ばーちゃん・りありてぃ

萬屋雪野


 ばあさんが引っ越してきた。縁側があって、狭いけど日当たりのいい六畳の部屋に、ばあさんが引っ越してきた。
 ばあさんは地味な着物に白い足袋、一昔前のテレビ番組でやっていたホームドラマにでも出てきそうな格好をしていた。顔は、よくわからない。とにかくばあさんの顔。ばあさん顔、というのがあればそれに違いない。でもってばあさんは何をしているかっていうと、さっそく縁側へ出て、ひなたでこっくり、こっくり昼寝を始めた。

「だろ?」
「だろ、じゃない。一体俺になにをしたんだ」
 おれは友人の天城に食ってかかった。こいつがにやにやと笑っている時は、いつも何かよからぬことをしでかして、そんでもっておれには何も言わない。そんな時だ。幼稚園のころ、こいつにチョコレートドリンクだと言われて泥水を飲まされて以来、こいつとの腐れ縁はまだ続いている。
「バイトの手伝いをしてもらおうと思ってさ」
「なんのバイトだよ」
「新製品のシステムのモニタ」
 やつはコンピュータ会社にコネがあるらしく、ときどきおかしなソフトを仕入れてきてはおれに見せびらかす。ニューラルコンピュータのなかで使うアプリケーションだの、新しい推論ソフトだの。おれは特に興味がなかったからいつも話半分でやりすごしているのに、やつのほうはおれが何も言わないと思って一人でべらべらと喋っている。どうやらそういうソフトに関する蘊蓄や、自慢話らしい。一方通行のコミュニケーション。コンピュータをやっている人間に多いタイプだ。
「なんだか知らないけど、俺を巻き込むなよな」
「ご愁傷さま。もう巻き込んでるよ」
「え?」
「もうシステム組込んじゃったもんね」
「何を」
「新型データベースのシステム」

‥‥‥で、おれの中には、正確に言えばおれの脳細胞には、データベースの核になるべきプログラムが記憶として入っている、というわけ。脳の神経細胞を、目や耳からのデータで自由に結合させるプログラムがある、というのは聞いたことがあったが、まさか自分のなかにそれがあるとは‥‥‥しかし、いつそんなプログラム、見たっけ? そう言えば少し前に奴と飲んだとき、あいつ、確かおかしなソフト持ってきてた。おれは奴の話をろくに聞いていなかったが。あれから二人で酔っぱらって‥‥‥
「そう、あのとき転送させてもらった。いわゆる睡眠学習ってやつで」
 やつはおれの心を見過ごすようにそう言った。と思ったら、やつはおれが思案している最中にも何か喋っていて、偶然会話が重なっただけだった。いったん重なった会話はそのままどこかへ飛んでいき、おれは、というと眠っている自分に覆い被さるやつの姿を想像して身震いしていた。冗談じゃない。
「まあ、空き領域に転送したから、実生活には心配ないね。人間の脳なんて70パーセントは使ってないというから‥‥‥」
 あまりのショックからやつの話もそこそこに、おれは家へ帰ろうとした。本当はやつの話を良く聞いて、システムのなんたるかを聞いておけばよかったのだが‥‥‥使われていない脳を云々できるわけがないと、半分諦めてしまったのだ。肩を落とすおれの姿に、やつの能天気な声が明るく響いた。
「バイト代は折半だぜえ!」

 ところがおれの生活は、あの妙にほのぼのしい夢を除いては全く普段と変わらなかった。講義に出て、バイトに出かけて、飯を食って。あとで奴に聞いたところでは、このシステムは完全に未使用領域に入っていて、システムがメモリを管理しているので表に出てくるということはないという。もちろん毎日壊れていく脳細胞のために、つねに自らをチェックし、破損個所を推論、修復していく。データベースは不特定多数の人間が使用するから、自己管理能力に優れていなければたちまちハッカーたちに侵略されてしまうのだそうだ。
 で、唯一おれが見ることのできるのは、夢の中で居眠りをするばあさん。いつも縁側で春のような日差しに包まれながら居眠りをしているばあさんだけなのだ。漫画やSFなんかで、頭のなかにコンピュータが入っているってのがあるが、おれの頭の中ではばあさんが寝ているだけ。なんの利点もない。
「頭の中のデータベースってのは、まんざら嘘じゃないらしいね。実際にこのプログラムは人間の脳で動作するように作られているし、人間の記憶を検索するソフトも追って開発しているらしい」
「へえ。ところで、おまえんとこのばあさんはどうしてる?」
「うちか?うちのばあさん、あいも変わらず昼寝してるよ。昼寝してる、ってのは、システムが順調だ、っていう証拠だから安心しろよ。しかし、ばあさんじゃ色気がねえな。可愛い女の子だったらよかったのに」
 なにをいってやがる。ばあさんだから普通にしてられるんじゃないか。女の子が頭にいたりしたら、今頃は食事にいこうだの、買い物にいこうだのうるさいに決まってる。でもって、夜は遅くまで遊び歩いて、父親に門限のことで説教されるに違いないのだ。多分。「しかし、ばあさんは身寄りがないのかな」おれはふと、そんなことを呟いてみた。天城はきょとんとした顔でおれを見る。
「は?データベースに身寄りなんてあるわけないだろーが」
「だってさ、ばあさんはいつも縁側で寝てばかり。孫とか、娘とかいなくて、寂しくないのかな」
「そういうもんじゃないだろ、プログラムなんだから」
 そんなことをいったらおれたちだってプログラムじゃないか‥‥‥そんな言葉をおれは言いかけてやめた。それじゃいくらなんでも悲しすぎる。
「でもさ、なんとかならないかな」
「なにが」
「一人暮らしのばあさんになにかできないかってこと」
「‥‥‥なにか、ねえ」

 ばあさんは、あいも変らず縁側で昼寝をしていた。今日も外は青空。いい天気。こっちまで眠くなってきそうだ。
 最初ははっきりしなかったばあさんの姿も、近頃はだんだんとはっきりしてきた。ばあさんの鼻のうえにちょこんとのっている老眼鏡も、昔風に結いあげられた白髪も、白足袋に光る金色の金具さえも明確に見えるようになってきた‥‥‥顔は、やっぱり典型的なばあさん顔だったけれど。そして今日はじめて、ばあさんの膝の上に三毛猫が寝ているのを発見した。ばあさんと猫。なにか変わったことでも起きないかと思ってしばらく見ていたが、穏やか春の日差しの中で、一人と一匹はやっぱり眠ったままだった。

「ねこだよ」
「ねこか」
「ねこだよ」
「やっぱし」
 間の抜けた会話をするのが得意になったのは、多分あの一人と一匹のせいだろう。と思っていたら案の定、天城の奴もすっかり間が抜けてしまっていた。おかげで会話はしやすくなったが、無言でいる時間も多くなった。
 それはそれでいいことなんだろうが、それにしても男ふたりでほのぼのしているというのはなんとも気色悪い。
「ねこ、入れたろう」
「ああ、本当は侵入者を捕まえるガード・プログラムなんだがな」
「でも、ねむってる」
「いいことじゃないか」
 調子にのった天城は、猫だけじゃなく犬や、ネズミなんかもいれている(常駐している、という)らしい。おかげでうるさくて眠れない、なんてぼやいていたが、今はどうなんだろう。
「ばあさん、どうだ?」
 おれは何気なくそう言ったつもりだったのだが、言われたやつの顔はみるみる青くなってしまった。最近静かなのは、ほのぼのだからなのではなくて、なにか恐ろしいことが起こったからなのか?プログラムが壊れた、とか、犬と猫と、ネズミが三すくみになっている、とか。
「‥‥‥どうしたんだ?」
 やつの目がこっちを見た。目が血走っている。
「‥‥‥笑わないか?」
「笑わないけど‥‥‥なんだよ」
「茶化さないか?」
「だから、なんだってんだよ、一体全体」
「‥‥‥ぼけたんだ」
「へ?」
「ぼけはじめたんだ」

「最初はバグかなんかか、と思ったんだよ。いつものように夢の世界に入ったら、六畳間いっぱいにティッシュが散らばっているんだ。普通なら昼寝しているはずのばあさんはというと、部屋の隅でなんかやってる。で、なにやってんのかと覗いてみると、ティッシュの箱からティッシュペーパーを一枚、また一枚引き出しているんだ。ティッシュペーパーしゅっ。で、捨てる。またティッシュペーパーしゅっ。で、また捨てる。延々そんなことを繰り返しているんだ。
 次の日も、ばあさんはティッシュペーパーを箱から引き出していた。昨日は気付かなかったけれど、ティッシュペーパーにはびっしりと文字が書いてある。なにかなって覗いてみたら、なんて書いてあったと思う?」
「さあ」
「天城雄三3才って、ぼくの記憶だよ!」
「!!!」
 おれは目の前が真っ暗になった。頭の中の部屋の中で、ティッシュペーパーを引き出し続ける老婆。あのほのぼのしたおばあちゃん顔が、醜い鬼婆ぁのように思え始めた。
「で、なんとか止めようとしていろいろしてみたんだが、ハードだって足りないし、第一これはソフトハウスの責任だ‥‥‥急いでソフトハウスにも行ってみたんだが、記憶を云々している以上、下手にいじると危険だ、ってことになって‥‥‥」
「今もお前の記憶をしゅっ、ってやってんのか?」
「いや、9才くらいで飽きたのか、今度は部屋の壁に張り付いて、セミのまねしてる」
 冗談で言っていれば次の瞬間に吹出しそうになっていた筈だ。しかしやつの顔はいよいよ悲壮になり、おれもいっそう深刻になる。「他人の不幸は自分の幸せ」なんて言ったやつは誰だったか。
「‥‥‥システムを修復する過程で、システム自体が移動することがあるらしい。たとえばメインの領域の一部に破壊された領域があるときなんかにね。でもって、ぼくの場合は犬や猫の領域がシステムの領域に点々と存在していたもんだから、うざったくなったばあさんが引っ越しをしてしまったんだ。ぼくの記憶領域の内部にね。プロテクトをかけてあったんだろうが、記憶領域との壁をネズミかなにかが食い破ってしまったのか‥‥‥」
‥‥‥ということは、ばあさんはデータベースだから、やつの記憶を情報として、それを収集しているんだろうか。それとも‥‥‥

 おれのばあさんは今日も春の縁側で、猫を膝に昼寝をしている。やつのばあさんは自分の排泄物をティッシュに包み始めた。

 おれのばあさんは今日も春の縁側で、猫を膝に昼寝をしている。やつのばあさんは部屋の中をうろうろ回り始めた。

 おれのばあさんは今日も春の縁側で、猫を膝に昼寝をしている。やつのばあさんは着物を短冊に裂きはじめた。

 そしておれのばあさんは、きょうもこっくりこっくり、愛すべき三毛猫といっしょに昼寝をしている。最初はばあさんがいつ目覚めるかと不安だったが、この頃はこの呑気なばあさんを訪ねるのが楽しみになっている。もしかしたら、今日あたり目を覚して、おれがやってくるのを待っているかもしれない。そのときは藤籠にいっぱいのみかんと、おはぎをもって‥‥‥

 そしたらきっとばあさんは、おれのアルバムを押し入れから出してきて、おれが忘れてしまった昔の話を聞かせてくれるにちがいない。目を細め、まるで昨日のことでも語るように。

 ばあさんは今日も眠っている。

end
(1991年作品)



撰者から:

 題のつけかたに、ヴァーチャル・リアリティが流行っていた当時を思い起こさせる。しかしこの作品は、そんな時代の先端とは関わりのない作品に仕上がっている。特にドラマティックな出来事が起こるわけでもないが、ばあさんのほのぼのとした雰囲気が読む者の心を和ませてくれる。