#57 日光ツーリング 長旅の相棒

足尾

5月の連休は日光へ
不屈のツーリングライダー・こやひろさんのお誘いで、夫とともに、真夏ならぬ真春のツーリングに出かけた。
行く先は、スギ花粉も無事終息した日光である。。
クラッチのマスターシリンダ交換を終えて、久々に乗るモンスターは絶好調だった。
バイクパーキングから、首都高で都内を抜け、東北道を走る。
モンスターのパワーは相変わらずだけど、今はもう、怖いとは思わない。
私が引き出すモンスターの能力は、私がコントロールできる範囲でしかない。
これは、卑屈な気持ちではなく、今の私の自信である。
私は、モンスターに、自分の意に染まぬ動きなどさせない。
その代わり、とっても遅いが。
緑の木立を抜けて
宇都宮ICで高速道路を降り、大笹牧場目指して日光街道を走る。
日光街道は、春の日差しと緑の木々が春の心地良さを感じさせて、最高のルート!
・・・になると思ったのだが、同様に考えた人が多かったらしく、あっという間に渋滞にはまる。
最近、ようやく苦にならなくなってきた「平地でのUターン」をして、脇道に入った。

脇道から霧降高原道路を経由して、大笹牧場でいざジンギスカン!
・・・のつもりだったが、牧場は連休らしい、猛烈な人出で、我々は撤退を余儀なくされた。

早々に下山し、全く想定外だった蕎麦屋で昼食のテーブルを囲んだ後は、東照宮裏手の軽めの林道に入ってみることになった。
モンスターで林道?
一瞬引きそうになったけど、すぐに、行ってみたい!という気持ちが沸きあがってきた。
自分の腕前で、モンスターを運転する時に、やって大丈夫なこと、やったらイタイ目にあうことの区別はちゃんとつく。
やって大丈夫なこと、つまり安全第一の乗り方をすればきっとちゃんと行ける。
実際、私は、とても自分らしい遅いペースで、うっそうとした林道をまったりと走っていった。
が、結局林道は行き止まりで抜け道にはならず、モンスターを取り回して引き返すことになってしまった。

そんな悩ましいルートの後、こやひろさんが案内してくれたのは、足尾銅山の町だった。
足尾銅山といえば田中正造、明治時代の鉱毒事件で有名な場所。
今は小さな山間の町といったのどかな雰囲気で、歴史の重さは感じても、暗さは感じられなかった。
遺跡みたいな廃工場を見上げる広場はむしろ明るく広く、春風が心地良かった。
今まで言葉でしか知らなかったこの場所へ、同じモンスターに乗っていたことがきっかけで知り合ったバイク仲間が連れて来てくれたのだ。
そう考えると、何だか不思議で、そしてうれしかった。

帰り道は、黒保根やまびこの道の駅で出会った地元のライダーに道を教えてもらったりしたけど、やっぱり渋滞だった。
というか、先導の夫が、教えられたのとは違う道に突入してしまった(しかも確信犯)のだけど。
我々は、大変な?紆余曲折を経て、なぜか高崎から関越に入り、上里で解散したのだった。
でも、誰も文句なんて言わなかった。
1日中、走り回って楽しかったのだ。
流されない 惑わされない 立ち止まらない
長い道中、私は、モンスターと過ごしてきた3年半、約18,000kmを思い起こしていた。
上達がとにかく遅いことに、めげたりくじけたりしながら練習してきた時間。
雨に降られ風に吹かれ日に焼かれて旅してきた道のり。
考えてみたら、あっというまだった。

モンスターを乗りこなせなくて、乗りこなせるようになりたくて、講習会やライディングスクールにも通ってきた。
でも、長年染み付いた「下手さ」は頑固で、ちっとも思うように腕は上がらなかった。
もしかしたら、一生、下手なままなのかもしれない。
他の人のように、練習した分だけ上達するなんてことは望めないのかも。

だけど、ひとつだけ、自信を持って言えることがある。
それは、私は落伍者ではない、ということ。
上達しなくても、そのことが辛くても、逃げたり投げ出したりはしない。
今までずっとライダーでいて、これからずっとライダーでいる。
何ものにも流されず惑わされず、立ち止まらずに走り続けていく。
初めはおっかなびっくりでしか乗れなかったモンスターとだって、そうやって少しずつ知り合って、相棒になったのだ。
・・・マスター オブ モンスターへの道は、果てしなく遠いけど。

さて、そんなこんなの日光ツーリング、走行距離は440km。
その間、モンスターを運転することを怖いとは思わなかったが、さすがに疲れて、体力不足を痛感してしまった。
これからは、長距離ツーリングに耐えられる体力づくり(というか、年齢的に体力維持!?)が必要なのかもしれない。

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