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「文章表現」
最近考えさせられた表現がある。それは、掲示板に書いた一ヶ月の休みと言う表現。こう書かれているのを読んだ時、あなたは何日のことを考えるだろうか。約30日。普通の人はそう答えるに違いない。そしてそれが正解である。
では、月刊誌の連載記事が著者の都合で1回休載になった場合は、1ヶ月のお休みと言う表現は使わないものなのだろうか? 何故なら、読者がその連載記事を読めないのは、30日間ではなく、60日間であり2ヶ月間となるからである。そんな事を考えて雑誌の休載記事を読んだことはないから本当のところは知らない。が、実際には今月号はお休みとか、1回休載しますとか誤解の無い表現を使っているのだろう。
とはいうものの、いざ2ヶ月休載しますと言う表現があったとしたら何か来月号も載らないような気がするのは私だけであろうか。
つまらない言葉遊びはこれくらいにしよう。皆さんもうお気づきの通り、月刊誌と言うのは1ヶ月に1号しか出ない。つまり月刊誌の1ヶ月というのは連続した時間ではなく、発売日の間隔を現わしているだけで、月刊誌にとっての1ヶ月間の成果物と言うか形と言うかは1冊(1号)の雑誌でしかない。その間の約29日間の時間は無である。勿論、待っている読者にも作っている編集者にも29日間の時間の経過はある。けれども雑誌(には人格はないが)から見た1ヶ月は1号、イコール1日、発売日だけである。だから、1ヶ月の休みは1回の休みと言う意味に聞えるのだと思う。
1ヶ月の概念は約30日である。これは理論的に正しい。だから「1ヶ月」を理論的表現として解釈すれば、30日間となる。ところが、一月に一回しか出現しないという前提が得られていれば、1ヶ月は1回と言う意味で取っても違和感が無い。これは、前提を用いた文章上の表現、つまり文学的表現なのだと思う。
別にどちらが良い悪いと言う話ではない。ただ、文学的表現というのは、ややもするとあいまいな表現となるから誤解を受け易いと言うことである。論文や、ディベートで使うべき言い回しではないことは確かである。そして、私は、理路整然と話が出来ないし、表現もどちらかと言うと理論的よりは文学的なのかなと思ったのである。だから論文書かずにエッセイなんか書いているっていう話もあったりする。いや、エッセイや文学がいい加減な表現で良いと言う意味ではない、念の為。
ちなみに最初に戻って最近考えさせられたというのは、私のこのHPの掲示板上で1ヶ月更新しないと”だけ”書いたことに始まる。私の中では、このHPは1ヶ月に1回だけ定期的に更新している、実質的に月刊HP(?)のつもりでいた 〜そして考えてみるとそんな事はどこにも明記されていないのだが〜 ために暗にそれを前提に文章を書き、1回分(=自分では1ヶ月)更新をパスして約60日間更新をしなかった。つまり前提を周知しないで、文学的表現を使ってしまったことに気付いたと言う(たったそれだけの)ことである。