英才教育

TGN

 『「今」って何だろう。「今っていうのは現在だ」、で終わらせることはできるのかな。ちょっと前までわからなかった未来、ということはできないのかな。何かの歌詞で「今日は昨日の明日………」というのがあったっけ。でもこれは「今日は明日の昨日」と言ってもいいんじゃないの ?………きっとその人の考えかたに左右されるんだろうね。
 一年後の今頃はどうなってるんだろうってよく考えるよね。考えない人はダメだよ。今つらいと、僕はよくもっとつらくなった状況を想定して 、それを回避するために今頑張るってことにしてる。どこであきらめるか、によってその人の未来も決まってくるような気がする。努力って際限 ないから。でも、そう考えると今目の前にいる人だって、その人の精一杯なんだなって思うんだ。能力の個体差なんて大したことはない。その人の忍耐力がその人の将来を決めてしまう………。』

 機転がよく利いたり、忍耐力がある人は人生成功しやすいのは確かでしょう。そんな中で忍耐力さえあれば将来は約束されたようなものだ、という考え方が広まって乳幼児に忍耐力を高める特別教育をする企業が現れました。上はその企業のパンフにあるうたい文句です。この教育の効果は科学的にはっきりと確かめられていて、厚生省が認可して以来、爆発的なブームとなりました。猫も杓子もみんな我先にと教育施設に赤ん坊を 預けました。その数ヶ月後にはやたらと忍耐強い赤ん坊が親許に返されるわけです。赤ん坊は確かに変化がありました。泣かないのです。赤ん坊が泣かないのだから、共働きの親としても非常にありがたいことでした。子供達は順調に成長し、両親の期待通りエリートとして社会に出ていきました。
 ところがここへ来て、弊害、副作用が現れ始めました。忍耐強いというのは、その人だけが得をするというものらしく、周りの人間からみればかなりうっとうしいものだったようです。しかもその忍耐強さが「前進・発展」へ向けられたものなら良いのですが、「不満のある現状への適応」へ向けられると手におえないのです。しかも、全体的にはこちらの人間がはるかに多くなるという結果となってしまっていました。
 こうした「適応型」忍耐人間達は、数少ない「発展型」忍耐人間と忍耐力促成教育を受けなかった人間の………言葉は悪いですが、便利屋、使いっ走り的な存在となっていました。いや、それならまだいい、あまりにも融通が聞かないのでどこへ就職してもすぐ解雇されてしまうか、入社即窓際族の仲間入りで、そんな人達のひしめく部署は忍耐部屋などと呼ばれる始末となりました。こんなはずでは………と世の親達はただただ嘆くばかりでした。彼らの得た忍耐力が役に立つのは社会に出るまでだったのです。こんな融通の利かない人達に『「今」とは何ですか?』と質問してみました。返ってきた答えは次のようでした。『「今」とは常に越え続けなくてはならない永遠の壁。しかし、「生きる」とはこういうことではないでしょうか。』はっきりいって普通の人は恥ずかしくてなかなか言えないような台詞でした。やはり忍耐強くする教育が原因だというこ とになり、30年近くも続いたブームも鎮火せざるを得なくなりました。でも、あと20年以上もこんな新入社員が来るのではたまったもので はありません。日本の発展も急ブレーキがかかってしまいました。というのも、「あの」人達の中から政治家が出てきてしまったのですから。確かに知的レベルの底上げにはなるものの、人間やはり普通が一番、ということがようやくわかった人達はもう高齢に達していてどうすることもできませんでした。
 このあと幸いにも日本は、時間は掛かりましたがどうにか体制を立て直すことができたようです。人々は過去の過ちを反省し、子育てに対する態度を改めるようになりました。でもやはり、いつの時代でも機転や融通が利いて行動力や忍耐力のある人間は頼りにされることに変わりはありません。そんなわけで、そこへまたそんな力を幼児のうちに伸ばすという企業が現れることになりました。人々の反応は………どうなるでしょう、ご想像におまかせします。もしあなたが幼児の親だったらどうしますか?施設に預ければきっと社会に出たあとで役に立ちますよ。保証はできかねますが。

end





撰者から:

 これが彼の小説の初作品である。しかし彼はこれ以降小説作品を書いていない。是非また書いて欲しいものだ。
 彼の本領はゲームを主題としたエッセイであり、そちらもそのうち紹介していくことになるだろう。