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キナバル登山記録

2002.01.19 メンバー;我々夫婦と友人の奥さん、小5の娘さん

地図;GLOBETROTTER "VISITOR'S GUIDE KINABALU PARK" より引用

東マレーシア(ボルネオ島)
 ボルネオ島は南シナ海の赤道直下にある世界第3位の島で、マレーシア、インドネシアおよびブルネイの3国が領有している。

キナバル山(標高4,095m)
 ボルネオ島のマレーシア領東北部、サバ州にある山。アジア太平洋地区の最高峰。

日本からのルート
 最寄空港はコタキナバル国際空港。日本から行く場合クアラルンプール国際空港で乗り継ぐのが一般的であるが直行便もある(ただし数は少ない)。

現地交通機関
 登山基地である公園事務所までコタキナバルから凡そ80km。公共バスもあるが便数が少ないため通常タクシーを使用する。
空港にタクシー申し込み所がある。下山後公園事務所からタクシーを呼ぶこともできるが、行きのタクシー下車時に帰りの迎えを予約するほうが無難(ドライバーもそれを喜ぶ)。

キナバル国立公園
 1964年施設登山道整備の上、国立公園として指定された。
750平方キロ(奄美大島とほぼ同じ広さ)。
宿泊施設;(標高約1,500m)
 シャレット(山小屋風の比較的小規模の宿泊施設)とホステル
(別荘風の宿泊施設)が本部地域に点在している。収容人員は150人程度。我々は前者に宿泊。

登山のシステム
 公園本部施設の収容人員に限界があるため事前の予約要。登山をする場合更に登山登録(有料)とガイドを雇う必要がある(8人までのグループに最低一名必要。仮に1人で登るとしても一名雇わなければならない)。このほか必要に応じポーター(荷物担ぎ)を雇うこともできる。ポーターが請負う重量は一人当たり35キロ程度のようだ。

費用例(単位マレーシアリンギット、1リンギット=約30円)
 タクシー(コタキナバル空港ー公園本部) 150.00
 公園内の小屋  92.00〜230.00/日 (素泊まり)
 入山料 100.00/人
 保険料  3.50/人
 ガイド料 64.00(ガイド一人。年々上がる模様)
 登山口までのバス 25.00/1パーティー
 中腹の小屋(Laban Rata Resthouse) 34.00/人 (素泊まり)
 食事 約20.00/一食
 登山証明書 2.00/1枚(ガイドが証明する。登頂の場合はカラ  ー版、それ以外でも努力賞の証明書が出る)

登山記録

18日(到着日)
公園本部で小屋代と入山料を支払い小屋の鍵を受け取る。
19日
朝7時過ぎ;公園本部でガイドと対面(原則としてガイドの指名はできない)
8時;
本部よりマイクロバスで登山口(Timpohon Gate.1,890m。地図参照)に向け出発。登山口は厳重な柵がありガイドが同行しないパーティーはシャッタアウト。
8時15分
登山開始。イングランドの出身者でヒマラヤ登頂経験がある中年の紳士がガイドを連れ早いピッチで登ってゆく。最初は日本の里山に似た起伏の少ない道を辿る。内心たいしたこと無いと思っていると突然急な上り道に差し掛かる。登りでは気づかなかったが、あたかも防塁のごとき石組みの階段が随所にある。避難小屋はほぼ30分ごとぐらいにあり、トイレと飲料水が設置されている。水は余程の自信と実績が無い限り飲まないほうが無難(もっとはっきりいうと登山に訪れた日本人は飲まないほうがよい)。

8時45分;Kandis Shelter
9時07分;Ubah Shelter
9時50分;Lowill Shelter
10時30分;Mempening Shelter

11時ごろになると下山者とすれ違うことが多くなる。元気な人も多いが下りというのに思いのほか消耗しているひともいた。日本人、特におばさんの元気さがひときわ印象的。
11時15分;LayangーLayang Hut
12時23分; Vilosa Shelter
13時12分;Paka Shelter
・・・これからが結構永かったが、ガイド(ジャムさん、独身)はといえば荷物はナップザックひとつの軽装。ポケットに手を突っ込みひょいひょいと身軽に動く。このころまでは我々も好調であったが昼食の長休止を境に次第に足が重くなる。その脇を荷揚げのポーターが重い荷を背中にすいすいと追い越してゆく。なぜかポーターは女性の職のようだ。逆に女性のガイドは見られなかった。
午後1時ごろ
ガイドは「もうすぐ」と・・・・それまでは特にどうって無かった避難小屋の待ち遠しかったこと。

下山者もまばらになったが、色々な兆候から中腹小屋の近いことが分かり雨が降り始めたにも拘らず再び元気が沸いてくる。
午後2時;Laban Lata着
突然ラパンラタの小屋が目に飛び込んできた(標高3261m)。状況が状況だったためか想像をはるかに絶するお城みたいな立派な施設に見えた。たかだか1400mを6時間近くかけた訳だ。体感的には距離はずっとずっと長いように感じる。
ラパンラタ小屋の生活。
ラバンラタは近くで見れば白亜のどっしりとしたビルであるが、登山本部からの望遠では台地の一隅にひっそりと佇んでいる施設に過ぎない。しかし一歩内部に足を踏み入れると既成概念は霧消。つくりは立派だし、共有スペースもアジアとは思えぬほどゆったりと配置されている。特にテラスからの眺望は絶佳。おりしも押し寄せてくる雨雲をものともせずどっしりと構える山の姿は特筆もの。
部屋;一行4名であったが定員6名の部屋が提供された。普通は相部屋であるがこの日はたまたま定員を下回った為らしい。
部屋には電気ヒーターが備えられており翌日に備えて濡れた服を乾かす。
シャワー;ラパにも拘らず「帳場」のお兄ちゃんにシャワーはできるだけ早く浴びるように助言を受けた。都市部のホテルには及びも付かぬがこんなところでなんでシャワーをつけねばならなかったんだ!
料理;なんでもあり。
かつて富士山に登ったことがあるが5合目の小屋で仮眠したときの「ディナー」は確か給食にも遠く及ばない「カレーライスのまがい物」。ところがここではどうだ、ステーキはおろかビールさえある。荷揚げの女性ポーターたちのおかげだ。
夜空;
小屋では翌日の行動に備えて7時ごろには夕食を終えて速やかに就寝というのが通常のスケジュールである。登頂を控えてそれぞれ興奮気味であったが早々に部屋に帰って就寝。しばらくドアの開閉、私語などがあったがやがて静寂が訪れる。我々もくたびれていたせいかすぐに眠りに入った。
到着時はあいにく雨に見舞われ、翌日が思いやられたが夕方から次第に快方にむかっていた。夜半、といったって午後11時ころか目覚めて外を見ると文字通り降るような満天の星。感動のあまり寝静まったホールを通りベランダでしばし放心。
以上 La.ban  Rata まで

登頂へ
当日、中腹小屋の宿泊客は50人ぐらい。マレーシア人は意外に少なくガイドを含めても半分ぐらい。あとは西欧白人。日本人は我々パーティー4人のみ。

午前2時起床。営業中の食堂で簡単な朝食(麺類)。栄養のある豪華なメニューもあったが登山に支障をきたすのでやめたほうがよいとのガイドのアドバイス。
午前3時出発。
満天の星空であるが深い暗闇。各自懐中電灯で足元を照らしながらの歩行。ルートは梯子があったり固定ロープに頼る部分があったりで結構厳しい。・・・といっても登りのときは暗闇で足元を見るのに精一杯であったせいかそれほど感じなかったが白日下の下りで改めてそれを認識させられる。「エーッ、こんなところを登ったの?」という感じ。登るに従い雲が切れて視界が開けて下界が見えてきた。もちろん都会とは異なり光の洪水というわけではなく、暗闇の中に灯火がぽつんぽつんと点在する感じであるが。
3600mの台地に出ると風が出て頂上一帯の眺望が星空をバックに仄見えてくる。
20日午前5時15分;Sayat-Asyat Hut
山場は越えた感じ。
5時55分;South Peak

午前6時25分頂上
視界はよいが風が強く寒気著しい。身を寄せ合って風をよけすばらしい眺望を楽しむ。小屋であれほどいた登山者はなぜか少ない。そういえば頂上直下の岩陰で力尽きたのか風をよけてうずくまっているパーティーがいた。
7時20分下山開始。この間ほとんどピークを独占。下り道であたり一面真っ白な光景に出くわした。一瞬雪かと思ったがどうやら霜の様だ。4千メートルを超えるとはいえ赤道直下、思っても見なかった幻想的な景色であった。
10時;Laban Rata着、小憩後11時出発
17時15分;登山口ゲート着。写真を撮ったり植物の観察をしながらとはいえ登りとほぼ同じぐらいの時間がかかったことになる。
最後は正直のところ膝が笑っていた。登りの為に購入した杖が意外にも下りに威力を発揮。

迎えに来たマイクロで登山事務所へ。ガイドの登山証明により無事証明書をもらう。なんと歴代通しナンバーつき。

めでたしめでたし。終わってみればどうってこと無かったような気がするが、かといってもう一度登ろうという気は今のところ起きない。

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