Essay Gallery

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「エッセイスト」

 最近読んで非常に気に入ったエッセイ集がある。エッセイストではない城山三郎氏の「湘南」(文春文庫)である。珠玉の作品集といっていいほどに湘南のやわらかな陽射しを浴びているような、潮風が香ってくるようなエッセイである。私もこのような光も香りも肌触りさえも感じられる文章を書きたいと思う。細かいことや感想は書かない。自分の感性で感じてもらい、波長が合うか否かはその人次第なのだから、文章の嗜好も味覚や芸術と同じ、個性を尊重するのが私の身のこなし方である。
 世間では、エッセイストといえば有名な筆者がたくさん居るが、私のお気に入りは内田百間である。エッセイストというより随筆家と呼びたい氏は、知る人ぞ知る名代の文筆家ということになっている。確かに氏の文章は正確に洗練されているが、それが美しい文章なのか、すばらしい文章なのかは、私の批評できるところではない。けれども知名度に関わらず、私の理想とするちょっと知的なペーソス漂う文章はただ感服するばかりである。

 私が興味を持っている事柄はどこかが何らかで繋がっている。内田百間を知ったのは、「鉄道ジャーナル」という鉄道雑誌の「文学と鉄道」というようなコーナーだったと思う。希代の筝曲家宮城道雄の最期を描いた「東海道線刈谷駅」という作品の筆者として”鉄道ファンには「阿房列車」で有名な”と氏を紹介していたことに始まる。といってもその時は、著者の名前は覚えず、「阿房列車」という著作の名前が記憶に残っただけであった。私も鉄道ファンの端くれなのに知らない有名本がある、そんなことで頭の片隅に留められたのである。話はそれるが、ここから宮城道雄氏にも興味を持ったし、他の趣味も多くは鉄道絡みで始めたものが多い。"鉄道"をキーワードにあちらこちらが繋がっているのが、私の幅広い趣味の実態である。
 最近の作家で鉄道物の第一人者としては、宮脇俊三が一般の人にも広く知られていると思う。その紀行物の中にも、及びつかない師匠として「阿房列車」を挙げている。そんな作品「阿房列車」とはどんな作品であるのか、かねがね一度読んでみたいと思っていた。そんな私が高校生だった、と或る日、書店の旺文社文庫の棚に「阿房列車」「第二阿房列車」「第三阿房列車」という黄緑色の背表紙が並んでいるのを見つけた。第二第三などと知らないタイトルもあるもののどうやらこれがあの有名な作品らしい。そう思った私は安い文庫本の事、取り敢えずはじめの一冊を買って帰ったのである。"旅に出ようと思う"で始まる有名なこの作品は、戦後の混乱も収まり優等列車も復活しだした国鉄で、観光ではなく、”「汽車」に乗ること”を目的にした、二人旅の珍道中記になっている。その軽妙洒脱な文章綴りは読んでいて心地よく、私は続けて発行される文庫を次々と購読していった。
 この旺文社文庫のシリーズは人気があったのだろうか、それとも編集部に好き者が居たのか内田百間全集として増やされていった。氏の作品の殆どを網羅したこの文庫全集は私の宝物の一つであり、その中で私の好きな作品は「凸凹道」である。

 この短編の随筆は、茜色さえも暮れた山陰に赤い列車灯が小さくなっていく情景が目に浮かぶような、やるせない珠玉の小品である。その他にも飼い猫への愛情溢れる余りに騒動記風に仕上がって、悲しみの中にも笑いを誘うようなこれまた切ない「ノラや」など、味のある好きな作品の推挙には暇(いとま)が無い。
 同時に氏は、世捨て人のような生活をしながら人に愛されてきた我ままな人格者と私には映る。岡山の造酒屋の坊っちゃんとして生まれ、帝大を出て海軍士官学校講師を務めた氏に、私など到底及びもつかないが、エッセイストとしてのみならず、人生の先輩としても陶酔しているのである。

 


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