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「瞳」

 人を外観で判断するなとよく言う。確かに人をその顔立ちやセンスなどで判断するのは間違いの元である。が、私は人を外観で判断する事がある。とは言っても、それはその人の顔の作りを見てと言う訳ではなく、その人が生きてきた中で自然と醸し出している表情や仕草を見抜いて判断するのである。その時に物理的な形に惑わされてはいけない。言うは易し行うは難しなのは重々承知の上でではあるが、あくまでも後天的に醸し出される表情を汲み取るのである。これは、人相学を見極める時のコツなのかもしれない。ファーストインプレッションとかインスピレーションとかもこの手の話なのかもしれない。
 その中でも特に後天的な表情が出やすいのは眼である。勿論嘘をつくのも嘘を演じやすいのも眼であるという話もある。物事は一筋縄では行かないものではあるがそんな話は置いておこう。とにかくここでも、キツネ目とか、細い目とか、クリっとしているとか、はたまた黒目の色が綺麗だとか、瞳がつやつやしているとか、そんなやっぱり物理的なことに惑わされてはいけない。勿論そう言うことになって現れてくるのだが、その人の性格は物理的な特徴を超えてどうしてもあぶり出てきてしまうものだと思うのである。
 物がよく見通せる人はやはり澄んで眼光の光るまさに鷹のような瞳をしている。但しこの場合の澄んでいるというのはピュアと言う意味ではない。研ぎ澄まされていると言うほどのニュアンスである。そして私はこの手の人が苦手である。そんなにあちこち隈なく目を光らせるような生き方が私の性には合わないからであろう。どちらかと言うと猫のような瞳が好きなのである。猫だって肉食獣できつい目をしているじゃあないかと思われるかもしれない。確かにその通りなのだが、猫は孤高な性格と、長い間愛玩動物として慣らされてきた為か若干悪戯っぽいところが見られる気がするのだ。
 勿論猫にだっていろんな性格が居るから、一概に言えない。濁った目をした奴や鷹ばりの目を持った奴もいる。だから正確に言うと私が好きなのは、澄んだ孤高の悪戯っ気か茶目っ気の見られる目をした猫なのである。
 じゃあ、よく比較される犬は嫌いなのかと言うと、これまたわんわん吠えたり落ち着きの無かったりする濁った瞳の奴も居るし、逆に犬は猫より人懐っこいせいからか、二心の無い綺麗に澄んでピュアに慕ってくる、人の子供のような瞳の奴も居て、そういう瞳の柴犬なんかは好きでだったりする。
 いづれにせよ私は、猫のようにワガママできつそうで、でもピュアに澄んでいる瞳の人が基本的に好きなのである。だから、自分では良く好みの女性は性格の悪そうな人なんだなと思ったりするのだが、ただ単に性悪ではなくピュアな物が見え隠れしていることが大事なのである。そして自分もそんな瞳を持った人になりたいと常々思って生きてきた、孤高の自我を持ち、時に悪戯っぽく人に甘え、そして聡明に澄んだ心と理性を持った人。勿論理想像だから私はとてもとてもそんな人ではない。それにしても、時には鏡の前に立ち自分の瞳を覗き込んでみると、最近濁ってきている気がしてしょうがない。”目は口程に物を言い”である、すれ違い様に人が振り向くような、いきいきとした自分でいつまでもありたいと心掛けているのである。


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