第2回 メルシーアトラの思い出今回は、ホームページの名前にもつけた「メルシーアトラ」の思い出を。
メルシーアトラに私が初めて出会ったのは、アトラが4歳の秋の菊花賞のとき(今から考えれば、もうアトラには残り2走しかなかったわけですが…)。なので、アトラが関西の秘密兵器としてダービーに東上したり、母マミーブルーが朝日杯3歳Sまで無敗で勝ったことなどは、あとになって知ったわけですね。
前の週に初めて競馬を見に行き、すっかりはまった私は、もちろん菊花賞も買おうと考えてました。
ただ、競馬の知識が全くないので、なにを買えばいいのか思いつくはずもありません。競馬新聞を見ると、メジロライアンが断然の人気になってます。根っからの中穴党の私は、まずライアンを外そうと考えました(まだこの頃はライアンのファンじゃなかった)。
次になにを買おうかと新聞を見ていたとき、父の欄に「サウスアトランティック」と書かれた2頭の馬を見つけました。アズマイーストとメルシーアトラですね。
「菊花賞っていうすごいレースに2頭も出すなんてすごい!」、そう単純に考えた私は、この2頭と人気どころのホワイトストーンを絡めた3点で勝負したんです。
この年の菊花賞はドロドロの馬場でした。4コーナーを過ぎてもアトラはかなり後ろの方を走っていて、私の興味はホワイトストーンと代用のメジロマックイーン、メジロライアンに向いてました。そのとき、あんなに後ろにいたはずのメルシーアトラがものすごい末脚を使って追い込んできたのです。
結果4着でしたが、あの末脚にすっかり魅せられた私は、必ず次のレースもメルシーアトラを買おう!と決めたんです。
アトラの次走は「日経新春杯」。この頃には、すっかり(?)毎週のように馬券を買うようになってた私は、メルシーアトラが出ているのを見つけると、さっそく買いに走りました。
このときのアトラは本当に強いレースでしたね。相手もメジロアルダンやオサイチジョージなど強豪揃いだったので、内心ダメだろうとも考えたりもしましたが、あっさり抜け出すと最後は余裕までありました。
この勝利でますますアトラにのめり込んだ私は、「今年の天皇賞はこいつが取る」とまで考えるようになっていました。そして産経大阪杯…。
このレースには同期で強豪のホワイトストーンが出走してきました。このレースでストーンに勝てば、天皇賞馬にかなり近づくと入れ込んでた私は、混雑した後楽園のWINSで、一人静かにモニターを見て、気持ちを落ち着かせていました。
そしてレースが始まります…
このときまで私は競走中止というものを見たことがありませんでした。そして競走中止になった馬がどうなるかということも。
また、京都競馬場の同じ場所でテンポイントが同じような運命をたどったのも、このとき知りました。
私の初めて好きになった馬は、私の心の中で生き続けています。(98.8.20)