Lesson6 赤城・足尾で立ちゴケツーリング
カウルに擦り傷(2008/11/09)

この秋最後のツーリングに行こう
久しぶりに、会社の二輪車倶楽部のメンバーで日光方面へ行こう、という話になった。
ひたちなかへの一人旅がつつがなく終わり、白バイ大会の感動と興奮が残っていることもあり、何だかどこへでも1098Sで行けるような気になっていた。
が、それは結構、大きなマチガイだということを思い知る・・・それが今回のツーリングの隠されたテーマだったのだ。
新しいヘルメットで調子に乗って
会社の二輪車倶楽部では、「ルート選定委員会」と称する本社の有志メンバーが、昼休みに相談してツーリングのルートを決める。
今回の委員会は、隊長、青トラ、私の3名。
自分が、まだ1098Sで2000kmも走っていないことをすっかり忘れて、調子に乗って選んだルートは以下の通りだった。

関越道・赤城IC→県道70→R353(昼食:赤城高原クローネンベルク牧場)→県道333→R122→足尾銅山→県道15→県道32→東北道栃木IC

ATAさんにカスタムペイントしてもらった新しいシューベルトでの初ツーリング!
私はひとり、思いっきり浮き足立っていたのだろうと今思う。
初めての立ちゴケ
当日は、曇ってはいるが降水確率は低い、ツーリング日和と言うか、走っても寒いだけと言うか、微妙な天候だった。
集合場所の高坂SAに集まったメンバーは13名、何だか不吉だな〜、と思ったが、私はクリスチャンではないので、気にしないことにした。
赤城ICからクローネンベルク牧場までは、比較的順調だった(と思う)。
もちろん、大型バイクの加速は緊張を強いられるし、足つきの悪さも不安要因として常につきまとう。
それでも、身体にぴたりと密着するような感覚が先に立ち、走っていて楽しかった。

が、やはりかなりムリをしていたと言うか、いっぱいっぱいだったのかもしれない。
赤城クローネンベルク牧場の駐車場で待っていたのは、
「ほとんど立ちゴケに近い低速ゴケ」だった。

駐車場で、13台のバイクを停められる場所を探して、低速で移動する。
停車している乗用車の横を通った時、あ、少しラインがクルマに近すぎた、という思いが頭に浮かび、通り過ぎたところでぐらり、左に傾き・・・そのまま倒れた。

マフラーの下敷きになった左足が、じゅわっ、と焼肉になった気がした。
ヤケドしたかな〜、と妙に醒めた気分でキルスイッチを切り、足を引っ張り出した。
二輪車倶楽部の若いメンバーが駆け寄ってきて、バイクを起こすのを手伝ってくれた。
正直、一人では起こせなかったろうと思う。
3人がかりで起こしたバイクをチェックすると、カウルに擦り傷、ステップは車体にのめりこむ寸前、そして何よりも、クラッチレバーが折れていた。
講習会で、あるいは特練で、あんなに低速の練習をしてきたのに、低速で失敗してしまった。
やっぱり私、才能がないのか?
努力の仕方が間違っていて、技能の向上が進まないのか?
「どんなベテランだって、立ちゴケはするさ。」
夫の言葉にわずかな慰めを見出しつつ、気分は快曇だった。
右側は無事です
苦難苦労の足尾行
善良なる仲間に元気付けられ、ソーセージもおいしく味わって牧場を後にしたが、そこからは難行苦行の道行きとなってしまった。
クラッチレバーの塩梅がいつもと違うので、発進が思うようにスムーズにできない。
低速コントロールが更に悪くなっていて、峠道でリアが滑る。
GSから右折で出るのがなかなかできない。
失速して転倒、というオチにならないのが不思議なくらいだった。
当然、思いっきり(可能な範囲で)速く走る!なんてムリムリである。
「さっきの最初のカーブ、滑りましたよね。ボクも滑ったんですけど、あれ、何だったんでしょう?」
休憩の時、青トラが話しかけてきた。
ホントは彼は滑らなかったのかもしれない。
でも、その気遣いがうれしくて、思わず笑顔になってしまった(滑った話をしてる最中なのに・・・)。

今回の、というか、最近二輪車倶楽部は若者の参加が増えていて、その分車種も多岐に渡るようになっている。
大型二輪ばかりではなく、エストレヤやスクーターなど、250ccクラスも参加するので、比較的ペースはゆったりめである。
そのことでも、どれだけ今回救われたかわからない。
ATA Designのヘルメット二人組
首都高の冷たい雨に打たれて
幸い、左足は熱かっただけでヤケドはしていなかった。
今回も、革パンでブーツでタイツも履いてるのに・・・1098Sの高熱、おそるべし。
気温は1日低いままで、1098Sの外気温度計で見た限りでは、せいぜい12℃までしか上がらなかった。
それでも二輪車倶楽部、なぜか、「寒い」と文句を言う者は誰もいない。
毎度のことながら、日光方面(でもないか?)のツーリングは長距離になるのだが、思ったほど疲れなかったのは、仲間と一緒に走ったから、なのかも知れない。

それが何より証拠には、解散後に通った雨の首都高は、やっぱりいつも通りつらかった。
雨は仕方がないのだが、私の利用する羽田出口は、なぜか右車線から高速を降りる構造になっているのだ。
遅い私は、右車線に入ろうにもタイミングがつかめず、いつも羽田ギリギリでの車線変更になってしまう。
夜の首都高、しかも雨なのに、何でみんなそんなに飛ばすんだ!!
夫にははるかに引き離され、怖くて孤独な走行を続けながら、やっぱり一人でどこへでもいけるようになるには、もっと経験を積まなければ、としみじみ思った。
今回までの走行距離 1854km

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