第15期 #24

彼岸の花火

昏い夜空に大きな火の輪が花開く。
降り注ぐ火の粉は河の水に触れると燐光に変わり、河原に群がる僕らを藍色に染める。
玉屋ぁ、鍵屋ぁ。飛び交う掛け声。灯篭の立ち並ぶ此岸は賑やかだ。
しかし僕はといえばさっきから花火よりも河向こうの岸辺が気になっている。
黒々と蠢く幾つかの人影。あれは次々と弾を打ち上げる花火師達だ。
夜風に耳を澄ませぱこんな会話が聞こえてきた。

『今年は青ばかりか』
『新しい色、見繕うかね』

僕は隣に座る見知らぬ男に囁いた。
『逃げた方が良さそうですよ』
『ぁあ?』
酒臭い息に顔を背ければ、十本近い酒の空瓶が目に入る。
大した度胸だ。ここがどこだか知らない訳でもなかろうに。
酔っ払いは放ることにして、背後の女性に今耳にした言葉を繰り返す。
幸い彼女は素面だった。険しい表情で連れの男性に耳打ちする。
僕らは立ち上がり暗がり目掛けて駆け出した。
その様子に異変を悟ったのか、他の客も端から立って散り始める。
夢中で走り続けるとやがて安全な闇の懐を肌に感じた。
そこでようやく一息ついて見返れば、河原にはもう人っ子一人いやしない。連中の逃げ足の速さには恐れ入る。
――いや、一人だけ残っていた。あの酔っ払いが正体を失い、ぐでんと横になっている。
男は気付いていない。対岸からぬっと伸びてくる毛むくじゃらの巨大な手に。
僕は目をそらす。間をおかず絶叫が轟いた。
間際で気を取り戻したのか。せめて酔い潰れたままでいればよかったのに。どこまでも運の悪い男だ。
悲鳴はすぐに消えたが、骨の噛み砕かれる鈍い音はしばらく続いた。
花火師の口の中で租借された彼の身体は何色の弾になって出てくるだろう?
『可哀相にね』
振り向けば、年若い男が言葉とは裏腹の涼しい顔して佇んでいた。
暗闇には他にも数人の気配がある。
『自業自得よ』
女の声は冷酷なほどにそっけない。
解禁日だから仕方ねぇよ、と老いた声が同情を滲ませる。
地底の業火に焼かれることなく縁日をひやかし、生前の嗜好品を手に入れられる解禁日。
だけど派目を外し過ぎればあの男と同じ目に遭うのだ。
魂は天高く打ち上げられ、散り散りの欠片になって消滅してしまう。
明日から再び絶え間ない苦痛の日々へと戻る僕らと比べて、どちらが幸せかは判らないけど。

屈託無い少年の声が告げた。
『ほら、上がるよ』
ひゅうっと風が悲鳴を上げ、深紅の鮮やかな閃光が大気を蹴立てる。
赤ら顔だったからなぁ、と誰かが言い、密やかな笑いが起こった。


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