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「小さな冒険」

 

 スタンドバイミー、少年の自立と不器用な青春のほろ苦さの表現として、この言葉は映画を離れて一人歩きをし始めている。それはどんな形であれ、誰もが味わったささやかの興奮と誇りと自信と涙なんだと思う。私にもそんな想い出の幾つかがある。

 私は小学校低学年まで目黒に住んでいた。五色不動尊のひとつ、目黒不動尊のすぐそばで、目黒から延びる目蒲線で一駅の不動前駅から駅前商店街を抜けた先だった。なわばりの遊び場は、西は28日に縁日の立つお不動さんから、東はTRC(東京流通センター)近くの品川区立西五反田図書館まで。東西に長い縄張りを毎日駆けずり回って過ごした。崩れた万年塀をくぐり抜け、飛び石の敷かれた裏路地を行けば溜まり場の駄菓子屋。図書館にあった子供が十数人も入ればいっぱいの小さなプラネタリウム。朝、通勤通学の人の流れを脇目に、出来立ての食パンを買った商店街の鍵の手角のパン屋さん。夕方になればどこからとも無くラッパの音、豆腐屋が自転車を押して通った。夜になれば、台所の窓の向こうに東京タワーが光って見えた。
 電車の好きだった私は、バイオリンの稽古通いの弟と母に付いて、時々目黒まで出かけた。その頃の目蒲線は緑色の古い電車が3両で唸りを上げて走っていた。終点の目黒駅は、線路の突き当たりに改札口があって、その先のコンコースは天井が高くて薄暗い、ヨーロッパの終着駅を思わせる雰囲気があった。駅を抜け出れば、有名な権の助坂。たまの家族揃っての銀ブラには車でこの坂を登った。バイオリンの教室は、駅から逆に植物園の方に行く途中にあり、練習中は何もすることが無く退屈だった。

 あれはいつのことだろう、何の時だっただろう、幼い記憶の断片はいつも突然始まる。私は、ひとりで目黒駅の、薄暗いコンコースに居る。まだ小さかった私には天井がより高く見え、私の周りをせわしなく通り過ぎる大人達は巨人のように大きかった。家に帰る為私は、いつも母と一緒にしたように券売機の前に向かった。自動券売機は、後ろから照らされた大きなアクリル板の下に金額の書いたボタンが並んでいる。私はカウンターに上胸部を押し当てて手を伸ばしお金を入れようとした。ところが、コインの挿入口は私の手のちょっと先にある。背伸びをしてもお金は決して挿入口に入らなかった。
 しばらくそこに居たようにも思う、周りに大人が居たかは覚えていない、声をかけてくれる人も居なかった。私はそこで或ることをひらめいた。権の助坂を下れば目黒川に出る。そこから左斜めに入ると、お化け屋敷と呼んでいる廃屋に突き当たる。そこは、家からお不動さんに行く途中だ。いつも車で通る道だからよく知っている、と。
 私は、高く見下ろしている券売機に背を向けると元気よく駅を出た。 さっきの暗い気持ちなどどこかへ消えて、いつもは車窓に見る町並みをてくてくと歩き出した。車で通るとあっという間の道のりでも、歩けば結構時間のかかるものだ。しかしその時の私の記憶には、時間の概念はない。初めてひとりで知らない街を一生懸命歩いていたからだろう。やがて道の突き当たりのお化け屋敷が見えてきて、私はいつもの町に帰った。

 家に帰った時、私は目黒駅からひとりで歩いて帰って来たことを興奮気味に母に報告した。よく、道が分かったでしょう、電車の距離を歩いたのがすごいでしょうといわんばかりに自慢げに話した。
 けれども、母はなぜ周りの人に頼まなかったのか、駅員の居る窓口に行くことに気付かなかったのかと私を責めた。私の目には見る見るうちに涙が溢れ出した。そして母にすがって思いっきり泣いた。

 あれは何で泣いたのだろう。恥ずかしいような口惜しいような、けれども気持ちよいほど思いっきり泣けたあの時。たったそれだけのことだけれど、私にはあの頃夕焼けが沈むまで駆けずり回った楽しい想い出と共に、ちょっと切なく思い出される記憶なのである。

 


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