NOVEL Darkness 2-2(First)

ソクトア黒の章2巻の2(前半)


 2、輪廻
 意識の混濁の中に、俺は居た。
 とてつもない意識の奔流が、俺に向かってくる。
 しかし不思議と、敵意は感じなかった。
 感じるのは、大いなる意志と、俺との接触を図る心のみだった。
 こんな意識を作り出すなんて、とんでもない力だ。
 俺の心は、折れる寸前だった。
 だが、こんな意識の中でも、あの言葉が聞こえてくる。
『強く・・・正しく・・・。』
 爺さんの言葉が、俺を引き戻す。
 俺は爺さんの意志を果たすまで、折れる事なんて出来ない。
 例えそれが、意味の無い事だと言われようとも、貫いてみせる。
 そう約束したんだから・・・。
 俺の意志に語りかけてくる奴が居る。
 一体誰だ?
(これしきで、押し潰されては困るな。)
 明らかに、俺では無い声。一体誰なんだ?
(意識がハッキリしてきたようだな。そうで無くては困る。)
 だから誰なんだ?俺は、アンタの精神に、押し潰される程、柔じゃあない。
(うむ。私が選んだ程の人材だからな。)
 何だか偉そうだな。人の意識を奪いかけておいて、よくも、いけしゃあしゃあと
そんな事が、言える物だ。それより、名前を教えてくれないと困る。
(そうだな。今の時代のお主には、信じられない存在だ。)
 勿体振るね。信じられないってのは、どう言う事だよ。まぁアンタが何者か何て、
どうでも良い。目的は何だ。
(せっかちだな。君は。今の状況の整理を、したいと思わないのかね?)
 勿体振ってるのは、アンタの方だろうが!一体何だってんだ。
(フッ。おふざけが過ぎた様だ。ならば、私も、正直な事を言う。)
 最初から、そうしてくれ。
(私は、君達の言い方で言うと『神』に当たる者だ。)
 神?神って言うと、あの伝記に出てくるような神の事か?
(伝記?ああ。1000年前に起こったアレか。まぁ私と、関係無いとは言えんな。)
 その言い方だと、寧ろ、大いに関係ありますって感じがするんだが?
(君は、余計な詮索が好きだな。まぁ良い。本当の事を話しておこう。)
 どうだか・・・。いきなり意識を乗っ取る奴を信用しろと言う方が、無理がある。
(危害を加える意志が無い事は、君も分かっていると思うが?)
 敵わないな。先へ先へと読まれたんじゃ、成す術が無い。
(素直で宜しい。・・・話が逸れた様だな。まず、私の名を言っておこう。)
 名前か。俺は知っての通り、天神 瞬だ。
(ふむ。私はゼーダと言う名前だ。)
 ゼーダ?・・・神・・・。伝記のどこかで、出てきた記憶があるが。
(私は、約1200年前に、強制的に転生させられたのだ。)
 思い出した!伝記で言う所の、神のリーダーの名前で、運命神ミシェーダの前任
が、確かゼーダ・・・。アンタが、そうだって言うのか?
(良く出来たな。85点やるぞ。思い出すのが遅かったのは、減点対象だ。)
 俺は、試験している訳じゃあ無いんだが・・・。
(運命神が、時の力を溜め込んで、一気に放つ大技が、敵を強制的に転生させる、
『輪廻転生(リーインカーネイション)』と言う技でな。事もあろうに、ミシェー
ダは、私にその技を、掛けてきたのだ。)
 強制的に転生って・・・。どう言う事だよ・・・。
(時の力と言うのは、強制力が非常に高い。私の魂は、時の彼方に飛ばされたのだ。
そして、私が目覚めたのは、今から50年程前だ。)
 じゃぁ50年前まで、飛ばされたって訳だ。
(ふむ。で、現状を見たら、この有様ではな。何処で、どう狂ったか知らんが、こ
のままで捨て置く事は、私の自尊心が許さないんでな。器を探していたのだ。)
 元神のリーダーのアンタにとっては、この現状が許せないって訳か。それにして
も、器って何の事だよ。
(私は魂だけの身。肉体が無ければ、力を使えぬ。しかし、生半可な器しか持たぬ
者に乗り移っては、その者を壊しかねん。)
 実際、俺だって壊れかけたって訳か。冗談じゃないぜ。
(悪かったとは思っている。だが、君には、私の力を受けるだけの器があると判断
したのでな。悪いが、試させてもらった。)
 勝手な話だ。俺は、実験動物じゃないんだ。勘弁して欲しいぜ。
(そう言うな。これで、君の言う所の強く正しい力を振るえるであろう?)
 どういう事だ?強く正しいのと、今の話が関係あるとは、思えないけどな。
(天上神の力となれるのだから正しい事では無いか。体を貸してくれるな?)
 何言ってんだ。冗談じゃない。俺は俺だ。俺の体を貸すだなんて、了承出来る訳
が無い。いくら力を受け止めたからって、体を貸さなきゃいけない道理は無い。
(それは困ったな。私は、ソクトアの情勢を正さなければならぬ。そのための力も
貸してくれぬと言うのか?)
 俺は、まだ学生だ。普通の生活をして、この家を守っていかなきゃならない。
(君は、それが正しい事だと、思っているのか?)
 ・・・当たり前じゃないか。恵は、まだ14歳だ。それを、支えていかなきゃな
らない。それは、俺の父との約束でも、あるんだ。
(本心とは、違う事を言っても、説得力が無いな。)
 何でだよ。俺は、嘘を吐いてるつもりなんか無い。
(嘘では無い。だが本心では無い。天上神を欺けると思うな。)
 ・・・俺は、この家の長男だ。家を、守っていかなきゃ駄目なんだよ。
(君は、溢れる才能を使って、世の中を変えたいと思っている筈だ。)
 そ、それは・・・思わなかったって事は無い。だが、まだ駄目なんだ。
(それは、君自身が力が、足りないと思っているからだろう?だが今は、私が力を
貸すと言っているのだ。世の中を、変えるに足る力をな。)
 アンタ・・・何で、そこまで分かるんだよ。
(素直になったな。当然だろう?私は天上神だ。君の考え一つ読めないでどうする。)
 俺の全てが、アンタに分かったなんて、思われたくないな。とにかく、体を貸す
のは反対だ。俺の体が、俺じゃなくなるなんて、冗談じゃない。
(君は勘違いをしているな。私は、乗っ取るつもりで言ってる訳では無いぞ。)
 どういう事だよ。体を貸すって事は、そう言う事なんじゃないのか?
(下等な神なら、それも有り得るだろう。だが私は、そんな事をしてまで、君を操
ろうと、している訳では無い。それでは、逆効果なのだ。)
 逆効果?自分の力が振るえるんだろ?何処が、駄目なんだよ。
(君自身の力も、必要としているのだ・・・私は。心が拒否した状態で、君の体を
操った所で、本来の力の、半分も出せはしない。)
 だから、さっきから俺を説得してるって訳か。それでも俺は、体を貸すなんてし
たくは無いぜ。俺が、15年生きてきた証を、手放してくは無い。
(本当に、せっかちだな君は。話を聞きたまえ。)
 アンタは、随分と余裕なんだな。俺には、その余裕が何処から出てくるのか、分
からないぜ。アンタと話してると、日が暮れちまいそうだ。
(一言余計だ。私の力を振るう時、君の心を乗っ取るつもりは無いと言っただろう?
私は、君が力を欲する時に、君に力を貸してやるに過ぎない。)
 それは俺にとっては、随分と好条件だが、アンタが納得出来るとは、思えないな。
(疑り深いのだな。私にとっては、それでも、君に力を与える事で、天上神として
の力が振るえるのだから、構いはしない。)
 その条件なら飲んでも良い。アンタが、力を貸す時に、俺自身の意思があるのな
ら、構わないぜ。俺は、俺で無くなるのが、嫌だ。
(私は、そんな無粋な神では無い。安心したまえ。ただし、私にも拒否権はある。)
 そりゃ当然だ。俺だけが都合の良い条件じゃ、アンタだって、堪らないだろう。
(話が分かるな。君が、悪行を行っている。もしくは、力の使い方が間違っている
と判断した時は、君に、力を貸す事は無い。)
 そんな事なら、安心して良い。俺は、強く正しい事を目指してるんだ。正しいと
思う事以外に、力を使うつもりは無い。それにアンタの力も借りようとは思わない。
(自分自身の力でやりたい・・・か。君らしいな。まぁ、私に頼りっ切りにされる
のも困るが、全く使おうとしないのも困るな。)
 俺は天神流空手の継承者だ。そう簡単に、他人の力を借りるつもりは無い。
(君は、確かに並外れた力を持っているようだ。私を頼る事も、少ないだろうな。
だが、ソクトアには、人知を超えた存在も居る事を、忘れてはならんぞ。)
 人知を超えた存在?アンタみたいな奴の事か?
(手厳しいな。まぁ平たく言えば、そう言う事だ。)
 勘弁して欲しいな。これじゃ失神する奴が、増えるじゃないか。
(言うね。君も。まぁ私の事は、いざと言う時に、どうしてもと思った時に、使え
る存在だと思っておけば良い。私も、その方が気楽だしな。)
 それで良いなら俺も助かる。俺の生活に、干渉だけは、しないでもらいたいもの
だ。俺は、この生活に、早く慣れなきゃいけないんでね。
(ま、遅かれ早かれ、君は闘わなければ、いけない時が来る。その時にでも、頼っ
てくれたまえ。天上神として、最高の力を、君に分け与えよう。)
 随分、自信があるんだな。まぁでも呼ぶ事は、まず無いから安心してくれ。
(正しい事に使う時でもか?)
 アンタが、正しいと思う時に使われても困る。
(これは異な事を言う。君は、私が正しいと思った時、間違っているとでも、思う
事があるのかね?)
 当たり前だろう。アンタの基準だけで、決めて欲しくは無い。
(ほう。なら君は、何が正しいと思う事なのか、答えられるのか?)
 俺は、俺の正しいと思う道を進む。
(それが間違いだと、思わないのか?信じるのは勝手だがな。)
 何で、間違ってるんだよ。
(人間は、誰しも自分が正しいと、常に思っている生き物なのだ。神だとて、そう
だ。間違っていると思って行動する人間など、まず居ない。)
 ・・・なる程ね。そりゃそうかも知れないな。
(だが、正しいと思ってる事でも、間違っている時がある。・・・それなのに君は、
強く正しい人間でありたいと願う。それは、矛盾している。)
 矛盾な物か!俺は、これからも強くて、爺さんが誇れるような正しい人間に!
(やはりな。君は、父と祖父からの願いで、行動していると言う訳か。君自身の願
いは、どこにあると言うのだ?)
 俺自身の願い?それは・・・。
(答えられないだろうな。強く正しいと言うのが、目標ではな。)
 アンタには、答えられるというのか?
(私は答えられる。ソクトアを支配し、乱そうと言う者が悪だ。そして、それを征
伐しようと言う者が、正しい。)
 じゃぁ・・・その支配してる奴は、正しいと思って無いとでも言うのか?
(それは違う。正しいと思って、支配しているのだろう。だが、それは全体から言
えば悪だ。ならば、正さなければなるまい?)
 そんなの勝手じゃないか。悪だと思うから、征伐するなんて・・・。
(君は、悪人だと言われてる人間も、救いたいとでも言うのか?)
 悪人だって決め付けられるのが・・・どんなに苦しい事か、分かってるのかよ?
(君は・・・やはり、私に似ている。)
 冗談じゃない。人を悪人だって決め付ける奴と、一緒にされたくない!
(今の答えは、運命神ミシェーダが出した答えだ。私は、君と同じ考えだ。)
 ミシェーダ?伝記で出てきた神の事だな。
(彼は、自分の裁量で、世の中の悪と正義を決め付けてきた。私は、その考えを見
抜いて、彼にだけは、リーダーの座を渡すまいと、決めていた。)
 伝記でも、ミシェーダは『法道』なんてのを、打ち出してるな。
(神が、全て正しい訳では無い。そう。君の考えは、強く正しい物だ。)
 俺は、勝手に決め付ける奴が、嫌いなだけだ。
(だが、君にも分かる。正しい事だけでは、世の中は成り立てないと言う事がな。)
 正しい事・・・か。俺は、アンタが警告してなきゃ、自分が正しいと思う事だけ
を、信じてたかも知れない。その点では感謝してるぜ。
(君が、正しい生き方を目指してるのならば、何が正しくて、何が間違っているの
か、迷う時が来る。そう言う時こそ、私にも相談すると良い。)
 アンタが、正しいとは限らないだろうが。
(その通りだ。だが、アドバイスくらいなら出来る。)
 そうだな。俺が迷った時にでも、頼るとしよう。
(それで良い。まずは、私の力を受け入れても、大丈夫な程、強くなると良い。そ
こからだ。強く正しい生き方をするのなら、まず強くなると良い。)
 言われなくても、そのつもりだ。俺は、強くならなきゃいけないんだ。
(だが忘れるな。今のソクトアが、正しい方向に進んでいる訳では無いと言う事を
だ。そのために、私を頼らなきゃいけない時が、来ると言う事をな。)
 余り、そう言う場面になりたくないけどな。
(セントの支配は、私の想像してた物より、深い物だ。気を付けると良い。)
 俺も、セントに対しては、余り良い感情を抱いていない。
(・・・そろそろ君の家の者が、君を起こす時間のようだな。)
 アンタが、どう言う奴かは分かった。だけど、安心してくれ。俺は、アンタを呼
び出す気は無い。俺自身の手で、何とかしなきゃいけない筈なんだからな。
(強情だな。まぁ良い。私は、君の中に居て、君を見ている。下手な行動は控えろ。)
 ・・・勝手に、人を覗き見するんじゃねーよ。
(個人的な事には、触れぬから安心したまえ。)
 煩いよ。全く・・・俺は何で、こうも厄介事を抱えるかなー・・・。
(それも人生の一環だと思って、諦めたまえ。)
 アンタが、言うんじゃないよ!!!俺は、どうなる事やら・・・。


 変な夢を見た。
 いや、夢と言うには、現実的過ぎた。
 神と話している夢。
 俺には、あれが幻だったとは思えない。
 いざと言う時に、力をくれると言った。
 だが、俺は、それに頼るつもりは無かった。
 人間は自分の手で、強くなって生きなきゃならない。
 それが、俺の持論だからだ。
 アイツに馬鹿にされないためにも・・・。
 今以上に、強くならなければ駄目だと思った。
「瞬様・・・。瞬様。」
 俺を呼ぶ声がする。そうか。やっと現実に・・・帰ってきたんだな。
「大丈夫ですか?瞬様。」
 この声は・・・そうだ。葉月さんだ。
(せっかくだし、早く起きたまえ。)
 アンタは余計だ!!!!てーか、いきなり話し掛けてくるんじゃない!!
(いつでも見ていると言っただろう?まぁ良い。余計なお世話だったようだな。)
 全く冗談じゃないぜ。こんな事が、いつまで続くのやら。
 俺は、また何か言われるのも癪なんで、起きる事にした。
「良かった。瞬様。起きて下さったのですね。」
 葉月さんだ。何か、必死だったらしく、少し泣き顔になっている。
「おはよう。葉月さん。俺、何か変だった?」
 俺は、気兼ね無く話してみる。
「覚えてらっしゃらないのですか?」
 葉月さんは、ビックリした顔をする。何をやったんだろ・・・。俺。
「瞬様は、床に倒れて、魘されてたんですよ?私は心配で・・・。」
 うげ・・・。そうか。そう言えば俺、アイツと接触してからの記憶が無い。失神
してたんだろう。
「葉月。兄様の様子は?」
 扉から声がする。この声は恵だ。
「今、起きられました!」
 葉月さんは、声を弾ませる。何だかすっかり、迷惑掛けちゃったみたいだな。
(修行が足りぬな。私の力を受けただけで、失神か。)
 アンタは出てくんな!!全く・・・誰のせいだと思ってるんだ。
「兄様。入りますわね。」
 恵は、一声掛けると俺の部屋へと入ってくる。俺は、ベッドから身を乗り出す。
「すっかり元気なようですね。心配しましたわ。」
 恵は、ニッコリ笑ってくれる。こう言う時の恵は、本当に良い顔をする。
「恵様。申し訳御座いません。私が、至らぬばかりに。」
 葉月さんは、悔しそうにしていた。俺のせいなのに・・・。
「葉月。今朝も言いました。今後、気を付ければ良いと。いつまでも引きずっては
駄目ですよ。今後、良くしていけば良い。そうですね?」
 恵は、しっかりとした目付きで言う。・・・凄いな。恵は。全くの正論だ。それ
に、今の言葉は暖かい。葉月さんは、感謝しながら礼をしていた。
「兄様も、お元気になられて幸いです。失神するなんて、ビックリしましたわ。」
 恵は、近くの椅子に座る。俺は、伸びをすると、ベッドから出ようとする。
「兄様。今日は、お休みした方が良いのでは?」
 恵は心配してくる。でも、そう言う訳にも、いかないだろう?
「いや、もう元気だしさ。・・・って今、何時だ?」
 俺は、我に返って、時間を確かめる。
「午前10時ですわ。どうかなさいました?」
「ええ!?どうかなさいました?じゃない!学校は!?」
 俺は、驚いてしまった。10時と言えば、もう2時限目じゃないか!!それに恵
だって、ここに居て、良いのだろうか?
「兄様。学園の方には、休みを届けて置きました。私もです。」
 恵は、落ち着きなさいと言わんばかりに、説明する。
「そうか・・・。何だか、ズル休みっぽくなっちまったな。」
 うう。俺は、元気だと言うのに・・・。
「今朝、失神して床に寝てた方が、言う台詞じゃあ無いですわ。」
 そりゃそうだ・・・。でも体は、全然平気なんだよなぁ・・・。
「悪いなぁ。恵まで休ませちまうなんて・・・。って、何で休んだの?」
 恵まで休む必要は、無いんじゃあないのか?恵は、何処も悪いようでも無いし。
俺が失神しただけ何だしな。
「兄様!もう・・・父が亡くなったばかりなんですよ。心配するに決まってるじゃ
ないですか!!学園で、心配だけしてろと言うのですか?兄様は。」
 ああ・・・。そうか。そうだよな。俺も、いきなり恵が倒れたら、心配するしな。
休みを、もらうかも知れない。
「俺を、心配してくれたんだよな。済まなかった。」
 俺は、素直に謝る。同じ立場なら、今頃、看病に行ってるかも知れない。
「分かれば、良いのです。心配するだけ損じゃ、やってられません。」
 恵は、拗ねた口調になる。恵でも、そう言う仕草をするんだな。
「瞬様が、元気になられて、私も安心しました。」
 葉月さんは、本当に嬉しそうな顔をする。心配掛けちゃったなぁ。
「葉月。薬湯を持って来ました。お開けなさい。」
 睦月さんの声がした。今度は、睦月さんが、この部屋に来たらしい。葉月さんは、
扉を開けてやる。すると睦月さんは、俺と恵の顔を見る。
「起きてらっしゃったのですね。薬湯を持ってきました。」
 睦月さんは、薬の入ったお湯を、俺に手渡す。
「ご苦労様です。睦月。」
「瞬様の、大事なお体に、何かがあっては、いけませんので。」
 睦月さんは、これ以上無い答えを返す。やっぱり心配掛けちゃったかなぁ。
「思ったより元気そうで、安心しました。・・・葉月。瞬様の事は、くれぐれも気
を付けるのですよ。」
 睦月さんは、葉月さんに注意を加えておく。やっぱり怒ってるのかな。
「申し訳御座いません。このような失敗は、二度と起こさないよう気をつけます。」
 葉月さんは、深々と謝る。
「俺が、勝手に失神しちゃったからね。済まないね。」
 俺は、何だか葉月さんに迷惑掛けちゃったと思って、謝る。
「はぁ・・・。兄様と来たら・・・。まぁ兄様も、ああ言っちゃってる事ですし、
葉月には、これから気を付けてもらうって事で、良いですね。」
 恵は呆れる。恐らく葉月さんの事を庇っている俺を見て、呆れたのだろう。
「私は構いません。・・・ですが瞬様。持病持ちでしたら、先に言って下さい。」
 うぐ・・・。相変わらず、きついなぁ・・・。睦月さんは、優しいんだけど怖い。
「大丈夫ですよ。ちょっとしたアクシデントが、あっただけですから。」
 俺は、本当の事は言えないので、誤魔化しておいた。
(本当の事を、言えば良かろう?)
 信じる訳無いだろ。余計に心配されちまう。
(困った物だな。今の人間達は、神の存在を全く信じてないとは・・・。)
 そんな事を言ったってな。俺だって、信じて無かったよ。今では、信じなきゃな
らない程、目の前に現実があるから、信じてるだけだが・・・。
「分かりました。では、失礼します。」
 睦月さんは、一礼すると出て行った。心配してた割には、あっさりしてるな。
「相変わらず睦月は、忙しいようですね。」
 恵は心配していた。睦月さんは、働き過ぎな面もある。そうか。今も、何か仕事
をこなしに行ったのか。
「私も仕事があるので、失礼致します。瞬様。また後で来ますね。」
 葉月さんも、出て行った。やっぱり忙しいんだな。
「皆、忙しいんだよな。俺だって今頃は、学校だったんだしな。」
 俺は、現実を見つめる。学校に行ってれば、それなりに忙しさで紛れるだろう。
「私もですわ。まぁ今日は、せっかくお休み戴いたので、ゆっくりしましょう。」
 恵は、どこか楽しそうだった。いつも緊張してるから、疲れるのかな?
「よし。じゃぁ、そろそろ起きて、日課をこなすかな。」
 俺はベッドから出る。やっぱり日課をこなさないと、不安で堪らない。
「兄様は、ここに私が居る事を、少しは、気を付けた方が良いですわ。」
 恵は呆れた声を出す。・・・って俺、まだパジャマじゃん・・・。
「もう・・・。扉の外に居ますので、着替えて下さいな。」
 恵は、そう言うと扉の向こうへ消える。恥ずかしい所を見せちゃったな。しかし、
パジャマは誰が?・・・って、葉月さんが着替えさせてくれたんだろうなぁ。
 ちょっと恥ずかしがりながらも、俺は持ってきた私服に、着替えた。そう言えば、
恵の今日の私服は、白のワイシャツにブラウス。長めの緑のスカートだったな。何
を着ても似合うけど、アイツの私服姿も、良い物だな。
(女性は化けると言うしな。気を付けた方が良いぞ?)
 突然、声を掛けるな。それに、余計なお世話だよ。
 俺は、呆れながらも、着替え終わった。
「もう大丈夫だぞ。」
 俺は声を掛けると、恵は入ってきた。
「恵は、自分の部屋に行かなくて、大丈夫なのか?」
 俺は、ふと思って聞いてみる。
「兄様が邪魔だと言うのなら、帰りますわ。」
「いや、そんな事無いさ。1人で、部屋に居ても、つまらないしな。」
 ああ。そうか。恵も同じか。1人で部屋に居ても、学校じゃない今日は、やる事
が無い。復習などは、朝の内に済ませてしまったのだろうな。
「なら、日課とやらを、見せてもらいます。せっかくの機会ですしね。」
 恵は、楽しそうに俺の方を見ていた。何だか、緊張するなぁ。
「大した事は無いんだけどな。天神流の型を、こなしていく。それだけさ。」
 俺は、そう言うと、中段の構えから始めて、次々と構えを変えていく。多少遅め
だが、確実に型を変化させていく。そして最後に、十字の構えと逆十字の構えなど
を構えて、そこからの攻めの形を、こなしていった。
「へぇ。これを毎朝やってるのですね。素晴らしいじゃないですか。全ての筋肉が
伸ばせていて、とても良い型でした。参考になりますわ。」
 恵は、正確な事を言う。さすが合気道をやってるだけあって、その辺も詳しい様
だ。基本は、大事にしないといけない。
「恵だって、合気道、凄いじゃないか。見違えたぞ。」
 俺は、お世辞抜きで、恵の合気道は凄いと思った。技のキレ、タイミング。どれ
をとっても、一流だった。
「やるからには、一流を目指したいですからね。子供の頃は、体を動かすのは、余
りやらなかった分、やってみたかったってのは、ありますわ。」
 恵は子供の頃は、勉学などは一流だったが、体育などは、そこまで優秀では無か
った。その辺を、克服しようと考えたのだろう。それにしても、並大抵の努力じゃ
無かった筈だ。これも、帝王学の一環だったのだろうか?
「そっか。でも凄いな。本当に見違えたよ。」
 俺は、包み隠さず、恵を褒める。
「兄様。私は、そんなに変わったのでしょうか?」
 ん?恵が、少し悲しんでる風に聞こえた。いつもなら、サラリと受け流す所だ。
「前より、自分が見えてるって感じだし。成長したとは思うよ。」
「んもう・・・。そう言う意味で言ったんじゃ、ありません。」
 恵は口を尖らせる。どう言う意味で言ったのだろうか?恵は、思いつめてるよう
にも見える。ここに帰ってきてから、こんな恵を見るのは、初めてだ。
「私、自分が、冷たい人間になったんじゃないか?って、心配なのです。」
 ・・・そうか。恵は、強くあろうとした。天神家に相応しい人間になろうと努力
した。そのために、周囲には弱みを見せない生き方をしてきた。それが、冷たい人
間になってしまったんじゃないか?と、心配しているのだろう。
「恵は、父の期待に応えたいって思って、過ごしてきたんだろ?そんな優しい恵が、
冷たい人間な筈が無い。期待に応えたいと思う心に、間違いなんてあるもんか。」
 俺は、自分自身にも当てはまる事を言う。爺さんの期待に応えたい。そして、こ
の家では、父の遺言に応えたい。だからこそ、恵を補佐するんだって決めていた。
「兄様は、お優しいです。昔と変わりませんね。」
 恵は、ニッコリ笑って答えて来た。その笑顔は反則だ。妹とは言え異性だ。意識
しないと言うには、無理がある。特に、3年も家に居なかったのだ。妹として見れ
てるかどうか、まだ不安な点だって、あるのだ。
「私の不安も、兄様と居れば、解消出来そうです。」
 そう言ってもらえると嬉しい。兄貴としては、やっぱ頼って欲しい面もある。
「でも、兄様は、勉強の方は、頑張らないと、いけませんよ?」
 恵は、その辺は容赦しない。まぁ学生としては、当然の事なんだけどね。恵と比
べられると、困ってしまうな。何せ恵は、勉強に関しては、飛び級を受ける程の頭
脳なのだ。俺なんかとは、出来が違う。
「善処するよ。俺だって、お前と同じ血を引いてるんだからな。」
 妹とは、出来が違うなんて、言ってられないなぁ。
「・・・そうですわね。兄妹ですものね・・・。」
 恵は、伏し目がちに目を逸らす。どうしたんだろうか?
「俺、何か悪い事でも言ったか?」
 何だか、恵が元気が無いと、こっちまで元気が無くなってくる。
「いいえ。兄様の成績は、私の事を抜きにしても、大丈夫なのかしら?と思っただ
けです。何せ爽天学園は、結構な進学校ですからね。」
 あちゃー。いつもの恵だ。まぁ進学校だってのは、分かってるけどね。やっぱ、
勉強は必須かな。いくら格闘技の特待生とは言っても、最低限の成績を収めないと、
恵だって、カッコ付かないだろうしな。
「応援してるんですから、頑張って下さいよ。」
 恵は、プレッシャーを掛ける事を言ってくる。まぁ善意で言ってるんだからな。
俺としても、頑張らなきゃならないな。
「ま、俺自身のためにも頑張るさ。・・・って、おい。恵?」
 恵の様子が、おかしい。何だか胸を押さえている。大丈夫なのだろうか?
「おい。大丈夫か?睦月さんを呼ぶぞ。」
 俺は、恵の只ならぬ様子に、危機感を感じた。
「待って下さい・・・。まだ、呼ばないで下さい。」
 恵は、俺の裾を持って引き止める。待って下さいと言われてもな・・・。尋常な
らざる様子だ。しかし恵は、懇願するような目をしている。
「分かった。じゃぁせめて、俺のベッドに入ってろ。」
 俺は、恵を抱き上げる。コイツ、こんなに軽かったか?成長したと思っていたん
だが、やっぱ軽いんだな。でも、やっぱり、触っている所は柔らかい。むー・・・。
いかんいかん。早く、ベッドに乗せよう。
 俺は、煩悩を振り切りながら、恵をベッドに乗せる。そして布団を掛けてやる。
「・・・看病に来たと言うのに・・・反対に、ベッドに入ってしまうなんて。」
 恵は、少し落ち込んでいる。まぁ、いきなり不覚な所を見せたからかな。
「恵には悪いけど、俺は、少し安心した。何でも、完璧にこなされると、俺も立場
が無いからな。でも、本当に大丈夫か?」
 俺は心配する。やっぱり恵の言葉じゃないが、父があんな事になったばかりだ。
心配で仕方が無い。
「大丈夫です。・・・いつもの発作です。」
 恵は、深呼吸をしている。
「・・・いつもの発作って、まだ、治ってなかったのか?」
 俺は知っている。恵が、何で苦しんでいるかをだ。恵は、昔から3日に1度程、
発作が起きる。決まって胸が、締め付けられるようになるようなのだが、それが過
ぎると、ケロッとしていた。だが、その発作のせいで、体育の授業などが、疎かに
なる場面などもあった。だが、今の恵を見る限り、克服したのだと思っていた。
「ええ。今までは、決まって夜にしか起きないように、調整出来てたんですけどね。」
 何て事だ。じゃぁ今までも、自分の部屋に帰った後、苦しんでたりしてたと言う
のか。そんな事、全く知らなかった。
「そうか・・・。早く良くなると、良いんだけどな。」
 俺は、恵の手を握ってやる。
「大袈裟ですよ。私は、常に病気って訳じゃないんです。・・・でも今は、甘えま
すね。兄様の手は、暖かくて大きいので、安心出来ます。」
 恵・・・。俺は、お前のために、何処まで出来るのだろうか?父に顔を合わせら
れる程に出来るのだろうか?恵は、今まで強くあろうとしていた。我慢してきたの
だ。それを、少しでも和らげてあげたい。昔の恵は、しっかりした子だったが、病
気がちで、目の離せない子だった。その時の、恵の姿を思い出してしまう。
「歳を取る毎に、短くはなって来たんですけどね。」
 それは、精神力が強くなったからかも知れない。
「それにしても・・・何て病気なんだろうなぁ。まだ、分からないのか?」
 俺は、恵の病気の名前を知らない。まだ、判明しないのだそうだ。
「ええ。健康状態は、問題無いそうなんです。私にも、分かりません。」
 恵は、目で謝る。恵にも分からないんじゃ、俺にも分からないよな・・・。
「瞬様。洗濯出来た服を、お持ち致しました。」
 扉から、葉月さんの声がした。葉月さんは、ノックをする。
「葉月さん。ちょっと、ま、待ってくれ。」
 俺は、この状況をどうしようかと思った。端から見れば、恵が俺のベッドで寝て
いる。余り、良い状況では無い。
「またお具合が、悪くなったのですか?」
 葉月さんは、心配しながら扉を開けた。
「あ・・・。葉月さん。」
 俺は、間抜けな返事をしてしまう。葉月さんは、一瞬、顔を赤らめたが、周りの
状況を確認すると、急いで部屋に入って、扉を閉めた。
「恵様。いつもの発作ですね。」
 葉月さんは、察したようだ。
「葉月。睦月には・・・。」
 恵は、まだ睦月さんには、知らせたくないようだ。
「恵様。姉さんは、恵様の状態を、一番理解しています。心配を掛けさせたくない
のであれば、姉さんの診断を、受けて下さい。」
 葉月さんは、珍しく、有無言わせぬ様子だった。やっぱり心配なのだろう。
「恵は、何の病気か、分かるかい?」
 俺は、葉月さんに聞いてみた。
「分かりません。だからこそ、姉さんの診断を受けなきゃ駄目です。姉さんは、薬
剤師の免許を持っています。どんな薬を出せば良いかくらい、分かる筈です。」
 はぁ・・・。さすがは、睦月さんだ。薬剤師の免許を持っていたとは・・・。
「あの薬は、苦手なのよね・・・。」
 恵は、溜め息を吐く。どうやら、相当飲みたくない代物らしい。
「葉月さん。俺に出来る事は、無いかい?」
 俺は、葉月さんに尋ねてみる。
「恵様は、瞬様の事を、一番信頼されています。手を握ってあげるのが最善かと。」
 葉月さんは、ニコッと笑う。その顔で言われると、そう思えるから不思議だ。
「葉月。兄様の手を煩わせるのは、宜しくありません。」
 恵は、強がりを言う。まだ痛みが、続いている筈だ。
「何を言ってるんだ。俺は、煩わしいだなんて、思った事無いぞ。」
 俺は、恵の手を握ってやる。すると、握り返してきた。
「フフッ。ありがとう御座います。そろそろ大丈夫です。」
 恵は、そう言うと、体を起こしてきた。
「本当に大丈夫なのか?」
 俺は、恵の動きを見る。確かに起き上がった恵は、血色が良さそうだ。
「ええ。ご心配をお掛けましたわ。」
 恵は、手を開閉させると、ベッドから飛び出す。
「良かった・・・。でも姉さんの診断は、受けて下さいよ。」
 葉月さんは、念を押すように言う。確かに恵の場合、受けないで、そのままなん
てのも、ありそうだ。こう言うのは、治ったと思った瞬間が、危ないのだ。
「分かっています。自分の体です物。大事にしますわ。」
 恵は、優雅に答える。やっぱり恵は、こうでなくちゃいけない。
「分かりました。これで私も、安心出来ます。」
 葉月さんは、嬉しそうに笑う。やっぱり葉月さんも、恵の事が大事なんだな。使
用人として案じているだけでは無く、恵の事を本当に心配してるから出る行動だ。
「ありがとう。葉月。」
 恵は、葉月さんの心配が嬉しかったのだろう。言葉に、力が篭っていた。
「では私は、部屋に戻りますね。私が言うのも何ですが、体にお気を付けて。」
 恵は、俺の事も心配してたみたいだ。だが、今、倒れていた恵が言うってのも、
おかしい話だ。まぁ、だが、ここは、素直に受けておこう。
「ありがとう。でも恵も気を付けろよ。」
 俺は、恵に言葉を返してやる。すると恵は、スカートの裾を少し持ち上げつつ、
一礼をして、出て行った。実に優雅だ。この動きが出来るなら、大丈夫かな。
「私も、失礼します。恵様のお側に居ますので・・・。」
 葉月さんは、俺に頭を下げつつ、恵の事を追いかける。
「あっちの方が心配だしな。俺は大丈夫だし、付いて行ってくれ。」
「はい。ありがとう御座います。では、失礼します。」
 葉月さんは、扉を閉めて出て行った。恵に付いていったのだろう。その方が、俺
も安心だ。俺は、朝は失神していたが、今は、すっかり大丈夫だ。
 まぁ、俺が失神したのは、俺が原因じゃないしな。
(私のせいだとでも、言いたいのかね?君の修行不足も、加味して欲しいな。)
 いきなり入られて、あれだけ衝撃を与えられたら、ショック死だって、したかも
知れないだろ。それを、修行不足だなんて言われても、困るぜ。
(なーに。私だって、君の実力を見抜いた上で入ったのだ。それは、あるまいよ。)
 そうは言っても、結構な衝撃だったぜ。頭が破裂するかと思ったんだぞ。
(オーバーだな。私の選択眼を、信じたまえよ。)
 あれは、選択眼も何も無く、いきなりだったじゃないか。
(ま、過ぎた事は、悔やまぬようにするのが、長生きのコツだぞ。)
 ・・・アンタ。楽しんでやってるな。全く・・・。
(それはそうと・・・。少し気になったのだが、君の妹は、本物か?)
 ?何が言いたいんだ?アンタ。結構、失礼な事を言うんだな。あれが恵で無くて
何だって言うんだ。冗談も、程々にしてくれよ。
(そうか。では、私の気のせいだったのかも知れんな。謝ろう。)
 何か変な所でもあったって言うのか?確かに、いきなり倒れたりしてたけど、あ
れは、昔からの病気だぜ?恵は、持病持ちだったからな。
(なる程。なら間違いないのだな。微かだが、妙な物を感じたのでな。)
 引っ掛かる言い方だな。まぁ良い。恵は、おかしい所なんか無かったぜ。
(君が言うのなら、信じよう。)
 そうしてくれると助かる。俺に続いて、恵に移られたりしちゃ、堪らないからな。
(酷い言い様だ。私は、見境が無い訳では無いぞ。)
 分かったよ。アンタの選択眼とやらも、信じてやるさ。
 全く・・・。恵に、あらぬ疑い掛けるなっての。恵は、俺の大事な妹なんだ。
 俺は改めて、この家を・・・そして、恵を守ると言う事を考えるのだった。



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