・プロローグ  かつて、美しい大地を誇っていたソクトア大地。  神々の祝福に恵まれ、人は神を敬っていた。そして、地の底から魔族が襲ってき た時にも、神々の力のおかげで、守られた時もあった。  しかし、このソクトアの歴史を語る上で、欠かせない出来事がある。それは『神 魔戦争』と呼ばれる、一年間であった。ある人間が、復讐のあまりに、上級魔族を 呼び出した事で、ソクトアに魔族が支配する地域が、出来てしまった出来事があっ た。魔族は、次々に同志を召喚し、一大勢力を作るまでになる。  しかし、神々とて、その異変に気が付かなかっ訳けでは無い。異変が起きた時か ら、当時、実力派の若手の神として有名だった、竜神ジュダ=ロンド=ムクトーを 派遣した。そして、実態が明らかになった時に、当時の神のリーダーで、運命神の ミシェーダ=タリムが事を収めようと、出向いたのである。しかし、これはソクト アを支配する一環であった。ミシェーダは、この混乱に乗じて、神の支配を強めよ うと考えたのである。それに、ジュダは反発し、妻である赤毘車=ロンドと共に、 人間の味方につく事にした。  人間のリーダーは、『勇士』ジーク=ユード=ルクトリアであった。ジークは最 強と謳われている不動真剣術の継承者で、父親は、当時の東の大国、ルクトリアの 第2王子で、魔族の企みを潰した『英雄』ライル=ユード=ルクトリアであった。  そんな中、父を失い、自分の命も落としかけながらも、ジークの直向きな強さへ の欲求に、時代は答えたのであろうか?神と、同等の力を持つとも言われる魔族、 神魔をも、倒す程の腕になっていた。  そして、4つの勢力が台頭を表すようになった。神のリーダーの、ミシェーダを 中心に、神の信仰を盲目的に信じる人々で、構成された『法道』。救世主を据えて、 神の言う事が、隅々まで行き渡るシステムを、作ろうとした勢力であった。  そして、魔族を中心とした、力が全ての支配権を握ると言う考え方の、『覇道』。 最も分かりやすく、最も自然な流れに任せた勢力であった。ここには、力の支配を 望む魔族と、人間達が集まって、構成されていた。  そして戦いの最中、偶然と欲求によって生まれた力、全ての存在を無に返す『無』 の力。それを極めた魔族が、全てを消し去る事で、新しくソクトアを作り変えよう と言う考え方を持った『無道』と言う危険な勢力。ここには、『無』を極めた魔族 クラーデスを中心に、世に飽き飽きしてる人々が、集まって出てきた勢力である。  最後に、全ての者が共存を常とし、支えあう事で、ソクトアを守り抜いていくと 言う理想論を唱えた『人道』と言う勢力があった。ここは人間達が、中心であった が、共存の考え方に賛同した魔族や神、他種族なども、加わった勢力に膨れ上がっ ていった。人が取るべき道、共存。それを略して『人道』と呼んでいたので、決し て人が世を支配するための道では無いと言う事を、強調していたのであった。この 勢力こそ、『勇士』ジークを中心に、かつてない歴史の大人物が寄り集まる、凄ま じい勢力であった。  やがて魔族の最高人物である、神魔王グロバスが姿を消し、神のリーダーである ミシェーダが倒された。  そして、ジークとクラーデスの一騎打ちに、ジークは勝利し、『人道』と言う理 想の道が勝利したと言う、素晴らしき伝記である。『神魔戦争』の1年間は、ソク トアの歴史の重要な部分が詰まっていると言っても、良いくらいの1年間であった。  その頃は、戦士達が己を奮い立たせる事で、闘う意欲を湧かせる『闘気』、己の 中に眠る原理的な力を開放する事で、大自然現象を起こす魔法を操るための『魔力』、 自分の中に眠る、妬みや憎しみなどを力に変えて、相手の息の根を止める邪悪な力 である『瘴気』。そして『闘気』と『魔力』を掛け合わせる事で、自然現象に幅を 持たせつつも、一瞬で攻撃に移れる事を目的とした忍術を操るための力『源』、皆 を救い、皆に開放を与える慈悲の心と、悪を許さぬ心を軸とした、神々が得意とす る『神気』、そして全ての原理を超え、全ての物を『無』に返そうとする、恐ろし い力『無』。この6つの凄まじい程の力を、操る者がたくさん居た。  特に魔力は便利な物で、戦いだけで無く、色んな事に応用出来る力なので、普及 していた。明かりを照らすだけのために使う事も出来たり、傷を癒す事にも使えた り、時には、投票の時の自動計算に、魔力が使われる事も当然のようにあった。  しかし、魔力を使うには素質が重要であった。素質が無い者は、一生掛かっても、 大した魔力を扱えずに終わる事も少なく無い。そう言う点に於いて、かなり不便な 力であった。魔力は、授業で出てくる程の普及率であった。  これが『神魔戦争』時の、世の時勢だった。ソクトア史で言う所の1042年の出来 事であった。  それから年月は経ち、『人道』の教えは、守られていくかのように見えた。だが、 『人道』の体現者とも言えるジークが危惧していた通りであった。人々は、そんな に簡単には、理想だけで生きては行かない。『神魔戦争』から500年ほど経った頃は、 既に共存していた魔族、妖精族などは、迫害とまでは行かないまでも、人類にその 場所を奪われ、奥地の自然へと、追いやられたのであった。そして、人間達の迷惑 にならないように、ヒッソリとした毎日を送る事になる。神達は、ソクトアだけを 見ている訳にも行かない事情があって、あちこちの星に派遣されていたので、次第 にソクトアは、任せっ切りになっている部分が、多くなっていた。  そんな暮らしが続けば、人は、この星は自分達の物だと、勘違いをしてしまった のだろう。次第に魔族や妖精族の事を、忘れるようになっていった。勿論、神が降 臨したなどと言うのは、夢物語だと言うような風潮が、流行ってしまい、すっかり 人類は、増長していくのであった。  やがて、魔力の存在も疎まれるようになった。魔力は、自然現象を操る力である。 自然と接していない人間達には、中々使いこなせないのだ。しかも人類は、恐ろし い力を発見してしまったのである。それは、魔力を使いこなせない人々が、集まっ て見付ける事が出来てしまった力。万物の形の成りを見つけ、全ての物の原理を、 追求して行く事で、自然の力を利用しながら、自らの目的を達成する力・・・その 力を応用すれば、全ての原理を破壊する事も可能であると言う、恐ろしい力、『化 学』であった。  化学の力は凄まじい物があった。魔法で言う所の『雷』を、自然の中の現象から 応用する事で、作り上げる研究から始まったのだ。これを使えば、魔法など使わな くても、極簡単な知識で、『雷』の力を使いこなせるようになる。そこらの子供で も、可能だと言う。その使い勝手の良さが、この化学の魅了される部分であった。 やがて人類は、『電力』を使いこなすようになる。『雷』は一瞬でしかない。しか し、それを化学の応用で、貯蓄する事が可能となったのだ。  こうなれば、魔力は、もう既に古い時代の物でしか無くなる。人々は、簡単で応 用が利く化学の力を、利用し始める事になる。ソクトアは、そんな事は無いと竜神 のジュダは、信じていた。自然を慈しみ、美しい大地を保つ事で、神と交信する人 々であると信じていた。しかし化学は、ついに発見され、自然の力を利用し、消耗 する事で、ソクトアの自然は、段々と危機に及ぶ事になる。神のリーダーとして着 任していた竜神ジュダは、忙し過ぎて、その現実を知らないで居た。また、報せが 入っても、本当にそんな事が起きているのか、信じがたい部分もあった。しかし、 ジュダが、その現実を見た時は、人々は神の存在を信じなくなってしまっていた。  ジュダが見た現実は、変わり果てたソクトアだった。同じ星だったのか疑わしい 程、ソクトアは姿を変えてしまった。それが、ソクトア史1900年頃の事である。  しかし、人々の生活は豊かになっていく一方だった。『電力』を使いこなす事で、 家庭に電気が通り、いつまでも明るいネオンが灯っている。兵器なども全て一新さ れ、今では鉛の玉を凄まじい力で打ち出す事が出来る、いわゆる銃などが開発され たりしていた。  しかし、生活の安全のために、職業で国を守る者以外の、人間の武器の所有を一 切禁止とした。決まりを守らない者は、牢獄の島と言われる『絶望の島』へと送ら れたりしていた。  ちなみに、ソクトアには9つの国がある。かつての東の大国ルクトリア。ここは、 ジーク生誕の地であり、『人道』発祥の地でもある。かつては、軍事大国として、 名を馳せていた時期もあったが、現在は、何と属国に成り下がってしまった。いや、 ルクトリアだけではない。ソクトアが『電力』で結ばれた時から、恐ろしい図式が 出来ていたのだ。それは、誰にも止める事の出来なかった時代の流れだった。  かつての西の大国プサグル。ルクトリアに順じて、『人道』を取り入れた国の一 つである。ルクトリアと雌雄を争っていたのは、既に昔の話。この国も、属国の一 つである。いや、ソクトア大陸の大半は、この図式が成り立っているのだ。  かつての女帝国家サマハドール。ルクトリアの隣国で、代々女性が代表として選 ばれている国である。この国も属国ではあるが、比較的被害が少ない方だと言える。  かつての西の法治国家ストリウス。遺跡などが残っているため、観光地として利 用される事が多い。この国も、大半の『電力』を搾り取られている。人々は、働く に働けど、ストリウスに影響する事は少ないのだ。  東の法治国家パーズ。ここは、多くの教会などが残っているので、ソクトア大陸 の中で、唯一法治国家として存在する事を許された国である。そう。唯一である。  かつて『堅牢』と呼ばれた城壁が存在していた、共和国デルルツィア。『神魔戦 争』時は、王と皇帝が治めている稀有な国であったが、現在は、何て事は無い。ル クトリアなどと同じ運命を辿っている。『人道』を支持した国の一つでもあった。  ソクトアの外れにあるため、ほぼスラムと化している国、それが自由国家クワド ゥラートである。この国は、犯罪都市が数多くあり、その歴史に、魔族などが関わ っている事が、ありありと出ている国でもある。何でも、滅ぼされた国の上に立っ ていると言う噂だ。クワドゥラートは、四角錐のような形をした、でかい建築物が ある。これは、頂点に行くほど地位が高い者が居ると言う意味で、かつてこの国を 拓いた者が、考え出したシステムであるらしい。  そして独立国家ガリウロル。独自の進化を遂げながら『人道』を受け入れて、化 学なども取り入れて、現在なお、進化している国であり、珍しい国でもある。この 国は、ソクトア大陸では無いため、支配から逃れている。ガリウロル島と言う、ソ クトア大陸の約6分の1程度の島が、国家として形成されている珍しい国である。  そして全ての国の頂点に立ち、『化学』発祥の地でもある国。セントメトロポリ ス。ここは、かつて呪われた土地、中央大陸と言う所に、めげずに国を作ったと言 う歴史がある。全ての国の中心であるため、産業なども栄えやすい国の一つであっ た。だが、化学が生み出された瞬間に、この国は変わった。各国に『電力』の便利 さを説いた上で、普及させ、全ての国の自然を利用しながら、人力なども利用して、 セントメトロポリス(通称セント)に『電力』を移送するシステムを、着々と構築 していた。かつて、セントキャピタルと呼ばれていたが、次々と進化していき、兵 器を作り出す事で、かつてない軍隊を編成して、全ての国を黙らせた。その時に、 セントメトロポリスと改名したのだった。それからセントは、このソクトア大陸の 頂点になったのだ。  他の国は、働けど、このセントのような輝きは、決して持てない。セントからし て見れば、電力を与えられてる分だけ、ありがたいと思えとも言わんばかりなので ある。  そしてこのセントは、ソクトアで唯一、ドームに囲われた国であった。そこには、 いつでも新鮮な空気が流れ込み、豊かな植物がありのままに作れると言う、夢のよ うな国であった。しかし、それは他の国の犠牲から成り立っていると言う事を、セ ントの人間達は理解していない。最初の頃は、理解している人物も居たが、年月が 経つにつれ、忘れ去られてしまったのだ。この国も、クワドゥラートと似て、円錐 のような形をしている。その凄まじく大きいドームは、太陽の光は遮らない。しか し、有害物質は全て取り除かれると言う。このシステムをソーラードームと言い、 これを利用する事で、電力も蓄えられると言う一石二鳥なシステムであった。しか も、このソーラードームは、透けているので誰でも簡単に壊せそうに見えて、そう は行かない。一説によると、ダイアモンドよりも硬質であるらしく、外からこの国 に侵入するのは、ほぼ不可能と言う事らしい。  すっかり変わってしまった。もちろん進化の証でもあるのだろう。しかし肝心の 自然を愛する心が、退化したとしか思えない。  これでは駄目だと感じたのか、ソクトア史2026年の話である。彼の英雄の直系の 子孫である、リーク=ユード=ルクトリアが、ついに民衆のために立ち上がった。 ルクトリアを出発して、サマハドール、パーズを経て、ストリウスの人々を解放し、 セントに不満を持っていた民衆、約100万人を引き連れて、自身は伝説の時に使用さ れたと言う、ゼロ・ブレイドを片手に持ち、民衆は、監視員から奪い取った兵器を 手にして、セントに向かって攻め入った。ゼロ・ブレイドは、『無』の力を最大限 に発揮出来る剣で、リークは、それを揮ってソーラードームを破壊しようとした。 しかし、驚くべき事に、ソーラードームに触れる前に『無』の力が消えてしまうの であった。これには、さすがにリークと言えど驚いていた。ソーラードームの堅牢 さを物語る結果となった。これに怯んだ隙に、セントの反撃が始まる。そして、つ いには、民衆の死者が大量に出始めた。リークは、とうとう降参して、民衆を助け る代わりに、囚われる事になってしまった。  それから裁判が始まった。いかに英雄と呼ばれた子孫であれ、セントに逆らった 罪は償えないとして、死刑が決まった。更に、リークの25歳の息子にも、『絶望の 島』への流刑が決まった。今のソクトアに、英雄は要らないと言わんばかりの処遇 であった。しかし、その息子は、リークが捕まる時に姿を眩ませたと言う話である。 なので、その息子には、耐え難いだけの刑を与えたと言われている。  この事態になって、ようやく他の仕事を終えた、神のリーダーが調査する事にな った。ソクトアには、何か大変な自体が迫っているのを感じたからだ。  調査を開始したのは、それから15年後、『神魔戦争』が起きた1000年後の事であ った。ソクトア史2041年。何かが、起ころうとしていた。  1、獄島  ソクトアの凶悪犯罪者が集うと言われている『絶望の島』。ここは近年、非常に 使われる度合いが増えたと言う話である。それは、セントに逆らう者達が、ぶち込 まれる事が多いためであった。失礼な話ではあるが、今や、セントに逆らう事は重 罪である。そのせいで、土地が足りないので、人工的に増やして対処している。別 に逆らう者だけでは無い。本当に犯罪を犯した者も、ここに入れられている。そう 言う背景から、トラブルは日常茶飯事で、監視員の数も増えたと言う話だ。  ここの秩序は、監視員や島主が決めていると言っても、過言ではない。近頃は、 情報を伝達するための手段が増えてきて、『電力』で作り出した、電磁波を飛ばす 事で映像や音をソクトア中に流す事が出来る、テレビが普及してきた。この『絶望 の島』でも、昔は音声だけのラジオしかなかったが、食堂に、テレビが出来た事で、 情勢が逸早く分かるようになってきた。しか、し監視員や島主の所には、当たり前 のようにテレビがある。しかも、空調を清浄するための空気清浄機や、気温を調節 するクーラーなどが完備されていた。囚人達には無い特権である。囚人達は、食堂 以外にテレビを見る事すら許されない。その辺は、罪を犯したので当たり前ではあ るが、秩序と言う点で、最も恐ろしいのが、男女共用で牢に入れると言う事だろう。 近頃、段々酷くなってきて、島主の勝手な判断により、男女問わず共用で牢に入れ る事になったのだ。単純に、場所が無い事もそうだが、割り振るのが、面倒臭いの もある。当然、凶悪犯罪者達が多い所である。女性は、不幸な目にあっている。そ れを、監視員達は、全く助けようとしない。ここで殺人が起きたとしても、監視員 達は、情報を決して外には漏らさなかった。女性は、当然助けを請う。すると、島 主の個室に入れられて、監視員と島主以外に入れない部屋で、贅沢な暮らしが出来 る様になると言う。しかし、島主の言う事は、絶対聞くと言う条件でである。要す るに、腐っているのだ。この制度を考え出したのが、今の島主である。この頃は、 個室がどんどん増えていると言う話だから、手に負えない。それで居て、セントへ の報告は、口裏合わせて、こなしているようだ。女性も酷い目にあうが、男性も、 酷い扱いである。昼は、肉体労働に従事させられ、夜は監視員の機嫌を損ねた者が、 拷問を受けると言う毎日であった。女性には、その拷問の時間は無いと言う話だ。  こうして、妙な平等感を持たせる事で、この島は成り立っている。いや、強引に 成り立たせているのだ。女性の囚人が来る日は、毎月20日と決まっていて、男性 の囚人は、心待ちにしていると言う話だから、腐った話である。  今月も20日になって、それぞれの女性が、行かされる部屋が決まった。この日 は、叫び声が凄いらしいので、監視員達は、女性達を入れた後、防音扉を閉めると 言う話である。何が行われてるか、分かっているからこそだろう。  女性達は、ある者は覚悟を決めたのか、不遜に男性囚人を見つつ、ある者は、ビ クビクしながら、周りを見ていた。  女性囚人の一人に、ファリアと言う女性が居た。この女性の罪は、正にセントに 対する罪であった。恋人が告発する事で、セントへの不満がバレたと言う話である。 しかし、これは罠だった。恋人は、ファリアの事を一度も愛してくれなかった。そ れが不満で、文句を言ったら、恋人は、ファリアを金ヅルだと言った。それに腹を 立てたファリアが、今までの金を返すように要求したら、翌日に、囚われたと言う 訳である。ファリアは、身に覚えが無かったが、明らかに恋人のせいだと分かった。  それからファリアは、男性の事を蔑視し始めていた。男なんか信用出来ない。し かし、この状況を初めて知って、ファリアは恐怖を覚えた。こんな制度だった何て、 まるで聞かされた事が無かった。島主は、外に情報を漏らしていないので、当たり 前の事である。しかし、男に屈したりはしない。そう思っていたので、ギラつかせ ている男達を睨み付けたりしていた。  そんな中、自分が入れられる牢が決まった。そこは男性が4人居る牢だった。 (変な真似したら・・・殺してやる。)  ファリアは、そう思いながら唇を噛んでいた。 「さぁ、囚人ファリア。入れ。」  監視員は口元を歪ませると、ファリアの背中を押すようにして、その牢に入れる。 「・・・下衆ね。」  ファリアは、監視員に聞こえないように舌打ちをする。この監視員達が、分かっ ていながら、女性達を男性達が多い牢に入れるように、仕組んでいるのだろう。女 性の囚人が少ないので、不幸な事になる事が多いのは必然である。 「・・・貴女が、新人さんですね?」  牢の人間が、話し掛けて来たが、ファリアは無視する。どうせ襲い掛かってくる に決まってる。出来るだけ、抵抗してやるとファリアは思っていた。 「おいおい。返事くらい、しても良いだろう?」  別の人間が話し掛けて来た。しかしファリアは、睨み付けるだけだった。 「全く、いきなり、そう言う態度は良くないんじゃねぇですかい?」  軽そうな男が、話し掛けて来たが、口を尖らせたままだった。 「・・・止めておけ。話したくない事も、あるんだろうさ。」  奥に居る男が、冷静な態度で言った。すると他の3人は、それに従うのであった。 どうやら、この男が、この牢のリーダーらしい。しかし随分若い男だ。せいぜい、 18歳くらいだろう。何故、リーダーなのか不思議なくらいだ。 「兄貴は、真面目過ぎるぜ。まぁ、そこが良い所だけどな。」  軽い男が、人懐っこく笑う。どうにも牢屋の雰囲気には、合わない気がした。 「おい。そろそろ時間だ。・・・付けておけ。」  リーダーの男が合図すると、3人共、何かを耳に付けていた。どうやら、耳栓ら しい。すると、リーダーの男が、ファリアに近寄ってきて、耳栓を渡す。 「何のつもり?」  ファリアは、睨みつけながら言った。 「これを付けてなきゃ、嫌な声を聞く事になる。付けておけ。」  リーダーの男は、そう言うと、また奥へと行った。ファリアは、すぐに理解した。 女性の叫び声が聞こえると言う事だろう。 「アンタの分は?」  ファリアは、耳栓が4つしか無い事に気が付いた。 「今までの人数分しか無い。・・・気にするな。俺は良い。」  リーダーは、そう言うと、溜め息を吐く。 「そう言う趣味なわけ?」  ファリアは、リーダーが、そう言う声を聞くのが、好きなのかと思った。 「馬鹿言うんじゃねぇ!!兄貴は、そんな人間じゃねぇ!」  軽い男が、珍しく怒りを顕にする。こちらの会話を聞くために、耳栓を完全にし て無かったせいだろう。 「本当に、そうなのかしら?」  ファリアは、そう言いつつも耳栓をする。 「兄貴に謝れ!じゃないと・・・。」  軽かった男が、握り拳を固める。 「グリード!!・・・止めろ。」  リーダーが叱責すると、グリードと呼ばれた男が拳を下ろす。 「す、済みません・・・。」  グリードは、少しファリアを睨み付けたが、すぐに大人しくなった。 (あのリーダーは、何者なのかしら?)  ファリアは、不思議に思った。若いのに、凄い貫禄だ。しかもグリードの方が、 明らかに年上なのに、兄貴と呼ばれている。グリードは、髪の色は栗色で、背も余 り高くないが、がっしりとした体付きで、所々に傷があった。 「そろそろ、耳栓を詰めとけ。」  リーダーが言うと、言われるまでも無く、耳栓を奥に詰めた。すると、その瞬間 に、耳栓をしても、なお聞こえてくる女性達の叫びが聞こえてきた。 (・・・なんて事!!酷い!)  ファリアは叫び声の具合で、どんな酷い事をされているのか想像出来た。  その横でリーダーを見ると、少し顰めっ面をしているが、耳栓はしないでいた。 (やっぱり・・・あのリーダーは、そういう趣味・・・。!?)  ファリアは、すぐに気が付いた。リーダーの唇から、血が垂れているのをだ。リ ーダーは耐えているのだった。唇を噛み締めながら、その声に耐えているのだ。  すると最初に話し掛けて来た男が、耳栓の片方を、リーダーに渡そうとするが、 リーダーは拒む。それでも耐えていた。 (何で・・・耐えられるの?しかも・・・なんで私は、やられない訳?)  ファリアは、疑問が耐えなかった。そして一番の疑問は・・・。 (何で、こんな人が、この牢獄に入れられてるわけ?)  だった。このリーダーは、今までの事を見る限り、まともな神経をしているし、 思慮深い。しかも、仲間想いでもある。こんな人間が、この牢獄に居る事が信じら れなかった。  しばらくすると、リーダーは肩の力を抜いて、耳栓を外す仕草をした。すると、 皆、耳栓を外し始めた。ファリアも、外そうとすると、リーダーがストップさせた。 ファリアは、それに従わずに外してしまった。  うう・・・すっ・・・。  ファリアは、外して後悔した。女性が、啜り泣く声が、まだ聞こえたのだ。 (これで外すな・・・って事だったのね。)  ファリアは、目を細める。もう外してしまったから、仕方の無い事だ。 「・・・兄貴。大丈夫ですかい?」  グリードが、心配そうにしていた。リーダーは顔色が悪かった。 「・・・気にするな。俺は、ここでの出来事を忘れん。それが、お前達を束ねる長 としての役目だ。」  リーダーは、少し落ち着くと、皆を落ち着かせた。 「無理し過ぎですよ。班長。」  仲間から、注意されていた。 「・・・ところでファリアさん。だっけ。一応アンタも、ここで世話になる訳だし、 こっちに来てくれないか?」  リーダーが言うと、ファリアは、警戒しながらだったが、牢の真ん中に来る。 (だ、大丈夫なのかしら?)  周りで起こっている事が、あるだけに警戒する。 「とりあえず、自己紹介をしておこう。俺は、この牢の班長のレイクだ。」  リーダーは、自己紹介する。レイクと言う名前らしい。銀髪で、髪は長髪と言う 程でも無い。背は、180センチ程だろうか?体付きは、結構筋肉質であった。 「俺は、エイディ。もっと早く、自己紹介したかったけどな。」  エイディは少し皮肉を言う。エイディは金髪だった。ソクトアでは、良くある髪 の色で、大陸人なのだろう。背は結構高く、190はあるだろう。体付きは、細身 であったが、無駄の無い筋肉を持っていた。 「私はジェイル。この班では、最年長です。」  最初に話し掛けて来た男だ。ジェイルは、大柄な体で、2メートルを明らかに超 えていた。体付きも、筋肉でがっしり覆われていて、静かな雰囲気なのが、嘘のよ うだ。髪の色は、少し茶色掛かっていた。 「俺はグリードだ。兄貴に謝っとけよな。」  グリードは、まださっきの事を、気にしているみたいだった。 「・・・ファリアよ。・・・悪かったわ。」  ファリアは、とりあえず謝っておいた。思ったより、紳士的だったからだ。 「気にする事は無い。まだ初日だ。警戒して当たり前だ。」  レイクは、理解を示していた。 「でも・・・何で、貴方達は・・・?」  ファリアは、周りで起こっている事を言う。 「ケッ。まぁ俺達だって、興味無い訳じゃねぇが・・・。」  グリードが言おうとすると、レイクが遮る。 「アイツらの思う通りになるのが、癪なだけだ。気にするな。」  レイクは、監視員達の事を指差す。 「ファリアさん・・・だったか。アンタ、何でここに?」  エイディは控えめながら、聞いてみる。 「大した話じゃないわ。セントに逆らったって、通報されたのよ。・・・恋人だと 思ってた奴にね。」  ファリアは、吐き捨てるように言う。しかし何で教えてしまったのか、分からな かった。初対面の相手に教えてしまうなんて、警戒心が無さ過ぎたかと思った。  しかし何故か、あのレイクの瞳を見ると、話してしまいたくなる。 (何て深い瞳。それに、こんな所に居るのに・・・澄んでる・・・。)  ファリアは、レイクの目の強さに驚いていた。他の者も、ここの人間にしては、 非常に良い目をしているが、レイクは、そんな物じゃ無かった。吸い込まれそうに なる程の瞳だった。 「セント・・・か。本当に、良く耳にする名前だな。」  レイクは、セントの名前を聞く度に、うんざりと言った様子だった。 「私は言ったわ。アンタ達は、どうなの?」  ファリアは聞き返してみる。 「俺は、つまらねぇ窃盗さ。俺は孤児だったんだが・・・育ての親が、糞みてぇな 奴でな。それでも俺は、奴らのために『闇の輝き』と言う宝石を盗んだのさ。その 翌日に、俺はここに送還された。親の通報によってって事は、後で聞かされた。」  エイディは、過去を語る。ファリアが正直に言ったので、それに応じたのだろう。 しかしエイディは、育てとは言え、両親から裏切られた過去を持つ男だった。 「『闇の輝き』・・・。当時、最高級の宝石の一つで大騒ぎになった、あの事件ね。」  ファリアも、その事件の事は覚えていた。あの時、逮捕されたのは、少年Eと言 う事しか知らない。大騒ぎしたのに、捕まったのが未成年だと言う事で、話題性を 呼んだ事件だ。しかし、あれはもう7年も前の事だ。その頃から、ここに入れられ てるのだろうか。当時17歳の少年だったので、エイディは24歳と言う事になる。 「俺はよ。ルクトリア出身だったんだ・・・。でも、生まれた頃から、セントの言 いなりになる祖国が大嫌いだった。俺は、ついに反セント運動って奴に参加したの さ。そしたらよ。俺は、首謀者だって事になっちまったんだ。何でか知らねぇ。知 りたくもねぇ。まぁ、そのおかげで俺は、ここに5年居るって訳だ。」  グリードが話し出した。グリードは、大規模な反セントデモに参加したのだ。そ の運動の事は、覚えている。何でも首謀者は、若いまだ21歳の男だったと言う事 で、世間を騒がせた事件だ。この首謀者として囚われたのが、グリードだった。 「何だか、騙されてばかりね。私達。」  ファリアは、溜め息を吐く。世の中、こう言う事が多いのは、分かってるが、や り切れない。特に信じていた人が裏切ると言うのは、心に傷が付く物だ。 「私は、皆さんのような、全うな理由じゃありません。こう見えても、ガイア組の 組長やってた物でしてね。セントでジェイル=ガイアと言えば、少しは名が通って 居たかも知れません。ですが、やっぱいけませんね。隣のシマの組との抗争に負け た時に、捕まっちまいましてね。部下達を死なせてしまった罪を償うために、ここ に居るんですよ。それにレイクに会って、私は変わりました。感謝してますよ。」  ジェイルは、話し終えると、腕と肩にある斬り傷を見せてくれた。ジェイルは、 腕っ節が強い、暴力団の組長だったらしい。 「煽てても、何も出ないぞ。」  レイクは、口元で笑う。照れ隠しをしているのだろう。しかし、セントの大規模 な抗争で、一つの組が潰れたと言うのは、新聞でやっていた。あれは8年前の事だ。 ジェイルは、恐らく40歳を超えているのだろう。 「・・・何だかスッキリした。感謝するわ。」  ファリアは、皆が明かしてくれる事で、自分だけが不幸じゃないと思えるだけ、 心が軽くなった。 「で、班長はどうなの?」  ファリアはレイクに問うてみた。思えば、今までの3人は、意外かも知れないが、 歳と新聞を重ねれば納得出来た。しかしレイクは、この若さで何をやったのだろう。 「さぁ・・・な。別に話したく無い訳じゃ無いんだが・・・。」  レイクは隠している様子は無い。しかし何故か、そう言う話が出てこない。 (ここまで来て、言わないなんて・・・見込み違いかしら?)  ファリアは、少し剥れた。 「まぁ皆も言ったし・・・俺も言おう。だが、ファリアさん。アンタ信じるか?」  レイクは意味深な事を言う。信じるとは、どう言う事だろう。 「何だか分からないけど、ここで嘘を吐くようにも、見えないわ。」  ファリアは、訳分からずも、信じる事にした。 「俺は、何で、ここに居るか知らねぇんだよ。」  レイクは変な事を言う。知らないとは、どう言う事なのだろうか? 「分からないよな。でも本当なんだ。俺は赤子の頃から、ここに居る。外に出た事 はねぇ。毎日、目が腐るような事を見てきた。・・・時には死人も・・・な。俺は、 ここに居るのが普通だと思ってた。だがジェイルに会って、それが間違いだと知っ た。俺は、その時から、自分は腐りたくねぇと思いつつも、ここに居る。こんな所 で、一生終えて堪るか!」  レイクは、とてつもない事を言う。レイクは、この絶望の島を出た事が、無いの だと言う。知識は、テレビや毎日の労働、そしてジェイルから教わった。しかし、 肝心の外の世界は、全く知らないのであった。 「何でかは知らねぇ。俺は、生まれた時から犯罪者だと監視者共は言っていた。冗 談じゃねぇ。そんな事、認めて堪るかってんだ。」  レイクは、凄まじい出来事を毎日のように見てきた。それでも、純粋に生きよう とする意志が、深くて澄んだ目に表れているのだろう。 (そんな事って・・・。) 「でも・・・班長が、レイクさんだってのは何で?」  ファリアは、疑問に思った。確かに牢獄歴が、一番長いのはレイクだ。だが、そ れだけの理由じゃないだろう。 「それは、この中で、一番強いからです。私はね。まだ入りたての頃、レイクさん が、10歳の頃ですね。レイクさんを、ガキだと思って、軽くあしらってやろうと したんですよ。でも、レイクさんには敵わなかった。10歳でですよ?私は34だ ったってのにですよ。」  ジェイルは、頭を掻きながら言う。どうやら、嘘では無いらしい。 「ジェイルが、本気を出したら、分からなかったさ。」  レイクは、関係の無い事のように言う。 「謙遜するのは、レイクさんの悪い癖です。貴方は班長。しかも、この中の誰が闘 っても、勝てないくらいの実力を備えている。それは事実ですよ。」  ジェイルは、叱責するように言う。 「まぁ、どっちでも良いさ。腕っ節が強いだけじゃ、ここじゃ何にもならねぇしな。」  レイクは、それが分かっていた。腕が良いのは、反対に監視員の注意を引く事に なる。それは、余り良い事では無かった。 「まぁ後は、俺達4人共、腐れ縁って訳だ。」  レイクは笑った。その顔にファリアは、少しドキッと来た。 (こ、こんな顔で笑えるのね。)  ファリアは、意外に思った。レイクは、ぶっきらぼうにしてたので、たまに笑う と、良い顔をしていた。 「まぁ良いわ。貴方達の事。少し分かってきた。私も、ここから出るためにも真面 目に働くわ。分担は、そちらで決めて頂戴。」  ファリアは、意外に早く心を許した。どうやら、周りに居るような獣のような奴 らでは無い。勿論、警戒は崩さないが、余り警戒するのも失礼だった。 「そうしてくれると助かる。何せ、男4人だからな。洗濯も掃除も、月一回に当番 でしか、やってねーくらいだ。どうにも苦手でな。」  レイクは、奥を指差す。この牢獄は一間10畳くらいあるが、布団と敷居がある トイレと、洗濯が出来る洗濯機以外は、何も無い。なのにも関わらず、服とか、ち ょっとした遊び道具なんかを、ふん投げているため、散らかりまくっている。如何 にも、男4人でガサツに暮らしていたのが分かる。ファリアは、ちょっとした綺麗 好きなので、ちょっと引いてしまった。 「だらしない事ね・・・。まぁ良いわ。言われたからには、やるわよ。でも、その 代わり、各自の場所とか、キッチリ決めるから、従いなさいよ。」  ファリアは、溜め息を吐きながら言った。 「俺、自信ないな。」  エイディは、結構好き勝手に、着替えとかしてたので、考え込む。 「ま、ここは従おうぜ。」  レイクが言うと、皆は納得せざるを得ない様子だった。 「決まりね。せっかくお世話になるんだし、綺麗にするわよ。」  ファリアは、何と言われた側から、整理し始めた。汚いのは、我慢ならないのだ ろう。皆は、溜め息を吐きながらも、ファリアの入獄を認めたのだった。  『絶望の島』の朝は早い。朝は6時頃から、目を覚まさせて、7時までに食堂で 朝食を摂る。そして、急いで整列して、番号を言って出席を取ると、7時半から労 働に出掛ける。男性は、力仕事、女性は内職のような事をする。日毎に、やる事は 決まっていて、ローテーションで入れ替わるので、きつい時もあれば、きつくない 時もあった。ファリアは、初日なので、レイク達に混じって、仕事を覚えていった。 その中でも、一番負担の軽そうな仕事から、取り掛かる。新人には、負担の少ない 物からやらせて、仕事を覚えさせると言うのが、常識で、女性だから、負担が軽い と言う訳では無かった。  しかし、この日は女性が、かなり少なかった。昨日入獄した女性の8割が、何ら かの吐き気などを訴えて、病室へと向かってしまったのだ。何でかは、想像がつく。 病室行きの女性の班の男性陣は、昨日の事を、さも誇らしげに話していた。 (下品極まりない連中ね。下衆だわ。)  ファリアは、睨み付けようとしていたが、レイクが、見ては駄目だと言う風に、 合図する。飽くまで、自然に振舞えと言う事だろう。確かに、ここで敵を作っても 損だ。でも、頭に来る事は、確かだった。  しかし、ここで妙な事が起きた。他の班に居る女性達は、どこかしら男性にちょ っかいを出されたり、口説かれたりしていたのに、何故か、ここには来ない。 (何でかしら?)  ファリアは、この中では若い方だし、昨日入ったばかりと言う事で、ちょっかい 出されても不思議では無かった。しかし、皆避けるように、こちらには来なかった。 「・・・あんな良い女がいるのに・・・何で、アイツの所なんだ・・・。」  その内、陰口が聞こえるようになった。 「・・・アイツの所じゃなけりゃ・・・。」  何やら、レイクは無視していたが、ここの囚人達の間でも、レイク達の班は、特 に強い方なのだろう。そのせいで、誰も近寄って来なかった。手を出したら、大変 な事になるのが分かっているからだ。 「・・・でも・・・アイツの所は・・・絶対に手を出さない・・・。」  その内、妙な陰口が聞こえるようになった。ファリアは、仕事に集中しようとし たが、こんな状況では、中々集中出来なかった。 (フン。下半身でしか、考えられないのかしら?)  ファリアは、口をへの字に曲げる。前の恋人みたいに、愛してくれないのも嫌だ が、そればっかりしか考えられないと言うのも、失礼な話だ。 「場長殿!レイク班。終了しました。」  レイクは、とてつもない速さで仕事を終わらせていた。今日の仕事は、結構きつ い方だったのに、凄まじい事である。他の班は、まだ全然終わっていない。昼まで 掛かる仕事を、2時間程で、やってのけたのだ。 「フム。ご苦労。出来ているようだな。休んで宜しい。」  監視員の、この仕事場の場長は、粗方チェックすると、完璧に出来上がっている 仕事振りを見て、休みを与えた。 「さっすが兄貴。早いね!」  グリードも、勿論集中してやっていたのだが、レイクとジェイルが、テキパキと こなしていったいた。ファリアに対する嫌がらせが激しくなる前に終わらせたのだ。 「・・・助かったわ。」  ファリアは礼を言う。あの視線の中に居たら、おかしくなりそうだった。ちょっ かい出されないだけ、ジロジロ見られてた気がする。 「気にするな。俺達も、休みたかった所だ。」  レイクは、木陰で休む。こう言う仕草が、何よりも似合う男だった。 「なぁ・・・。ファリアさん。」  レイクは遠くを見つめる。何とも、悲しく深い目であった。 「・・・ファリアでいいわよ。班長さん。」  ファリアは、レイクには、対等で居ようと思った。 「なら俺も、レイクで良い。」  レイクは、余り「さん」付けに、慣れていないようだ。 「レイクさんは、私達の班長なんですよ?もう少し威厳を持たねば・・・。」  ジェイルが、説教をしようとしていた。 「威厳なんて、要らねぇよ。んなもん、役にたちゃしねぇさ。」  レイクは、威厳を知らしめて、相手を縮ませるのは、好きでは無かった。 「それよりさ。教えてくれよ。アンタ、セント出身なんだろ?今、セントは、どん な様子なんだ?テレビを見てるだけじゃ、分からねぇからな。」  レイクは、セントが、どう言う所なのか、必ず新しい人に聞いている。いつか、 セントに行って、自分の出生を調べたいと思っていたのだ。 「そうねぇ・・・。国事代表の更に上の役職が出来たってのが、一番大きいかしら。」  ファリアは、セントに居た頃の事を、思い出す。国事代表とは国家の法律を作り、 施行する役職で、総投票によって、国民から選出される役職である。そして、国事 代表を裁く権利がある裁断場。一般の罪人も、ここで裁かれる。ファリアなどは、 セントの裁断場で、たった30分で裁断されたのだ。セントに対する国家反逆罪は、 それだけ重いと言う事だ。それと癒着や賄賂などが無いかどうか、監視する不正監 視委員会。この3つが互いに見張って、国を動かして行くのが、ここ1000年く らいの基本理念だった。この制度は『人道』とも呼ばれている。 「国事代表の上の役職?俺も聞いた事ねーぞ。」  グリードは身を乗り出す。自分が捕まったのが、5年前だが知らない。と言う事 は、つい最近、出来た機関なのだろう。 「1ヶ月くらい前に制定されたのよ。不正監視委員会が、国事と裁断場の監視を解 いていると言う噂が流れたわ。それぞれから、賄賂を受け取ったと言う話よ。そこ で、このままでは、国の根底が崩れると言う事で、セントは、逸早く、上の役職を 置く事で、3つの職の引き締めを図ったの。」  ファリアは説明する。しかし、その上の役職が出来たと言うのが、恐ろしい事だ と気が付かなかったのだろうか? 「国民の95%が反対したのよ。なのに、国事代表の過半数を超えて、裁断場も見 過ごしたわ。不正監視委員会まで、沈黙を貫いて、強引に制定されて出来た役職よ。」  ファリアは、テレビを見て愕然としたと言う。これは、その役職が本格的にセン トを支配しようとしている、始まりなのだと感じた。 「しかも、反対してデモを起こそうとした国事代表が、次々と暗殺されたわ。何で も、凄腕の『人斬り』を雇ったって、話も出たわ。」  ファリアは、溜め息を吐く。そこまでして、国家の権力を握ろうとする浅ましさ が、何ともお粗末だと思ったためだろう。ちなみに『人斬り』とは、暗殺を専門と した武装集団で、闇夜で刀で音も無く殺す事を得意としている。『人斬り』は、高 額な報酬を貰う代わりに、暗殺を請け負うのだった。 「それで出来た役職が、『元老院』よ。国事代表、最高裁断長、不正監視委員長の どれかを10年以上勤めた者だけが、推薦で入れると言う役職らしいわ。」  ファリアは馬鹿げていると思ったが、事実なってしまったのだから仕方が無い。 「セントも、とうとう欲の皮が見えてきたって所でしょうね。」  ジェイルは、呆れて物が言えない。ようするに、今まで権力を握っていた連中が、 更に長く、権力の座に座って居たいがために、作ったような役職である。 「しかし、その『人斬り』ってのは、情も何もあったものじゃないな。」  エイディは『人斬り』の事で、不満を漏らす。金のためなら、国家も覆す連中な のだから、情があった物では無い。 「『人斬り』には、組織がありますからね。主に組織の命令で行ったのでしょう。」  ジェイルは、元組長なので、こう言う話は強い。 「奴らに感情は無いですからね。報酬に見合った仕事をする。それが奴らのやり方 ですよ。自分達のした事で、どんな変化が起こるのかなんて興味は無いのです。」  ジェイルは、バツが悪そうに話す。 「でも、伝説の人斬りなら、話は別だぜ。」  グリードは、急に伝説などと言う。 「伝説の人斬りって、何の事だ?」  レイクは、問い返してみる。 「俺も、噂でしか聞いた事が無いんですけどね。裏の稼業の人斬り界の中でも、腕 はピカイチで、成功率が99%を超える、とんでもない奴が居るみたいなんですよ。」  グリードは、友人から、その噂を聞いた事があったのだ。 「・・・良く知ってますね。それは真実ですよ。」  ジェイルは、意外な事を言う。伝説の人斬りを、知っているらしい。 「伝説の人斬り・・・コードネームは『司馬(しば)』。仕事の成功率は99.5%。 私も一回、復讐のために雇いました・・・。」  ジェイルは組の者が、全てやられた、あの事件の後、すぐに『司馬』を呼んだ。 そして、嵌められた事実と、自分の財産の全てを投げ売って、『司馬』に依頼した。 相手の組長の殺害だ。おかげで、一文無しになったが、どうせ、すぐに捕まる身だ ったので、構わなかった。しかも相手に、その事実がバレていない所を見ると『司 馬』は、見事な腕で殺してくれたのだろう。相手の組長は、事故死と言う事になっ ていた。だが、ジェイルには分かっていた。組長は『司馬』が殺してくれたのだと。 「伝説の人斬りは、まず依頼内容を聞く。そして、気に入った時しか仕事に入らな いらしいぜ。どんな権力をもってしても、彼の依頼に対する、こだわりには勝てな いって話よ。今時、中々出来る事じゃねぇよなぁ。」  グリードは、どうやら伝説の人斬りに、少し憧れているようだった。 「あの男は・・・確かに、そうでしょうね。」  ジェイルは、あんなに人を見通すような目をした男には、初めて会った。隠し事 は、出来ないと悟って、全てを話して依頼したのだった。 「セントでは、『人斬り』の評判は悪いけどね。」  ファリアは、『人斬り』と言うと、恐ろしいイメージしか沸かない。 「『人斬り』にもシマがありますからね。『人斬り』の組織には手を出さないのが 裏稼業では常識でしたね。下手に手を出すと、家族まで、やられ兼ねませんからね。」  ジェイルは脅かすが、別に嘘では無かった。裏の世界では『人斬り』組織のシマ には、近づかないのが原則だ。『人斬り』は『人斬り』同士で、シマ争いをしてい る。そこに割り込むなど、ただの自殺行為でしか無かった。 「『司馬』か・・・。会ってみてぇな。」  レイクは、純粋にそう思った。今時、伝説などと評される程の男は、どんな男な のか、もしかすると、とんでもない男なのかも知れない。 「あ、兄貴!そうだ!今日は、全ソクトア空手大会だぜ。」  この頃ソクトアでは、スポーツが盛んなのであった。武装してはいけないのなら、 己の拳を鍛える他無い。裏稼業に入れば、この島に連れて来られる可能性も高い。 となれば、強さを発揮するには、スポーツが打って付けだった。  空手は、最も基本的な立ち技での組み手で、狙った所に、如何に素早く正確に突 き入れるかが、競われる。他にも、色々な競技が、競われる事が多くなった。 「そうだったな。丁度、俺達が一番なんだ。見ていこう。」  レイクは、食堂へと向かう。 「男って、闘いを見るのが好きなのかしら?」  ファリアは、呆れながらも、レイク達と、行動を共にした。  食堂へ入ると、誰も居なかったが、テレビがついていた。すると、食堂係の人が 既に空手大会のチャンネルに、合わせていた。 「やってますね。」  ジェイルは、食堂係に会釈すると、特等席の辺りで、テレビを見る事にした。 「やっぱ、榊流護身術(さかきりゅうごしんじゅつ)の連中は、多いなぁ。」  グリードが、参加者の欄を見ていた。榊流は、元々名門の忍術一家であったが、 『神魔戦争』を境に筆頭豪族の名を世に知らしめて、ずっと名誉ある地位に座って いた。最もここ100年くらいの間に、ガリウロルでも『人道』が広まっていき、今で は、セントと同じようなシステムを採用している。これから伸び盛りの国とも言え た。セントの支配がない分、楽しみな国であった。その名門榊家が、時代と共に忍 術では無く、拳で戦う護身術に名を変えて、空手界をリードしているのであった。 その頭領も、この大会に参加しているらしい。 「榊家は、絶えず努力していたからな。発展は、その賜物だろう。」  エイディは、懐かしい物を見る目をしていた。 「元々、忍術自体が、素手で戦う事が基本の闘技だからな。」  エイディは解説する。どうやら、かなり詳しそうだ。 「他には・・・お。羅刹拳の連中が、かなり居るぜ。こりゃ楽しみだぜ。」  グリードは羅刹拳の選手達を見つける。羅刹拳は、元は魔族が生み出したと噂さ れる拳だが、隙が無く、特に指を極限まで鍛える事で、有名だ。達人になると、指 で岩に穴をあけるとも、言われている。 「皆、詳しいのねぇ・・・。私は、さっぱりだわ。」  ファリアは説明されて、何となくは理解出来たが、良く知っている物だと思う。 「・・・おい。アイツ・・・。15歳だとよ。」  レイクが指を差す。すると、確かに15歳の参加者が居た。 「天神(あまがみ)流空手?・・・聞いた事ねぇなぁ。」  グリードは、首を捻る。 「私は、聞いた事あります・・・。もう少しで、思い出せそうなんですがね。」  ジェイルは、どこかで聞き覚えのある名前だと思った。 「似たような奴が居るぜ。神城(かみしろ)流空手だってよ。」  エイディが、見付ける。 「!!思い出しましたよ!」  ジェイルは、手を叩く。 「間違いない・・・。奴らが、参加するなんて・・・。」  ジェイルは寒気を覚えた。 「どんな奴らだ?」  レイクが、尋ねてみた。どうやら、只の空手では無さそうだ。 「どちらも源流は同じです。しかも一子相伝の空手ですよ。大会では無く、純粋に 拳で武器を持った相手にも勝る程の、腕前を持つとも言われる恐ろしい奴等ですよ。」  ジェイルは身震いする。天神流は、とにかく一撃の拳を鍛える。型もしっかりし ているが、それ以上に、一撃の破壊力を重視している空手である。一撃必殺を体現 するべく、鍛えていると言われている。その拳は鋼鉄をも砕くと言われている。  そして神城流は、羅刹拳と同じく指先を極限まで鍛える空手である。天神流と、 型は似ているが、その全てが、指先に神経を集中している。しかし、羅刹拳と違う のは、羅刹拳が突きなら、神城流は斬りを重視している。何と、指先で刀よりも鋭 い斬りが放てると言う噂だ。どちらも、化け物である。 「へぇ・・・。そりゃ面白そうだな。」  レイクは、口元に笑みを浮かべる。 「何よりも彼らの空手は、どちらも1000年前から存在していて、敗北した事は、ほ とんど無いと言う話です。その2つが激突する・・・でしょうね。」  ジェイルは、この2人が、間違いなく勝ち上がると確信していた。 「お。始まるぜ。」  エイディが指差す。すると、歓声と共に、次々と試合が始まった。  試合は、長引く物もあれば、短い物もあったが、やはり榊流や羅刹拳などは、順 当に勝ち上がっていた。そして、とうとう神城流が出てきた。 『24番 神城 扇(おうぎ)選手!』  審判が、名指すと礼をした。この辺は普通だ。だが、口元に笑みを浮かべていた。 黒髪は、ガリウロル出身の証だろう。あそこは、黒髪の人間が多い。体付きも、普 通の空手家よりも、二回り程、大きく見えた。 「・・・こりゃ役者が違うな。アイツ強ぇわ。」  レイクは、見なくても扇の実力を見抜いていた。目の奥に宿る、不気味な光は、 既に天神流を見つめているのだろう。 『始め!』  審判の合図と共に、扇に相手が、鋭い突きを入れようとする。入ると思われたが、 扇は、予め体を引いて、突きの伸びまで、寸での所で見切っていた。  ショリ・・・  その瞬間、妙な音が鳴った。すると相手選手が、ビックリしたように身を引く。 「な、何があったんだ!?」  グリードは、何が起きたか分からなかった。いや、テレビを見ている者の全員が、 そう思っただろう。 「蹴り・・・と言えば良いのか。足で、胴を引き裂きやがった・・・。」  レイクは、見えていたが、寒気が起こった。さっき説明があったとは言え、本当 に鋼鉄製の胴が、真っ二つに割れていた。審判団は、スロービデオを再生させて、 更に扇の身体検査を行ったが、全く問題無かったので、扇の勝ちとなった。しかし、 場内からは、恐怖の声と、感嘆の声の両方が流れていた。 「あれが神城流です。あの人達には、武器を持ってたって勝てる気がしません。」  ジェイルは、冷や汗を流す。恐ろしい強さである。 「恐ろしいのは、蹴りだけじゃねぇな。相手の突き・・・伸びまで、完璧に見切っ て、アイツは、事前に後ろに下がったってのが、一番恐ろしいぜ。」  レイクは、扇が最初から、突きを見切っていた洞察力に、驚嘆していた。 「こりゃ・・・レベルが違うな。」  エイディも、認めていた。常識の範囲を、遥かに超えている。どう鍛えれば、あ んなになるのか、聞いてみたい程だ。 『次! 59番 天神 瞬(しゅん)選手!』  とうとう天神流の出番となった。どんな闘いをするのだろうか?瞬も黒髪である。 ガリウロル出身の者は、漢字で呼ばれるので間違いないだろう。体付きは、まだ若 いからか、少し小柄だが、それでも、筋肉に無駄があるようには見えなかった。 「・・・コイツも、すげぇ眼してやがる・・・。」  レイクは、瞬時に悟った。瞬と扇は、ズバ抜けていると・・・。 『始め!』  審判の合図で、瞬の相手は、回し蹴りを放つが、事前に察知したかのように、避 けていた。しかも、そのまま相手に向かって、歩いていった。相手は焦りながら、 技を放つが、まるで踊るかの如く、当たらなかった。そして近くまで来たと思った ら、相手は、腹を押さえて、蹲った。 「右の裏拳で叩きやがった・・・。しかも、あの威力・・・。」  レイクは見えていた。瞬が近づいた瞬間、右の裏拳で、相手の胴を殴ったのだ。 しかも、その瞬間に、瞬の筋肉が弾けた様に大きくなるのが見えた。 「うお!何だぁ!ありゃあ!?」  グリードは、またしても驚く。相手の胴が、拉げていたのだ。拳大に陥没してい た。胴をしてなかったら・・・とんでもない事になっていただろう。 「マジで、アイツ15歳かよ・・・。」  エイディは、驚かずには居られなかった。15歳にしては、動きも堂々としてる し、何よりも信じられない強さだ。15歳当時で、こんなに強い奴を、エイディは 過去に一人しか知らない。 「兄貴と、どっちが強ぇんだ。コイツら・・・。」  グリードが、代弁したかの如く、呟く。 「さぁな。・・・まぁ俺も、負けるのは好きじゃねぇけどな。」  レイクは、久しぶりに燃えるような眼をしていた。テレビで強い奴を、初めて見 た。コイツらとは、どこかで闘ってみたいと、レイクは思った。 「レイクさんなら、棒切れ一本あれば勝てますよ。」  ジェイルは、分析する。 「おいおい。持ち上げるなって。」  レイクは、頭を掻く。 「本気ですよ。木刀でもあれば、レイクさんは誰にも負けませんよ。」  ジェイルは、本気で言っているらしい。 「参ったな。まぁ勝手に予想してくれ。」  レイクは、本気に受け取らなかったが、ジェイルは知っていた。レイクは、素手 でも、ある程度強いが、棒の様な長い物を持たせると、天下一と思わせるような強 さを発揮する事をだ。前に他の牢獄の者が、纏めて掛かって来た時に、落ちていた 棒一本で、囚人達を全て片付けていたのを、ジェイルは見ていた。その事があって 以来、レイクの班が襲われる事は無かった。  それ以来、グリードは、レイクの事を『兄貴』と呼んで、慕っているのだ。グリ ードが入って間も無くの時に起きた、イザコザだから、尚更だろう。 (レイクさんは、剣道でもやれば、光る物がある。)  ジェイルは、レイクに是非、剣道大会に出場して欲しかった。もしくは、異種格 闘大会が、4年に1回開かれる。それに出場すれば、レイクは絶対に、良い所まで 行く筈だ。そんな願いも、この『絶望の島』に居る限り、叶えられない。 (いつか・・・出なければね・・・。)  ジェイルは、いつかの時は、覚悟していた。レイク達と共に、この島を出てみせ ると決めていた。 「お。今日は、ここで終わりらしいな。」  全ソクトア空手大会は、2日間の日程で競われる。1日目は、出場者を篩いに掛 けて、強い者だけを残すようにする。そこから32名の出場者を決定して、トーナ メント方式で、本戦と言う訳である。ちなみにルールも、本戦では少し違う。今日 は、胴や小手や面を付けて、有効打を競う物だが、明日からは全て無しで、相手に 如何にダメージを与えたかで、競う本格的な方式で行う。明日からが、本番と言っ ても、過言では無いのである。明日は、負傷者も出る事だろう。それでも、ソクト ア1の称号を賭けて闘う。そうでなければ、視聴者も満足しない。 「中々見応えが、ありましたね。」  ジェイルは、今日のメンバーを見て、満足していた。それなりに強さは測れたし、 何よりも、恐ろしい化け物も、出場していると分かった。 「誰が優勝すると思う?俺は、あの神城 扇って奴だと思うぜ。」  グリードは、予想をし始めた。 「まぁ、妥当な線だろうな。奴の戦慄の眼差しは、群を抜いていたしな。だが、俺 は、敢えて榊 総一郎(そういちろう)と読もう。榊を代表するだけあって、死に 物狂いで来ると思うぜ。」  エイディは、榊流護身術の頭領である榊 総一郎と読んだ。榊流を束ねるだけあ って、隙の無い強さで、勝ち上がっていた。オールラウンダータイプと言っても過 言では無い。何をするにも、一流と言う中々の強さの持ち主だ。 「私も神城 扇に一票ですね。悪いですが、あの指の凶器が、早々負けるとは思え ません。しかも1000年の歴史がある。これは大きい。」  ジェイルは、神城 扇の、あの眼が気になった。誰よりも、強くなろうとする狂 気の眼。それは天神 瞬をも、上回っていると感じたのだ。 「俺は天神 瞬にしようか。アイツの眼が、どことなく気になるんだ。」  レイクは天神 瞬と読んだ。どこか遠くを見ているようで、確固たる自信を持っ ているような、達観した眼を、あの15歳の少年は持っている。過去に何があった のか知らないが、負けるなんて微塵も思っていない眼が、レイクは気になったのだ。 「私は興味無いけど・・・あの15歳の男の子が勝ったら、凄いよね。」  ファリアには、天神 瞬の、まだ少年びいた風貌が、気になったくらいだ。 「おっし。そろそろ落ち着いてきたし、飯でも食おうぜ!」  グリードは、お腹が空いていたらしく、さっそく食堂で注文をしていた。 「その意見に賛成だ。さすがに、お腹が減ってきた所だ。」  エイディも、それに続く。良い頃合だろう。そろそろ他の班の連中も、食堂に雪 崩れ込んでくる時間帯だ。レイクは、ファリアに簡単な注文方法を教えながら、適 当に定食を頼む。ファリアは、それに倣うように同じ物を選んだ。 「・・・全く。仲の良い事ですね。」  ジェイルは、レイクとファリアに聞こえないように呟いた。本人達は、全く気が 付いていないだろうが、間違いなく、ファリアはレイクに気があるし、レイクは、 ファリアの事を、庇うようにしている。この事に気が付いていないのは、本人達と グリードくらいの物である。エイディは、それと無く気が付いているのか、レイク とファリアが、隣になるように自然に組ませるようにしている。 「兄貴!兄貴の唐揚げ、美味そうだな!」  グリードは、気さくに話しかけてくる。しかし、無神経も良い所である。 「物欲しそうにするな。ほれ。」  レイクは、グリードに唐揚げを分けてやる。 「お!兄貴、太っ腹!!俺、感動するぜぇ。」  グリードは、拳を震わせながら喜んでいる。 「安っぽい感動ねぇ。」  ファリアは、意地悪く笑いながら、呆れていた。 「にゃにおう!兄貴のご厚意に、感動しちゃいけねぇってのかよ!」 「そんなんじゃないけど?食事中は、静かになさいな。」  ファリアは、平然とグリードの文句を受け止めていた。これでは、どっちが年上 なのか、分かりゃしない。 「おい。グリード。落ち着いて食べてから、話そうぜ。」  レイクも呆れながら、食事を摘んでいた。 「あ、兄貴まで・・・いや、まぁ、兄貴の言う通りでした。」  グリードは、さっきまでの意気込みが、嘘のように静かになる。 「レイクには、素直なのねぇ。」  ファリアは、コロコロと喉を鳴らすように笑う。 「当たりめぇだ!兄貴は、俺の窮地を救ってくれた恩人だからな!」  グリードは、入獄当初に、いざこざを起こして、50人近くに囲まれた時は、さ すがに死んだと思った。そこを班長だったレイクが、棒切れ一本で蹴散らしたので ある。あの時のレイクには、心を奪われかけた。 「早くしねぇと、合わせたくない顔まで来るぞ。さっさとメシ食って休憩しようぜ。」  レイクは呆れながら、時計を指差す。確かに、もう少しで嫌がらせした班などが、 ここに来る頃だろう。余計ないざこざは、起こしたく無かった。  結局、二人とも、レイクには弱いのであった。  閑散とした午後、仕事は気だるく続いていく。当てもなく続く作業に、うんざり する日は、いくつを数えただろうか?しかし絶望の島に居る限り、作業は果てしな く続いていく。全てを投げ出してしまえば、楽になれる。しかし、仕事せざる者は 食にあり付けない。投げ出すと言う事は、即ち死に繋がる。しかし、投げ出す者も 少なくない。この島に送られたからには、この島の土になるのが、定めとさえ言わ れている。刑期が、自分の寿命よりも多いであろう囚人は腐る程、居るのである。  この島で真面目に働けば、刑が執行されるか、刑期が終わるまでは、生き延びる 事が出来る。しかし、絶望的なまでに出られないと知った時、人は全てを投げ出し て、死んでいく者も居るのである。悲しいが、これも人ならではの死であろう。  絶望の島の午後は、そんな投げ出した人間の、成れの果てを始末する作業まであ る。その作業をした者は、間違いなく次の食事を取る事など出来はしない。餓死し た死体を片付けると言うのが、どんなに精神的に来る物があるか、想像に難くない。 今日の当番は、運悪くもレイク達であった。いや、これは、ファリアを丁重に扱っ てると言う他の班からのタレコミだろう。監視者達は、そんな形を望んでいない。 特にファリアは、送られてきた女囚人の中でも美人の部類に入る。監視者達が、介 抱する事で、手懐けようと思っていたのに、それも台無しである。その恨みもあっ てか、レイク達に、一番きつい仕事を監視者達は、回したのだろう。グリードなど が、文句を言っていたが、絶望の島では、従う他無い。  今日の死者は、5人であった。何れも、眼を見開いていたし、眼には、涙すらな い程、干からびた死体である。生々しい事、この上ない。更に、口は開いたままで、 蠅が集っている死体もあった。この作業だけは、避けたいと思っていたが、監視者 の言う事は、絶対である。やらねばならない。ジェイルは、黙って作業服に着替え ると、死者を詰めるタルの作成から、手を付けた。  ファリアは、死者を見ただけで嘔吐しそうになった。初めての経験な上に、只の 死体では無い。腐り切った人間の成れの果てである。こんな物を、どう処理するか など、考えにある筈も無く、パニックを起こしかけていた。グリードやエイディで すら、この作業は、目を背けたくなるくらいだ。 「全く・・・俺達も、とんだマークをされたもんだ。」  エイディは、ぶつくさ文句を言う。当番でも無いのに、任命されたのだ。嫌がら せ以外の、何物でも無い事は分かっていた。  この死体の始末は、タルを作成する事から始める。そして、人間一人が入りそう なタルを作成し終えると本番で、死体を、そのタルの中に詰める。そして海道と呼 ばれる海と繋がっている出口に、タルを流し込んで作業は終了する。だが、その作 業をするには、相当な精神力が必要である。人間の死体など、誰も触りたくないの である。だからこその当番なのである。午後一から、この仕事をやらされる羽目に なるのは、御免こうむりたい物である。ファリアなどは、さっきから洗面所に何度 か行っている。口に出してないが、嘔吐しているのだろう。 「無理するな。ファリアは最初だから、見ているだけで良い。」  レイクは、ファリアが顔面蒼白にしてまで、息も荒げながら、作業を手伝おうと していたので、無理だと判断する。しかし、ファリアは作業を止めようとしない。 「おい。兄貴の言う通りだ。・・・この作業は、俺達だって避けたいくらいの作業 なんだ。無理すんじゃねぇよ。」  グリードまで心配する。それくらいファリアは、息が乱れていたのだろう。しか し、ファリアは魅入られたように、作業をする。 「・・・そうか。仕方ない。」  レイクは、目を瞑るとファリアの前に立つ。そして、軽く平手打ちをする。 「・・・あ・・・。」  ファリアは、目の焦点が合い始める。そして、叩かれた頬を擦る。 「・・・荒っぽくて済まん。だが、死に、引き摺りこまれそうになっていたからな。」  レイクは謝ったが、正しい処置であった。ファリアは、死体を見ている内に、感 覚が麻痺し始めていたのである。死体を片付けると言う禁忌を、何故、自分がして いるのかなどを考えてる内に、思考が止まってしまったのだろう。  レイクも最初の内は、妙な興奮をした物である。しかし、それが続くと、連鎖的 に、死体に魅入られる場合がある。それが、最も危険な兆候なのだ。  人間は血を見ると、必然的に興奮する生き物である。餓死と言うリアルな死体を 見させられては、ある種違う興奮を、覚え兼ねない。 「休んでろ。慣れない内は、死体を凝視するな。」  レイクは、厳しい口調で命令する。ファリアの目付きは、尋常では無かった。 「私・・・わたし・・・。」  ファリアは、まだ呆然としている。叩かれたショックよりも、自分が死体を見て、 死を連想する事への、嫌悪感が勝っていた。 「しょうがない・・・。しばらく、これを吸っていろ。」  レイクは、匂い袋をファリアに手渡す。すると袋からは、ラベンダーの匂いが程 良く流れてきた。すると、さっきまで火照っていた体が、冷えていくのが分かった。 「私も最初は、その匂い袋で、救われましたね。」  ジェイルは思い出す。レイクは、正気を保ってられる方法を、いくつか知ってい る。それは、見て覚えたのでは無い。子供の頃から、死体を見ると言う恐怖から、 逃れるための防衛手段に過ぎなかった。まともに見入っていたならば、今頃、精神 が崩壊しても、おかしくないくらいである。 「監視員達も、余計な仕事を与えてくれる。参るな・・・。」  エイディは、舌打ちする。ファリアのような、入ってから二日目の新人に、この 仕事を任すと言う事は、何か狙いがあるに違いない。 「大方、この仕事に耐え切れなくさせて、縋り付いて来るのを、期待したんじゃね ぇか?全く・・・意地が悪い話だ。」  グリードは、監視員達の意地の悪さには、舌を巻いてしまう。しかし、参ってや る訳には行かない。レイクが、文句一つ無くこなしているのだ。自分も、こなせる ように、ならなければならない。 「・・・この仕事だけは、慣れねぇな。」  グリードは溜め息を吐く。いつも、この鼻に衝く臭いと、無念そうな死体の顔に は、慣れられない。 「・・・それで良いんだ。慣れて堪るか。こんな仕事。」  レイクは息を大きく吐く。溜め息にも似た仕草だが、怒っているのだろう。この 仕事に慣れると言う事は、死体に慣れるという事だ。それは、人として間違ってい ると、レイクは思う。 「レイクの言う通りです。この死体達は、私達の教訓です。こうなってはいけない。 と言う啓示でもあります。」  ジェイルは、真面目に答える。しかし的を得ていた。この死体のように、なって はいけない。この絶望の島から、いつか出るためには、本当に絶望しては、意味が 無いのだと、ジェイルの背中は語っていた。 (・・・私、この班で、本当に良かったわ・・・。)  ファリアは改めて、この班になった幸運を、確かめていた。まだ2日目だが、こ の班は、かなり親切で、仲間意識も強い。油断をする気は無いが、自分が入った事 で、何か生活を変えてるような様子も見当たらない。自然体で、接していける班な ど、この絶望の島では、奇跡に近い確立だろう。それも、レイクを中心とする仲間 意識のおかげだ。ジェイルも、最初は柄が悪かったという。レイクと接する内に、 段々今のように落ち着きが出て来たと言うのだから、レイクの影響は大きい。 (・・・でも、レイクは、誰に頼るのかしら?心休まる時が・・・あるのかな?)  ファリアは、レイクを見る。確かに逞しい。それにリーダーシップにも優れてい る。だが、やり過ぎな感もある。自分を攻め立てているようにも見える。誰よりも、 働き屋で、人の事を思いやっている。だが、自分を大事にしているのだろうか?  しかもレイクは、人生をこの絶望の島だけで過ごしている。なのに、こう育った のは、何か切っ掛けがあるのでは無いか?で無ければ、こうは、ならない。 (いつか・・・聞きたい物ね。)  ファリアは、レイクに惹かれていた。異性としてと言うのもあるが、何よりも内 面の強さに驚かされているからであろう。それは、ファリアだけでは無い。誰もが レイクに対して、興味を持っている事だろう。それを口に出してしまうと、何かが 壊れるのでは無いか?と言う不安から、中々聞けないのである。  そうしてる内に、タルが完成した。5体分のタルが並べられた。すると今度は、 死体搬入の作業であった。これが、気が滅入る作業で、多少は慣れているジェイル ですら、目を背けながら入れている。もしかしたら、死体が動くのでは無いか?な どと、想像してしまう。つい駄目な方に、想像してしまうのは、普段目にしない物 への畏怖と言う物が、付いて回るせいだ。 「・・・私も手伝う。」  ファリアは、死体搬入のために、近寄ろうとする。 「大丈夫なのかよ?」  グリードは、少し不審に思った。さっきのようになられては困る。 「・・・今度は、大丈夫なようだな。どう言う心境の変化だ?」  レイクは、瞬時に悟った。ファリアの眼が、さっきのように魅入られるような眼 では無く、純粋に仕事をする目付きに変わっていたのをだ。 「監視員達に、この仕事でビクビクさせられるのが嫌なのよ。それに・・・この島 の現実って奴を、体で覚えたいの。」  ファリアは、気丈な眼で答えた。勿論、搬入するのなんて嫌に決まっている。し かし、嫌がらせに屈したくないのだ。そして、この島で起こっている残念な事実を、 頭だけでは無く、体に覚えさせる事で、自分は、こういう末路は辿らないと言う決 意をしたかったのだ。 (思ったより・・・精神力があるのですね。)  ジェイルは、ファリアのその姿を見て、少し感心した。女性なのに、この仕事に 二日目で付いて来るには、並の精神力では無理だろう。 「良いだろう。じゃぁ手伝え。ただ、死体の眼を見るな。それと、臭いも嗅ごうと するな。それが、手伝うための最低条件だ。」  レイクは注意しておいた。この2つを守らないと、またさっきのように、取り込 まれてしまう可能性が高い。頭で分かっているだけでは、駄目なのだ。 「・・・分かった。注意する。」  ファリアは、口を結んで、マスクを被る。そして手袋を、きつく締める。 「じゃぁ、一人目だ。」  レイクは、全員に手足を持たせて、自分は、頭を持つようにして、タルの中に誘 導する。頭さえ入ってしまえば、体は自然と収まる。ここで下手に入れると、死体 が崩れる場合がある。そうなると、最悪な図が完成する事になる。なので、ここは 慎重に入れなければならない。  レイクは、頭をタルの真ん中に丁寧に搬入する。皆は、その動きに合わせて、手 足をコントロールするだけだ。しかも、皆は、目を逸らしている。まともに向き合 っているのは、レイクだけだろう。 (レイクは、大丈夫なのかしら?)  ファリアは不思議に思った。レイクは、真近くで死体を見る羽目になるだろうし、 当然、臭いもするだろう。だが、文句一つ無く、こなしていた。  ファリアは、死体の手を持っているだけでも、気持ち悪くて離してしまいたいく らいの気持ちなのに、レイクは淡々と、こなしていた。 「よし。入った。この調子で、少しずつ入れるぞ。」  レイクは、タルの中に少しずつ死体を収めていく。その動きに、皆は付いて行く だけだ。すると、やっとの事で、一人がタルの中に収められた。そして、レイクは 手早くタルに蓋をする。その際に、何か入れていた。 「レイク。今のは?」  ファリアは、気になった。何を入れたのだろうか?レイクに限って、変な物を投 入するとは思えない。 「・・・花さ。」  レイクは、この島で一番植えられている、タンポポを投げ入れていたのだ。 「川を渡る駄賃くらいに、なればと思っただけだ。・・・チッ。俺らしくねぇだろ?」  レイクは舌打ちをする。恥ずかしそうにしていた。だが、ファリアは、その時に レイクが、何故、目を背けないのかが分かった。死体に興奮しているのでは無い。 死体を、ただ憐れんでいる。レイクは、この死体を物では無く、人として扱ってい る。成り果てた死体でありながらも、レイクは人として憐れんでいたのであった。 (・・・なのに、私ときたら・・・。)  ファリアは、まだ気持ち悪さの方が優先されるくらいだ。 「お、おい。ファリア?」  レイクは、ファリアが涙を流している事に気が付いた。 「あ・・・。ご、御免なさい。レイクがさ・・・。この死体を、人として扱ってる って感じたら、つい・・・。何でだろう?」  ファリアは涙を拭う。それは、自分の情けなさの裏返しでもあるし、レイクへの 尊敬の気持ちも、あったのかも知れない。 「ファリアの気持ち、分からんでも無いぜ。俺だって、まだ兄貴のように割り切れ やしない。心底、情けないと思うぜ。」  グリードは唇を噛む。レイクが素晴らし過ぎて、自分が情けなく思う事は、何度 となくある。だが、レイクを尊敬する事で自分を和らげさせていた。 「・・・まぁ、ちょっと気障過ぎたな。次だ次。参らねぇ内にやるぞ。」  レイクは、バツが悪そうにすると、次の死体を入れる準備をした。褒められたり、 尊敬されたりと言うのには、免疫が無いらしく、恥ずかしそうにしていた。  そして黙々と時間が過ぎていき、5人分の死体の搬入を終えた。ファリアなどは 気丈に振舞っていたが、汗びっしょりだった。 「さて、最後の仕事ですよ。」  ジェイルが、励ますために声を掛ける。この仕事の最後は、海道にタルを持って いって、流してやる事だ。死んだ者は、哀れだとは思うが、最後に、この島から出 られるのなら、少しは救われるとファリアは思った。 (全く・・・やりきれないわね。)  ファリアは、この島に来るまで、こんな恐ろしい島だと思っていなかった。せい ぜい牢屋の延長線なのだろうとしか思えなかった。だが、考えれば、この島から誰 かが出たと言うニュースは聞かない。そう考えれば、この結末も予想出来た事だ。 「そういえば・・・この島って、脱獄者は居るの?」  ファリアは、疑問に思った事を口にした。その瞬間、レイクは、ちょっと苦い顔 をして、ジェイルとエイディは周りを見渡す。グリードは呆れ顔でファリアを見た。 「ど、どうしたの?突然。」 「・・・どうしたの?じゃない。その事は口にするな。監視者達に聞かれたら、只 じゃ済まないぞ。」  レイクは、ファリアに説明してやる。監視者達にとって、脱獄と言うのは許され ない事だ。ピリピリしているので、口に出しただけでも、島主に報告して酷い目に 遭わせようとするだろう。それだけ、脱獄と言うのは、この島でのタブーだった。 「・・・ただ、教えておいてやろう。この島では脱獄した者は、居ない事になって いる。・・・だが、それは表向きだけだ。本当は、ここ15年間で、20人程度だ が、脱獄に成功している。だが、この島でのメンツの事もあって、公表はしていな い。だから、この島を出た奴は、追いかけられもしない。・・・だからこそ、脱獄 には、厳重な注意を払っているんだ。ニュースでも流れないのは、そのせいだ。」  レイクは、この島でのタブーについて、説明してやった。つまり脱獄すれば、特 に追いかけられる事は無い。しかし、過去に脱獄に成功している例は、ほとんど無 い。その都度、この島での警戒が強まるからだ。 「例えば・・・この海道を使って、昔脱獄しようとした奴が居る。」  レイクは、その事件を覚えていた。幼い頃だったが、その瞬間を、この目で見た からだ。確かに死体をタルで流すという事は、生きてる人間も、と言う事は有り得 る。しかし、その計画は無為に終わった。 「この島が出来た当時に、その脱獄をした奴が居たせいで、見ろ。あれを。」  レイクは、海道のすぐ側を指差す。すると、そこには恐ろしい仕掛けがしてあっ た。何と、タルに刃が刺さる仕組みが施されていた。あれなら、中に入っていた人 間は、一溜りも無いだろう。 「・・・勿論、ソイツは死んだ。図らずも、いつものタルと同じ結果になったのさ。」  レイクは、目を閉じる。その光景を見て、レイクは恐ろしく感じた物だが、それ も昔の話だ。その代わり、死体を見る度に、この島での出来事を悲しむようになっ た。恐ろしさよりも、悲しみを知る事で、島で正気を保ったのだろう。これは、言 わば防衛本能である。恐怖に捉われたら、精神崩壊を起こしていたかも知れない。 「なるほど・・・ね。私も、軽率な事は、言わないようにする。」  ファリアにも、深刻さが伝わったのだろう。それに、口に出した所で、今の立場 を危うくするだけなのだ。それは、得策では無い。 「そうしてくれると助かるぜ。何せ、ここじゃ連帯責任が常だからな。」  グリードは、溜め息を吐きながら、愚痴を零す。 「グリード。お前さんも人の事、言えんだろうが。」  エイディは、グリードの頭をグリグリ撫で回しながら言う。 「んだよ!俺は、気を付けてるぜぇ!」 「ほぉー?ここに来た当初、いざこざ作ったのは、どこのどいつだ?」  エイディは、グリードをからかいながら、口元に笑みを浮かべる。この二人は、 喧嘩する事も多いが、結構、仲は悪くないのだろう。 「・・・ったく。その事、いつまでも言うんじゃねぇよ。」  グリードには、耳の痛い話だった。そのせいで、レイクに救われたのだが、原因 は自分にあったのだ。確かに来た当初は、ムシャクシャしてて、当たり構わず喧嘩 を吹っかけていた。それのお返しに、50人程、仲間を集められて襲われたのだ。 それを撃退したのがレイクである。棒切れ一本で、流れるような動きで、50人を 倒してしまったのだから、驚きである。 「エイディ。それくらいに、しときなさい。」  ジェイルは、呆れながら注意する。 「ヘイヘイ。まぁ嫌味は、これくらいにしておくか。」  エイディは、カラカラと笑うと、タルを海道に流していく。それに倣って、全員 が一つずつタルを流した。エイディが、からかったのも、この瞬間が嫌だったから なのかも知れない。死体とは言え、人をタルに入れて流すなど、嫌な作業である。 しかも、ご丁寧に一つずつ、刃が刺さりながら海へと流されていった。 (これは、慣れたくはないわね・・・。)  ファリアは肩を落とす。これに慣れたら、人では無くなるような気がした。  その夜は、レイク以外の4人は、食事も取らずに寝る事にした。ファリアなどは、 何度も、夜中に台所で吐いていたのを、レイクは見逃さなかった。  監獄の『絶望の島』で生きていく厳しさを知った日、ファリアは、涙を流すのだ った。その光景を見て、レイクは、これからの事を考えつつも月を眺める。  月は、怪しくも妖艶に光るだけであった。