遥かなる転送機

嵯峨野雪人

「おお、いいタイミングで来たね。いや、なに。これから物質転送装置の試運転を使用と思ってなぁ。」
『いや、なに。』もなにもあるものか、とおれは思った。

 この研究所に飛ばされてから、おれの人生は終わったも同然だった。綺麗なねーちゃんも、行き慣れた飲み屋もない。かわりにいるのは、キ○ガイのじいさんだけだ。

 一般にキチ○イじみた研究者は、頭が切れ、切れかかっている。ところがこのじいさんには、そんな一般論は通用しない。正真正銘『切れている』のだ。発明品はどれもポンコツだらけ。それなのに、機嫌をとらなきゃクビだ。涙が出る。
「物質転送装置って...映画に出てくるようなアレですか?」
「そうじゃ。しかし、こんな極地だからのぉ、生体実験の材料が見つからんのじゃ。そこで、君に実験どうぶ...、いやいや、栄誉ある転送人間第一号になって欲しいんじゃ。」

 おれは心底ゾッとした。どういうわけか、物を爆発させる才能だけは、このじいさんも持っている。こんな極地で怪我でもしたら、生命の危険さえある。
「どうなんじゃ?なんなら本社移転も考えてやってもよいぞ。」
移転なんかじゃない。戻るだけだ。だが、この申し出におれの心は揺らいだ。
「わかりました。」
口ではこう言ったが、無論、心の中では『やってやろうじゃねえか』だ。

 おれの目にうつったのは、何の変哲もない、入口がガラス張りの箱だった。これが棺桶に化けるか、本社への扉へとなるかは神の味噌汁...じゃなくて、神のみぞ知るところだ。おれは覚悟を決め、箱の中へと入った。
「ジュンイチ君、いくぞ。」
 次の瞬間、向かいにある箱の中に自分と同じ人間が出てくるのが見えた。どうしてか、思い出が走馬灯のように浮かんだおれは、瞬時に原子の塵にかえされた。

おれは、自分自身に起こったことが信じられなかった。目の前の老科学者は、生命体の転送という荒業を成し遂げたのだ。
「どうじゃね、ジュンイチくん?」
絶句。
「これなら、一大ヒット商品間違いなしじゃろ?」
「あ...。そ、そうですね。」
「そこでじゃ。君を信頼しての頼み事がある。本社の方にもこれと同じ受信機があるのじゃが、もう一飛びして本社にこの特許申請の書類を届けてくれんか?」

 確かに、さっきの実験は信じられないことに成功した。だが、今回も成功するとは限らない。疑心暗鬼。いや、それ程大袈裟なものではないかもしれない。ただ、頭の中に何かが引っ掛かるのだ。
「そんなことなら FAX を使えばいいじゃないですか。」
「そんな味気無いこと言うんじゃぁないよ。」

 渡された書類を確認すると、見慣れない書類が加わっている。じっくり読んでみると、おれが本社に戻る事について書かれている。おれは何も言わずに転送送信機に飛び乗った。
「ふふふ。わかったようだね。」
おれは書類を手にしたまま、原子に返った。

おれの姿を見た係長が驚いている。無理もない。あの研究所から生きて帰ったものは、一人もいなかったからだ。
「この件については、私一人の意見では決めかねるところがある。課長の部屋に持っていきなさい。」
おれは踊るようなステップで、課長室に行った。
おれの姿を見た課長が驚いている。だが、すぐに落ち着きを取り戻すとこういった。
「よかったじゃないか。すぐに奥さんに知らせてあげなさい。」
思い出せなかった。
妻がいるかどうかさえも。
「...?」
「どうかしたかね?」
「いえ、妻がいたかどうか思い出せないんですよ。」
「......。そうか、勤務が長かったからな。お疲れ様。」
おれは部屋を出るときに、シュレッダーの動作音を聞いた。
そして、このあと自分がどうなるかを想像してみた。

end






あとがき

 この話は、『生命体を転送するのは、コピーを取って元を殺す』という冗談じみた話をベースに、『幾度もの複写による劣化』をミックスしたものです。
この劣化は、一応、脳の海馬にのみ現われている型ですね。書く直前に『驚異の小宇宙人体 2脳と心』を見ていたので、こうなったんです。ま、別の説明をつけようと思えば、できないこともなさそうですけど。

じゃ、もう少し立ち入った話に移ります。

 まず、なんで本社に転送装置受信機があったのかと言うと、実は、もうあらかた完成していたんですね。で、博士が当時困っていたことは、どうやって複写元を殺そうか、という一点だったんです。これができなかったら、結局コピーができたにしか過ぎない(それでも十分凄いのだけど)とみられてしまうと考えてたんですね。

 で、原子核の周りの電子を電気的中性にすることで物体を原子分解する方法を博士が見つけて、今回の実験を行ったわけです。これと同じ様な原理はラリーニーヴン著『リングワールド』に出ています。確か...、銃の原理だったんじゃないかと覚えてるんですけど...。銃の名前まで、はっきり覚えてません。困ったもんです。

 それと、ジュンイチ君の記憶が消えていたことについてですけど、博士が彼の脳味噌をいじくったわけじゃありません。コピーによる劣化だけです。


撰者から:

「転送機の原理は、コピーを作り出して元を消去することである」というアイディアは撰者自身も考えていたのだが、彼に先を越されてしまった。彼はこれに、「コピーによる劣化」(この場合は脳)というアイディアを付け加えている。