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「文明」

 今、世紀末だといって世の中を悲観的に見る者達がいる。一方大多数の人たちは、何を戯言を・・・などとも考えずに享楽的に生きている。勿論私も目先の楽しさに流された一人ではある。しかしこの乖離こそが文明の行き着くところで、今がまさにその時、つまり世紀末と言う時期に重なってしまった為に隠蔽された真実−現代文明の終焉−ではないのかと、ふと思い至ったのである。

 普通、文明は腐るものであると言う認識が無い。しかし腐り落ちるものの様なのだ。そもそも文明とは何か。
 広辞苑によると、文明とは(1)文教が進んで人知の明らかなこと。(2)都市化(ア)生産手段の発達によって生活水準が上がり、人権尊重と機会均等などの原則が認められている社会、すなわち近代社会の状態。(イ)宗教・道徳・学芸などの精神的所産としての狭義の文化に対し、人間の技術的・物質的所産。
 とある。つまり文化そのものではない。(イ)にあるようにどちらかと言えば所産物である。文化は行き着かない。そして有形無形に関わらず無形の喜びをもたらすものだ。けれども、文明は全ての人に、何らかの現世な利益、利便をもたらす。それは識者といわれる者のみではなく、すべからく全ての人間に対等に分け与えられる。勿論貧富の差は現れるから平等ではない。けれども何らかの享受をすべからく皆が得られる。ところが、大多数の普通の人〜一昔の表現を用いれば大衆〜達は、文明その本質の危険性を認識せずに美味しいところだけ追求してしまうのだ。
 ありきたりな言葉ではあるが、自由は義務と責任を伴い、それを満たせることが真の自由の獲得であると言う。文明も同様ではないか。その危険性を認識し維持の為の責務を果たさなければ、文明は維持できない。皆で責務を放棄してその美味しいところ〜享楽・現世利益〜のみ貪れば滅びていくのだ。そのことは歴史が遺跡として残している。
 ところが具体的な警鐘は残されていない。なぜか。それは、文明が栄えた時、その滅びを後世に残す者がもう居ないからではないか。つまり爛熟した文明はイコール腐りつつあるのであり、後世に警鐘と反省を伝える義務を忘れてしまったのだろう。

 文化によって滅びた国はないが文明によって滅びた国は歴史が多く証明するところである。そして、過去の文明がその危険を歴史に警鐘として残せなかったのは識者はその危険性を知る立場に無く、その危険性を自ら具現化するという形でのみ知っている多くの享楽者はその残すすべを持たなかったか、そもそも残す事自体を必要〜義務〜に思う事はなかったのだろう。そして歴史の文明はどれもいつも突然に消え去る様に見えるのだ。私は歴史学者ではないし、アマチュアとして興味を持っている訳でもないから現在の最新の考古学の成果や知識は持たないが、いわゆる古代文明といわれるものは、どれも或る日、突然に滅びている。勿論言葉のあやで、本当に一日で忽然と消える訳ではないだろうがそう見える。義務を履行されなかった文明は滅び行くのだ。

 文明は膨大なエネルギーを必要とする。皆でそのエネルギーを支える努力が必要である。ましてや、すべからく物理現象には反発力が働く。プラスのエネルギーを引き出すのには、負のエネルギーも発生させる。それらのエネルギーを維持管理できなくなった時に文明は自己崩壊していくものなのだと思う。
 では文明は何故エネルギーが必要なのか、そのエネルギーとは何なのであろうか。文明は人間が自然の摂理から飛び出して、自然を利用して、自然から得られる以上のエネルギーを効果的に有効に引き出す錬金術のことである。例えば、自然に生える草や果実を、手を入れてより収量を獲れるように育てて農業が発達した。手を入れること、すなわち人馬のエネルギーが投入されているのである。そして現代が行き着いたところは、農薬や遺伝子組み替えである。
 高速に移動することもまた然りである。最初は動物と言う自然を調教して、人に役立つ乗物とした。やがて、木や鉱物を消費すると言う形で、自然界のエネルギーを使用して車を作った。そして遂には、まさに直接なエネルギーそのものである石油などを燃やして、車を自走させ飛行機を飛ばしている。
 その他例を挙げはしない。文明は、自然からかい離して楽しようと言うのだから自然から離陸する為のエネルギーを必要とするのである。しかも悲しいことに人間も自然界の一部であるから、自然からエネルギーを調達するしかないのだ。そうして、自然は人間の離陸を目的としてエネルギーを貯えている訳ではないから、いつか渇枯してしまうのだ。古代文明は、広域な物流手段を持たなかったからその周囲の自然エネルギーが消費され尽くせば滅びるしかなかった。文明規模が地域に限られていたのである。当然その文明を享受していた者達は、その維持発展に努めたであろうが所詮一部の都市生活者がその周りを搾取していたのだから、維持のパワーよりも大多数の崩壊のエネルギーの方が高かったのだろう。享楽者達は維持に努力しなくなり、自然からの乖離進行によるエネルギー収支バランスの崩壊、渇枯、搾取される者の反発という負のエネルギーが増大したのだと思う。

 勿論現代文明は、そんなに簡単に滅びはしない。それは、文明の大きさに比例したエネルギーが、滅びるのにも必要だからである。つまり肥大化した文明は、その支えようとする人間が多い分だけ、滅びのエネルギーが増大しても簡単には崩れないのだ。過去の閉ざされた文明達はその大きさで支えられなくなった時に滅びたが、現代文明は地球全てが一心同体のグローバルな文明となったが為に、なかなか滅びられないのだ。しかも滅びる時は地球ごと人類が滅びるのであろう。人類はニューヨーカーでもジャングル奥の少数民族でも、本人の意識の有無に関わらず皆共犯者になってしまった。俺は文明を十分享受していないと言っても共に滅びるしかないのだ。
 産業革命によって、と言うよりは、現代文明は、上手いこと滅びずに継続して拡大してきたからあらゆる禁断のツールを手に入れてしまい、もう滅びることさえ許されなくなったのだろう。当然識者はその事に気付いている。だから巨大な文明を維持する、より大きな自然界のエネルギーを得るべき努力をしている。核融合、素粒子、他の天体や宇宙・・・。しかし、より高いエネルギーを手に入れる事の引き換えに、その返り刃で負のエネルギーを貯えてはいまいか。どんどん禁断の園に踏み込んでいき、その矛盾が吹き出しているのを横目に見ながらも、突き進むしかなくなっている。負のエネルギーを負かす更なる大きなエネルギーへ。力を力で負かすパワーゲームは加速度的にそのエネルギーを巨大化させていく。今更誰が何処へ戻れようか。攻撃こそ最大の防御、進むことによって解決する成功経験則の積み重ねが現代文明・現代科学なのである。

 そんな、個人では手におえないほど複雑化して判り難くなった現代文明の姿を、賢くなった微力な小市民は知的には理解できるかも知れないが、動物本能的には持て余さずにはおれないだろう。それは鈍ってしまったといっても危険を察知する動物的本能である。文明の崩壊は気付かなくても、身の回りに見え隠れしだした負のエネルギーは気付かずにおれないほど増大している。それが証拠に市民レベルでも、その認識がここ数年で随分高まってきたではないか。エネルギー危機、省資源、酸性雨、温暖化、環境保護、リサイクル、環境ホルモン・・・。大局的な意識ではないものの、身近に忍び寄る危機感を漠然と募らせて、何らかの対応をしようとし始めているのだ。
 しかし、それとは無関係に日々巨大なエネルギーを消費し続けているのも事実である。後戻りできない人間の欲望のサガ。梯子を外されてしまったが如き後戻りできない現実。現代文明の既に堆積してしまった崩壊への負のエネルギー。行き着くところは何処なのか、人類の英知は混沌とした危機感を解決できるのか。何処から手を付けるべきなのか。私も勿論分からない、誰か素晴らしい天才が解決するに違いないと人頼みの楽観主義を決め込む。それは本当だろうか、個の人知を超えつつある課題を一人に押し付けるとは。傍観者ではいけない、ひとり一人皆で解決しなければならない問題であるはずなのだ。


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