≪ 戦争論 ≫

 □戦争の前提
@獅子伝に於ける戦争の 定義
 
 現代戦略論では避けては通れないクラウゼヴィッツの『戦争論』の中で、彼は「戦争は政治に於けるとは異な る手段を以ってする政治の継続に他ならない」という名文句を書いているが、ここで勘違いしてはいけないのは、『銀河獅子伝オンライン』は他 の戦略ゲームと異なり限りなく実戦に近い戦略眼が求められる一方で、確かに『ゲーム』でしかないという大前提である。現実世界に於いては限りなく事実に近 いものを辛辣なまでに言い当てたクラウゼヴィッツの言葉が、『銀河獅子伝オンライン』に当てはまるかどうか、短絡な判断は禁物なのである。
 さて、では『銀河獅子伝オンライン』に於ける『戦争』と『政治』とは何であろうか。前者については言うまでも無い、このゲームには『戦争』というコマン ドボタンまで存在する。まさに、他の惑星を攻撃する手段そのものだ。では後者は何であるのかと言うと、これはいわゆる惑星育成に他ならない。皇帝となるも のは自分の国をSS惑星にするのも夢の一つだろう。
 ではその事を踏まえて考えてもらいたい。『銀河獅子伝オンライン』に於ける『戦争』は『政治』の継続なのであろうか。そうではないのである。逆に言えば 開発支援をするのは保護切れまでに空母を建造することが防衛に必要だからであり、生産支援をするのは国庫を安定させて戦争に備えるためである。すなわち“政治は戦争の為の段階”なのである。では戦争とは何であるかと言うと、『銀河獅子伝オンライン』が戦略 ゲームである以上は“戦争とは目的そのもの”なのである。当たり前のようだが、この事を忘れ ないで貰いたい。極論を言ってしまえば、“戦争をせずに寿命を迎えた惑星は、後発的にステ星であったと結論 付けられる”のである。


A獅子伝に於ける勝者に なる為には
 
 よく戦争途中に皇帝たる人がこのような発言を士官にすることがある。「我々は今のところ敵に勝っています」と。だがここで使われている『勝利』と云う言 葉は何なのか。そもそも『銀河獅子伝オンライン』に於ける戦争の『勝者』とは何をもって定義されるものなのかをよく考えてもらいたい。読者の想像力を妨げ るようだが、これについては先に結論を言わせて貰おう。『銀河獅子伝オンライン』に於ける『勝利』とはただ 一つ、“戦争中の敵惑星を撃破”する事だけである。無論、寿命による終戦や外交による休戦も起こり得るが、それはあくまで『終戦』であり 『休戦』なのである。間違っても皇帝は『勝利』などと云う言葉を吐いてはいけない。これについては著者自身が皇帝を努めた第二期の『救国軍事会議』に於い て、『劣勢』の状況下で告知という形で『敗北』を宣言した折、複数の士官から窘められた経験があるが、これでもこの事が逆説的に言い当てられている。たとえ劣勢でも惑星が存在する限り、士官は全力を尽くすし、たとえ優勢でも最終的に惑星を落とすことが出来ないまま寿 命を迎えれば白星は付かないのである。
 では『銀河獅子伝オンライン』に於いて勝者(=惑星撃破者)になる為にはどうすればいいか。これがこの『戦争論』の趣旨であり、これから展開される理論 の主軸となる部分である。


B戦争で勝利する惑星の条件
 
 まず前提の段階で、勝利する惑星の最低限の条件を記載しておこう。ここに記載されるものは戦略や戦術による必要性ではなく、『前提』であることを予め確 認しておく。この最低条件を満たさずして運良く勝者となれた皇帝は、自分の実力を慢心することなく、ただた だ獅子の恩寵に感謝だけするべきである。
 さて、ではその最低条件とは何であるか。まず第一に“有能な皇帝”である。皇帝に必要な条 件については『皇帝論』で詳しく書くが、簡単に言ってしまえば『カリスマ』と『人選眼』である。他の能力は要らない。なぜなら他の能力は他の役職で代用できるものであるが、この二つ は皇帝にしか在り得ないものであるから。皇帝には有能な士官を惹きつけるカリスマが必要だ。具体的な例を挙げよう。イゼル系派閥を形成する惑星 『ISERLOHN』はヤスキ司令の人徳に支えられている。勿論、その名前から田中芳樹の銀河英雄伝説を愛好する者を惹きつける事も事実だろう。だが、例 えば同名の惑星をイゼル系に属する別の有名将官が建国して、しかしヤスキ司令がいない場合を想像してみよう。おそらくイゼル系に属する全ての武将を糾合す ることは出来ないだろう。同様の事は多かれ少なかれ、他の派閥にも言えることだ。いかに“緩やかな連帯”を掲げるおんぬ系派閥であろうとも、ovr帝が建 国したときと、まんぼう帝が建国したときでは若干、惹き付けられる士官の層に変化が生じる。この傾向は若い 派閥であればあるほど強いと思われる。
 皇帝のもう一つの条件『人選眼』については少し置き、続いて第二の条件を解説する。第二の条件は“参謀の 知略”である。惑星には必ず有能な参謀が必要である。皇帝を経験したことの無い人には想像が難いだろうが、攻撃の時間、下賜の金額、作戦の 発動、士官への命令、どれもこれも皇帝にとっては重大な決断なのである。逆に言えばここで重責を感じない皇 帝の惑星は既に『勝利』の条件を失っている。言わば皇帝とは惑星最大のエンターテイナーで なければいけない。士官にどれだけ楽しい獅子伝生活を提供できるか、それが皇帝の負う責務というものだ。その際に全てを一人で背負い込むことはさすがに苦 痛になり、苦痛を伴った作戦継続はいずれ判断の誤りを生む。そこで参謀が必要不可欠になってくるのである。参 謀は皇帝を超える獅子伝歴と、皇帝を超える戦略眼、戦術眼が必要である。そして皇帝が出来うる限り正確な判断が出来るように誘導しなければ ならない。その代わり参謀が責任を負うのは皇帝に対してのみである。どちらを苦痛と感じるか は、その人次第であるが、兎に角、優れた惑星には優れた参謀が必要なのである。参謀は時に汚れ役を被り、時 にイエスマンを演じ、時に苦言を呈さなければならない。こういう優れた参謀は銀河でも数少ないので、惑星を建国するときには参謀だけは予め ヘッドハンティングすることをお奨めする。
 さて第三の条件であるが、これは残る士官達の資質である。すなわち“将帥の才覚”だ。ここ で言う才覚とは何であるのか、一般にステータスよりもアクト率が重要視され、実際にアクト率はステータスを上回る力を発揮するのであるが、そればかりが “力”ではない。一般に優秀な士官とは、場数を踏んで獅子伝の『戦争』というものを深く理解した老練な武将と、始めたばかりの初心者であるが積極的に知識 を吸収してコミュニティに参加しようという意欲を持つ新進気鋭の武将を指す。逆に無能な士官とは、戦略ゲー ムである獅子伝を育成ゲームと勘違いして獅子伝歴に比してまるで『戦争』を理解していない危機意識の希薄な士官を指す。前者は積極的に勧誘 すべきであり、たとえ初心者でも、丁寧に教えれば両方の為になる結果が得られるだろう。後者などは仕官してきたら追放するくらいのつもりで良い。まったく 逆説的な言い方であるが、そのような勘違いをしたプレイヤーが仕官してくるということは、その惑星が外から 見て『潜在的なステ星』だとみなされている証拠である。
 さて、ここまで長々と書いたが、皇帝の第二の資質『人選眼』について解説していないままである。これについてはそろそろ読者諸氏にも想像が出来たと思う が、『参謀』『将帥』が、有能であるか無能であるか見分けられるのは皇帝しかいないのであ る。例えば勘違いしたステ上げのみを目的とするプレイヤーが戦闘惑星に仕官して来て、それを危惧した士官がいても、士官に出来るのは皇帝への提案に他なら ない。追放コマンドが実行できるのは皇帝のみであり、また掲示板などでそれらに注意を促すことが出来るの も、立場的には皇帝のみである。一士官がそのような書き込みをすれば他の士官の反発を招いてしまうからだ。そして重要なのは参謀の任命だ。 これはシステム上の軍師ではない。常に会議などで助言をするプレイヤーである。で、あるから知識ステータスが高い人を任命すればいいなどという簡単なもの ではないのだ。まったくの無能者を、作戦を積極的に提案するからという理由で『参謀』の資質があるなどと見誤ってはいけない。優れた『参謀』には寡黙な人もいれば雄弁な人もいるのである。そこを見分けられる自信のないプレイヤー は皇帝になるのを諦めたほうがいい。皇帝になったとしても幸運に頼るだけの戦争を繰り返すばかりで他のプレイヤーに感銘を与えることは出来ないだろう。


 
 □戦争の理論
@獅子伝に於ける『戦争』の種 類
 
 さていよいよ実際の理論の展開に入るのであるが、まず現実世界に於ける『戦争』とはなんであるのかを、是非とも知ってもらいたい。これも再びクラウゼ ヴィッツの『戦争論』に拠るのであるが、戦争には三つの性質がある。一つ目は『原始的な強力行為』 である。これは『銀河獅子伝オンライン』にも言えることで、『3・10事件』以前の長い派閥闘争の歴史の間に派閥間の軋轢は憎悪や敵意に発展している。 よって戦争や外交にもそれらの原始的な感情を無視することは出来ない。第二の性質は『確実性と偶然とが織り 成すゲーム性』であり、これはそもそも戦略ゲームの存在意義のようなものでその最高の昇華と言える『銀河獅子伝オンライン』に於いて今更、 愛好者である読者諸氏に説明する必要もないだろう。そしてクラウゼヴィッツが主張する第三の性質は『政治への従属』であるが、これについては既に前提の段 階で『銀河獅子伝オンライン』では否定されている。だが前者二つの性質から、現実の歴史も、そして獅子の歴史も一つの潮流が明らかになる。すなわち、第一の性質を理由に“戦争を嫌う”ということ、第二の性質を理由に“戦争を好む”ということである。ま た『銀河獅子伝オンライン』はゲームであるからと軽く見ることは出来ない。このゲームでは、第二の性質によって戦争が起こる場合は、両者は“集団による決 闘”に似た一種の満足感を得ることが出来る。これはゲームだけでなく現実世界でも言える人間の根底に流れる不気味な騎士道精神がさせる効果なのかもしれな い。だが、オンラインで人間同士が行うゲームであるからこそ、第二の性質以外、すなわち第一の性質が発動す る時は現実の戦争の惨禍がネットワーク上に広がることになる。これが起こる場合に理由にされるのは『両国の思想の違い』、『両国士官の皇帝に対する忠誠心』、 『両国皇帝の人間としてのプライド』などである。どれも否定される種類の感情で無いことが大 きな問題となっている。『3・10事件』以降はこのような第一の性質による戦争は数を減らしているものの、人間同士のコミュニケーションであれば、いつ再 びこのような争いが生じるとも分からない。それを知らずして、そして起きてしまったときに責任を取るつもりも無く、呑気に皇帝を名乗ろうという人がいたら 考え直すべきである。
 さて、さらにクラウゼヴィッツが主張するところには、戦争には二種類ある。
 一つ目は『殲滅戦争(理論上の戦争)』であり、二つ目は『制限戦争(歴史上の戦争)』である。これは、戦争に先に述べた第一の性質がある以上、理論上は敵が全滅 するまで殺し合いは続くことになるが、歴史上、そのような戦争はありえないという考え方である。では『銀河獅子伝オンライン』はどうであるか。基本的には 『制限戦争』であると著者は主張する。それでは先に述べた『惑星を撃破しない限り勝利とは呼べない』との主張と矛盾するではないかと憤る読者もいることだ ろう。だがそういう事ではなく、例えばその戦争が第二の性質によるものなら惑星を撃破すれば勝利であるが、その戦争が第一の性質による派閥間戦争である場 合、先の大前提はさらに大きな意味を迫られるのである。すなわち、派閥の強みとは“幾世代にもわたって同名 の惑星に同様の皇帝と同様の士官が所属する形態”のことであるなら、派閥と派閥が本質的な戦争を始めた場合、その戦争は両者に属する士官全 員が精神的に追い詰められてアカウントを抹消するまで続くのである。よろしいだろうか、重ねて言わせて貰う。“派閥間で決定的な対立を起こした場合の戦争とは、派閥の解散或いは、派閥所属武将のアカウントが全て抹消されるまで続 く”のである。その観点で見れば、一惑星を破壊するに留まる『戦争』は、『制限戦争』ということになるのである。
 くどいようだが重ねてまとめさせてもらう。通常の惑星と惑星の戦争はある意味では『制限戦争』であるが、派閥と派閥が対立を生じた場合、それは『殲滅戦 争』となるのだ、ということを皇帝を志す者には覚えておいて貰いたい。


Aアクト率による強さと はどの程度のものなのか?
 
 さて、よく物議をかもすアクト率であるが、その前にまったくの初心者の為に断言しておく必要があるだろう。獅 子伝では、ステータスが高い武将よりもアクト率が高い武将の方が有能であり、優遇される。これは事実である。例えば惑星育成時期には高いス テータスを誇る知識タイプや政治タイプが必要とされる。だがいざ戦争が始まればアクト率を上回って皇帝が渇望するものはない。作戦指示を出したにも関わら ず会議室集合士官数が5人では話にならないわけである。防御SSの防御タイプが一人、惑星上に生晒しになれているのと防御Eの非防御タイプが20人総アッ プしている上にアクト防衛しているのとでは、消費CPにも格段の差がある。当然、後者が有利なのである。そもそも、俗に防衛巧者と呼ばれる人が必ずしも防 御タイプとは限らない。(cf.Oga-pie氏、張遼氏など。なおovr氏は防御ステータス一桁の政治タイプで、第三期救国では17回防御を行ったし、 第三期救国では他にも攻撃タイプのレスター氏や、momo氏や、裁影氏もそれぞれ15回を超える防御を行った実績がある)
 このようにアクト率が獅子伝の強みと言われるが果たしてどうなのであろうか。
 当然、戦争の勝敗はアクト率に左右される部分が大きい。だが戦争自体をアクト率で語っていいのだろうか。 皇帝が緒戦でもって「うちの惑星はアクト率が低いから勝てないね」等と発言するべきなのだろうか。あるいは「うちには優秀なアクト率を誇る武将がいないか ら」と、建国後にスカウトばかりするべきなのだろうか。そうではない。皇帝は士官にアクトが足りないのであ れば外交努力や士気の鼓舞でそれを補う具体的なアクションを起こし、自らが出来ることを行えばいいのである。アクト率は確かに“強さ”ではあるが、矛盾した風に聞こえるかもしれないが“弱さ”ではない
 皇帝のアクト率にしてもそうだ。かつてHAMAN氏が自らのプロフに於いて「皇帝がいれば惑星は落ちない けど、いなければ落ちるとは限らない」という趣旨の発言を記載していたと記憶している。まったく以ってその通りである。要するに皇帝がアク トを発揮できないときには士官が皇帝の代わりをするくらいの気概が必要なのだということだ。おんぬ氏が皇帝として建国した『萌っ娘島』という惑星がかつて あった。そこに惑星『N◎VA』が総攻撃をかけた折、数回に渡って『萌っ娘島』は耐えた。その実績を忘れるべきではない。その時は不幸なことにおんぬ氏の 不在が長期にわたった為に死守は難しかったようだが、たかが一晩皇帝がどうしてもアクトが発揮できないとい うのであれば、士官が守ってしかるべきである
 要するに“足りないものを補おうとする気概”が『銀河獅子伝オンライン』に於ける、いや現実のものも含め た『戦争』の“強さ”なのである。『銀河獅子伝オンライン』に於いてはそれがたまたま『アクト率』という事象で顕れることが多いに過ぎな い。気概と士気のない惑星と皇帝に『勝利』などない。


Bリアル世界に於いて参考となる哲学と は何か?
 
 これについては先ほどから数度私が引き合いに出しているクラウゼヴィッツ『戦争論』を手に取ることをお奨めする。この『戦争論』の特徴は、その性質が『戦略』の考察である関係 上、現代の流通マーケティングや中間管理職の入門としても活用できる事にあり、それを伴って現在(2003/06/01時点)で大いに話題になっている本 なので、比較的大き目の書店で専門書のコーナーにいけば手軽に買うことが出来るだろう。
 さて『銀河獅子伝オンライン』に於いて名君となる人の多くが社会人であり、学生が殆どいないことには理由がある。このゲームはある意味では管理職入門と でも言うべき戦略的な側面があり、その意味で学校と云う温室でしか生活したことのない学生には皇帝は責務が重すぎるのである。なぜなら学校とは、学生自身 はいつの世でも嫌うことであるが極めて縦型で安定した社会であり、基本的に日本国の教育制度では高等学校以上は学力横割りが必然となることから、異なった 性質を持つ多数の人間を御する能力と言うのは社会に出るまで(少なくとも大学あるいは専門学校等という“社会への予備校”に通うまで)身に付かないように なっているのである。アルバイトなどで若干、社会というものを見知った人ならば学生であっても“学校”という存在の特異性に気付くだろう。皇帝として士官 をまとめるというのは、学校で仲良しグループでつるむ様にはいかないのである。異なる思想、異なる経歴を持 ち、時には自分よりも実年齢や、獅子伝歴が長い人を“使わなければいけない”のである。敬意 を払いつつ威厳を失わずに、である。
 一方で高等学校までの教科書で最も戦略好きを唸らせる思想というのはルネサンス期イタリアの思想家マキャ ベリ『君主論』か、春秋戦国時代中国の『孫子』(『呉子』や『韓非子』を挙げる人もいるだろうか)のどちらかであろう。後者の理論は、有名な ところでは日本の名将・武田信玄が用い、第二次世界大戦ではアメリカ軍が研究したことなどから日本でも広く知られ、長い間、管理職のバイブル的な性格が あったが、いささか思想が古い部分も否定できない。それに、その儒教的要素のある部分を抜かせば、実は『孫子』はクラウゼヴィッツの『戦争論』と非常に似 通っている。
 では先に挙げたマキャベリの『君主論』はどうであるのか。マキャベリについては、かつてZKK系派閥統帥本部総長として名を馳せ、戦術立案に関しては “銀河屈指”と呼ばれるOga-pie氏(獅子伝マニュアルのサイトの管理人として殆どの人は御存知のはずだ)が一家言を持つほどの識見を持っておられ る。またマキャベリズムと言えば銀河英雄伝説の愛読者はパウル・フォン・オーベルシュタイン軍務尚書をすぐに思い浮かべることだろう。この思想も決して軽 視するものではないが、『銀河獅子伝オンライン』があくまでゲームだということを忘れないでもらいたい。そしてマキャベリズムとは日本語で充てるときには 『権謀術数主義』とされるほど、道徳を廃した主義であることを忘れてもらっては困る。長く分裂状態にあったイタリアを統一するためにマキャベリが苦心して 考え出した思想は限りなく『覇道』を突き進むものである。一方でクラウゼヴィッツの主張は『戦争』というものを多角的に捕らえ分析し、“いかに勝利する か”を追及した部分が大きい書物であることが、著者が後者を推す理由である。クラウゼヴィッツの思想は使い 方によって『王道』の武器にも『覇道』の武器にもなれる、ということである。だが、この『王道』と『覇道』のどちらを選ぶかは、次の項目を 参照して、今皇帝を志している読者諸氏に決めてもらいたい。


C派閥が形成されるときに生まれる思想の 種類
 
 さて『派閥』というものが形成される第一の原因は皇帝に対する忠誠心である。忠誠に値する皇帝の思想とは、戦闘惑星の場合は大きく分けて二種類ある。こ れはTairon氏の発言に拠る物であるが、それこそが先に挙げた『覇道』『王道』である。『3・10事件』後には、そのどちらにも属さず、後進の育成を主義とする派閥惑星など も誕生したりしたが、歴史に残る二つの対立した派閥を例にとって説明しよう。
 『覇道』を突き進んだ惑星、私が直接見知ったものではそれに当てはまるものは今のところ一つのみである。それが『顔文字系派閥』である。別の言い方をす るならば顔文字系は『攻』の惑星であった。今も燦然と惑星列伝の最上位に輝く顔文字の惑星撃 破数は素晴しいものであり、穿った言い方をすれば、落とされた側にしても“憎むに値する敵”であろう。昼アクト、夜アクト、全てに於いてこの惑星は最強で あり、最大であった。過去にも『廃人系』『銀爆系』などが存在したが、それらは私は記録でしか知らないものであるので言及を避ける。『覇道』を行く惑星が銀河にあるとき、皇帝たらん者は眠るべからず。常に警戒を厳にし、惑星修復ボタンを複数窓で開い ておかねばならない。銀河には緊張感が生まれ、そして敵対心が生まれる。それは優秀な皇帝を生む温床でもある。だが『覇道』を行く者は負けることは許されない。士官としてこれに仕えるのは精神的には楽であろう。だが自 ら『覇道』を行く惑星(Oga-pie氏はこの種類の惑星を『覇権国家』と呼んでいる)の皇 帝とならんとする者は表面上は他人にはわかるまい重責を負っているのである。もしも自ら進ん でこれを目指そうという皇帝がいるならば、そのことを絶対に忘れないで貰いたい。銀河は『3・10』後(と、言うよりも『顔文字系』消滅後)の今、『覇権 国家』の出現を望んでいるのだ。その期待を背負うのだということを忘れないで貰いたい。
 一方で『王道』とは何か。これは『覇道』が卓越したカリスマ(著者は顔文字系皇帝Rembrant女史を超えるカリスマの持ち主を未だに銀河に見出しえ ていない)によって支えられる戦闘国家なのに対して、どちらかと言えば士官から逆に“守ってあげたい”という念を抱くような人徳を持つ皇帝に支えられる惑 星である。主に、この種の惑星は『覇道』に対するアンチテーゼとして成立することが多い。そ の代表格が、最強の戦闘国家『出口』や顔文字系との抗争の中で派閥として成立した『おんぬ系派閥』であろう。ovr氏は“緩やかな連帯”を掲げて「出る も、入るも、みな自由」と公言しているが、それでも複数の士官が重ねて仕官してくるという特異な体質を持っている。それが『王道』の拠って立つ所以であ る。また『覇道』がある種“目的の為に手段を選ばない”惑星であるのに対して、『王道』は“目的があっても 手段を選択する”惑星であるとも言える。そのせいか主に立場としては『守』に 周りがちである。
 どちらが良いとは一概には言えない。『王道』を志せば惑星列伝で上位に残り、人々の記憶に残ることは無いかもしれない。『覇道』を志せば自身に対するプ レッシャーのみならず、当然ながら行動に対する反発を一身に受けることになる。それらを忘れず、しかし絶対に皇帝には何らかの『思想』を有してもらわなけ ればならない。


D惑星が派閥となるか、忘れられていくかの分岐点
 
 さて、ここまでのことを踏まえて惑星を実際に建国してみたところで(その間に戦争を行い、勝つこともあるでしょうし、全力を傾けても負けてしまうことも あるでしょう)、最初のうちは、よほど皇帝になる前に銀河に名声を轟かせた武将でなければ決して上手くはいかないだろう。それはそれで良いのだ。特に獅子 伝歴が短い人は皇帝の何たるかを知るにも時間がかかり、優秀なブレーンがいたとしてもあまり上手く情勢を運ぶことはできないだろう。
 しかし、だからといって諦める事はない。
 そこで重責に負けて諦めてしまうことは自身の能力の限界を銀河にさらけ出したことに他ならない。 皇帝が皇帝として銀河に認められるのは実は三代目の惑星からなのである。初代の惑星は興味を 引かれた人が仕官する間もなく、ステ上げを目的とした武将や、あるいはつなぎ目的で入ったアクト率の低い武将に席を占有されてしまうこともあるだろう。二 代目の惑星は徐々に固定になりつつあるが、まだ実際に固定されるかどうかは分からない。実は、惑星が『派 閥』として成立するのは三代目からなのである。このときになれば、三代にわたって仕官してくれる固定の武将がいるだけでなく、仕官しなかっ た武将からも「今期は行けません」という旨の『断り』が来るのである。この『断り』があれば、その惑星は『派閥』としての第一歩を刻んだと言えるのであ る。皇帝のカリスマ、又は人格が多くの人に認められたという事だ。そうなれば第四期以降、そ の惑星は徐々に成果を見せてくれるだろう。

 一方、三代目を超えても、建国後二日以内に1ページ目が埋まらないような 惑星は、よほど特殊な惑星で無い限りは、そもそも皇帝にその皇帝たる資格がないと いうことである。その事を踏まえて、指針とするのが良いと思われる。
 また、もう一つ言えることがある。それは、狡知を用いるものは皇帝の資格 なしということである。ここで言う狡知とは単なる策謀や外交的判断ではない。ある種のルール違反、システム悪用である。これを用いて皇帝を 名乗るのであれば、次第にその皇帝の周りには、皇帝の本質的なイエスマンや、似た考えの人物だけが残り、異なった価値観や道徳に触れる機会は減っていくで あろう。そうなれば、もはやいかにそのやり方が獅子伝というシステムの中で効果的であっても、その皇帝の惑 星は過去の遺物として忘れられていくであろうし、次の惑星では保護が切れたら全ての惑星が、その惑星を目指して攻撃を仕掛けてくるものと覚 悟されるべきだ。かつて最強の軍事力を誇った惑星『出口』ですら、惑星が寿命を終えた後に再び同様の性格を持つ国家を建国できず、保護切れ攻撃の危機感か らステ星へと移行していった歴史を忘れるべきではない。さらに言わせてもらえれば、今更“システムを徹底的 に分析して完全勝利を目指す究極の戦闘惑星”を目指しても、“ルールや外交を無視して徹底し た無法者”を演出してみせても、前者は『出口』の、後者は『海賊』の二番煎じに過ぎず、真新 しさも何も無い。RPとしてそれを演じたとしても、過去に存在したそうした偉大な惑星を超えるほどの能力と名声を基本的に貴方が持っていな いのであれば、そのような惑星を建国することは考えるべきではない。
 戦争をする前に、もう一度、このようなことを踏まえて、その惑星が戦争に勝てる惑星であるのか、あるいは負ける惑星であ るのか、防衛に適した皇帝なのか、攻撃に適した皇帝なのか、外交は、政治は、思想は、そういう事を踏まえて大戦略を練ることを忘れないで貰いたい。

 
 □戦争の実践
@作戦には九種類あ る
 
 クラウゼヴィッツは『戦争論』の中で幾つかの作戦を挙げている。曰く、『会 戦』、『包囲』、『迂回』、 『追撃』、『反撃』、『奇襲』、『謀略』、『ゲリラ』、そして『大会戦』の九種類であ る。これらは現実戦争に於ける分類分けであるのだが、獅子伝に於いてもその種類分けはほぼそのまま作用する。すなわち、正面から宣戦布告をして行う散発的な戦闘が『会戦』、一方他国と同盟を結び敵を孤立 たらしめるのが『包囲』、覇権惑星の衛星国家から攻撃することで覇権惑星からアドヴァンテー ジを奪い去るのが『迂回』、逃げ回る敵に対する攻撃が『追撃』、いわゆるカウ ンター攻撃が『反撃』、そして物議を醸すことの多い『奇襲』、さらには戦争に拠らず勝利する『謀略』、そして中央を陣取る戦闘惑星に対して機動力を武器に移動しながら展開する『ゲリラ』である。そして最後の一大決戦として『大会戦』が存在するのである。
 実践の段階に於いては、まずこれを一つ一つ説明していくことにしたい。

A会戦
 これは所謂正面からの対決のことであり、宣戦布告をして、宣戦発動期間の突入直後と、終了直前に大規模な攻勢を掛ける戦闘のことである。この戦いに於い ては必ず先に宣戦を仕掛けた方が『攻』の性格を持つことになり、一方仕掛けられた方は『守』の性格を持つことになる。だが注意して欲しいのは、一般的な会戦に於いて、守勢も攻勢も、その戦術的な立場に優劣は無いのである。例えば、宣戦布告した側はいつ攻撃を仕掛けるか という意味で攻撃のアドヴァンテージを握れるが、その一方で敵の出方が分からないという欠点を有する。守勢は精神的プレッシャーを強いられる一方で、敵の 出方次第で防衛戦闘を繰り広げることも出来るし、一方で『惑星盾カウンター』を狙うことも出来る。CPの使い道という意味での選択肢は多いのである。戦術的スピードを優先するのか、或いは戦術的選択肢を優 先するのか、それは指揮官の好みに依存する部分が大きいし、情勢によって柔軟に対応できなければいけない。

B包囲
 『3・10事件』後は所謂『タイマン主義』が流行して包囲殲滅作戦はなりを潜めたが、事件前では主流であった作戦である。そもそもSS惑星を単独で落とすのはほぼ不可能であるので、包囲戦術は大きな意味を持つ。代表的なものに『四カ 国共同包囲防衛戦』『断罪戦役』『檸檬戦役』『対Root三国同盟』などが挙げられるだろうか。他にも未遂に終わってしまったが、Aluusuqul氏が 提唱した『反顔文字包囲連合』構想や、救国軍事会が計画していた『反帝國包囲連合』などもある。包囲作戦の利点は、システム上絶対に攻撃惑星は最大アクト20の壁を破れないのに対して、そこに援軍が加わることでアクト 数を40、60と増やしていくことが出来る点にある。特に奇襲と併用して使われることが多い包囲戦法であるが、その有効性のわりには評価が低く、また『卑 怯』などと言われる事もある。だが、惑星を『勝利』に導くための外交的努力を怠って包囲を完成させられてし まった者に、包囲する側を非難する資格はない。能力と努力が足りない者の負け犬の遠吠えとなってしまう。包囲されたくなければ、先に外交努 力によって諸惑星と友誼を結ぶべきだと言える。
 
C迂回
 現実に於いては側面、背面攻撃などの事を指す戦術である。代表的な戦術家としては米軍のマッカーサー元帥が挙げられる。彼はいわゆる『斜め戦術』で旧日 本軍を苦しめた。『銀河獅子伝オンライン』に於ける最も代表的な例が第二期救国の『救国戦役』かもしれない。救国軍事会はイゼルに対して宣戦を布告した が、これには“顔文字からの攻撃を避ける目的(顔文字は基本的にタイマン主義を掲げていた)”と共に、反顔文字色の強い士官が集まった事により“イゼル攻 撃を通じて顔文字に対して挑戦し、かつ顔文字の求心力を削ぐ”という目的もあった。周知のことであるが当時のイゼル系は顔文字系の衛星国家である。包囲戦術に対して(衛星国を抱える覇権国家は、いつでも『包囲』が行える基盤があると言える)の有効な打開策がこの迂回戦術だ。この戦術の持つ意味は、戦術の基本である“各個撃破の際は弱い者から撃つ”という基本に則ったものである。

D追撃
 制限戦争では、ある特定の要素を達成すればそこで剣を収めるのが定石である。だが、『勝つ』戦争を戦うた めには一戦場に於いて躊躇は禁物であるのだ。必ず殺せる者は殺し、滅ぼせる者は滅ぼさなければならないのである。『銀河獅子伝オンライン』 に於いてもそれは言える事である。落とせる艦隊は、非アクトの時に落としておかなければ、深夜に撃ち洩らし た敵が朝駆けの障害になることもあるのである。その事を忘れてはいけない。作戦を考えるものは常に残CPとの計算に悩まされるのであるが、 それに際して作戦発動時にCPを200にしようと考えるあまりに遊撃で決定力を欠く事がある。それではいけない。攻勢とは常に敵を可能な限り落とすことに意義があるのである。それを踏まえて多角的に戦術を考える必要 が指揮官にはあるのである。

E反撃
 『反撃には受身の反撃と積極的な反撃の二通りがある』とはクラウゼヴィッツの『戦争論』の記述であるが、『銀河獅子伝オンライン』に於いてもそれは言え る。ここでクラウゼヴィッツが言う『受身の反撃』とは、防衛軍の陣地へ突撃した攻撃軍が逆に撃破されてしまうというものであり、『積極的な反撃』とは、防 衛軍が陣地を奪われた後に大勢を立て直して再度反攻へ出ることである。前述したとおり、『銀河獅子伝オンラ イン』に於ける『反撃』とはカウンター攻撃のことであるが、カウンターにも二種類あると言える。一つ目はクラウゼヴィッツの言う『受身の反 撃』である。これはどういうものかと言うと、惑星上に艦隊を放置して落ちるに任せて、敵にCPが限界に達した段階で(無論、その間に治療も終わっている し、艦隊も再編してある)一斉に浮上して敵に逆撃を加えるものである。この方法は防衛側のアクトが不明瞭で あり、また敵に“もしかしたら落とせるのではないか”という幻想を見せることでギリギリまで CPを搾り出すことが出来る。一方、『積極的な反撃』とは、艦隊を全てドック内に退避させて惑星を盾に する。その上で皇帝は惑星HPが5000を切ったところで一斉に複窓修復を行う。そして敵の CPを完全に搾り取った後で無傷の艦隊が浮上して敵に逆撃を与えるのである。後者の戦術を使う場合には宣戦 をずらしておくとさらに効果的である。だがこれは明らかにカウンターを警戒させてしまうので、敵のCPを搾り取れない可能性がある危険も孕 んでいる。いかにして上手く敵を惑星縦深陣に誘い出すか、その誘いが重要になってくる戦術で もある。

F奇襲
 『銀河獅子伝オンライン』に於いては様々な物議をかもす元となる戦い方である。この言葉が指す戦術には二通りあり、一つ目はいわゆる宣戦無しでの攻撃。一般にステ星以外への宣戦無しの攻撃は国際条規で禁じられているので、これを行うと外交的に不利に立つ可能性があり、自国の戦力に自信のある国家以外が用いると身を持崩す危 険性がある。二つ目は非アクト率の高い時間帯の総攻撃である。具体的には平日の10:00攻 勢、13:00攻勢、17:00攻勢、19:00攻勢などである。昼間総攻撃は平日の昼にアクトを発揮でき ない社会人にとっては鬼門であり、これが行われると殆どの惑星はなす術がない。時には『勝利』するために奇襲は必要不可欠であり、今や、か つては奇襲であった朝駆けなどは基本戦術となっているほどであるが、多用することは危険である。その事を忘れずに、戦術の一つのアクセントとして組み込む ことが、指揮官の役目である。


G謀略
 戦争は何も正面から戦うことばかりではない。謀略と言 うのも作戦の一つである。だが孫子が謀略を好むのとは対照的にクラウゼヴィッツは謀略を嫌っていた。『機知 が観念と表象との手品だとすれば、謀略は行動の手品だと言っていい』と彼は記す。では『銀河獅子伝オンライン』に於ける謀略とはなんである のか。これも大きく二種類に分けられると言える。一つはルールの中にあって敵に対して挑発を行ったり、あるいは既存のよく行われるアクト確認などもその一 つと言えるだろう。著者はあえてこれを『良心的謀略』と呼びたい。それに対してもう一つの謀 略とは、いわゆるルール違反やアカウント複製、スパイ行為に代表される『弁解不可能的謀略』 である。前者には色々な種類があるが、チャンネルサーバーが同一の場合、登録ユーザーのログオン状況を調べ ることで敵国のアクト率を調べることが出来るし、メッセを使ったより初心者向きの方法もある。あるいはプロフ挑発や、間諜に対する虚偽の作戦漏洩、敵がスパイを用いていることを見越しての惑星会議室でのブラフ発言……これらはどれも在りうることであり、非難の対象とはならない。一方で後者 の種類には特殊なソフトを使った能力値・アクト状況・CP残数値の解析(過去に実際にこれを 用いた者がいた)などや、アカウントの乗っ取りによる外交関係の冷却化(梁山泊に於ける KOJI氏アカウントの乗っ取り、及び抹消などの例がある)などなど、やはり悪質なものが多い。前者に類するものには他にも色々あり、想像力によって無限 に広がるが、それにしても謀略は作戦の主軸となるものではなく、あくまで“最後の手段という面が大きい”。 重ねて言うが、狡知を用いる者は器に非ず、なのである。

Hゲリラ
 ゲリラとは本来、国民総蜂起による戦線の無原則な拡大を正規軍側に強いる戦術のことである。ナポレオンを苦しめたス ペイン国民やベトナム戦争、あるいはキューバ革命など、近代以降でむしろその重心は増している。『銀河獅子伝オンライン』に於けるゲリラ活動とは、小規模独立系が覇権国家に対するに有効な手段である。特に記憶に新しいのは『海賊戦役』である。中央で 他の戦闘惑星に囲まれた惑星と周辺を周回する惑星が戦闘をする際に、周回惑星の方が自由に行動のアドヴァン テージを取ることで中央惑星が自由にCPを使用できず、行動に関してのアドヴァンテージを失うという性質がある。周回惑星は国庫の補填を考 えながら移動をしなければいけないので一斉攻撃に出ることが難しく、『勝利』を掴むことは難しくなるもの の、『敗北』には至らない可能性が上がるという意味で大きい。

I大会戦
 基本的に『大会戦』を避けるものには『勝利』は与えられない。それは大原則である。なぜなら一定以上の防衛力を持つ惑星を陥落させるには最低15以上のアクトが必要不可欠であり、それを発揮でき ないのならば『勝利』は難しいからである。『銀河獅子伝オンライン』に於いても参考となるような事をクラウゼヴィッツが提唱しているので、それを転載して おく。すなわち、彼曰く、“敵戦力の殲滅は戦争の主要な原則であり、積極的な行動を尊ぶ側からすれば、それ は目標に達するための最も主要な手段である”。また“敵戦力の殲滅はもっぱら戦闘によっての み達成される”ともあり、そして“大規模な全般的な戦闘のみが大きな成果をもたらし、いくつ かの戦闘が集まって大会戦となるとき戦果は最大となる”とも言っている。そして“将軍は大会 戦に於いてのみ戦争という大事業を自ら統括する”と主張している。つまり、散発的な殴り合い を寿命まで続けるような戦争しか出来ないのであれば、そもそも戦争を始める意義など無い。どこかで、どちらかが窮地に達するような強烈な大 攻勢に出なければいけないのである。それを忘れたとき、マンネリ化した戦闘行為の倦怠感が惑星を覆い、士官は去っていくだろう。
A負ける戦争には原因がある
Aよい退却と、悪い退却
 退却……『銀河獅子伝オンライン』にはそのような概念が無いと思われる読者諸氏も居られることだろう。だが案外そう でもないのだ。ここで言う退却とは、すなわち作戦指揮の在り方、というような意味で取っていただけると幸いである。
 
Bよい敗北と、悪い敗北
C動かざる事山の如し
D勝敗の分かれ道
B危機意識と精神論

C中立惑星は存在し 得るか
 
 昨今、度々中立という概念が物議を醸している。中立商業惑星というものは、戦闘惑星への段階としての資金調達を行うものとして、その存在意義を認められ つつあるが、中には国庫1000を切りステ星との区別が不明確な中立惑星も登場している。単に、あるひとつの戦争に対して中立であるというならば兎も角、戦闘行為そのものを完全に放棄した惑星とはまったくもって度し難い。これらの惑星は、戦争を目的とする ゲームである「銀河獅子伝オンライン」に於いて、その戦争ゲームという性格を歪め、ともすれば育成ゲーム化してしまい、低アクトゆえに回復までの場つな ぎ、とか、信頼する皇帝の建国に備えて役に立てるようにする、などの理由が存在しないステ上げを是とする武将を増大させることにも繋がるだろう。 Aluusqul氏風に言うなれば「ステ武将」の増加である。これは看過し得ない事態であろ う。
 では中立惑星とは存在し得ないのかとなると、そうではない。中立惑星は存在し得るのであ る。まず第一の条件は惑星ステータスがすべてSSであること。そう、“中立を表明”=“絶対に安全”ではな いのである。次に皇帝の努力が必要と言える。中途半端な中立惑星はともすれば「意欲のない皇 帝による“永久発展途上国”」と断じられて奇襲の対象となる。また、この場合は奇襲という行 為が断罪されること、つまり後にプロパガンダに利用できるなどということは考えないほうがいい。何故なら“永久発展途上国”の皇帝には、元より皇帝たる資格などないのであるから。話が少しそれてしまったが、 さらに中立惑星の必須条件(と、いうよりこれはすべての星に共通のことであるが)として総仕官数の1/4以 上の出ドックは最低限(よいだろうか、最低限である)の条件といえる。それすら為さないと言うなら「落としてください」と申告しているのに 同義であるのだから。
 つまり要約すれば、中立惑星とは戦闘惑星としての戦力を有しつつ外交的にどの勢力にも組しない星のみを指 すのである。目的は主に商業活動になるであろう。現在、いわゆる商業惑星(防 衛力は完璧とは言い難い部分であえて内政を打ち切るタイプの星。攻撃・動力などは禁止されている場合が多い)への不可侵は不文律で定められているような部 分があるが、将来的に考えれば商業惑星も防衛力は身につけるべきである。また中立を掲げる以上は援軍も期待するべきではない
 このような惑星として成功を見た唯一の例は著者の記憶にある限りでは歴史家Oga-Pie氏の「水の揺り籠」のみである。かの星が建国されたのは梁山泊 戦役の後少ししてヴェネツィア=ノヴァ戦争が終結した頃であった。旧「水の都(著者などはあえてヴェネツィアやベニスと呼んでいる)」の一部士官によって 建国された惑星だ。おりしも救国=ティルト枢軸による巨門包囲に端を発して第三次銀河大戦が行われていた頃である。当時、朧龍の中立交渉に失敗した救国は 水に対して参戦を促したが帰ってきた返事は、それとなくはぐらかす内容であった。続く朧龍戦役では朧龍側も、救国=暴威連合側も参戦を促したが返ってきた 返事は「中立」であった。後にOga-Pie氏本人に聞いた話では、あれこそが「中立惑星」への氏なりの回答であるとの事であった。著者も同意見であり、 中立惑星とはあのような“軍事力がありながら動かない星”のみを指す言葉であると思うという ことは先ほども述べた通りだ。
 もし中立を目指す皇帝がいるならその形を求めてみるとよい。ただしそれだけの努力をして存続させた惑星で あろうと、中立惑星にはゲームとしての楽しさも、皇帝や士官のメリットもない。せいぜい回収のみに勤しむのが良いだろう。
 
D現代ステ星
 
 ステ星という概念が生まれたのは古く、3・10よりはるか以前に「紅き巫女」という人物がそのようなタイプの星を作ってからであろうという。著者自身、 その時代は知らず、ただovr氏より頂いた「おんぬ文書」によって事の片鱗を想像するのみである。しかし現代にはOga-Pie氏の解説書に惑星の“種 類”として名前が登場するほどに「ステ星」は定着した。
 大多数の人は一度はステ星を経験するであろうし、手軽に建国できることからステ皇帝になった事がある人も多いだろう。また最初の仕官もステ星が多いので はないだろうか。かく言う著者自身、独立するより以前、イゼル系へと入るさらに以前はイゼルローン要塞駐留艦隊副司令官であり、最近では「ハイネセン」の 皇帝として有名なタクト氏のステ星が最初の仕官であった。
 古くはステ星は「挨拶なし」「国庫なし」「保護切れ防衛なし」の「3ナシ」がその定番で あった。その理由として、特に一番目の挨拶なしというのは派閥間抗争が激しかった3・10以前は派閥外の人 間関係があまり重視されていなかった事に由来すると思われる。だが3・10後、特に帝國・N◎VA・朧龍・救国等に代表される新興派閥に於 いて、派閥の定義についての考え方が、毎回同じ惑星に仕官するという「物理的結び付き」から、信念や記憶を 共有するという「精神的結び付き」に変化した為、派閥間の人の流れが流動化し、 それに伴い派閥外の人間関係も重要視されるようになった(これがプレリアールの変に代表される協調主義の弊害の原因でもあるのだが、それはまた別に述べよ う)。その変化が「挨拶なし」を撤廃させたと考えるのが自然だと著者は考える。
 そして次の「国庫なし」こそが実はステ星の定義であると思われる。と、言うのもステータス を上げる事を目的とした星である以上、内政費用の上昇はあまり歓迎すべき事態ではない。“ステ上げの為の内 政再生産”とでも言うべき機能がステ星にはある。つまり国庫割れによって内政値が落ち、再び安い費用でステ上げを行えるという機能こそがス テ星のコアなのである。
 最後に残った「保護切れ防衛なし」であるが、これはもはや過去のものとなった。レモン氏の 「リベンジ」やTemple氏の「Teardrop」など最近では防衛をするステ星も珍しくはない。当然駆逐艦防衛ではあるのだが、それでもそれなりに戦 争を楽しめる。そういうステ星の出現は新しい楽しみの提案であると同時に戦闘惑星への警鐘でもあると言える。また力士氏が最初に提唱した「はしっこ同盟」 なども無意味ながら遊び心にあふれている。それに、こういう試みは初心者が皇帝専用コマンドを理解するための練習となるなど、発展的に捉えることも出来 る。
 また龍氏は「おんぼろ龍」で本気星への逆攻撃も行った。そういう事が多発すれば戦略の定石も大きく変化せざるを得ないだろう。またステ星としては唯一、 Oga-Pie氏の歴史書にも継続して名前が挙がっているginga氏の「実験惑星」では皇帝のステMAX政治タイプという特性を活かして彼自身が亡命者 に定期的に下賜を実行している。ステ上げ中の武将にはありがたいステ星だ。
 このように現代ではステ星の性格も多様化してきている。と、言うのも3・10事件のデータ リセットに伴うステ乱立により、今までのような画一的なステ星では求心力(ステ星ブランドとしての)が得ら れなくなったからではないかと著者は考える。第二、第三の付加価値をステ星は求められているの ではないだろうか。
 今や従来の「3ナシ」など言語道断であり、少なくとも挨拶くらいはきちんとするのが最低限 のマナーとなっているのである。「ステ星だから」と安易な気持ちで建国するのではなく、この創造の場にステ星皇帝として限られた時間内の楽しみをいかに提 供できるかという事も同時に求められているのだと心がけることが必要だと思うのである。
 

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