そこまでの動きは、訓練通りだ。 「仕方ないヨ。」  センリンは、棒を取り出す。その瞬間だった。センリンから、凄い敵意が芽生え る。士からは、抑えるように言われてるが、センリンも、士から訓練を受けている。 よって、人斬りとしての才能は、あるのだった。 「この女、只者では無い!油断するな!」  機動部隊は、即座にセンリンの危険さを悟った。 「さっすがネ・・・。」  センリンは、機動部隊の手強さを感じていた。ならば・・・。  ザン!ブオン!  センリンは、棒で地面を抉り取る。そして、目眩ましを放った。地面が盾のよう になる。それを見て、機動部隊は、銃を撃ち放つ。 「・・・やったか!?」  リーダーは、土煙が晴れるのを待つ。しかし、そこには誰もいなかった。 「グア!!!」  部下達の悲鳴が聞こえた。なんと、既に4人共、意識を失っていた。  リーダーは、素早く後ろを向いて、センリンと対峙する。 「どうやって、こちらに!・・・な!?」  リーダーは、袋小路を形成していたビルの壁を見た。そこに足跡が残っていた。 (この女は!?まさか、壁を歩いたとでも、言うのか!?)  リーダーは悟る。これは、対峙すると言うレベルじゃない。レベルが違い過ぎる。 この女は、荒業を、意図も簡単にやってのける程、強いのだ。 「ヌオオオオ!!」  リーダーは、最後の賭けに出た。銃を乱射して、当たるのを祈る。  それを見て、センリンは、棒を軸にして、飛び上がる事で避ける。そして、銃が 撃ち終わるのを見て、棒で、銃を叩き落とす。そのまま、リーダーのテンプルに棒 を叩きこんだ。 「ぐ・・・あ・・・。」  リーダーは、そのまま気絶する。センリンは、一仕事終えた顔になると、足跡を 綺麗に拭き取った。こう言うのを、残してはいけない。それが人斬り稼業として、 生きていくコツだ。  その頃、もう一つの影である士は、センリンと同じように、袋小路に追い詰めら れていた。いや、センリンもそうだが、そうなるように仕向けたのだ。 「逃げられんぞ!」  機動部隊の10人組のリーダーが、吼える。 「フフフ・・・。そうか。なら、よーく狙う事だ。」  士は、不気味な声を上げる。その瞬間、敵意を越えた殺気が、士の周りに、纏わ りつく。人斬りモードになった士は、死の権現だった。 「・・・う、うわああ!!」  機動部隊の者達は、一瞬で、その恐怖を感じ取り、銃を乱射し始める。 「・・・狙いが甘いぞ?」  士は、フードにすら掠らせなかった。どう言う事だ。人知を超えている。 「甘いと、殺してしまうぞ?」  士は、ユラリと剣を抜く。その行為を見て、10人は後悔した。こいつは、相手 をしては、いけなかったのだと。人を殺す事に、慣れている目だった。 「仕方がない。」  士は、機動部隊のそれぞれの影に、針のようなものを投げる。 「ぬ・・・あ!?か、体が!」  皆、体が動かなくなる。 「『影縛り』。指すら動かせん。」  士は、そう言うと、一人ずつ、剣の柄で、気絶させていった。 「き、貴様!!」  リーダーは、次々倒れていく部下を見て、歯軋りする。 「大人しくしていれば、命までは奪わぬ。」  士は、脅しておく。と言うより、それは、本当の事だった。 「その手際・・・。まさか『司馬』か!?」  リーダーが、不用意な事を口走った。部下は、全員気絶していた。 「察しが良いな。アンタ優秀だな。」  士は、そう言うと、リーダーだけ胸を貫いていた。そして、剣を抜く。 「・・・今日は、殺しをしないつもりだったんだがな。」  士は、溜め息を吐いて、哀しい目をする。『司馬』の仕業だと気が付いた者は、 生かしておけない。士だけでは無く、センリンまでも危険に晒すからだ。  リーダーは、目を見開いたまま死んでいた。それを士は、目を閉じさせてやる。 そして、手を合わせた後、リーダーの死体を、路地裏の一角に安置する。そして、 流れた血の処理をした。こうしておけば、路地裏を良く見回る『ダークネス』のキ ャピタル支部の者が、見付けて処理してくれる。 (こう言う所は、まだ頼っちまうのは悪い癖だな。)  士は、苦笑する。『ダークネス』とは縁を切っているのだが、こういう所は、ま だ利用しているのだ。 「・・・さて・・・帰るか。」  士は、袋小路を一瞬で壁を越える事で、抜け出して、ちょっと広い路地裏に入る。 ここを抜ければ、スラムから、タウンへの入り口へと抜ける。キャピタルの検問は 厳しいが、タウンへは、そう厳しくないのだ。 「と、行きたい所だがな。」  士は、突如後ろを向いて、針を投げる。その針を、誰かが弾いた。 「コソコソ付けまわすだけあって、鋭いじゃないか。」  士は、その誰かを睨み付ける。 「悪いが、見させてもらった。見事な手口。」  どうやら、誰かが居るようだ。 「他人に見せるような物じゃない。忘れてもらうと、助かる。」  士は、飽くまで強気の態度を崩さない。 「そうは、いかない。私は、まだ死ぬ訳には行かない。」  誰かも、強気だった。士を前にして、強気で居られるなら、相当な使い手だ。 「実力行使して、もらいたいか?」 「好戦的だな・・・。だが、私は、争う気は無い。」  停戦を申し込まれた。士は用心を怠らないが、相手の強さを測るためにも、剣を しまう。感じる闘気の量からして、只者では無い。 「『ダークネス』の奴だろう?始末しに来たのでは無いのか?」  士は、そいつから『ダークネス』のニオイを、感じ取っていた。 「私は、『ダークネス』だが、離反するつもりでいる。」  面白い事を言っている。だが、油断は、出来ない。 「はい、そうですか。と納得行くには、もう少し材料が必要だな。」  只で、納得する訳には行かない。 「・・・それは、そうであろう。だから、これを見せに来た。」  ソイツは、肩の焼印を見せる。それは、『ダークネス』の印だ。この焼印が有る 限り、『ダークネス』の一員だ。 「ムン!!!」  そいつは、迷い無く、肩の焼印を槍で削り取った。そこから、夥しい血が溢れ出 る。そして、汚らしい物を見るかのように、焼印を投げ捨てる。 「覚悟は、本物のようだな。巻いとけ。」  士は、携帯している包帯と、傷口スプレーを投げつける。  ソイツは、傷口スプレーで血止めをした後に、包帯を巻いていた。 「俺がやったのと、同じ方法を使ったんじゃ、信じざるを得ないな。」  士は、自分の肩の所を見せる。ほぼ治ってはいたが、傷跡が有った。傷が再生し ても、完全に消える事は無い。自分も、センリンを助けた後に、同じ方法で抉り取 ったのだ。 「『司馬』殿で、あるな?」  ソイツは、いきなり本題に入った。 「肯定して欲しいか?」  士は、殺気を込めた眼で見る。 「失礼した。当たりをつけただけだ。私は、『剛壁(ごうへき)』だ。」  『剛壁』と名乗る。コードネームだ。聞いた事がある。とんでもない使い手で、 守りに特化している使い手が居ると。 「その『剛壁』が、何の用だ?」  士は、警戒を崩さない。まだ理由を、聞いていない。 「私の依頼を受けて欲しい。」  『剛壁』は意外な事を言った。依頼と言う事は、依頼人になると言う事だ。 「・・・どんな依頼だ。」  士は、一応聞いて見る。 「暗殺・・・。私の兄を陥れた者を、殺して欲しい。」  『剛壁』は、意外な依頼を言った。 「貴様が、やれば良かろう。」  『剛壁』程の腕があれば、不可能では無い筈だ。 「私は顔が割れている。『ダークネス』では、常に目立たぬようにしてきたが、ソ イツには、顔が割れているので、感づかれる。」  『剛壁』にとっても、知り合いらしい。 「復讐ならお断りだ。厄介事は、勘弁でな。」  士は基本、復讐関連の話は受けない。 「復讐では無い。私と兄の関連を知っている男を、消して欲しいだけだ。」  『剛壁』の様子が、おかしい。少し興奮しているようだ。 「兄の復讐などと、殊勝な考えは私には無い。だが、コイツは、私の素性を知って いる。自由になれぬ。コイツのせいで、断った仕事が何度かある。」  『剛壁』が断った仕事は、この男の関連のようだ。 「ちょっとは興味が出てきた。良いだろう。店で話をしよう。」  自由になりたいと願った『剛壁』に、士は興味が出てきた。 「1時間後に、この店に来るが良い。ただし、『ダークネス』に話した時は、容赦 しない。」  士は、バー『聖』の名刺を投げる。 「心配しなくても良い。肩の焼印無しで『ダークネス』に戻る程、愚かでは無い。」  なる程。その通りだ。『ダークネス』は掟に厳しい。見逃さないだろう。 「なら、詳しくは後で聞こう。」  士は、そう言い残すと、まるで、その場から消えるように立ち去る。全く気配を 感じさせなかった。やはり、士も、並の使い手では無いのだ。  私には、しがらみがあった。  自由奔放な兄、そして、それに付き従う弟。  兄は、セントで1番になって見せると言った。  当時は、勢いも有った・・・。  だが私は、不可能だと言った。  兄は、挫折した事が無かった。  そんな男が頂点になれる程、甘くは無い。  やはり、思った通り、捕まった。  『絶望の島』行きだと言う。  馬鹿な男だ・・・。  一生出られないであろう牢の中で、過ごすのか。  あの男の生き様には、呆れさせられる。  私は同じ失敗はしない。  だから、あの抗争の前に、姿を眩ませた。  前々から兄には付いて行けないと言ってあったので、すんなり認めてもらえた。  抗争にも敗れ、その責任も取らされて、『絶望の島』行き。  自業自得だ。  そんな兄も、良い事をした。  それは、私の素性を知っている組長を殺した事だ。  何でも、売り出し中の人斬り『司馬』を使ったのだと言う。  その時は、有名じゃなかったが、仕事は、やり遂げた。  見事な腕前に、兄も誉めていたらしい。  売り出し中の当時ですら、成功率が100%に近かった事が決め手だったらしい。  実際、『司馬』は、『ダークネス』を抜けた当初、仕事を受けまくっていた。  それこそ、毎日のようにだ。  その内の一つに、兄の仕事が、あったのだろう。  相手の組長が死んだし、私は、晴れて自由の身になったと思っていた。  だが、当時若頭だった男が、跡を継いだ。  その男は、私を知る男だった。  しかも、何度か話した事があった。  抗争の折に、裏切りを持ちかけてきた、あの男だ。  殺さなくては、いけないと思った。  だが私では、バレてしまう。  しょうがないので、この身を『人斬り』に落とす事にした。  『ダークネス』であれば、コードネームだけで、やりとりをする。  仕方のない事だった。  生きていくために、反吐が出る仕事もやった。  その上で、『司馬』の情報も、密かに探っていた。  やっとの事で、懇意にしている情報屋から、『司馬』のスケジュールを聞いた。  依頼の内容を聞いて、『司馬』らしい仕事だと思った。  ここで、アクションを取るしかない!  そう。・・・そして、私はやっとの事で、成功した。  そして、やっと『ダークネス』を抜けられる。  この時が、やってきたのだ。  ・・・キャピタルへは、何度か来たが、手形は偽造だ。『ダークネス』で配られ ている物とは違う偽造だ。で、無ければ、『ダークネス』にバレてしまう。  『ダークネス』では、顔を晒さないように生きてきた。今更、離反がバレても、 追っては来ないだろう。後の祭りである。  バー『聖』と言ったな。確かここだ。時間は、丁度1時間後。合言葉が、メモ書 きされている。マメな事だ。  私は、時間になったのを確認すると、扉をノックする。 「今日は、店仕舞いですヨ?」  女性の声がした。だが、油断は、していない声だ。 「『焼酎と梅干』。」  この合言葉は、何だろうか。まぁ、疑問に思う余地は無い。 「・・・周りには、誰も居ないカ?」  女性は、急に緊張した声になっていた。 「気配を探る事には慣れている。安心して良い。」  私は、ここまで来るのにも、気配を探りながら来たので、大丈夫な筈だ。  すると、扉が開いたので、すぐに潜り込んだ。そして、すぐに鍵が掛けられる。 「・・・時間通りだな。」  さっきまで、フードをしていた男が、返事をした。『司馬』だろう。 「さっきは、失礼した。」  私は、挨拶をした。よく見ると、『司馬』と、女性と、もう一人居る。 「ええと・・・。自己紹介は、要るノ?」  女性が、周りを見渡す。『司馬』に尋ねているようだ。 「そうだな。依頼内容にも依る。さっきの続きを話してもらおうか。」  『司馬』は、依頼内容を聞く事に、したようだ。 「さっきも話したが、暗殺と言えば、分かり易い。現ゴール組の組長であるイアン =ゴール。私の正体を、知る男だ。」  私は説明する。そして、顔写真を見せる。 「ゴール組。・・・確か、タウンの、チンピラ紛いネ。」  女性は知っているようだ。最も、奴らは、結構有名だった。 「本来ならば、私一人で十分片付けられる。だが、奴は、我が兄を嵌めた男。しか も、兄は、貴方を使ってゴール組の前組長を殺している間柄。だから、異様に警戒 しているのだ。・・・弟である、私の面が割れている以上、近づけもしない。」  私は説明する。イアンは、私が復讐に来ると信じているようだ。間違ってはいな いが、それは、兄のためではない。 「俺を使って・・・か。俺が、初期に売り出した時の、客の弟か。」  『司馬』も、気が付いたようだ。 「兄の名は、ジェイル=ガイア。ガイア組の組長だった男だ。」  私は兄の名を出す。昔、タウンで名を馳せたガイア組。その組長だ。 「ジェ、ジェイル=ガイアですと!?」  突然、静かに聞いていた男が、声を上げる。 「知り合いか?・・・それと、思い出したぜ。涙ながらに訴えていた、あの組長さ んか。部下をやられたケジメだと、言ってたな。」  『司馬』も気が付いたようだ。 「『絶望の島』行きになる自分の代わりに、仇を討って欲しいって依頼だったな。」  なる程。あの男らしい。 「や、やはり・・・。」  どうやら奥の男も、知っているようだ。 「私の依頼は、イアンを何とかしてもらいたい。って事だ。」  私は、あの男が生きてると、自由に動けない身なのだ。何度か、バレそうにもな った。私が生きていくのに、あの男は不要だ。 「物騒な依頼だな。だが、俺の依頼客の弟で、俺の行為で、そうなったとも言える 訳だ。・・・なら受けざるを得ないな。名を聞こう。」  『司馬』は、責任を感じているようだ。 「私の名は、ショアン=ガイア。『ダークネス』で『剛壁』と呼ばれていた。」  私の名を明かす。そうしなければ、この男は、信用しないだろう。 「『司馬』の名は、極力隠したい。俺の名は、黒小路 士だ。士と呼べ。」  『司馬』は、普段の名を明かす。なる程。『司馬』の方が有名だからな。 「私は、ファン=センリンだヨ。士と二人で『司馬』の仕事をしてるネ。」  女性の名を明かす。なる程。この女性も、確かに只者では無い。 「私は、そこの二人にさっきまで依頼をしていた男だ。・・・名は、ゼハーン=ユ ード=ルクトリアと申す。」  ・・・何!?ユード=ルクトリア?・・・お尋ね者じゃないか。 「わざわざ、本名で言わんでも良いのにな。」  士殿が、呆れていた。確かに、自滅してるような物だ。 「訳が、あり申す。私の話を、貴方は、聞かなければならない。」  ゼハーンと名乗った男は、私に向かって説明する。  それは、とても信じるには、遠い話だった。反乱を起こしたリークの息子である ゼハーン殿は、自分の息子を、セントに取られ、『絶望の島』に息子が入れられた 事を知ったらしい。そこで、息子のレイクが、私の兄、ジェイルと出会ったと言う のだ。そして、あの兄が、喧嘩で負けたらしく、そのレイクを班長して、仲間にな ったらしい。 「俄かには、信じられないな。兄は、腕っ節が、結構強かったぞ?」  私は、あの自由気ままな兄が、そんな若造を支持してるとは思えなかった。 「レイクは・・・私より英雄の血が濃い男。その血が、そうさせたのかも知れない。」  それを簡単に信じるには、材料が薄い気がする。 「・・・私は、謝らねばならない。私の息子、レイクが『絶望の島』を脱獄した時 に、命を張って脱走を手伝った男・・・。それが、貴方の兄だと言う話だ。」  ・・・何だと?あの兄が・・・命を張っただと!?  兄は、レイクを心酔してたらしく、レイクとその仲間である計4人を逃がすため に、死体を流すためのタルに、刃が刺さる装置を、解除するためのレバーを、握り 続けたらしい。銃弾で撃たれながらも、そのレバーを、離さなかったと言う。 「信じられぬ・・・。あの兄が・・・。」  死を覚悟して・・・誰かを救っただと?・・・しかしやり兼ねない。奴は、妙に 義理堅い奴だった。・・・あの兄が・・・。 「壮絶な話ネ。」  センリン殿が、目を伏せる。 「奴が・・・そんな真似を・・・。・・・私は、悲しめば良いのか?」  どうにも現実感が湧いてこない。奴が死んだとは思えない。思いたくない。 「私は、レイクと、硫黄島で再会した。そのレイクから、直接聞いたのだ。」  ゼハーン殿は、嘘を吐いてるような目では無かった。 「・・・あの兄が、人の役に立ったか・・・。皮肉だな。私には、枷を課したと言 うのに・・・。私が人斬りの道に進まねばならなかったのは、半分、兄のせいだと 言うのにな。・・・私の知らぬ所で、変わっていたか・・・。複雑だ。」  どう言う心境の変化があったのだろうか。直接聞いてみたかったが、もう、叶わ ぬのであろうな。勝手に死んでしまうとは・・・。 「ショアン殿。レイクが、無事に過ごしているのは、貴方の兄のおかげだ。私は、 感謝し切れぬ。」  ゼハーン殿は、一礼する。そうは言ってもな・・・。 「あ。そうダ!・・・良い手を思いついたヨ。」  センリン殿が、士殿に耳打ちする。 「・・・なる程な。ま、手間を考えれば、良い考えだ。」  士殿は、納得していた。 「ショアンさんは、自由になりたいんですよネ?」  センリン殿が、目を輝かせている。 「それが第一だ。私は、人生を棒になど、振りたくは無い。」  人斬りで、終わる人生など真っ平だ。 「じゃぁ、貴方が死ねば、良いのヨ。」  ・・・は?私に死ねと? 「あー。違う違ウ。本当に死ぬんじゃなくて・・・存在を消すのヨ。」  センリン殿は、面白い事を言う。 「正直な。そのイアンって奴を消しても、イタチゴッコになるだけだ。奴等は違う 人斬りを雇って、俺達を探りに来る。それは、真っ平御免だ。」  士殿も、考えていたようだ。 「幸い、アンタは俺に出会った事になっている。『司馬』に『剛壁』が、やられた と言えば、辻褄が合う。」  士殿は、自分達の勇名を利用した手を、思い付いたのだ。 「そこまで考えて下さるのならば、お任せしたい。」  私は、それ以上に、良い手を思い付かなかった。 「その代わり、ここに住み込みで、働いてもらうネ。」  センリン殿は、ニッコリと笑いながら言う。 「・・・私と、境遇は一緒と言う訳か。」  ゼハーン殿が、溜め息を吐く。 「ま、そう言う事だ。アンタとゼハーンが住む部屋くらいある。このビルに住み着 くと良い。しばらく滞在する事だ。」  なる程・・・。このビルに住み着く代わりに、働くと言う事だな。 「正直に言うとな。俺もセンリンも、レベルアップをしたいってのがある。アンタ 等は、並の使い手じゃないみたいだからな。それも手伝ってもらう。」  士殿は、腕を鳴らす。なる程。修練も兼ねてとの事か。 「私も何かしないと、鈍ってしまうから、ちょうど良い。何もしないと、息子に負 けてしまうからな。」  ゼハーン殿は、望む所だったらしい。・・・伝記の剣術・・・。これは、手強そ うだ。そして、この世界では、知らぬ人は居ない『司馬』の剣術。センリン殿とて 士殿の手伝いをしている。並の腕では無い筈だ。 「そのような申し出なら、こちらから頼みたい。」  私としても、異存は無かった。 「なら、決まりだ。あと、くれぐれも、妙な真似だけは、するなよ?俺達は、色々 と有名なんだ。キャピタルに滞在するからには、それなりの覚悟が必要だ。」  士殿が念を押す。用心深い事だが、これくらい用心深くないと、『司馬』として やっていくには、きついのであろう。  これからの生活か・・・。どうなるのだろうか・・・。  私は、今でも悪夢を見る。  人の血で出来た、赤い絨毯。  息子に、その呪縛を忘れろと言いながらも、自分で見ている。  しかし、私こそは、忘れてはならないのだ。  あの地獄を・・・無にせぬ為にも・・・。  私は泥を啜ってでも、生き延びる。  そして、息子のために、報いねばならぬのだ。  リークと私を信じて、付いてきた者達よ。  私は、無様に逃げ延びている。  だが・・・お前達の死を、無にする事だけはしない。  だから・・・全てが報われた時、許してもらえるだろうか?  いや、許さずとも良い。  せめて、息子だけは、呪縛から解いてやってくれぬだろうか?  恨むのなら、私を恨め。  それが、お前達に報いる道だ。  キャピタルに潜入した・・・。  必ずや・・・弱点を探ってみせる。  そのために懸ける命くらい、残っている!  私の中に・・・ソクトアに報いる力があるのならば、発現せよ!!  ・・・む・・・。 「う・・・ぐ。」  私は目を覚ました。・・・また、あの夢か。目覚めの良い物では無いな。こんな 夢をレイクまで見ていたとは・・・。それは、苦しむ訳だな。  私は、レイクと違って、英雄の血を継いでいない。だから、あの悪夢を跳ね返す 力など無い。いや、跳ね返す必要など無い。あの悪夢は、私こそが、継いで行くべ きなのだ。セントを目の前にして、逃げた、この私こそがな・・・。 「我ながら・・・滑稽な物よ。」  キャピタルの中に入ってまでも、こんな夢を見る。正に呪いだな。  ・・・『司馬』か・・・。情報屋を駆使して、ようやく近づける存在。私がコン タクトを取れたのも僥倖に近いだろうな。・・・黒小路 士。彼は、『ダークネス』 を抜けてから、10年間、人斬り稼業をこなしている。しかも、成功率は100% だ。彼が失敗したのは、センリンを助けた失敗のみだと言う。正に生ける伝説のよ うな男だ。彼のような強い男なら、私のように悩んだりしないだろうな。  ・・・?あれは・・・士?  こんな夜更けに、抜け出すとは・・・。何事だ。・・・気配を殺すか。  士も、完全に気配を殺している。私も、視認出来なければ、見逃す所だった。私 は、手早くビルから出て行って、足音を立てぬようにして、士を追う。  彼は、何かの一団を追っているようだ。完全に気配を殺している事からも、警戒 しているに違いない。その一団も、相当鍛えられているのか、気配を完全に殺せな いまでも、足音は、立てていない。  ヒュッ・・・ヒュヒュッ・・・。  風を切る音がしたと思ったら、その一団は、身動きが取れなくなった。 「ぬ・・・が・・・ぐ!」  叫び声をあげようと思ったのだろうか?しかし、口を動かす事すら、まともに出 来ないようだ。その一団が、強引に動こうとした所だった。  コトッ・・・。  ほとんど音を上げずに、その一団の、全員の首が斬れた。  一団の周りは、瞬く間に血の海と化した。  勿論、士の仕業だ。この世の者とは、思えぬ程、冷たい目をしていた。さっきま での私達と話していた眼とは、明らかに違う。情の欠片も無かった。 「・・・。」  士は、その一団の死体を、マンホールの蓋を開けて、中に流し込む。そして、夥 しい程の血は、円を描いて、周りを囲むように闘気を注入し、闘気の熱量で、蒸発 させていた。器用な物だ。・・・一団は、『ダークネス』の連中のようだ。 「・・・!」  士は、私に気付いたのか、針を投げつけようとしたが、私だと気が付くと、針を 引っ込めた。正気を失っている訳では無さそうだ。 「・・・。」  士は合図を送る。悟られぬように、バー『聖』のビルに帰るように促された。私 は、勿論従った。士は、私が付いてくるのを見ると、人間とは思えない程の速さで、 ビルへと走っていく。おかげ様で、誰にも気付かれる事無く、ビルへと帰ってこれ た。そして、ビルの7階へと案内される。  このビルの1階は、バー『聖』である。そして、地下には、直通のエレベーター があり、広い修練場となっているらしい。そして、私が借り受けたのが、3階の1 室だ。隣にはショアンが居る。そして、5階が、センリンと士の部屋になっている。 どうやら、一緒に住んでいるらしく、朝は、そこで起きるようだ。  そして、今、私が通されたのが7階だ。 「・・・後をツケたのか?」  士は、私に尋ねてきた。 「気配は感じなかった。たまたま視認出来たので、気になってな。」  私は、正直に話す。嘘を言った所で、信用されないだろう。 「ドジったな。・・・ちなみに、この部屋は、俺の『仕事』を終えた後のニオイを、 落とすための部屋だ。多少、臭うかも知れん。」  なる程。今のような、暗殺関連の『仕事』をした時の臭いを、落とす部屋か。 「血のニオイなら・・・。私も慣れている。」  悪夢などもそうだが、私は、追っ手を何度か斬っている。慣れたくは無いが、慣 れてしまった。 「俺の比では、無いようだがな。」  確かに、士から殺気が篭った時のニオイは・・・私より強烈だ。 「しかし・・・俺が、あそこまで気が付かぬとは・・・。伝記の子孫の話、本当ら しいな。油断したぞ。」  士は、あそこまで気が付かなかった事は、無かったようだ。 「息子を捜す15年は、闇の15年でもある。自然と、身に付いた事だ。」  気配を完全に殺す術は、不動真剣術や天武砕剣術の中にもあるが、特に洗練され ているのは、私が身に付けなくては、ならなかったからだ。 「・・・で・・・この事だが・・・。」  士は、バツが悪そうな顔をしていた。 「私の胸に仕舞って置こう。・・・必要な事なのであろう?」  私とて、あんな惨殺事件を目の当たりにしては、気分は良くない。だが、士は、 好きでやっている訳ではない。『司馬』として生きていくためには、さっきのよう に『ダークネス』から探りを入れられたら、生かしては、置けないのだろう。  常に狙われている身なら、当然の配慮だ。 「話が早くて助かる・・・。思えば、アンタも、似たような身か。」  士の気配が緩和する。さっきまでは、いつ斬られても、おかしくない気配だった。 「お互い、守る者のためだろう?心を鬼にしなければ、生きていけまい。」  私も、追っ手を斬る時は、容赦しない。処理だって、さっきの士のように一片も 残しはしない。 「俺は、甘い事に、センリンと、生きると決めた。・・・だから、狙う者には、非 情になる他無い。・・・だが、それを、センリンに知られたくは無い。」  士も平穏が一番なのだ。だが、『司馬』として、生きていく以上、今日みたいな 出来事は続く。隠密に処理しなければ、ならない事もある。 「辛いな・・・。平穏を保つために、人を殺めなければ、ならない。」  私にも、身に覚えがあった。 「いつか・・・話す。だが・・・。今は・・・。」  士も、隠し切れるとは、思ってないようだ。 「士が話したい時に、話せば良い。私は言わぬ。」  この不器用な男を、私は見守る事にした。息子とダブるのだ。 「済まんな。俺は、さっきまで、アンタを、斬ろうともしたのに・・・。」 「気付いていた。だから、気配が緩和されるまで、待ったのだ。」  全て承知の上で、聞いているのだ。 「お見通しか。・・・隠せぬな。」  士は、溜め息を吐く。心労が、絶えぬであろうな。 「センリンのために、そこまでするとは・・・。何故だ?」  私は、センリンのために、ここまで尽くす男に尋ねてみた。 「アンタ、男が、女のために尽くすのに、理由が要るのか?」  ・・・これは、野暮な事を聞いてしまったな。 「・・・そうであったな。私にも、そう想える人が居た・・・。忘れかけていた。」  シーリス・・・。私の看病をして、死んだ妻・・・。 「士。君とセンリンは、生きなければならぬ。私のように・・・なってはならぬ。」  そう。あんな想いをするのは、私だけで十分なのだ。 「出会って、一日だと言うのに・・・。馴れ馴れしい依頼人だ。」  士は、口では、そう言っていたが、嬉しそうにしていた。恐らく、腹を割って話 せる者が、居なかったのだろう。それは、辛い事だ。  士は強いと思っていたが・・・危うかったな・・・。  私は、『司馬』として生きていく事が、堪らなく嬉しい。  士と一緒に生きていくのは、楽しい。  バー『聖』で働いている時もそうだが、生きている実感がする。  私は、不幸な経歴なのだろう。  金持ちの家に生まれたために、親を殺された。  私は、小さい頃から、伝記のファン=レイホウの家系だと、言い聞かされていた。  何でも、サルトラリア=アムルと、ファン=レイホウが結婚したのだとか。  ただ、その事実は、一般には、公開してなかった。  だから、単にお嬢様だと思われていたのだろう。  バー『聖』で、堂々とファン=レイホウの家系だと言っても・・・。  皆、聞き流すだけだった。  親を殺された時、不思議と、悲しくなかった。  それまで、お嬢様として育てられた私は、遺産の話など、うろ覚えだった。  だが、遺産の話しかしない周りに、失望を覚えた。  漠然と、濁った目をしていた気がする。  そして、士の眼を見た時、私は死ぬと思った。  でも、訳も分からないまま、死んじゃうのかな?と思っただけだった。  だが、そんな私を見て、士は、全てを尽くしてくれた。  私が生き延びるための、全てを整えてくれた。  だから、私は、士と共に生きる。  それ以外の生き方など、知るもんか。  そのためには、何だってする覚悟がある。  士は、極力やらせないが、実は、人を殺した事もある。  棒の当たり所が、悪かったのだろう。  勢い余って、殺してしまった。  士は事故だと言ってたが、私は、そうだと思っていない。  それに、『司馬』としての仕事をする以上、覚悟は出来ている。  ま、その夜は・・・震えが止まらなかったけどね。  でも、士が、一晩中、私の手を握ってくれた。  士は、時々鬼みたいな眼をするが、限りなく優しい。  でも・・・隠し事は、良くない。  私には、分かっている。  士は、時折、姿を消す時がある。  気配を完全に殺したまま、出て行く時がある。  そうやって、帰ってきた日は、必ず違う階で、シャワーを浴びている。  そこまですれば、私だって分かる。  ここを探りに来た連中を、始末しているんだろう。  士は、私に心配を掛けまいとしている。  でも・・・ちゃんと言って欲しい。  私は守られるだけの存在なんて、嫌だ。  生きていくと決めたからには、何だって受け入れる。  でも、いつか、ちゃんと言ってくれると、思っている。  だから、その時まで、待つ事にした。  それはそうと、バー『聖』は、今日も盛況だった。私は、料理の振るい甲斐があ るし、客も、それに応えてくれる。ウェイターは、士が一人でやっている。  だが、いつもは、それをやりながら裏方までやっていた士が、ウェイターに徹し 切れている。それは、裏方が、増えたからだ。私の料理の材料を、指定の場所に置 いてくれてるのがゼハーンさん。そして、食器などの処理をしてくれるのが、ショ アンさんだ。どっちも、まだ不慣れのようだが、一生懸命やってくれている。 「ぃよーーう。何だか、今日は、元気じゃないか。」  この軽口は、ジャンさんだ。まーた来たんだ。 「裏方に二人、粋の良いのを雇ったからな。負担は減ってるぜ?」  士は軽口を叩く。いつもの士より饒舌なのは、仕事と、割り切っているからかも 知れない。でも、楽しそうに見える。 「珍しいじゃんか!何だよぉ。愛の巣を邪魔されて、良いのか?」  ジャンさんは、ニヤニヤ笑いながら言う。 「残念。その二人は、別の階ヨ。邪魔されないよう、気を付けてるネ?」  私は、余裕に切り返す。大体、あの二人は、そう言う野暮な真似は、絶対しない 大人だ。そう言う所は助かる。 「お。言うね。なら、俺も雇ってみなーい?こう見えても、役立つぜい?」  ジャンさんは、親指で、自分をアピールする。面白い人だ。 「今は、必要ないヨー。間に合ってるし、狼を入れる訳にも行かないネ。」 「げげ。信用無いなぁ。こう見えても、仕事は、真面目なんだぜい?」  私の軽口に、ジャンさんは、顰めっ面になる。でも、目は笑っていた。 「必要になったら言うよ。それこそ、猫の手も借りたい時にな。」  士は、ナイスフォローをする。しかし、ジャンさんは、士とも、仲が良い。 「へへ。猫は、諦めが悪いぜ?」  ジャンさんは、面白い切り替えしをしてくるなぁ。と、その間に料理が出来たね。 「士。これ、17番。」  士に料理を17番テーブルに、持ってってもらう。 「ま、変化があったのは、良い事だな。今日は、これくらいにするか。会計頼むぜ!」  ジャンさんは、会計をする事にしたらしい。士が運び終えた後に、すぐにレジま で行く。さすがに速い。 「今日は、20ゴードだな。もうちょっと頼んでも、良いんだぜ?」  士は、会計をする。手付きは、かなり慣れていた。 「これくらいにするのが、健康のコツって奴だ。ほれ。」  ジャンさんは、軽口を叩きながら、50ゴード札を手渡す。 「お釣りだ。また来いよ!」  士は、笑いながら、会計を済ませる。そして、50ゴード札を仕舞う。と、その 時、士の動きが、少し止まる。 「どうしたのヨ?」  私は、小声で聞いて見る。 「いや、札の確認をしてただけだ。・・・ああ。そうだ。『麦酒』を出してくれ。」  士は、わざと、『麦酒』と言う。ビールと言わないで、『麦酒』と言う場合、何 かあったと言う合図だ。これは、店が終わった後に、相談かな。  そして、盛況のまま、バー『聖』を閉めた。お客さんも最後まで掃けたので、さ っきの合図を、確かめるため、士に聞いてみる。 「何が、あったのヨ?」 「これを見ろ。」  士は、紙切れを渡す。そこには、10人、5人、3人と書かれていた。 「・・・偶然・・・じゃないみたいネ。」  この人数は、勿論、ゼハーンさんの依頼の時の、機動部隊の数だ。 「ご丁寧に、10人マイナス1人と、書かれているしな。」  士は、苦い顔をする。リーダーを殺した分が、引かれている。 「・・・これを誰が?」  ゼハーンさんが、片付けをしながら、話し掛けてきた。 「あの常連客では無いか?」  ショアンさんも、気が付いていたようだ。 「間違いないな。信じたく無いんだが・・・ジャンだろうな。」  士は、苦しそうな声を出す。こうなった以上、どうにか、しなくてはならない。 「・・・これは、挑発と言うより、私と、同じではないか?」  ショアンさんが、意見を出す。 「本来なら、すぐに通報するだろう?普通は。それをしないと有れば、何らかの意 図があると考えて、良いと思うのだが?」  ショアンさんは冷静だ。なる程ね。確かに変な話だ。 「なら、本人に聞いてみるしかないな。・・・居るんだろ?」  士は、扉の方へと目をやる。 「バレた?」  扉の向こうから、声がした。凄い聴覚だ。話が聞こえていたとは。 「周りは、誰も居ないな?それなら、静かに入って来い。」  士は、扉の鍵を針を投げて器用に外す。すると、紛れも無くジャンさんだった。 ジャンさんは入ってきた。本当だったとは・・・。 「夜分遅くに、失礼するよー。」  ジャンさんは、こう言う時ですら、いつもの軽い口調だった。 「おっと。鍵を閉めなきゃね。」  ジャンさんは、鍵を閉めていた。落ち着いてるなぁ。 「んー・・・。何だか怖いよ?この雰囲気。」  ジャンさんは、自分の置かれた立場を、分かっているのだろうか? 「緊張感が無い奴だ。これの意図を、聞こうか?」  士は、ジャンさんの足元に、メモ書きを投げる。 「だからー。猫の手を、借りて欲しいと思ってさ。」  ジャンさんは、飽くまでマイペースだ。軽い口調とは裏腹に、恐ろしい男なのか も知れない。得体が知れない。 「用件を聞こうか?」  士は、今度は、容赦の無い殺気を向けながら、話す。 「うっは。怖いって。わーかったよ。」  ジャンさんは、士からの殺気を受け流しながら、渋々話す。 「まず、俺なんだけどさぁ。こう見えても、人斬りなんだよね。」  随分、軽い口調で言う。似合わないなぁ。 「『オプティカル』の変わり種?で、あるな。」  ショアンは、知っているらしい。どうやら、本当に有名なようだ。 「まさかさぁ。『剛壁』が、『司馬』の所で働いてるとは思わなくてさ。」  ジャンさんは、さも当たり前かのように言う。すると、士は、ジャンさんの影に、 針を刺す。『影縛り』を使う気なのだろう。 「士さん。短気は良くないよ?俺は、別に戦いに来た訳じゃないぜ?」  ジャンさんは、何と、普通にしゃべっていた。『影縛り』を破ったのか? 「破り方を知っているとは・・・。抜け目が無い。『軟派』な人斬り・・・。本当 に実在していたとはな。しかも、貴様だとは・・・。」  士は呆れていた。ジャンさんの実力が本物だけに、この口調には参ったのだろう。 「有名人は辛いもんだ。・・・でまぁ、実はさ。俺も『オプティカル』抜けてきた んだよね。」  ジャンさんは、いきなり、凄い事を言う。 「お前の言う事だけに、そう簡単には、信じられん。」  士は、容赦無かった。まぁ当然だが。 「俺、惚れられちゃったんだよ・・・。」  ジャンさんは今度は、結構、真面目な口調で話す。 「いきなり言う事がそれ?・・・何なのかしらネ?」  さすがに、感性を疑ってしまう。 「まぁ、聞いてよ。惚れられた相手が問題なんだよ・・・。俺ん所の姐さんでさぁ。 ・・・いつの間にか、婚約届けを渡されそうに、なったんだぜ?」  ジャンさんは、呆れていた。姐さん?・・・誰の事だろうか? 「『オプティカル』のボスは、女だって聞いたが・・・。本当だったとは。」  ショアンさんが驚いている。・・・って、ボスが女なんだ。 「迫られて、困るような相手なのカ?」  私は聞いて見る。 「いや・・・良い女だよ?正直な話を言うと、嬉しく無い訳じゃないんだけどさ。 俺は『軟派』な訳でさ。落ち着くのは、ポリシーに反するのよ。」  ・・・ジャンさんってば、贅沢者だね。 「それに・・・姐さんの周りに居る奴らが、きっついんだよ。」  『オプティカル』の幹部だろう。なる程。ジャンさんが婿になれば、ボスの後釜 って訳だ。それを許さない者も、居るのだろう。 「ま、ボスって柄じゃないな。お前は。」  士も、そう思っているのだろう。相槌を打っていた。 「とは言え、俺は『オプティカル』だった訳じゃん?今更『ダークネス』や『スピ リット』の連中と、仲良くも出来ないしさ。ちょっと、捜しちゃった訳。」  ジャンさんは、抜けるにしても、ただ抜けるだけじゃ、追われると分かってたの だろう。とは言え、私達を、捜しに来るなんてね。 「良い迷惑だ。ゼハーンは、俺の依頼人だから良い。ショアンも済し崩しとは言え、 覚悟を見せてくれたから、滞在を許してる。お前は今の所、微妙だ。」  士は、値踏みしている。呆れているのだろう。 「もしかして、理由が気に要らない?・・・こう見えても、俺は、ポリシーあるん だよ?『オプティカル』で働いてたのだって、俺の自由を、認めてたからであって、 それを反故にするってんじゃ、俺にだって、考えがあるって訳だよ?」  ・・・ジャンさんは、見た目以上に覚悟を決めているようだった。自由のためな ら、組織を抜けてくるくらいだ。覚悟が無い訳じゃないようだ。 「だからって、このアプローチの仕方は、どうかと思うぞ?」  士は、ジャンさんが書いた紙を、指差す。確かに過激だ。 「だって、普段の俺を見たら、ちょっとやそっとじゃ、信じないだろう?」  確かにね。ジャンさんが人斬りだって言われても、ピンと来ない。 「全く・・・。ここは駆け込み所じゃ、無いんだぞ?」  士は呆れていた。ショアンさんと、続けてだもんねぇ。 「何だか、こっちの士さん、つれないよ?」 「こっちの士が、素だヨ。」  私は教えて置いてやる。士は、店では明るく努めているのだ。 「いきなり駄目と言っても、聞かないんだろ?なら試験してやる。」  士は、カードを取り出す。いつものトランプじゃない。色々汎用に使っているカ ードだ。投げて、凶器として使う事も出来る、耐久性の高いカードだ。 「これを、10枚投げる。対処出来るか?」  士は、器用に10枚のカードを、空中に漂わせている。  シュッ・・・。  何の前触れもなく、カードを投げる。手先が、まるで見えなかった。 「っと・・・。危ないなぁ。」  ジャンさんは、ナイフで、カードを刺す事で止める。 「ほう・・・。では、これでどうかな?」  士は、3枚同時に投げる。そのうち、2枚は、両足に向かって投げていた。 「ホイホイっと。」  ジャンさんは、器用に3枚とも、ナイフで突き刺していた。やるなぁ。 「ラストだ。」  士の手から、いつの間にか、カードが無くなっていた。カードは、床に突き刺さ っていた。それは、ジャンさんを取り囲んで、六芒星を描いていた。 「そぅら!!」  士は、その六芒星に、暗い力を加える。すると、ジャンさんの周りが怪しく光る。 「あ、あの技は!!」  ゼハーンさんが、驚いていた。知っているのだろうか? 「避け切れないか!!なら!」  ジャンさんは、腕を光らせると、交差させて、次の攻撃に備えていた。  ヴォン!!  怪しい音と共に、ジャンさんの周りから暗い力が、爆発した。  ・・・収まった後に、ジャンさんは、やられたかと思ったが、何と、耐えていた。 「・・・腕に、闘気を収束させて、防いだか。使える手合いだな。」  士は、嬉しそうに笑う。どうやら、ジャンさんは、本物の使い手みたいだ。 「士さんてば、いきなりアレは、心臓に悪いぜぇ?」  ジャンさんは、ビックリしたようだ。しかし、それを防いでいるのだから、ジャ ンさんも、並の使い手では無い。 「今のは・・・霊王剣術!」  ゼハーンさんは、知っていたようだ。 「フッ。知っていたようだな。」  士は、隠そうともしない。霊王剣術とは、伝記で、神魔剣士と呼ばれていた砕魔 (さいま) 健蔵(けんぞう)が、使う剣術だ。 「健蔵が、教わった剣術こそ、霊王剣術。その元々は、伝記にあるイド家が開発し た物だ。そのイド家から、密かに継承したのが黒小路家だ。健蔵が、神との戦いで 帰らなかったせいで、継承者が消えたと思った先代が、黒小路家に、継承させたん だ。ま、埋もれるには、勿体無いと思ったんだろ。」  類稀なる資質を持った霊王剣術の初代ダンゲル=イドだったが、健蔵に、継承さ せたのが、間違いだった。健蔵は、神との戦いの折に、行方不明になった。このま までは埋もれてしまうと思ったダンゲルは、黒小路家に、継がせていたのだ。士か ら、この話を聞いた時は、冗談かと思ってたけどね。 「不動真剣術と、何度か、剣を交えた剣術。まさか、士殿が継いでいたとは。」  ゼハーンさんは、不動真剣術の伝承者だった人だ。複雑な想いだろう。不動真剣 術のライバル関係にある剣術だからね。天武砕剣術は、どちらかと言えば、一緒に 切磋琢磨する感じだが、霊王剣術とは、対立関係にある筈だ。 「だが、俺は、この剣術を使えるってだけで、家同士の争いなんて、どうでも良い。」  士は、そう言う人だった。剣術同士が争っても、何にもならないと思っていた。 「同感だ。私も、そう思っている。」  ゼハーンさんは、同意してくれたようだ。 「ま、便利っちゃ便利だ。瘴気を使うんで、注意しなきゃ、いけないけどな。」  士は、霊王剣術を習っていたおかげで、瘴気を使う力が強い。だが、制御するの も、上手いのだ。だから、瘴気に囚われる事が、無いようだ。 「で、俺の試験は、どうなったの?」  ジャンさんが、ぶーたれていた。 「おう。合格だ。俺の『滅砕陣(めっさいじん)』を防ぐなんてやるじゃないか。」  士は技名を言う。霊王剣術の『滅砕陣』は、瘴気の力を魔の六芒星で増幅させて、 打ち放つ奥義だ。不動真剣術の『光砕陣(こうさいじん)』と対をなす技だ。 「いよっしゃ!こう見えても、ドキドキしてたんだぜ?」  ジャンさんは、素直に、喜びを爆発させていた。良い笑顔するなぁ。 「そこまで喜ばれると何も言えん。ま、客人は3階と決めている。まだ部屋は、何 個か空いてるから、好きな所を使うが良い。」  士は、3階を使う様に言う。ショアンさんとゼハーンさんも、3階だしね。 「ちなみに、私達は、5階だから、緊急の場合は、5階の真ん中の部屋に来るネ。」  私達の部屋は、5階の2部屋をぶち抜いて、広くした部屋だ。しかも、それぞれ に寝室とリビングがあって、贅沢な作りとなっている。3階も、リビングと寝室と 分かれているので、生活には、困らない筈だ。 「合点承知!話せるぜぇ。」  ジャンさんは、嬉しそうだった。そんな嬉しそうにされても、困るなぁ。 「ああ。ちなみに、夜這いしにきたら・・・分かってるな?」  士は脅しておく。ジャンさんは、一瞬、動きが止まったが、コクコクと頷いた。 「私達には、言わなかったですな。」  ショアンさんが、考えている。まぁ、一番来そうなのはジャンさんだからね。 「そんな、命が、いくつあっても足りなそうな事、私達は、しないからな。」  ゼハーンさんも、心得ている。ジャンさんは・・・大丈夫かな? 「ま、手は打ってあるけどな。」  士は、意地悪そうな目で笑っている。そう言えば、夜に、何かと仕掛けている。 あれは、侵入者用のトラップだった筈だ。 「だ、大丈夫だって!」  ジャンさんは、冷や汗を掻いている。・・・まぁ、私も夜這いなんて、冗談じゃ ないしね。士が、色々やってくれるのは、助かる。 「分かれば良い。こう見えても、容赦が無いんでな。俺は。」  士は、これ以上無い程、良い笑顔をする。ま、この分じゃ、私の出番は無いね。 「楽しい生活に、なりそうですな。」  ゼハーンさんは、面白そうに笑う。意外と、動じない人だ。 「ま、これから、バシバシ扱くから、覚悟しろ。」  士は、楽しそうに笑う。ここで言うバシバシ扱くと言うのは、本当に容赦無く扱 くつもりだ。恐らく、仕事もそうだが、修練の方の意味も、兼ねてるのだろう。  しかしまぁ・・・私と士だけの生活だと思ったのに・・・騒がしくなってきた。  でも、悪い気はしない。若干一名、信用ならないのが居るけど、悪い人達じゃ無 さそうだし。何より、士が楽しそうにしている。  私は、これからの生活は大変だろうが、ちょっと楽しみにしていた。