第15期 #17

虫嫌い

楓と古書店の軒下で雨宿りをしていた雪は、横からの急な悲鳴に思わず向き直った。
「驚かさないでよ楓、びっくりしたじゃないの」
「いや、蜘蛛の巣が顔にかかって。蜘蛛そのものはいなかったけれど」
「楓は虫、嫌いな方?」
「そりゃあ気持ちよいとは思わないけど、蜘蛛って虫の仲間じゃないでしょう?」ティシュペーパーで蜘蛛の巣を払った楓は、激しい雨が叩きつける石畳に目を向けた。
「まあ足が6本じゃないからね、でも漢字では虫偏を使うでしょう?」雪はポケットから取り出したメモ帳に文字を書き始めた。「この様に漢字では『蜘蛛』って書くのよ」
「確かに虫偏が使われているわね。それに見た目も嫌そうだし」
「他にも虫ではないけど虫偏のつく生き物はいるわよ。蛇とか蛙とか」
「爬虫類も虫の仲間なの?」
「ええ、漢字ではこう書くのよ」雪はメモに『爬虫類』と書いて見せた。「蛙の方は両棲類だけどね」
「蛙で嫌なこと思い出したわ」楓は肩を抱きながら頭を振った。「昔ふざけて生きた蛙を電子レンジに入れたら、風船の様に膨らんで破裂して」
「意外と腕白だったのね、昔は」
「ええ、レンジも買い換えることになってひどく叱られて。それ以来蛙の人形も嫌になったのよ」
「他にもこんなのがあるのよ」雪は『蝮』『蚯蚓』『蛞蝓』といった単語をメモに書き、楓に見せた。
「どれも嫌そうな単語ね、特に三番目」メモを見た楓は口元を押さえながら単語を指差した。「でも何て読むのか想像も付かないわ」
「それぞれマムシ、ミミズ、ナメクジって読むのよ」
「さすが漢字コンテスト全校一」感嘆しながらも鳥肌を感じた楓は慌てて脇腹を引き締めた。「でも只でさえ嫌な生き物が更に嫌になったわ」
「それは失礼」
「それより少し休ませてよ、最近寝不足気味でこの時間になると眠くて」半開きのシャッターにもたれ掛かった楓は、軽く目を閉じた。

やがて雨は小降りになり、雲の間から青空が見え始めた。
「やっと止んだわ」メモをしまった雪は鞄を持ち直しながら通りに出、楓の手を取った。「楓も起きて、一緒に帰りましょう?」
「そうね、漢字の勉強も出来たし」楓も起きあがり、雪と並んで通りを歩き始めた。
「結局、楓は虫偏のつくものは皆嫌いということでいいのね?」
「そうね、虫でなくても…いえ、一つだけ好きなものがあったわ」楓はふと目の前の空を指差した。楓が指差したのは、雲の間の小さな青空に掛かる七色の虹の橋だった。



Copyright © 2003 Nishino Tatami / 編集: 短編