たぶん月報

9R(左斜め前)


2005年3月号(2005/03/30発行)

早春の楽しい出来事を、たくさん伝えるはずだった3月。
なのに、厳しい現実に向き合うことになりました。
大型二輪に乗れるようになった日、「これから後の一生、安全運転します」という心を捧げた私でしたが、そのための試練に出会ったのでしょうか。
それとも…?

今月のトピックス
 さよならEudora号 〜あるバイク事故のお話〜
1.雨の夜、交差点で
2.ベッド上絶対安静

3.患者秘書
4.加害者と被害者
5.さよならユードラ号
6.悩める家族
7.自宅療養の頃
1.雨の夜、交差点で

東京や横浜で雪が舞った日の夜、夫から電話がかかってきました。
「事故を起こしてしもたんや。今、救急車待ってる。」
夫のZX-9Rと乗用車の事故、ケガをしたのは夫だけのようです。
おそらく入院することになるのでしょうが、とにかく、すぐにできる支度だけをして、単身赴任先のターミナル駅へ新幹線で向かいました。
駅から夫の携帯に電話すると、単身赴任寮にもどっているとのことだったので、タクシーで駆けつけました。
呼び鈴を鳴らすと、はい?と、出てきたのは知らない男性でした。
しまった、あせって違う部屋にきてしまった!?
「すみません、間違えました。」
慌ててドアを閉め、部屋番号を確認しましたが、間違っていません。
うろたえていると、ちょっと待って!という声と共に、さっきの男性が飛び出してきて、私を室内に迎え入れてくれました。
この人は夫の会社の上司で、現場から単身赴任寮まで連れてきてくれたのでした。
部屋には、茫然自失の夫と、上司の方、同僚の方の3人がいました。
夫の会社、というか出向先は、もともと自動車メーカーの一部門だったため、交通事故の時はまず会社に連絡、という決まりになっているそうです。
寮のバイク置き場に置いてあるボロボロの9Rも、会社の人が運んできてくれたのでした。
床に置かれたヘルメットを見ると、全く汚れていなかったので、ああ、頭は打たなかったのだな、と少しだけ安心しました。
この日は簡単な?レントゲンで確認、応急処置をして返されたということで、翌日改めて診察を受けるとのこと。
会社の方が買ってきてくれたコンビニのお弁当を二人で食べ、就寝しようとしましたが、夫は脇腹の痛みがひどく、横になることができません。
しかたなく、上半身は起こして壁にもたれ、寝袋に潜って眠りにつきました。

UP!
2.ベッド上絶対安静

事故は夫の過失によるものでした。
雨の中、赤信号を見落として、交差点を通過しようとし、交差する乗用車とぶつかったのです。
夫が薬を飲んでいたのも、注意力を低下させる一因だったようです。
会社の診療所でくれる薬の袋には、「眠くなる場合がありますので、自動車の運転や機械の操作は避けて下さい。」とスタンプが押されていることがあるのが、ほろ苦く思い出されました。
事故の翌日、病院で検査した結果は、右上腕骨骨折、第8肋骨骨折、肝破裂、気胸…即刻入院、ベッド上絶対安静となったのでした。
前夜、単身赴任寮で普通に過ごしてしまったことを思うとぞっとします。
トイレへの移動も車椅子を使わなければならないため、私も半ば強引に会社を休み、付き添うことにしました。
点滴は24時間、どこに行くにも(と言ってもトイレだけですが)点滴スタンドを引き連れての移動です。
私は車椅子の運転が少し得意になりました。
車椅子って、サイドブレーキが左右別々なのだということも初めて知りました。

9R(コンソール?)
UP!
3. 患者秘書

交通事故の患者の付き添いというのは、結構忙しいものでした。
自動車保険の事務手続き、病院側との打ち合わせ(?)、本人の会社との連絡、バイクの処理、患者の身の回りの世話などです。
夫の入院した病院は、面会時間が13:00〜20:00だったので、この時間は私もずっと病院にいることにして、他の作業を午前中にこなします。
介護生活って、もしかしたらこんな感じかな〜、とふと思ったりしする反面、秘書とかマネジャーと言った方が相応しいような気もしました。
どうでもいいことですが、横たわる夫は、なんとなく、「ツタンカーメン」のように見えました。
…ロクなことを考えない秘書ですね。

UP!
4. 加害者と被害者

保険は、被害者の方(夫がぶつかった相手である四輪車の運転者)への対応は現地の事業所の担当者、夫の分は横浜の事業所の担当者と、二人の方のお世話になりました。
当初、恥ずかしいことに、被害者の方にケガがあるとは、夢にも考えていませんでした。
事故の3日後、被害者担当の方が、病室に突然現れ、今、外来で被害者の方が治療に来ていると知らせてくれました。
事故直後は何ともない、とおっしゃっていたそうなのですが、やはり打撲の痛みがあるため、来院したそうです。
夫が直接電話等で謝罪をしないことを怒っているから、妻である私でもいいから、挨拶にいってくれ、とのことでした。
「絶対安静で身動きできないから、とご説明したのですが。」
担当者は困ったように頭を掻きますが、加害者は夫なので、申し開きはできないでしょう。
申し訳ない気持ちで、というよりは、正直、恐る恐るという感じで、担当者についていき、謝ってきました。
お会いしてみると、悪い感じのする方ではなかったので、ちょっとほっとしてしまいました。
ただ、運転代行業をしていて、賃金が日払いなので、この事故によるケガで就業できないとたちまち収入が途絶えるため、早急に保険金を受け取れるようにして欲しい、とのこと。
でも、支払いは最速でも、1週間程度かかるようです。
私の方が不安になってしまいました。
なお、被害者の方の乗っていた自動車は、保険会社の査定によると15万円だそうで、全損扱いで保険金を受け取っても、新車を購入することができません。
このような場合、夫の保険では、50万円補償する特約がつけてあるそうで、それを利用することにしました。
因みに、夫の方は、自損事故で相手からの補償がないため、本人の保険会社からの保険金を受け取ることになります。

9R(右カウル)

UP!
5. さよならユードラ号

痛ましい姿になったユードラ号は、寂しいけれど手放すことにしました。
カウルは割れ、ウィンカも無くなっていましたが、エンジンはかかるし、メータ類も外れてケーブルでぶら下がっている状態なのにちゃんと作動します。
まだ十分に生きている!修理すればまた走れる!と思いましたが、もう、このバイクに乗るのは、夫でも、ましてや私でもないのだという気がしました。
そこで、夫の会社の同僚の方が紹介してくれたバイクショップに引き取ってもらうことにしました。
この同僚の方は、奥さんが以前、9Rに乗っていたそうで、現地のカワサキのショップを教えてくれたのです。
買い取り価格は5万円です。
「うちもかなり手を入れなきゃなりませんからね。」
ショップの店長の言葉からすると、このバイクはどうやら「第3の人生」を始めることになるようです。
こうして事故から1週間後の朝、ユードラ号=カワサキZX-9R(E型)は、私の見知らぬ街のバイクショップに引き取られていったのでした。
ユードラ号と私たちの、1年に満たない生活はこうして終わりました。
ところで、ユードラ号の保険は、被害者の方や夫の治療が終わらないうちに解約しましたが、特に問題はありませんでした。
事故発生時に、加入していればそれで有効なのだそうです。

UP!
6. 悩める家族

会社を休んで夫の秘書?を務めながら、気にかかったのはこのサイトのことでした。
家族が交通事故を起こした以上、このようなサイトは閉鎖、バイクや安全運転に関わるBBSへの参加も自粛するのが当然なのかもしれません。
でも、自分の考えがまとまらないので、とりあえず活動を自粛し、今後の対応を検討することにしました。
夫の単身赴任寮は、PHSの電波状況が恐ろしく悪く、ホームアンテナを設置しているのに、円滑につながらないので、リアルタイムでの対応はムリだったという事情もあります。
ただ、「交通事故のため、しばらくお休みします。」では、多くの方にご心配をおかけしてしまうので、仕事(って、主に看病とかだけど)が大変なのでしばらくおとなしくします、ということだけお知らせしました。
それでも、たくさんの方に気を遣っていただいて、申し訳ないと思う反面、とてもうれしく、元気が出たのでした。
事故から10日後、私は夫の任地を離れて仕事に戻ることにしました。
もう水を換える人がいなくなっちゃうから、この花、ベッドの脇にぶら下げてドライフラワーにしようか、と冗談を言ってみたら、それはないだろう、と夫が笑ってくれたので、まあ、大丈夫なのかな、という気がしました。
参考までに、健康保険を使った16日間の入院費用として、病院窓口で払ったのは約17万円でした。

UP!
7. 自宅療養の頃

事故から2週間と少し、夫は単身赴任地の病院を退院し、自宅での通院治療を開始しました。
なかなか改善しなかった貧血状態(肝破裂による)がどうにか安定してきたので、しばらく自宅で安静にした後、腕のリハビリを開始するそうです。
そんな風に、少し落ち着いた日々が始まって間もなく、保険会社から連絡があり、被害者の方が見舞いに来て欲しいと言っている、とのこと。
何か至らぬところがあったのかと不安になり、まだ傷の癒えない夫にはかわいそうだったのですが、ちょっとムリをして、赴任地に向かいました。
でも、実際にお会いしてみると、悪い感じではなかった方は、やはり悪い感じの方ではなく、むしろ夫のことを心配してくれているようでした。
「俺も、自分の車にぶつかった人が亡くなりでもしたらイヤだし。」
現地のファミレスに現れた被害者の方は、まだ元通りに回復はしていないけれど、もう平気、と気さくに話してくれました。
慌てずしっかり治した方がいいですよ、と励まされ、別れた後、何となく、エンドマークが見えてきたような気がしました。
それは、バイクライフのエンドマークではなく、ひとつの事件、ひとつの季節のエンドマークでした。

私や夫に、これからバイクに乗る資格はあるのでしょうか?
私に、このサイトを続ける資格はあるのでしょうか?
「NO!」とおっしゃる方が多いのかもしれません。
でも、ここでやめてしまったら、一生わからないまま、気づかないままで過ごさなければならないことがあるような気がしてなりません。
言い訳かもしれないけれど、もう少し頑張ってみたいと思っています。
UP!
それでは、4月からは今度こそ、無事故無違反で行きましょう。
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