#9 ひとりだち

4月は旅立ちの季節だと思う。
私も免許を取って半年、そろそろ旅立たなければなるまい。
・・・というような明確な意思があったわけではないが、ソロツーリングに行くことにした。
今まで一人で遠くへ出かけなかったのは、ひとえに転倒した場合の再起動に自信がなかったから。
「サンプラザ中野はな、コケたら、サンプラザ中野です、ご協力お願いします、って、周囲に助けを求めるんやて。」
夫がソロツーリングの裏ワザを教えてくれるが、私は有名人じゃないので、その手は使えないだろう。
でも、このごろ立ちゴケしないし、転倒するような攻めの走りはできないし、そろそろ独り立ちしてみよう。

当初は、今まで行ったことのない海を見に行きたいと思っていた。
でも、夫は仕事が「天王山尾根歩き」状態だとかで、放っておくと、飲まず食わず眠らずヒゲ剃らずでPCに向かい続けてしまう。
昼食の準備ができるくらいの時間には、帰ってこないとダメだな。
しょうがない、追浜行ってくるか。
追浜は、船舶海洋技術者にとって因縁浅からぬ場所である。
私も昔は、ほとんどの先輩たちがそうであったように、いずれここにある研究機関に出向し、修行を積んで、2,3年後に会社に戻って、それから・・・というキャリアをたどることを信じて疑わなかった。
実際には、私の職業人生は、社内の誰にも似ていないものになってしまったけれど。
まあ、そんなことはどうでもいいか。

そんなわけで、私のひとり立ちツーリングは、「追浜行ってJAMSTECの前でマル描いて戻ってくる」という情けないコースに決まった。

我が家から横浜方面に向かうには、何通りもの行き方があるが、この日は当然、自分が一番気に入っているルートを通る。
密かに「山越え」と呼んでいる、綱島街道を通るルート。
町を見下ろす丘の上を通るのが、とても気持ちいい。
風で桜の花びらが舞う中、緩いカーブをひとりたどっていく。

横浜から横須賀へ、まだ混み合わない国道を交通の流れのスピードで進んだ。
消防署の横に、綺麗な銀色のFAZERが停まっている。
警察の前には「事故」の表示を出した警察の車輌。
そばに止まっているパトカーが事故を起こしたのかと思い、しげしげ眺めていると、警官のひとりが、違う違う、と目で訴えてきた。

追浜の駅前を左折し、夏島町に入ると、交通量が徐々に少なくなっていく。
確かなような怪しいような記憶を頼りに進むと、思っていたのとは違う場所に出てしまった。
でも、突き当たりは海、当然対向車なし。
これはここでUターンするしかないだろう。
走りながらのUターンは、プロでも難しい、と雑誌の記事に書いてあった。
それでも、まわる。
右にバンクする。
すうっ、と風に肩を抱かれたような気がした。
左手に、できたばかりの公共施設を見ながら、ゆっくりと通過する。
・・・結局今回も、右折小回りしただけか。

帰路、国道沿いのコンビニで休憩した。
缶コーヒーを飲みながら、ひとりなんだなあ、と唐突に思った。
もちろん、バイクを運転するのは、グループツーリングでも、タンデムでも、「ひとり」なんだけど。
今まではそういう風には、考えたことがなかったかもしれない。

以前、友人からこんな話を聞いた。
精神的に疲れてしまったら、一番好きな場所、近所の土手でも、写真で見ただけの北アルプスのお花畑でも、どこでもいいから思い浮かべて、そこに、好きな人をお招きしていい。
そして、幸せなひとときを過ごしているところを想像する。
でも、時間が過ぎたら、その人にはお引き取り願わなければならない。
そしてその後、自分もその場所を離れて、歩き出さなければならない。

会った人は、いずれ離れて、思い出という物語の登場人物に変わる。
風のように、通り過ぎていくバイク乗り達。
たぶん、もう逢えないと思う。
技術を高め、知識を深め、心を強く持って、走り続けること。
私にできるのは、そんなことぐらい。
でも、もしかしたら、私の予測などはるかに超える偶然で、再会することがあるのかもしれない。
社交辞令というのも、確かにあるけれど、お互いに、また会いましょう、と思った相手とは、いつかきっと、会えるような気もする。
いつか、どこかの路上で。

こんな小さな外出ですら、正確には目的地にたどり着かなかったのに、これからは、一人でどこへでも行けそうな気がした。
というより、ひとりで行かなければならないような、もう、誰にも依存してはいけないような、そんな気がした。

ソロツーリング、とはとても言えない外出だったけど、この日、何かに決着をつけた。
帰宅後、ちょっと遅い昼食を取りながら、ふと、こんな提案をしてしまった。
「来週は、私が前を走るから、ツーリングに行こうね。」
おお、しっかり連れて行ってくれ、と夫はこともなげに答えた。

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