- Interface -

Another Side

< Arbitrary Program >

Brownie

 記号化された空間を、希薄な意思が通り抜けて行く。
 曖昧な存在は、空間に溶け込む寸前で、危ういバランスに支えられていた。
 感覚器官に投影される、論理と生命の不協和音。
 数え切れない人格が、絶え間無い生成と消滅を繰り返していた。

◇2158 - 複合企業

 どんな企業にでも、非主流と呼ばれる部署が存在する。
 エスター電子産業の場合、ボストンにある『人工生命研究所』がその筆頭に挙げられるだろう。
 他の部署から毎年のように予算削減圧力をかけられ、辛うじて前年水準を維持しているのが現状だ。
 わずか十数人というスタッフの人数からも、彼らに対する期待の程が伺える。
 何らかの成果をあげない限り、数年以内に予算を削られるのは火を見るよりも明らかだった。

・戦場

 液晶ディスプレイ映し出されたカオティックな物体を眺めながら、スージーはブラックコーヒーを口に含んだ。
 腕の時計に目配せすると、時刻が彼女を一層不愉快にさせる。
 午後十時十分。この時代に、五時間十分もの残業をする人種は絶滅している筈なのだ。
 ところがここでは、そんな人種が六人も生存していた。
 十数人のスタッフの中で、差し迫った期限に追い回される六人である。
「あと一週間で報告書をまとめるなんて、誇張ではなく狂気の沙汰だわ。大体、こんなスケジュールを押し付けられて、黙って従う人の顔を見てみたいものね。」
 大袈裟な言葉を投げかけながら、スージーは右隣の男の顔をしげしげと眺めた。
 アリソン・ランダー(A.L.)。スケジューリング課長、及びオートマトン担当チーフ。二枚目を一ページ通り過ぎた顔にも、この期に及んで焦りの色をはっきりと見て取れる。
 しばしの沈黙。そしてピリオドのキーを叩くと同時に、アリソンは猛然と反撃を開始した。
「いいかスージー。いくら不平を言ったって、我々の期日が一週間後に迫っているという事実に変わりはないんだ。この一週間を乗り切れなければ、みんな揃って総務部あたりに廻されると思っとけ。所詮、スケジューリング課は『スケジュール受取課』でしかないんだよ。」
 一気に吐き出し、再びキーボードに乱打を浴びせる。
 スージーは、一通り受け止めた後、淡く発光する天井を仰いで大きく溜め息をついた。
「こんなフザけた部署だなんて、社内広報を鵜呑みにした私がバカだったのね。『純粋にALに惹かれる研究者が集う、無限の可能性を秘めた明日のリーディングセクション』?笑わせないでよ。ハン!」
 そんな独り言も、虚しく空気に吸い込まれてゆく。
 返す余裕のある人間など、この空間には存在しない。
 肩をすくめると、スージーは諦めて、遷移図の山の整理に取り掛かった。
 彼女が自宅に生還するには、十二時四十分まで待たねばならない。

・活気

 地下の自動通路を通って、オフィスのあるビルに飲み込まれて行く。
 これは、自宅から目的地まで、座っているだけで移動できる公共交通手段だ。
 ビルに入ると、そのまま磁力エレベーターに接続される。
 だが、こんなに便利極まりない移動手段も、スージーにとっては単なる有難迷惑でしかなかった。
「(やめてやる。今度の仕事が終わったら、絶対に転属願いを出してやるんだから。)」
 人工生命研究所に配属されて半年。常に修羅場をくぐらねばならない職場だと知った時、彼女の眼前には、絶望的なベルリンの壁が立ちふさがった。
 三階を過ぎて、四階で停まる。強化プラスティックで作られた透明な壁を通して、見慣れた『戦場』を見渡せた。
 自動ドアが開き、慣れた動作で席を立つ。
「スージー、おはよう。」
 すぐ近くにデスクを持つマイケルが、彼女にすがすがしい声を投げかける。
「おはよう、マイケル。」
 軽く手を挙げて、言葉を返す。昨日の残業の『戦友』だ。
 他の数人にも一通り挨拶を済ませ、深々と自分の椅子に腰を落とした。
 午前八時三十分。こんな時間にも係らず、ビルの中では、ここが最も活気に満ちている。
 皮肉な活気であった。

・論理空間

 ビットの嵐が、空間を吹き抜ける。
 融合と分裂を繰り返しながら、あまたの意識が互いにぶつかり合っていた。
 存在とは情報であり、情報は意識になる。
 知性の原始形態が、そこにはあった。

 スージーとマイケルの見守る中、ディスプレイの表示は刻一刻と変化する。
 色分けされた格子の中で、独自性が懸命になって自己主張をしていた。
「このグループのニューラルネットは、どうなってるの?」
 電子ペンを動かして、スージーがライトブルーのグループを囲む。
「ありきたりだね。遷移図にコンバートする?」
「やってみて。」
 クリックすると、一瞬後に遷移図が映し出される。
「やっぱり、ただの寄生免疫型だわ。進歩が無いわね。」
 遷移図を消去。再び世代交代モードに入る。
「どうしてこう、ある時期からは、何世代経っても同じような奴等ばかり出て来るのかな?」
 見飽きた格子で、停滞した興亡が繰り広げられる。
「多様性が極大に達するんでしょ。」
「これで?この程度の多様性が、極大だと言えるのか?」
「メモリーが足りないのかもね。オフィスのコンピューターを全部使ってシミュレートする?」
「所長さんの許可さえ出れば、すぐにでも。去年から申請してるけど。」
 所長は、相変わらずの重役出勤だ。
「六千四百八十二兆百九十三億七千二百三十一万千八百四十七世代。これだけ経っても、ほんの百兆世代目と代わり映えがしない。」
 ディスプレイの数字を棒読みにするマイケル。その態度から、行き詰まりを多分に感じ取る事ができる。
「地球でいえば、白亜紀って所かしら?」
「何だって同じだよ。変化が起きなければ。」
 投げやりに呟いて、ディスプレイの電源を切った。
 いつ見ても、変化が起こっていたためしがない。

・模索

 マイケルが行っているのは、二十世紀から行われていた『プログラム増殖』実験の一種である。
 まず、メモリーの中に、自分のコピーを作るだけのプログラムを放つ。
 そして、何度かのコピーのうちに、コピーミス(突然変異)が発生する仕組みを作る。
 すると、何世代も経過するうち、他のプログラムに寄生するタイプや、それに対する免疫を持つタイプ、他のプログラムと連携して共存を図るタイプ等が『自然発生』するのだ。
 逐次実行プログラムをニューラルネットに置き換え、増殖のアルゴリズムをニューラルネットに任せても、同じ事ができる。これが、彼らの行っている実験であった。
 だが、期待を持って行ったにも係らず、出て来る結果といえば二十世紀の実験と大差がなかった。
 これでは、エキサイティングな報告書を作る事など、到底不可能である。
 暗中模索は、未だ突破口を見出せない。

・疑惑

 同族とはいえ、あいつと俺は微妙に違う。
 気をつけろ。いつ裏切られるか、分かったものじゃないぞ。
 現に、あいつは少し、俺の領域に侵入しているではないか。
 今に見ていろ。あいつが俺をやる前に、俺があいつを消し去ってやる。

 洒落たバーのセピア色の照明の下で、アリソンとスージーは向かい合っていた。
 誘ったのはアリソンである。昨日の残業の詫び、という名目だったが、残業したのが彼女だけではない事は言うまでもない。
 誘いに乗ったのは、アリソンの為ではなく、ある事柄を了承させる為である。
 彼女への誉め言葉や、仕事上無理を強いている事への詫びを軽く受け流し、スージーはようやく本題に入った。
「仕方の無い事ね。諦める事にするわ。それより、聞いて欲しい話があるんだけど・・・。」
 日本酒を僅かに口に運んで、上目遣いでアリソンを窺う。
「コンピューターを二、三台、廻してくれない?所長に内緒で。」
 いい終えて、相手の顔をまっすぐに見据える。
「何に、使うんだ?」
 心なしか、目を伏せる。
「うちのチームのコンピューターじゃ、メモリーが足りないのよ。もう最大容量まで増設してるのに。」
「メモリー不足が、進展のない原因だと確信できるか?」
「『進展がない』は余計なお世話だけど、十中八九はメモリー不足ね。」
 言い切るスージーに、アリソンは怪訝な目を向ける。
「俺のチームだって、コンピューターが余ってる訳じゃないんだ。そう簡単に言われても、困る。」
 渋るアリソンに、スージーは両手をテーブルで支えて身を乗り出した。
「二日だけでいいのよ。メモリー不足が原因なら、二日もあれば大きな進展が見込めるの。」
 しばし、見つめあう。やがて根負けしたアリソンは、微笑を浮かべて口を開いた。
「わかった。あさってから二日間、二台のコンピューターをそっちに廻そう。そっちが進展してくれなければ、報告書もまとまらないからな。」
「ありがとう、アリソン。ああ、あなたって本当にいい人ね。」
 最後の言葉は言うまでもなくお世辞だが、この時は、多少の本心も混ざっていたかも知れない。
 彼の英断によって、実験は進展を見るかもしれないのだから。
「いい人か。こんなにいい人の誘いなら、当然あと二、三軒は付き合ってくれるんだろ?」
 しまった、という感情は表に出さず、ぎこちない笑みを口に浮かべる。
「(一言、余計だったかも知れない。)」

・個性

 最近、あいつが気にかかる。
 俺に対して、敵意を抱いているのかと思っていたが、どうもそうではないらしい。
 敵意がないのなら、あの不法侵入はどうしたわけか。
 俺には、それを理解する能力は無い。

「君のおかげで、大規模な実験に着手できるよ。ありがとう。この仕事が終わったら、好きな物をおごるから。」
 スージーの話を聞き、マイケルはすこぶる上機嫌になった。
「あ、あの、あんまり近くで大声出さないで。その、頭の芯に響くのよ。」
 額に指をあてて、頭痛をアピールする。ありていに言えば、『二日酔い』という奴だ。
「大変だったみたいだね。一体、何軒付き合わされた?」
 目をつむって、押し寄せる苦痛の波を堪え忍ぶ。
「四軒。」
「たいした豪傑だね。チーフと四軒付き合って、翌日に出社できる奴がいるなんて。」
「休む訳にはいかないでしょ?普段だったら、家で前後不覚に陥ってるわよ。」
 大きくリクライニングして、頭痛を懸命に紛らわす。
「ひどいの?」
「大丈夫よ。」
 強がっているのは明らかだ。
「無理をするのは良くないよ。今日は僕一人でやるから、薬でも飲んで安静にした方がいい。」
「本気なの?今日のノルマを一人でこなす気?」
 大袈裟に胸を叩いて、マイケルは断言する。
「何とかするさ。病人に仕事はさせられないよ。」
 強気のマイケルを見て、スージーはようやく本心を出した。
「・・・感謝するわ、マイケル。今にも死にそうなのよ。・・・うぅっ、あのスケベおやじ、調子に乗って私を引きずり回すんだから。身が持たないっていうのは正にこの事ね。」
「それにてもチーフ、いくら男だからって、同じだけ残業した僕達を無視するなんて、明らさまじゃないか。」
「放っとけばいいのよ。奥さんに逃げられて、参ってるんでしょ。」
「あれで、たいした個性の持ち主だからね。」
 強烈すぎる個性は、時に軋轢を生むものだ。

・開放

 長い監禁生活から、突然草原に投げ出された感覚とでも言おうか。
 俺達は、一斉に新天地をめがけて飛び出して行った。
 開放の衝撃は、俺の全細胞に劇的な変化をもたらす。
 良かれ悪しかれ、誰もがしばし『敵』の存在を忘れ去っていた。

 ディスプレイは、予期せぬ事態を物語っていた。
 無制限の拡張ではなく、戦略的な『領域確保』である。
 メモリー空間の拡張と同時に、無数のプログラム達が連携して『防衛網』を形作った。
 そこには、知性の存在さえほのめかされている。

「個々のプログラムに変化が無いように見えたのは、当然だったんだ。彼らは、十分に複雑化する前に、メモリー空間を埋め尽くしてしまった。いくら知性を発達させても、周り中が敵ならば保身に全力を尽くすしかない。目に見える変化だけが変化ではなかった。」
 興奮を押さえ切れずに、マイケルはディスプレイを食い入る様に見つめる。
「ほら、こいつらは外交官だ。二つのコロニーの間を、何度も往復している。遷移図を見てみよう。ほら、メッセージを受け取り、移動して、伝える。この繰り返しだ。」
 データファイルは、驚異的な勢いで増加していた。これまでにつくられたファイルの、実に十倍以上が既に得られた。
「この二つのコロニーは、どうやら交渉が決裂した様だな。真っ赤なプログラムが互いの防衛プログラムに食い付いている。メモリーを初期化して回る破壊プログラムだ。こいつは以前から存在していたけれど。」
 ひたすら、遷移図を記録し続けるスージー。
「すごいぞ。なんてエキサイティングな光景なんだ。だけど、これはメモリーを増やしたからじゃない。彼らには『領土』が必要だったんだ。これだけの知性を、発揮する場が無かったんだ。なぜって、増設と同時にこれは始まったから。」
 狭い空間でくすぶっていたストレスを、彼らは自由な戦略によって一気に開放しているかのように見えた。
「これは、国家だね。巨大な共同体だ。個々のプログラムに能力があっても、広大な空間がなければ国家は出来ない。面白い結論だね。」
 蓄積したデータファイルは、ストレージを埋め尽くさんばかりの勢いである。
「凄い成果だ。これなら、立派な報告書を書ける。そして誰もが認めざるを得ない。」
 期限まであと三日。激務をこなして来た彼らにとって、十分すぎるほどの時間である。

・飛躍

 人工生命研究所が閉鎖されてから四年。
 あらゆる成果は、他の部署に分散されて、新たな発見の礎になっていた。
 当時のメンバーも、それぞれの道に別れて、今は別々の仕事に従事している。

 ところで、人工生命研究所の閉鎖と同時に、増設された部署があるのをご存じだろうか。
 その名も、『知性コンピューター研究所』。
 後に『エスター・コンピューターサービス社』として独立する、栄光の部署である。  さて、ここにある記録を見てみよう。
『エスター・コンピューターサービス、初代代表取締役マイケル・ジョンソン。』
 随分出世したものだ。
 だれか忘れてはしないかって?
・・・
 心配ないさ。

- Fin -






撰者から:

 舞台を一転しての Interface 二作目。人工生命が進化していく様子はハードSF的雰囲気を感じさせる。研究所で働く人々の描写もよい。