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「25歳の誕生日」

 品川区が小学校を自由選択制にする為、学校参観をやっているというニュースを新聞で見た。その中に第二日野小学校が出ていた。あぁ、懐かしいと思いつつ、アニバーサリーの或る日の事を思い出した。
 それは、25歳の誕生日。5月25日生まれで名前のこともあって、2と5の数字には何かと愛着のある私には、4半世紀の区切りというだけではなく、私の特別な記念日にしたいと思いたった。小学校3年生の時に転校して以来、訪れたいと思いつつも一度も足を向けたことの無かった幼少のルーツの地、目黒を一人で訪ねよう。素敵な想い出が沢山詰まっているあの地、変化の激しい現代の東京の中で、何が変わって、何があの頃のままで残っているのだろう、大人になった視線の違いが何を見せてくれるのだろう、あの薄暗い目黒駅のコンコースは、駅前のパン屋は、区民センターのプラネタリウムは、不動尊の境内は、角の床屋は、お化け屋敷は・・・。想い出は裏切られるのか、それとも温かく迎えてくれるのだろうか。そうだ、昔の視線に戻るにはビデオカメラがいい、腰の高さで撮影すればあの頃の世界が広がるに違いない、そんな想いを巡らせて記念日を迎えた。

 散策にふさわしい小春日和の日となった5月25日。私は17年ぶりに山手線目黒駅のホームに降り立った。掘割のホームのなんとなく薄汚れて暗いイメージは当時のまま。ぱらぱらと降りたった客は、足早に目蒲線乗り換え口に消えていく。この乗り換え口も良く通って想い出深い。跨線橋の角に小さな改札と出札口が在った筈だが、今日は駅ビル口に向かう。山手線の駅の中でもあまり目立たない目黒だが、確かこの駅ビルが山手線最初の駅ビルだと聞いた気がする。東口に出ると狭いバスロータリー。あの頃は広く感じたのにと思う。そしていよいよ懐かしい西口に回る。雑居ビルの並ぶ雑然とした雰囲気、化粧坂へ向かう入口の辺りの雰囲気はあまり変わっていない。この先においしいとんかつの店の本店があった。今でもあるのだろうか。
 すぐに石造り風モルタルの目蒲線目黒駅に入る。がらんと薄暗いコンコースは当時のイメージ通りだが、空間は狭い。ここら辺りの広さの違いが子供の頃と大人になってからの違いなのだろう。券売機が今風になったり、構内売店が今風に明るくなったり、無駄な空間にトラベラーなどのパンフ棚が置かれて、遊びの空間も商売に転用されたりしているが、建物の造りや空気感は当時のままだった。幼少当時はまだ、昭和30年代経済成長前の懐かしい近代日本の原風景の残り香をそこここに残していたものだった。その後、効率・利便性優先の現代化とリストラクチャが進み、古き良き物は使い易いか効率的かの価値観だけで切り捨てられた。その後ろ姿が街角のあちらこちらに残されているが、この構内の姿もそんな日本の一面なのだろう。
 ひと区間の切符を買い改札を抜ける。改札上に電動パネル式の案内表示板が付いたものの行き当たり式のホームは変わらぬ姿で待っていた。東急は全ての車輌がステンレス化されていて目蒲線も例外ではないが、3両編成のかわいらしさは健在。平日の昼間の電車は、のんびりとしてやさしい陽射しが差し込んでいる。発車して、右にカーブを下りながら土手の上に出て目黒川を渡る。山手通りを越えれば不動前駅。この駅も変わらない、上り下りの2本のホームが線路を挟んで向かい合った対向式のホームにそれぞれの小さな駅舎と改札が付いていて、目の前の踏切につながっている。そしてそこはもう駅前商店街。ちょっと恥ずかしい気もするがカメラを腰の高さに構えて駅前商店街を歩く、よっぽどカメラを覗きながら歩くよりは目立たないから気付く人も少ないようだ。何処にでもあるような変哲の無い狭い商店街。すぐに第四日野小学校の通用門がある。全て小さく狭く見える。あの頃は商店街に面して大きな門が開いていたように感じていたものだ。
 商店街を抜けるとかむろ坂の交差点。向かいには高い塀に囲まれた朝鮮学校が当時のままにあった。まっすぐに渡っていけばそこには、当時住んでいた社宅がある。鉄筋造りの4階建てのアパートが当時のままに建っていた。当時は大きなビルだと思っていたが、今どきのマンションに比べればとても小さな建物でその大きさイメージのギャップはとても大きかった。考えてみれば当時の社宅、公営住宅の標準的な広さからして当然の大きさなのだが、ちょっとショック。今はもう他人の土地、立ち入ることはしなかったが、外壁も古びて汚れて、とても広くて遊びまわった社宅敷地も狭く見えた。
 そのまま通りを進めば目黒不動尊への参道へ。毎月縁日に通った通りは、殆どの店がリニューアルしているのだろうが雰囲気は当時のままに思った。不動尊に曲がる角に来ると、造りはリニューアルされていたものの、行き付けだったあの理髪店はまだ営業していた。
 そしていよいよお不動さんである。山門を入ると白砂利の敷かれた境内はがらんとしていた。やっぱり狭く見える。いや、がらんとしているから思っていたより広いのだが、当時、縁日にとても沢山の露店が身を寄せ合うように途切れずに並んでいた記憶があって、その広さがここに収まるような気がしなかったのだ。たくさん露店があったから大きいと思っていたのだろう、考えてみればひとつの露店自身は小さい物だ。そこら辺りが感覚のギャップを大きくしているらしい。三脚を立ててカメラを廻していると、当時の僕くらいの男の子達が数人カメラの回りに集まってきて何を撮っているの?と聞いてくる。あの頃は私もこの子達のようにここで遊びまわっていたんだなあと思う。
 境内の一画には滝が。あっ、そうだ確かにここに滝があった。想い出の中ではすっかり忘れていたが、みるみううちに蘇る記憶、この池でも良く遊んでいたものだ。石段を上がれば本堂、ここはあまり記憶が無い。さすがに本堂の回りでは遊ばなかったのだろう。その裏手には森があった筈だと廻り込んでみれば、確かに小さな林がある。自分の記憶の確かさに満足する。歴史引き継ぐお不動さんは当時のままに変わっていないようだ。縁日でもない普段の日の昼下がりの境内は、鳩の舞い下りる、のどかな、想い出のままの地であった。

 そのあと、駅を渡って反対側の第一日野小や区民センターにも足を伸ばした。自分でもよく覚えているなあと感心しながら、入り組んだ路地を迷わずに歩いてまわった。こちら側も当時のままで大きく変わった印象はなかった。半日歩いた心地良い疲れと想い出とを残して、私は西日に変わり始めた目黒の駅から山手線に乗り込み日常生活への帰途についた。

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 そして、今あのアニバーサリーからも10年の年月が流れようとしている。この10年間も社会は大きく変わった。当時、少ないながら残っていたものもどんどん更新されていった。目黒駅は地下鉄との相互乗り入れの為に地下駅舎化されてしまった。あの古い駅舎どころか短いホームやカーブしながら下っていく景色も既に無い。その工事の姿を時折乗る山手線の車窓から寂しく見ながら幾度も通り過ぎた。不動前駅も変わったに違いない。駅構内で当時普及していた電動パネル式の案内表示板も、今だったらLED式の方がスタンダードになっている。社宅も会社のリストラで売却されたと聞く。私の思い出の景色は、本当にもう記憶の中にしかなくなってしまったようだ。
 ヨーロッパを除けば、殆どの都市は、器=建物=ごと全てを作り替えてしまう。古いものを生かす方が手間がかかるからだ。人間が高い現代では、手間をかけるよりも、費用をかけて壊してしまった方が結局コストも安く済む。老兵は死なず、ただ消えゆくのみ・・・とでもいうべきだろうか。
 もし、あの日が無くて今訪ねて行ったら、それこそ想い出の風景は殆ど残っていなかったに違いない。そういう意味でも、あの日の再訪は貴重なアニバーサリーだったのだと思っている。


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