NOVEL Darkness 6-2(Second)

ソクトア黒の章6巻の2(後半)


 順調に力を取り戻しつつある。魔界に居た頃の9割は戻っている。絶対量が多い
余は、純粋に力を取り戻すのに、時間が掛かるのだ。ワイスなども、苦戦している
ようだな。修行で取り戻しつつも、瞬間的な力は、魔界に居た頃よりも強くする。
 それが、最終目標だ。そして、混沌の夜明けである『覇道』を提唱する。それが、
余の目標だ。魔界よりも一筋縄では行かない敵が、このソクトアには居る。確かに
大変かも知れぬ。・・・だが、それが良いのだ。困難無き達成など、何の価値があ
ろうか。このソクトアの覇権を握る事こそ、悲願なのだ。魔界の覇権は握った。そ
れなりに価値はあったが、今の魔界は、余に媚びている。そのような世界だけで満
足するような余では無い。
 最初に呼ばれた時は、詰まらぬソクトアになったと思っていた。人々の力は、明
らかに衰えていたし、人間は、余達の存在を知らぬとまで来た。何と歯応えの無い
者達であろうか?と思った。呼ばれた時に闘った健蔵や、士達を制すれば、余の覇
権は揺ぎ無いのか・・・と思ってさえ居た。
 だが、さすがはソクトアであった。主要都市たるセントでは無く、支配を逃れた
ガリウロルに実力者が集まっていたのだ。そこには神の姿もあり、余と覇権を争う
に相応しい者共が、揃っていたのだ。こうでなくてはならぬ。
「御方様。また、考え事ですじゃ?」
 妻が話し掛けてきた。思えばエイハも、余と長年付き添っているが、文句は無い
のだろうか?余の考えばかり優先してきたからな。
「エイハよ。・・・今更聞くのも、何だがな。貴公は、余と居て満足か?」
 余は魔界では、絶対に聞かぬような事を言う。ここはソクトアだから、魔界の時
のように、絶えず威光を示す必要が無いからだ。
「ほんに今更じゃな。此方は、御身と一緒に居たから、幸せなのじゃ。・・・この
ような些事な事を聞くなど・・・らしくないですじゃ。」
 エイハは、一点の曇りも無い目で、返してきた。
「何故、そこまで余に従う?余は、勝手気侭に振舞って来たと言うに。」
 余は、今の内に、胸の内を聞いておこうと思っていた。
「・・・ほんに、らしくないのう。此方は、そんな気侭な御身だからこそ、惚れた
のじゃ。・・・他の魔族とは、全てに於いて、スケールが違うからじゃ。こ、この
ような事、今の今になって、言わせるで無い!恥ずかしいではないか・・・。」
 エイハは、頭に血が昇ったのか、頬を青く染めていた。
「御身は、此方の副官の時から、目線が違っていたのじゃ。此方に従うだけの魔族
は数あれど、『覇道』を見据えて、魔族のあり方を提議する御方など、ケイオス様
だけだったのじゃ。・・・思えば、それを聞いた時から、此方は、御身以外の魔族
に興味が持てなくなってしまっていたのう。」
 余が副官だった時、既にエイハには、『覇道』の夢を言い聞かせていたな。
「デイビッドを殺したのも、余だぞ?」
 余は、デイビッドの事を引き合いに出す。
「兄は、御身と引き合いに出す程の存在じゃないですじゃ。利用で出来る物は利用し、
夢も持たずに、上に立ちたいだけのクズだったのじゃ。・・・まるで、父そっくり
だったのじゃ・・・。此方は父のようには、なりとうない・・・。」
 魔神レイモスの事か。人間に憑依するのを得意としていたな。この前、人間共に
敗れ、竜神の息子に消滅させられたと聞いたがな。
「そうか。余の気にし過ぎであったな。『覇道』の成就が近いからか、どうにも色
々な事が気になっていかんな。」
 余が、この『闘式』に勝てば、『覇道』を為すのに十分な戦力が整うだろう。そ
うなれば、色々な事が前進するに違いない。
「御方様、勝利は此方達の目の前ですじゃ。でも、油断は禁物ですえ?」
 ああ。やはりこの女は、そう来るか。余を油断させる事が無いな。
「当然だ。『闘式』は、余が必ず優勝する。」
 負ける気も無いし、負ける要素も見当たらぬ。
「だが、負けるとすれば・・・あの女か・・・。」
 余は、一つだけ気になっていた。あの女の目は、本物であった。
「・・・恵とか申す者ですかえ?」
 エイハも気が付いていたようだ。そうだ。あの小娘は、あの歳で余と対等の話し
合いをしてきた。そして、この余を相手に言い返してきた時の、あの眼は本物であ
る。余を見据えて、あそこまで言える女など、何処まで居ようか。
「うむ。久し振りに余の心を躍らせた。妾にしたいと思う。」
 余は、あのような心を持つ女こそ、欲しいと思っていた。
「・・・どうした?不満を言っても良いのだぞ?」
 余は、エイハに堂々と言ったのには、ちゃんと理由があった。この女には隠し事
は、するまいと思ったからだ。
「御方様は、それを堂々と言うだけの価値がある御方じゃ。此方は、反対せぬ。」
 エイハは意外にも、反対しなかった。いや、この女だからこそか。
「そうか。ならば、挨拶をせねばならぬな。」
 余は、これから挨拶しに行くつもりで居た。一切の隠し事をするつもりは無い。
だから、堂々と宣言を行うのだ。それが余のやり方である。
 それに・・・その方が、戦況は面白くなるであろうからな・・・。


 4月に入って、爽天学園では、新たな学期が始まったが、相変わらずの修行三昧
だった。私は、瞬君と死ぬような想いで特訓を続けている。『闘式』には、爺様も
出ると言うので、尚一層の気迫が求められる。あの爺様は、あの歳でも一条流のト
ップに立つ化け物だ。今の私じゃ敵わないかも知れない。
 しかも組んだ相手が、藤堂流の・・・睦月さんと葉月さんの祖父なんだとか。こ
のソクトアでも稀に見る達人同士が組んだのだ。単純な力だけなら、瞬君と私の方
が上かも知れないが、技の冴えで翻弄される可能性は、大いにある。
 そんな訳で、瞬君と恵さん、トシ君を交えて特訓中である。さすがに恵さんとト
シ君は、成長が早い。瞬君ともほぼ互角だ。私も辛うじて付いて行ってるが、足手
纏いにならないように必死になっている。
 今日は、4人で森に来ている。私も徐々に腕を上げてきているが、中々追いつか
ない。恵さんとトシ君は、レイクさん、ファリアさんとも特訓をしているらしく、
凄い速度で成長している。さすがだなー・・・。
「フッ!!ハアアア!!!」
 瞬君とトシ君は、打ち合いを続けている。
「俊男さん。左よ!」
 恵さんは、瞬君打倒の為にアドバイスを与えている。その瞬間、トシ君の動きも
良くなる。と言うか左と言っただけで、瞬君の右正拳を躱して、反撃するとか、ト
シ君の対応力も尋常じゃなくなっている。
「瞬君!トシ君の掌底が来る!」
 私も負けじと予測する。一応パートナーだしね。
「ハイィィ!!!」
 瞬君は、私のアドバイスを受けて、肘で掌底を止めて、防御する。
 どちらも高レベルだ。私達もアドバイスを送るだけで、参考になる。
「さすがだね。瞬君。対応の早さが、前とは段違いだ。」
「何言ってやがる。それに難なく付いて来てるのは、お前だろうが。」
 トシ君も瞬君も、お互いの力を認めている。
 ん?何か・・・妙な力を感じた。・・・って、何これ・・・。
 物凄く大きな物に包まれるような力・・・。これは、瘴気?
「・・・そこね・・・。フッ!!」
 恵さんが、力の根源に気が付いて、闘気弾を投げつける。
 すると、そこから何か扉のような物が開いて、誰かが出てくる。
「フッ。さすがに、余の瘴気は覆い隠せなかったか。」
 これは・・・誰?見ただけで、恐怖を感じるような強さだ・・・。何よこれ。
「ケイオスね・・・。何をしに来たのかしら?」
 恵さんが、名前を言う。ケイオスって、今回の魔族の最大の敵で、『覇道』を掲
げてたって言う?こんな奴が相手なの?
「名前を覚えてもらって光栄だ。魔族の血を引きし高貴なる者よ。」
 ケイオスは、恵さんの事を、高貴なる者と呼ぶ。
「魔族ってだけで高貴なのかしら?訳の分からない基準ね。」
 恵さんは、涼しい顔で言う。さすがに肝が据わっている。
「そうではない。貴公が高貴だと思う理由は、その精神性の高さだ。現状で満足せ
ず、より高みに入ろうと言う精神。全てが高レベルで行使出来るのに、それでも由
としない向上心。その精神性は、評価に値する。」
 ケイオスは、相当に恵さんの事を評価しているようだ。まぁ恵さんは、確かに凄
いと思うけど、魔族の親玉に言われる程とはね。
「評価して戴いたのは、光栄ですけど、私は、現状では満足出来ませんので、修行
を止めたりしませんわ。」
 恵さんは、向上心が凄いからね。私もついて行くのが精一杯だ。
「その向上心、余の傍に置くに相応しい気高さよ。・・・どうだ?余の妾にならぬ
か?余は、貴公のような人材を欲しているのだ。」
 ・・・え?妾?ってあ、あ、愛人になれって言う事?
「・・・良くもまぁ、そんな事を普通に言えるのね。私は、誰の物にもなるつもり
は無いわ。私の相手は私が選ぶ。それは、決して貴方では無いわね。」
 恵さんは、正面でケイオスを見据えながら話す。
「フハハハハ!そうよな!いきなり申し込んで、承諾をする程、貴公は甘く無い。
ならば、余が『闘式』で優勝した暁には、この申し出を受けてもらう。それを宣言
しに来たのだ。余は隠し事が嫌いなのでな。」
 ケイオスは、本気なのだろう。恵さんの事を本気で欲しがっている。ここまで、
堂々と奪う宣言をするとは、何処まで肝が据わっているのだろう・・・。
「ケイオス!・・・恵さんは、渡さない!お前に優勝などさせないぞ!!」
 トシ君は、毛を逆立てて怒っていた。
「そうよ。私には、もう俊男さんが居ますわ。」
 恵さんも、涼しい顔でトシ君の事を紹介する。
「成程。貴公も中々の逸材。失うには惜しい人材よな。・・・だが貴公では、まだ
余には勝てぬ。『闘式』の勝者の権利は知っておろう?」
 ケイオスは、有無を言わさない気だ。これは、本気ね・・・。
「させない!僕は、お前を倒して優勝してみせる!!!」
 トシ君は、ケイオスを睨みつけていた。
「その意気や由。貴公ならば、余の近衛隊に入れる実力はある。そこに入ってもら
おう。そうすれば、恵とも離れる事は無いぞ?」
 ケイオスは、自分が勝つ事が前提で話している。凄い自信ね。
「全く・・・。俊男さんは、貴方に負けたりしないわよ。」
 恵さんは、信じているようだ。しかし、ケイオスから感じる力は、相当な物だ。
「フッ。大会が終われば、否が応でも従ってもらう。ま、余の用事はこれだけだ。
修行の励みにするが良い。」
 ケイオスは、悠然と去っていこうとする。
「待て!恵さんを妾にする発言を取り消せ!!恵さんを侮辱するなら、僕は絶対に
許さない!!」
 トシ君は、恵さんを愛人にすると言うケイオスが許せないのだろう。
「取り消すつもりは無い。余は気に入った者は、必ず手に入れる。」
 ケイオスは、そのまま去ろうとする。
「取り消せって言ってるんだ!!!」
 トシ君は、我慢出来ずに飛び掛る。そして、トシ君の得意技である掌底を放つ!
だが、トシ君の渾身の掌底を、ケイオスは、指一本で、止めて見せた。
「フッ。非力よな。余に勝つのならば、この力のまま挑まぬ事だ。」
 ケイオスは、そのまま跳ね返すと、デコピンでトシ君を跳ね返す。トシ君は、と
んでもないパワーで吹き飛んでいった。・・・なんて力なの・・・。
「楽しみにしておるぞ。フハハハハハ!!」
 ケイオスは、高笑いをしながら消えて行く。
「お、おい!俊男!大丈夫か!!」
 瞬君が真っ先に心配する。すると、トシ君は、拳を地面に打ちつける。それも、
一度じゃない。何度でもだ。すると、地面が抉れてきた。
「クソ!!クソォ!!!こんな力があっても、アイツには敵わないって言うのか!」
 トシ君は、尋常じゃない悔しがり方をする。こんなトシ君は、初めて見た。
「僕は悔しい!恵さんを物のように扱おうとするアイツが、許せない!!」
 トシ君は、恵さんが受けた侮辱の事で、悔しがっているようだ。
「俊男さん・・・。大丈夫。私は従わないし、私達は、絶対に勝つのよ。」
 恵さんは、強い眼をしていた。あんな想いをしても、まだこれだけ言えるのだか
ら、凄い精神力よね。ケイオスが気に入った訳も分かる。
「トシ君。アイツにだけは勝たせちゃいけない・・・。頑張ろう。」
 私は、トシ君を励ます。修行して、強くなるしか無いんだ。
「・・・そうだね・・・。強くなるしか無いんだ・・・。」
 トシ君は、何かを決意したような眼をする。
 ケイオスの力の片鱗を知った・・・。私達は、負けられない闘いを強いられるよ
うだ。ケイオスに勝たせる訳にはいかないと、私達も、強く想った。


 最近、魁君と会ってないせいか、どうにも気が浮かない。魁君と会えないのは、
とても辛い・・・。でも魁君は、ジュダさんと一緒にどこかで頑張っている。私は、
頑張ってる魁君に、エールを送るのが筋だ。
 魁君も、葵ちゃんも凄いなぁ・・・。あんな恐ろしい大会に出場するなんて、私
には真似が出来ない。でも私は私で、闘おうと思っている。皆の修行の手伝いに、
大会での応援くらいは出来る。皆も必死なのだから、それに応えなきゃね。
 だけど・・・最近、トシ兄の様子がおかしい。恵様の名前を叫んだと思ったら、
悪夢でも見たのか、振り払うようにしている。森に修行に行ってから、どうにも様
子がおかしいのだ。何があったんだろう?
 私は、ノックをして、トシ兄の部屋に入る。トシ兄は、明るく振舞っていたが、
顔が冴えない。本当に気が滅入る。
「ねぇ。トシ兄。どうしたの?何があったの?」
 私は、トシ兄に尋ねてみる。私は自分が困っている時、トシ兄に相談して助けて
もらった。トシ兄が魔神に付け込まれたりと大変だったけどね。
 ・・・今度は私が助けたいのだ。
「・・・莉奈。・・・僕は今、追い詰められているんだ・・・。」
 トシ兄は、眼を細める。そして、森の中での出来事を話してくれた。
 ・・・まさか、魔族の親玉が、恵様を愛人にしようとするなんて・・・。
「トシ兄が怒るのも、無理は無いよ!酷いよ・・・。恵様は物じゃないのに!」
 私も怒っていた。堂々と奪いに来るなんて、大胆だけど、言って良い事と悪い事
がある。愛人にしたいだなんて、ふざけている。
「でも・・・このままじゃ敵わないんだ・・・。強いんだよ・・・。」
 トシ兄は、一撃を受けて、思い知ったようだ。相手に強さが・・・。
「トシ兄・・・。辛いんだね・・・。」
 私は、トシ兄の頭を撫でてやる。私の大切な兄で恵様の恋人。なのに、それを引
き裂こうとする相手が現れるなんて・・・。
「あれから、何度も夢に見るんだ。・・・僕がケイオスの警備をやってて、毎日の
ように悲しげな眼をした恵さんが、ケイオスの部屋に入っていく夢を!!」
 トシ兄の悪夢の正体は、ケイオスの事だったのか・・・。
「僕は、このままじゃ、おかしくなってしまいそうだ・・・。」
 トシ兄は、自分の手を見詰める。トシ兄は、あんなに強いのに・・・。
「でも、手はあるんだ・・・。」
 トシ兄は、眼を細める。何か手がある?
「でも・・・こんな恐ろしい事、本当はしたくない・・・。」
 トシ兄が震えている。と言う事は、想像を絶する事なのだろう。
「莉奈・・・。僕は・・・お前の兄じゃなくなるかも知れない・・・。」
 ど、どう言う事!?まさか、この前の魔神みたいに・・・?
「トシ兄が、トシ兄じゃ無くなるなんて、嫌だよ!」
 私は、あんな想いはしたく無かった。魔神に操られたトシ兄は、見ていられなか
ったし・・・。あんなトシ兄は、見たくない。
「でも・・・恵さん・・・。僕は・・・家族を捨ててまでは・・・。」
 トシ兄は、迷っているようだ。何か大変な決意なんだろう。・・・私は、こんな
トシ兄を見て、何が出来るのだろうか?・・・ここでトシ兄を止めて、恵様を諦め
ろとでも言うのだろうか?・・・何それ。トシ兄の枷でしかないじゃない・・・。
「トシ兄・・・。恵様の事、そこまで愛しているの?」
 私は、覗き込むように見る。トシ兄は、少し迷ったが、首を縦に振る。
「なら・・・やらなくちゃだよね・・・。恵様の為に!」
 私は、私情を殺して応援する事にした。それしか出来ないもん!トシ兄の枷にな
りたく無いんだもん。トシ兄の幸せは、恵様と共に有るんだもん・・・。
「何をするのか知らないけど、私、応援してるから!」
 そうだ。トシ兄を信じて、応援する事。それが、トシ兄にしてあげられる最大の
労りだ。枷になんかなりたくない!
「・・・ありがとう。お前が妹で、僕は幸せだよ・・・。」
 トシ兄は、迷いを捨てた眼をしていた。こうでなくちゃ、トシ兄じゃない。
「うん・・・。私も、トシ兄だから、ここまで頑張れたんだよ?」
 私は、トシ兄の役に立てないままなんて嫌だ。決意を歪ませるような真似はしな
い。それが、どんな事であっても、応援しようと思う。


 昼間は、レストラン『聖』を経営し、夕方から修行を開始する。最近では、全員
強くなってきているのを感じる。優勝も近いかも知れないと思ったが、俊男の話を
聞いて愕然とする。
 何でも、ケイオスが堂々と宣言しに来たのだと言う。恵を妾にするとか。確かに、
恵は奴が気に入りそうなほど気高いが、乗り込んで堂々と宣言しに来るとは・・・。
 そんな中、俺は、俊男に呼び出された。何でも大事な用事があるのだとか。
 俺にと言うのが気になったが、グロバスにでも用事が有るのかもな。
(我は、ケイオスの弱点など知らぬぞ。それに、知ってても教えるつもりも無い。)
 それを見つけるのも、闘いの内って事か?まぁその意見には、同意だが、奴の話
を聞くくらいは、してやらんとな。
 しばらくすると、俊男がやってくる。・・・思い詰めた眼をしてやがるな。
「お待たせしました。夜中に呼び出して、申し訳ありません。」
 俊男は、丁寧に挨拶をしてくる。
「堅苦しい挨拶はしなくて良い。それにしても、災難だったな。」
 俺は、一応気遣ってやる。俺だって、センリンを妾にする何て言われたら、何を
するか分からん。だから、俊男の気持ちは、痛い程分かる。
「ケイオスの力は本物です。・・・デコピン一発でしたが、奴の力の底知れなさを
知りました・・・。あれは、化け物です・・・。」
 俊男が化け物と言うくらいだ。余程なんだろうな。
「で?俺の用と言うのは?その化け物の弱点でも教えろって言うのか?」
 俺は、核心を聞いてみる。変な駆け引きは得意じゃないしな。
「・・・違います。奴に弱点は無いでしょう。・・・なら、僕が強くなるしか無い。」
 ・・・分かっているようだな。だが強くなるのに、俺を指名するってのは?
「俺と修練なら、いつでもやってるだろう?今更、特訓を重ねてもな?」
 確かに強くなるだろうが、ケイオスに届くかと言われれば、疑問符だ。
「グロバスさんに、用があります。」
 俊男は、やはりグロバスに用事があるようだ。
「分かった・・・。まぁ奴も、余り知らないだろうがな。」
 俺は、意識を集中させて、グロバスに意識を渡すようにする。
 ・・・
 我に用事とは、如何なる用事か・・・。
「待たせたな。我に何が訊きたいのだ?ケイオスの事は、余り知らぬぞ。」
 我とて、あの力は脅威だと思っている。あの強靭な意志と力は、計り知れぬ。
「ケイオスの事は、良いんです。僕が強くなる為に必要な物が欲しいんです。」
 む?必要な物とな・・・。我に用意出来る物?・・・!
(あ、アイツ、まさか!!)
 ・・・士も気が付いたのか?だが、我に用事とあれば、これしかあるまい。
「お前は、魔性(ましょう)液を求めているのか?」
 我は口に出す。魔性液・・・。それは、魔族になる為の瘴気が詰まった液体であ
り、これを飲んで打ち克った者は、魔人(まびと)になれる。
「そうです。・・・元々考えていました。恵さんが魔族と人間のハーフなら、僕が
傍に居るには、魔族にならなくては・・・と。」
 俊男の覚悟は、本物のようだな・・・。この時代に魔人になりたがる者が居よう
とは・・・。ならば、応えるか・・・。
(おい。そんな簡単にやって良い物なのかよ!)
 彼が望んでいるのだ。応える力が我にあるのだから、応えてやるのが流儀ではな
いのか?彼が魔族になる事を望んでいるのだぞ?・・・ま、一応訊くか。
「一応、訊いておこう。後悔はしないな?人間に戻れるなどと、甘い期待はしない
事だ。それなりの覚悟があるのならば・・・これを飲むが良い。」
 我は、自らの力を搾り取って、グラスに注ぐ。瘴気の塊が液体となって、暗黒色
に染まっていく。昔は、良くやっていた物だが・・・。
「僕は・・・今出来る事を、全てやっておきたい!後で、やっておけば良かったな
どと、思いたくない!・・・恵さんを、失いたくないんだ・・・。僕は・・・ケイ
オスに、追いつく為に・・・!!!」
 俊男は、魔性液を見詰めながら、手を震わす。
「分かった。・・・ならば、せめて、その姿だけでも隠すようにしよう。」
 我は、次元の空間を作ってやる。結界も張ってあるので、普通に見つかる事は無
いだろう。そして、この結界の中ならば・・・苦しむ姿を見せる事も無い。
「入るが良い。そして、頑張ると良い。お前のような強者を見れなくなるのは、我
とて望む所では無い。」
 我は、結界と扉を用意してやる。これくらいしか出来ぬからな。
「有難う御座います。・・・僕は、必ず戻ってきます。」
 俊男は、迷いながらも入っていった。
 そして、扉を閉める。・・・もう、我では干渉も出来ぬな。こうなったら、外側
から開かれる事は無い。打ち克つまで、出て来れないだろう。
(俊男・・・。お前、そこまで恵に・・・。)
 想いの強さか・・・。これもまた、人間の強さの一つであろう・・・。
 我は、そう思わずにはいられぬ。
(無茶しやがる・・・。と、誰か来るみたいだぞ。)
 あれは、恵と瞬と江里香か。俊男の事を勘付いたようだな。
「あれは・・・グロバスさん!って事は・・・?」
 瞬は、我の事を見て、何が起こったのか予想しているようだな。
「・・・ま、まさか!!」
 恵は、気が付いたようだ。さすがに勘が良いな。
「どう言う事?何があったの?」
 江里香は、まだ気が付いてないようだ。
「グロバスさん!此処に俊男が来なかったですか?」
 瞬が尋ねてきた。まぁ当然の疑問であろうな。
「俊男なら、我に用事があると言って、此処に来た。」
 我は、それだけを言う。本当の事を言うのは、少し憚られた。
「・・・用事って、何でしょうか?」
 江里香は、俊男が我に用事があると言うのが、珍しいと思ってか、聞いてくる。
「・・・詳しくは、話したくないが・・・俊男なら、そこに居る。」
 我は、次元の空間の歪みを指差す。一見すると、普通の景色と同化しているが、
良く見れば分かるようになっている。
「おい!俊男!こんな所で、どうしようと言うんだ!何をしてるんだよ!」
 瞬が、歪みに手を伸ばそうとする。しかし、もう中からじゃないと、開けられな
いようになっている。俊男の意志もある。俊男には、周りの風景は見えているから
だ。なのに出て来ないと言う事は、魔性液と闘っている最中で、その姿を皆に見ら
れたくないのだろう。
「・・・俊男さんが望んだのね?」
 恵は、我にそれだけ聞く。ああ・・・。本当にこの娘は、勘が良い。これは、全
てに於いて気が付いている・・・。ケイオスが惚れる訳だ。
「そうだ。お前なら気が付いているだろうが、お前の為だ。」
 我は、教えてやる。恵の為に強くなりたいから、魔族になる事を望んだ。そして、
恵との関係が本気だったから、恵と同じ魔族になる事を望んだのだ・・・。
「俊男さんの馬鹿!!私は、そのままの貴方でも、本気で好きだったのに!何で、
自分から変わろうとしちゃうのよ!莉奈はどうなるの!?」
 恵は、涙ながらに歪みに向かって叫ぶ。
「おい・・・恵。変わるってどう言う事だ?」
 瞬は、気が付いていない。いや、こんな事気が付ける方がおかしい。
「トシ君、何をしたって言うの?・・・それに莉奈ちゃんも関係ある?」
 江里香も気が付いてないか。それが普通であろうな。
「俊男さんは・・・魔族になろうとしてるのよ・・・。魔人にね。」
 恵は、教えてやった。やはり気が付いていたか。
「え?・・・マジかよ・・・。おい!俊男!何だよそれ!!」
「ちょっとトシ君!何を早まっているの!?魔族なのよ!?戻れなくなっちゃうの
よ!それだけじゃない!死んじゃうかも知れないのよ!」
 二人は、やはりと言うか当然だが、驚きと共に悲しみの声を出す。
「どうして、止めなかったんですか!」
 瞬は、納得いかなかったのか、我に聞いてくる。
「・・・勘違いして欲しくないのだが、我は求めに応じただけだ。それに、念押し
もした。それでも俊男の決意は変わらなかったのだ。」
 念押しも一度だけだったが、俊男の決意は、何度聞いても変わらなかっただろう。
(アイツは本気だったからな・・・。でも、瞬達が取り乱す気持ちも、分かってく
れ。俺には瞬達の気持ちも分かる・・・。)
 我とて無粋ではない。我にだって分かるさ。体を改造しようとしているのだから、
反対もするだろうさ。俊男も罪作りな奴よ・・・。
「トシ君は、そこまで恵さんの事を・・・。」
 江里香は、俊男の決意が本物だと言う事を悟る。
「私なんかの為に・・・。こんな呪われた!この私の為に!!」
 恵は涙を流して、自らを責めていた。
「・・・ち・・・がう・・・。僕は・・・恵さ・・・んの・・・為なん・・・かじ
ゃ・・・ない・・・!!」
 時空の歪みから声が聞こえてきた。とても苦しげだった。俊男か!
「俊男!お前か!?お前なんだな!!」
 瞬は、真っ先に歪みに近寄る。すると、そこから腕だけ出てきた。
「僕は・・・自分・・・の・・・未来・・・の為・・・に!魔族・・・に、変わる
ん・・・だ!!・・・莉奈・・・にも・・・了解は・・・取った!」
 俊男は、とても苦しげな声を出していた。もう飲んでいたか。
「皆・・・僕の・・・為を・・・思うな・・・ら、応援・・・してくれ!!」
 俊男は、搾り出すように言う。しかし・・・何故そこまで苦しむのだ?
「分かったよ・・・。俊男!負けるな!!お前が無事であれば、それで良い!必ず
戻って来い!魔族になっても、俺はお前の親友だからな!!」
 瞬も熱い事を言う。それが俊男にとって、勇気になる筈だ。
「トシ君!莉奈ちゃんを残して、死んじゃ駄目よ!」
 江里香も応援していた。しかし、俊男程の男なら、心配無いと思ったのだが、何
故あそこまで苦しむのだ?アイツ位の器であれば、普通の精神力とは、訳が違う。
魔性液を跳ね返すくらい、造作も無いと思ったのだが・・・。適応が早ければ、一
日で馴染む者も居る位だと言うのに。
「俊男なら、すぐに出られると思ったのだが・・・。何故あそこまで・・・。」
 我は、つい口にする。確かに死んでしまう者も居る。危険が無い訳ではない。
「グロバスさん・・・。貴方、俊男さんの決意を半分しか分かってなかったのね。」
 恵は、分かっているようだ。どう言う事だ?我は、何かを勘違いしているのか?
「・・・うぐぅ!!・・・消え・・・る、物か!!!!」
 俊男は、苦しげな声を続けていた。む?消える?何を言っているのだ?死んでし
まう危険はあっても、消える心配など無い筈だが・・・。
(いや、まさか・・・。アイツ・・・。)
 士も何かに気が付いたのか?奴は何故あれ程苦しむ?
「俊男さんは、過去に魔神に乗り移られ、ジュダさんに器として十分と認められた
経緯があるのよ。・・・だから神気が、並の神と同じくらい出せるって、ジュダさ
んから聞いた事があるわ・・・。兄様が、ゼーダさんと共生して、神気を良く扱え
るようになったのに近い・・・。俊男さんは、それを知っていたわ・・・。」
 な、何だと!?では奴の体は、神に近い体だと言うのか!?
「奴は、『聖人』となっていたと言うのか?」
 我は、その結論に至る。聖人・・・。つまり、瘴気と反する体になってしまって
いると言う事だ。そんな体に魔性液を入れれば・・・。
「そ、そんな!俊男!!お前!!」
 瞬も事の重大さに気が付いたのだろう。俊男がしている行為は、単に魔族に成ろ
うとしていたのでは無かったのだ。
「『無』と化してしまうぞ!・・・お前、そんな覚悟だったのか!!」
 さすがの我も、見誤ったわ・・・。まさかそのような悲壮な決意だったとは。
(俊男!何て真似を!消えちまうぞ!!)
「俊男さん・・・。貴方、馬鹿よ・・・。貴方みたいな馬鹿、私は知らない・・・。
貴方みたいな人、居る訳無いじゃない・・・。だから、絶対に戻ってきて!」
 恵は、全てを知りつつも応援をしていた。すると伸びた手で、親指を立てて頑張
ると言う意思表示をした。何と言う絆の深さか・・・。
「僕は・・・負け・・・ない!!!」
 俊男の声が聞こえると同時に、歪みに腕は戻っていった。そして、何も聞こえな
くなった。恐ろしい事よ・・・。これからまた苦しみに行ったのか・・・。
「・・・済まぬ・・・。我ですら見誤っていた・・・。」
 我は、単純に力を得る為に魔族になりたいのだと思っていた。しかし俊男は、そ
んな決意で臨んだのではなかった。アイツは魔人になりたいのではなく、それ以上
の存在になりたかったのだ。アイツの体が『聖人』に近いと言うのならば、さしず
め『聖魔(せいま)』と言った所か。恐ろしい事をする。
「人でありつつも、聖なる体に恵まれ、魔の血を混入する・・・。恐ろしい事だ。」
 俊男は、誰も成った事が無い境地に行こうとしていたのだ。
「私は、信じてる・・・。俊男さんは、絶対に勝つって!」
 恵は、全てを知って尚、俊男を信じていた。何たる愛の深さか・・・。
 これが人間の絆。我は、人間の強さを垣間見た気がした・・・。


 余は『覇道』を為す者。余を倒さんとする者全てを退ける覚悟でいる。
 そして、今回の『闘式』の勝者の権利は、余の望む物全てが手に入るのだ。こん
な理想的な展開は無い。余は、出場者全てを手に入れる事が出来るのだ。あんな戦
力は、他にあるまい。魔界の者すら凌駕する手練達だ。
 そして、その中の一人、天神 恵とやらは、余の寵愛を得るに相応しき精神の持
ち主だと分かった。なので余の流儀で、宣告しに言った。手に入れたい物は、この
手で掴む主義なのでな。間違っても負けられぬな。
 横に居るエイハは、余に黙って付き従っている。最も、あれから口数も少ないの
で、本当は怒っているやも知れん。だが、それで歯向かって来るのなら、それも一
興よ。それくらいの心積もりで、余は宣言したのだ。
「フッ・・・。余とした事が、心躍る気分だ。」
 そう。余は、久しぶりに心が躍る気分だった。
「御方様は、ほんに楽しそうじゃの。」
 エイハは、余に気遣いの言葉を掛ける。しかし、少し棘のある言葉だった。
「余の方針に、文句を言っても良いのだぞ?その権利は、お前にはある。」
 余は、正直な事を申すように言う。本音は聞いておかねばな。
「御方様に文句など無いのじゃ。此方が文句があるのは、あの女じゃ。」
 ほう・・・。文句が無い訳では無いようだ。まぁ、お飾りの妻ではないし、当然
ではあるが、恵の言動が気に入らぬようだな。
「御方様程の魔族が、気に入ったとさえ言っているのに、見向きもせぬとは、無礼
千万なのじゃ!此方は、それが許せぬのじゃ!」
 成程な。余を拒んだ恵を許せぬのか。そんな考えに至るとは、つくづくエイハら
しいな。いつまでも愛い奴よ。
「放って置け。『闘式』で余が優勝する姿を見せれば、嫌でも黙る。」
 余は、実力を見せ付けて勝利に至る予定だ。
「ま、それでも黙らぬ場合は、その時はその時よ。無理強いするつもりは無い。」
 余は、無理やり従わせる程、度量の狭い魔族ではない。
「部下として従えば、いつかは余に振り向くであろう。それを待つつもりだ。」
 そう。余に振り向かぬのならば、振り向くように努力するのが肝要。
「本気でそう思っておるのなら、何故あの者に発破を掛けたのじゃ?」
 む?やはり気が付いておったか。さすがはエイハよ。
「決まっておろう?余は、強き者との闘いが望みだからだ。あの者は、見た瞬間に
才能を感じた。そのまま闘って余が勝てば、楽に恵を手に入れられるかも知れぬ。
だが、奴の才能が潰れる。奴の才能も惜しいのだ。余は・・・。」
 そう。敢えて宣告をしに行った狙いは、そこであった。初めて相対した時から、
奴には才能を感じた。よく修行を積んでいるのも分かったし、切磋琢磨しているで
あろう事は見て取れた。だが、まだ余の足元に及ばぬ存在だと感じたのだ。
 そのまま才能を潰すのは容易い。だが、この『闘式』は、余の部下を選定する為
の大会でもあるのだ。その才能を潰してどうするのか。
 だが発破を掛ければ、この者の事だ。大いなる強さを手に入れてくるであろう。
そう言う決意を持っている奴だと直感が告げた。
 そうだ。その強くなった奴と闘う事こそ余が望み。それこそ死闘を繰り広げる事
も可能だろう。その為に、本気になってもらわなくてはいかん。
 そこで、一石二鳥の手を取ったのだ。余の信条である、堂々たる振る舞いで、恵
に妾になる事を誘い、奴に余の力の片鱗を見せる。さすれば、余と自分の力の差が
理解出来るだろう。そうすれば、奴は本気になる。
 余が『神魔』の試練を潜り抜けたように、奴も生死を彷徨う試練を潜り抜けても
らわねばならぬ。そうやって強くなった奴と、本気で闘う・・・。そして勝利する
事が、『覇道』の輝きに通じると信じている。
「楽しみだと思わぬか?奴が、どう強くなるのか・・・。」
 余は、ソクトアに現界した時から、このような強者との闘いを楽しみにしている
のだ。士とグロバスも、楽しみだが、奴との闘いも楽しみだ。
「御方様は、ほんに闘いが好きじゃのう。良いじゃろう。此方も御方様の闘いを見
守る覚悟じゃ。存分に闘う姿を見せてくれるのじゃな?」
 こ奴。さすがは余の妻よ。覚悟が据わっておるわ。
「当然だ。エイハには、特等席で見る権利がある。余の隣でな。」
 余のパートナーであり、妻であるエイハは、余の隣でその闘いを見届けてもらう。
「楽しみなのじゃ。・・・じゃが此方も闘って良いのじゃろう?」
 エイハは、不敵な眼を見せる。この眼は、余と覇権を争っていた時の眼に似てい
るな。久し振りに良い眼をするではないか。
「存分に力を発揮するが良い。恵の事が、そんなに許せぬか?」
 エイハは、恵に対して、全力でぶつかる気なのだろう。
「当たり前なのじゃ。御方様への侮辱は、此方への侮辱と同じ。あの小娘には、此
方の年季を味わってもらうつもりじゃ!」
 これは、エイハも相当に本気のようだ。あまり怒らせる物ではないな。
 これで、余もエイハも、気合十分である。良いか?必ず殻を破り、余の前に立つ
と良い。限界まで引き出した力を、余の前に出すが良い!
 楽しみにしておるぞ・・・。島山 俊男よ!


 俊男さんは、本当に思い込みが激しい。私は、もう俊男さん以外に考えられない
と言うのに、私の為に魔族になる試練を受けている。しかも、半分『聖人』と化し
ているあの体でだ。そんな事をしてしまえば、消滅する恐れがあると言うのに。
 そこまで想ってくれるのは嬉しい。けど、俊男さんが居なきゃ話にならないじゃ
ない。その辺を、あの人は分かっていない。自分の為だと言っていたが、半分は私
の為だ。無茶をする・・・。
 そんな消える力に負けないと、俊男さんは言った。だから私はそれを信じる。今
の私に出来るのは、戻って来た俊男さんを助けられるように、力を付ける事だ。
 今日も道場で、修練をする。パーズ拳法も合気道の復習も忘れない。俊男さんが
強くなるのに、根本を変えたのなら、私は一歩ずつ強くなっていくしかない。
 そう言えば今日は、葉月が帰って来ている。ショアンさんも、店を手伝いたいと
の事で、久し振りに天界から、こっちに来ているのだ。
 しばらくすると、玄関からインターホンが聞こえる。最近は、取材や訪問客が多
い。その辺の対応は、睦月に一任している。彼女のおかげで修練に専念出来ている
のだ。睦月には感謝し足り無いわね。
 しかし今回は、どうやら私の判断を仰ぐようだ。こちらに向かう音が聞こえたか
らだ。私は、その気配を察すると、修練を手早く止めて、睦月を迎える準備をする。
「恵様。・・・亜理栖様が来たのですが、今日は、お連れ様が居るようです。」
 お連れ様?誰か違う人でも呼んだのだろうか?まぁ良いわ。
「通しなさい。すぐに着替えて対応するわ。」
 私は、亜理栖先輩が連れて来た客と言うのが気になっていた。予想は付きますけ
どね。用件は、やっぱり『闘式』の参加の事でかしらね?
「亜理栖さんが、誰か連れてきたって?巌慈じゃないの?」
 ファリアさんが、興味津々で聞いてくる。結構目敏い。
「ええ。他に2人居るみたいですわ。これから応接間で対応する予定です。皆さん
も行きます?」
 私は、修練している皆に言う。今はレイクさん、ファリアさん、兄様に江里香先
輩と言った所だ。俊男さんが居ないと、寂しい物ね。
「うーーん。誰だろ?行ってみるかな。」
 兄様は、ピンと来ていない様だ。
「多分『闘式』への参加の話かしらね?」
 江里香先輩は、気が付いているようだ。さすがだ。
「へぇ。強い人だと嬉しいな。」
 レイクさんは、何も考えてなさそうだ。らしいですわね。
 私は皆を連れて、応接間に向かう。向こうの案内は睦月がやってくれているよう
だ。葉月がセッティング完了の合図を出している。私は、ノックをする。
「あ。来たようだね。大丈夫だよ!」
 亜理栖先輩が対応している。私は扉を開けた。
「おう!来たのう!皆も居るようじゃな!」
 伊能先輩が、元気良く挨拶する。変わらないわね。この人は。
「ん?ああ!総一郎(そういちろう)さんじゃないですか!」
 兄様は、大きな声を出す。はしたない・・・。
「兄様?懐かしいのは分かりますけど・・・。」
 私は、釘を刺すのを忘れない。毎回言わないと、気を付けてくれないからだ。
「あ、あはは。わりぃわりぃ。いや、ちょっと心配だったんで、つい・・・。」
 兄様は、頭を掻きながら反省をしているようだ。まぁ、お気持ちは分からなくも
無い。何せ神城 扇に胸を裂かれてたのだから、心配にもなる。
「ハッハッハ。久し振りだな。瞬君。あの時のお礼をまだ言ってなかったからな。
『闘式』の参加申し込みついでに、寄らせてもらったよ。」
 やはりね。総一郎さんも参加するみたいだ。それにしても、この方は、繊一郎さ
んにそっくりですわね。1000年前に飛ばされた時の事を思い出しますわ。
「いやー。総一郎兄さんがさー。どうしても来たいって言うからさー。んで、コイ
ツがそのパートナー。オラ。自己紹介しな。」
 亜理栖先輩は、総一郎さんの事を話した後、横に居た人を小突く。酷い扱いの差
だ。と言うか、この人も見覚えがあるわね。
「お嬢、もうちょっと優しくして下さいよ・・・。あ。俺は、榊家の門番やってる
冬野(ふゆの) 健一郎(けんいちろう)です。」
 冬野さんは、軽く自己紹介を済ませる。やっぱり冬野さんでしたか。
「おー。出るんですね!一緒に頑張りましょう!」
 兄様は、面識もあるので、勝手に盛り上がっていた。
「おお。君は、あの時のか。うわー。闘気の量が半端無いねぇ・・・。こりゃお手
柔らかに頼むよ?・・・ってあれ?あの弁髪の子は?」
 冬野さんは、俊男さんの事を言う。そう言えば、会ってたわね。
「こんの馬鹿!・・・今は居ないよ。」
 亜理栖先輩は、冬野さんを思いっきり殴ってから、静かに言う。亜理栖先輩には、
事情を話してある。しかし、殴られた冬野さんは、不思議そうな顔をしていた。
「良いんですのよ。亜理栖先輩。話しておきますわ。」
 私は、隠すつもりは無かった。私達の事を、この二人にも話しておく事にする。
 ここに居るメンバーの馴れ初めや、今は就業中の士さん達の事も話してやった。
 総一郎さんは、驚きの顔をすると共に、色々複雑な表情を見せる。
「いやはや・・・。亜理栖から、色々と聞いてはいたがな・・・。」
 総一郎さんは、私達の過去を聞いて、思う所があるようだ。
「お嬢の友達って、色々凄いんですね・・・。いや、俄かには信じがたいですわ。」
 冬野さんは、簡単には信じられないようだ。
「そりゃー私だって、最初は色々と驚いたけどね。コイツ等と付き合う内に、大抵
の事では驚かなくなっちまったね。」
 亜理栖先輩は当初と比べれば、かなり腕前を上げているし、私達にも付いてきて
いる。驚かなくなったのも、その影響だろう。
「コイツ等のスケールの大きさは、俺も認める所じゃ。」
 伊能先輩は、ウンウンと頷いている。あの顔は、何も考えてなさそうね。
「テレビの会見でも言っていたが、貴女が魔族とのハーフと言うのは本当なのか?」
 どうやら総一郎さんは、私が魔族の血を引いてる事が疑問のようね。
「お見せしましょうか?もう隠す必要もありませんしね。」
 私は、負い目だった過去に決別する事を誓っている。こそこそするのは嫌なのだ。
「そうだな。見せてくれると有難い。」
 総一郎さんは、是非とも見たいようだ。ならば、見せるしかないかな。
「良いでしょう。今では、姿が変わっても制御出来るようになりましたので。」
 昔の私なら、姿が変わっただけで興奮し、制御出来なかったが、今は違う。俊男
さんと修行して得たパーズ拳法の心得と『制御』のルールで、暴走するのを食い止
める事が出来る。強い精神を身に付ける事が出来たのだ。
「そういや、俺もまだ見た事が無かったな。」
 レイクさんにも、見せてなかったっけ。ま、良いわ。
「この変身は、私と俊男さんの信頼の証であり、努力の結晶よ。」
 私は、そう言うと、意識を魔族側に集中させる。そして、瘴気の暴走を抑えなが
ら、静かに変わっていく。視界は、よりクリアになり、脳の動きも活性化する。
 私が変わると、周りは呆けていた。驚かれたかしら?
「これは、驚いた。これ程とはなぁ・・・。」
 レイクさんは、感嘆の声を上げる。
「これが、魔族・・・。瘴気か・・・。いやはや、凄いな。」
 総一郎さんも、魅入っていた。
「こりゃ、信じざるを得ませんねぇ・・・。」
 冬野さんも、納得してくれたようだ。それは何よりだ。
「あら?恵さん、また腕を上げたんじゃない?前より強いわ。」
 ファリアさんは、私から出る瘴気の量の違いに、気が付いたようだ。
「そりゃーね。私も伊達に修行してた訳では無いのよ?」
 ファリアさんに最後に見せたのは、4ヶ月前の林間学校の時だ。その時よりは、
確実に腕を上げている。これも俊男さんのおかげだ。
「カァ・・・。フロイラインは、底が知れぬな。」
 伊能先輩は、首を振りながら褒めて来た。
「こう言う出来る後輩持っちゃうと、私も立場無いなぁ・・・。」
 亜理栖先輩は、溜め息を吐いていた。
「この状態の私は、全ての力が余す所無く使えますわ。」
 普段も、それなりに使えるが、この状態なら更に制御力が上がる。
「驚きなのは、その状態なのに、気品を保っている点だな。」
 総一郎さんは、妙に納得している。この状態だからこそ、気品を保ちたいのだ。
俊男さんに見せた時のように、暴走していては、天神家の名折れだ。
「余裕が出てるなんて、さすがだな。恵は・・・。」
 前に兄様に見せた時は、暴走しかけでしたからね。あのような醜態は、見せない
ように修練してきたのですから、当然ですわ。
「この時の私は、瘴気の量が違いますわ。」
 私は、右手に瘴気を集め始める。この量は、魔族形態でしか出せない。
「う・・・ぬぅ!・・・成程・・・。これは本物のようだ。」
 総一郎さんは、信じてくれた。話が早くて助かりますわね。
「信じて下さって光栄ですわ。」
 私は、スカートの裾を掴んで、優雅に挨拶をすると、いつまでも変わってる訳に
は行かないので、人間形態に戻す。
「魔族になると、目が紅く光るのだな。ふーむ。」
 何気に、ちゃんと見ている。さすが繊一郎さんの子孫だ。
「でも、お嬢さんに合わせる為に、魔族になる液を飲むなんて、無茶するんですね。
私如きの応援じゃ、届かないかも知れませんが、無事を祈る事にしますよ。」
 冬野さんは、俊男さんの無事を祈ってくれた。
「そうだな。俊男君は瞬君と同じく、未来に生きるべき男だ。私も無事を祈ろう。」
 総一郎さんも、応援の言葉を掛けてくれる。今更、嘆いたりしない。だから出来
る事を悟って、無事を祈ってくれる。大人な二人だ。
「その言葉は、きっと俊男さんにも届いていますわ。俊男さんに代わり、お礼を致
します。あの人の無茶は、これからも続くんでしょうけどね。」
 私は、溜め息を吐いてしまう。あの人は、私に心配させまいとして、却って無茶
をする。それが、更なる心配を招くと分かっていない。
「手厳しいな。いや、だからこその絆か。羨ましい限りだな。」
 総一郎さんは、私達の絆の深さを羨む。
「何老け込んでるんですか?これからですよ。頭領。」
 亜理栖先輩が、からかうように発破を掛ける。結構仲が良いみたいね。
「楽させてくれんな。お前は。ま、出来る限りはやるさ。」
 総一郎さんは、嬉しそうに亜理栖先輩の頭を撫でた。
 すると、インターフォンが鳴った。この時間ですと、帰って来たのかしらね。睦
月が対応しに行くと案の定、いつもの人達が帰ってきた合図だった。無論、言うま
でも無く、レストラン『聖』の人達である。いつもこの時間ですからね。
 しばらくすると、士さん達と、エイディさんとグリードさんに勇樹が顔を出す。
「帰ったぞ。っと、お客人が居たんだったな。」
 士さんは、総一郎さんに気が付く。すかさず礼をした。
「貴方の事は、この方々に聞きました。・・・おお。エイディ!」
 総一郎さんは、エイディさんに気が付く。
「いよっ。睦月から聞いて、ビックリしたぜ?まさか来てるなんてよ。」
 エイディさんも、懐かしそうに挨拶する。そう言えば、知り合いだって言ってた
わね。アズマの榊家に結構行ってたんだとか。
「ええト・・・。自己紹介が欲しいナー。」
 センリンさんが、戸惑っていた。それはそうよね。
「ああ。これは済まない。私は、榊 総一郎。亜理栖の従兄弟で、榊家の頭領をや
っております。お見知り置き下さい。」
 総一郎さんは、丁寧に挨拶をする。
「あ。俺は、そのパートナーで、お嬢の家の門番やってる冬野 健一郎って言いま
す。レストラン『聖』には、何度かお世話になってます。」
 冬野さんも挨拶をする。と言うか、レストラン『聖』に行ってたのか。
「ああ。覚えてるぜ。蕎麦好きの冬野さんだろ?俺は、黒小路 士だ。レストラン
『聖』のオーナーをやっている。」
 士さんは、冬野さんの事を覚えていた。さすがだ・・・。
「おお。覚えてくれてたんですか?コイツは嬉しいですね。」
 冬野さんは、士さんの顔の覚え方に驚きを隠せない。
「お客さんの要望に応える為なら、私達は、抜かり無いヨ。私は、ファン=センリ
ンだヨ。店長をやってるネ。」
 センリンさんも、覚えていたみたいね。
「いやぁ、冬野さんは、面白い要望出してたからさー。オレ達も印象深くてね。ち
なみに、オレはジャン=ホエールだ。宜しくな。」
 ジャンさんも挨拶をする。それにしても面白い要望ねぇ?
「そうそう。蕎麦の名産地を書いて、其処の蕎麦の方が美味いって書かれてて、ウ
チら、ビックリしたのよねー。ウチは、アスカ=コラットだよ。」
 アスカさんも挨拶を済ませる。蕎麦の名産地を書くとは、印象的だな。
「私とゼハーン殿で、名産地に掛け合ったのは、良い思い出ですな。・・・私は、
ショアン=ガイアと言う。宜しく頼む。」
 ショアンさんも挨拶をする。名産地まで行ったんだ・・・。
「テンマの蒼葉(あおば)だったか?あそこの蕎麦を分けて貰いに行ったっけな。
私は、ゼハーン=ユード=ルクトリアだ。」
 ゼハーンさんも、名前を明かす。もう偽名は使わないようだ。
「そのついでに全員で、蕎麦打ちの仕方も習ったのは、良い思い出だったなー。俺
は、外本 勇樹だ。噂は聞いてるぜ。総一郎さん。」
 勇樹も挨拶をする。蕎麦打ち習いに行くとは・・・。本格的だ。
「一番駄目出し食らったの、俺だけどね。俺は、グリード。エイディとは腐れ縁の
仲だ。総一郎さんの事は聞いてたぜ。」
 グリードさんも蕎麦打ちしたのね。大変だったろうに。
「おかげで、店の蕎麦メニューが、やたら売れるようになったっけな。フェアもや
ったしな。俺は、紹介するまでも無いな?」
 エイディさんが締める。そう言えば、蕎麦フェアやってましたわね。
「あのアンケートで、そこまでやってくれてたなんて・・・。次行った時に、あん
なに味が変わってたのは、そのせいだったんですか・・・。参りました。」
 冬野さんは呆れていた。アンケート一つで、ここまでやってくれているとは思わ
なかったのだろう。感動しているようだし、常連が増えそうね。
「今度、私も食べに行こうか。エイディの仕事姿も見たいしな。」
 総一郎さんも、興味を持ったようだ。
「妙な事するんじゃねーぞ?ま、士さんの料理なら、お前も満足するさ。」
 エイディさんは、嫌そうな顔をしていたが、客なので、丁重に扱う。
「レストラン『聖』は、いつでも歓迎する。意見があったら、何なりと言ってくれ。
要望次第じゃ・・・仕事が増える事になる。」
 士さんは、嬉しそうに他のメンバーを見る。この眼は本気だ・・・。
「しっかし、冬野は蕎麦好きだねぇ・・・。アンタ、周辺の店に喧嘩して、私が謝
りに行ったのを覚えてないのか?」
 亜理栖先輩は、うんざりした顔になった。
「お嬢。蕎麦は奇跡の産物なんです!打ち方一つで玄妙なる味わいに変わる!それ
を、蕎麦専門店と銘打っておいて、市販の蕎麦を使うような輩は、許せません!」
 こだわりがあるのは、良い事ですわ。
「その点、この方々はプロだ!専門店でも無いのに、名産地の蕎麦を手に入れて、
蕎麦打ちまで教わってくる!この姿勢は、美徳です!」
 冬野さんは、拳を振り上げながら力説していた。
「凄い世界なんだな・・・。それに蕎麦フェア逃したなぁ・・・。俺。」
 兄様は、蕎麦のコアな世界を垣間見て、興味を持ったようだ。
「睦月は、蕎麦打ちは出来るのかしら?」
 私は、睦月に話題を振る。すると、目を瞑っていた。
「打てますよ。修行にも行きましたので。でも、蒼葉打ちじゃ無いですけどね。私
は、アズマの巽(たつみ)で習いましたので。」
 巽って、アズマの北の方の都市よね。
「ま、まさか、幻の巽打ち!蒼葉打ちとタメ張るって言われてるが、あまりに難し
いので、継承者が中々居ないので有名な!」
 冬野さんは驚いていた。うちの蕎麦って、そんな美味かったのか・・・。いつも
食べていると、気にしない物ですね。
「姉さんと二人で、頑張った成果ですよ。ね?」
 葉月も出来るのね。まぁそりゃそうか。巽に行かせた記憶があるし。
「丁度良い機会だし、どっちも打って、食べ比べてみようぜ。」
 士さんは、大胆な事を言う。面白いわね。
「面白いですわ。受けなさい。睦月。」
 私は、睦月を促す。すると睦月は、言われるまでも無く頷いた。
「蒼葉打ちの蕎麦を、参考にしたかった所です。」
 睦月は、嬉しそうに呟く。向上心が高い物ね。睦月は。
「い、良いのですか?こ、こんな至福な体験・・・。」
 冬野さんは、目を輝かせていた。
「落ち着きなよ・・・。まぁ、冬野の蕎麦好きは、今に始まった事じゃないけどさ。
それに私も興味あるしね。」
 亜理栖先輩も、ああ見えて、結構舌が肥えている。
「蕎麦打ちかぁ。私、見学しても良いですか?」
 ファリアさんは、作る方の興味が湧いたみたいだ。
「そうだな。見ていくと良いぜ。それに、アンタには頼みたい事がある。」
 士さんは、快く見学を受け入れる。頼み事もあったみたいだ。
「もしかして、蕎麦粉ですか?」
 ファリアさんは、見当が付いたみたいだ。さすが鋭いわね。
「話が早くて助かる。アンタ程、安定した使い手は居ないからな。」
 士さんは、ファリアさんの勘の良さに感謝していた。
「ま、そうじゃないかと思ってましたからね。じゃ『転移』!!」
 ファリアさんは、簡易的に魔力を指に込めると、その勢いで、空間を引き裂いて
いく。そして、上手い具合に扉を開いた。もう達人の域ね。これ。
「蒼葉の蕎麦粉は、うちの店に置いてあったからな。助かるぜ。」
 士さんは感謝すると、扉の中に飛び込んで、扉を開けたまま、向こうで何かを探
していた。『転移』で、レストラン『聖』の厨房に扉を開いたのでしょうね。
「お。あったあった。まだストックがあるし、これなら大丈夫そうだ。」
 士さんは、作る分だけ取り出すと、扉からこっちに出て来た。
「じゃ、閉じるわね。えいっと。」
 ファリアさんは、極普通に『転移』の扉を消す。
「いやはや・・・。呆れた・・・。君も凄い使い手だな・・・。」
 総一郎さんが呆気に取られている。今の芸当が普通に出来ると言うのが、どれだ
け凄い事か、肌で感じているようだ。
「お嬢の知り合いって、こんな凄い人ばっかなんですか?」
 冬野さんも恐縮している。
「ま、その中でもファリアは魔力に関しちゃ、抜きん出てるけどね。」
 亜理栖先輩も見慣れた光景とは言え、呆れる程だ。
「これでも苦労したんですけどねー。」
 ファリアさんは軽く言うが、その苦労がどれだけ凄い物か、私は知っている。血
反吐を吐いて、魔力の暴走を抑えるのに神経を使う程だ。
「おし。材料も揃ってるみたいだし、始めるとするか。」
 士さんは、材料を持って、厨房へと急ぐ。
「葉月。いつものようにやるわよ。」
 睦月も、葉月を連れて、やる気満々だ。これは、良い物が出来そうね。
 しばらくすると、蕎麦が出来たようで、良い匂いがしてきた。
「この香りは・・・蒼葉打ちの方は、テンマ特有の少し濃い口の上等なカツオ出汁
ですね・・・。これは、レストラン『聖』で感じた事のある匂いですな。」
 へぇ。冬野さんは、中々嗅覚が良いようね。其処まで分かるなんて。
「む・・・こっちは、アズマ風かと思いきや、サキョウ風の薄口出汁!しかも何て
上品な香りだ!これは、期待出来ます!」
 睦月の方ね。この匂いは、うちで良くやる蕎麦の匂いね。
「確かに良い匂いだけど・・・俺、全然分からないんですが・・・。」
 兄様は呆れていた。まぁ兄様じゃ其処まで求めるのは酷かしらね。
「安心しろ。俺も分からん。・・・冬野さんは、本当に蕎麦好きなんだな。」
 レイクさんも、呆れるばかりだ。まぁ匂いで分かるのは通よね。
 そうこうしている内に、どちらも蕎麦を持ってくる。
「へぇ。今日は山菜か鰊(にしん)かしら?」
 睦月は、蕎麦のトッピングに、山菜と鰊を用意する。私は、山菜で戴くのが好き
だが、今日は、身欠き鰊を用意しているみたいだ。
「お好きな方を御乗せ下さい。薄口ですので、どちらも合う筈です。」
 確かに薄口醤油には、身欠き鰊も合う。
「ほう。こちらは、掻き揚げの天麩羅と鴨のミンチボールか?」
 総一郎さんが感嘆の声を出す。士さん達は奇を衒わずに、王道で勝負してくるよ
うだ。と言うか、店のメニューそのままね。
「俺は、この鴨のミンチボールが好きなんですよ。濃い口の出汁にアクセントとし
て光るから、良く合うんですよね。」
 冬野さんは、良く行っているせいか、分かっているようだ。
「では、戴きましょうか。」
 私の一言で、皆が箸を付け始める。まずは、睦月のからね。
「・・・これは!出汁加減が丁度良い!それにこの鰊!丁寧にアク取りされている!
こんな物が、簡単に乗せてくる辺り、凄いとしか言いようが無い!」
 冬野さんは、衝撃を受けているようだ。って今回の鰊は、山椒の利かせ方を調整
してあるわね。余り強すぎると、出汁が負けるからかな。
「あー・・・。これは見事だな。出汁の取り方も完璧だな。」
 士さんも食べてみて、驚いていた。
「うちでも参考にしたい味だネ。」
 センリンさんは、一生懸命味わっている。さすが勤勉なだけある。
「さすが睦月ですな。この味加減は見事だ。」
 ショアンさんが、満足そうに蕎麦を食べていた。それを見て、睦月は嬉しそうに
していた。まるで父が居た時のような目をしている。
「あー。これはすげぇな。細めの麺なのに、コシが半端無いぜ。」
 エイディさんは、蕎麦打ちの方に驚いている。
「俺達のとは、また違うんだなー・・・。」
 グリードさんも、蕎麦打ちを習っただけあって、そちらに目が行くようだ。
 続いて、士さん達の蕎麦を食べた。・・・成程。これは分かり易い。
「あー。これですよ。これ!コクがあるのに濃過ぎないこの味。」
 冬野さんは、満足そうに食べている。確かにこの蕎麦は、中々完成度が高い。睦
月達の蕎麦が、蕎麦に全体的に包むような味なのに対し、士さん達のは、出汁に蕎
麦がトッピングされてる感じだ。ただし強過ぎないように調整されている。その加
減は絶妙だ。トッピングの鴨や天麩羅の味に調和させるくらいの味だ。
「これはまた・・・美味いな・・・。」
 総一郎さんが再び驚いていた。
「この味の調整は、見事ですね。さすが士様。」
 睦月も認めざるを得ない程の調整の上手さだった。蕎麦が太麺なのも、濃い口の
出汁を意識しての事だろう。いや、蒼葉打ちは太目の麺が多いから、出汁の方を調
整したのだろう。そのバランス感覚は見事だ。
「この蕎麦は、客の受けも良いからな。失敗出来ぬよ。」
 ゼハーンさんも、蕎麦打ちを手伝っているのだろう。
「大概、俺と姐さんで、打つけどな。」
「忙しい時は、代わって貰うけどね。」
 ジャンさんにアスカさんは、こう言う役が多そうだ。
「この蕎麦、内の道場で振舞ったら、受けが良かったからなー。」
 勇樹は、羅刹拳の道場で、月に一度くらい、道場生達に料理を振舞う事があると、
聞いた事がある。現場で育てた腕だし、さぞかし上達してるんだろう。
「道場?ああ。君は、羅刹拳の外本さんの娘さんか!そう言えば、外本さんは、最
近復活したと聞いたな。外本さんは御元気か?」
 総一郎さんは、気に掛けていたみたいだ。
「親父なら、最近までは飲んだくれてたが、俺が渇入れてやりましたよ。おかげで、
前ほどじゃ無いけど、それなりに道場生も増えましたね。」
 勇樹は、手が掛かると文句を言いながらだが、嬉しそうだった。仲が良さそうで
何よりですわ。
「そうか。それは良かった。・・・それにしてもどちらも美味いな。」
 総一郎さんは、蕎麦の汁まで、全部飲んでいた。
「俺は幸せですよ・・・。巷の蕎麦専門店より美味いです・・・。」
 冬野さんは、幸せそうな表情を浮かべる。喜んでもらえて何よりですね。
「まだまだ精進する予定です。」
 睦月は、まだまだ頑張れそうね。
「俺達もだ。楽しみにしてるんだな。」
 士さん達も、やる気満々だ。楽しみな事だ。
 こうして、総一郎さんと冬野さんは、私達の知り合いになった。
 今日の蕎麦は、中々の逸品でしたし、俊男さんが戻ってきたら、振舞いましょう。
 だから、戻ってきて・・・。約束よ。



ソクトア黒の章6巻の3前半へ

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