2、仲間  学園では、すっかり2学期が始まっていた。僕達は、相変わらず目立ったグルー プだと言う訳だ。既に天神家で集まって、色々秘密の特訓をしていると言うのも、 噂になっているくらいだ。  未だに信じられないくらい、色々な体験をした。この夏休みの間などは、1000年 前に飛ばされたりしたのだから、貴重な体験をしたと思わざるを得ない。でも、シ ョウさんの想いを受け継ぐためにも、僕は、日々、強くならなければ。  それにしても、士さん達の強さには、僕も驚いた。僕と恵さんを相手にして、全 く引けを取らないと言うか、勝ちを収める闘い方が出来るなんて、信じられなかっ た。一対多の闘いを心得ているんだろうなぁ。あんなに隙の無い闘い方が出来る人 を、僕は他に知らない。瞬君でさえ敵わないなんてね・・・。  ちなみに、生徒会長は、僕達が居ない間に、学校を乗っ取ろうとしたらしいが、 スッカリ懲らしめられたらしく、怪しい動きは見せていない。恵さんが、しっかり 監視をしているようだ。  そろそろ部活動対抗戦の時期になる。レイクさん何かは、部活に入ってないので 不参加だが、出て来たら、盛り上がるだろうなぁ。・・・とか思っていたら、臨時 で、新しく生徒会に入った生徒が居ると言う噂を聞いた。・・・もう何か、予想が 付き過ぎて困る。恵さんが、自分の権限でレイクさんとファリアさんを、臨時で入 れたに違いない。こう言うときの恵さんは、生き生きしてるからねぇ。  そう言えば、学園から歩いて5分程の所に、レストラン『聖(ひじり)』がオー プンした。もちろん、士さんとセンリンさん達の店である。最初こそ、見向きもさ れなかったが、今では話題の店になっている。料理の確かさもそうだが、値段も安 く、仕入れる食材も確かな物ばかりで、学生や主婦を中心に、口コミで人気が出て 来たからだ。店の雰囲気も悪くないので、話題になっている。  そのセンリンさん達が、天神家に逗留していると言う噂も、即効で広まった。そ う言う所は、目ざといと言うか、さすがだ。おかげで僕まで質問責めに遭う始末だ。  最近では、勇樹さんが率いてた不良グループにまで、質問されている。勇樹さん の新しいバイト先が、レストラン『聖』だからだろうなぁ。まぁ、もう不良グルー プと言うより、勇樹さんの追っかけに近い感じがするんだが・・・。何せ、この元 不良グループは、最近真面目だからだ。勇樹さんが真面目に働いたり、勉学に勤し んでいるのに、自分達が、道を違えるなんて出来ないと言っていた。律儀で良い仲 間達なんだなぁと思った。  最近、莉奈も元気になってきて、僕としては、非常に安心だ。あの事を相談され た時は、頭から湯気が出る程、怒った物だけどね。僕から見ても魁は、莉奈の事を 大切にしだしている。ファリアさんの脅しとかじゃなく、本当に後悔しているのを 偶に見掛ける。そして、その時の表情は、真剣その物だ。魁のやった事は、今でも 許される事じゃないと思っているが、莉奈が幸せなら、僕は、それで良いと思って いる。だから、敢えて赦そうと思っている。  今、その莉奈とは、同居している。内の母親は、僕を産んで、すぐに死んでしま ったし、莉奈の母親は、そんな僕を息子のように思っても良いと言ってくれた。僕 は、少し前までは受け入れる事が出来なかったが、最近は、それでも良いと伝えて ある。父さんだって、思い悩んだのだろう。その上で、莉奈と僕と一緒に住みたい と言ってるのだ。なら、僕が蟠りを解けば良い。  ちなみに苗字は、父さんが桐原に変えると言っていた。なので、僕は桐原家に住 む事になっている。元々島山家からも近かったし、異論は無い。だけど、僕は島山 の苗字を通すつもりだ。母さんが生きた証を忘れない為だ。 「ただいまー。」  莉奈が、元気いっぱいに挨拶をする。 「ただいま。義母さん。」  僕も、莉奈と一緒に帰宅だ。義母さんは、その挨拶に、『お帰り』と答える。 「父さんは?」  僕は、父さんの事について尋ねる。 「あの人は、もう少しで帰るそうよ。」  義母さんは、笑顔で答えてくれた。一緒に住んでみて分かった事だが、義母さん は、笑顔を絶やさない人だ。穏やかな人で、莉奈も、その血を受け継いでいるんだ ろうなと思う。父さんも、そんな義母さんに惹かれたんだろう。 「今日も、天神さんの所に行ってたの?」  義母さんは、特に嫌味とかではなく、聞いてくる。 「うん。今度の部活動対抗戦では、瞬君に勝ちたいからね!その為の特訓だよ。」  僕は、毎日報告するのが日課になっている。 「トシ兄ったら、最近、瞬君にも五分五分なんだよー。」  莉奈は、僕の事を自分の事のように報告する。可愛い妹だ。 「そう。義母さんは、俊男君が、怪我するの見たくないけど、そんなに楽しみにし てるのを見ると、見学しに行きたくなっちゃうわね。」  義母さんは、穏やかな人だから、僕が闘っているのを余り見たくないようだが、 僕に合わせるのに、一生懸命だ。それが伝わるから、僕もそれに応えたいと思うの だ。義母さんは、良い人だ。 「大丈夫!私がトシ兄の怪我なんか治しちゃうんだから!」  莉奈は、胸を張って答える。まぁ、ここで言う治すってのは、神聖魔法で本当に 治してくれると言う意味だが、義母さんには、そんな事分からないし、知らない。 「頼もしいわね。義母さんも、怪我をしたら頼もうかしら?」  義母さんは、そんな莉奈に合わせて、聞いてあげようとしている。 「勿論だよ!母さんに何かあったら、私が何とかするんだから!」  莉奈は、笑いが絶えない。その光景を見て、微笑ましく思う。 「ありがとう。じゃぁ、ご飯が出来てるから、手を洗ってらっしゃい。」  義母さんは、ご飯の用意をしてくれていた。いつもながら、有難いと思う。同居 するようになって、義母さんは、今までやっていたパートを昼だけにしたのだ。父 さんの稼ぎと、昼だけでやっていけるからだそうだ。なので、家事は任せっきりだ。 それまでは、莉奈がやっていたらしい。まぁ島山家でも僕が家事を手伝っていたし、 似たような物かな。 「ただいまー。お。莉奈に俊男も帰ってたか。」  父さんが、帰ってきた。 『お帰りなさーい。』  3人で声を合わせて迎え入れる。これも日常の風景になってきた。父さんは、今 でこそ日常の風景だが、今までは違ったのもあって、感慨深い顔をしていた。 「お。俊男のその顔を見ると、今日も天神さんの所で、修行か?」  父さんは、僕が修行漬けなのを知っている。 「うん。莉奈も、ファリアさんに勉強を教えてもらってるんだよ。」  僕は、莉奈の事も教えてやる。本当は、魔法の修行なのだが、合間に勉強会もや っているので、嘘を吐いている訳では無い。 「そう言えば、恵さんとか、ファリアさんとか、頭良いからねぇ。」  義母さんは、恵さんが学年1位で、ファリアさんが学年3位なのを知っている。 「恵様や、ファリアさんは、凄過ぎてねぇ・・・。」  莉奈は、これでも成績はグングン伸びている。しかし、あの二人は、頭の出来が 違う。恵さんは、ファリアさんなら、私に追いつくかも、と言っていた。 「頼もしい限りじゃないか。成績は、良いに越した事は無い。俊男も伸びてきてい るし、感謝しなければいけないね。」  父さんは、喜んでくれる。確かに僕の成績も目に見えて伸びている。それでも、 まだ莉奈より下だが、あの鬼みたいな特訓の成果は出ているようだ。  こうして、食事が始まった。父さんの仕事の事とか、今日のオカズの事とか、他 愛の無い話も出る。 「そう言えば、近くにレストランが出来たんですよ。」  義母さんが、レストランの話を話題に振った。最近有名になってきたしね。 「ほう。爽天学園の近くにオープンの噂は聞いていたが・・・。それかね?」  父さんは、まだ行った事が無いので、噂レベルのようだ。 「もしかして、士さんの所かな?」  莉奈は、指を顎に乗せて考える。 「多分、レストラン『聖』の事じゃないかな?」  僕が、名前を出す。すると、両親とも、合点の行く顔をしていた。 「あらあら。お知り合いがやってる店なの?」  義母さんは、数回、通った事があるみたいだ。 「うん。最近天神家に、レイクさんのお父さんが来たって言ったじゃん。そのお父 さんと一緒に逗留しに来た黒小路 士さんと、ファン=センリンさんが、出した店 なんだよ。時々、修行の合間に新しいメニューの試食をさせてくれるんだ。」  僕は、説明してやる。修行の合間に試食させてくれるのは本当だ。しかも、疲労 回復に効く物を、如何に食べ易くするかを考えて作っている。 「あのレストラン、美味しいから、あそこの試食となると、母さん、ちょっと自信 無くしちゃうかも・・・。」  義母さんは、料理の腕を気にしていた。 「義母さん。毎日食べる食事と、レストランの食事を一緒にしちゃ駄目だよ。僕は 毎日食べる食事を大事にしたいし、好きだよ。」  僕は思った事を言う。勿論、レストラン『聖』の料理は美味しい。だけど、家庭 の料理は、また違う物だと思っている。 「ありがとう。俊男君。私、尚更、頑張っちゃう気になるよ。」  義母さんは、可愛く笑う。やっぱり、穏やかで良い人だな。 「あ。でも、士さんとか、センリンさんなら、言えばレシピ教えてくれるかも。」  莉奈は、指を立てて、ウンウンと唸る。 「あ。それは、是非、お願いしたいかな。」  義母さんも、レストランの食事が美味しいのを知っているだけに、レシピは気に なるようだ。それは、良い傾向かもね。 「ハハハ。母さんも、やる気バッチリだな。これは、楽しみが増えるな!」  父さんは、義母さんの様子を見て、楽しげに笑う。こう言うのを団欒って言うん だろうね。僕も楽しい気分になってくる。少し前までは、父さんと、それなりに元 気にやっていたが、物足りない感じはしていた。それは、莉奈も一緒だろう。 「でも、そんな評判の店なら、一回お邪魔するのも良いかもな。」  父さんは、レストラン『聖』にも、興味を持ったようだ。 「少し悔しいけど、美味しいわよ。あそこは。」  義母さんは、変に隠したりしない。確かに腕は確かだよね。 「何せ、あの恵様のお墨付きだしねぇ。」  莉奈は、恵さんが、どれだけグルメなのか知っているだけに、苦笑いする。 「確か、士さんがガリウロル料理、センリンさんがストリウス料理とパーズ料理を 中心に作っている筈だよ。」  士さんのガリウロル料理は絶品だ。特に煮付けとお吸い物などは、何でこんな繊 細な味が出せるんだと、驚いたくらいだ。あれで、僕達より強いんだから、正直ず るいと思う事がある。センリンさんの料理は、豪快だが、味付けには拘っている。 とにかく仕上げに拘るので、全体的な料理の腕が高いのだ。 「よぉし。今度皆で、一緒に行こうな。」  父さんは、皆の雰囲気が良いのを見て、約束してくれる。思えば、父さんは、こ うやって自然な流れで話す事が少なかった。莉奈の母親と再婚した事で、僕に遠慮 していたのかも知れない。でも、こうやって、一緒に住むようになって、僕が莉奈 と、義母さんと、仲良くしてるのを見て、安心してるんだろうね。  僕は、この雰囲気を、大事にしたいと思っていた。それは、莉奈も一緒だろう。  最近、天神家にちょくちょく通うようになった。ほぼ毎日と言って良い。神聖魔 法を中心に、魔法を習ったりしてるが、手合わせも忘れずにやるようにしている。 空手の腕が落ちたりしたら、お爺様に何を言われるか、分かったもんじゃない。  毎日が充実しているから、お爺様との会話も弾む。天神家に入り浸ってる事も、 強さを追求する為だと言ったら、あっさり許してくれた。まぁ、最近では、いつも の面子が天神家に行ってる事も知ってるみたいだし、変な事は起きないと判断して いるのだろう。それに、恵さんの事を、お爺様は全面的に信用している。  お父様も、その事について、時々聞いてくるが、変な追求をしたりはしない。寧 ろ、時々する手合わせで、私が勝つ確率が増えた物だから、驚きながらも歓迎して いる。お父様も、弱い訳じゃあ無い。伊達に空手大会で優勝経験がある訳では無い。 だが瞬君や、トシ君、それに士さん達と比べれば、劣っていると言わざるを得ない。 彼等が達人過ぎるのだ。お爺様も、貫禄は凄いし、手合わせでも、物凄い格のオー ラを放っている。だが、最近では、ちょくちょく勝てるようになっているのだ。そ れは、もっと凄いオーラを放つ人間を、私が知っているからに他ならない。  最近では、一条流空手で一番強いのは、私と言う事になって来ている。その事実 を認めたくないのか、お父様もお爺様も密かに特訓をしてたりしている。その元気 がある内は、まだまだ元気って事で、私は安心している。  一条流の道場で私は、門下生と組み手をやる時間は、一時間程しかない。それは、 天神家でたっぷり修練をしてるからだ。それから、夕飯を食べてからの一時間に私 は、門下生と共に、最後の稽古に顔を出しているのだ。だが、私への挑戦状が多く、 お父様や、お爺様は、頭を抱えている。 「押忍!!宜しくお願いします!!」  今日も、門下生の一人が挑戦してくる。結構鍛えている。体格だけなら、伊能先 輩とも引けを取らない相手だ。だが私は、スピードで掻き回し、腕力だけで突きを 放っているこの人に負けるつもりは無い。その隙を突いて、鳩尾に容赦の無い蹴り を入れる。すると、一瞬動きが止まる。そこをテンプルに綺麗に上段蹴りを入れる。 「うああああ!!・・・参りました・・・。」  門下生は、吹き飛ばされながら、降参の合図をする。情けないとは言わない。私 が相手しているのは、化け物だらけなのだから、これぐらいが普通なのである。 「・・・いやはや・・・。江里香は、本当に強くなったのう・・・。」  お爺様が、嬉しいような寂しいような感じで溜め息を吐く。 「褒めてくれて嬉しいけど、私は、まだ精進が足りないと思ってるわ。」  私は、偽らざる気持ちを言う。何せ組み手では、瞬君から、トシ君から、そして、 士さんから、そして、恵さんから、一本取るのだってやっとだ。彼等は、鍛え方が 尋常じゃない。付いて行くには、更なる修行が必要なのだ。 「島山の所の倅が原因か。この前も来たが、あれも、天性の強さを発揮しとるなぁ。」  お爺様は呆れている。トシ君は、家が近いだけあって、ちょくちょくこの道場に も顔を出して、稽古をしに来るのだが、強過ぎて、私以外は、相手にもならないの だ。本当に、とんでもなく強くなったわよね。 「自分は、悔しいです!でも、年少ながら、あの強さには憧れます!!」  門下生からも、トシ君は人気がある。パーズ拳法の免許皆伝で、あの瞬君と、ほ ぼ互角の闘いをしているのだから驚きだ。誰も知らないけど、この前の決闘では、 瞬君に勝ってたしね。凄い事だ。 「天神の所の二人も、恐ろしい腕前じゃし、将来は安泰かのう。」  お爺様は、感慨深げだ。 「なーに言ってるのよ。老け込むには早いんじゃないの?」  私は、発破を掛ける。 「当たり前じゃ!ワシは、一条 大二郎(だいじろう)であるぞ!そう簡単に、負 けんわい!」  そうそう。元気じゃないと、私が寂しい。 「江里香も言うようになったな。私も、負けられんな。」  お父様は、そう言うと、打ち込みを始める。この歳でも向上心を忘れないのは、 良い事だと思う。 「健人(たけと)!わしも負けんぞ!」  お爺様は、お父様の名前を呼びながら、横で打ち込みを始める。こうなると、門 下生も黙っていない。いつの間にか、打ち込み大会になる。  私は、その様子を微笑ましく思いながら、サンドバック目掛けて、自分の打ち込 みを始めた。人型をしたサンドバックだが、私は、正確に急所を打ち抜く修練をし ている。最初が4回なら、次は、8回同時を目指す感じでだ。 「ハアア!!」  本気の時は、隼(はやぶさ)突きを披露して、8回連続で打ち抜く。 「・・・いつ見ても、江里香師範代の隼突きは、凄いな・・・。」  門下生達は、私の技を見て、驚いている。こっちも、伊達に修練積んではいない。 ちなみに、私は、この歳だが、師範代を戴いている。 「頼もう!!」  外に、誰かがやってくる。この展開は・・・。 「この夜分に、何用かな?」  お爺様が対応に行く。 「一条流は、腑抜けになったと聞いて、看板を貰いに来てやったぞ!」  おお。やっぱり道場破り。今時結構珍しいけど、最近多いのよね。 「聞き捨てならんな。我等を腑抜けと呼ぶ理由を聞かせてもらおうか。」  お父様は、射抜くような目で、相手を見る。しかし、その理由は散々言われてき た事なので、分かっているようだ。 「知れた事。そこの娘が一番強いと言われるような腑抜けの集団ならば、看板を下 ろしたほうが良いだろう?引導を渡しに来たのだ!」  やっぱりね・・・。最近多いよのねぇ。 「娘が強い事は認めよう。だが、腑抜けの集団と言うには、お前達の実力が伴って ないと、私は思うのだが?」  お父様は、容赦の無い言葉を並べる。 「まーたこの展開?私が相手をすりゃ良いんでしょ?」  私はうんざりしていた。最近、こんな事が多いのだ。 「生意気な!我が流派を舐めるなよ!!」  道場破りは、仲間と共に、私達に襲い掛かろうとする。 「チェストォォォォ!!!」  襲い掛かってきた一人を、お爺様は正拳突きで吹き飛ばす。 「んな!!」  道場破りは、困っているようだ。まさか、こんな強いとは思わなかったのだろう。 「フン。言った通りではないか。」  そして、その仲間達を、お父様は、次々と蹴りで吹き飛ばして行く。この実力で、 うちを道場破りしようだなんて、笑わせるわ。 「うぐ!待て!俺は、そこの娘に挑戦しに来たのだ!せめて挑戦くらいさせろ!」  道場破りは、お父様とお爺様の様子を見て、私に挑戦させろと言って来る。 「どうする?江里香?」  お父様は、別に断っても良いぞ?と目で言っていた。 「悪いけど、舐められるのは嫌いなのよ。良いわ。相手をしてあげる。」  私は、相手の言い草が気に入らなかったので、当然受ける。 「フン。女に負ける程、この俺は、甘くないぞ!」  道場破りは、決まりきった台詞を吐く。うんざりする。 「御託は良いから、掛かってらっしゃいな。」  私は、腰を落として右手と左手を上下に配置する。空手の基本の構えだ。 「小娘!この俺の力の前に平伏すが良い!!」  道場破りは、妙な台詞を言うと、隙だらけの正拳突きを放ってくる。私は、その 正拳突きを受け流すと、鳩尾に蹴りを入れて、顎が下がった所に膝蹴りを顎に食ら わせて、テンプルに回し蹴りを食らわせた。 「うぐあああ!」  道場破りは悶絶しながら倒れた。 「相変わらず容赦ないのう・・・。」  お爺様は、呆れた顔で見ると、道場破り達を、介抱していた。このままでは、こ っちも困るからだ。私もそれを手伝う。闘いが終わったら、敵も味方も無いと言う のが、私達の教えだ。 「隙あり!!」  突然、介抱していた道場破りが、私に襲い掛かる。私は、その攻撃を難なく避け る。こう言う事も、稀にあったからだ。しかし、その次の行動に、私は凍りついた。 何と、この男、あろう事か、私の胸に触って、揉んで来たのだ。 「ハッハッハ!所詮は女!どうだ!男の強さを思い知・・・!」  私は、その男が言い終わる前に、鼻の頭に正拳突きをぶち込む。 「ゲファ!!」  道場破りは、鼻血を出しながら吹き飛ぶ。しかし私は、許すつもりは無かった。 襟を掴んで引き立たせると、往復ビンタを食らわす。そして、最後に鳩尾に膝蹴り を食らわせたら、道場破りは、動かなくなった。 「江里香!!そこまでじゃ。」  お爺様は、私の腕を掴んで止める。 「・・・ありがとう。制御出来なくなる所だった。」  私は、お爺様に礼を言う。自分を制御出来ないようじゃ、まだまだだ。 「お前は強いが、まだ若い。修練を忘れない事だ。」  お父様も、肩を叩いて励ましてくれた。 「そうね。こんなんじゃ、瞬君に呆れられるわ。」  私は、溜め息を吐く。瞬君は、正しい事を追い求めている。その精神に近付かな いとね。私もまだまだ、修行が足りないと言う事だ。 「でもね。私にこんな事して良いのは、一人だけなのよ!全く・・・。」  そうだ。触っても良いのは、瞬君だけだ。 「・・・その一人とは・・・?」  お父様は、その言葉が気になったようだ。 「健人は、鈍いのう。決まっておるじゃろうに。」  お爺様は、お見通しのようだ。 「ちょっと!何を想像してるのよ!・・・私、風呂に入る!!」  私は、照れ隠しの為に、風呂に行く事にした。  全く・・・。今日は厄日だったわ。  それにしても、私も付き合いが良いと言うか・・・。  まぁ、エイディ兄さんと会えたのは、良かったけどね。  それに、あそこに居ると、落ち着くようにもなってきた。  最近では、皆のレベルに付いて行けるようになって、腕もメキメキ上がっている。  榊流忍術も、私以上に使える人が出て、困った物だ。  でも、私だって負けちゃいない。  エイディ兄さんには敵わないけど、それなりに使えるようになっている。  実際に、最近では、天神家の修練が終わった後、榊流の道場では、負け無しだ。  あの冬野(ふゆの)ですら、本気でやっても、私が勝つようになってきた。  前は、冬野には、手加減してもらう事が多かった物だが・・・。 「お嬢!!隙あり!!」  うちの門番をしていて、使用人でもある冬野 健一郎(けんいちろう)は、榊流 護身術では、師範代と言う事になっている。私も、師範代だ。 「・・・よっと。」  私は、隙をわざと見せたのだ。そして、冬野が狙った所を軽く受け流して、裏拳 を決める。冬野は、受身を取るが、立ち上がる前に、蹴りを顔面の前に止める。 「ま、参った!」  冬野が降参する。最近では、本気の手合わせでも、私が勝つようになってきた。 「お嬢、最近、強すぎるぜ・・・。」  冬野が、珍しく、弱気を見せる。 「修練の成果だよ。冬野は、もうちょっと頑張った方が良いんじゃないかい?」  私は、軽口を叩く。 「俺は、こう見えても、修行続けてるんだぜ?お嬢が、最近おかしいくらい強くな ってるんだってば・・・。天神家の修練のおかげかねぇ。」  冬野は、目を細める。確かに天神家の修練は、他の何処よりも密度が高い。 「エイディさんの、おかげかい?」  冬野は、からかうような目で私を見る。コイツは相変わらず、人をからかうのが 好きなようだ。懲りない奴だ。 「エイディ兄さんは、関係無いっての。でも、私より忍術上手いんだよねぇ。」  エイディ兄さんは、私より勘が良い。源の量は、私とそう変わった物じゃないの に、圧倒的に使うタイミングが良いのだ。 「元気でやってるみたいですなぁ。しかし、最初聞いた時は、冗談かと思いました よ。俺は、エイディさんが『絶望の島』に送られた時に、諦めてたからね。」  冬野は、嬉しそうだ。この前、エイディ兄さんと会わせた時も、驚きながら、冗 談を言い合っていた。二人とも軽いノリなので、気が合うんだろうね。 「エイディさんは、天才肌な所があるからね。」  冬野も忍術は使える。しかし、私やエイディ兄さんみたいに、本格的に使える訳 じゃない。それでも、門番としては、十分な実力は持っている。 「ま、頑張るしかないって所かな。」  私は、気を入れ替えて、護身術の打ち込みを始める。  すると、玄関先のチャイムが鳴る。この時間とは、結構珍しいね。 「お嬢はここに居て下さい。俺が出ます。」  冬野は、こう言う時の対応は早い。  どうやら、来客のようだが、冬野の驚いた声が聞こえてくる。誰だろう? 「お、お嬢、ビップな人物が来ましたぜ。」  冬野は、珍しく畏まっている。 「おお。亜理栖!やってるな!」  この声は・・・。忘れもしない! 「総一郎兄さん!」  そうだ。この声は、総一郎兄さんだ。 「元気そうだな!いやぁ、アズマ本家が忙しくてな。中々来れなかったからな。」  そうだ。総一郎兄さんは、榊家の頭領なのだ。本家が忙しい時は、こっちに来れ る機会が中々無い。しかも、あの神城(かみしろ) 扇(おうぎ)のせいで、静養 させられた挙句、治っても、あの失態のせいで、本家の爺様から、嫌味を言われて、 出掛けるチャンスが無かったと聞いていた。 「傷は大丈夫?」  私は、扇にやられた傷の事を心配する。 「傷跡も残ってない。そっちは、心配無いさ。爺様達の嫌味の方が、何倍も堪えた よ。あの人達は、容赦無いからな。」  総一郎兄さんは、より一層の力拳を作る。 「頭領が来て下さると知っていれば、それなりの対応をした物を。」  冬野は、さすがに緊張している。 「構わんさ。畏まられると、却って気を遣うからな。」  総一郎兄さんは、豪快に笑う。 「それより、亜理栖。お前、目に見える程、腕を上げてるな。」  さすがに総一郎兄さんは、私の実力を一目で見抜く。 「仲間が居ますからね。」  私は、迷い無く答える。あの仲間達は、私にとっても、掛け替えの無い奴等だ。 「迷いが無いな。羨ましい限りだ。その仲間の中に、あの天神 瞬君や、エイディ も居るんだろ?」  総一郎兄さんには、口頭では、伝えてある。 「元気な後輩だね。エイディ兄さんも、元気だよ。」  私は、屈託の無い笑顔をしているんだろうな。毎日が楽しいしね。 「天神家には、一度行きたいな。」  総一郎兄さんは、かなり興味があるようだ。あれだけ口頭で伝えれば、行きたく なるのも当然かなぁ。 「それで?やっぱり天神君が、一番強いのか?」  総一郎兄さんは、そこが気になって仕方が無いみたいだ。 「そうだねぇ。最近は、黒小路 士さんって人が、一番かなぁ?」  私は、最近の手合わせを見ているが、瞬や俊男ですら、あの士さんには敵わない。 「黒小路・・・?まさか・・・。」  総一郎兄さんは、聞き覚えがあるようだった。 「その人、霊王剣術の使い手じゃないか?」 「良く知ってますね。とにかく物凄い腕の持ち主でしたよ。」  総一郎兄さんは、やっぱり知っているようだ。 「やはりか。セントに移住したと言う噂だった黒小路の血筋の者か。」  総一郎兄さんは、その辺の事情に詳しいんだろうなぁ。 「それは、一度手合わせしたい物だな。」  総一郎兄さんは、目を輝かせている。普段は落ち着いているのだが、こう言う時 は、結構大人気無い態度が多い。特に本家じゃない時は、普段抑えているせいか、 素に戻る時が多いのだ。 「そうだ。亜理栖。一戦お願い出来るか?」  総一郎兄さんは、今の話を聞いて、テンションが上がったのだろう。 「出来ますよ。久し振りに手合わせしますか?」  私も、大いに乗り気だった。総一郎兄さんは、頭領だけあって、凄い実力の持ち 主だ。今の私がどれくらい強くなったか、知りたい所でもあった。 「よし。じゃぁ、忍術ありだ。」  総一郎兄さんは、忍術を使っての、本格的な手合わせを所望してきた。 「分かりましたよ。じゃ、行きますよ!」  私は、まず回し蹴りを連発する。回転だけじゃなく、威力も重視している。 「お。鋭いな。腕を上げたな。亜理栖!」  総一郎兄さんは、そう言いつつも、軽く捌いている。さすがだ。  私は、細かい牽制を含めつつ、足を払おうとする。しかし、丸太のような総一郎 兄さんの足に、足払いは効かなかった。すると、襟を掴まれた。 「亜理栖。私相手に全力で行かないと言うのは、感心しないな。」  総一郎兄さんは、そう言うと、襟を放す。様子見じゃ甘かったか・・・。 「済みません。様子見のつもりでした。」  私は素直に謝る。そうだ。目の前に居るのは、榊流を束ねる頭領なのだ。様子見 に何の意味がある?私の全力を出さなければ意味が無い。 「行きます!!」  私は、今までの修練の要領で、闘気と魔力を全開にする。そして、闘気で固めた 拳で総一郎兄さんのガードの上から構わず殴りつける。 「ぐ!響く!・・・だが、それでこそ、修練になると言う物だ!」  総一郎兄さんは、楽しそうだった。そうか。総一郎兄さんも全力を出したかった のかも知れない。本家では負け無しだったみたいだしね。 「まだですよ!!」  私は、思いっきり蹴りを放つ。そして、間合いを離した所で、指をパチンと鳴ら して、炎を作り出す。そこから広げるイメージで・・・。 「ええい!!『火遁(かとん)』!!」  私は、振り払うような仕草をして、総一郎兄さんに『火遁』を浴びせる。  しかし、総一郎兄さんは、腕でガードして事無きを得た。一体どうやって?あ。 そうか!腕が薄っすら光ってる。腕に『水遁(すいとん)』を忍ばせて防いだんだ! 「さすが、総一郎兄さん・・・。最小限の力で防いでくるね。」  この老練な遣い方は、さすが頭領だと思った。 「年季は、私の方が上だからな。しかし、予想以上だ。驚いたぞ。」  総一郎兄さんの腕は、少し火傷っぽくなっていた。防ぎ切れなかったのかな? 「守勢では、私が不利だな。」  総一郎兄さんは、さっきまで構えていたドッシリとした構えを解いて、源を全開 にして前屈みの攻撃的な態勢になる。凄い圧力だ! 「行くぞ!!」  総一郎兄さんは、蹴りで牽制してくると、嵐のような拳の弾幕を作ってくる。す、 凄い!こんな凄い圧力は、滅多に無い!拳だけでも凄いのに、その一つ一つに『風 陣(ふうじん)』の忍術が乗っているせいで、ガードの上からも響く!  バシィイイイ!!  圧力と共に、私は吹き飛ばされる。さすが総一郎兄さんだ。 「お嬢!」  冬野が心配して駆け寄る。それを私は、手で制した。 「大丈夫だよ。冬野!・・・さすが総一郎兄さんだよね。」  私は、足に力を入れて立ち上がる。 「何がさすがだ。私の全力の攻撃を受けて、立ち上がるとはな・・・。」  総一郎兄さんも、今ので、私は倒れると思っていたのだろう。 「確かに効きました・・・。けど、私も、成長した所を見せないと!」  私は、そう言うと、一番得意な『電迅(でんじん)』の忍術を発動させる。 「な!!」  冬野が驚きの声を上げる。 「亜理栖・・・。お前、そこまで巨大な源を・・・。」  総一郎兄さんは、私の忍術を見て、唖然としていた。 「伊達に修練積んじゃいません!!ハアアア!!『電迅』!!」  私は、右手を突き出すと、『電迅』を総一郎兄さんに向ける。 「ヌウウウウウ!!」  総一郎兄さんは、自らの源を使って、『電迅』を防ぎに掛かる。それでも、ジリ ジリと、後退して行く。 「何と言う威力だ!!」  総一郎兄さんは、寸での所で踏ん張る。 「隙あり!!」  私は、左手に『電迅』を纏わせて、総一郎兄さんの脇腹に突き刺すように突き入 れる。すると、総一郎兄さんは、脇腹を押さえて跪く。 「でやあああ!!」  私は、総一郎兄さんの顔面の先に回し蹴りを寸止めする。 「・・・降参だ。」  総一郎兄さんは、とうとう降参した。・・・私は勝ったのか? 「お嬢が・・・頭領に勝っちまった・・・。」  冬野は呆然としている。 「本当に強くなったな。亜理栖。私も負けていられぬな。」  総一郎兄さんは、そう言うと、優しく私の頭を撫でる。 「次勝てるかどうかは、分かりませんけどね。私も危なかったですし。」  私は、そう言うと、疲労が溜まって、その場でへたり込む。 「まさか、あの巨大な『電迅』が見せ技とはな・・・。」  総一郎兄さんは、アレを防ぎ切った所で、安心していた。しかし私は、それを見 越して、左の拳を用意していたのだ。 「上手く行ったから良かったですが、もう源も空っぽですよ。私。」  私は、疲れ切っていた。特に最後の攻撃では、私の中にある源を全開にしたので、 疲労が、ドッと来ていた。 「お嬢!良い物を見せてもらいましたよ!」  冬野は、興奮気味に私を介抱する。  こうして、うちに総一郎兄さんは、やってきた。こりゃ、天神家に連れて行かな きゃ駄目みたいだね。  俺は、千の技を受け継ぐ男として、期待されてきた。  プロレスラー・・・それが、どんなに過酷な職業か知っている。  客を楽しませるため、相手の技は受け切る。  そして、こちらの技も相手が受けてくれる。  それは、阿吽の呼吸のように自然で、それだけに覚悟が必要だ。  覚悟が足りないと、あっと言う間に気絶してしまう。  気絶するだけで済めば良い。  時には病院に送られるレスラーも居る。  親父は、不敗のレスラーだった。  どんな時でも諦めず、流血沙汰になろうとも、勝ちを収めてきた。  その姿勢がファンを魅了し、不動のナンバーワンレスラーになったのだ。  そんなファンが付けた渾名が、サウザンド伊能。  若い時は華麗な技と、溢れるパワーでファンを魅了した。  だが、リングでは負け無しの親父も、事故には勝てなかった。  俺を庇う為に、事故で大怪我を負ったのだ。  誰もがサウザンド伊能は終わったと、揶揄した。  だが親父は、想像を絶するリバウンドを経て、カムバックした。  俺は知っている・・・親父がそこまでする理由を。  待ってくれているファンの為と言うが、本当は違う。  このまま終わっていたら、週刊誌は、俺が理由で引退したと書くだろう。  実際に、事故当時は、誰かを庇っての事故で、庇ったのは誰だ?と書かれていた。  俺は、自分のせいで親父がカムバック出来なかったら、自分を責め続けただろう。  そんな俺を見兼ねて、親父は立ち上がったのだ。  そして、カムバックしても負けなかった。  昔のような華麗な技やパワーで圧倒する試合は減った。  だが、決して諦めない精神と、相手の技を受け切る技術は、前より磨かれていた。  親父は、スーパースターだ。その親父を超えるんだ!!  その覚悟を決めて、俺はサウザンド伊能ジュニアを名乗るようになった。  親父の背中には届かないが、無様な試合だけはしない。  そう心に決めて、俺は、今日も技を磨いていた。 「せい!ぬん!!」  俺は、筋力を付けるトレーニングと、同じジムの練習生相手に、技の掛かり具合 などのチェックをする。伊能ジムの仲間は、俺にとっても大切だ。 「巌慈君。受身の練習を手伝うよ。」  練習生の一人が、練習を手伝うついでに、俺に技を掛けてくれる。こうすれば、 練習生の方は、技の掛け具合を確かめられるし、俺は、受身の練習が出来る。 「是非、お願いしますわい!」  俺は、快く受ける。受身の練習は大切だ。これをしないと、試合中に大怪我をし 兼ねない。それが原因で、動けなくなったレスラーを、俺は知っている。 「うおら!!」  練習生は、俺をロープに振ると、戻ってきた所で、腰をタイミングよく掴んで、 ジャーマンスープレックスを決める。そして、そのまま足を掴むと、サソリ固めに 移行した。中々良いコンビネーションだ。 「ぬん!」  俺は、掛かり具合が、甘いと感じたので、足を振る事で振り解く。そして、再び 前屈みの構えに戻る。そこで練習生は、俺を違う方向のロープに振ると、戻ってき た所にタイミング良くドロップキックを見舞う。 「タイミングはバッチリですぞ!」  俺は、もろに顔面から食らったが、これしきでは倒れない。 「巌慈君は、タフだなぁ。俺は、倒しに行ったんだけどな。」  練習生は、俺のタフさに呆れる。これしきで倒れてたら、天神家では、あっと言 う間に伸びてしまう。やはり、あそこでの修練は生きているのだろう。 「ガッハッハ!俺も、デビューして、1年ですしな!成長もしますわい!」  そう。俺は、1年前にデビューした。相手は格上で、かなり苦戦したが、諦めず に技を掛ける事で勝利した。それから、2戦ほどしたが、未だに負けは無い。  いつからか、千の技を継ぐ男として、俺は注目されつつあった。学園に行きなが らの修練だが、天神家での練習もあってか、最近は、メキメキと力がついてきた。 「やっとるな!」  親父の声がした。皆は『押忍!』と叫んで、気を引き締める。親父は、伊能ジム の会長兼メインレスラーだ。 「おう。巌慈!さっきも見てたが、タフになってきたでは無いか!」  親父は嬉しそうに俺に声を掛ける。 「あったり前じゃ!修練を積んで、もっともっとタフになって、技にも磨きを掛け るつもりじゃ!強さへの欲求に、際限は無いぞ!」  俺は、力拳を握る。すでに、腕の太さは、このジムでもトップと言っても過言で は無い。腕相撲でも、誰にも負けないようになってきた。 「良い心掛けだ!忘れるんじゃないぞ!」  親父は、俺の心意気を理解してくれた。 「皆に、報告がある。集まってくれ!」  親父は、皆を集める。すると、一枚のFAXを取り出す。 「お。サキョウ東アリーナでの、試合が決まったのか!」  俺は、試合の日程表を見て、理解する。 「うむ。メインは儂と、もう一人のタッグだ。」  親父は、メインイベントの予定表を見せる。タッグパートナーの欄には、まだ、 名前が無い。どうやら、決めあぐねているようだ。 「他の試合も、順次埋めて行くが、このジムの総出の試合になる。相手は、大和田 ジムと、渡辺ジムだ。」  おお。どっちも大手だ。これは、遣り甲斐がある。 「伊能ジムは、どんな相手の挑戦も、拒まず勝って来た!今度も勝ちに行くぞ!」  親父は、発破を掛ける。すると、皆の気合の入った返事が聞こえた。 「巌慈!リングに上がれ!」  親父は、俺を指名する。久し振りの手合わせかな? 「オウ!」  俺は、またと無いチャンスだと思って、リングに上がる。 「誰かリングを鳴らせ。本気でやるぞ!」  親父は、本気と言った。あの親父が本気・・・。 「どうした?震えているのか?怖気づいたか?」  親父は、俺が震えているのを見逃さない。 「馬鹿言え!嬉しいんじゃ!俺の成長を見せられる最高の相手じゃからな!!」  俺は、武者震いをしていたのだ。親父とやれるなんて、中々チャンスが無いのだ。 「生意気言いやがって。儂を舐めるなよ?」  親父は、腰を落として、俺と睨み合う。 「史上最高のレスラー相手に、舐めて堪るかよ!」  俺も腰を落として、いつでも技を掛けられるし、技を受けられる状態にする。 「どあああ!」  俺は先手を取る。そして、親父にチョップを食らわす。 「おう!巌慈の癖に、響くじゃねぇか!」  親父は、胸で受けてくれたが、少し響いていたようだ。そして、今度は親父が、 俺の顎に鉄拳を見舞う。俺は逃げずに顔面から食らう。頭が響く攻撃だ。 「親父も、さすがじゃな!!」  俺は、笑って受け答えする。効いてない事は無いが、これしきでは参らない。互 いにチョップと鉄拳の応酬が続く。そして、ほとぼりが醒めた頃、親父は俺の腕を 掴んで、ロープに振る。そして、戻ってきた所にジャンピングクロスチョップを首 に見舞った。カァ!!これは脳髄に効く!! 「なにぃ!?」  親父は驚く。それは、これを食らっても、俺が倒れなかったからだ。 「お返しじゃ!」  俺は、親父をロープに振ると、返ってきた所に横から抱える形で投げっ放しの状 態で放り投げる。 「おお!エクスプロイダー!!」  練習生達は、驚きの声を上げる。今のは大技だった。 「カァ!良い技使うじゃねぇか!」  親父は、効いてない訳じゃ無さそうだが、すぐに立ち上がる。さすがだ。 「でぇい!!」  親父は、ラリアットに来る。それを俺は、屈んで避けたが、親父は素早く後ろに 回ると、腕を閂のように絡めてきた。これは! 「オオラァ!!」  親父は気合と共に、そのまま俺を投げ飛ばした。 「あれは、タイガースープレックス!!」  親父の友人の、虎仮面と言うレスラーが開発した技だ。親父も食らったと同時に この技を覚えて虎仮面に勝利している。こりゃ効くわー。 「おおお!!」  練習生は、更に驚く。俺が立ち上がったからだ。 「巌慈!痩せ我慢か?」 「馬鹿にするなよ?効いたは効いたが、これで参る程、サウザンド伊能ジュニアは、 甘くないぞ?親父!!」  俺は、ニヤッと笑う。これで参るようでは、天神家の修練で、勝ちを収める事は 出来ない。結構負けてはいるが、勝つ時は、不屈の闘志を見せた時だ。 「なら、これでどうだ!!」  親父は、足を絡ませて、4の字固めをしようとする。それを、俺は解いて、逆に コブラツイストを決める。 「ぬうぐうううあああ!!」  親父は悶絶する。しかし、参ってはいないようだ。何とかロープを掴む。 「だりゃあ!!」  親父は、飛び上がって俺の延髄に蹴りを見舞う。延髄切りだ。 「なんの!!!」  俺は、グラッと来たが、堪えて、喧嘩キックを見舞う。 「巌慈君の伊能16文キック!!」  練習生から、声が上がる。俺の靴のサイズが30センチを超えてる事から、ファ ンの間から伊能16文キックと呼ばれるようになったのだ。  親父はよろける。そこに、俺はプロレスの基本技である、ジャーマンスープレッ クスを決める。完璧な角度だ!俺の会心のスープレックスだった。  そのまま、肩を決めて、3カウントを取ろうとする。すると、練習生の間から、 2カウントの所で、親父は肩を外す。 「ぬお!」  俺は驚いた。それまで、完璧に力を失っていたのに、2カウントで突然力が舞い 戻って肩を外したのだ。さすがは親父じゃ! 「巌慈!!今のは、効いたぞ!!」  親父は、そう言うと、俺の首に手を回して、ブレーンバスターを見舞う。  カァ!!こいつは効く!! 「ワン!ツー!!」  練習生の声が遠くから聞こえた。どうやら、親父がフォールしているらしい。 「ぬがぁ!!」  俺は、ツーの声で我を取り戻して、フォールを外した。そうか。これが、さっき の親父の心境か。負けないために、意識を失っても、ツーの声で、意識を取り戻す のだ。これが、プロレスラーの性か! 「フッ。プロレスラーらしくなったな。巌慈!」  親父は、今のフォール外しを褒めてくれた。アレが出来なくては、プロレスラー じゃないわい! 「よし!これまでだ!」  親父は、手合わせ終了を合図した。 「ふーい・・・。」  俺は、その声が掛かると同時に、座り込む。今日のは、中々ハードだった。 「巌慈君、凄いじゃないか!伊能会長と、全然見劣りしなかったぞ!」  ジムの仲間が声を掛けてくれる。 「見劣り所じゃないって。勝てたかも知れなかったぞ。今の!」  景気の良い事を言ってくれる。しかし、親父は、まだまだ偉大だと思い知った。 「巌慈。冗談抜きで、今のは、儂は危なかった。・・・これで、決まりだな。」  親父は、さっきのFAXに何かを書き込む。 「巌慈!今度の試合!儂のパートナーは、お前だ!!」  親父は、メインイベントの試合の欄に、俺の名前を書き込む。 「え?俺が?」  俺は、面食らっていた。まだデビューして1年経ったか経たないかの俺が、メイ ンイベントなんて、嘘じゃろ? 「誰も文句無いよ。」  ジムの仲間は、皆拍手をしていた。 「今のを見て、伊能会長の名を継ぐのは、巌慈君しか居ないと思ったよ。」  それは、嬉しい言葉だが、実感が湧かなかった。 「巌慈!呆けてる場合じゃないぞ!試合は、必ず勝つんだから、気合入れんか!」  親父は、俺に渇を入れる。・・・そうだ。何を気にしている。決まったのなら、 それに向かって、全力を尽くすだけだ。 「やってやるぞい!!勝って、華を添えてやるわ!!」  俺は、乗せられて、勝利宣言をした。  こうして、ダブルサウザンド伊能コンビが誕生したのだった。  極限を窮め、自らの信念を突きに宿し、あらゆる物を粉砕する覚悟を持て。  これは、羅刹拳の教えだ。  俺は、幼い頃、これを何度と無く聞かされて、育てられてきた。  だから親父は、その教えを大事にして、常に強くあろうとした。  俺に羅刹拳を見せてくれた親父は、常にヒーローだった。  そんな俺が、羅刹拳を習いたいと言ったのは、極自然の事だ。  母親は、俺が小さい頃に、親父の苛烈な性格に耐えられなくて、出て行った。  それからの親父は、少し荒れていたが、信念を持っていた。  羅刹拳のガリウロル全国大会で、何度と無く優勝していた。  その賞金で、食い繋ぐ生活だった。  門下生も居たし、俺も真面目に習っていたし、順風だった。  しかし、それは、ある日、突然崩れた。  羅刹拳の強さを、もっと世に広めようと、全ソクトア空手大会に出たのだ。  その時に、準々決勝で、島山 俊男と当たったのだ。  俊男はパーズ拳法の免許皆伝を15歳で貰った天才だ。  親父は、そんな天才を前に、真っ向勝負を挑んだ。  俊男は、その親父の気合を真っ向から受け止めて、その拳を破壊した。  圧倒的な強さだった・・・。  それから親父は、荒れ狂う生活を始めた。  門下生は、その様子を見て落胆し、どんどん辞めていった・・・。  そして、気が付くと、誰も居なくなって、廃れていった。  親父は、俺と同じ歳の少年に負けたのが、悔しかったのだろう。  そんな親父を見て、俺も荒れ狂っていた。  爽天学園に入ったのは良いが、周りに当り散らす日々が続いた。  そんな中、不良グループに絡まれた。  だが、幼い頃から羅刹拳を習っていた俺の敵じゃ無かった。  そして、いつの間にか、俺は『ボス』と呼ばれるようになった。  良い気になっていた訳じゃない。  単なる気まぐれだった。  だが、そんな中、部活動対抗戦の優勝者の名前を聞いた。  優勝は、天神 瞬、そして、準優勝者は、島山 俊男だった。  親父の人生を変えた空手大会の因果が、こんな所で出てきたと思った。  なら、俺も挑んでやるつもりで、喧嘩を吹っかけた。  見事なまでにやられた・・・。  しかも、天神 恵や一条 江里香には、自分の愚かさを指摘される始末だった。  それから俺は、自分を変える努力をするようにした。  バイトを増やして、勉強をして、奨学金を貰う事で、親父を助けようと思った。  俺は、学年5位の成績を残して、奨学金を貰う事に成功する。  そして、日々頑張る姿を、親父に見せ続けた。  そんなある日、親父から呼ばれた。  俺は、道場に来いと言われたので、待つ事にした。 「勇樹・・・。お前、奨学金を貰ったそうだな。」  親父は、鋭い目でギラリと睨む。 「そうだよ。せっかく学園に行ってるんだし、奨学金を貰えば、生活の足しになる だろ?バイトも許されたし、俺の心配は要らないよ!」  俺は、親父に喜んでもらおうと、次々良い事を言う。 「あ?お前の心配?それより、金を貰ったんなら出せ。」  親父は、予想外の答えを返す。 「道場の立て直しに使うのか?」  俺は、嫌な予感がしたので、尋ね返す。 「道場?知るか。お前の金は、育ててやった俺の金だ。」  ・・・まさか、私利私欲に使うつもりか? 「親父。まさか、酒代の為か?」  俺は、上目遣いをする。 「うるせぇ!早く出さないか!」  親父は、怒鳴る。・・・でも、こんな事を言うなんて! 「ふざけんな!!なぁ親父!!こんな生活、いつまで続けるんだよ!親父は、強い んだろ!?道場を立て直して、昔の凄かった親父に戻ってくれよ!!」  俺は、我慢出来なくなって叫ぶ。 「てめぇ、娘の分際で、生意気言うんじゃねぇよ!」  親父は、俺を押し倒そうとする。 「大体、女の癖に、男の格好して、羅刹拳を学ぼうなんて、生意気なんだよ!お前 が男だったら、道場を継いでもらおうと頑張れたんだ!」  親父は、酒臭い息を、撒き散らしながら、俺の胸を弄る。 「それが、最近になって、また女の格好に戻って、どういうつもりなんだ?」  親父は、俺の・・・ヒーロー・・・。 「ざっけんな!!」  俺は、親父に金的をして、立ち上がる。そして、肌蹴た胴着を着直すと、親父に 指を差す。 「てめぇ、そこまで落ちたか!!自分の娘に発情なんかしてるんじゃねぇよ!」  俺は、もう許せなかった。自分がされた行為よりも、親父の情けなさを許せなか った。ここまでやっても、ここまで言っても、直らないのか!! 「親父は、強かったじゃんかよ!それが、こんな情けない行為するまでに落ちぶれ やがったのかよ!」  俺は、泣いていた。親父がここまで落ちぶれた姿など見たくなかった。 「てめえ・・・。親に手をあげる気か?」  親父は、まだそんな事を言っていた。 「目を覚ませよ!」  俺は叫んでしまう。魂からの叫びだった。 「俺の中では、親父は、ヒーローなんだよ!!」  俺は、あらん限りの叫びをする。 「・・・。」  親父は黙ってしまった。 「親父は俺が、天神の所に行ってるの、知ってるよな。俺は、まだまだ強くなりた いんだ。一時は憎いと思った俊男や瞬とだって、手合わせしてる!」  俺は、親父には天神家に行ってる事を話してある。それも、親父にとっては気に 入らなかったのかも知れない。 「あいつらはな。例え負けたって、次は勝てる努力をしているんだ!それを、親父 は、一度負けたくらいで、全部放り出しちまうのかよ!!」  俺は、あいつらから、不屈の精神と、修練の大事さを学んでいた。 「・・・はぁ・・・。」  親父は、溜め息を吐く。すると、俺の肩に手を置く。俺は少し身構えたが、襲う つもりは、無いようだ。 「勇樹は、こんな俺でも、まだヒーローだと思ってんのか?」 「当たり前だろ!親父は、調子悪いだけだ!」  俺は、ずっと親父に憧れて来たんだ。 「・・・なら、次は、勝たないと駄目みたいだな。」  親父はそう言うと、優しい目に戻っていた。 「そうだ!親父は、老け込むような歳じゃないだろ!」  俺は、嬉しくなって、軽口を叩く。 「フン。まだ現役を退く訳には行かないようだな。」  親父は、そう言うと、打ち込みを始めた。そうだ。少しずつで良い。前の親父に 戻ってくれれば、幾ら時間を掛けようが、構わない。 「勇樹!・・・後で、飯の用意を頼むぞ。鈍った体を戻すには、飯も重要だからな。」  親父は、そう言うと、鬼のような表情で。打ち込みを始めた。 「任せろって!こう見えても、研究してんだからよ!」  俺は、嬉しくなって、その日の夜は、飛びっきりのご馳走にしたのを覚えている。  そして、あれから親父は、酒を抜け切って、羅刹拳大会に出るまでになった。  最初こそ、入賞する程度だったが、段々優勝するようになっていた。  そのおかげか、今では、道場を建て直して、昔の活気が戻ってきていた。  そのおかげで、俺もバイトをレストラン『聖』だけにする事が出来た。 「師範!構えはこうですか!!」  弟子達が、親父に教えを請う。 「馬鹿!それでは迫力が無い!こうだ!」  親父は、叱りながらも弟子に構えを教える。そうだ。俺が見たかったのは、この 光景だ。やっぱり、親父はヒーローだ! 「師範代!俺の蹴りはどうでありますか?」  弟子達が、俺にも教えを請いに来る。俺は、親父に実力を見せたら、師範代をや れと言われたのだ。認めてくれたらしい。 「鋭さが無い!蹴るなら腰を入れなきゃ駄目だ!」  俺は、サンドバッグを相手に、腰を入れる蹴りを放つ。 「おお・・・。成程・・・。」  弟子達は、俺の蹴りを見て、納得する。気分は悪くない。 「師範代、凄いよなぁ・・・。若いし、女だってのに、あんな強いなんてさ。」  弟子達は、後ろの方で、ヒソヒソ話を始める。聞こえてるぞ・・・。 「なんでも学園じゃ、ファンクラブとか出来てるみたいだぜ。」  ・・・ファンクラブ?そんなのあったかな?・・・まさか、アイツ等の事か?  俺のグループを思い出す。確かに追っ掛けにも近いが、仲間なんだがな。 「いやぁ、その気持ち分かるって。凛々しいのに、料理も上手いしさぁ。」  ・・・褒められるのは、嬉しいけど慣れないなぁ・・・。 「ほら!そこの!気合入れてやれ!」  俺は、照れ隠しに叱り飛ばす。こう言う態度がいけないのかもなぁ。 「せい!せい!!」  俺は、打ち込みを始める。すると、親父がさっきの弟子達を集める。 「おい。勇樹のファンクラブが出来てるって本当か?」  ・・・おい親父・・・。何の話をしてるんだ・・・。 「は、はい。何でも、バイト先まで完璧に把握してるらしいですよ。」  弟子達も、律儀に答えんな! 「ぬうう。勇樹に近付く馬鹿は、許せぬ!」  お、親父・・・。あんな性格だったか? 「おい・・・。親父。俺のグループは、ファンクラブじゃないっての。」  俺は、見るに見兼ねて、口出しする。 「聞いておったのか?勇樹!」  聞いておったのか?じゃねぇよ。丸聞こえだっての。 「気の良い奴等だぜ?変な事はしねぇって。」  俺は、奴等の事を信頼している。なんだかんだで、良い奴等だからな。 「しかしだな・・・。まかり間違って、襲われでもしたら!」 「その時は、親父から教わった・・・この羅刹拳で、撃退するっての。」  俺は、そう言うと、親父と弟子達の顔の前で寸止めを見せる。 「む・・・。勇樹がそう言うなら良いが・・・。」  親父は、そう言うと、渋々ながら打ち込みに戻る。 「お前達も、変な噂するんじゃないっての。」  俺は、口を尖らせて、弟子達に注意する。 「・・・済みません。でも、勇樹さん格好良いし・・・。」  弟子達は謝りながらも褒めてくる。 「ば、馬鹿!褒めても何も出ないぞ!続きだ続き!」  俺は、耳まで真っ赤にしながら、打ち込みに戻る。 「・・・やべぇ。俺、惚れちゃいそう。」  弟子達は、そんな事を言っていた。勝手に惚れるんじゃねぇっての。  それから、休憩時間に入ったので、俺は作ってあった皆の分の食事を持ってくる。 今日は、食事込みの修練だって言ってあった。月謝も、その分を込みで貰っている から、文句は出ていない。弟子の家族から、色々言われるかと思ったので、俺の食 事を母親達に振舞ったら、何故か安心された。分からない物だ。 「ほーら。今日は、元気の付く物が良いからな。」  俺は、士さん達に手伝ってもらいながらも作った、鶏の唐揚げとゼンマイの煮付 けと、味噌汁と、きゅうりの浅漬けを用意した。うちの道場も、20人くらい居る ので、用意するのは大変だったが、楽しかった。 「うおー!勇樹さんの手作り唐揚げとか、ラッキー!」  さっきの弟子達は舞い上がっている。まぁ喜ばれるのは良いんだけどさ。 「ふむ。皆も、感謝して食うが良い。」  親父は、体裁を整えながら、テーブルとか箸とかを用意する。  そして、並べ終えて、皆で道場内で、軽い食事会っぽくなる。 「では、皆、いただきます!」 『いただきます!』  親父の一言で、皆は食べ始める。すると、お腹も減っていたのか、次々と減って いく。今日は、多いんじゃないか?と思える程作ったのだが、食べてくれそうだな。 「んめーー!うちのお袋より美味しいぞこれ!」  弟子達は、はしゃいでいた。そこまで褒められると、ちょっと照れる。 「いやはや、勇樹さんは料理も、この腕前とは・・・。感服します。」 「これなら、いつでも嫁に行けますよ!」  ・・・褒め過ぎだろ。コイツ等・・・。 「い、言い過ぎだって。それに、まだまだ上手くなるんだからな!」  俺は、顔が真っ赤になってるのかも知れない。何だか顔が熱かった。 「勇樹は、まだ、嫁にやらーん!」  親父は、意味不明な事を言って、ちゃぶ台返しをしようとしたが、俺が睨み付け ると、テーブルを持った時に、止めてくれた。 「料理を大事にしなかったら、怒るからな。」  俺は、最初からそう言ってある。 「済まん済まん。でも、嫁にはやらんぞ。」  親父・・・。そんな性格だったか? 「まだ早いだろ!いかんわ!!」  まったく、気が早過ぎだっての。  ・・・嫁にねぇ・・・。まだまだそんな気は無いけど、そうなったら、親父は、 今みたいに取り乱したり、するのかな?まぁちょっと嬉しいかな。  こうして、外本道場は、活気を取り戻していた。それもこれも、俺の目を覚まし てくれた恵と、江里香先輩、それにいつものアイツ等のおかげだと思っている。  俺は、今でも夢を見る。  殺してきた人の数は、5000人を超えている。  正確には、5011人だ。  その全てを、俺は記憶している。  それが、俺に課せられた報いだと思っている。  俺は、とても幸せではある。  だが、それは、夥しい犠牲からなっているのだと、知っている。  それでも尚、センリンは幸せにしなければならない。  それは、義務で幸せにするのではない。  俺が、幸せにしたいから、するのだ。  それを、犠牲になった奴等は、許してくれるだろうか?  許さないだろうな・・・。  だが、それでも俺は、センリンを幸せにする。  許せとは言わない。  ただ、お前達の事を忘れたりはしない。  それだけは、覚えていてくれ。  レストラン『聖』がオープンして、1ヶ月ほど経った。最初は、我慢の連続だっ た。トラブルも絶えなかった。慣れるまで、1週間は掛かったな。  だが、皆が一生懸命やってくれたので、やっと軌道に乗ってきた。今では、ちょ っとした口コミで、有名になっているらしい。有難い事だ。  俺とセンリンが、メインになって料理を作る。簡単な軽食や、偶に実力を測る為 にジャンとアスカにも作らせたりしている。客から不満が無い所を見ると、奴等も レベルアップしたみたいだな。  意外に役立つのが勇樹だった。彼女は、家でも毎日食事を作っていたと言うだけ あって、勘が良かった。貪欲に学ぶ姿勢も悪くなかったので、今や、主力メンバー の一人に、なりつつある。この前なんかは、家で食事会をやると言うので、仕込み の手伝いをしてやった。そしたら、丁寧にお礼を言われた。口調は男っぽいが、家 庭的で、良い奴だと思う。  エイディとグリードは、ゼハーンとショアンの下につけている。まずは、食材の 見極めからだ。ガリウロルも、思ったより良い食材が揃っているので、見極めは重 要だ。ゼハーンとショアンが、先輩風を吹かせていたので、笑っちまった。  牧畜業や、農業は、広い土地を持つテンマからで、漁業はサキョウが盛んだ。仕 入先一覧を睦月や葉月に見せたら、天神家の仕入先と似通っていたようで、驚かれ た。まぁ正解に等しいって事かな。  今日も、レストラン『聖』は、順調に客足を伸ばしている。 「士さん!ヒラメの煮付け定食2つと、チャーハンセットと、キムチ鍋定食を一つ だ!デザートに、ゴマ蜂蜜プリン4つだ!」  エイディが注文を取ってきている。アイツは、注文を覚えるのが早い。要領が良 いから間違えも無い。 「グリードさン!2番テーブルの刺身定食と、ラーメンセットと、あんかけチャー ハン出来たヨ!今、揚げパンを作ってるから、持って行ってネ!」  センリンが、出来た料理を運ぶように指示する。 「任せて下さい!よっと!」  グリードは、持ち運びが正確だ。動体視力が良いせいか、滑るように運んでも、 一滴も零したりしない。なかなかやるな。 「5番テーブル、片づけが終わったで御座る。」  ショアンは、細かい後片付けが得意だ。仕事にも慣れてきたな。 「デザートの盛り付け、終わったぜい!」  ジャンは、器用に盛り付けを終わらせて行く。最近腕を上げたな。 「水のお替りが、切れてるな。行って来る。」  ゼハーンは、客を良く見ている。こう言うサービスが、客の満足度を上げて行く。 「あ。あの子供、オムライスを零したか。対応してくる。」  勇樹は、目ざとく見つけて、ヘルプに行く。結構気が付くんだよな。 「士さん!食器の用意が終わったから、ウチ、食材を持ってくるよ。」  アスカは、雑用兼料理人だ。ジャンもそうだが、助かっている。 「よし。煮付け定食上がりだ!頼むぞ。」  俺は、自分の分の料理を終わらせると、次の注文に移る。  客も、落ち着いてきた頃、新しいお客さんが入った。っと、あれは。 「いらっしゃいませー。・・・ってお前達か。」  グリードが案内に行くと、知った顔を見て、小さく呟く。さすがに他の客の前で 大声で話したりはしない。そこら辺は徹底させている。 「15番テーブルに、4名入ります!」  グリードは、15番テーブルに案内する。その4人とは、俊男達の一家だった。 確か、母親と莉奈は、来た事があったな。父親は初めてだった筈だ。 「いらっしゃいませ。ご注文をどうぞ。」  エイディが卒無く聞きに行く。知り合いだからと言って、変に動揺したりはしな い。そう言う所が、この男の良い所でもある。 「お父さん、何にする?」  莉奈が、メニューを父親に見させている。やっぱり父親か。 「メニューが、いっぱいあるな。」  父親は、物珍しいみたいで、困っていた。 「ここの人達は、どんな料理でも手を抜かないから、どれも美味しいよ。」  俊男は、俺達が出す試食メニューの内容を知っているからな。 「私も何回か来ましたが、非常にレベル高かったですよ?」  母親は、微笑ましいらしく、ニコニコ笑っていた。確かに顔は覚えている。あの 兄妹の母親か。言われてみれば、莉奈に似ているな。 「ほう。そうか。じゃぁ、このお勧めメニューにするかな。」  父親は、季節のお勧めメニューを選んだようだ。最初だし、無難な所だな。 「僕は、うなぎのひつまぶしを下さい。」  俊男は、案外趣味が良いな。 「私は、ウニと魚介のパスタを、お願いします。」  母親はパスタか。これは、センリンの領域だな。 「私、6色御膳にしようっと!」  莉奈は、あの地獄メニューか。まぁ、アレは結構きつい分、仕込みは、かなり多 めにしてある。6色御膳と言うだけあって、6種類のオカズを少しずつ楽しめるメ ニューだ。ジャンとアスカの頑張り所だな。 「15番テーブル、お勧め、ひつまぶし、ウニ魚介パスタ、6色だ。後、デザート に杏仁豆腐4つだそうだ。」  エイディは、注文を取ってくる。メニューまでは聞こえていたが、デザートは聞 こえて無かったが、杏仁豆腐か。そう言えば俊男と莉奈は、好きだったな。 「了解だ。ジャン!アスカ!お勧めと6色の用意だ。」  俺は、ジャンとアスカに、良く注文の来るお勧めメニューと6色御膳の仕込みを 任せてある。なので、軽く調理して、丁寧に盛り付けるように言う。 「士。確カ・・・。」  センリンは耳打ちしてくる。言われて俺は、母親のアンケート結果を見る。 「さすがだな。ビンゴだ。」  俺は、センリンの記憶力に感謝する。成程な。それでアイツ等、今日来たのか。 「んじゃ、用意しなきゃな。おい!勇樹。」  俺は、勇樹を呼び寄せる。そして、センリンに言われた指摘の内容を話す。 「了解。是非、やらせてくれ。」  勇樹は迷わなかった。良い子だ。器用だから、仕込みもバッチリだろう。  こうしている内に、15番テーブル分の食事の用意が整う。それを、グリードが 素早く持って行く。 「ショアン。さりげなく、これを持って行け。」  俺は、ショアンを呼んで、例の物を渡す。さすがは勇樹だ。俺の想像通りの仕事 をしてくれた。後は、雰囲気でも出すか。 「おい。ゼハーン。例の用意だ。」  俺は、ゼハーンにしか出来ない事を頼む。意外な特技を持っているからな。ゼハ ーンは、勇樹の用意してくれた例の物と、15番テーブルの様子を見て、悟ってく れた。一応の為に設置したピアノ台だ。本当は恵辺り呼べば、やってくれるだろう が、この店のスタッフで何とかしたかった。そしたら、ゼハーンが弾けたのだ。俺 も多少は弾けるが、本格的に弾けるのは、ゼハーンとセンリンくらいだ。俺やセン リンは、料理で忙しいので、ゼハーンに頼む事が多いのだ。 「ご来客の皆さん、今日は、レストラン『聖』にお越し戴き、有難う御座います。」  グリードが、マイクを持つ。アイツは、ああ見えて、演説とか得意なのだ。 「今日は、ご来客の皆さんの中に、誕生日を迎えた方が、いらっしゃいます。」  グリードは、そう言うと、エイディが15番テーブルにだけ、蝋燭台を用意する。 こう言う手早い用意は、さすがだ。  すると、ゼハーンが、伴奏を弾き始める。ソクトアで、最も慕われている聖誕祭 の伴奏だ。客も皆、分かっているようで、顔を綻ばせる。  さっき用意した例の物は、勿論ケーキだった。シフォンケーキに特製の生クリー ムでデコレーションしてある。そして、『誕生日、おめでとう!』のプレートを、 あしらえてある。その辺の盛り付けは、勇樹にやらせた。  そう。今日は、俊男と莉奈の母親の誕生日だったのだ。 「ハッピーバースデー!」  皆は、歌い終えた後、拍手をしながら祝ってくれた。客も俺達も拍手をする。 「あ、ありがとうございます!」  母親は、感動しながら、蝋燭の火を消す。すると、より一層の拍手が聞こえた。 この一体感が、俺は欲しかったのだ。  ガリウロルは、俺が思った以上に良い所だと、思い始めていた。  私は、ずっと何かを犠牲にしてきた。  ある時は、相手の組に殴りこみに行って、相手を容赦無く薙ぎ倒した。  ある時は、自分の組の誰かを犠牲にしてまで勢力を強くしていった。  ある時は、止めに来た警察と揉めて、警官を病院送りにした。  そして・・・私の悪行のせいで、弟は私の組に入らざるを得なかった。  私は、自分のせいで、弟の人生を犠牲にしたのだ。  弟は、私が馬鹿やって捕まった後、人斬りに身を落とした。  『絶望の島』での毎日は、贖罪の毎日だった。  まずレイクに出会った。  そして、生意気だったので、私の力を知らしめようと思った。  レイクは、当時10歳だったが、私より強かった。  最初こそ私の方が優勢だったが、木刀を持った瞬間、私は翻弄された。  そして、この男こそ、未来を担う光だと思ったのだ。  それからは、年長者として、レイクを見守る事にした。  レイクは最初、冷たい眼をしていた。  何でも、全てを受け入れると、狂ってしまいそうだからだと言っていた。  聞くと、物心が付く頃から、入れられていたのだと言う。  労働を覚えさせられるだけの毎日だったのだと言う。  教育も、満足に受けさせて貰えなかったそうだ。  しかし、成長する毎に上がっていく剣の腕を見込まれた。  5歳の頃から、ひたすら剣の腕を磨かされる毎日だったそうだ。  毎日、大人相手に、転がされては、起き上がっていく毎日。  しかし、その悔しさのおかげで、10歳にして、恐ろしい強さを持っていた。  そんな中、監視員の手に負えなくなったので、暴れ者の私が入れられたのだ。  多分、私がボコボコにして、大人しくなる事でも望んだのだろう。  しかし、負けたのは私だったし、その時に感銘を受けてしまった。  監視員も、予想外の展開だったのだろうが、今更、引き離す訳にも行かなかった。  なので、そのままにしたのだろう。  私は、レイクを教育しなければならないと思っていた。  この禄でも無い私が、教育とは笑わせるが、レイクは、何も知らなかったからだ。  私が、セントの生活を教えると、レイクは、興味津々になった。  そして、全てが説明し終えると、復唱していた。  今まで興味が無かったテレビも、積極的に見るようになった。  少しでも多くの情報を入れろと、忠告したからだ。  そして、私の目標は、レイクをここから出す事だと、思ったのだ。  その内にエイディが、入れられてきた。  エイディは、何者も信用しないと言う眼をしていた。  何があったのかも言ってくれない。  レイクは、班長となったのだが、困り果てていた。  私に班長になって欲しいと言っていたが、私が許さなかった。  レイクは、人の上に立つ器だと思ったから、責任感を持たせたかったのだ。  そして、何度も何度も諭して、私も、レイクのおかげで変われた事を強調した。  案の定、信じなかったし、挙句の果てに、自分の事を要らない存在だと言った。  その言葉にレイクが切れたのだ。  要らない存在だから、何もしないのか?と。  ここにずっと入れられてきたレイクは、そんな葛藤さえ許されなかった。  それに比べれば、エイディは恵まれているのだと・・・。  エイディは、何度も何度も諭したのが効いたのか、歩み寄ってきた。  そして、気の許せる存在へと変わっていったのだ。  グリードも苦労した・・・。  彼も裏切られて、ここへ入れられた一人だった。  そのせいで、外の班に喧嘩を吹っかけるのが、日常茶飯事だった。  いつも生傷を作って、帰ってくる。  エイディ辺りは、放って置こうとも言っていた。  しかしレイクは、放ってしまったら後悔すると言った。  もうレイクは、私が何も言わなくても、班長として成長していたのだ。  心配だった半面、私はレイクの成長を喜んでいた。  だが、グリードは事件を起こした。  毎日喧嘩を吹っかけた分、凄い数の班に囲まれていたのだ。  私達は、即飛び出していた。  そして、グリードがリンチに遭っているのを見て、レイクは切れた。  50人近い敵を、棒切れ一つ持つ事で、まるで舞うように敵を翻弄したのだ。  そして、全てを薙ぎ倒した後、グリードに向き合って、話をした。  グリードは、責任は負うが、放っておけと言ったのだ。  そしたら、レイクは、胸倉を掴んでグリードを殴った。  そして、『仲間のピンチに黙ってろってのか!ふざけんな!』と言った。  グリードは、その言葉に感動したのだろう。  アレだけ迷惑を掛けていたのに、仲間だと言われた事にだ。  その日、グリードは、レイクの義弟になる事を誓った。  レイクは、私が何も言わなくても、班長だった。  そして、ファリアがやってきた。  私は、一目見て、この女性しか居ないと思った。  私達は、悪友になれるし、仲間になれる。  だが、真に幸せを齎す事は出来ない。  だがファリアは、違っていた。  真の意味で輝いていた。  レイクを幸せにし、そしてレイクが幸せを与える相手は、ファリアしか居ない。  彼女も、セントの犠牲者の一人だった。  自分のせいで両親が自殺し、ここに送られた。  こんな純粋な子が、『絶望の島』に送られる現実を、私は嘆いた。  ファリアは、こんな所に居てはいけない。  レイクも、こんな所で一生を過ごしてはいけない。  グリードやエイディも、ここで終わるような器じゃない。  私は、脱出計画を立てていた。  エイディと一緒に、かなり無茶な計画だが、行けると思っていた。  だが・・・計画は狂いそうになった。  ティーエさんまで巻き込んでの計画なのに、終わって堪るか!と思った。  私は、気が付くと、身を犠牲にしてまでレイク達を逃がしていた。  銃弾をこの体に受けて、これで私も楽になれると思った。  だが皮肉にも、頑丈な体が、死を許さなかった。  それからの毎日は、ほとんど覚えていない。  生死を彷徨った後、私は、人体実験される事になった。  これは、今までの報いだと思った。  だから、このまま朽ちても、馬鹿が一人死ぬだけだと思っていた。  だが、一緒に罰を受けたティーエさんが、私を救った。  毎日毎日、私の世話をしてくれた。  意識の無い私の世話を、やってくれた・・・。  自身もボロボロにされてたと、言うのにだ。  私は、意識が無かったが、ティーエさんが世話をしてくれたのは覚えている。  ティーエさんは、日を負う毎に、元気が無くなって行った・・・。  それでも毎日世話に来る・・・。  3階に行かなきゃ・・・3階に戻らなきゃ・・・。  そう話す時は、苦笑いをしながらだった。  後で聞いたのだが、島主は、私を生かす条件に、3階勤務をしろと言ったのだ。  ティーエさんは、意識の無い私の前では、泣いていた・・・と思う。  でも、3階に行く時は、涙一つ見せなかった。  その内、私の世話をやりきった後に、体の震えを訴えていた。  毎日、私の世話をやりきった後にだ・・・。  それが麻薬だと気が付いたのは、救出されてからだ。  そんな地獄のような毎日が続いた・・・。  ティーエさんは、私の世話をしても、話さなくなった。  夢遊病者のように、私の世話をしては、3階に行っていた。  私は・・・何も出来なかった・・・。  私は、その現状を嘆いて、涙を流す事すら、出来なかったのだ。  諦めかけた頃、レイク達が『絶望の島』にやってきた。  私は、レイクを襲うように命令された・・・。  必死に抗おうとしたが、体は言う事を聞かなかった。  しかしレイクは、私の想像を、遥かに上回る成長を遂げていた。  私は・・・救出された・・・。  そして、横には、ずっと助けたいと思った女性も救出されていた。  私は、贖罪どころか、助けられる立場だった・・・。  このままでは、罪を償う事が出来そうに無い。  4人との再会は、非常に嬉しかった。  4人は、涙を流して、私に許せと言ってきた。  馬鹿だ・・・感謝し足りないのは、私の方だと言うのに・・・。  私は、素直な気持ちを語った。  そして、これからの贖罪の方法を考えて、自然と口が動いた。 「私に、ティーエさんを一任出来ませんか?」  ・・・偽善かも知れない。  だが、どうしても救いたかった。  再び笑える日が来るまで、世話をしなきゃ気が済まなかった。  私が世話をする日々は続いた。  禁断症状を抑える役目・・・簡単では無かった。  だが、私は、喜びに溢れていた。  やっと、贖罪らしい事が出来る・・・と。  だが、ティーエさんを戻したのは、私では無かった。  ティーエさんの従姉妹、センリンさんだ。  私の弟の仲間だと言う。  ・・・弟には、許してもらうつもりは無かった。  私は、何をされても構わないと思った。  断罪をするなら、してもらっても構わない。  だが、弟はしなかった・・・。  私に、レイク達と生きろと言った・・・。  弟は、私の知っている弟では無かった・・・。  とても眩しい光を携えていた。  意識を取り戻したティーエさんは、私に感謝の言葉を述べた。  感謝するのは、私の方だと言うのに・・・。  そして、ティーエさんは、そんな私と付き合いたいと言った。  私にそんな資格は無いと思ったが、ティーエさんがそれを望んだ。  ・・・私は、恵まれ過ぎていると思う。 「ジェイル。シケた面してるね。まーた、考え事かい?」  ティーエさんは・・・いや、ティーエは、呆れたような顔になる。呼び方は、変 えるように言われたのだ。付き合うのに、遠慮は無用だと。 「今までの事を、考えていました・・・。」  私は、どうしても過去を考える事が多い。 「相変わらず生真面目だねぇ。ま、そんなアンタに惚れたんだけどさ。」  ティーエは、気持ちを誤魔化したりしない。本当に、素敵な女性だ。私とは、全 く釣り合ってない。 「自分と釣り合ってないとか思ってない?」  ・・・鋭い・・・。読心術でも持っているのだろうか? 「ジェイルは、顔に出る方じゃないけど、何となく分かるのよ。」  ティーエは、また溜め息を吐く。私の考え癖のせいだ。 「アンタさ。確かに色々無茶やってきてさ。許されない事も、したかも知れない。 でもさ・・・。資格とか考えずに、笑おうよ。」  ティーエは、本当に優しい。 「貴女の前だと、私は年上には見えませんね。」  私は、この女性には敵わないなって思う。 「こんな・・・汚れた私でも、笑えるんだよ?」  ティーエも、あの過去を拭い去れないでいる。 「ティーエ。貴女は汚れてなどいません。輝いています。本当です。」  私は、取り繕う気は無かった。本心からそう思っている。 「人の事言えないなぁ・・・私も、結局気にする癖があるんだ。」  ティーエは、過酷な人生を歩んできたのだ。 「互いに遠慮してるようじゃ、まだまだですね。」  私は、冗談っぽく言う。自虐的だが、笑えてるのなら、前に進めるかな? 「あー。もう・・・。私は、幸せになりたいんだ・・・。」  ティーエは、本心を言う。ファリアやセンリンさんの前では、いつでも、頼れる お姉さんで居なくてはならない。だが、弱音を吐きたい時もあるのだ。 「なりましょう、二人で。じゃなきゃ、弟に怒られます。」  私は、悪戯っぽく笑うと、ティーエの頭を撫でてやる。 「うん・・・。この幸せだけは、逃がしたくない・・・。」  ティーエは、目を潤ませると、私の胸の中に、顔を埋める。 「考え方を変えましょう。あの島の出来事は、私にとっても、ティーエにとっても 悪夢でした・・・。だけど、あの島があったから、私はここに居る。そして、素晴 らしい仲間たちが居る。・・・そして、ティーエも居ます。」  私は、ティーエの背中に手を回す。抱き締めてやった。 「うん・・・。そうだね・・・。そう考えると、悪くない・・・。」  ティーエは、自然と私の唇を奪う。 「これからも、幸せになって、仲間と共に生きたい。その気持ちに、偽りはありま せん。でもそれはね。今の私は、貴女無しでは達成出来ない事になりました。」  私は、ティーエを必要としたし、必要とされている実感もある。 「・・・それって・・・。」  ティーエは、顔を紅くしていた。その仕草は、何とも可愛かった。 「付き合って間も無いので、節操無しに思われるかも知れませんが・・・結婚しま しょう。ティーエ。私は、貴女以外で、そう思える女性が居ません。」  私は、恥ずかしがれずに言えた。それが、自然な事だと思えたからだ。 「・・・ホント、節操無いよ!そんなスピード婚、誰が、認めるって言うんだい?」  ティーエは、口を尖らせながら言う。まぁそうですよねぇ。 「誰も認めてくれないだろ?そんなの可哀想だから、私が付き合ってやるよ。」  ・・・え?今、何て? 「何、ぼけーっとしてるんだい?私の返事が聞きたかったんだろ?」  ティーエは、顔を真っ赤にしながら答える。何て可愛い。 「い、良いんでしょうか?」 「自分で言った事じゃないか!んもう・・・。」  私も間抜けな事を言っているな。ティーエだって恥ずかしいのだ。 「・・・幸せにします。」 「・・・うん。不束者ですが、宜しくお願いします。」  私の言葉に、ティーエは、答えてくれた。ああ。私は本当に恵まれている。  その後は、想いを確かめるように抱き合った。やっぱり、節操が無いんでしょう かねぇ・・・。ショアン辺りに呆れられそうだ・・・。  最近は、色々充実している。何せ、この俺が、レストランの給仕だぜ?信じられ ないと思われがちだが、遣り甲斐はある。何せ、士は料理が上手いし、サービス精 神もバッチリだ。さすがにセントで、経営していただけある。  このレストランが、どんどん大きくなっていくのを見るのは、本当に楽しい。俺 の力だけじゃないが、俺の力も加わって繁盛して行くのが分かるからだ。  最初こそ慣れねぇ事ばかりで、毎日疲れていたが、最近では、レストランの開店 が待ち遠しくなる程だった。何せ、おやっさん・・・まぁゼハーンさんが一緒だし、 ジャンやアスカも、ホントに良い奴だ。それにドンドン腕を上げて行きやがる。シ ョアンさんも、ジェイルの弟だけあって、真面目に取り組んでいる。だが、やっぱ り、料理人の腕がすげぇよな。士もセンリンも、最近では結構手伝っている勇樹も、 何であんなすげぇんだと思う程、美味しい物を作りやがる。ジャンとアスカも、そ れを見て、メキメキ腕を上げていってる。あれは、勇樹が入ったから、余計に頑張 ってる感じだよな。年下に負けっぱなしは嫌なんだろうな。  俺とエイディは、雑用が多い。それは仕方が無い。今更、料理の腕を上げようた って、中々難しい。まずは雑用を完璧に、こなす事が大事だ。地道に努力すれば、 兄貴だって褒めてくれるだろう。最近は、ファリアとの学園生活で、忙しいんだろ うけど、兄貴が幸せそうなら、俺は構わない。・・・俺も、丸くなった物だ。  俺の上司は、おやっさんとショアンさんだ。仕入先の目利きや、上手い運搬方法、 それに店内の雑用での仕込みなど、様々な事を教えてくれた。正直、目が回る程、 忙しい。士の方針で、手を抜いたりはしない。だから、責任ある仕事な訳だ。俺は、 レストランの仕事なんて、楽勝だと思ってただけに、この忙しさは、意外だった。  今日も、ヘトヘトになって、閉店となった。夜食は、天神家が用意してくれる。 瞬とか、兄貴とかの学生組は、全員食べ終わってるだろうが、俺達用に作り直して くれているのだ。マジで有難い限りだ。睦月も葉月も、本当にすげぇ使用人なんだ って思う。この仕事に就いてからは、特にそう思う。  俺達、仕事組が、食事を摂っていると、学生組も混じって、談笑を始める。これ が、また楽しいんだ。兄貴の学園生活を聞く度に、『絶望の島』を出られて、本当 に良かったと思える。最近では、ティーエが正気を取り戻したので、ジェイルも混 じっての談笑が多い。良くなる一方だ。  ちなみにゼリンは、一人の時の時間を、ほとんど修練に使っている。何でも、神 気を取り戻すために、猛特訓をしているのだとか。確かに、神の子としての細胞を 失ったゼリンは、神気の具合がとても弱い。だが、これからの闘いに於いては、そ んなハンデを背負ったままでは駄目だと、自分に言い聞かせているらしい。こうや って見ると、本当に、あのゼリンなのか?と疑いたくなる。兄貴を陥れた奴で、フ ァリアの両親を殺す手伝いをした奴で、エイディを『絶望の島』に入れた奴で、俺 の時も、ゼリンが関わっていたんだろう事は予想が付く。そして、おやっさんも、 兄貴を目の前で奪われた恨みがある。聞いたら、士もセントのメトロタワーに侵入 した時に、センリンを攫われたとか言っていた。ゼリンは、まだ気にしてるのか、 俺達や士達と挨拶する時は、未だに丁寧に挨拶している。そして、未だに罪悪感に 満ちた眼をしていた。  食事を終えた頃、頃合を見計らって、恵が手を叩く。 「今日は、一つ報告があります。」  恵が、皆の注目を集める。こう言う事をやらせると、本当に上手いよな。 「報告?何だろ?」  瞬も、心当たりが無いようだ。どうやら、皆も一緒だ。 「さ、どうぞ。」  恵は、そう言うと、ジェイルの方を見る。ジェイルが? 「皆、私から報告したい事があります。」  何だか改まってるな。それに緊張しているようだな。珍しい・・・。 「ほーら。そんなガチガチで、どうすんのさ。」  ティーエがフォローしている。そういや、付き合ってるんだよな。 「私は、皆のおかげで、こうして元気になりました。ティーエも、元気を取り戻し つつあります。感謝の念は堪えません。」  いきなり感謝された。何だろう? 「私は、未だに皆に借りを返せないでいます・・・。」 「馬鹿・・・。そんな話するんじゃないだろ?」  ジェイルが、畏まっていると、ティーエが注意してフォローしていた。 「そ、そうでした。では、単刀直入に言います。」  ジェイルは、よっぽど緊張しているんだな。何だろうねぇ・・・。 「私は、ティーエと婚約します。それを、皆さんにお伝えします!」  へぇ。ジェイルが、ティーエと婚約かぁ。・・・え? 「ま、そう言う事だから、一つ、宜しくね。」  ティーエは、軽く答えている。いや、それ・・・マジ? 『おおおお!』  皆、ビックリしたようで、感嘆の溜息を漏らす。 「お、お姉ちゃン!!!おめでとウ!!本当ニ!!おめでトーーー!!」  センリンが、真っ先にティーエの胸に飛び込んで、泣き出した。 「ティーエ!やったじゃない!私、嬉しくて・・・。」  ファリアまで涙ぐんでいる。 「ジェイル・・・。俺、実感沸かないけど、やったな!頑張れよ!!」  俺は、ジェイルを励ます。本当にめでたい。 「アンタは、幸せになるべきだ。誰よりも苦労してきたアンタは・・・。」  士は、ティーエに借りがあるだけに、感無量だったのかも知れない。 「あーもう!とうとう先を越されちまったな!ったく!上手くやれよ!!」  エイディは、軽口を叩きながら、ジェイルの背中をバンバン叩く。 「人の幸せの瞬間に同席出来るとは、光栄だ。おめでとう。」  ゼリンは、静かにだが、ちゃんと祝いの言葉が言えていた。 「いやー、スピード婚だねぇ!おめでとう!お二人さん。次はオレ達だな?」  ジャンは、アスカの方を見る。 「う、うん。ウチは、いつでも待ってるよ。でもホント、めでたいね!」  アスカは、ジャンの言葉に恥ずかしながらも、二人に祝辞を述べる。 「本当に、おめでとうございますー!応援してた甲斐がありました!」  葉月は、本当に嬉しそうに言う。 「めでたいな。必ず、幸せになるのだぞ。」  おやっさんは、感慨深く見守る。奥さんの事を思い出してるのかもな。 「貴方達の世話をした者として、こんな嬉しい事はありません。おめでとう御座い ます。どうか幸せになって下さい。」  睦月は、二人の世話をずっとしてきた。その二人の結婚は、心から嬉しいのかな。 「最初は、驚きましたが、とてもお似合いですわ。お幸せに。」  恵は、こう言う時の言い回しは間違えないな。さすがだ。 「俺、こう言う時、どんな事を言えば分かりません。けど、本当に嬉しいんです。 ・・・おめでとう御座います!!」  瞬は、慣れてないが、喜びを体で表現する。素直な奴だ。 「・・・ティーエさん。兄は、愚かでした。ですが、貴方や、レイクさん達のおか げで、真人間に戻りました。・・・兄を頼みます。」  ショアンさんは、俺達や、ティーエに深々と頭を下げる。それに、ティーエは、 微笑みながら礼で答えた。ジェイルは、泣きそうになっていた。 「ほら、兄貴も!」  俺は、兄貴の背中を押した。すると、兄貴は泣いていた。 「ハハッ。何でだ?俺、すげぇ嬉しい・・・。今まで、俺を育ててくれたジェイル が幸せになるの見て、すげぇ嬉しい。なのにさ・・・。何で涙が止まらないんだ?」  兄貴は、止め処無く出る涙を、抑える事が出来なかった。こんな兄貴、初めて見 た。ジェイルを見殺しにしたと、後悔していた兄貴。その兄貴の育ての親代わりだ ったジェイル。そのジェイルが、結婚すると言うのは、兄貴にとっては特別なんだ。 「ジェイルさん。私の代わりに、レイクを育ててくれて、感謝する。レイクは、貴 方の幸せを見て、心に体が付いていって無いのだ。」  ゼハーンさんは、兄貴の状態を分かっている。さすがだな。 「レイク・・・。私は、貴方に感謝し切れません。貴方の、その気持ちは、私の宝 です。貴方と知り合えて本当に良かった。そして、ショアン。貴方に誓う。私は、 ティーエを幸せにしてみせる。それが、今の貴方の気持ちに応える事なんだな?」  ジェイルは、本当に嬉しいんだろう。兄貴とショアンさんに、幸せになる事を誓 う。そうだ。ジェイルは幸せにならなきゃいけない。 「センリン。ここまで来るのに、時間掛けたね。アンタの重荷を取る為にも、私は、 この人と幸せになる事を誓うよ。そして、ファリア。アンタのおかげで私はここに 居る。アンタとの出会いは、私の糧だよ。」  ティーエも、センリンとファリアの頭を撫でながら、幸せになる事を誓った。  こうして、仲間内の婚約が決まった。この光景も、俺の大事な記憶として、覚え て行くことだろう。俺は、この光景を忘れない。  ガリウロルは、良い所だ。正直、セントを離れたら、どうなるかと心配していた 自分が馬鹿らしくなる。あの時は不安であった。だが、それは、これからの生活が 不安と言う訳では無かった。寧ろ楽しみであった。仲間と一緒だったから、何処へ 行っても、やっていけると思った。  私が不安に思っていたのは、自分の事だ。抑えられるか心配だったのだ。自分の 気持ちをだ。兄と会うと思うだけで、脳髄が沸騰しそうになる自分が居た。  兄は、私の汚点だった。兄のせいで私は、人斬りに堕ちて、隠れ住むような毎日 を送ってきたのだ。兄の顔をまともに見れるかさえ心配だった。見れば、この手で 斬りたくなってしまうとさえ、思った。  そして、兄との邂逅。私は、自分で思ったよりも冷静に兄を見つめていた。しか し、目の前の光景が信じられなかった。兄は、まるで別人のように目が澄んでいた。 昔から、義理堅い奴ではあったが、やる事は非道の極みだった。そんな兄が、看病 をしている。しかも甲斐甲斐しくだ。・・・これは、本当に兄なのか?と思う。  話してみると、確かに兄だった。しかし、兄は変わったようだ。ゼハーン殿の息 子が、兄を変えたのだと言う。今では、大事な仲間だと、ゼハーン殿の息子、いや、 レイク殿が言う。私が少し見ただけでも分かる。ゼハーン殿が、レイク殿は器が違 うと、常々話していた意味が分かった。彼は、人を惹き付ける何かを持っていた。  私は糾弾しようとした。だが、出来なかった・・・。兄は、レイク殿の大切な仲 間になっていたからだ。互いが互いを尊重しあう。その姿は、士殿と私の関係に似 ていた。そんな姿を見たら、糾弾する気など、失せていった。  その兄が、看病していた女性と、婚約するのだと言う。これには非常に驚いた。 兄は、独身を貫くと思っていたからだ。それ程、過去の兄は、婚約とは無縁の生活 だった。人は変わる物だ・・・。  レストラン『聖』も、軌道に乗ってきた。偶に、迷惑な客も来るが、良いお客ば かりだった。ガリウロルの風土も幸いしてか、迷惑な客は少なかった。  そんな訳で、私の生活は、充実している。士殿と働くのは、心地良い疲れであっ たし、新しくレストラン『聖』加わった3人も、とても良い者達だった。  それに、天神家が、また暖かい。瞬殿も恵殿も、英雄に値する器だと思うし、と ても良くしてくれる。ただ、恵殿に最初睨まれた時は、困惑したが・・・。事情を 聞いていたので、仕方が無いと思った。私に似ていたと言う天神 厳導。彼は、私 とそっくりな姿で、恵殿を実験動物のように扱ったのだと言う。悪いが、私には信 じられない。私にそんな趣味は無いし、やってはならぬ事だ。  今日も私は、天神家で食事を摂る。毎日思うのだが、藤堂姉妹は、何者なのだろ うか?毎日の献立が全然違うのに、どれもレベルが高く、士殿やセンリン殿よりも 腕が上なんじゃなかろうか?と思わせるような料理を出してくる。士殿曰く、あれ が、プロ中のプロなんだそうだ。  今日の出来事などを談笑した後、大浴場に入る。恵殿専用の浴場があるらしい。 後は、男用と女用の浴場で分かれていて、時間帯毎に違う人が入る感じが多い。今 日は、私が一番最後だ。  セントの時は、シャワーで洗い流す程度で、風呂に入ると言う感覚が無かったが、 ガリウロルでは、風呂に肩まで浸かって、体を温めるのが、普通なようだ。最初は、 かなり抵抗があったが、これがかなり気持ち良いと言うのを覚えたら、癖になって しまった。次の日に疲れが物凄く取れるのだ。 「ふー・・・。」  私は、つい溜め息を漏らす。しかし、これは呆れた時の仕草では無く、気持ち良 い時に自然に出る仕草だ。私も、歳をとったかな・・・。 「あの兄が・・・婚約・・・か。」  私も適齢期など、とっくに過ぎているが、兄は、それ以上なのだ。良くあれで、 婚約まで取り付けた物だと思う。ティーエ殿は、美人だし、正直羨ましいと思う。 兄もそうだが、私も女っ気がある生活をして来た訳では無い。  今の生活は充実しているが、これから相手を探すとなれば、大変なのだろうな。 「ま、じっくり探すのが一番か・・・。」  私には、私なりの探し方もある事だろう。・・・まぁ全く見当が付かないのが、 悲しい事ではあるが・・・。 「失礼します。」  ・・・え?だ、だ、誰だ!?声からして、女性だ。 「ど、どなたかな?」  私は、ビックリしたので、タオルで前を隠しながら、尋ねる。 「睦月で御座います。お背中を流しに参りました。」  む、睦月殿か・・・。って、安心している場合では無い。 「け、結構で御座るよ。」  私は、つい声が上ずる。この状態は一体・・・? 「そう言わずに。私は、この家の使用人です。コレくらいの世話はさせて下さい。」  睦月殿は、何も気にせず、入ってくる。私は、そう言われては、断る理由も無い ので、椅子に腰掛ける。何だか照れる・・・。 「凄い傷ですね・・・。つい最近のも、ありますね。」 「分かるのですかな?さすがですな。」  睦月殿の言葉に、私は素直に感心した。医学の知識があるとは聞いていたが、傷 の状態だけで、いつの物か分かるとは、中々凄いな。 「酷い傷です・・・。こんな怪我をするくらいの事を?」 「やせ我慢ですよ。仲間を庇って、付けた傷です。」  私は、『オプティカル』の連中にやられた事を話した。アスカ殿を庇っての事だ。 仲間を庇っての傷なら、私にとっては誇らしい。 「『剛壁』などと呼ばれてましたからな。体だけは頑丈なんですよ。」  私は、『ダークネス』の時の呼び名を教える。 「こんなに傷付けて・・・。体が悲鳴を上げても可笑しくありません。」  睦月殿は、背中を流しながら、傷に触ってくる。嫌な感じはしない。愛おしそう に触ってくる。何だか、妙な気分になってくるな・・・。 「こんなに逞しくなられて・・・。」  睦月殿は、前の方の傷と、私の秘部に触れようとする。 「む、睦月殿!な、な、な、何を!?」  私はビックリして、飛び退いてしまった。 「・・・私に言わせる気ですか?誘っているのですよ。」  誘って?って、ええ?ど、ど、どう言う・・・。 「私の事は、聞いていますよね?・・・中古じゃ、お嫌ですか?」  む、睦月殿?目を伏せている。泣きそうにもなっている。 「ま、待って下され。驚いただけで、べ、別に嫌な・・・訳では。」  私は、ついドモってしまう。こんな経験は初めてだ。 「でも、どうして私なのだ?・・・そんなに、似てるのですか?」  私は、訳を尋ねようとして、止めた。分かってはいる。聞いた話だ。私が、睦月 殿の最愛の主人だった天神 厳導に似ていると言うのは、何度も聞かされた話だ。 「引いているようで、ちゃんと興味は、お有りのようですね。」  私が、厳導の事に付いて、尋ねるのを見て、睦月殿は、私を熱っぽく見る。 「恵様は、貴方は、厳導様に全く似ていないと言っています。そう思うのも、無理 はありません。厳導様は、恵様には、いつでも厳しく、耐えさせ、そして、完璧な 躾を行っていました。言動も泰然としてらっしゃった。貴方は違う。」  睦月殿は、厳導の事を話す。なる程・・・。 「でも、私の知る厳導様は、貴方にそっくりです。」  そうなのか?そっくりだから、こんな事を? 「でも、厳導様とは、決して結ばれない定めでした。体を重ねた事はあります。で も、私は、妻よりも使用人を選んだのですから。」  睦月殿の決意は固かった。そこまでさせる心が凄い。 「そこに、貴方が現れた・・・。厳導様に顔付きも、体付きも似ていて、仕草まで 似ている・・・。貴方の事を聞いたら、心の奥底まで、似ていた!!」  睦月殿は、叫ぶように言う。外に響かない程度にだが。 「私は、厳導殿の代わりなどなれないし、なるつもりも無い・・・。」  私は、悲しい目で言った。当たり前だ。別人なのだから。 「代わりになるつもりは無い?・・・笑わせますね。貴方の生き方は、厳導様そっ くりなんですよ。私の目には、厳導様の生き写しにしか見えないんです。」  睦月殿は、それでも諦め切れないらしい。 「そんなに、似ているのですか?私は・・・。」  聞いた話と違うと思った。 「厳導様は、非道のように思われている。実際に恵様には、力を持たせる為に、実 験のような事もしました。だけど、それは、この家を守る為だったんです。・・・ 厳導様は、自分の力では、天神家の存続が危ういと知っていたのですよ。」  厳導の帝王学は、凄まじい物だったと聞く。特に恵殿には、期待が大きい分、凄 まじい特訓を課したのだとか。 「恵様は、本当の意味での天才です。何をやらせても、ズバ抜けた才能を発揮し、 吸収するように覚えていった・・・。その凄さに、厳導様は、喜んでいました。」  睦月殿は、自分の事のように言う。いや、本当にそう言う気分なのだろう。 「あの人程、天神家を愛していらした方は居ない。そして、その存続の為には、何 でもやった。汚いと言われる手も、堂々とお使いになった。全ては、恵様の為、そ して天神家の為なんです。」  ・・・そうか・・・。私が生きて行く為に、人斬りを選んだように、厳導も、生 きて行く為に、どんなに非道と言われようとも、天神家を存続させたのだ。 「その厳導様が、最も許せなかったのが、真(しん)様でした。」  許せぬ相手・・・か。私にも居たな。 「真様は、清貧なお方。王道を貫くようなお方でした。空手を継がない厳導様を、 咎めはしなかったのですが、天神家の黒い噂は、我慢出来なかったのでしょう。厳 導様を叱りに来ました。」  天神 真。厳導の義理の父親であったな。瞬殿の言う事では、真っ直ぐで、強く 正しい空手を目指すように、瞬殿に教えを説いた人物であったか。 「真様は、天神家を大きくするのには、反対しませんでした。寧ろ、厳導様の成果 を見て、素直に喜んでいたくらいでした。しかし、その為に非道な手を打つ事に対 して、烈火の如く怒りました。」  そうか・・・。強く正しいを目指す真殿にとっては、許せぬ事項だったのだな。 「ですが、厳導様は退きませんでした。この家を守る事が全てだと・・・。どんな に蔑まれても、この家を守ると言ってました・・・。そして、真様に勘当されたの です。・・・譲れなかったのです。」  そんな事が・・・。厳導もまた、頑固な人物だったのだろうな。 「厳導は、何故、そこまでするのだ?」  私は、疑問に思った。父に嫌われてまで、守ろうとする。そして、それが原因で、 私と兄のように確執を作ってまで、守ろうとする家とは? 「約束・・・です。私との誓いです・・・。」  睦月殿との・・・誓い? 「厳導様は、恵様が産まれた後、私に対して、誓ってくれました。私を、ソクトア で一番の家に仕える使用人にしてやると・・・。その約束を守る為なら、何でもし てみせると、誓ったのです・・・。」  睦月殿は、涙が止まらなかった。メイドとの誓い。恐らくは厳導が、一番愛した 睦月殿との誓いの為に、厳導は、あらゆる手を使ったのだ。 「私は、それに応える為、全ソクトアご奉仕メイド大会に出場しました。私が、ナ イアに勝ちたかったのは、厳導様に私の晴れ姿を見せたかったからです。」  そうだったのか・・・。そんな意味が込められていたのか・・・。私も、このミ サンガに誓った。仲間の為に、どんな事でもやろうと。このミサンガがある限り、 仲間であり続けると・・・。 「睦月殿の言う通りだ・・・。私にも覚えのある事ばかりだ。」  厳導は、ただこの家を守り、大きくさせる事を、睦月殿に誓ったのだ。 「厳導様は、その為なら、自分の体さえ惜しくなかった。恵様は、自分が殺したと 言っていますが、違います。・・・厳導様は、恵様が自分を殺しに来る日を待って いたのです・・・。この家を継いで貰う為です・・・。恵様に継がせる頃は、天神 家の財政は、限界だったのです・・・。それを立て直したのは、恵様です。」  厳導は、天神家の為に、自分を犠牲にしたと言うのか・・・。 「確かに、継いだ後は、物凄く忙しかったと聞いていた。無能な使用人を全てクビ を切り、有能な使用人で固め、自らのアピールをしつつ、上がったイメージを利用 して、睦月殿に対応を任せたと聞いている。睦月殿が凄いと思っていたが・・・。」  私は、瞬殿から、その辺の事情を聞いていた。その時は、有能な使用人なんだと しか思わなかった。 「それが、どれだけ難しい事か分かってますか?有能と、無能を見分ける眼、自ら をアピール・・・。それだけでイメージを上げるセンス。そして、対応をした私が、 どう動けば良いかの指示まで、恵様はこなしてらっしゃった。」  そ、そうなのか・・・。恵殿は、凄いとは思っていたが、そこまでの・・・。 「天神家が、真の意味で輝いたのを見て、厳導様の眼に狂いは無かったと、確信し ました。だから私は、恵様を信じているのです。」  そうか。不思議に思っていたのだ。厳導が、恵殿に殺されたと言うのは、聞いて いたが、何故、厳導を愛していた睦月殿が、仕えていたのかをだ。 「厳導様が見れなかった夢。天神家をソクトアで一番にしてみせる。その夢を、現 実にしてくれる人に、私は仕えているのです。これ以上無い幸せです。」  睦月殿の強い想いを感じた。 「ここまで似てるんです。私は貴方を、厳導様の生き写しにしか見えません。」  睦月殿は、話を戻す。 「そうか・・・。だが私は、やはり代わりになど、なれぬ。・・・余りにも、強い 生き方だ。厳導は・・・。」  私も、仲間の為に、命を懸ける覚悟はある。だが、身を犠牲にして、次代に繋ご うとするまでの意志を、私は持ち合わせていない。 「代わりになるだなんて、思わないで戴きたいです。」  睦月殿は、私が厳導の代わりになる事を、真っ先に否定する。 「ただ、私が、我慢をすれば良いだけの事です。余りにも似てるので、混乱してし まいました。申し訳ありません。」  睦月殿は、そう言うと一礼をして、出て行こうとする。  ガシッ!  私は、睦月殿の手を取っていた。 「まだ私に用ですか?」 「・・・我慢出来なくなったのでしょう?」  私は、睦月殿の手を取ったまま、言い返す。 「私が、そこまで似ているから・・・面影を追ったのでしょう?」  私がそう言うと、睦月殿は、震えていた。 「そう・・・です・・・。そうですよ!そうよ!!」  睦月殿の口調が激しくなる。 「私は、今も幸せ!だけど、隣に厳導様は居ない!!でも・・・でも、恵様が居る! だから、厳導様を近くに感じるようで、嬉しかった!楽しかった!!」  睦月殿は、手を震わせていた。 「忘れようとしたの!そして、厳導様を近くに感じたかったの!!それだけで、幸 せだった・・・。幸せだったの・・・。」  睦月殿は、そこまで言うと、目に涙を溜める。 「でも!貴方が、やってきた!!どんな人か、聞くだけで、ゾッとしたの!!貴方、 何で厳導様にそんなに似てるのよ!!信じられないのよ!!そんな似てる人が存在 してるなんて!!だから、厳導様を初めて受け入れた時の状況まで再現した!!」  ・・・そうか・・・。この状況は・・・。そうだったのか。 「でも、代わりなんてあんまりなの!!私は我慢出来なくなっていたけど、このま まじゃ・・・。私は、厳導様にも貴方にも、嫌われる!!嫌われちゃうのよ!?呆 れられるの!!遠くなっちゃうのよ!!」 「睦月殿・・・。貴女は、そこまで・・・。」  なんて深い愛だ。そして、なんて気遣いの出来る人なんだ。我慢出来なくなって、 私を誘惑する行為にまで、気遣いをしていたのだ。そして、そうまでしても、厳導 を近くに感じたかったのだ。だけど、この行為は、厳導を遠ざける行為だと気が付 いたのだろう・・・。 「私、どうすれば良いのよ!!どうすれば・・・。ううううぅぅぅぅ!!」  睦月殿は、限界が来ていたのかも知れない。想いを抑えられなかったのだ。それ を、誰が責めると言うのだ・・・。 「睦月殿・・・。私は、厳導では無い。・・・だけど、貴女のその行為を責めはし ない。それに・・・私に出来る事は、無いだろうか?」  私は、この直情的に訴える女性に、惹かれていた。この深い愛をまざまざと見せ てくれた女性に、惚れてしまっていた。 「分からない・・・。分からないんです・・・。」  睦月殿は、今にも壊れそうな声を出す。・・・私は覚悟を決めた。 「睦月殿・・・いや、睦月。私を見てくれ。」  私は言い方を、わざと変える。 「私は、睦月の長年の想いを、無駄にして欲しくは無い。私で代わりが務まるのな ら、努めさせてくれ。」  そうだ。この人は、ずっと想いを抑えてきた。それを吐き出させなきゃ駄目だ。 「私なんかで良ければ、使ってくれ・・・。」  厳導としてでも良い。睦月殿の想いが、砕けないようにしたいのだ! 「馬鹿です。貴方は・・・。そんな所までそっくりです。」  睦月殿は、ボロボロと泣いた顔のまま、私の胸に抱きついてくる。私は、何も言 わずに受け止めてあげた。 「厳導様ぁ!厳導様ぁぁ!!」  睦月殿は、本当に、子供のように泣き始めた。ずっと抑えてきたのだろう。皆の 前では、絶対見せなかったであろう涙が、そこにあった。  そして、泣き止むまで待ってやった。 「・・・貴方は・・・。馬鹿です。」  睦月殿は、そう言うと、泣き止んだのか、ニッコリ笑う。 「自分を犠牲にしてまで、私に厳導様への想いをブチ撒けさせるなんて。」  ・・・そうだな・・・。私も馬鹿な男だな。 「私なんかでは、本来代わりにすら、ならんだろうよ。」  そうだ。この人の想いは、私の想像以上に深い。 「当たり前です。厳導様は厳導様なんですから。」  睦月殿は、さっきまで、アレだけ泣いていたのに、笑っていた。 「それに、代わりとか思っては、厳導様にも、貴方にも失礼です。私に、そんな失 礼な事をさせるなんて、非道なんですね。」  睦月殿は、口を尖らせていた。 「あ、ああするのが良いと思ったのだが・・・。申し訳無い。」  私も、感情だけで動いていたからな。 「謝らないで下さい。非道な人は、謝っても嘘っぽく聞こえます。」  うぐぐ。完全に怒らせてしまっただろうか・・・。 「でも、そんな非道な人でも、お客様ですからね。肩が冷えてますから、お背中を 流しますよ。風邪を引かれて、私のせいにされたら堪りませんから。」  酷い言われようだ・・・。失敗したかも知れぬな。私は、黙って背中を向ける事 にした。ここまで言われたら、やってもらうのが筋だ。背中を丁寧に洗ってもらっ て、お湯で流して貰った。 「ありがとう御座いま・・・え?」  私は、礼を言うのに、振り向こうとしたら、目の前に睦月殿の顔があった。そし て、唇に、何かが押し当て・・・って唇? 「・・・。」  私は、脳が付いて行かない。何が起こったのだ? 「ぼけーっとしないで下さい。」  睦月殿は、そう言うと、頭からお湯を掛ける。 「おうわ!い、い、今のは、キ、キスで御座ろうか?」  やっと頭が追いついてきた。私はキスされたのか?しかし何故? 「隙だらけでしたからね。修行が足りないんじゃないですか?」  い、いやそういう問題じゃない気がするのだが・・・。 「む、睦月殿、私は、厳導殿の・・・。ブワ!!」  私が言い掛けると、睦月殿は、お湯を顔に浴びせてきた。熱い・・・。 「勘違いしないで下さい。厳導様の代わりなんか、誰にも出来ないんです。」  む・・・。それは分かっているのか・・・。 「貴方が、お人好しなので、ご褒美を上げたまでです。」  ご褒美?と言うと、今のは、代わりとしてでは無く、私とする為に? 「これでも、軽い女じゃないんですよ?私は。・・・喜んで下さいよ?」  睦月殿は、顔を真っ赤にしながら、口を尖らせる。なんて可愛い・・・。 「う、嬉しいです・・・。私を見てくれるとは・・・。」  睦月殿は、厳導としてでは無く、私を気に入ってキスをしてくれたのだ。 「分かれば良いです。勘違いは厳禁ですよ?」  睦月殿は、怖い眼で睨んできた。私は首を縦に振る。 「・・・私は、貴方の事が気に入りました。お付き合いしたいのですが?」  睦月殿は、かなり可愛い仕草で、私に言う。 「私のような、中年で良いのか?」  私は、中年と呼ばれる年齢だ。否定は出来ない。 「中年?それが何の障害に?貴方のようにお人好しで、貴方のように頑固で、貴方 のように自分を犠牲に出来る人なんて、中々居ませんよ。そんな貴方を気に入った んですから、気にして貰う所が、違うとしか言いようが無いですね。」  睦月殿は、私の事を、本当に気に入ってくれたようだ。 「返事を聞きたいんですけど?」 「ああ・・・。勿論、私は受けます。と言うより、嬉しすぎてヤバいのですが。」  睦月殿の返事に答える。こんな綺麗な人が、私と付き合いたいと言っている。断 る理由が無い。 「私は、皮肉屋だし、お古ですよ?」 「止めて頂きたい。私と付き合うのなら、自分を卑下しないで戴きたい。私は、厳 導に、深い愛を持っていた貴方に惚れたんですから。」  私は言いたい事を言ってやった。睦月殿は、気にし過ぎていたからな。 「互いに気を付けなくては、いけませんね。」  睦月殿は、悪戯っぽく笑う。何て可愛いのだ・・・。 「私は、未だに至らぬ男だ。それでも良いなら付き合ってくれ。」  私は、ちゃんと返事を返す。 「至らなくて良いんですよ。そこに惚れたんですから。」  睦月殿は大胆だ。もう、隠す気も無いらしい。それでも、顔を真っ赤にする辺り が、とても可愛らしいのだが。 「皆に説明するのが、大変そうだ・・・。」  私と睦月殿、いや、睦月なら、厳導の事が話題に上がらない訳が無い。 「自信が無いのですか?私はありますよ。厳導様への想いは消えてないけど、私は、 頑固者のお人好しを好きになったんだって言えますから。」  睦月は、もう覚悟を決めている。強い女性だ。 「私も覚悟を決めた。気遣いが出来て、想いが強い貴方に惚れたんだとね。」  私は言い返す。 『プッ。ハッハッハ!』  私達は、互いに笑う。こんな褒め合いに何の意味があるのか?  互いに良い所に惚れたと宣言する。それだけの話だ。  私は、誰よりも深く愛する姿を見て、惚れたのだから・・・。